男らしさのない一般社会人男性がTS転移したら、学生時代に親友だった不良と再会した話   作:Sfon

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守られた日

 『スプラウト』のランチはおいしいと、近くの住民からは定評があるらしい。それは嬉しいことだが、店員のティーナと怜は目の回るような忙しさで、お客さんの対応をしていた。

 

「レイちゃん、これお願い!」

「はいっ! カーラさん、これ新しいご注文です!」

「よしきた!」

 

 午前中で接客になれた怜は、店主のカーラやバイトのティーナと、矢継ぎ早の注文をさばき続ける。あまりにも注文が多く、ティーナもキッチンを担当しているため、フロア担当は怜だけ。

 

 しかし、厳しい環境でも習ったことを言われた通りにこなすのは、怜にとって慣れたものだった。忙しい時こそ焦らず、しかし無駄な時間は無くして、ひたすら反復作業。その中でもお客さんへの愛想は無くさないのは、ひとえに怜の根性だった。

 

 お昼のピークは一時間ほど続いた。乗り切ったころには、キッチンのシンクは汚れた食器が山のように積まれ、沢山用意していたランチ用の軽食は空っぽ。ピークが落ち着いたのは、玄関に『今日のランチは終了』の看板が出てからだった。

 

 お客さんがすっかり減った店内。キッチンのすぐ外に置いてある椅子に座った怜とティーナに、カーラが冷たい飲み物を差し入れて労った。

 

「お疲れ様、ティーナ、アサギリさん」

「おつかれさまです~。レイちゃんもおつかれ。ゴメンね、初日なのに一人でまかせちゃって」

「いえ、なんとか……大丈夫です。これは確かに、カーラさんとティーナさんだけだときついですね」

 

 怜が飲み物を両手で持ち、少しずつ飲むと、ティーナが『本当にそうなの!』と顔を寄せてきた。

 

「今までカーラさんたら、頑なにバイトを入れなかったから、ずっと私がフロアもやってキッチンも手伝ってって、大変だったんだから」

「あはは……それについては、ほんと、ゴメン」

「ま、いいですよ。このタイミングで募集してくれたおかげで、レイちゃんって天使みたいな子に出合えたから!」

「て、天使って、そんな……」

 

 ティーナの発言に、怜は思わず顔を赤く染め、熱い頬を何とか冷まそうと手で仰いだ。その仕草がまた愛らしくて、ティーナは怜を増々可愛がる。

 

「天使だよ~。こんなにスレてなくて、しかも可愛いんだから。お仕事もバッチリだし。ね、カーラさん。レイちゃんを逃がさないでね。お給料を渋ったりしないでよ?」

「しないから安心して。アサギリさん、ティーナはちょっと冗談っぽく言ってるけど、本当にすごいと思ってるよ。お金のことは任せて、これからもうちで働いてもらえると嬉しい」

「えっと、ありがとうございます。あと、カーラさんも『怜』でいいですよ?」

「そう? じゃあレイちゃん、これからもよろしくね」

「はい、よろしくお願いします」

 

 お昼のピークを乗り越えた三人の間には、戦友のような絆が生まれていた。

 

 ──◇──◇──◇──

 

 午後三時を過ぎた頃の『スプラウト』には、ゆったりとした時間が流れていた。数人の常連のお客さんが、各々お気に入りの席でコーヒーを楽しんでいる。

 

 ランチのせいで山盛りに積もっていた使用済みの食器も、ようやく片付いた頃だった。怜が制服のエプロン姿でテーブルを拭いていると、カランコロンとベルが鳴る。

 

 入ってきたのは、中年の男性だった。着古した服に、労働者のような荒れた手。顔には作り笑いのようなものが張り付いていた。

 

(なんか、今までのお客さんと雰囲気が違うな)

 

 頭の片隅に、『もしかしたら良くないお客さんかも』という考えがよぎる。しかし、最初からそう決めつけて接客することなんてできない。他のお客さんと同じく、丁寧に席まで案内した。

 

 「いらっしゃいませ、こちらのお席へどうぞ」

 

 男は無言で席に着くと、怜をじろりと見上げた。この体のどこを見てるのか、わかってしまう。その視線が、まるで肌の上を這うようで、怜の首筋にゾクリとした寒気が走る。

 

 ひぃっ、と、息を飲んだ。

 

 怜のエプロン越しに、胸や腰、足のラインを舐めるように見つめる男。視線を隠そうともせず、遠慮なしに、何度も往復させた。部屋の空気が、ねっとりとネバついたものに変わった。

 

(この人、僕を、モノを見るような目で見てる)

 

 メニューを丁寧に置こうとしたのに、身体は思い通りに動かず、半ば放り投げるようになる。それに自分で驚きつつ、怜は男から一歩離れた。少しでも離れたいのに、足がすくんで、それ以上動けない。怜の顔をまじまじと見つめる男の視線が、怜の足をその場に縫い付けているようだった。

 

「……あの、ご注文は、お決まりでしょうか?」

 

 声がわずかに震えた。それを悟られないよう、背筋を伸ばして立ち続けた。胸の膨らみを見られるのは嫌だったが、背筋を丸めて弱気なところを見せるほうが嫌だった。男はメニューを見ようともせず、なおも怜の身体を眺め続ける。

 

「その前にさ……名前、教えてよ。」

 

 男はにやりと笑い、机の上に肘をつく。その手が、まるでこちらへ伸びてきそうな距離にあって、怜は無意識に一歩後ずさった。じんわりと、目尻に涙が滲んだ。まともに息ができない。

 

「……申し訳ありませんが、ご注文を……」

「緊張すんなって。そんなに睨まなくてもいいだろ。笑ってくれたら、チップ、弾んじゃおうかな~?」

 

 机の上を指で叩きながら、変わらず怜の顔や体をジロジロとみる男。それはいよいよ、怜の服すら突き抜けて、その下を見通しているようにも思えた。怜は指先が震え、視線が定まらない。酸欠になったみたいに、視界が狭まっていく。

 

 そのときだった。静かに、しかし確かな足音が背後から近づく。

 

「当店では、スタッフへの過度な接触やお声がけは、お断りしております」

 

 低く、落ち着いた声。それはカーラだった。

 

 怜が振り返ると、いつものように端正な表情で、カーラが男の前に立っていた。怜を守るように客との間へ割り込み、背筋を伸ばして立ちはだかる。その姿は、まるで盾のようだった。

 

「……は? 誰だオメェ」

 

 男が眉をしかめた。

 

「私がこの店の責任者です。スタッフに対する不適切な言動は、次回からの入店をご遠慮いただく理由になります。――要は出禁です」

 

 声は決して大きくなかった。だが、そこには揺るぎない意志があった。男は一瞬口を開きかけたが、何かを察したように舌打ちをして立ち上がった。男以外の客も、その男が店の中に居ることを強く拒否していたのが、その目付きから見て取れたのだ。あまりにも分が悪い。

 

「なんだよ、つまんねぇ店だな……」

 

 荒々しく立ち上がった男は、最後に怜をひと睨みすると、そのまま店を出ていった。怜はその場に立ち尽くしたまま、呼吸の仕方すら思い出せないでいた。

 

「怜、こっち。大丈夫だから」

 

 背中に触れる、やわらかな手。ティーナが、さりげなく背後から支えていた。その感触でようやく、悪夢のような時間が終わったことを理解した。思わず、足の力が抜けた。

 

 怜はその場にへたり込み、肩で息をしながら、小さく頷く。それから、かすれた声で「ありがとう」と呟いた。ティーナは何も言わず、ただそっと頭を撫でてくれた。

 

 ──◇──◇──◇──

 

「……落ち着いた?」

 

 怜はティーナと共に、バックヤードの椅子に座っていた。肩を抱かれ、その暖かさに勇気づけてもらい、何とか立ち直ってきたところだった。まだ指先は冷たいが、息は整ったし、視界も戻ってきた。

 

「はい。……すみません。お仕事、止めちゃって」

「いいよ、これくらいカーラさんも許してくれる。常連さんもみんな、レイちゃんを頼んだぞって感じだったし」

 

 ティーナは優しい手つきで頭を撫でてくれた。セレナに続き、怜に味方してくれる二人目の女性。最初は距離を感じていた女の人に、今は同性としての安心感すら抱き始めている。それだけ、男からの視線は記憶に強く刻まれていた。

 

「皆さん、お優しいんですね」

「そうだよ。だから、このお店は居心地がとっても良いの。あんなカスみたいな奴が来るのは本当に久しぶりだから……そんなに怯えないで」

「大丈夫です。……こういうの、慣れてますから」

「嘘はダメだよ。手、まだ震えてる」

 

 ティーナの温かい手が、怜の冷たい手を包んだ。それが怜の気持ちをせき止めていたものを取り払った。怜の肩が震え、鼻をすする音が聞こえても、ティーナは静かに怜を温め続けた。

 

「あの、その……」

「ん? なぁに?」

 

 怜は、おずおずとティーナにお願いしようとした。声に出すのも恥ずかしいが、今の見た目なら――女の子になったのなら、素直に言葉にしても、許されると思った。それは、ずっと昔から我慢していたこと。

 

「その、抱きしめてもらって、良いですか」

「うん。よしよし、レイちゃんはえらかったね。……もう大丈夫だよ」

 

 ティーナの腕が、そっと怜の背中に回される。そのままティーナの胸の中に引き寄せられ、身体をティーナの温もりが包み込む。胸元に感じる、彼女の母性。耳元で、『大丈夫、大丈夫』と声を掛けてくれた。怜は思わず、ティーナのことを思いっきり抱きしめた。せき止めていた思いが、全て溢れ出した。

 

 ──◇──◇──◇──

 

 日が傾き、窓から差し込む光は橙を帯びていた。立ち直った怜はフロアに戻り、お客さんの残した食器を片付けていた。作業をすることで、ティーナ顔を合わせる時間を、できるだけ減らそうとしていた。

 

(なんで、あんな、女々しいことを……!)

 

 気が済むまで抱き着いた後、ティーナに直ぐ謝った。出会った当日に泣きつくなんて、いくら何でも距離を詰め過ぎだった。しかし、ティーナは怜の気持ちを深く受け止め、そのうえで頭を撫でてくれた。

 

『いいのいいの。泣きたいときにちゃんと泣いて、その反動で立ち直れば良いの。むしろ、遠慮しないでくれて、嬉しかったよ』

 

 そういわれたものの、次からは泣かない……いや、せめて抱き着かないようにはしようと心に誓った。思い返すほどに恥ずかしさがぶり返してきた。もう一度、この羞恥に悶えたいとは思わない。とはいえ、全部が全部、後悔だけというわけではなかった。

 

(……思っていることを伝えられるのって、良いな)

 

 辛い気持ちを隠さなくて良いのだと言ってくれて、救われるような思いだった。それを受け止めてくれる人が居ることもまた、胸が暖かくなった。今の自分には、セレナとティーナが居る。その二人に支えられれば、どんなことでも乗り越えられる気がした。そして、そのために、思い切って甘える勇気も湧いた。怜はいつの間にか、自然と笑みをこぼしていた。

 

 そのとき、また扉のベルが小さく鳴った。怜はすっかり慣れた様子で、お仕事用の笑顔を入り口に向け、その流れで挨拶をする。

 

「はい、いらっしゃいま……あっ……」

 

 入ってきたのは、金髪を無造作に束ねたラフな男、獅音だった。仕事上がりなのか、額には汗がうっすら浮かび、首には汗と土で汚れたタオルがかかっている。ほんのり漂ってくる熱気と汗の香り。嫌なはずなのに、妙に安心する。

 

「よぉ。なんか、ずいぶんサマになってんじゃんか。『可愛い女の子の店員さん』って感じ」

「やめてよ、もう……」

 

 獅音からの視線は、やっぱり女の子を見る視線だった。頭の先からつま先まで、しっかり確認されてしまっている。しかし、獅音からそうされるのは、昼間の厄介客とは全く違う感触だった。

 

 もちろん恥ずかしさはある。しかしそれはどちらかというと、照れくさいものに近く、嫌悪感は薄い。大勢の前で褒められた気恥ずかしさにも似ていた。

 

(あれ、獅音くんの視線って、実は、とっても優しかったのかな)

 

 なんだかむず痒くて、その空気が耐えきれなくて、怜の方から話題を変えた。

 

「獅音くんは仕事、終わったの?」

「おう。怜はまだ仕事なん?」

「えっと……あと三十分くらいかな」

「そっか。どうしよっかな。こんなかっこで、おしゃれな喫茶店の雰囲気を壊すともアレだし」

 

 思いのほか、獅音は常識的なところもあるらしい。このまま居座られたらどうしようと不安に思った怜は、こっそり胸をなでおろした。せっかく働きやすい職場を見つけたのに、獅音のせいで追い出されては堪ったもんじゃない。

 

 しかし、思わず獅音と話し込んでしまったせいで、店の奥にもやり取りの様子が伝わってしまった。奥からティーナが顔を出し、怜は慌てて仕事をさぼっていた言い訳を考えた。

 

「あ、ティーナさん。えっと、これは……」

 

 どうしたものかと怜が困っていると、ティーナは獅音を上から下まで眺め、それから怜の様子を見比べて、何か腑に落ちた様子を見せた。

 

「もしかして……レイちゃんの彼氏さん? ちょっとイケてるじゃん」

「ち、違いますっ!」

 

 怜は慌てて手を振った。顔が一瞬で熱くなる。

 

「な、なんでもないんです、そういうんじゃないんですっ!」

「うわ、今日一番おっきな声。で、どうなのお兄さん」

「彼氏ねぇ……。ま、そう思いたきゃ勝手に思ってくれていいけど?」

「ちょっと、獅音くん! はっきり否定してよ!」

 

 ニヤニヤと笑いながらそう答える獅音と、顔を真っ赤にして否定する怜。それは恋人同士というより、意地悪な兄と振り回される妹、そんな捉え方がぴったりだった。

 

「ふふっ、いいねー、初々しい。それで、実際のところ、この男の人はどなた?」

「えっと――」

 

 どう説明したものか怜は言葉に詰まり、 少し間をおいて、紅い顔のまま答えた。

 

「ずっと一緒にいて、頼りにしてる人、かな。雨津獅音くん、って、言います」

 

 そのセリフに、獅音が『うっ』とうめきにも似た声を出す。

 

「お前、たまにズルいよな」

「でも、だって、本当にそうだから……」

「いや、まぁ……」

 

 毒気を抜かれる二人のやり取りに、ティーナは肩をすくめて、小さく吹き出す。

 

「なーんだ、そういう関係か。でも仲良しなのは間違いないね〜。……へぇ、そういうタイプが好みなんだ?」

「そ、そういうタイプって?」

「うーん、やんちゃでちょい悪な感じ?」

 

 その質問は明らかに、怜をからかう意図があってのもの。しかし、怜は否定できなかった。その時は男だったとはいえ、獅音の『他の人とは違う、自由な生き方』に憧れたのは事実だったから。自分の気持ちに嘘をつくのは嫌だった。

 

「……まぁ、そうかもですけど」

「きゃ~っ! レイちゃんったら、案外大胆じゃ~ん」

「べっ、べつにそういう意味で好きとかじゃないですからね!?」

 

 頬まで熱を持っていて、手のひらが汗ばむ。でもその中に、ほんの少しだけ、自分がここにいてもいいんだという温度があった。自分のことが、少しだけ好きになれた気がした。

 

 ──◇──◇──◇──

 

 初日だからと、怜は早めに仕事を上がらせてもらった。獅音と一緒に宿に帰る途中、どちらからともなく、今日の仕事の話になった。

 

「こっちは相変わらず肉体労働でさ、休憩はちゃんともらえるけど、その分仕事はきつくって。もうクタクタよ。さっさと風呂入って飯食って寝たいわ」

「お疲れ様。こっちは……結構順調だったかな」

「おっ、マジ? やっぱり、可愛いは正義ってやつ?」

「まぁ……あんまり否定できないかも。とりあえず笑顔で接客しておけば、ちょっとぎこちなくても許してもらえたし」

「良かったじゃん。どう? 続けられそう?」

「うん。店主のカーラさんは良い人だし、バイト仲間のティーナさんも、とっても優しくて。そうだ、変な人が来てね――」

 

 怜は今日あったことを楽しそうに語り続けた。獅音はその姿にどこか違和感を覚え、朝と髪型が変わっていることにようやく気付いた。おそらく、仕事をするうえで必要になって、バイト仲間とやらに結ってもらったのだろう。

 

 獅音は、そこに女々しい嫉妬心を覚えてしまった。自分以外が怜とかかわるのが、気に食わない。あの怜が、誰か他のやつの手で仕上がっていくのが気に食わない。怜が女の子にどんどん慣れていっているのが、気に食わない。

 

(このままじゃ、そのうち誰かに――。こんなこと口に出したら、怜から引かれちまうだろうけどな)

 

 獅音はバカバカしい考えだと、湧き上がってくるものを溜息と一緒に吐き捨てた。それを聞いて、怜が獅音の顔色をうかがい始める。

 

「あ、ごめんね。僕ばっかりしゃべっちゃって。暇だったよね」

「あー、いや。そんなことないぞ。ただ、ちょっと疲れちまってな。お前が喋ってるのを聞くのは、楽しいから続けてくれていいぞ」

「そう? じゃあ……あ、そうだ。常連のお客さんから聞いたんだけど――」

 

 獅音は怜の楽しそうな声を聞きながら、宿への歩みを進めた。

 

 ──◇──◇──◇──

 

 宿につき、廊下で獅音と分かれた怜。部屋に戻り、椅子に座って張った脚を揉んでいると、扉がノックされた。念のためにドアチェーンをつけて扉を開くと、向こうにはセレナが立っている。

 

「レイ、おかえり。お風呂、今から行こうと思ってたんだけど……一緒にどう?」

 

 そのお誘いに、少しだけ悩んだ。一緒に行くということは、自分の裸を見られるということでもあり、セレナの裸を見るということでもある。怜は視線をふっと足元に落とし、それから顔を上げた。

 

「……うん。一緒に、行きたい」

 

 それは、怜が自分で決めたことだった。

 

 ──◇──◇──◇──

 

 着替えの服を詰め、セレナと並んで公衆浴場へ。脱衣所で脱ぐのも、洗い場で髪と体を洗うのも、昨日よりは少しだけ慣れていた。昨晩の行為のおかげだとは、あまり思いたくなかった。思い出すだけで、首まで赤くなりそうなくらいに恥ずかしかったから。

 

 しかし、セレナから『自分の身体、ちょっとは慣れてきた?』と言われてしまったので、彼女にはお見通しらしい。怜は敢えて否定することもなく、『まぁ、何度も着替えたので』とごまかした。セレナはクスリと笑っていたので、嘘だと見抜かれただろう。

 

(でも、それ以上は踏み込んでこない。やっぱりセレナさんは、優しい人だな)

 

 怜はセレナの心遣いに感謝しながら、全身をキレイに洗った。たっぷりの泡を手で掬い、なめらかな肌の上を撫でていく手つきは、昨日よりもためらいが少なくなっていた。ただ、髪を頭の上でまとめるのだけはどうしてもうまくできず、怜は恥を忍んでお願いし、セレナにやってもらった。

 

 これができるようになるまでは、彼女と一緒にお風呂に入ったほうがよさそうだど気落ちしたが、セレナはむしろ嬉しそうにした。セレナいわく、『誰かと一緒にお風呂に入るの、結構好きなんだよね』と。怜も、その良さが少しわかる気がした。

 

 身体を洗い終わると、セレナと一緒に湯船に浸かった。一日の疲れが、温かいお湯に溶け出し、身体から抜けていく。思わず『あ゙ぁ……』とおじさんっぽい声が漏れてしまい、またセレナにクスリと笑われた。

 

「お仕事終わりのお風呂、気持ちいいでしょ」

「それはもう、一日中ずっと立ちっぱなしでしたから」

「何のお仕事をしてたの?」

「喫茶店のホール担当です。スプラウトってお店なんですけど、知ってますか?」

「あー……聞いたことあるような、無いような。どんなお店?」

「コーヒーがおいしくて、あと、ガトーショコラとか、お菓子も。あと、バイトの先輩のティーナさんって人がとっても優しくて――」

 

 楽しそうに話す怜を、セレナは微笑んで眺める。楽しかったこと、大変だったこと、どれも怜の成長につながっていると分かる。本人はあまり気付いていないようだけれど、その表情は昨日よりもずっと生き生きしていた。

 

(カーラさんのところか。あそこなら安心かな。……信じられる人がこの街に増えて、良かったね、怜)

 

 自分一人に怜の進退がかかっていた状況から解放され、セレナは少しだけ肩の荷が下りた気がした。それでも、怜を支え続けることは変わらない。怜の笑顔を絶やしてはいけないと、決意を新たにした。

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