男らしさのない一般社会人男性がTS転移したら、学生時代に親友だった不良と再会した話   作:Sfon

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選べる私になるために

 一日の仕事が終わった、新しい世界での四度目の夜。怜は、木の温もりが心地よい喫茶スプラウトの窓際に腰を下ろし、湯気の立つ紅茶を両手で包み込んだ。昼の喧騒が嘘のように静まり返った店内には、時計の針の音だけが響いていた。

 

 時刻は夜八時。前の世界の感覚ではだいぶ早い店じまいだが、それほど大きくもないこの街では、晩御飯時以降の需要はグンと落ちるのだ。

 

 怜とティーナがゆっくり雑談をしていると、入り口からカランコロンとベルの音。怜が視線を向けると、仕事を終えた獅音が立っていた。今日は妙に身ぎれいで、仕事終わりに早速ひとっぷろ浴びてきたよう。石鹸の良い匂いがした。

 

 そしてその隣には、スプラウトでは珍しい顔もいた。

 

「あれ、セレナさん。こんばんは。お店はしまっちゃってますけど……」

「こんばんは、レイ。実は、街を歩いていたらばったりシオンくんに会ってね。これからレイの働くカフェに行くっていうから、ついてこさせてもらったんだ」

「えっと……レイちゃんのお友達?」

「僕の、リンキシアとしての先生みたいな人です」

 

 ティーナが不思議そうにセレナを見ていたので、軽く紹介した怜。セレナはそれに続いて、カフェの中に進み入りながら挨拶をした。

 

「セレナだよ。この街にリンキシアとして来てから、もう三年くらいになるかな」

「えっ、それじゃあ……小さなころから大変だったね」

 

 ティーナは本気で不憫そうな視線を送ったが、セレナはそれが少し面白く、また慣れてもいたので、笑って返した。

 

「実は、見た目と中身がずれていてね。中身はもう三十を過ぎた『お姉さん』なんだ。まだまだ人生経験は浅いけど」

「えっ……?」

 

 ティーナはその言葉を聞いて目を丸くし、セレナを上から下まで何度も見返した。それもそうだろう。見た目はせいぜい高校生くらいの女の子が、突然『実は三十歳で』なんて言い出したのだから。

 

 しかし、下手なことをいうティーナでは無かった。女に対して、年齢の話題は非常にデリケートなのだ。セレナも例に漏れず、『お姉さん』だと強調して言っていた。間違っても『おばさん』なんて言った次の瞬間には、げんこつが降ってくるに違いない。

 

「そ、そうだったんですね~。そうだ、もしよかったらゆっくりしていきます? お茶くらいなら出しますよ。せっかくのレイちゃんのお知り合いが集まってるので」

「良いの? 私は時間があるから、喜んで。シオンくんは?」

「俺は元々そのつもりだったからな。何の問題もない」

 

 さりげなく獅音が怜の隣に座り、セレナは余った席へ。ティーナは一度席を外したが、すぐに大きめのティーポットを持って帰ってきた。

 

 はじめは、角の立たない会話が進んだ。ある程度お互いに話慣れてきたところで、最近大変だった話に。怜と獅音は口をそろえて、この世界の常識を覚えるのに必死だと言った。

 

 この世界で数日働き、最近になって少しずつ理解し始めた二人。ようやくと言ってもいいが、これまでは生活を軌道に乗せるのに精いっぱいで、周りに目を向ける暇がなかった。その大変さを思えば、しょうがないとも言える。

 

「じゃあ、せっかくだからこの機会におさらいしてみる?」

 

 とティーナが提案したのをきっかけに、セレナとティーナによるこの世界の常識講座が始まった。

 

 ──◇──◇──◇──

 

 怜と獅音が行き着いた城塞都市は、エルディア王国という国の南部、内陸に位置する中規模な都市の一つ、ラグエル。リンキシアの初期滞在地として設けられた施設が充実しており、冒険者の出入りも多く、商業も盛んで賑やかな町だ。

 

 エルディア王国には他にも多数の城塞都市が大陸に点在しており、それぞれの都市には何かしらの個性や役割があるらしい。『まるでRPGの世界みたいだ』と思った怜と獅音だったが、それをぽろっと零すと、セレナにたしなめられた。

 

「思うのはもちろん自由だけど、住んでいる人たちは当然血の通った人間たち。くれぐれも、そこだけは忘れないでね。その……昔のリンキシアに、ここの住民を『所詮RPGのモブだろ』って言って酷いことをした人が居て、『RPG』って単語は半ばタブーになってるから、それも忘れないように」

 

 怜と獅音が住民証を発行してもらったとき、職員のお姉さんが言っていた『犯罪行為に手を染めたリンキシア』というのがそれなのだろうか、と二人は頭によぎった。

 

「そういえば、リンキシアってどういう基準で呼ばれてんだ?」

「あまりはっきりしていないけど、実はほとんどが女性なんだ。男性が呼ばれるのは、それこそレイとシオンくんみたいに、呼ばれるリンキシアによって呼ばれたひとがほとんどになる」

 

 怜はふと、『じゃあ獅音くんって、僕って……』と口に出そうになったが、そこはセレナのカバーが入る。

 

「まぁ、私もいい例だけど、リンキシアって呼ばれた時に見た目が大きく変わる人もいるからね。それこそ、性別や種族が変わっていてもおかしくない。例えば、狼男が女の子のリンキシアとして呼ばれたり、逆に女の子がゴリゴリマッチョになっても、『まぁそんなこともあるのか』って受け入れられるくらいにはね」

 

 それは、セレナなりのフォローだった。男から女の子になってしまった怜に対して、『君はおかしな存在じゃないよ』と語りかけるようだった。しかし、それが裏目に出てしまう。

 

「……もしかして、レイちゃんって、元は全然違う姿だったりして?」

 

 ティーナのその一言は、まるで軽い冗談のようだった。けれど怜にとっては、胸の奥を小さなナイフでえぐられるような痛みだった。

 

 地元で生まれたティーナは、リンキシアという存在に興味が湧いていた。だから、ちょっとだけからかってみたくなっただけ。決して、怜を傷つけようと思っていったわけでは無い。ティーナは怜のことを、元々こういう女の子だったと信じて疑っていなかった。

 

 しかし、それは怜にとって一番の弱点だった。怜はティーナに元々の姿について話したことがないし、今後も話すつもりが無かった。この世界で、元の姿を知っているのは獅音とセレナだけ、それでいいと思っている。思っているが、実際に聞かれると、息の詰まるような思いだった。

 

 ティーナの言葉を何とか受け止めようとするが、返す言葉が出てこない。ただ口を動かすだけになった怜に、セレナが割って入った。ティーナに向かって、真剣な表情をして。

 

「リンキシアに過去の詮索はご法度だよ。大抵のリンキシアは、前の世界で何かしらあった人が多いからね。トラブル防止のためにも、自重したほうが良い」

「あ、その……ごめんなさい」

 

 ちょっと揶揄っただけのつもりだったティーナは、やぶへびだったかと後悔した。固まった怜の表情は、少なくともただの軽口だと捉えていないことが明白。セレナの表情は、こればかりは冗談だったと笑って流してはいけない、そんな意志が浮き彫りになっていた。

 

「謝るならレイに、ね」

「ごめんね、レイちゃん」

「い、いえ、大丈夫です」

「こいつはなんも変わらんけどな。髪色は派手になったけど」

「あはは……そうだね」

 

 眉をハの字にして謝るティーナと、怜の頭を乱暴に撫でながらワハハと笑って場を流す獅音。彼の手の温かさは前の世界と変わらず安心できたが、胸の痛みは消えなかった。怜は仕事で学んだ笑顔で、獅音の作った流れに乗った。

 

(これからずっと、みんなを騙し続けるんだよね。元から、女の子だったって)

 

 怜の表情に、うっすらと影が差した。その場でそれに気づいたのは、セレナだけだった。

 

「無知は罪とかいうけど、ティーナさんはレイのことを知ろうとしてくれているからね。ちょっと話しただけでも、大事に思ってくれてるの、伝わってるよ」

「それはもちろん……うちの可愛い店員さんだし、とっても頑張り屋さんだから」

 

 それも、セレナのフォローとティーナの心からの言葉。

 

(じゃあ、頑張り屋さんじゃなかったら……いや、やめよう。こんなの、言葉狩りみたいだ)

 

 言葉尻をとらえて勝手にもやついている自分に気付いて、怜は己を恥じた。ティーナの気持ちは伝わってくる。大切に思ってくれていることも、仕事仲間としての好意も。

 

 獅音は話題を無理やり戻して、場の空気を入れ替えようとした。多少強引な持っていき方でも、獅音の雰囲気だと、なぜかそれが許された。

 

「じゃあ、男のリンキシアってめっちゃレアなんだ。俺の先輩になったガイトが居たから、男と女は同じくらいいると思ってたけど」

「そうだよ。ただ、リンキシア自体がそれなりに街に溶け込んでるし、住み慣れれば元々の住民と見分けがつかないからね。一般に知られているわけでもない。リンキシアしか知らない豆知識の一つ、って感じかな」

「じゃあ、ガイトも誰かに呼ばれたってわけだ。なら、同じタイミングで呼ばれた誰かが居るんだよな……」

 

 そこで、獅音の視線がセレナに向いた。セレナとガイトは妙に仲がよさそうで、いい大人の男と可愛らしい女の子というペアは、獅音と怜というペアにも似ている。

 

「シオンくん、分かるよね?」

「……はいはい、過去の詮索はご法度ね」

「うん、なら良し」

 

 不満げながらも踏みとどまった獅音に、セレナは満足げな顔を返した。

 

 ──◇──◇──◇──

 

 ひとしきり会話が終わり、交流会もお開きになった喫茶スプラウト。ティーナはすぐ近くに住んでいるそうで、怜、獅音、セレナの三人組は宿へ歩いて帰っていた。

 

 怜を中心に、左右を獅音とセレナが固める。夜の治安はあまりいいと言えないこの街で、怜は守られる立場に居た。

 

「にしても、だいぶ慣れてきた感じだよな、お前。今の仕事、好きか?」

「うん。最初は結構緊張したけど、もう慣れてきたかな。常連のお客さんもだいぶ分かってきたし、なんというか……僕を受け入れてくれたかなって感じるんだ」

「そっか。ま、お前は可愛いからな。人からも好かれやすいだろ」

「反応しずらい言い方はやめてよ。そこで『うん』って言ったら、自意識過剰見たいでしょ」

「ってことは、自分のこと可愛いとは思ってんだ」

 

 少しだけ意地悪な言い回しをした獅音。セレナはそれを怜の横でじっと聞いている。どう返すか、怜の様子を静かに見守っていた。それだけで、怜の心の支えになった。

 

「……うん、思ってるよ。お客さんたち、店主のカーラさん、ティーナさん、みんなに言ってもらったから。変に否定するのも、なんか違うかなって」

 

 それは、とても勇気のいる言葉だった。怜は口を開いてからずっと、胸が破裂しそうな気分だった。しかし、自分の言葉で、最後まで言い切った。言った内容に後悔はなかった。

 

 獅音は思わず怜の顔をまじまじと見て、それから呟いた。

 

「おまえ、変わったな」

「この世界で生きていかなきゃって、覚悟が決まったんだよ」

「……そっか」

 

 三人での会話は、それで途絶えた。セレナの手が、怜の手を握った。とても暖かくて、ゆっくりと、胸の鼓動が落ち着いていった。

 

 ──◇──◇──◇──

 

 宿に戻り、お風呂のセットを持って、セレナの部屋のドアを叩いた。しばらく待っていると、同じようにお風呂セットを片手に持ったセレナが出てくる。

 

「行こうか」

「はい」

 

 短い言葉でも通じる中になった二人。そこに冷たさは無く、むしろ相手を信頼する気持ちが表れていた。

 

 怜が持っているお風呂セットは、リンキシアとしての初仕事をお祝いしてセレナが送ったもの。洗顔に使うヘアバンド、おすすめのシャンプーとトリートメント、お風呂場で使う洗髪ブラシに、普段使いできるヘアブラシ、仕上げのヘアオイル、などなど。まとめて買ったらそれなりの値段がするものだけに、まだお金の溜まっていない怜にとってはお世辞抜きに嬉しいプレゼントだった。『女の子の身だしなみにはお金がかかるから、ちょっとだけお手伝いね』とは、セレナの言葉。

 

(それに――同じ匂いがするから、好き)

 

 シャンプーやコンディショナーは、セレナが今使っているものと同じもの。彼女と同じ香りが自分の髪からして、彼女に抱きしめられているみたいで、いつもちょっとドキドキしているのは、誰にも内緒だ。

 

 公衆浴場につき、なれた足取りで脱衣所へ。服を脱いで浴室に入り、セレナと並んで洗い場に腰を下ろす。髪を洗い、少し手間取りながらも髪をまとめ、体を洗う。二人そろっていつもの浴槽に体を鎮めると、セレナが嬉しそうな顔で怜に話しかけた。

 

「全部自分でできたね。成長だ」

「はい、ようやく、ですけど。何度も教えてもらってすみません」

「ううん、良いんだよ。できるまでやりきったのが大事さ」

 

 セレナに会話の助走をつけてもらい、怜も話しやすくなった。ここで話しておくべきだと、胸の内で温めていたことがある。

 

「セレナさん、その……さっきの、ティーナさんとの会話なんですけど」

「うん」

「僕……嘘、ついてますよね。今は少ない人数にですけど、きっと、これからもずっと」

「それは、元々の性別の話、だね?」

「はい」

 

 口に出すたび思い出す。この世界に来た時、獅音が言ったこと。『この子は元々女の子』という意味の言葉。今日だって、同じようなことを言っていた。それは確かに、この世界で上手く生きていくには、都合が良いのだと、怜も理解している。しかしそれは、怜に一生嘘をつき続けることを強制することにもなる。

 

 セレナはひと呼吸を置いて、怜が返事を聞く体勢になってから、ゆっくりと告げた。

 

「確かに、嘘つきかもしれない。でも、レイが『元から女の子だ』って振舞いたいなら、それもいいと私は思ってる」

「嘘つきでも、良いって言うんですか?」

 

 セレナは、湯に揺れる怜の表情を静かに見つめながら、優しく頷いた。

 

「嘘はね、『こうでなきゃいけない』って枠から外れた時に生まれる言葉なんだ。でも、世界って──そんなに単純じゃない。誰もが枠の中でだけ、生きてるわけじゃないんだよ」

 

 怜は言葉の意味を咀嚼するように、目を伏せる。セレナは怜が受け止められるように、一つ一つ大切に言葉を紡いでいく。

 

「たとえば、誰かに合わせるために笑うことも、何も言わずに黙っていることも、全部『嘘』って言われるかもしれない。でも、演じているからと言って、その人が悪者とは限らないんだ。それが自分を守るためだったり、誰かを思っての選択なら。私は、嘘じゃなくて、『優しさ』だと思いたい」

 

 セレナの声は湯けむりの中で、不思議と輪郭を持って、怜の胸に届いた。

 

「レイ。『ありたい自分を選ぶこと』って、とても勇気のいることなんだよ。だから私は、それがどんなものであれ、ちゃんと選べたならそれでいいと思う」

 

 怜はそっと顔を上げた。湯の熱さではない何かが、目の奥をじんわりと滲ませていた。

 

「……僕は、選べてるのかな」

「きっと、まだ途中かな。焦らなくていいよ。今のレイは、ちゃんと自分の足で歩こうとしてるって、伝わってきたから」

 

 セレナは優しく微笑み、怜の肩にそっと手を添えた。怜は小さく頷いた。それから、セレナはクスリと笑ってから、話を続けた。

 

「ちなみに、私の場合は――とっても単純でね、自分でめんどくさくなっちゃったから、あんまり考えないようにしたんだ」

「えっ? それって、選んでるんですか?」

「飾らないことを選んだのさ。最初は、この身体に『合っている』と考えた自分を演じてみたんだけど、これがなかなかにぎこちなくてね。ガイトにすぐ笑われたよ。今じゃ自分でも、やめて正解だったと思ってる」

 

 怜がぱっとセレナの方を向くと、苦笑いしているセレナ。どんな感じだったのだろうという好奇心と、そのころからガイトが居たんだという驚きが、胸の中で混ざった。

 

「こんな感じだったかな――こんにちは! 私、ここに来たばっかりなんだけど、みんなよろしくね! ……みたいな」

「……ふふっ」

「あっ、笑ったね?」

「ふふっ、いや、だって……そんなセレナさん、ちょっと見てみたかったなって、思っちゃって」

 

 それは底抜けに明るいトーンで、確かに見た目に合っていると言えば合っていたが、やはりどこかズレていた。誇張した洋画の俳優みたいというか、海外のホームコメディに出てきそうな感じだった。

 

「今のレイは、みんなに自然と受け入れられてるから、心配しなくても大丈夫かな。私は、レイの選んだ『今』が好きだよ。それがどんなものであれ、ね」

 

 確かに、あれに比べれば、と笑いながら、レイはその裏で密かに決心した。自分のありたい姿は、ちゃんと自分で選ぼうと。今はまだ、獅音に流されている気がした。そこからもう一歩進んで、自分自身で選んだ自分になりたい。そう強く思った。

 

(僕は、どうありたいんだろう)

 

 すぐに答えは出ないかもしれない。それでも、考え続けるだけの価値はあった。そして、一つ行動も起こすことができた。

 

「セレナさん……女の子としての生活、もうちょっと教えてもらえますか?」

「うん、いいよ。次のお休みの日、一緒に出掛けよう」

 

 にこやかに答えたセレナの顔には、『それがレイの選択なんだね』と書いてあるようだった。それに怜は胸を張ってこたえることができた。

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