トネリコとアルトリアの田舎日和   作:イモ

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アルトリアの読書感想文を

ある午後。

縁側には、ひぐらしの「カナカナ〜……」という哀愁たっぷりのBGMと、もったり重たい空気がまとわりついていた。

 

その中で、アルトリアはまるで溶けかけのアイスバーみたいに、畳の上にでろーんと伸びていた。

麦茶を手に取る気力すらどこかへ旅立ったのか、ほっぺが畳にぴったり密着している。もう離れたくないらしい。

 

「……お姉ちゃ〜ん……読書感想文って、どうやって書くのぉ〜……?」

 

泣きの入った声で助けを乞う妹に、トネリコは心の中で二秒半だけ天を仰ぎ、ため息を一つ。

そして、手元のコースターに冷えたアイスティーのグラスを“カチャッ”と置いた。音に宿る、覚悟の意思。

 

「まずは、本を読んでください」

 

冷静かつ優しい、けれど“慈悲はない”タイプの声が放たれる。

 

「えぇぇぇ〜……やっぱりそこからぁ!?」

 

アルトリアは顔だけ器用にぐりんとこちらに向け、うるうるした目を最大限活用。

だが、トネリコの表情はガッチリとノーダメージ。視線だけで「当然ですけど何か?」と語っている。

 

「はい。読んでいない本の感想を書くのは、不可能ですから」

 

アルトリアは諦めきれないらしく、畳の上でごろんと寝返りを打ち、天井に向かってぼやきはじめる。

 

「でもさ、この本さ〜……タイトルがもう“しんどい”感じだもん。『走れメロス』って、走るのは基本嫌いなんだけど?」

 

「読むのと走るのは別です。タイトルにビビらないようにしてください」

 

ブレない姉の鉄壁コメントに、アルトリアは床をぱたぱた叩いて無言の抗議。反応が完全に小学3年生である。

 

「うぅ……お姉ちゃん……助けてぇ……」

 

小動物系ウルウルアイで懇願を試みるも、トネリコの反応はやっぱりブレない。首を、静か〜に、しかし断固として横に振る。

 

「これは、あなたの宿題です。あなた自身の手で取り組まなければ、意味がありません」

 

「鬼っ……! 姉という名の鬼っ……!」

 

アルトリアは泣きまねのような声で絶叫(演技力低め)。

だが、その叫びの裏に――どこかホッとした色が浮かんでいたのを、トネリコは見逃さなかった。

 

すぐそばには、そっと置かれた『走れメロス』。

カバーはすでに外され、開きやすいようにページの端がほんのり折られている。

“自分で読むんですよ”という顔をしつつ、“でも、読みやすくはしておきました”という姉心のデフォルト搭載版である。

 

アルトリアはそれに気づき、ふにゃっと笑った。

 

――やっぱ、うちのお姉ちゃんって、優しいなぁ。

 

静かな午後の空気の中に、カリカリ……と鉛筆の音が響きはじめる。

アルトリアは、ちょっぴり引きつり顔ながらも、なんとか原稿用紙に向かっていた。

 

机の上には本、辞書、麦茶のコップ、小さな扇風機。

ときどき原稿用紙がペラッとめくれるたびに、夏休みのラストスパート感がじわじわと近づいていた――。

 

「……“信じてくれてありがとう”って言われたら……あたし、もう即泣くよね〜……」

 

口の中でぶつぶつ言いながら、アルトリアは鉛筆を動かしていく。

普段なら3行目で白旗を上げるはずのこの時間も、今日はなぜか落ち着いていて、逃げ腰モードが発動しない。

 

――だって、お姉ちゃんが、すぐそこにいるから。

 

キッチンからは、トントントンという包丁の音と、ときどき水が「ぴしゃっ」と跳ねる音。

どこにでもある生活音なのに、不思議と背中を支えてくれるような気がする。

 

「……“信頼って、すごいことなんだなって思いました”。……よーし、名言出た!」

 

頭をポリポリとかきながら、アルトリアは一文を書き上げた。

自分でもびっくりなほどマジメな一文。普段なら「ちょっとキャラ違うかも…」と自分ツッコミを入れるところだが、今日はこのままでいい気がした。

 

「お姉ちゃーん! 今ね、ちょっとイイ感じのやつ書けたー!」

 

リビングに向かって叫ぶと、すぐにトネリコの落ち着いた声が返ってきた。

 

「それは良かったです。私も炒め物、今ちょうど仕上がりましたので焦がしてません」

 

「おおっ、ナイス〜! お互い順調だね!」

 

気分がのってきたアルトリアは、椅子にぴしっと姿勢を正し、鉛筆を再び握りしめた。

窓の外には、茜色の空がじわじわと広がっている。

 

そんなふうにして迎えた、夏休み最後の追い込み。

それもまた、ふたりにとって「ちゃんといい思い出」に変わっていく。

 

***

 

一時間後。

 

キッチンの片づけを終えたトネリコがリビングに戻ると――

そこには、真剣な表情で原稿用紙とにらめっこしている妹の姿があった。

 

背中はちょっと猫背。おでこには汗がにじみ、鉛筆の音がコツコツ響いている。

五分で「やーめたー」とゴロンしてたあの子が、今は夢中でなにかを書いている。

 

「……“わたしは、メロスのように友達を信じられる人間でありたいと思いました”……」

 

ぽつりとつぶやくその声には、ちょっとカタいけどまっすぐな気持ちがにじんでいた。

 

たどたどしくも心にくるその一文に、トネリコはそっと笑みを浮かべた。

そして静かに歩み寄り、そっと妹の背中に手を添える。

 

「……よく頑張りましたね」

 

それは言葉以上の“よくできました”の気持ち。

アルトリアはちょっとだけくすぐったそうに肩をすくめながら――それでも満足そうに、最後のマスをていねいに埋めていった。

夕食は、トネリコ特製のチキンカレー。

スパイスの効いた香りが部屋中をジャックし、湯気の向こうではふたりの影が、いい感じにほわほわ揺れていた。

 

おかわりまでして頬をぽわんと染めるほど満腹になったアルトリアは、スプーンを握ったまま天井を見上げて放心中。

これはもう“カレーに負けた顔”である。

 

「お姉ちゃん、あたし……今日、けっこう頑張った気がする~」

 

そのゆるい報告に、トネリコは真顔でこくんと頷いた。

 

「ええ。見違えるほどでしたよ。特に“昼寝を我慢したところ”が」

 

「……うへへ。そこも込みで褒められた~」

 

満足げに笑ったその顔は、まるで“ちょっとした人生の勝者”。

そのまま畳の上にごろりと寝転がって、余韻タイム突入。

 

「来年も感想文あるのかなぁ……」

 

「あるでしょうね。わりと確実に」

 

「……お姉ちゃん、来年も再来年も、永遠に教えてくれる?」

 

突如始まる“情に訴える作戦”。

トネリコは思わず目をぱちくり――だが、すぐにやわらかな微笑みに戻って、落ち着いた声で答えた。

 

「ええ。あなたが望む限り、永遠にサポートいたします。ご契約ありがとうございます」

 

「うんっ……お姉ちゃん、だいすき!」

 

勢いよく手近な座布団にダイブして抱きしめるアルトリア。たぶん座布団がちょっと潰れた。

――夏の終わり、小さな達成と変わらぬ愛情が、畳の上にほんのり積み重なっていく。

 

***

 

その夜。

ふたりは並んで布団に入り、天井のうすぼんやりした暗がりをぼーっと見つめていた。

灯りは落とされ、外からは網戸越しに風がひゅるり。風鈴の音も今日はおやすみモード。

虫の声だけが「お疲れさま〜」とささやいてくれる。

 

「お姉ちゃん」

 

布団の中から、ちょこんと声。

トネリコが横を向くと、アルトリアが半分だけ布団をめくり、まるで夜行性の小動物のような目でこちらを見ていた。

 

「はい」

 

声はやさしい。が、トネリコの中には「なにかくるな……」という予感があった。

その予感は、当たった。

 

「メロスってさ、すごくかっこよかったけど……でも、あたし的には、お姉ちゃんの方がかっこいいと思う」

 

……こっちが爆弾だった。

 

トネリコはしばし言葉を失う。冗談かと思ったけれど、あの目は本気だ。まっすぐだ。無敵の妹目線だ。

 

「……それは、買いかぶりすぎです。私は“メロス”ではなく、“雑用担当”ですので」

 

照れ隠しの軽口。でも、声がほんのりふわふわしていた。

 

「そう? でもね、ちゃんとご飯作れて、家のこと全部できて、叱るときはビシッとして、でもいつも見てくれてる……そういうの、あたし的には“最強”に見えるんだよね〜」

 

普段は気づかれないようなことまで、ちゃんと見てくれていた。

それがトネリコの心にじんわり染みる。

 

「……アルトリア」

 

呼ぶ声に、いつもより少し多めの温度がこもる。

 

「えへへ。お姉ちゃんは、お姉ちゃんだからねぇ〜」

 

アルトリアは安心しきった顔で、くぅ、と小さな寝息を立てて眠りについた。

 

トネリコはそっとその布団の端を直してあげながら、ふと窓の外に視線を向ける。

カーテンの隙間から射す月明かりが、夜の風に揺れる蚊帳をやさしく照らしていた。

その夜――。

網戸越しに入ってくる夜風が、昼間の名残の熱気をのんびりとさらっていく。

縁側のちゃぶ台には、食後のデザートとしてスイカの切れ端がズラリ。

種が「ぴっ」「ぽんっ」と飛ぶ音が、涼しげに響いていた。

 

「見て見てー、お姉ちゃん! 種飛ばし、三メートル記録ぅ〜! アルトリア・ザ・カタパルト!」

 

「……食後にそんな遊び方をするのは、あまり感心できませんが……ふふ、見事な飛距離でした」

 

トネリコは苦笑しながらも、ちょっと目元が甘くなっていた。

怒るには可愛すぎる飛距離である。

 

「そういえばアルトリア、感想文はどうしてあの言葉で締めたんですか?」

 

「ん〜? “信じられる人になりたい”のとこ?」

 

「ええ。そこです」

 

アルトリアは、スイカの果肉をもぐもぐ頬張りながら、目を細めて“ん〜しあわせ〜”モードに突入。

種を指でつまみながら、ふぅっと小さく息を吐き、ぽつりとつぶやいた。

 

「だってさ、メロスが“信じてくれて嬉しかった”って言ったとき、なんか、胸のとこドキーンってしてさ。……あ、物理じゃなくて、気持ち的に」

 

それは妙に真っすぐで、妙に等身大の言葉だった。

ふざけているようで、ちゃんと伝わってくる。

 

「うまく言えないけど……信じてもらえるって、すっごく嬉しいことだと思うんだよね。だから、あたしも“信じられる人”になれたらいいなって」

 

トネリコは黙って、スイカの皮に集まった種をひとまとめにしながら、妹の横顔を見守っていた。

空はすっかり藍色。虫の声が「夜のはじまりです」と、静かにBGMを担当している。

 

「……とても素敵な締めくくりでした。あなたが、そう感じられたことが、いちばんの宝物です」

 

「えへへ〜、ありがと〜。先生にも褒められちゃうかな?」

 

「ええ。きっと“よくできました”のハンコがもらえますよ。なにより……それは、あなたの言葉でしたから」

 

その一言に、アルトリアは照れくさそうに頬をぽりぽり。

 

「お姉ちゃんの言うこと、ちゃんと聞いといてよかった〜……なんか、自分のこと、ちょっとだけ好きになれた気がするんだ〜」

 

「……それは、本当に嬉しいことですね」

 

トネリコは笑いながら、手のスイカ汁を拭いた。

その一言が、不思議とじんわり胸に染み込んできた。まるで、麦茶みたいにやさしく。

 

夜風がふたりの肩をそっとなでていく。

虫の声が続く中、次の一言がぽつんと落ちた。

 

「明日、なにしよっか?」

 

「うーん……昼寝?」

 

「……それは“予定:なし”の裏返しですね」

 

「ふふふっ、じゃあさ、散歩行こっか? ほら、あの川べりのとこ! 涼しくて、気持ちよかったじゃん」

 

「ええ、それは良いですね。……では、午前中のまだ理性が残っているうちに」

 

そんなふうに、ぽつぽつ続く会話が、夏の夜にちいさな花を咲かせていく。

アルトリアは最後のスイカをパクッと食べて、ふぅ〜と満足げなため息。

 

「ねえ、お姉ちゃん」

 

「はい?」

 

「またさ、感想文とか作文とか、苦手なやつが出てきたら……そのときも、また助けてくれる?」

 

トネリコはちょっと驚いたように目を開き――

でもすぐに、いつもの落ち着いた笑顔に戻って、コクリと頷いた。

 

「もちろんです。あなたが“ギブ”と言う限り、私はレスキュー隊長ですから」

 

「へへっ……じゃあ、あたし、ちゃんとがんばる!」

 

そう言って、アルトリアは縁側にごろんと転がって、星空を見上げた。

目を細めながら、まるで自分も夜空の一部になったような顔で。

 

「今日も、たのしかったなぁ……」

 

「ええ。今日も、よい一日でしたね」

 

月明かりがふたりをやさしく照らしている。

やがて、眠気がそっと降りてきて、ふたりは布団へ。

灯りが落ちると、静かな虫の声と、遠くで揺れる風鈴の音が、夜をゆっくりと包んでいった。

数日後の午後。

空にはほんのり秋の気配。ひぐらしの声も「もう帰るね〜」と言いたげに鳴いている。

 

「お姉ちゃーん、図書館に返す本、これで全部〜?」

 

「はい。貸出カードによると、最後の一冊はそれですね。……絵本ですが」

 

アルトリアが手に持つのは、子ども向けのふわふわした絵本。

夏休みの初日に「わ〜可愛い〜」とテンションMAXで借りて、見事にそのまま忘れていた一品である。

 

「これ、好きだったんだよね〜。絵がすっごいきれいで、読んでるだけで脳がふわっと浮かぶ感じっていうか」

 

「本にはそういう効能もあります。副作用として“涙腺緩む”場合もありますので用法用量にはご注意を」

 

「なんかまた読み返したくなってきちゃった〜」

 

そんな妹に、トネリコはふふっと笑いながら、手を伸ばしてアルトリアの髪をポンポン。

 

「では返す前に、もう一度読みましょう。縁側で、読書セラピーを」

 

「セラピーいただきます!」

 

その日の縁側は、夏の終わりにしては少し肌寒かった。

けれど膝にのせたミニ膝掛けと、隣の“ぬくもり姉ちゃん”がいるおかげで、ぬくぬく度は120%だった。

 

空気はすっきり澄んでいて、静けさにもほんのり“高級感”がある。

庭にはもうセミの影はなく、代わりにトンボが「どっこいしょ」と飛び回っている。

 

アルトリアが絵本をめくるたび、ページが紙っぽく音を立て、その音が縁側の空気にしゅるりと溶けていく。

 

「……そして、小さな鳥は“また会おうね”と言って、空の彼方へ飛んでいきました」

 

読み終えると、アルトリアは大きくふぅ〜と一息。

その息は“はぁ〜良き”と“ちょっと切ない”のブレンド風味だった。

 

「やっぱ、いい話だったなあ……」

 

その呟きは、小さくてもちゃんと心の奥に響く、アルトリアなりの感想だった。

 

「ええ。たいへん優良読後感です」

 

隣で聞いていたトネリコは、ふいに頬をなでた夜風に肩を寄せ合いながら、静かに返す。

 

「ねぇ、お姉ちゃん。あたしさ……宿題ってさ、やる前は“無理〜〜〜”って思ってたけど、終わってみると……ちょっと寂しいね」

 

ぽそっとこぼしたその言葉は、宿題への愛着じゃなくて、“自分の頑張り”への気づきだった。

 

「それは“宿題”が“修行”になった証です。成長すると、別れもちょっぴり切なくなりますから」

 

「……成長、したのかなぁ。わたし」

 

「ええ。あの感想文を読めば、誰だって『あの子、やるじゃない』と言うでしょう」

 

その声には、トネリコの本気の誇らしさと、“それを言う権利を持つ姉”の満足が込められていた。

アルトリアは膝の上の絵本をなでながら、照れまじりにくすっと笑った。

 

「ふふっ……ありがと、お姉ちゃん」

 

 

夕方。

 

返却用の絵本をカバンに入れたあと、アルトリアはふと机の上に置かれていたコピーを見つめた。

それは、自分が書いた感想文の控え。夏休みの宿題の、証拠品。

 

(……うん。がんばった、わたし)

 

その表情は、どこか誇らしげで――少しだけニヤニヤしていた。

 

「これ、残しておいていい?」

 

 「ええ。あなたの“初めての読書感想文”ですから」

 

 「そっか。じゃあ、来年のあたしに見せてあげることにする!」

 

 「来年のあなたが、驚くでしょうね。“私、こんなに頑張ってたの?”って」

 

 「ふふふ、きっと“やればできるじゃん!”って言うよ」

 

 姉妹は顔を見合わせ、声を揃えて笑った。

 その晩。食卓に並んだのは、秋野菜の炊き込みごはんと、きのこのお味噌汁。湯気の向こうに、どこかほっとする香りが広がる。

 夏のメニューよりも、少しだけ季節が進んだ気配があった。

 

 「ねえお姉ちゃん、夏休み終わったら……次はなにしよっか?」

 

 「次は……そうですね。お月見、でしょうか」

 

 「お月見?」

 

 「ええ。中秋の名月を眺めながら、お団子をいただく行事です」

 

 「お団子っ!? やるやる絶対やるーっ!」

 

 「……やはり、団子が目的でしたか」

 

 「えへへっ」

 

 笑い声と湯気の中、ふたりの食卓には、もうすぐやって来る秋の気配が静かに差し込んでいた。

 夜が更け、家の中はゆるやかな静寂に包まれていた。

 トネリコは窓辺に座り、そっとカーテンをわずかに開いて月を見上げる。淡く光る月は、まるで過ぎ去った季節を惜しむかのように空に浮かんでいた。その光が頬に触れるたび、胸の奥に、静かな感情が広がっていく。

 

 「……今年の夏は、少しだけ特別だったかもしれませんね」

 

 その声は、誰に向けられたものでもなかった。ただ、心からこぼれ落ちた言葉だった。喜びと少しの寂しさが、ひとつに溶け合っていた。

 この夏は、妹とともに過ごした日々の連なり――絵本の読み聞かせや、感想文の苦戦。ふたりで笑って、悩んで、少しずつ前に進んだ時間。

 それは、記憶の奥底にそっと積もっていく、小さな成長の記録だった。

 窓の外には、雲ひとつない夜空が広がり、風が涼しさを運んでくる。それでも日差しには、まだ夏の名残が感じられる。

 縁側の机には、月見団子のレシピ本、小さなボウル、白玉粉の袋が並べられていた。

 

 「よーしっ、お団子作るよー! 今年のお月見は、あたしが主役!」

 

 元気いっぱいに声を上げたのは、もちろんアルトリアだった。

 トネリコは台所で手を拭きながら、その姿にやや呆れたように眉を下げつつも、微笑ましさを隠しきれずに言葉を返す。

 

 「主役は、あくまで“月”ですが……まあ、気持ちはわかります」

 

 「だってさぁ、せっかく涼しくなってきたんだもん。秋って、なんかこう……始まりの季節って感じしない?」

 

 「春が“始まり”なら、秋は“実り”ですね。でも、その実りを楽しめるのは、夏をしっかり過ごしたからこそですよ」

 

 「……ふふ、じゃあ、夏の宿題を終わらせたごほうびってことで!」

 

 「それなら、お団子作りも気合が入りますね。まずは白玉粉をボウルに入れて、水を少しずつ加えていきましょう」

 

 「はい先生っ!」

 

 トネリコの優しい指導のもと、アルトリアは夢中で白玉団子を丸めていく。手のひらの中でくるくると転がされる生地は、時に不格好になりながらも、彼女の真剣な表情がすべてを物語っていた。

 大きさはまちまちで、完璧とは言いがたい。それでも、ひとつひとつが愛おしい形だった。

 ほどなくして、鍋の中で湯に浮かぶ団子たちが、白く柔らかく膨らんでいく。その様子を見守るアルトリアの目は、少しだけ誇らしげだった。

 氷水にくぐらせた団子を器に移し終えると、彼女はぱっと笑顔を弾けさせる。

 

 「……できたっ!」

 

 「見た目はともかく、味には期待しましょう」

 

 「もう、ひどいなぁお姉ちゃんは〜。……あ、でも、お月様見ながら食べるともっとおいしくなるんだよね?」

 

 「ええ。今日は中秋の名月です。そろそろ月も、昇ってきたころでしょう」

 

 言葉を交わすふたりの間に、やわらかな空気が流れていた。

 

 夜の縁側には、ふたり分の座布団と、竹籠に入った団子、湯呑みに注がれたほうじ茶が並んでいた。

 澄んだ空に浮かぶ、まあるい満月。

 虫の声が遠くから響き、静けさの中に優しい音色を添えている。

 

 「……わあ、きれい……」

 

 目を細めながら空を仰ぎ、アルトリアは団子をひとつ口に運ぶ。

 

 「うん、もちもちでおいしい! ちょっとだけ不格好だけど……それも、いいよね?」

 

 「はい。世界にひとつだけの味です」

 

 言葉少なに団子を味わいながら、ふたりは寄り添うように夜空を見上げていた。

 

 「……ねえ、お姉ちゃん。今日の月って、すごく優しい顔してる」

 

 「それは、あなたの心が穏やかだからです」

 

 「ふふ……そっか。たぶん、夏休みの最後にちゃんと頑張れたから、なんだと思う」

 

 「それなら、あの感想文はやはり“実り”だったのですね」

 

 「うん。来年のあたしにも、見せたいなって思えるくらいには、頑張った」

 

 風が、そっとふたりの髪を揺らす。

 団子の甘い香りと、夜の涼しさと、柔らかな月の明かりと。

 ふたりの間に流れる時間が、ふしぎなくらい優しく、あたたかかった。

 

 その夜――

 「お姉ちゃーん、今日は一緒に寝ていい?」

 

 「またですか? ……まあ、今日は特別ですから」

 

 「やったっ」

 

 布団に入ったアルトリアは、ちょこんとトネリコの隣に体を寄せる。

 

 「お姉ちゃんがいてくれて、よかったなあって。月、見ながら思った」

 

 「……私も、あなたがいてくれてよかったです」

 

 「えへへ……ありがと」

 

 優しい吐息が夜気に溶ける中、トネリコはそっと目を閉じる。

 (この穏やかな時間が、いつまでも続きますように)

 月が、静かに空からふたりを見守っていた。

 

 

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