一時間の、戦艦   作:白水つかさ

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第三話 わたしは――戦艦だ!

■戦艦、清霜■

 

 

「……ふう」

 

 清霜(きよしも)は――珍しいことに――物憂げな表情で空を見上げ、ひとつため息をついた。

 ジャーヴィス・ベイとの邂逅が、彼女の中にまだ大きなものを残していた。

 海防艦の占守(しゅむしゅ)佐渡(さど)も、的確な対潜警戒を続けながらもどこか上の空だ。

 

「ん……エンジン音?」

 

 風に吹きなぶられる髪を押さえながら、占守が言う。

 

「まだ、陸上基地の勢力圏じゃないはずだぞ」

 

 首をかしげる佐渡。清霜は空を見上げ――さっと青ざめる。

 

「水上爆撃機! 戦艦レ級の!」

 

 戦艦のこととなれば、過去現在、敵味方問わず知識を詰め込む清霜の性癖が、ここではプラスに働いた。

 遠くかすかに見える機影が、航空攻撃、雷撃、砲撃、あらゆる戦法をこなす深海棲艦きっての怪物、戦艦レ級の水上爆撃機だと、見て取ることができた。

 

「追尾されてる……」

 

 清霜の声が震える。

 敵への怒りも、恐怖も、艦影の見えない今は示しようがない。

 ただ、どうしようもないものがじわじわと迫ってくる、悪夢の中のような感覚だけがある。

 

「攻撃、してこない?」

 

 対空警戒をしながら、占守が不思議そうにつぶやく。柔らかな頬に、汗がつたう。

 清霜は、絶望の先を見たような瞳の色で答える。

 

「してこない。飛行機で仕掛けて、撃墜されたり損傷したりするような危険を、レ級が犯す必要はないもの。――砲撃だけで、十分だから」

 

 水上爆撃機は高度を保ち、旋回しながらこの海域を周回している。

 戦艦の誘導と、交戦時の弾着観測。

 それで十分ということが、占守と佐渡にも分かる。分かってしまう。

 

「上空から、フネを誘導してる。こっちの動きは把握されてる……隠れることもできないし、輸送船よりあっちのほうが速い」

 

 清霜の指先が震える。艤装の砲塔を握る手が汗ばんでいるのがわかる。

 そして。

 

「いた……!」

 

 佐渡の叫び。

 

 水平線の彼方、揺らめく陽炎の向こうに、それは現れた。

 黒いフードを被った、幼い少女の姿。

 白髪の影から覗く紫の瞳が怪しく輝き、嘲笑うような笑顔が張り付く。

 背中から伸びる巨大な尻尾は首長竜の頭部のような形状をしており、砲や魚雷、さらには飛行甲板までもを備えている。

 笑顔の裏に深海の悪夢を秘め、ゆっくりとこちらに向かってくる。

 

「あんなバケモノが、どうして日本近海に……レイキャビク沖じゃないんだぞ!」

 

 輸送船の男の声が、無線越しに絶望的に響く。

 

「レ級だから、だよ……あれは、何をしたっていい」

 

 戦艦を知り尽くす、清霜の声が掠れる。

 圧倒的な火力と装甲、空中と水中への対応力、追撃も転進も自由な高速。戦艦レ級は、何をしてもおかしくないし、何をされても沈まない。

 なぜこのタイミングなのかも、どうしてここに現れたのかも分からない。

 全ては、彼女の気まぐれひとつだ。

 けれど、ひとつだけははっきりしている。

 

 ――死神が近づいている。

 

 戦艦レ級は、進む。

 ゆっくりと、確実に。

 上空の爆撃機はただ旋回しながら、それを導く。

 

 海面が揺れるたび、視界に映る艦影は少しずつ、しかし着実に大きくなっていく。

 逃げ場のない悪夢が、形を取る。

 無線越しに、誰かがつぶやく。

 

「無理だ……あんなの、どうやって……」

 

 清霜は、ぎゅっと拳を握った。

 

(逃げても、無駄……なら――)

 

 彼女は、ぐっと顔を上げた。

 

「わたしは……」

 

 鼓動が速まる。

 掌に汗がにじむ。

 足が震える。

 でも、それでも。

 

「わたしは――戦艦だ!」

 

 風が吹き抜ける。

 

 ジャーヴィス・ベイの姿。

 その眼差しが、清霜の瞳に焼き付いていた。

 

 


 

 

 必死の協議と、背水の陣を敷く時間にはなった。

 占守と佐渡は輸送船団を護衛し、救難信号を発信しつつ全速力で左回頭。

 清霜は右回頭でレ級の頭を押さえ、もしレ級が船団襲撃を優先するなら進路をふさぐ形で酸素魚雷を斉射する。次発装填後はすみやかに再発射、レ級の行き先を狭めると同時に被弾時の誘爆を防ぐ。

 あとは全力で直進し――レ級を衝き沈める。

 

「ふふん。リッサ海戦だよ」

 

 清霜は胸を張る。

 19世紀、劣勢のオーストリア海軍戦艦が、衝角突撃でイタリア海軍を衝き沈めた戦いだ。まだ戦艦という艦種が確立していない時代ではあるが、主力艦どうしの戦いということで清霜のレーダーにひっかかっていたのだろう。

 

「そんな、無茶っしゅ!」

「これが戦艦の仕事なのだよ、ちびっこ君」

 

 武蔵を真似たような口調で、清霜が言う。

 

「佐渡だって、弾除けくらいにはなる!」

「速力的に、わたしが先行しちゃうでしょ? それに、レ級だったら特殊潜航艇もあるの。砲撃で十分だと思って、無駄に損傷したくないから潜航艇も飛行機も手を出してこないんだろうけど、護衛なしだと輸送船を狙ってくる可能性はある」

 

 冷静に、哀しいほどに冷静に、清霜は分析する。

 占守も佐渡も、それ以上言葉を続けられない。

 

「おい!」

 

 と、これは輸送船の男たち。

 

「なら俺たちならどうだ! 何隻かおまえについていけば砲撃が分散して――」

「ノー・サンキュー」

 

 首を振り、ロイヤルネービーの名文句。

 

「おなかを見なさい。まだ戦艦の仲間入りは無理だ」

 

 男は大笑いした。泣き笑いの声が、無線越しに響く。

 おなかとは、単に艦型のことではなく、その乗組員と積み荷のことだと分かっていた。

 海上護衛を考え始めた日本海軍に、泣きながらも笑うしかない。

 

「ああ、もう……だが覚えとけよ、まだおまえにジャーヴィス・ベイ姉御の仲間入りは無理だ!」

 

 言い返す割れた声を最後に、無線が切れ。

 

「清霜が戦艦だったなんて、ぜったい報告しないから」

「だから、沈まないで」

 

 佐渡が、占守が言う。

 

 清霜はにっこりと笑って、艤装を構え直す。左舷を振り向きながら、声を張り上げる。

 

「もっちろん。でも――もしものときの、次の“戦艦”は、あなたたちだからね」

 

 二人ははっと目を見開いた。だが、もう時間はない。

 

「行って!」

 

 


 

 

 清霜の号令とともに、船団は大きく左旋回する。

 占守と佐渡が、ぴたりとそれに寄り添って艤装を傾ける。

 万一特殊潜航艇が待ち構えていたとしても、海防艦二隻の先制爆雷攻撃で追い払うことができるはずだ。

 

 清霜は右へ。

 タービンを最大戦速に入れ、波を蹴ってレ級へと正面から突っ込む。

 レ級が船団に向かうのが、拡大された視野に入る。

 

「船団襲撃? 戦艦を無視しようだなんて、後悔させてあげるから!」

 

 装填よし。発射角、よし。

 

「行け――酸素魚雷、斉射!」

 

 長槍が海中を滑る――が、砲と違い発砲炎が上がるわけでも、爆音が響くわけでもない。酸素魚雷の利点であるはずの航跡の薄さが、今は少し悔やまれる。

 届かないのを承知で、主砲を放つ。

 レ級のはるか手前に水飛沫が上がり、きちきちと音を立てるような動きで戦艦がこちらを向くのが見える。

 

 たかだか12.7センチの主砲は届かないし、わざわざ気づかせた魚雷が当たることも望めない。

 それでいい。

 牽制になれば、それで。

 

「次、装填!」

 

 日本海軍の誇る、次発装填装置。

 海面を滑るようにして距離を詰め、射線がレ級の進路を狭めるように回頭、再び魚雷発射。

 命中は――しない。

 だが、レ級は射線の間を通らざるを得ない以上、少しずつ動きを制限されている。

 意味はある、そのはずだ。

 

 レ級が正面を向く。雷跡に挟まれるように、こちらに向かってくる。

 

「そう、それでいいの……ここから一気にっ!」

 

 清霜も全速で直進。

 レ級との距離が、徐々に詰まる。

 駆逐艦の全速力とはいえ、広大な大海原では接敵までの時間はじれったくなるほどに長い。引きつけた注意をそらさないよう、散発的に主砲を撃ってみても、届きもしない。

 そして、閃光。

 レ級の主砲が火を噴いた。

 

「っ――!」

 

 瞬間、彼女の艤装が反射的に転舵、予想される着弾点からの回避を行う。それでもぎりぎりで、身を捻ってかろうじて凌ぐ。

 海面が爆ぜ、巨大な水柱が上がる。

 頭から海水をかぶりながら、清霜はつんのめるようにして走り続ける。

 

 だが、何度目かの砲撃音の後。

 

「――っぐ……!」

 

 かわしたはずが、真横で炸裂音。

 身体が宙を舞い、叩きつけられる。視界がぐるりと回り、世界が音を失った。

 そして――左腕が、なかった。

 

 熱いものが吹き出す。

 焼けるような痛み。

 それでも。

 

「まだ……!」

 

 清霜は、立ち上がる。

 応急修理で、無理矢理血を止める。

 ずたずたになった艤装を引きずるようにしながら、波をかき分け、再び走り出す。

 レ級の副砲が火蓋を切り、無数の炎の花が咲く。もう回避する余裕はない。

 

 至近弾が爆ぜ、肩に、脚に、鋼鉄の破片が突き刺さる。

 必死に右手で掴んでいた砲塔が、吹き飛ばされる。

 それでも清霜は進み続け、フードをかぶったレ級の、無邪気で残酷な子供のような表情が白目まで見える距離に近づき――

 

「これで、どうだぁあっ!!」

 

 対潜用爆雷を握りしめて突進した。

 交錯する航跡。

 レ級の胸元に飛び込み、爆雷を胴体に押し付ける。

 

 ――爆発。

 

 閃光と衝撃が海面を叩く。

 レ級の副砲の一つが、もぎ取られる。――副砲、一つだけ。

 残りの備砲が、お返しとばかりに清霜を打ち据える。

 

「……は、は……これが、戦艦……かぁ。やっぱ……すごい」

 

 笑う清霜の艤装は、もはや原型を留めていない。

 レ級の主砲がゆっくりと旋回し、とどめの一射を見舞おうとしたところで――清霜の右目が輝く。

 

(44インチ探照灯!)

 

 ある巡洋艦が使いこなしたその照射戦法は、レ級の視界さえも一瞬奪った。反射的に放たれた機銃弾が清霜の瞳を傷つけたものの、主砲弾は無害に彼方へと飛び去る。

 清霜は目から血を流しながら倒れ込み、残された右腕一本でがっちりとレ級の脚を掴む。

 

「沈むなら……っ、連れて……いく……! 輸送船には行かせない!」

 

 レ級の蒼く光る目が、清霜を見下ろす。不可解なものを見たような、目。

 節足動物の脚のように動く副砲群が、不意に動きを止めた。

 ゆっくりと膝をつき、清霜に手を伸ばす。

 誰にも理解できない声を上げる。

 

「……!」

 

 レ級に首を捕まれ、清霜の小柄な体が宙に浮く。

 左腕は肩先から失われ、鼓動のたびに鮮血があふれだす。

 それでも――清霜はレ級を睨み、叫ぶ。

 

「戦艦が、こんなもので、沈むかっ!」

 

 脚が翻る。金属音とともにレ級の顎が蹴上げられ、清霜は海面に落ちる。

 水飛沫と赤い血が跳ねた。

 

 またしても、清霜はレ級の脚を抱え込む。

 レ級は苛立ったように唸り、清霜の小さな体に、なおも砲弾が容赦なく叩きつけられる。

 艤装は今やねじれ、曲がった鉄屑の寄せ集めのようになり、肉体も限界に達していた。

 それでも、清霜はレ級の足から離れない。

 

「……わたしは……戦艦……だって……言っただろうがあああっ!」

 

 歯で、レ級の脚に噛みつく。

 怒声とも悲鳴ともつかないレ級の声が、波間に響く。

 

 そして――空が、騒がしくなった。

 

 


 

 

 爆音。

 だがそれは、レ級が駆る水上爆撃機の重たく鈍い音ではない。もっと軽やかで、鋭い、エンジンとプロペラの音。

 

「……?」

 

 レ級が、顔を上げた。余裕は崩れないが、いささか苛立ったように。

 

 次の瞬間、轟音が上空を裂いた。

 艦上攻撃機・流星の編隊が、陽の光を浴びながら急降下する。レ級の回りに水柱が立つ。

 海に響きわたる、レ級の叫び。

 さらに第二波の編隊を視認して――ゆっくりと、清霜は意識を手放した。




あ、はい、探照灯が44インチなのはユリシーズです。「ある巡洋艦」。あちらは航空機相手の使用でしたが。その他も全般に『女王陛下のユリシーズ号』の影響が見え隠れしています……。
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