男らしさのない一般社会人男性がTS転移したら、学生時代に親友だった不良と再会した話   作:Sfon

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異世界に少女の姿で転生した怜(レイ)は、新しい身体、新しい名前、そして新しい居場所を手に入れた。しかし、歓迎会が終わり、誰もいない部屋に一人きりで戻った夜、彼女を待っていたのは、自分自身の身体と心に向き合う静かな試練だった。

変化した外見に戸惑いながらも、怜は少しずつ「今の自分」を受け入れようとする。けれど、そこには過去の記憶と孤独、そして誰にも言えない不安が、深く静かに沈んでいた。

思わず祈るように求めたのは、誰かのぬくもり。過去の支えだった獅音にはもう頼れず、怜はもう一人の導き手・セレナの部屋を訪れる。


灯りを消さずに待っている

 カフェでの歓迎会が終わり、ラウンジでガイトとゆっくり言葉を交わした後――怜が新しい巫女であること、既に祈りの力を発露させていること、これからどうするかを話し合った後のことだ。

 

 静まり返った部屋の中、セレナはドレッサーの椅子に座り、ゆったりと時を過ごしていた。膝には毛布。机の上には、湯気を立てる紅茶とお気に入りの小説。外は夜風が吹き、時折窓がコトコトとなった。その音を頼りに、セレナは時間が流れるのを感じていた。

 

 いつもなら時間を忘れて読みふける本も、今日はページをめくる手が止まってばかり。読みたい気持ちはやまやまだったが、今晩だけは特別だった。あの子が森の家に沈んでから初めてのリンキシア、怜が来た最初の夜なのだから。

 

(レイ、大丈夫かな)

 

 夜という時間は特別だ。静かな部屋の中に一人でいると、自然と意識が自分の内側に向かう。些細な出来事が心を揺れ動かすきっかけになる今の怜にとっては、あまりにも大きな試練となるはずだ。

 

 セレナは本を読むのを止め、ささやかな灯りだけを残して照明を落とし、薄く開いたカーテンの隙間から夜空を見上げた。淡い月が雲間に揺れている。隣の部屋、怜の部屋からは、物音一つ聞こえなかった。

 

(もう、寝たのかな。……いや、そうじゃない)

 

 部屋の壁は決して厚くない。ラウンジの喧騒が遠くに引いていくと、代わりに隣室の些細な気配が浮かび上がってくる。

 

 息が荒くなる気配。小さく、押し殺した音。言葉にできない振動のようなものが、壁越しに伝わってきた。これは──女の子になったばかりの子が、自分の身体と向き合ったときの震えだろう。

 

 気のせいかもしれない。でも、それが二度、三度と重なると、ただの寝息ではないと分かる。あえて確かめはしなかった。けれどその夜、セレナは本を閉じ、紅茶を飲み干して、ただ静かに起きていることにした。

 

(性別が変わらなかった私でさえ、あんなに寂しかったのに。レイは一体、どれだけ……)

 

 怜は、とても繊細な子だ。元の姿がどうとかは、一切関係がない。むしろ、もともとの姿に覆い隠されていた本質が、その姿に表れたのだろう。

 

(元々、人を頼れなかったのかな。男の子としてのプライドが邪魔をして、意地を張って、頑張って、頑張って……)

 

 人に弱みを見せてはいけない、そんな強迫観念に苛まれていたのではないか。それが何かでぽっきりと折れたことで、この世界に『呼ばれた』のだと考えれば、セレナの中でつじつまが合った。

 

(この世界に呼ばれるのは、何かしらを失った人ばかり。ここで、新しい人生を送って、幸せになってくれたら……)

 

 いや、自分が幸せに導くのだと、セレナは思い直した。そのために自分はここに居るのだから。新人リンキシアを導く役に手をあげたのは、伊達や酔狂でしたんじゃない。怜を、ただの巫女にはさせない。もう二度と、同じことは繰り返さない。

 

 やがて、静寂を破るように、水の流れる音がした。こんな時間にキッチンを使うなんて、喉が渇いたのだろうか。それにしては、随分長い間水を流している。それも、断続的に、何度も。

 

(終わったのかな。……無事だと良いけど)

 

 怜がセレナの部屋を訪れたのは、それから二時間ほど後だった。

 

 ──◇──◇──◇──

 

 隣の部屋から、また気配がした。ベッドのきしむ音、それに続く足音。ドアの開く音。

 

(来ちゃった、か)

 

 そのまま夜が過ぎてくれるなら、それが一番だった。しかし、そうはならなかった。ドアがノックされた。

 

「はーい、ちょっと待ってね」

 

 ドアチェーン越しに覗くと、そこには怜が立っていた。その様子は、昼間見たどんな怜よりも、弱く、寂しげで、儚げなものだった。

 

(あぁ……やっぱり、怜も)

 

 目の前に立つその姿に、あまりにも自分の過去が重なってしまって、セレナは一瞬、目を伏せた。体の動きが妙にぎこちなく、手先は少し湿っている。頬がまだ紅潮しており、脈が速い。そして何より――視線が定まらない。

 

(眠れないのは、きっと夢のせいだけじゃない)

 

 何をしていたか、想像は容易についた。しかし、それを口にすることはない。

 

「こんばんは。その……」

 

 目元が赤く、少し涙の痕が見える怜。セレナはそっとチェーンを外し、扉を開けた。

 

「とりあえず、中に入る?」

「……お邪魔します」

 

 怜はベッドの縁にちょこんと座り、膝の上で手を握った。セレナはその手をそっと包み込んだ。すこしでも、寂しさを埋めてあげたかった。

 

(きっと、心がどうしようもなくなって、自分に触れてしまったんだ。誰にも頼れなくて、自分だけで乗り越えようとして)

 

 セレナは、それを咎めるつもりなどない。誰だって、人恋しくて、寄りかかりたくなる時がある。むしろ――そんな相手として、自分を選んでくれたことが、少しだけ嬉しかった。

 

「……夢を、見たんです」

 

 怜が語り出す。獅音の変化。失われていく日々。誰にも気づかれずに霞んでいくような孤独。その一言一言が、セレナの胸を締めつける。

 

(エルリス。あなたも、寂しかったよね。誰かに、頼りたかったよね)

 

 自分が巫女候補から身を引いた後、すぐに巫女になった子。祈りを強制され、世界に触れすぎて精神の均衡を崩し、そこから逃げ出すために残ったものを使い切り、この世を去った人。一度も会ったことはないけれど、セレナはエルリスのことを、夢の世界で良く知っていた。誰よりも優しく、そして、誰よりも寂しそうだった。

 

 巫女は世界に語り掛ける存在。その波長が合う、巫女の素質がある者同士は、祈りを通じ、精神の世界ですれ違うことがある。

 

 森の家の中で生涯の多くを過ごす、巫女が他人と触れ合える唯一の場所。それが夢の中。しかしそれは一方通行で、巫女はただ祈るだけ。セレナはその祈りを感じることしかできなかった。

 

 祈りに込められていたのは、世界を守ることの執念と、それに覆い隠された寂寥。

 

 何かが違ったら救えたのだろうか。違う未来があったのだろうか。そんなことを、昔はよく考えた。今も、時折脳裏によぎる。

 

(絶対に、あんな後悔は繰り返さない)

 

 そう誓いながら、セレナは怜の手を握った。

 

 ──◇──◇──◇──

 

 一方、自分の部屋で怜といくばくかの会話をして、彼女を見送った獅音は、自室のベッドへ無造作に倒れ込んでいた。天井を仰いだまま、黙って息を吐く。

 

「……あいつ、なんか変だったよな」

 

 夕方、公衆浴場で再会したときの怜。彼女はワンピースを着て、笑っていた。昔の怜なら、もっと恥ずかしがったり、人の後ろに隠れたりしていたはず。

 

 なのにあの時は、まるでそれが自分のあるべき姿だと思っているみたいに、堂々と胸を張っていた。まるで、今の姿を獅音に見せつけているようだった。あれは、昔の『怜』じゃない。

 

(あれが、今の怜なのかよ。あんなに――)

 

 可愛いなんて。そう心の中で言いかけて、やめた。認めるのが嫌だった。

 

(俺をこの世界に連れてきたんだ。それなりに苦労してしかるべきだよな。それなのに――前に進むのが、早すぎるだろ)

 

 自分を置いて、怜だけがこの世界に適応していく。そのうち、怜が自分の元から離れてしまうんじゃないか。焦りにも似た不安が、獅音の胸の中に湧き上がる。

 

(セレナ――怜が、今日ずっと頼ってた、ぽっと出の女。なんで、お前ばっか、怜と話してんだよ)

 

 いつだって、怜は獅音の後ろを歩いていた。なのに、今日は違う。ずっと自分の前を歩いていた。あの、セレナとかいう女がずっと隣にいたからだ。

 

 怜への不満は、いつしかセレナへの八つ当たりになっていた。セレナが居なければ、怜を導くのは自分だった。困っている怜を助けてあげられるのは、前の世界からずっと知り合いだった、自分だけだったはず。

 

 それなのに、セレナが出てきたせいで、怜とのかかわりがグンと減ってしまった。

 

(とは言っても、どうすりゃいいんだ)

 

 仕事内容は、怜と自分で全く異なるだろう。今の獅音に求められているのは力仕事。対して怜に求められるのは、その笑顔を活かした接客業だろう。まるで接点がない。

 

(怜。お前は一体、誰と一緒に――)

 

 獅音はベッドの上で考えを巡らせた。まともに考えがまとまらないまま、意識がぼやけていった。

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