男らしさのない一般社会人男性がTS転移したら、学生時代に親友だった不良と再会した話 作:Sfon
湯船でセレナから投げかけられたのは、『どう見せたいか』という問い。見られる自分ではなく、見せたい自分を選ぶ──その一歩が、怜の心に小さな輪郭を描き始めていた。
怜とセレナが公衆浴場に向かうのと同じ頃、獅音とガイトもまた、公衆浴場で汗を流していた。
湯気の立ちこめる浴場で、獅音は頭からシャワーを浴びる。汗と潮と砂が一気に洗い流されていく感覚。喉の奥から、うめくような声が漏れた。
「体力勝負すぎんだろ、くそ……」
「お前が舐めてかかってたんだろ。リンキシアが全員特別扱いされると思ったか?」
「んなこと、思ってねぇけどよ……」
隣の洗い場では、ガイトが涼しげに言った。
この世界で、自分を独り立ちするところまで助けてくれると、彼は言った。その言葉の通り、リンキシアとして仕事を受け、こなし切るまで隣で支えてくれた。それは感謝しているが、彼をみていると、自分がずいぶんひ弱に見えた。
自分よりも筋肉質で、がっしりとした体型。洗い場を見渡せば、他の人も似たようなものだった。この世界の男は誰も彼も、ずいぶん鍛えている。もしくは、鍛えないと生き抜けないのか。
特別扱いと聞いて、獅音の頭によぎったのは、住民証を受け取った時のこと。怜は金色、そして自分は鈍い鉄の色だった。仕事を受ける時に盗み見た、ガイトの住民証も同じく銀色だった。
「やっぱ、あいつは特別なのか」
「あいつって?」
わざわざ顔を上げなくてもわかる。ガイトの口元はからかうような笑みが浮かんでいるに違いない。
(こいつ、ワザと聞いてんだろ……)
そうだと分かっていても、獅音は言い返せなかった。
「……怜、だよ。あいつの住民証、金色だったんだ」
言葉に出してから、腹の底で黒い影が渦巻いた。高校でも、大学でも、自信のなさそうな顔で自分の後ろをついてくるだけだった。そんな彼だったのに、さっきラウンジで会った時はどうだったか。
(女の服を着て、妙にスッキリした顔で、笑ってた)
ラベンダー色のパーカー、デニムのショートパンツ、そこから伸びる白い太もも。あれはどう見ても、女の肉付きだった。中身は男の頃の怜と変わらない、そう知っているのに、気を抜けば下半身に熱が集まりそうだった。
(俺、実はそっちの気があったのか?……いやいや、冗談じゃない。アイツは男だろ。そういう目でアイツを見るとか……おかしいに決まってる)
獅音はシャワーの温度を上げた。熱いお湯が、自分の浮ついた考えを洗い流してくれると信じた。
(これは、勘違いしてるだけだ。見た目に騙されてるだけだ。アイツは男、俺も男なんだから)
熱い湯に囲まれながら、深く息を吐いた。
「金色だったのか。普通は明るい銀色だからな。その意味では、確かに彼女は特別なんだろう」
他人事のように言うガイトのセリフが、妙に引っかかる。しかし、それは一度傍に置いて、元から聞きたかったことを優先した。
「なあ。怜と一緒にいた――」
「セレナか」
「そう。セレナが言ってたよな。『俺は怜に呼ばれた』って」
隣で、ガイトがスッと息を呑むのが分かった。
「早かったな、気づいたか」
「アレだけあからさまに言われて、気づかないほど馬鹿じゃねぇよ。それで、アレってつまり……」
そこまで口に出して、獅音は続けるかどうかためらった。これを聞いてしまえば、何かが決定的に変わってしまう気がした。しかし、知りたいという欲求には勝てなかった。
「アイツのせいで、俺はここに来たのか?」
「アイツがレイ=アサギリのことを指してるなら、そうだろうな。リンキシアは通常一人ずつ。二人以上来たのなら、それは誰かが願ったに違いない」
「そうかよ……。ふざけんな……くそ……」
獅音はシャワーのお湯が頬を流れるのを感じながら、拳を握りしめた。
「リンキシアは、誰かの願いによって呼ばれる。それに例外は存在しない。ただ、呼んだのがこの世界の誰かなのか、呼ばれている途中のリンキシアなのか、それだけだ。……不満か?」
「不満に決まってるだろ。普通に生きてたのに、こんな世界に連れ込まれて。それに――」
そこでまた、獅音は言葉に詰まった。
「俺は、普通のリンキシアとも、違うんだろ」
「なぜ、そう思う」
「お前が言ったんじゃねぇか。他のリンキシアの住民証は、明るい銀色だって。俺のは何色だった?」
「鈍い銀色だ」
「ガイトのは?」
「鈍い銀色だな」
「……そうかよ」
それ以上は、わざわざ聞くまでもなかった。色が何を示しているかくらい、簡単に想像がついた。怜が良い方の『特別』なら、自分は悪い方の『特別』なんだと決めつけた。それ以外に、色分けをする意味なんて思いつかなかった。
「なあ、シオン。俺はな、呼ばれてよかったと思ってる。呼ばれるやつは誰もが、どこか欠けている奴ばかりだ。最初のうちは憤ることもあったが……呼ばれたということは、共にこの世界へやってきた人から、求められたということ。女から求められたら応える。それが、男の意地だろ」
「アイツは、違う」
「何が違う?レイ=アサギリは、年端も行かない少女だろう。自分の役目くらい、わかるだろ」
獅音は、何も返せない。怜が元々男だなんて、明かしたところでしょうがない。むしろ良くない。元々は自分と対等だった。いや、自分の方が怜よりも上の立場だったはずなのに、今は違う。
「アイツ、笑ってた。俺が汗水垂らして働いてたのに、女と二人で街遊びして、楽しそうに」
「良いことだろ。泣いているよりずっとマシだ」
ガイトの声は、何がずっと昔のことを思い出しながら語るような、そんな口調だった。その先には、セレナがいる気がした。
この世界に来て新米リンキシアになった怜と獅音に対し、ガイトと共に導き役となった女性。宿のラウンジでも、ガイトとセレナは旧知の中のように会話していた。大きな男と小さな少女。その組み合わせが、自分と今の怜に重なった。
「お前にとって、セレナって、どんな奴なんだ?」
気がつけば、獅音はそう聞いていた。今日知り合ったばかりの仲で聞くことではない、それくらい獅音にも分かる。それでも、口をついていた。
怒らせたかと内心ハラハラしながら、横目でガイトの様子を伺う。彼は笑っていた。どこか遠いところを見ているようだった。
「……不思議な子だよ。なぜか隣にいて、気づけば、頼ってた。なあ……おかしいだろ? 出会ったときの記憶は、どうしても思い出せないんだ」
ガイトは呟きながら、桶に溜まったお湯が揺れるのを眺めていた。
「でも、きっと大切な人だったんだろう、それだけは確かだと思う」
自分のことのはずなのに、どこか他人事な言い回し。まるで、誰かの記憶を語っているような口ぶり。面白くない考えが、獅音の脳裏をよぎった。
「アイツには、恩があるんだ。具体的に何がとはわからないが。……前世助けられたのかもな」
ガハハと豪快に笑うガイトの表情には、微かな影があった。
(怜は俺にとって、なんなんだろうな)
獅音が自分の胸に聞いても、答えは返ってこなかった。
──◇──◇──◇──
獅音は立ち上がった。手早く髪と体を拭き、軽く水気を払って浴場を出る。このまま長風呂をしてもしょうがないと、頭を切り替えた。
宿に向かう途中に買った、この世界の服、無難なTシャツとスラックスに着替える。元々着ていたパーカーとジーンズは、大切に袋へしまった。それは、元の世界との決別を表しているようにも見えた。
──◇──◇──◇──
髪を乾かし、ラウンジのソファにどっかりと腰を下ろす。ローテーブルを挟んだ向かいにはガイト。どこからか水の入ったグラスを二つ持ってきて、一つを獅音の前に置いた。
「……あざす」
「おう」
そこには、言葉を交わさない気遣いがあった。
「なぁ、ガイトは……いや、やっぱいい」
「そうか」
その短い言葉で、会話は済んだ。
静かなラウンジで、じっと女二人が帰ってくるのを待つ。女の長風呂を待つのも男の役目と言わんばかりに、目の前のガイトはドッシリと構えていた。一方、獅音の胸中は落ち着かない。膝の上で両手の指を絡めた。
(女になったアイツ――可愛かったな)
元からあの容姿だったら、告白していただろうか。それとも、関わるのが面倒だと突き放していただろうか。そもそも、怜が自分に声をかけただろうか。
男同士として出会い、それから女になった怜。それは彼にしか、彼女にしかない要素。他の女とは一線を画している。あの頃みたいに頭を雑に撫でてみたり、肩を組んだりしても、嫌がられないだろうか。
小さくなった肩、自分の胸ほどまでしかない身長、小さいながらも確かに膨らんだ胸、丸みを帯びた腰と尻。それに触れてみたいと思うのは、ただの興味なのか……それとも、それ以上の感情なのか。
(……そんなわけ、ねぇよ。アイツは、怜だろ。男だっただろ)
獅音は考えを切り捨てるように、頭を振った。
──◇──◇──◇──
それからしばらくして、宿の玄関が開いた。視線を向けた時、思わず目を疑った。そこに立っていた怜が、あまりにも――。
「ごめん、遅くなって。待たせちゃったよね」
それは、花が咲いたような光景だった。長く艶やかな淡いアジサイ色の髪をなびかせ、シンプルなワンピースがふわりと揺れる。
柔らかな布が怜の細い肩を包み、首筋から鎖骨にかけては眩しい肌が露出している。そこから胸元、お腹、腰の、緩やかな曲線を描いたライン。
どこからか漂う甘い香り。それは怜の思考を奪い、視界に広がる彼女のことだけが頭を埋め尽くす。
「獅音くん……?」
声をかけられて、ようやく我にかえった。その声すら可憐で、思わず胸が高鳴る。この世界で彼女が起きた時から、何度も聞いた声だったのに。たった半日離れただけで、こうも変わるだろうか。
(それとも、セレナと過ごして、変わっちまったのか?)
何をしたのかは知らないが、集会所で別れたあの時とは、どう考えても別人だった。まるで、女として生まれ直したみたいだった。別の人生を歩んでいた女の子が、怜としてここに現れたようだった。
「――お前、待たせすぎだろ」
「しょうがないでしょ。色々、あったんだから」
「知らん」
「そんなぁ……。ね、この服……どうかな?」
ワンピースの裾を持ち、ひらひらと揺らして見せる怜。そんなの、聞かれなくてもわかるだろ。獅音はそう言い返したかった。
だって、自分でもわかる。今の自分は、耳まで赤くなっているし、表情はぎこちないし、視線だって泳いでいるし、声は上擦っているのだから。
「へへっ、良かった」
良かったじゃ、ねぇよ。獅音はその言葉を飲み込んだ。その笑顔の向こうには、確かに男の頃の怜がいた。女になっても、確かにあの頃の怜と繋がっているのだとわかった。思わず、視線を背けた。
(こんな顔、アイツが見せるなんて。……そんなの、反則だろ)
腹の奥で、掴みきれない感情が、静かに渦を巻いていた。もう一度視線を上げれば、長いまつ毛の奥、嬉しそうに目を細め、微笑んでいる怜がいた。
──◇──◇──◇──
セレナは怜と獅音のやり取りが落ち着いたのを見て、ガイトに声を掛けた。
「店、取っといてくれた?」
「おう。いつものところだがな」
ガイトは全員揃ったのを見ると、ソファーから立ち上がった。
「新人リンキシアの歓迎会、楽しみにしろよ。旨いぞ」
ガイトは歯を剥き出しにして笑った。その笑顔の裏に何かが潜んでいたとしても、今の獅音には、それを見抜く術がなかった。