狂気を出せるように頑張ります。
オラリオの路地裏、昼
オラリオの市場から数本の路地を抜けた場所は、まるで別の世界だ。陽光が届かず、湿った石畳には苔が薄く生え、ゴミや壊れた木箱が散乱する。埃っぽい空気に、かすかな酒の匂いが混じる。
「離してくださいです!」
リルカ・アーデの小さな声が、路地の静寂を震わせる。ソーマ・ファミリアの団員――大柄な男が、リリの腕を掴み、荷物をひったくる。ぼろぼろのフードがずり落ち、茶色の髪が乱れる。男は嘲るように笑う。
「てめえの稼ぎ、全部渡せよ、リリルカ! サポーターの分際で出し惜しみか?」
リリは歯を食いしばり、地面に倒れたまま手を伸ばす。「リリの…リリの金です! 返してくださいです!」
団員が鼻で笑い、荷物を足で蹴る。硬貨が石畳に散らばり、鈍い音を立てる。リリの瞳が揺れる。ソーマ・ファミリアでの日々――虐待、裏切り、ソーマ酒に溺れる団員たちの冷たい目――が脳裏をよぎる。
その時、澄んだ声が路地を切り裂いた。
「やめろ!」
ベル・クラネルが、ナイフを手に団員の前に立つ。白い髪が汗で揺れ、赤い瞳に決意が宿る。レベル1の新米冒険者、華奢な体躯だが、その背中はどこか頼もしい。
「リリが…辛そうだったから! 僕、放っておけないんです!」
リリは目を丸くする。「何!? なんでリリなんかを助けるんですか、ベル様!?」
団員が舌打ちし、ベルに襲いかかる。「ガキが! 生意気だ!」
だが、ベルは素早く身をかわし、ナイフで牽制。刃が陽光を反射し、団員の腕をかすめる。団員は悪態をつきながら後ずさる。「ちっ、覚えてろよ!」
足音が遠ざかり、路地に静寂が戻る。ベルが息を整え、リリに手を差し伸べる。「リリ、大丈夫? 怪我はない?」
リリは、差し伸べられた手をじっと見つめる。ソーマ・ファミリアでの日々――誰も信じず、騙し、裏切って生きてきた。なのに、この少年の純粋な瞳は、リリの心をチリチリと焼く。
「リリ、こんなの…信じられません… ベル様、なんで…?」
ベルが少し照れくさそうに笑う。「えっと、ほら、辛そうだったから…それだけだよ! リリ、こんなところで危ないんだから、気をつけてね!」
リリは目を伏せる。胸の奥で、温かいものが広がる。だが、すぐに顔を上げ、いつもの皮肉な口調で。「ベル様、ほんとお人好しです…!」
ベルがハハッと笑い、路地を後にする。「じゃあ、またね! リリ、気をつけて!」
リリは荷物を握りしめ、ベル様の背中を見つめる。ソーマ・ファミリアの冷たい記憶が、ベル様の笑顔に少しだけ押しやられる。「リリ…こんなの、初めてです…」
路地の角、物陰で、白と金のローブをまとった影が動く。セラフィス・ファミリアの団員だ。仮面を外した男が、鋭い目でリリとベルを見やる。リリの腕の痣、団員の暴力的な態度、漂うソーマ酒の匂い――全てが、ソーマ・ファミリアの罪を物語る。
男は懐から小さな手帳を取り出し、素早く書き込む。
「ソーマ・ファミリア…虐待の痕跡、密売の可能性。罪の証拠を分析すべきだ」
彼の声は低く、冷静だ。手帳に記す文字は整然とし、まるで全てを計算済みのように無駄がない。リリの痣の形状、団員の態度、ソーマ酒の匂いの濃度――細かな観察が、簡潔かつ正確に記録される。
「ザニス・ルストラの動向、ソーマ酒の流通経路…本拠で整理すれば、裁きの準備は整う」
男がローブの裾を翻し、大聖堂へ向かう。その背中は、市民の親切な味方とは別の、冷徹な正義の使者としての顔を覗かせる。手帳を閉じる音が、路地の静寂に小さく響く。
リリは路地裏に立ち尽くす。ベル様の笑顔が頭に残るが、ソーマ・ファミリアでの虐待が胸を締めつける。「リリ、関係ないはずです…でも、ベル様に助けられたこと、リリ、忘れられないんです。リリ、ちょっとだけ、変わりたいです…」
夕陽が路地を染める。リリはフードを被り直し、市場の喧騒へ歩き出す。遠く、オラリオ中心部にそびえるセラフィス・ファミリアの大聖堂が、静かに佇む。白亜の壁が陽光を反射し、その地下では、ソーマ・ファミリアの罪を裁く準備が始まろうとしていた。