ジェネリック小壺 in リムベルド 作:棘棘生命(一旦再考中)
リブラに見送られるようにして、追跡者と無頼漢、そして僕は白く巨大な扉を開いた。その際、扉から漏れ出す闇にも僕の力が使えるのではないかと祈ってみた。夜と闇は近く、靄のような形状も似ているからだ。
その瞬間入り込んできたものは、僕の想像を絶していた。それは幾千万も重なる声であったのだ。
それらはもはや個人ではなく、暴風のように唸っている。ただ、次に呑まれるものを待ち望んでいる。己の苦しみを、知らぬ者へ味わわせてやろうと。
僕は夜に溶けた意思の悍ましさ、痛ましさに壺が割れる思いだった。軽い気持ちで試すべきではなかったのだ。僕はなだれ込む負の感情に押しつぶされそうになりながら、門を通り抜ける。少しでも多く彼らの意思を背負い、連れていくために祈り続けた。
知ってしまえば、更に遠く、届かない手がたまらなくもどかしい。それでも届かずとも伸ばし続けなくては。
僕は感じている。この不思議で暖かい陽光の力は、リムベルドの夜明けのために宿ったのだ。僕自身の本懐を遂げるためにも、見殺しにしてなるものか。
夜の王が待つ、灰の世界へとやってくる。後ろを振り向いた無頼漢が僕に声をかけてきた。追跡者もこちらを見て、感情を視線に乗せてくる。僕がへまをしたから、心配をかけてしまっているようだ。
「坊ちゃん、大丈夫なのか?一気に調子悪そうだぜ。」
「ありがとう、大丈夫だよ…。うん…!」
「落ち着くまでは、俺たちに任せろ。ここで倒れないようにな。」
壺の内部が張ったような感覚を覚えながらも、僕は気を引き締める。今までの戦いも僕が文字通り荷物になってばかりだ。夜の王たちから一部を詰めるたびに、動けなくなっていた。こんなことでは、旅人の壺を名乗るに足りない。
太陽の蛾を呼び、夜渡りたちの後ろから『勇者の肉塊』を基にした粉末を撒き、戦いに備える。直線的に走っていけば、不明な夜の王が姿を現す。
神秘的だ。吸い込まれるような水色に、透き通る触手と浮かぶ体。頭部らしき部分が光り輝いている。
霊クラゲのように、一見意志があるか分からない。感じられる気配もうすぼんやりとしている。今まで出会ってきたものの中で、一か二を争うほど得体のしれない存在だ。
追跡者はその夜の王のことを『深海の夜、マリス』だと言った。
「見覚えがあるやつだ。」
「兄ちゃんは知ってんの、か!俺たちより多く潜ってるだけあるな!」
「ああ。…だが、大きすぎる。前に相対した時は、こんなにも膨らんでいなかった。」
マリスから飛沫のようなものが飛んでくる。掠っただけで損傷を負う液体だ。僕は大きく回り込むようにして避け、二人の会話を聞く。無頼漢と追跡者は前転することで、飛沫を避けているようだ。
それは確かに大きい。夜渡りを包み込んでも余りあるほどの体長だ。突進を喰らえば無事ではすまないだろう。
だがマリスの動きは緩慢で、会話を挟めるほどに隙だらけだ。次に何をしてくるか分からないため慎重さは必要だが、最初飛沫にぶつかったとき以外、皆回避しきっている。
無頼漢が避けてはマリスの頭部を殴り、追跡者は鉄杭を使用せずに『獅子斬り』や『雷撃斬』などの技を使って追いつめる。僕と太陽の蛾は様子を見ながら中・遠距離戦に徹し、マリスの一部を得られるタイミングを待った。
異変は突然始まった。マリスの体がどんどんと膨張し始めたのである。
綺麗な水色は濁った紫へと変わっていき、ぐちゃぐちゃと音を立てて何かが顔を出す。それは人間のような瞳であった。
希薄だったマリスの気配が、一気に大きくなる。それによって僕は、先ほどから微弱に発せられていたマリスの意志を感じ取る。
狂気的な喜び。戦いを楽しむのでもなく、ただ悦楽のみがある。
僕は変わっていくマリスの姿に、思わず声を漏らしてしまった。生まれて間もない頃に覚え、久しく忘れていた感情。恐怖が心を支配したのだ。
遂には歪んだ人型をとったそれは、大量に生えた瞳を一斉に細める。そして、鯨のような鳴き声で笑った。
――――――――――
瞳を細め、マリスが自身の力によって辺りの様相を変化させる。かつて泳いだ深海を再現し、顕現させたのである。夢と現世の境界にて、その王は最も力を振るうことができるのだ。
「怖く、ないよ…!」
「化けの皮を剥がしやがったか!」
「いや。まだ変わる…。」
巨体となったマリス、その頭部にある目が見定める。そのままそれは夜渡りたち目がけて突進した。戦士たちは吹き飛ばされるが、すぐに態勢を整える。太陽の蛾はふわりと避けた後、生き壺を脚で掴み持ち上げた。己が帰る夜を守るために。
マリスは古生物としての原型をとどめず、急速に進化していった。浮かび、分裂し、夜を漂う『兆し』を大量に生み出していく。いや、その様は『分裂』よりも、こぼれているという方が表現として正しい。
マリスの分け身とも子とも呼べる『兆し』たちは、水色の体をくねらせ、空を埋め尽くさんとしている。これこそが夜の可能性であると、言葉なくとも存在によって豪語しているようであった。
絶望的な状況の中で、戦士たちは増殖を止める手段を考え始めた。唯一まともな遠距離攻撃ができる太陽の蛾に続けるように。追跡者は拾っていた聖印から火球を投げ、無頼漢は捨てていなかった大弓から矢を放つ。
そうしている間に小壺旅人は、その身に宿した力をかき集める。貪食ドラゴン、古竜、エデレから受け継いだ竜の力。デーモンの混沌。そして彼自身が会得している投擲術。
紫雷と炎を同時に乗せた『ヒビ壺』を次々にぶん投げたのだ。それは戦士たちの攻撃と噛み合い、空で激しい炎を散らす。
だがそれも、有効打になったとは言い難かった。マリスの外膜は核を防護し、見た目上は全くの無傷であったのだ。無頼漢が丸々とした騎士の鎧の中で、冷や汗を垂らす。
「おいおい…とんだ化物もいたもんだ…!」
「波が来るぞ!散れ!」
「うわ…。皆、この瓶を使って!これで凌ごう!」
肩飾りを触って、追跡者は語気を荒げる。散開する前に、小壺旅人は『高揚の香り』が入った瓶を四つずつ二人へ渡す。夜渡りたちは短く礼を言い、全力でマリスから離れていった。
手足と夥しい量の瞳を生やしたマリスが、核のある頭部の上で手を組んだ。その後それは、ぐちゃりと何かを握りつぶす。
兆したちが大波を、マリスが紫色の光線を飛ばし、灰の上へと降りかかった。
戦士たちに力はあれど、攻撃が届かなければ耐え凌ぐしかない。そしてそれにも限界はある。聖杯瓶の中身は少しずつ減っていき、名状しがたい波状攻撃になすすべがない。
一方的な蹂躙の中、小壺旅人は考えていた。飛び散ったマリスの欠片を詰め、静かに考えを整理し思う。この夜の王の在り方は、理解をさせてくれないと。
今まで相対してきた夜の王たちは、信念があった。王に至るまでの物語を持っていた。だがマリスは違う。それは、夜に呑まれる前何もありはしなかった。夜に、初めて興味を自覚したのだ。だから正しくマリスは、夜によって歴史を紡ぎ始めた存在である。
故に人間の思考が通じない。マリスから感じる純粋な喜悦も、知性ある種族が理解しきれる領域ではないのだ。
それは、思考の位階が人間を越えていようと、知性を持たない獣と同義だ。小壺旅人はそう認識し、結論付けた。
ぎょろりとマリスの瞳が動く。瞬間、地面へ光線が放たれ爆発した。小壺旅人の周囲に張られた防護が割れるが、『高揚の香り』を再度振りまくことで損傷を軽微にする。
「何とか、他に倒す方法を考えないと…!このままじゃ……あれ?」
小壺旅人の考えは固まり、自身の持てる術を捻り出そうとする。うんうんと悩んでいると、壺の視界に入り込んだものがあった。マリスが生み出した兆しでも、遠くにいる夜渡りでもない。太陽の蛾はずっと彼の傍にいる。
あの、遠くに見える小さな影は何か。小壺旅人は引き付けられるように、その揺らめく二つの影の元へ走る。
『うーむ… ウムムムム…』
――――――――――
天変地異のような光線の爆撃を避け、僕は見えた物のために動いた。近づくにつれ、僕の頭は疑問で埋め尽くされる。
さっきまで右の方で回避していた無頼漢が、悠長に腕を組んで立っているのだ。まさかあの豪胆な戦士は、目には見えないほど素早く避けているのだろうか。
そのふざけた思考は、彼の横に立つ存在によって雲散した。そして鎧の隙間から聞こえてくる声にも。
『うーむ…確かに私は囚われていたはず。貴公とも、牢屋越しに話したばかりだろう?』
『そのはずだ。』
『しかし一眠りしたら、こんなよく分からないところにいる。それに見ろ貴公、あの浮かんでいるのを。見た目はああだが、案外話せばわかるだろうか。うーむ…どうしたものか…。』
その鎧を着た騎士は、明らかに無頼漢ではない。また炎に焦がされたような全身鎧を身に着けた戦士も、僕が初めて見る人だ。だが、彼らのことを僕は知っている。頭の中で為されていた推測は、一つの答えを既に導き出していた。
前者はどこか抜けているような調子ではあるが、マリスを恐れておらず、豪胆さが見える。また横に控える、全身鎧の騎士も焦った様子はなく、どうやってマリスを倒そうか考えているようだった。
驚きで僕の脚はまともに動かなくなり、転んでしまう。それに気がついた二名は視線を僕に向けてきた。僕は高速で手を振り、敵意がないことを伝える。
「あ…。僕はただの壺だから、気にしないでください…!」
『変な奴があるぞ。』
『おお、なんと…牢獄に幼子がいたとは!もしや貴公も獄吏なのか!』
「ごくり…?ううん、違うと思う。僕は旅をしている生き壺です。それで…貴方たちはもしかして…。」
すごみはあるのに、彼らから敵意を感じない。だから僕は一歩踏み出してみる。恐る恐る声を出し、自己紹介をしてみた。
するとすぐ言葉が返ってきた。僕にとっての導き、目指していた英雄の名前を。
『私はカタリナのジークバルト。そして彼は…我が友、私と同じ火の無い灰だよ。』
「は、は…!すごいや…!」
僕は息絶え絶えに、彼らへ掌を差し出す。僕の握手に応じてくれる英雄たち。英雄の豪快な笑い声が僕の聴覚に響き、感情を明るく染め上げる。
不思議なことに、マリスの攻撃は彼らの近くを通ることが無い。僕はそのことに安堵しながらも、英雄たちに現状の説明を行う。信じてもらえるか分からない。それでも彼らさえいれば、どんな強大な敵も倒せる気がするのだ。
僕は説明の最後に、深く壺を下げる。
「――お二人とも、お願いします。僕たちに力を貸して…!」
『事情は分かった。我らの旅路と交差したのも、太陽の思し召しというもの!貴公らの使命のため、助太刀するぞ!』
『祝杯の準備は出来ている。』
彼らは頼もしくも、人型となったマリスが闊歩する場所へ、歩いていく。僕はすぐさま動き出し、彼らの背中を追う。ふわふわとした心地で、動く脚は軽やかだ。
リブラへ願ったことが、たぐいまれな奇跡を引き起こしたのかもしれない。
そうであってもそうでなくても、確信していることがある。きっと僕たちには、追い風が吹いている。