一時間の、戦艦   作:白水つかさ

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第二話 考えてくれって言ってるだけだ

 戦時下でも、ファミレスの明かりはやさしい。

 来客こそ平時より少ないが、鎮守府からほど近いところでしっかりと足を踏ん張って営業を続けている。

 外の風も寒さも、レストランの中にまでは届かない。

 

「おいしかったー。まんぷくまんぷく」

 

 清霜(きよしも)は楽しげに言った。少年は、こくりとうなずく。

 彼女がミラノ風ドリアを頼むのを聞いてから、自分も注文を合わせてお揃いを演出、小エビのサラダを頼んでシェア。

 もちろん、ドリンクバーも忘れずに。

 

 胸の鼓動はまだ落ち着かないが、食事をするなかで、次第に体と心は温かく和らいできていた。

 

「じゃあ、俺、払ってきますから」

「え? 悪いよ」

「だ、大丈夫です!」

 

 思い切って立ち上がり、レジで会計を済ませる。

 緑のヘアバンドが鮮やかなレジの女性は、ウインクを飛ばして、おまけに飴玉をふたつ渡してくれた。

 小走りに、清霜のもとへ戻る。

 

「飴、もらいました」

 

 包みを剥いて差し出すと、ちょうどコートを着かけで手がふさがっていた清霜は、おやつを狙うポメラニアンのように口でぱくりと飴玉をくわえた。

 ほんの少しだけ触れた柔らかな感触に、少年は真っ赤になる。

 

「ありがと。――何が好きなの?」

「え、えっ!?」

 

 飴を舐めていても、明瞭な清霜の声。けれど声の意味を一瞬とらえかねて、少年はうろたえた。

 

「たべもの。払ってもらうだけじゃ申し訳ないから、今度は清霜がおごってあげようかなって」

 

 そう続けられて――すとんと、胸に落ちた。

 ぽっと灯がともる。

 

「それは――」

「工廠のみんなにはナイショだよ。いっぱい来られたら破産しちゃう」

 

「はい! 好きなの、は……なんでも好きです。食べ物は、ですけど、その……」

「なんでもかぁ。わたしそんなに詳しくないから、朝日さんに、いいお店を聞いてみようかな」

「い、いや、そんなことしなくても! それだったら、ここがいいです。また、ここで」

 

 少年は大急ぎで決断する。

 朝日が言いふらすこともないだろうが、それでも、ふたりだけの秘密にしておきたかった。

 

「いいの?」

「もちろんです。清霜さん……の、おごりだったら、どこだって」

「むぅ、現金なの」

 

 とふくれる清霜だが、もちろん不機嫌なわけではない。

 本当に言いたかったことは少しだけ違うものの、少年の顔はおのずとほころんだ。

 

「ごちそうさまでしたー!」

「ごちそうさまでした。――ありがとうございます」

 

 元気な清霜の声と、先ほどの女性にひとつ頭を下げる少年の声。

 微笑みに見送られて、ふたりは店を出た。

 

 

――――――――――――

 

 

 外に出ると、夜風が冷たかった。

 

「わあ、寒いね」

 

 むしろ嬉しそうに、清霜が言う。

 だが、コートにマフラー、ニット帽はあっても、手袋はない。

 また右側を歩いていた少年は、思わず手を伸ばしかける。

 

 だが。

 

「この深海棲艦の手先野郎が!」

 

 通りの先から響いてきた声に、びくりと固まった。

 もちろんふたりにかけられた声ではないが、清霜と、気づかわしげに顔を見合わせる。

 柔らかな唇を、まるで戦場にいるかのようにきっと引き結び、清霜は前を向いて駆け出した。

 少年もあわてて後を追う。

 

 そこには、地に倒れたひとりの青年と、彼を囲む数人のスーツ姿の男たちがいた。

 ファミレスのある一帯はちょっとした商店街で、まだ人通りが絶えるような時間ではない。

 だがまばらに行きかう人々は、関わり合いになりたくないというよりはむしろ、積極的な敵意の気配を示しつつ、足早に通り過ぎていく。

 

「ちょっと、何やってるのよ!」

 

 けれど、清霜だけは違う。

 迷いもなく両者の間に割って入り、青年を背中にかばって手を広げる。

 

「何、って……そいつは、くだらない歌を」

「うた?」

 

 清霜が眉をひそめる。

 

 男たちは確かにアルコールが入っているようで顔は赤いが、外見も言動も、弱者に絡むごろつきのようには思えない。

 片腕と片目を失い、それでもなお凛と美しい少女である清霜の姿にも、欲望ではなく痛ましさのみを感じているようだった。

 そして彼女の介入には、本心から戸惑っているように見える。

 

「深海棲艦の手先だっていうなら、殴るより先に警察に突き出さないといけないですよ」

 

 少年も勇気をふるって清霜の横に並び、場を収めようと必死でそう口にした。

 だが、その背中に、乾いた失笑がぶつかる。

 

「僕は深海棲艦の手先なんかじゃない。戦うななんて歌ってない」

「えっ――」

 

 少年は息を呑み、振り返った。

 身を起こしかけている青年の横顔に、覚えがあった。

 まだ父も母もいた時代に、三人で見た大晦日の歌番組。

 一年で一度だけ夜更かしをしてよかったその日に、テレビの中で輝いていた顔。

 

 無数のスターたちのなかでさえ、彼の記憶は明瞭だった。

 父と母が、好きだったから。そのふたりのいない世界で、そのふたりのいた記憶の中の声で、青年は言う。

 少年が、思ってもみなかったようなことを。

 

「僕は、ただ、考えてくれって言ってるだけだ。やみくもに戦うんじゃなくて、ほかに道はないのかと」

「考えてどうにかなるか!」

 

 スーツの男が、苛立たしげに声を張り上げる。まるで自分の代弁者のように、少年は感じてしまった。

 それでも、清霜は青年と男たちのあいだに立ち続ける。

 

「こんな小さな子だって、戦争のせいで――」

 

 静かな夜に降りる、霜のような瞳。

 ひとつきりのその目にまっすぐに見つめられ、男の声は中途で消えた。

 清霜が艦娘だと気づいた風はないが、他者の傷を己の怒りにくべる傲慢さに、遅ればせに気づいたように。

 

「確かに、わたしの怪我は戦争のせいだけど……この人をひっぱたいてもしょうがないでしょ」

「……そう、だが」

 

 怒りの火が消えたのは、傍目にも分かる。

 清霜の視線と姿、そして言葉には、他者に怒りを代弁されることを拒むだけの(つよ)さがあった。

 とはいえ、男も青年への敵意まで消したわけではないようで、むしろ訴えかけるように言葉を続ける。

 

「だが、こんな奴の言うことに耳を傾ける必要はない。さっさと家に帰りな、いや、帰ってくれ。俺たちも帰るから」

「……」

「――はい。そうします、もちろん」

 

 無言の清霜に代わって、横合いから少年が返事をする。

 それは本心だったから、安堵したように、あるいは、信じたいというように、男たちは息をつき、無言のままきびすを返した。

 ときおり振り返りつつも、足早に歩み去っていく。

 

 

「さあ、俺たちも行きましょう」

 

 商店のシャッターに背をもたせかけている姿には目を向けずに、少年は清霜に呼びかけた。

 けれど視線の先の清霜は、青年のかたわらにかがみこむ。

 

「――だいじょうぶ?」

 

 そっとハンカチを差し出す、細い指。

 傷跡の刻まれた柔らかな頬と、まっすぐなまなざしが鮮烈な、ほの白い横顔。

 飛び去る鳥の残影のように、すべてが少年の目に焼き付いた。

 

 ためらいがちに、青年がハンカチを受け取り、指先が触れる。

 

「助かったよ。……ありがとう」

 

 穏やかな、しかし、どこか遠い青年の声。

 清霜もそれを感じ取ったようで、きゅっと眉をひそめる。

 

「悲しいの?」

「……考えてもらうには、殴られるのがいちばん手っ取り早かったりもするからね。

 ソクラテスのアブが、叩き潰されてもおかしくないように、僕も助からないほうがよかったのかもしれない」

「そんなことって――!」

 

 悲鳴のように、清霜が言った。

 少年の胸が、ひどく痛んだ。

 青年は打たれた頬をゆっくりとハンカチで拭い、申し訳なさそうに清霜へと差し出す。

 

「お礼は言うよ。けれど、もう、帰ったほうがいい」

「……やだよ」

 

 子供じみた言いかたを、声の色が裏切っている。

 こんなにかすれて揺らぐ清霜の声を、少年ははじめて聞いた。

 しゃがんだまま、少し汚れた布地を指に受け、そしてにじるように距離を詰める。

 

「歌を聞かせて。あなたの歌を」

 

 青年は答えず、だがゆっくりと、ギターを手にした。

 風にかき消されそうな小さな歌声が、不思議とはっきりした輪郭で響く。

 

 

雪がどれだけ白くても 流れ出る赤を隠せはしない

海がどれだけ広くても 流れ出る赤を薄めはしない

立ち止まろう 道を探そう

ただひとつの航路しか ありえないと教えられても――

 

 

 息をすることも忘れたように、清霜は歌に聞き入っている。

 

 

風がどれだけ吹いても 水底の声は届きはしない

祈りがどれだけ強くても 空から声は聞こえはしない

傷だらけの僕らは 舵を取ろう

誰かのためじゃなく ただ僕らが生きるために――

 

 

 少年の血が、かっと熱くなった。清霜の生きかた、父母との思い出さえも、歌によって否定されているように感じて。

 

「――行きましょう!」

 

 あれほど取るのを躊躇(ためら)っていた手を、いまは強く握って引く。

 少女の体は驚くほど軽く、簡単に引き上げられた。

 

 そのまま、少年は大股で歩き出す。

 歌い手は追いはせず、歌声は遠く沈む船のように背後へ小さくなっていき、しかしいつまでも消えない。

 

「ねえ、待って――」

 

 よろめきながら、傷ついた声で、清霜が言った。

 それでも振り向かず、いや、振り向けず、彼は切りつけるように言葉を吐き出す。

 

「……あの人、知ってます」

「え?」

「戦争前、有名だった歌手です。男女ふたりだけのグループ。ふたりは恋人どうしだったって」

「それって――」

 

 清霜の手に力が入る。

 その理由を痛いほどに噛み締めながら、彼女の力よりももっと強く手を握り、少年は続けた。

 

「けど、女の人が深海棲艦の空襲で亡くなって、それからは男の人のほうもライブにもテレビ番組とかにも出てこなくなった。

 ファンだったから、俺も父さんも母さんも心配しましたけど、恋人を亡くしたんだから悲しんで引きこもるのは当然だと思ってました。それなのに」

「……」

「それなのに、こんなところで歌ってるなんて……恋人を殺された人が、考えろなんておかしいですよ!」

 

 清霜が、立ち止まる。少年は足を止めるしかなかった。

 振り返ると、白い息が夜に溶け、清霜の目に涙がにじんでいた。

 

「……考えるって、おかしいのかな」

「そんな――」

 

「レ級に立ち向かうとき、一瞬だけどいっぱい考えた。逃げたいとか、沈んだらどうなるとか、だけど戦わなくちゃとか。

 ――あの人が歌ってるのは、そういうことじゃないのかもしれないけど、だけど」

 

 泣きそうな言葉に、少年は答えられなかった。

 

「ひっぱらないで。自分で、帰れるから」

 

 ぽつりと、清霜が言った。

 するりと、体温が手の内から抜けていく。

 夜の風が、冷たく二人の頬を打った。

 

 沈む船で最後まで奏でられる演奏のように、遠くでまだ、歌の続きが聞こえた。

 

 

傷だらけの僕らは 舵を取ろう

誰かのためじゃなく ただ僕らが生きるために――




え、第一話(と今回冒頭)の甘酸っぱい雰囲気はどこへ……例によってつかさが一番とまどっていますが、はい、最後までおつきあいいただければ幸いです。
三人はどこへ行くのか?
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