一時間の、戦艦   作:白水つかさ

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ベジマイトと決闘でもするの?

■ベジマイトとマーマイトと、戦艦のマナー■

 

 

 珍しく、清霜(きよしも)がじっと考え込んでいた。

 銀髪に紫色の大きな瞳、戦艦に憧れる元気な駆逐艦だが――隻眼、隻腕、それに頬にも傷跡の残る風貌は、歴戦の威風もまた漂わせている。

 戦艦レ級を向こうに回した凄絶な海上護衛戦、光る酸素魚雷を放った豪州防衛戦と、その武勲は隠れもない。

 

 だが、いま彼女の前に立ちはだかっているのは、深海棲艦でもなんでもなくひとつの瓶だった。

 朝食を食べ終えたあとの食卓に鎮座する、「VEGEMITE」と書かれたボトル。

 バターナイフをつまんだ手で頬杖をつき、清霜はどこかぼうっとしつつも瓶をにらんでいる。

 

「むー……」

「どうしたのよ、その顔は。ベジマイトと決闘でもするの?」

 

 声をかけたのは豪州軍艦(HMAS)パース。

 輝くブロンドに菫色の瞳、緑の制服姿も鮮やかな、オーストラリアの軽巡艦娘だ。

 明るい声に、清霜が振り返るが、それでもまだ少し(かげ)りが残っている。

 

「これ、ベジマイトって言うの? 別に戦うわけじゃないよ、(ホウキ)とプロレスするよりは刺激的な味だったけど――」

「なあんですって!?」

 

 ばむっと、パースが机を叩く。

 あわてて走ってきた海防艦娘の占守(しゅむしゅ)佐渡(さど)が、小柄な体でパースにしがみついて取り押さえる。

 もっとも、それこそ清霜が言ったプロレスの演出のようなもので、パースも本気で怒っているわけではない。

 

「オーストラリアの国民食なベジマイトをバカにしたら、いくら清霜でも許さないわよ、酵母からできてて健康にいいんだから毎朝食べなさい」

「食べたら戦艦になれるかもしれないっしゅ」

「だから佐渡たちのぶんまで食べてくれよ……いやなんでも」

 

 さりげなくベジマイトを清霜に押し付けようとしている占守と佐渡。

 とうとう、清霜がくすりと笑った。

 

「いや、ベジマイトは佐渡にあげるけど……ごめんね、ちょっとぼうっとしてた」

 

 清霜の言葉に、パースは気づかわしげに眉をひそめ、彼女と並んで座る。

 

「あんたがぼうっとしてるなんて、天変地異の前触れ? カンガルーの群れが対空ミサイル(スティンガー)を発射したり、シドニーにサメ台風(シャークネード)が押し寄せてきたりしないでしょうね」

 

 そう言いながら、ベジマイトのボトルを手に取り、清霜の柔らかな頬にくっつけようとする。

 以前おでこをつつかれそうになったときと同様、清霜はひょいとかわし、素早くボトルを取り返して答えた。

 

「んー……ほら」

 

 片手では、蓋を回せない。そう示す清霜に、パースの顔がはっと翳る。

 

「や、ベジマイトは開けて置いてくれてたよ? 締めるのだって、脚で挟んだりしたらできたし。けど、ディナーはどうしたらいいのかなって、ちょっと考えてたの」

「それは……」

「ナイフとフォークは外側からっ!ってくらいは、くちく……じゃない、戦艦としてはとうぜん覚えたんだけどさ。片手だと、そういうわけにもいかないでしょ」

「むー……」

 

 先ほどの清霜の口調と表情が伝染ったかのように、ベジマイトをにらむパース。

 

「おいしいベジマイトのパッケージだけが不便なばかりに清霜を苦しめるなんて、そんな悲劇が――」

「えっと、清霜センパイが気にしてるのはベジマイトじゃなくてディナーのはずっしゅ」

「ベジマイトのほうはパッケージじゃなくて中身が問題……なんでもないぜ」

 

 占守と佐渡はこもごもにつっこもうとするが、ベジマイト愛の激しいパースにおそれおののいてかいささか切れ味が鈍い。

 スポットライトでも浴びていそうな様子で両手を握り合わせ、天を仰いでパースは言った。

 

「それじゃまるでパッケージが似ていることにだまされてあのイギリスのマーマイトを買ってしまったオーストラリア人(オージー)みたいな……マーマイト!」

 

 がたんと椅子を蹴飛ばして、パースが立ち上がる。

 とうとうおかしくなってしまったと言いたげに、占守と佐渡は抱き合ってふるえ、それどころか清霜さえ冷や汗を流しているが……力強く、パースは清霜の手を握りしめた。

 

「マーマイトといえばイギリス、イギリスにはジャーヴィス・ベイさんがいるじゃない!

 もと客船だった彼女なら、きっとディナーのテーブルマナーにだって詳しいはずよ。軍人として義務を果たすなかで、戦傷で腕を失った人だっていたでしょうけど、それは恥ずかしいことではないのだもの」

「……なるほど!」

 

 清霜の瞳に、輝きが戻る。パースもにっこりと笑った。

 美しい友情である。

 始まりがベジマイトだかマーマイトだかでなければ完璧だった。

 

「それじゃ、ジャーヴィス・ベイさんを探してきまっしゅ!」

 

 素早く、占守が走り出す。

 その背中に向けられる佐渡の視線は、仲間を思う情熱に感激したものか、はたまたベジマイトの脅威からいっときだけでも逃れられる姉妹艦を羨望するものか。

 

 

 とはいえもちろん。

 

「――話は、伺いました」

 

 しばらくしてジャーヴィス・ベイの優しい声が響くと、空気はまたひとつ変わる。

 さすがに占守も、これ幸いと逃げ出しはしなかったらしく、くっついて戻ってきている。

 

 女性らしい優美なラインの立ち姿に、暖かなまなざし。

 灰色の落ち着いた服装に、ひときわ鮮やかな純白の帽子。

 かつて船団唯一の戦闘艦として、圧倒的な敵艦に立ち向かって船団が生きるための時間を掴み取った仮装巡洋艦、英国軍艦(HMS)ジャーヴィス・ベイ。

 その魂を受け継ぐ艦娘としてもまた、彼女は清冽な存在感があった。

 

 教えを受ける身として、清霜はぱっと立ち上がった。

 自分より背の低い清霜に歩み寄り、ジャーヴィス・ベイは片膝をかがめて淑女の礼を取る。

 

「私の艦としての戦いで、フィーガン艦長は片腕を失いながら、最後の一瞬まで屈さず戦い抜きました。

 彼はこの世での晩餐会に参列することはもはや叶いませんでしたが――清霜さん、あなたの助けとなれることを光栄に思います」

 

「――それは、ジャーヴィス・ベイさんの話を聞いていたからだよ。

 だから、清霜もあの一時間だけは、戦艦になりたいじゃない、いまわたしは戦艦なんだっていう勇気をふりしぼることができた」

 

 背筋を伸ばし、清霜が答える。

 

「そういえば、ジャーヴィス・ベイさんと清霜が会うのはあのとき以来なんだっけ、奇跡のタイミングね」

 

 しみじみと、パースがうなずいている。

 豪州を本土とする彼女は日本の艦娘たる清霜と顔を合わせる機会もあるが、あくまでブリテン島に拠点を置くHMSジャーヴィス・ベイは日本近海まで(おもむ)くことは少ない。

 オーストラリアでのこの一日は、確かに小さな奇跡とは言えた。

 

「その勇気があれば、ディナーについて恐れることなどありません」

「そ、そうなの?」

「あなたの傷は、盾となって仲間を守った証なのですから。テーブルマナーを難しく考えなくても、マナーが人に合わせるものです。

 マナーとは人に恥をかかせるために固定されたものではなく、それぞれのありように沿って気持ちよく過ごすために調整されていくものですよ」

 

 優しくおおらかに、ジャーヴィス・ベイが微笑む。

 背後でパース、占守、佐渡が燃え上がっている……パースはベジマイトを掲げて。

 

「そうよ、清霜を笑う奴がいたら、ユーカリを混ぜたベジマイトを塗りつけてキラーコアラのえさにしてやるわ」

「じゃあ占守は占守島を取り返すまで帰ってくるなって言ってボートで流すっす!」

「佐渡様はそいつをサド金山に放り込んでさでぃすてぃっくに働かせてやるぜ、はたらけー」

「ありがと、みんな……キラーコアラがなんなのかは分からないけど」

 

 恋する思春期で悶え苦しむやつ(キラートマト)の仲間かは分からないが、とりあえず気持ちは分かった。

 穏やかに、ジャーヴィス・ベイが話を戻す。

 

「みなさんの仲間を思う気持ちも立派です。とはいえ、必要以上に心配することはありません。歴史を見ても、軍務に就くなかで、負傷する軍人は少なくありませんでしたから。あのネルソンて――」

「戦艦ネルソン! ビッグセブンの一角で火力と装甲はトップクラス、16インチ3連装砲塔3基を前方に集中配備!」

 

 例によって戦艦に反応する清霜に、パースはがくっと肩を落とした。

 

「なんでそっちが先に出てくるのよ……いや、清霜らしいけど」

 

 占守と佐渡は大笑い。

 だが、ジャーヴィス・ベイはまったく動じずに話題を引き戻す。

 

「もちろん、戦艦の名前の由来となった提督です。彼も片手を負傷していましたが、高位の軍人としてとうぜん社交の場に臨む機会は多々あったでしょう。それを笑う人などいなかったと思いますよ」

「ふむふむ?」

「もっとも、当時は従卒がケアをしていたかもしれず、食べ方の面ではあまり参考にならないかもしれませんが」

 

 従卒と聞いて、占守がしゅたっと手を上げる。

 

「はいはーい、じゃあ占守が従卒やるっしゅ!」

「いや、占守もいっぱい食べて大きくならないと」

「ベジマイト以外……むぐぐ」

「ええ、肉料理はあらかじめカットしてサーブしたり、スープであれば掬いやすいように傾けるための補助具をセットしたりと、主催者のがわで対応するのが基本です。占守さんはご自分の食事を楽しんでくださいね」

「は、はーい」

 

 パースの視線を感じているせいか、占守は少し冷や汗をかきながらも元気に答えた。

 清霜はもちろん、ふんふんとうなずきながらジャーヴィス・ベイの言葉にしっかり耳を傾けている。

 

「大切なのは胸を張ること、そして同時に、困った部分があれば率直に助けを求めることですね。堂々としていれば、細かい仕草などはなんとでもなるものです」

 

 意外と豪快に、ジャーヴィス・ベイが締めくくった。

 

「堂々と、かぁ……」

「ところで、清霜さんは何を着て参列されるのですか?」

「第一種礼装! 白いやつ」

「ふふ、楽しみにしています」

 

 さらりと、ジャーヴィス・ベイが清霜の背中を押す声を発する。

 服に着られるという言葉があるが、逆に言えば、服装が気分を形作るということでもある。

 未来に目を向けることで、ふわりと、清霜の気持ちも不安から浮上した。

 

 

「ところで――」

 

 不意に、ジャーヴィス・ベイがふところを探る。

 

「占守さんから、オーストラリアの方々が、マーマイトはしつこいとか、マーマイトは用済みだとか言っていると伺いましたが……」

 

 パースがぎくりとこわばった。

 某新世紀アニメ(そのまま)科白(セリフ)でこそないが、パッケージにだまされてマーマイトを買う悲劇とか言っていたので、おおむね告げ口の趣旨は合っている。

 そしてここはオーストラリア、ベジマイトの本拠地だが、ジャーヴィス・ベイもいかなる強敵にも一歩も譲らぬ“戦艦”の決意を秘めた艦娘。

 占守はパースのベジマイト熱に冷や水が浴びせられることを期待して、しゅむしゅしゅしゅとひそかに踊っていた。

 

「マーマイトの味こそが本家であり究極だと教えてさしあげます」

 

 だが、彼女のふところから出てきたのはマーマイト。今度は占守が固まった。

 

「いくら尊敬するジャーヴィス・ベイさんの発言とはいえ、それは聞き捨てならないわ! ベジマイトこそ至高だと再確認させてあげる」

 

 そしてパースもオーストラリアの盾たる覚悟を示した艦娘だけに、ベジマイトを掲げて立ち向かう。

 究極のマーマイトと至高のベジマイトに挟撃され、清霜と占守、佐渡はなすすべを知らない。

 

「「どっち」」

 

 両手に花、もとい、両脇に発酵食品(マイト)

 あまりうらやましくない争奪戦(ガンパレードマーチ)に巻き込まれ、清霜は思わず言った。

 

「き、清霜は日本の艦娘だから味噌がいい……」

 

 ――と。

 ちなみにマーマイトやベジマイトをお湯で溶くと味噌汁のようになるらしい。

 清霜の言葉をヒントに、ラーメン大好きパースちゃんが味噌(ベジマイト)ラーメンを開発したとかしないとか、それはまた別の話……。




えー、シリアスのはずがベジマイトとマーマイトに全部持っていかれました……わちゃわちゃしているだけということでひとつ。
たわいのないことを言い合える平和は大切です(別の戦争が勃発してますが)。
シリアスなほうともどもよろしくです。
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