第一話 わあ、パンツまるみえ
風が散りかけた
日が傾くと、空気はたちまち冷えていく。
だが鎮守府の工廠は、月日も時刻も関係なく暑く、そして騒がしい。
その喧噪さえも突き破るように、ひときわ元気な声が響く。
「戦艦
声の主はむろん戦艦ではなく、夕雲型駆逐艦十九番艦、清霜。
銀髪に紫の大きな瞳、戦艦に憧れる元気な駆逐艦だ。
かつての戦艦レ級との死闘によって左腕と右目を失い、頬にも深い傷跡が刻まれているが、明るさも強さも保ち続けている。
弾むような足取りで工廠に入ってくると、やや損傷の見える艤装を所定の場所に置いていく。
「無事……では、なさそうですね。でも、帰ってきてくれてよかった」
「こんなのへーき、へーき! ちょっと空襲があったくらいで、輸送船団に被害はなかったんだから。清霜におまかせっ」
「幾多の戦いを乗り越えたあなたを、信頼しています。けれど、絶対などないのが、戦場ですから」
清霜に声をかけたのは、もと戦艦にして工作艦の艦娘、
艤装は工作艦としてのクレーンや工具に換わっていても、落ち着いた眼差しと穏やかな声に、かつて戦艦として大海戦に勝利した気配が残っている。
「鋼材と弾薬、それに燃料の用意を。損傷より、清霜さんの無茶につきあわされた部品の疲労が心配ですね」
朝日が柔らかく笑い、工員たちに指示を出す。
たくましい男たちが駆け回るなかに、一人だけ、まだ清霜の外見と同じくらいに見える少年がいた。
「――大丈夫ですか?」
ためらいがちに、彼は清霜に純白のタオルを差し出す。
戦災で家族を失い、いつの間にか鎮守府に拾われるような形となった孤児の少年。
正規の軍属というわけではないので修理作業の本筋には関われないが、それでも暇さえあれば工廠にいて、下働きのようなことをしていた。
「もっちろん。ありがと」
小さな胸を自信満々に叩き、礼を言って、清霜は湯気を立てるタオルを受け取った。
敵味方の硝煙と、海風の塩気を、凛々しくもかわいらしい顔から拭い去っていく。
少年は憧れをはらんだ瞳で、彼女の横顔と白い指を見つめていた。
「そういえば朝日さん、砲塔の基部に――」
くるりと、清霜が後ろを向く。
艤装について思い出したことがあったようだが――その瞬間に、少年は裏返った悲鳴を上げた。
「ひゃっ!?」
「――ん? どしたの」
清霜が振り返る。少年の顔は真っ赤になっていた。
「き、清霜さん、その、そこ……」
必死に目をそらしながら、少年は指先だけで清霜の背中のあたりを差す。
猫のように柔らかい体をひねり、清霜が“そこ”を見ると、
「……わあ、パンツまるみえ。至近弾のせいね」
スカートが焦げてちぎれ、あまつさえタイツまで破れて、水玉模様の下着がのぞいていた。
作戦行動中は機関部の艤装をバックパックのように背負っているから、その陰になる
「あぶないあぶない。もうちょっとでお尻まで見えるところだったじゃない」
片手で、ぱたぱたと焦げたスカートやらパンツやらを叩く。
「そ、そんなことより! これを巻いてください」
少年はあわてて上着を脱ぎ、清霜に手渡そうとする。
長袖を帯のように使えば、確かに身頃を後ろに――お尻のところに垂らして下着を隠すことができるだろう。
だが服を渡しかけたところで、少年の顔が泣きそうに歪む。
「ご、ごめんなさい!」
隻腕の清霜が、袖を結ぶのは難しい。
無神経なことを言ってしまったと、恥じ入る少年だが、清霜は明るくやわらかに笑った。
それはどこか、かつての戦艦たる朝日に、そしてとある“戦艦”に似た表情。
彼女は優しい動きで上着を受け取り、襟のところを持って自分の背後に回す。
「ありがとう。よかったら、袖、結んでくれる?」
「は、はい!」
少年が膝をつき、清霜の細い腰に袖を巻いて結ぶ。
「ジャーヴィス・ベイさん――私の尊敬する“戦艦”の人がね。困ったときは、素直に助けを求めればいいんだって教えてくれたから」
「ジャーヴィス・ベイさん? ええと、ごめんなさい、聞いたことがなくて」
「ま、普通は仮装巡洋艦って呼ばれるんだけど。
――でも、戦艦が艦隊で最強の艦、攻撃を受け止めて僚艦を守る盾だとすれば、輸送船団の唯一の護衛艦としてポケット戦艦に立ち向かったジャーヴィス・ベイさんはあのとき確かに戦艦だっ……あ」
ぐうっと、清霜のおなかが鳴った。
決意を秘めて静かな、そこまでの言葉との落差に、少年も思わずくすりと笑う。
だから。
「――ごはん、食べに行きませんか?」
その言葉は、自然と少年の口から滑り出た。
「うん!」
清霜も、自然にうなずく。
――うなずいたあとで、ちらりと朝日のほうを見る。
朝日がそっとうべなうと、清霜はにっこりと笑い、少年と連れ立って工廠を出て行った。
弾むような足取りの残響だけが、晩秋に残った。
「青春だねえ……」
太い腕を組み、うなずきながら、工廠のリーダーがつぶやいた。その表情は、まるで父親のように優しい。
朝日もひとつ息をつき、静かに言う。
「以前の彼を見ていますから、歓迎したいところです、が――その表情が曇ることがないことを望みます」
「なあに、あのお嬢ちゃんは何があっても帰ってきそうじゃないですか。戦艦って名乗るのは稚気だと思ってましたがね、まんざら冗談でもないような気がしてきました、可愛い不沈艦ってやつですよ」
「Never say never――何事も、起こりえないとは言えません」
落ち着いた和の雰囲気を纏う艦娘だが、艦としての〈朝日〉はまだ日本の建艦技術が未発達な時代、英国で建造された。
それゆえに流暢な英語で、彼女は成句を口にする。
その声の底には、長い歴史の中で幾度もの別れを経た艦だけが知る、静かな痛みがあった。
「
「……」
彼女が唇に載せたのは、かつて日露戦争で触雷して失われた二隻の戦艦の名。
主力艦を一度に二隻も失った連合艦隊は窮地に陥り――だが、それでも最終的には勝利した。
男もそれを知っているから、目を伏せつつも、表情は絶望とは少し違う。
しかしもうひとつ、朝日はつぶやく。
「それに――」
「それに?」
「……いえ。影を落とす理由として、戦場で失われることだけが念頭にのぼる――それ自体が戦争の影だと言うほかありませんね、と。
失恋の理由は、普通の世界にはほかにもいろいろとあるでしょうに」
「あいつはまだ小さいですが、いい男ですよ。そっちの理由なら、簡単には外れないでしょう、何なら紐でくくってくっつけておきますか」
「
彼女のほうには、まだ恋愛という意識はなさそうです。先ほども下着が見えたのに平然としていましたし」
たもとで口元を押さえ、朝日がほのかに笑った。
男はひとつため息をつき、ぐるりと、太い腕を回す。
「ま、ふさげる穴だけでもふさぎますか。艤装の整備不良で帰ってきませんでした、そんなくそみたいな――失礼」
「いえ、よく分かりますよ」
「そんな忌々しいことだけは、俺たちの努力で防ぐことができる。それ以外のことは、あいつらを信じるしかなくても」
工員たちは、なおも忙しく駆け回っている。補修や補給が必要なのは、清霜の艤装だけではない。
「そうしましょう。各員一層奮励努力せよ、ということで」
軽く、発破をかけるように、朝日が男の背を叩く。
あくまで軽くだが――その
朝日は天井を見上げ、ひとつ、息をついた。
工廠を出ると、風はもう冷たい。
清霜は片袖を風に流すダッフルコートに、ニット帽、マフラーで暖かくしていて、銀髪はほとんど見えない。
中に着ている服も――スカートが破れていたので当然ながら――着替えているので、艦娘であることは外見からは伺えないだろう。
「だいぶ、寒くなってきたね。霜はまだかな? 清霜ざくざく」
声も、足取りも、弾むよう。
彼女の右側、腕のあるほうを歩きながら、少年は手をためらいもあらわにこわばらせていた。
手をつなごうとして、つなげない。
なめらかな頬が赤いのは、寒さのためではない。
「あ、あの、清霜さん」
「ん?」
体ごと清霜が振り向き、少年は思わず目を逸らしてしまう。ぎくしゃくと歩きつつ、なんとか押し出した言葉は、
「す……何が好き、ですか?」
いささか、意味を変える飾りがついてしまっていた。
清霜が首をかしげる。
「ごはん?」
「……はい」
「なんでも好き! いっぱい食べて、大きくならないとね、戦艦として」
目を輝かせ、ファイティングポーズをとる清霜。
右で軽くパンチを繰り出し、そしてそのたびに
隻眼にも、頬の傷にも視線を向けられず、ただ揺れる袖を
「怖く、ないですか? 戦うこと」
「怖いよ」
さらりと、清霜が認める。揺れる左袖を、右手で掴み、歩きながら空を見上げる。
「ぶんぶん飛んでくる飛行機も、見えないところから撃ってくる潜水艦も、戦艦も要塞も怖い。今度はどこを怪我するのか、永遠に沈むのか、背中が冷たくなることも、正直に言ったらある。
――でも、守れないことのほうが、もっと怖い。だから、わたしは戦うよ。これまでも、これからも」
胸を張る清霜を、少年は痛みをもって見つめた。
「朝日さんやジャーヴィス・ベイさん、武蔵さんなら、怖がったりもしないんだろうけどね。でも、まあ、清霜だってがんばるから」
「……」
少女の姿が、遠ざかるように感じられる。
隣で、支えます。そう口にすることのできない無力さが、きりきりと心を刺しとおす。
乾いた風が、落葉をさらっていった。
おしべとめしべが、からだった清霜の初恋!?
いや、まだ、「パンツまるみえ」であっけらかんとしていますが……。
短編ではなく、連載再開で参ります。全5~6話程度になるでしょうか?
不定期投稿となりますが、よろしければおつきあいのほどを。