トネリコとアルトリアの田舎日和   作:イモ

19 / 37
靴下にのって

 朝のひととき。

 庭には風が通り、縁側では洗濯物が軽やかに揺れていた。トネリコは物干し竿の前で、ひとつひとつ丁寧に洗濯物を留めていた。左手には洗濯バサミ、右手には靴下。動きは慎重かつ静かで、ほとんど儀式のようですらある。

 

「……これで、最後ですね」

 

 柔らかな声とともに、小さな靴下をそっと挟む。ちょっと控えめなグレーのやつだ。アルトリアのものかもしれない。

 

 だがその瞬間――

 

 ぶおおおっ!

 

 突風が、唐突にやってきた。

 

 ぱちん。

 

 洗濯バサミが弾け、最後に干した靴下が空へ向かってふわあっと飛び立った。

 

「……えっ」

 

 トネリコは数秒、動けなかった。

 靴下は、まるでこの地上に未練がないかのように、自由に空を泳ぎ始めていた。しかも飛び方がいやに軽快だった。

 

「……そちらへ、行かれますか……」

 

 靴下に向けて、トネリコはそっと歩み出した。声も足音も静かだが、目は真剣だった。

 彼女の中で「回収」モードが発動した。

 

 

--トネリコは、靴下を拾い上げた。

 わずかに湿っていた。草露のせいだろう。生乾きのような感触に、少しだけ眉が寄る。

 

 

 

 「……もう一度、洗い直しですね」

 

 

 

 小さな呟きは、自分の耳に届くよりも先に空気に吸い込まれていった。

 

 靴下を両手で包むように持ち、トネリコは歩き出す。来た道を戻るのではない。足は自然に、少し違う小道を選んでいた。慣れたはずの裏庭なのに、風の向きや草の丈、昨日とはわずかに違って見える。

 

 空は少しだけ曇っていた。午前の陽差しは影を薄くし、すべての色が水ににじんだようになっていた。

 歩きながら、トネリコはふと手の中を見た。

 グレーの靴下。何の変哲もない、形も崩れかけた片方だけのそれが、なぜこうしてまで手元に戻る必要があったのか。

 

 ただの靴下、である。

 

 だが、戻ってきた。

 彼女の手によって。あの草の海を越え、風を抜け、少し濡れて、ほんの少しだけ、柔らかくなって。

 歩を進めながら、微かな音が聞こえた。風に揺れる葉の音。どこかの家の風鈴。水が落ちる音。そして――足音。

 

 

 「――お姉ちゃーん!」

 

 振り返ると、遠くからアルトリアが駆けてきていた。帽子を押さえ、靴は脱げかけ、左右の足が交互に土を蹴っている。

 

 

 「靴下! 回収した!? もしかして二度と戻らない世界に行っちゃった!? あの靴下、なんか飛び方が異常だったから! 絶対、妖精とか混ざってるタイプだと思ったんだよね!」

 

 

 トネリコは、無言で手を掲げた。包んでいた靴下を、そっと、見せるように。

 

 

 

 「うわっ……ほんとに捕まえてた……」

 

 

 駆け寄ってきたアルトリアが、肩で息をしながらそれを見つめる。

 そして、つぶやくように、笑った。

 

 

 「……お姉ちゃん、ほんとに追いかけたんだ……」

 

 

 「ええ。逃げたので……」

 

 ふたりはしばらく無言だった。

 畦道の真ん中。風が抜けていく。音も色も、すべてが遠のいたような、やけに広く感じる時間の中で。

 

 

 そして、再び歩き出す。

 

 靴下は乾かさなければならない。洗い直すか、拭いて干すか。天候次第だろう。風があるのは助かるが、また逃げられては意味がない。

 

 トネリコは手の中の靴下を見つめる。

 アルトリアはその横で、靴下ではなく彼女の横顔をちらちらと気にしていた。

 

 

 「あのさ……それ、まだ使えるかな?」

 

 「……はい。ほつれてはいません」

 

 

 「そっか……じゃあ、また履こうかな。あ、でも今度は脱がないようにするから!」

 

 

 「本当ですか?」

 

  「いや、それは……うーん……が、がんばる……!」

 

 

 ぎこちなく笑ったアルトリアの声に、トネリコの口元がゆるんだ。けれど何も言わずに、また歩を進める。

 

 畑が近づき、洗濯竿が遠くに見える。干しかけのタオルが、少し寂しそうに風に揺れていた。

 

 

 靴下は、まだ手の中。

 

 

 そして――

 

 

 そのときだった。

 

 

 風が、また吹いた。

 

 

 ふわり。

 

 

 トネリコの手の中で、靴下が微かに浮いた。

 握りしめるまでもない、けれど、あのときと同じ風。

 

 

 「……あっ」

 

 

 アルトリアが思わず声を上げる。

 

 

 トネリコは、少しだけ、手に力を込めた。

 

 風が吹いたのは、一度きりではなかった。

 あのときの、手のひらをなでていった感触は、気まぐれではなく――確信犯。

 

 

 

 トネリコの手の中で、グレーの靴下がかすかに跳ねた。

 

 

 

 「……ちょっと待って、ちょっと待って! まさかまた!?」

 

 

 

 アルトリアの声が急速に上ずる。表情はまるで、今にも家計簿が炎上する主婦のように絶望的だ。

 

 

 

 「お姉ちゃん! 今度逃がしたら靴下界に名が轟くって! 『風を駆ける片割れ』とか呼ばれるよ! 下手したら絵本になるよ!」

 

 

 

 トネリコは、手の中の靴下をじっと見つめていた。

 

 逃げようとしている、というのは比喩ではなかった。

 重さが変わる。質感が変わる。わずかに浮いている。つまりこれは、すでに“靴下ではない”。

 

 

 

 「……これは、たぶん、意志のある布です」

 

 

 

 「やだ、なんか言葉の選び方がホラー!」

 

 

 

 ふたりは同時に、靴下を見た。

 グレーのそれは、無言で――しかし、明確に主張していた。

 

 「私はまだ、干される気分じゃない」と。

 

 

 

 「どうします? ……このまま、自然に任せるという選択も――」

 

 

 

 「ダメ! 全力で止めて! 自然任せはフラグだからっ!」

 

 

 

 トネリコは、改めて姿勢を整えた。

 

 風向きを読み、靴下の逃げ角度を計算する。手のひらで押さえる力を強めすぎれば、湿気で形が崩れる。それは避けたい。だが、緩ければ、逃げる。

 

 

 

 「ここまでくると、もう家族だよね、この靴下……」

 

 

 

 アルトリアがぽつりと呟く。

 

 彼女の表情には、半分の諦めと半分の親近感が混ざっていた。

 まるで、反抗期が過ぎたと思っていた弟がまたゲーム機を隠し始めたような、そんな距離感。

 

 「……ともに帰りましょう」

 

 

 トネリコがそう宣言したとき、まるで靴下が“ふん”と鼻で笑ったような気がした。

 

 次の瞬間――

 

 ぶわっ。

 

 

 風。横から、斜めに、まるで待ち構えていたかのように。

 

 靴下が宙を滑る。

 

 だが今度は違う。トネリコはすでに動いていた。

 左手を下から支え、右手で挟み込むように――

 

 

 ぱしっ。

 

 見事な二点ガード。

 逃げ場なし。反抗不可能。決着。

 

 

 「……捕まえました」

 

 

 「うおぉぉぉぉおっ! ナイス反応! 職人の手技!!」

 

 トネリコは、改めて手のひらをぎゅっと閉じる。

 

 今度ばかりは、ほんの少しだけ……ほんの少しだけ、握力を使っていた。

 靴下は、しおらしく、今度こそ無言だった。

 

 

 

 「……やはり洗い直しですね。もう少し、落ち着いていただいてから干しましょう」

 

 

 

 「“落ち着いてから干す”って初めて聞いた……。靴下に情緒がある世界……」

 

 

 

 ふたりは再び、歩き出す。

 

 靴下は掌の中にある。温度も、重さも、そこにある。

 しかしトネリコの指は、まだわずかに力を込めたままだった。

 

 

 風は、まだ吹いていた。

 だが、それはもう逃げるための風ではなかった。――と、信じたい。

 

それでも、まだ、油断は――できない。

 

再度の脱走未遂を制し、トネリコは靴下をしっかりと掌に収めた。

 今度こそ――今度こそ干す。それが今日の、静かなる目標となった。

 

 

 

 歩みは慎重だった。

 足元の草の揺れ。風の方向。空の色。すべてを観察しながら、彼女は再び縁側へと戻っていく。

 

 

 

 「お姉ちゃん、その……」

 

 

 

 後ろから追いかけてくるアルトリアの声は、微妙にくぐもっていた。

 

 

 

 「その……今の靴下、ちょっと……怒ってない? なんか、手の中で“ムンッ”てしてる感じするんだけど」

 

 

 

 「はい、圧力が……少しあります」

 

 

 

 そう、靴下はまだ反省していない。

 むしろ、今この瞬間も、「第二の脱出ルート」を思案している可能性がある。

 手触りが……柔らかくない。繊維のくせに、気が立っている。

 

 

 

 「……干すとき、どうする? 普通に挟んだらまた逃げるよ、たぶん」

 

 

 

 アルトリアが、真顔で言った。

 

 

 

 いつもなら笑うところだった。だが今、この状況においては、冗談では済まされない。

 

 

 

 トネリコは物干し竿の前に立ち、しばし黙考した。

 問題は、どの洗濯バサミを使うか、である。

 

 

 

 選択肢は三つ。

 

1. かわいいピンクのバサミ(若干、バネが弱い)

 

 

2. 無骨な黒い業務用バサミ(強力すぎて繊維がもげる可能性)

 

 

3. 最近買った“にぎりやすい・でも外れやすい”新顔

 

 

 

 

 

 「……どうすべきか、悩みますね……」

 

 

 

 その小さな声に、隣のアルトリアが頷く。

 

 

 

 「靴下とバサミの相性問題……まさか人生で考えるとは思わなかった……」

 

 

 

 数秒の沈黙。風が横切り、タオルがふわりと舞った。

 

 

 

 トネリコは、黒い業務用バサミを手に取った。

 

 

 

 「……勝負に出ます」

 

 

 

 「か、覚悟決まった……!」

 

 

 

 戦いの火蓋は、切って落とされた。

 

 

 

 まず、右手でバサミを構え、左手の靴下をそっと持ち上げる。が、ここで一つ誤算があった。

 

 

 

 靴下が、反発する。

 

 

 

 ふにっ、としたはずの布が、ぐにゅ、と膨らみ、ぐっと逆らうように捻れたのだ。

 

 

 

 「お姉ちゃん!? 靴下が、抵抗してる……!? ちょっと生命感ありすぎない⁉」

 

 

 

 「……まさか、筋を通そうとする布だったとは……」

 

 

 

 トネリコの眉がぴくりと動く。

 

 もはや干す行為は、ただの生活ではない。これは、思想の衝突である。

 “洗濯後は干す”という常識 vs “自由とは何か”を問う靴下の反乱。

 

 

 

 ゆっくりと、ピンチを開く。

 ゆっくりと、布を滑り込ませる。

 

 

 

 そして――

 

 

 

 カチッ。

 

 

 

 挟んだ。

 

 

 

 その瞬間、靴下がぐるんっと捻れた。

 まるで「負けてたまるかあああ!」と言わんばかりに。

 だが逃げられない。強力バネの黒バサミは、まさに“繊維の門番”。

 

 「……勝ちました」

 

 

 「うぉおおおおっ、靴下……沈黙……!」

 

 しばらく二人は、干された靴下を無言で見つめていた。

 風に揺れるグレーの布きれ。その姿は、どこか哀愁を帯びているようにも見えた。

 

 けれど、まだ終わらない。

 戦いは、まだ“左足”が残っている。

バサミが「カチッ」と鳴ったとき、そこには一瞬の静寂があった。

 

 風も止み、タオルも揺れず、世界はまるで「これで終わった」と思い込んだような顔をしていた。

 だがそれは――第一章に過ぎなかった。

 

 

 

 「……もう片方が、残っていますね」

 

 

 

 トネリコの声には、さすがに疲労がにじんでいた。

 いつも通りの丁寧語で語ってはいるが、目は完全に“戦場モード”。

 ほんの少しだけ、まつ毛がぴくついていた。

 

 

 

 「ねえ、お姉ちゃん。こっちはさすがに大人しくしてくれる……よね?」

 

 

 

 アルトリアが、おずおずと“もう片方の靴下”を掲げる。

 外見は同じ。色も形もくたびれ具合も、見事に一致。だが――

 

 

 

 「……油断はできません」

 

 

 

 キッパリと言い切った。

 その声には、かつて魔術師として名を馳せた者の面影がかすかに残っていた(※干物の国ではよくあることです)。

 

 

 

 アルトリアがそっと差し出す。

 トネリコが慎重に受け取る。

 その瞬間――

 

 

 

 ぽすっ。

 

 

 

 「……あ」

 

 

 

 グレーの靴下(左)、彼女の手のひらで寝た。

 くたっと、しなっと、何の気力も感じられない。

 

 

 「おとなしい……! まさか……?」

 

 

 「……これは……眠っている、という状態かもしれません……」

 

 

 トネリコはじっと靴下を見つめた。

 そしてそっと頬に当ててみる。

 

  「……温かいです。たぶん、彼女は……信頼していますね、こちらを」

 

 

「やばい! 靴下と信頼関係が成立してる!」

 

 

 しかしその“おとなしい様子”は、ある意味で、より扱いが難しい。

 なにせこちらはまだ心の準備ができていない。

 さっきまでの激しい攻防戦で、トネリコの精神はもうギリギリである。

 

 

 「……さきほどの個体と違い、あまりにも従順すぎて……逆に、怖いです」

 

 珍しく、言葉のテンポが乱れた。

 トネリコは、目の端でアルトリアに助けを求めた。が――

 

 「やさしく、包んであげて……干して……ね?」

 

 

 

アルトリアは、なぜか涙ぐんでいた。

 どうやら“左靴下のけなげさ”が、彼女のツボを直撃したらしい。

 

 

 「まかせてください……私、必ずこの子を……空へ導きます」

 

 

 宣言するトネリコ。

 だが表情は完全にテンパっていた。指が震えている。

 過剰な責任感により、干すだけなのに“儀式”っぽくなってしまっている。

 

 そっと、物干し竿の前に立つ。

 

 

 風の流れを読む。布のしなりを予測する。

 この個体には、強いバサミは使えない。

 優しく、けれど離さず――絶妙な調整が求められる。

 

 

 

 「いきます……いきますよ……いま……っ!」

 

 

 カチッ。

 

 成功――と思った。

 

 次の瞬間。

 

 「っ!?」

 

 

 風が吹いた。

 

 

 しかも、さっきより優しい風。

 おだやかで、撫でるような、それゆえに――危険な風。

 

 

 靴下(左)、ひらりと“脱けた”。

 

 「ぁあああああぁあぁ!?」

 

 珍しく、トネリコの声が裏返った。

 普段なら「……外れましたね」と微笑むところ、

 今回は明確に叫んだ。声に出した。

 

 「あの……いま……すごく柔らかく……滑って……!」

 

 

 靴下はゆらゆらと空中を漂い、

 物干し竿の上を、羽ばたく鳥のように――座った。

 

 そう、“落ちた”のではない。“座った”のだ。

 それも、ふてぶてしい姿勢で。

 

 

 「……やっぱり、こっちも性格あるよこれ……」

 

 

 「……やさしさが、あだに……」

 

 トネリコの目が遠くなった。

 手のひらが、しょんぼりと下がる。

 

 アルトリアは、肩をぽんと叩いた。

 

 靴下は――動かなかった。

 物干し竿の上で、無言のまま、不自然にバランスをとっている。

 

 右足用の方は、すでに干されている。ピンチで固定され、風にも逆らわず、ただなされるがままにゆらゆらと揺れていた。

 だが左のほう。彼は今、竿の上に「座って」いた。

 

 

 

 ピンチに挟まれてもいない。落ちもせず、滑りもせず――

 ただ、自分の重さだけで、まるで「思案している」ような沈黙を保っていた。

 

 

 

 トネリコは固まっていた。

 手は宙に浮いたまま。目線は靴下に釘付け。口はわずかに開いていた。

 

 

 

 「……こういうの……予定に、なかったんですが……」

 

 

 

 かすかに漏れる、弱々しい声。

 

 

 横で見ていたアルトリアが、そっと言う。

 

 

 「お姉ちゃん、なんか……顔が“敗北”って書いてあるよ……?」

 

 

 「……たしかに、負けた感じがします……」

 

 

 トネリコは視線を落とす。

 自分の手のひら。まだ温かさが残っていた。

 あれほど慎重に扱い、ちぎれそうな神経を張り詰めて干そうとしたのに。

 ふにゃりと抜けて、何事もなかったように自分で居場所を見つけた、それが現実だった。

 

 

 「なんでしょう……私、靴下に“出し抜かれた”ような……そんな気がして……」

 

 

 「うん、それたぶん気のせいじゃない」

 

 アルトリアが目を細めて、靴下を見上げる。

 

 竿の上、グレーのそれは相変わらず、重心だけで絶妙な姿勢を維持していた。

 まるで「今はまだその時ではない」と言っているかのように。

 

 

 「でも、もう挟むしかないよね。今こそ、チャンスじゃない? 今なら……!」

 

 

 「……わかってます。次で、決めます……」

 

 

 トネリコの目に、ほんのわずかに気合が戻った。

 

 両手で、ピンチを構える。

 目標を――動かず、逃げもせず、ただ座っている靴下にロックオン。

 狙うのは、つま先部分。

 布の折れ目を逃さず、最短距離で“挟む”。

 

 

 「よし……よし……」

 

 

 呟きながら、じわじわと接近していく。

 ただの洗濯なのに、なぜこんなにも息が詰まるのか。胸が痛い。手汗が出る。心拍数が軽く上がっている。

 

 

 「……ああもう、なにこれ、わたし……私、何をしてるんでしょう……」

 

 

 口元が笑っていた。呆れにも似た、乾いた笑み。

 

 「靴下を……干そうとしてるだけ、なのに……なんで、こんなに……」

 

 

 そして、ふと――

 

 トネリコの手が、わずかに震えた。小さな、ほんのわずかなブレ。 そのときだった。

 

 

 ぽと。

 

 

 靴下が、落ちた。

 

 

 ただ、それだけだった。

 風もなかった。誰も触れていなかった。

 ピンチが届く、ほんの直前。滑らかに、無音で、まるで……やめたように。

 落ちた先は、干してあった別のシャツの上。

 やわらかい布の上で、くるりと転がるようにして、止まった。

 

 トネリコは、しばらくその場から動けなかった。 

 

 「……また、戻りました……最初から、やり直しですね……」

 

 アルトリアは、何も言わなかった。

 ただ、うっすらと笑っていた。

 そして、その笑みはなぜか、ものすごく切なかった。

 

 靴下は、そこにいた。

 黙って。動かず。ただ、待っていた。 

 

 トネリコは深く、深く息を吸った。

 

 シャツの上に落ちた靴下を前に、トネリコはしばらく沈黙していた。

 そして、小さく――

 

 「……これ……私、嫌われてますね?」

 

 なぜかちょっとショックを受けたような声音だった。

 

 「いやいやいや、お姉ちゃん!? 靴下に人間関係みたいな感情ぶっこまないで⁉」

 

 アルトリアがすかさず突っ込む。が、トネリコの表情は真剣そのもの。

 

 「だって……私が挟もうとするたびに……ふわって……。まるで“近づかないでください”って……」

 

 「うん、そこまでくるとフラれた顔だよ、お姉ちゃん……!」

 

 トネリコはしゅん、と目を伏せた。

 そんな彼女を見て、アルトリアは少しだけ罪悪感を覚える。 

 

 「でも……こういう日もあると思います。靴下が干される気分じゃなかっただけで……」

 

 

 「そんな日がある……!? 靴下側の都合⁉」

 

 

 「……はい。きっと今日は、地べたで過ごしたい日だったんです。私も……わかる気がします」

 

 「だめだ! 同調しはじめたぁぁ!」

 

 

 ――その後。

 

 アルトリアが丁寧にシャツから拾い上げ、

 「何も見なかった」という顔をしたトネリコが、ピンチにそっと挟んだ。

今度は、逃げなかった。

 

 

 「……干せました……」

 

 「やったああああああああ!!」

 

 縁側に座り込んだ姉妹は、風に揺れる二足のグレーを眺めていた。

 

 

 「……ねえお姉ちゃん。なんでこんなに……疲れてるんだろ、私たち……?」

 

 

 「たぶん……干したのが“ただの靴下”じゃなかったから……ですかね……」

 

 「ううん。どこまでも普通の靴下だったと思うよ。……ただ、干す私たちが普通じゃなかったのかも」

 

 

 ふたりとも、少しだけ笑った。

 風がまた吹いて、干された靴下が軽く舞った。

 

 

 

 今度は、もうどこへも行かない気がした――

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。