トネリコとアルトリアの田舎日和   作:イモ

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トネリコさん、落とし物回収係になる

歩く。

 

 ひたすら、歩く。

 

 もはや“進む”というより“さまよう”に近い。いや、正確には“迷う”であった。

 そして最も重要な事実は、目的地が存在しないことである。

 

 

 

「……わたしは、どこに向かっているのでしょうか」

 

 

 

 問いかけてみたが、返事をする相手はいない。木も草もスズメも返事はくれなかった。

 かろうじて風鈴のように鳴いた木の葉の音が、「さあね」とでも言いたげである。

 

 

 

 トネリコは疲れた足を引きずりながら、しげしげと足元を見つめた。

 

 

 

「……苔……でしょうか。やけにふかふかして……」

 

 

 

 思いきって、そっと足を置いてみる。

 

 

 

 ぐにゅっ。

 

 

 

「…………っ!!?」

 

 

 

 次の瞬間、トネリコは四方を見渡し、誰かに見られていないか確認していた。

 

 

 

「……だ、だれもいませんね。よかった……。いまのは、ただの苔……のはず……」

 

 

 

 きっとそれは、ただのぬれた地面だった。ぬるんとした感触など、錯覚である。

 そう思わなければ、正気を保てない。

 

 

 

 それでも一歩進むたび、足音がぬめりを含んだ“ぷちょっ”に変わっているのが気になって仕方なかった。

 

 

 

「……帰ったら靴、捨てます」

 

 

 

 半ば宣言のようにつぶやきながらも、トネリコは歩みを止めない。

 いや、止められなかった。止まったら、泣いてしまいそうだったから。

 

 

 

 そして──

 

 

 

 また見覚えのある“ねじれた倒木”の前で、トネリコは静かに膝をついた。

 

 

 

「…………」

 

 

 

 もはや語るまい。

 

 

 

 草の上に、正座する。

 

 そのまま、そっと天を仰ぐ。

 

 

 

「神さま。いらっしゃいましたら、どうか今すぐ、ちょっとだけ手を貸していただけますか……」

 

 

 

 声は真剣だった。

 

 スコップは地面に突き刺したまま、風に小さく揺れていた。

 

 

 

 その姿は、どこか戦場に散った兵士の墓標のようで、ちょっとだけ泣きそうになった。

 

 

 

「……うう。アルトリア……いま、どこに……」

 

 

 

 その名を口にした瞬間、心が少しだけ柔らかくなった。

 

 

 

 笑いながら先を歩いていく姿、勝手に道を逸れていく背中、虫を見つけて大はしゃぎする声。

 ――どれもこれも、腹立たしいほど愛しい。

 

 

 

「……次に会ったときは、叱るより、ぎゅっとしてやりたいですね」

 

 

 

 その声は、少し震えていたけれど。

 

 

 

 やがて、静かに立ち上がる。

 

 もはや方向感覚はとうに迷子だが、足だけは動いていた。

 

 

 

 きっと、どこかでアルトリアも同じように――

 

 

 

 ――そのときだった。

 

 

 

 がさっ。

 

 

 

 草むらが揺れた。

 

 

 

「……っ!!?」

 

 

 

 トネリコの身体が固まる。

 

 

 

 息を止める。音を殺す。

 

 この緊張感、いまだけアクション映画である。

 

草の中を抜けた先、ふと、トネリコの足が止まる。

 

 

 

 そこには――小さなビニール傘が落ちていた。

 

 

 

「……え?」

 

 

 

 唐突すぎる存在。

 

 その色は、薄い水色。先端は少しだけ泥にまみれ、柄の部分は白く日焼けしている。

 柄のビニールは破けかけ、先っぽに名札の痕跡がうっすら残っていた。

 

 

 

「これは……誰かの、落とし物……?」

 

 

 

 少し戸惑いながらも、トネリコは傘を手に取る。

 

 使い古された感のある、子どもサイズの傘だった。

 

 

 

 もしかして、アルトリアが以前ここで……いや、それはない。これは、ずいぶん古い。

 

 

 

 だけど――なぜか、それが“少しだけ安心”をくれた。

 

 

 

「……人の気配、というやつでしょうか。少なくとも、ここに“誰か”は来たことがある……そういうことですね」

 

 

 

 根拠もないが、嬉しかった。

 風の音に、ひとりぼっちの自分が飲まれそうになっていたところだったから。

 

 

 

「……ありがとう、傘さん。お名前もわかりませんが、ちょっとだけ元気出ました」

 

 

 

 そんな風に、古傘に礼を言う自分が滑稽すぎて――思わず笑ってしまった。

 

 

 

 自嘲とかではなく、本当に少しだけ、楽になった。

 

 

 

「アルトリアが見たら、“あっ、お姉ちゃん、へんな棒拾ってきたー”って笑うんでしょうね……」

 

 

 

 きっと、笑われる。

 

 でも、いい。それでいい。あの子が笑ってくれるなら。

 

 

 

 トネリコは傘を小脇に抱え、また一歩、進む。

 

 

 

 ――と、そのとき。

 

 

 

 がりっ。

 

 

 

「……わっ……!」

 

 

 

 足元で、靴が“何か”を蹴った感触。

 

 見下ろすと、そこには、つぶれたペットボトル。

 

 

 

「……麦茶……?」

 

 

 

 ラベルには、見慣れたコンビニのロゴ。消費期限はギリギリ今日まで。

 

 

 

「誰かが、最近……」

 

 

 

 そう、確信した。

 

 この裏山には、自分だけじゃなかった。

 少なくとも、“ペットボトルを飲み干す人間”がいたのだ。

 

 

 

「アルトリア……あなた、これ落としましたか……?」

 

 

 

 拾い上げたボトルを抱えて、トネリコは遠くを見た。

 

 どこにも、妹の姿はない。

 

 

 

 けれど、少しだけ、“近づいた気”がした。

 

 

 

「……わたし、きっと、もう少しで見つけられますね」

 

 

 

 道はない。

 

 方角も分からない。

 

 けれど、足だけは確かに進む。理由はただひとつ――

 

 

 

「アルトリアが、そこにいる気がするから」

 

 

 

 それだけで、充分だった。

 

 

 

 スコップと、壊れた傘と、からの麦茶ボトルを抱えながら、

 まるでゴミ拾いの帰り道のような姿で、トネリコはまた歩き出した。

小脇に傘、手に麦茶ボトル。

 

 どう見ても落とし物回収係みたいな姿で、トネリコは山中を進んでいた。

 

 

 

 道はない。

 

 でも、心はまだ折れていない。

 それはきっと、“落ちてた麦茶”が思ったより冷たかったからだ。

 

 

 

「……常温を覚悟しておりましたが、ひんやりしておりました。ありがたいですね」

 

 

 

 ありがとう、コンビニ冷蔵技術。

 この一口に、文明の恩恵が詰まっていた。

 

 

 

 と、そのとき。

 

 

 

「……あれは……?」

 

 

 

 前方に、なにやら木の幹に紙が貼られている。

 

 

 

 近づくと、それは――手書きの貼り紙だった。

 

 

 

『この先、キケン! いきどまり! ひきかえせ!』

 

 

 

「……まさか、手書き……?」

 

 

 

 紙はビニール袋に包まれており、割りばしで留めてあった。

 文字はマジックで力強く殴り書き。

 

 

 

「どなたかの善意、でしょうか……あるいは、“そういう演出”でしょうか……」

 

 

 

 妙に怖い。

 

 だが、少し下に、子どもっぽい字で別のメモが。

 

 

 

『※うそです ほんとはこの先に“ぬし”います あそんでかえって』

 

 

 

「…………アルトリア」

 

 

 

 名指しされていなくても、わかる。

 

 これを書いたのは、十中八九、我が妹である。

 

 

 

「……わたしが、どれだけ真剣に迷っていると思っているんですか……」

 

 

 

 さすがに、こめかみが引きつった。

 

 

 

 しかし、それでも笑ってしまうのは――

 

 

 

 彼女が書いた「ぬし」の“し”が逆さまだったからだ。

 

 

 

「……ふふ。あなた、まだこの字、よく間違えるんですよね……」

 

 

 

 なんだか、ほっとした。

 

 “ぬし”などいなくてもいい。この紙があるだけで、彼女が“この道を通った”証になる。

 

 

 

「それにしても、“あそんでかえってね”とは……迷子の姉に対して何という……」

 

 

 

 ぶつぶつ言いながらも、トネリコの足取りは明るかった。

 

 

 

 その明るさが、一瞬にして吹き飛んだのは――次の瞬間。

 

 

 

 ズボッ。

 

 

 

 「わ……ああああっ!!?」

 

 

 

 右足が、地面に沈んだ。

 

 それは泥だった。いや、泥というにはあまりにも局所的で、しかも粘度が異常。

 

 

 

「……ぬ、ぬかるみ……!? いえ、もはや粘土質の罠……っ!」

 

 

 

 慌てて抜こうとするが、靴がぐいっと引っ張られる。

 

 左足で体を支えようとしたその瞬間――

 

 

 

 ズボッ。

 

 

 

 「両足ですか!?」

 

 

 

 結果、完璧なスタック。

 

 まるで地面が「逃がすか……」と囁いているようだった。

 

 

 

 トネリコは、ぐっと顔を伏せた。

 

 静かに、つぶやく。

 

 

 

「……アルトリア。わたしが、今どこで、どんな目に遭っているか……」

 

 

 

 スコップは、少し離れた地面に突き刺さっている。

 

 傘は地面に落ちて、泥まみれ。

 

 麦茶はすでに飲み干されていた。

 

 

 

「……わたし、絶対に笑い話にしてみせますからね……!」

 

 

 

決意の声がこだまする裏山。

しかし泥はそんな情熱など意に介さず、今日もねばついていた。

 

泥の底から抜けない足。

 

トネリコは、静かに自らの状況を整理した。

 

 

 

「……ええと。右足が、ふくらはぎまで……左足も……もう、かかとが見えませんね」

 

 

 

 しばし沈黙。

 

 その場に、風の音すら吹き込まないような、妙な静寂が訪れる。

 

 

 

 ――次の瞬間。

 

 

 

「…………帰りたい」

 

 

 

 小さな声で、切実な本音が漏れた。

 

 言ってはいけないと思っていた言葉だった。

 けれど、口にしてしまうと、思った以上に気持ちが軽くなるのが不思議だった。

 

 

 

 だが、立ち止まっていても状況は好転しない。

 せめて“前向きな泥遊び”であろうと決意したトネリコは、まず荷物の整理に取りかかる。

 

 

 

 傘 → 落とす。

 麦茶 → 飲み終わってる。

 スコップ → 遠い。

 スマホ → 圏外。

 靴 → 埋没。

 

 

 

「……役に立つもの、何ひとつ残っていませんね」

 

 

 

 思わず笑ってしまった。

 

 だが笑ったのは、その瞬間、脳裏にアルトリアの顔が浮かんだからだ。

 

 

 

「お姉ちゃん、まけないでー! とか、どこかで言っている気がします……」

 

 

 

 完全なる幻聴。

 

 でも、励ましとしては機能していた。

 

 

 

 トネリコは意を決して、片膝をぐっと引き、

 靴を諦めたまま、片足で泥からの脱出を試みる。

 

 

 

 ――ぐぐっ。

 

 

 

 ぬるり。

 

 

 

「……っ、出ました……っ!」

 

 

 

 左足が、ぐっしょりした音と共に抜けた。

 

 ただし、靴は、もはや“地球に献上”された。

 

 

 

 無念の片足靴下姿で、次に右足も抜く。

 

 

 

「……よし、今度は、転ばずに――」

 

 

 

 ズベシャ。

 

 

 

 転んだ。

 

 

 

 泥の地面に、やや仰向けに倒れ込み、空を仰ぐトネリコ。

 

 木漏れ日が、あまりにも牧歌的で――逆に腹が立ってきた。

 

 

 

「……アルトリア、あなたが秘密基地などと言い出さなければ、わたしは今ごろ、洗濯物を取り込み、冷えた麦茶を飲んでいたはずなのですが……」

 

 

 

 とはいえ、彼女を責める気は不思議と湧かない。

 

 むしろ、ここまで来ても「この妹を一人にしたくない」と思えている自分に、少し驚いていた。

 

 

 

「本当に、わたし……姉ですね……」

 

 

 

 泥の上に座り込んだまま、トネリコは靴を拾いに戻ることにした。

 

 裸足で。

 

 もちろん、泥は指の間に容赦なく入り込んだ。

 

 

 

「……ええい、潔く“自然と一体化している”とでも思いましょう……!」

 

 

 

 その声に応じるように、茂みの奥から、なにかが“カサッ”と音を立てた。

 

 

 

「…………アルトリア?」

 

 

 

 もちろん返事はない。

 

 

 

 でも、かすかに風が運んできた匂いがあった。

 

 ――駄菓子のソースせんべいの匂い。

 

 

 

「……まさか」

 

 

 

 あの子、おやつを食べながら道草してる……?

 

 

 

 そんな予感が、現実になるかどうかは、まだわからない。

 

 

 

 ただトネリコは、その匂いに向かって歩き出す。

 

 右手に泥だらけの靴、左手は泥で滑るスカートの裾を押さえながら。

 

 

 

 いつか辿り着ける気がしたから――そう、“あの子のところへ”。

 

 香ばしいソースの香りを頼りに、トネリコは再び草むらをかき分けて進んでいた。

 

 もはや靴は手に持ち、靴下は……あえて言えば「泥の第二の皮膚」状態である。

 

 

 

「……これほど“文明から遠ざかる”経験を、身をもってするとは思いませんでした」

 

 

 

 しかし、目の前には“わずかに折れた枝”や“地面に残った小さな足跡”があった。

 

 

 

「アルトリア……足、ちょっと外向きになってますね。……昔から変わらない」

 

 

 

 そう、これは確かにあの子の足跡だ。

 右足がやや外に向いていて、靴底の減り方が非対称。

 

 

 

 そして、ついに――決定的な痕跡が現れた。

 

 

 

「……空き袋……っ」

 

 

 

 草の陰に、クシャっと潰れたソースせんべいの袋。

 

 

 

「“やきそば風味”……そんな新商品が……」

 

 

 

 悔しい。知らなかった自分が悔しい。

 

 トネリコは一瞬、情報収集能力の不足を悔いたが、すぐに我に返る。

 

 

 

「……いえ、今はそんなことではありません」

 

 

 

 彼女は再び進み始める。だがそのときだった。

 

 

 

 ――バサァッ!

 

 

 

 急に木の上から、なにか白くて四角いものが降ってきた。

 

 

 

「っわ……!?」

 

 

 

 反射的に手で受け止める。よく見れば、それはハンドタオル。

 

 

 

 角には、薄く刺繍された「TONERICO」の文字。

 

 

 

「……わたしのハンドタオル!? なぜ空から……」

 

 

 

 ふと見上げれば、そこには細い木の枝。

 どうやら、荷物の中身が道中でばらけ、風に煽られて枝にひっかかっていたようだ。

 

 

 

「……アルトリア、リュックの口を閉めていなかったのですね……?」

 

 

 

 半ば呆れ、半ばほっとする。

 持ち主の顔が浮かんで、思わず口元がゆるんだ。

 

 

 

 だが――そう思ったのも束の間。

 

 

 

「……あれは……?」

 

 

 

 タオルの落ちた先に、なにやら“赤い紐”がちらりと見えた。

 

 草をかきわけて確認すると、それはランドセルの肩紐のような質感と形状だった。

 

 

 

「……これは……非常用のバッグの紐?」

 

 

 

 ぐっと引っぱると、土の中から、ビニール袋に包まれた袋がぬるっと出てきた。

 

 

 

 中には、おやつ、タオル、ポケットティッシュ、絆創膏、そして――手書きのメモ。

 

 

 

> 『お姉ちゃんが迷子になったときのために!

 (かならずここを通ると思って!)

 アルトリアより♡』

 

 

 

 

 

「…………っ」

 

 

 

 トネリコは、その場にしゃがみ込んだ。

 

 笑いたいのか泣きたいのか、わからなくなる。

 

 

 

「……なんて、なんて……子供じみたことを……」

 

 

 

 でも、確かにあの子は、こういうところだけやたらと鋭い。

 そして、素直に優しいのだ。

 

 

 

 ぎゅっとビニール袋を胸に抱えた。

 

 それは、いま最も“あたたかい”ものだった。

 

 

 

「……もうすこし、頑張れそうですね」

 

 

 

 その直後――

 

 

 

 ゴロゴロ……

 

 

 

 空が鳴った。

 

 

 

「……えっ」

 

 

 

 雲行きが、まるで「そろそろ本気出すか」と言わんばかりに、怪しく色を変えていく。

 

 

 

 どこかでカラスが鳴いた。

 

 

 

 ソースせんべいの匂いは、もう風に流されて消えていた。

 

 

 

「……まだ、帰れませんね……」

 

 

 

 でもトネリコは立ち上がる。

 

 ビニール袋をしっかりと持ち、風の向きに注意しながら。

 

 

 

 ――その頬には、どこか微笑みがあった。

 

 

 

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