一時間の、戦艦   作:白水つかさ

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第二話 だから私は“盾”になった

■最弱にして最強の盾■

 

 

「なーんで艦隊決戦じゃなくて船団護衛なの~」

 

 南洋の陽光に銀髪をきらめかせながら、駆逐艦・清霜(きよしも)はいささか退屈そうにつぶやく。

 僚艦は、海防艦の占守(しゅむしゅ)佐渡(さど)。武装は控えめで低速だが、対潜能力が高く船団護衛を本務とする艦だ。

 占守は薄灰色の髪に(みどり)の瞳、佐渡は湖水色から黄金に変わる髪色に紅玉(こうぎょく)の目だが、いずれも海防艦らしく小柄でかわいらしい。

 

「まーまー、命令だからさ。文句言っても変わんないっしゅ」

「つかさぁ、戦艦に会えるって言ってたじゃん、朝日さんが」

 

 佐渡の言葉に、清霜はぴこんとアホ毛をアンテナめいて立て、ガッツポーズまでして元気に叫ぶ。

 

「そうだった! じゃあやっぱり全力で行かないと」

 

 鎮守府から伝えられた任務は、英豪合同の輸送船団を南方で出迎え、護衛の任を引き継ぐというもの。艦隊決戦のようは派手さはないとはいえ、各国の物資と、なにより輸送船団の人命がかかる、重要な作戦行動だ――が。

 如何(いかん)せん清霜の念頭にあるのは、朝日が「最も尊敬する戦艦」との邂逅ばかりだった。

 

(どんな……どんな戦艦なんだろう……)

 

 清霜の中で、まだ見ぬ戦艦のイメージが大きく膨らんでいく。

 巨大な艦影。圧倒的な火力で敵を薙ぎ払う矛。鉄壁の装甲で味方を護る盾。

 

(朝日さんが尊敬するくらいだし、すっごいでっかくて、強くて、練度もばっちりで……)

 

 しかし――彼女の期待は、出会いの瞬間に裏切られることになる。

 

 


 

 

「こちら英豪混成船団、日本艦隊を視認! 会同に向かう」

 

 通信機からの報が届き、水平線に輸送船団の艦影が浮かび上がってくる。タンカー、コンテナ船、バラ積み船、何名かの護衛の艦娘。

 そして、その中に――ひとつだけ、異質な姿があった。

 

 灰色の落ち着いた服装に、重厚という言葉とは正反対の優美なライン。

 装備らしきものは肩の6インチ砲と、腰の小さな対空砲だけ。

 強いて言えば、光を反射する薄いケープは煙幕の艤装だろうか。

 将旗を掲げていることから、彼女がこの船団の責任者であり、おそらくは朝日が言及した艦なのだろうが、戦艦には到底見えない。

 

「えっ……こ、これが……?」

 

 清霜の目が点になる。

 その艦娘は凜々しく海面に立ち、毅然とした目でこちらを見つめている。だが――戦艦、とはとても思えなかった。

 その瞬間、船団の中から声が飛ぶ。

 

「これ、とはなによ! 失礼じゃない!」

 

 声の主は、鋭い目つきの艦娘――オーストラリア海軍、HMASパースだった。

 輝くブロンドに菫色の瞳、緑を基調とした制服姿。

 かつてABDA艦隊の一員として最後まで日本艦隊と戦った軽巡洋艦の艦娘は、睨みを効かせながらつかつかと歩み寄る。

 

「この方は――あたしが一番尊敬してる艦隊の盾よ! ここまで無事に来られたのだって、絶対にこの人のおかげなんだから」

「は、はあ……?」

 

 詰め寄られて、尻尾を巻く清霜ではない。怒ったポメラニアンのようにきりきりと犬歯を覗かせ、鼻面にしわをよせ、パースを睨み返す。ぐるぐるといううなり声が聞こえてきそうだ。

 

「パースさん、そのくらいに」

 

 艦娘は落ち着いた声で止めに入った。

 

「あなたに賞賛いただくのは光栄ですが、私などのために栄光ある日本の艦娘と事を構える対応は不適切です」

「……はい」

 

 口調は静かだが、毅然とした風格を感じさせる。

 まだ釈然としない表情ながらも、素直に引き下がるパースと、前につんのめりそうになる清霜。占守と佐渡が清霜をつつく。

 

「清霜先輩、敬礼はちゃんとしてください、あっちのほうが格上っぽいんで。国際関係って奴っしゅ」

「ここでケンカしても仕方ないだろ、ほらほら~」

 

 渋々ながら、清霜はぴしっと敬礼する。

 

「……駆逐艦、清霜。護衛任務の受け取りに参りました!」

 

 その声に応えて、見知らぬ艦娘が静かに答礼を返す。

 

「――英国海軍軍艦(HMS)ジャーヴィス・ベイ。英日連絡輸送船団、護衛任務で参りました。本海域よりの護衛引き継ぎ、感謝します」

 

 名乗りを聞いた瞬間――清霜の目が大きく見開かれる。ぽんと手を打ち、

 

「ジャーヴィス・ベイ! あのポケット戦艦に沈められた――」

 

 その瞬間、乾いた音が響いた。

 

「――あなた、いい加減にしなさい!」

 

 清霜の頬を叩き、泣き声のように、パースが叫ぶ。

 清霜は、言い返さなかった。言い返せなかった。

 頬に受けた一撃が、熱い。

 痛みよりも、心の奥がざらりとした。

 

「……ごめんなさい」

 

 小声で、謝る。

 パースは、あまりにも素直に清霜が折れ――そして本心からの反省だと伝わるがゆえに、それ以上怒鳴ることもできず、ただ拳を握りしめてふるえていた。

 海防艦の占守と佐渡は、気まずそうに目をそらしている。ジャーヴィス・ベイの名は知らないまでも、海上護衛が本職の彼女たちは、あの言葉がどんな意味を持って響いてしまうのかを直感的に理解している。

 

(ポケット戦艦に沈められた)

 

 それは事実だ。

 戦艦にこだわる清霜は、戦艦に沈められた船の名前も事実としては知っている。

 だが、それだけだ。

 なぜ、何のために、沈んだのか、その意味には思いを馳せられていなかった。

 清霜は、ただ“事実”だけを口にした自分の浅はかさに、今さら気づいていた。

 

「――紅茶でも、いかがですか?」

 

 沈黙を打ち消して穏やかに響いたのは、ジャーヴィス・ベイの声だった。その声には怒りも軽蔑もなく、規律と優しさが静かに共存していた。

 

「ちょっと、いい場所をお借りしましょう。護衛任務の引き継ぎは、輸送船の応接室でしてもよいと思いませんか?」

 

 


 

 

 艦娘のサイズであれば、輸送船に上がり込むことはできる。

 ジャーヴィス・ベイが、輸送船団司令の座乗する大型タンカーに清霜と占守、佐渡、それにパースを案内すると、数人の船員たちが清霜に目を向ける。だがその視線は、はっきりとした敵意を含んでいた。

 

(……そりゃ、そうなる、よね)

 

 英国は最も長い伝統を持つ海洋国家だ。

 かつてジャーヴィス・ベイで戦った船員や、彼女に救われた船の船員。彼らの子孫が、今ここで輸送任務に就いているのかもしれない。

 軽率なことを口走った清霜が棘のある視線を向けられても、不満を言うことはできなかった。

 占守も佐渡も、どこか所在なさげに目を伏せる。

 

 ただ、ジャーヴィス・ベイが通り抜けると、その空気も少しだけ変わる。

 ことさらに、説明して回るわけではない。

 だが、彼女の清霜との距離感、表情、歩き方――どことは言えないがその全てが、この日本の艦娘は悪い存在ではない、と船員たちに伝えているようなのだ。

 

 特別なことをしている風でもなく、淡々と通路を歩いて、ジャーヴィス・ベイは清霜たちを応接室に導く。簡素だがよく整頓された、居心地のよい部屋。

 おずおずと、清霜は椅子に腰掛ける。

 

「軍艦だとココアかコーヒーなのですが、もとホワイト・スター・ラインの英豪航路についていた客船としては紅茶を淹れたくなりますから」

 

 てきぱきと動き、ジャーヴィス・ベイが微笑む。

 占守と佐渡はすっかり恐縮し、両手でカップを受け取っている。

 

「ところで日本ではやはりグリーンティーですか? そんなお話で構いません、ゆっくり聞かせてください」

「……はい」

 

 まるで厳しくも慈悲深い名艦長の前で反省するいち水兵のように、うなだれて戦艦についての会話をかいつまむ清霜に、パースがむしろ興味深げに耳を傾けている。

 パースにしてみれば、因縁のある国のとはいえ、歴史に残る海戦で主役を演じた戦艦のひとりがジャーヴィス・ベイを尊敬すると言ったことで、遺恨も少し晴れるような気分なのだろう。

 

「ふーん……」

 

 なんとも言えない声を上げるパースにもちらりと視線を投げつつ、ジャーヴィス・ベイが言った。自身の地味な艤装を繊手でそっと撫で、もの柔らかに微笑む。

 

「なるほど――あなたにとって戦艦とは、大きく、強い艦。それでは確かに、私は逆さに振っても戦艦ではありませんね」

 

 清霜は恥じらい、うつむきながらも、否定はできない。自分は確かに、あのときそう思ったから。

 

「それは、旧日本海軍の正しい理解でしょう。戦艦を主役に据えた漸減作戦、その大舞台としての艦隊決戦。数を揃えることは困難なので、個艦の優越を目指し、ついには46センチ砲を搭載した巨艦を生み出す。そして――船団護衛は、ずっと後回しだった」

「……かも。だから、わたし、沈める側に立ったみたいなことを言っちゃって――」

 

 また、清霜がうなだれる。

 ジャーヴィス・ベイはそっと、すっかり冷めてしまった彼女の紅茶を取り替える。

 

「私たちの国も、船団護衛に十分力を入れていたと言えるかどうかは分かりませんよ。ジャーヴィス・ベイは、元はただの客船。古ぼけた6インチ砲7門、15ノット、商船構造で装甲なし。どこからどう見ても、護衛される船たちに安心感を与えるような存在ではありませんでした。ですが――」

 

 レイキャビク沖で、輸送船団HX84は“ポケット戦艦”アドミラル・シェーアに遭遇した。11インチ砲6門、5.9インチ砲8門、対空砲、魚雷発射管、速力28ノット。

 船団は狼の前の羊に等しく、散開して逃走したところで追いつかれて撃沈されることは目に見えていた。

 護衛艦は――ジャーヴィス・ベイ、ただ一隻。

 

「だから私は“盾”になった。その身を、シェーアにぶつけていくことで」

 

 かちゃり、と、誰かのカップが音を立てる。

 

「6インチ砲は届かず、11インチ砲に切り刻まれ――一矢も報いられずに沈んだ。それまでにかかった時間が……そう、一時間」

「それで、輸送船の多くが逃げ延びられた……あなたに分かる?」

 

 涙目で、パースが清霜を睨む。

 こくりと、清霜はうなずいた。

 

「だから、あなたは“戦艦”だったって、朝日さんが言ったんだ……戦場で最強、艦隊の盾――それって、武蔵さんや日本海海戦の朝日さんだけじゃない、んだ」

「戦艦と呼ばれる資格があるのかどうか、私には分かりません。ただ、あのとき私は、艦隊の先頭に立ち、時間を稼ぎました。本音を言えば、もっと多くの人を生きて帰したかったと思いますが……それでも、私は誰かの盾となれたと思っている」

 

 清霜の胸の奥に、何かがじわりと広がっていく。

 憧れ、敬意、そしてまだはっきりと形を取らない決意。

 

(たった一時間……一時間だけの、戦艦。それでも、最強の艦、艦隊の盾だったんだ)

 

 隣で、占守がぽつりとつぶやいた。

 

「占守たちだって、がんばったっすけど……」

「ひとりじゃ、なかったよな……」

 

 清霜は、そっと立ち上がると、ジャーヴィス・ベイに向かって頭を下げた。

 

「改めて、ごめんなさい。そして――会えて、よかったです」

「……ありがとうございます」

 

 ジャーヴィス・ベイの金髪が、静かに揺れる。

 砲は小さく。

 装甲はなく。

 速力は客船に等しい。

 けれど、その決意は確かに――“戦艦”のものだった。




ジャーヴィス・ベイは原作には登場しません。
が、れっきとした史実軍艦ではあり、アリステア・マクリーン『孤独の海』所収の「不屈のジャーヴィス・ベイ号」や、黒井緑『英国軍艦ジャーヴィス・ベイ』で扱われているほか、マクリーン『女王陛下のユリシーズ号』、秋山完『ペリペティアの福音』にも名前が出てきたりします。
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