トネリコとアルトリアの田舎日和 作:イモ
ぬくもりの余韻に包まれながら、トネリコはようやくラップを取り出した。台所の引き出しの奥で見つけたそれは、なぜか箱が微妙に破れていて、端がちょっとだけヨレていた。
(……この時点で、すでに不穏です)
慎重に端を引き出し、左手で押さえながら右手でピッと引く。ピッ――
シュルルルッ。
「……あっ」
ラップが、引き出しの裏でくるんと自動巻き状態になった。
「……こ、これは……いわゆる、暴走個体」
ため息をひとつ。やり直し。
アルトリアの「お姉ちゃーん、明日の朝ごはんどうするー?」という声を聞き流しながら、今度こそラップを真っ直ぐ引き出し、ターゲットの器に被せる。
(ピタッと……ピタッと決まれば……!)
しかし。
ピタッ、といく前に、ラップは静電気で手に張り付き、器とは真逆の方向へ引っ張られていった。
「……あなた、私に貼りたいのではなく、私を包みたいのですね」
器との意志疎通に失敗し、再びやり直し。3回目の挑戦にして、ようやく四隅を押さえることに成功する。
「……できました。文明の勝利、です」
その頃には、台所の隅でアルトリアが炊飯器をポンポン叩きながら、
「明日のおにぎり、塩昆布か梅干しのどっちにするかで悩む悩む~」などと悩んでいた。
トネリコは漬けておいた手の水をそっと拭いながら、料理の手本をペラペラとめくった。
「はい、ここで『たまご焼きをひっくり返しましょう』…なるほど、」
試してみるのは、もちろん、単純なたまご焼きである。
フライパンの上でジュゥゥと響く音。黄色の裸体は、その身体をこの上なく潤らせていた。
「よし、ここで、えいっ」
ぱたんっ。
一旦は成功したと思われた。
「やりました。たまご焼きの発見者はわたしです……え、はがしてない?」
裸のたまごは底面にがっちりござわりつき、ヘラの形のままパンケーキ状態で動こうとしない。
「あっなた、そんなにフラパンと一体化したいんですか?」
おしゃもじで仕掛けても、光の901線が固定されたようにピイッとして動かない。
そんな戦いをよそに、アルトリアは床の上から何やら揺れるとよりの声で言い放った。
「たまごに負けたって聞いたよ。これで三敗め?」
「私の戦争は、まだ始まったばかりなのです…」
手本のページは、ぺらりとめくれていた。
炊飯器の隣で、塩昆布入りのミニおにぎりをひとつ、そっと並べ終えたそのとき。
トネリコはふと、背後から漂ってくる異様な気配に眉をひそめた。
(……なんでしょう、この、湿ったような、ざわつくような……)
くるりと振り返ると――そこには、アルトリアが“炊飯器の釜”を頭にすっぽり被って立っていた。
「……」
「どう? 新しい文明のかたち!」
「かたちどころか、退化では……?」
炊飯器の内釜からは、ぬくもりとともにごく微量な蒸気が立ち上っており、それがまるで“新種の妖精”のような雰囲気を演出していた。
「これさ、すごいんだよ? なか、ほわほわしてるの。しかも耳まであったかい!」
「……あなた、頭を保温モードにするおつもりですか?」
トネリコが冷静に釜を外しにかかると、アルトリアは「ちょっとー! 今ちょうど整ってたのに!」と抵抗を始めた。
「どこが整ってたんですか!」
「精神が!」
言い張る妹と釜を引き剥がそうとする姉の攻防は、しばし無言の攻防戦となる。だが次の瞬間。
「うわっ、あつっ!? なんか額に残ってたお米、くっついたまま温まってた!」
「やはりご飯としての使用を終えても、あなたの頭には余熱が……」
釜を取り外し、ティッシュで額を拭いてやりながら、トネリコはつくづく思う。
(この家では、予想外が“日常”なんですね……)
その後、ふたりは小さなおにぎりを改めて見つめ直す。
釜を脱いだアルトリアがぽつりと言った。
「ねえお姉ちゃん。もしかしてこれ、全部“明日の朝ごはん”っていうより“今食べたい”かも……」
「……そう言い出すと思いました」
結局、小さな芸術品たちは、夜のうちに“鑑賞”され、“実食”され、トネリコの努力も一晩もたずに消えていったのだった。
(……まあ、美味しかったなら、よしとしましょう)
そう自分に言い聞かせながら、トネリコはまた一つ、文明の意味について静かに考えることとなった。
炊飯器の前で腕を組んでいたアルトリアが、ふと「あっ」と声をあげた。
「お姉ちゃん、ちょっと来て! これは見逃せない案件!」
「いまラップと死闘を終えたばかりなんですが……」
疲れきった声で返しながらも、トネリコは足を向ける。今度は何が起きたのかと、内心すでに“戦闘モード解除不可”状態である。
アルトリアは炊飯器のふたを開け、ドヤ顔で言った。
「見て! 米粒がハート型になってる!」
「……それは……」
トネリコは炊飯器の中をのぞき込んだ。確かに、中央付近のふくらみが、なんとなく……非常に拡大解釈をすれば……ハートに見えなくもない。
「これはもう、“明日は良い日になります予報”ってことだよね!」
「ただの水加減の偏りではないかと」
「ちがーう! これは“炊きたての奇跡”!」
テンションがハイになっている妹を前に、トネリコはそっとまぶたを閉じた。
(この家では……米まで自由意志を持ち始めたようです)
だが、そんな日常の一幕が、なんとなく心地よかった。
気がつけば、ラップ戦で荒れた袖口を直しながら、トネリコはぽつりと呟いた。
「……では、“奇跡の米”は明日のおにぎり要員に決定、ですね」
「やったー! じゃあ“愛の塩昆布”と“情熱の梅干し”でツートップ!」
「ネーミングに情緒が迷子です」
そんなふたりのやりとりに、キッチンの電灯がぽうっと温かく照らす。
冷蔵庫の奥に手を伸ばしたトネリコが、なにかのパックを取り出した瞬間――
「……あれ、これ……期限が……?」
「わっ、あっぶなっ! それ昨日の“チャレンジヨーグルト”だ!」
「チャレンジ要素、未開封の時点で満点ですね」
ため息混じりにパックを戻しながら、トネリコは思う。
(明日が“良い日”になるかどうかは……せめて冷蔵庫の在庫が正常であってこそ、です)
チャレンジヨーグルト(※要処分)をそっと冷蔵庫に戻したトネリコは、一度目を閉じて深呼吸した。内なる理性が、今にも「賞味期限とは……すなわち命の境界線……」などと詩的に語りだしそうになるのを、どうにか踏みとどまる。
(……とりあえず、“明日の朝ごはん素材”を確認しておきましょう)
その思考は、至って現実的。だが、冷蔵庫のドアを開けたその先に待っていたのは、現実というより、ほとんど未知の領域だった。
「……これは……なんと申しましょうか……」
段差をつけて積み上げられたタッパー。プラカップに詰められた得体の知れない液体。アルトリアの“研究的”なジャムの試作残骸。奥に追いやられた生姜焼きのたれ(誰も覚えていない)。
(この冷蔵庫、まるで“小宇宙(コスモ)”です)
トネリコは無言で麦茶のピッチャーをどかし、次に卵のケースを持ち上げ、その下の“隠しポケット”から何かを発掘した。
「……これは……チーズ、でしょうか? いえ、カマンベール……?」
迷ったときは嗅覚に頼る。彼女は慎重に指で包装をめくり、そっと鼻を近づけ――
「…………っ!」
即座に閉じた。
言葉では表現しきれない“発酵を超えた何か”の気配に、背筋が軽く震えた。
「お姉ちゃーん? なにか見つけたー?」
アルトリアの呑気な声が飛んでくる。
「……いえ。今のは“見つけてはいけなかったもの”です」
(もはや文明の柱どころか、冷蔵庫の神話時代……)
それでも、気を取り直して捜索を続ける。トマトは元気。きゅうりも元気。納豆は3連パックのうち2つが消えていたが、残りは無事だ。
「ふむ。……明日は、納豆ごはんと味噌汁あたりでしょうか」
そう呟くと、背後からアルトリアの顔がひょこっとのぞく。
「お味噌汁……ってことは、朝からだし取り?」
「……ええ、あなたがキッチンに“被害を出さなければ”ですけど」
「お任せあれっ! 火の管理は今日でマスターした!」
「それは“カレー鍋が爆発しなかった”レベルの話でしたよね……」
だがまあ、それも含めて“我が家の日常”である。
冷蔵庫の扉を閉じ、タッパーのバランスをひとつだけ調整し――トネリコは、ほんのりと微笑んだ。
(……多少の混沌くらいで動じない心。それこそが、“家庭という名の小宇宙”を支える力、かもしれません)
冷蔵庫を閉じたあとも、トネリコの意識はしばし“明日の味噌汁”に囚われていた。
(だしは昆布と削り節で……火加減は最初弱火、煮立たせないようにして、じっくり……)
口の中でぶつぶつと呟いていたら、いつの間にかアルトリアが彼女の横にピタリと並んでいた。しかも、手には計量カップと菜箸を持っている。
「よし、じゃあ今のうちに“だしの練習”しておこう!」
「夜練……ですか? しかも、“だし”の……?」
「うんっ。明日いきなりやると、火災レベルの大冒険になっちゃうから!」
「……認識は間違っていないのが悔しいですね」
トネリコは渋々引き出しから昆布を取り出した。が、封を開けようとした瞬間、横から「やらせて!」とアルトリアの手が伸びてくる。
「任せて! パッケージ開封なら、もう100戦以上してるから!」
「敗北率が半数を超えている時点で信用度は――」
バリィィッッ!
「――ゼロです」
袋の封が勢いよく裂け、昆布が床に三枚舞い落ちた。
「うわっ!? いきなり抜刀するとは思わなかった!」
「抜刀じゃなくて開封です……。開封でもなかったかもしれません……もはや一撃必殺」
トネリコは冷静に落ちた昆布を拾いながら、アルトリアに手を差し出す。
「このように、開封作業は“慎重に行う”という教訓が――」
「はいっ、ごめんなさーい!」
それでも、習得意欲だけは高いのがアルトリアの強みである。台所に立つ彼女の目はまるで、秘伝書を前にした見習いくノ一のように輝いている。
「で、まずは昆布を……水に……つけて?」
「はい。時間をかけて、じっくりと旨味を抽出します」
「“旨味抽出”って……なんか強そう……!」
「あなたが言うと、だし汁に奥義が付与されそうで不安です」
続けて、削り節の袋を取り出したところで、アルトリアが“ほわ〜ん”とした顔で袋を見つめ始めた。
「……これさ、ぱらぱら入れると、なんかこう、“料理してる感”出るよね」
「錯覚ですね。料理とは“結果を出す工程”であって、演出ではありません」
「そんな厳しいこと言わなくても〜!」
アルトリアは不満げに口を尖らせながら、削り節を手にする。……が、数秒後には袋を勢いよく傾けすぎて鍋にどばぁと一気に流し込んでしまった。
「うわあああっ!?」
「はい、今ので“だし取り”ではなく、“節ごはん”になりましたね……」
「ち、ちがう! これはアレだよ、ほら、“豪快系”ってやつ!」
「料理における“豪快”とは、“後始末も含めて覚悟している者”のみが使ってよい称号です」
ふたりの間に、ふわりと削り節の香りが立ちのぼる。失敗したとはいえ、それなりにいい匂いがするあたり、出汁文化の偉大さは計り知れない。
「……まあ、明日用には、わたしがあらためて“再抽出”しておきます」
「えーっ、じゃああたしの出番なくなっちゃう!」
「では代わりに、台所の“後片付けポイント”で挽回を狙ってください」
「……文明の柱、今日も試練が多い……!」
そう呟きながら、アルトリアは意を決して流し台に向かった。だしの香りが残る鍋、こぼれた削り節、ぬれた床――
“文明”というにはまだ遠く、しかし“無秩序”というにはどこか温かい、そんな夜の台所。
トネリコは、静かに布巾を手に取った。
(……明日、ふたりでちゃんと朝ごはんを作れるなら、今日の鍋だって悪くない思い出、ですね)
アルトリアが流しに向かってしゃがみ込み、「よーし、文明の柱は雑巾がけも得意なのだ!」と妙に力強く宣言した。
「……あなたの得意ジャンル、だいたい“先に散らかした人向け”なんですよね」
トネリコは、ゆっくりと布巾を折りたたみながら隣に立ち、被害状況の確認を始めた。削り節の飛び散った痕、鍋から跳ねた湯のしずく、そして――なぜか足元に落ちている、おにぎりの具にしようとしていた塩昆布のパック。
「……これは、床が“味見してる”ということでしょうか」
「ううっ……なんでさっきの私、冷蔵庫を開けたまま袋を開けたんだろ……」
「わたしも知りたいです。あなたの未来を案じる気持ちとして」
ぶつぶつ言いながらも、アルトリアは床にタオルを押しつけ、両手でワイパーのように左右に滑らせている。
「ふふん! 見てくださいこの滑らかな動き! 文明って、こういうところから始まるのです!」
「文明、もう少しだけ乾拭きの概念を学んでほしいです」
水を含みすぎた雑巾が、びちゃびちゃと水の跡を引きずっていく様子は、むしろ“未開の地を開拓中”といったほうが近い。
「……では、わたしが乾いたほうで仕上げ拭きをしますので、あなたは“床の反省会”でも開いていてください」
「反省しながら拭き続けますっ!」
その言葉通り、アルトリアはタオルに顔を突っ伏して、「文明の柱が……柱じゃなくて土台だった……」などとぼやいている。姿勢だけは真剣だ。
(でも……これだけ拭くことに真剣な姿、そうそう見ませんね)
どこかくすぐったい気持ちで、トネリコは手を動かし続ける。鍋は洗い直したし、出汁のリトライ準備も済ませた。あとはこの床が乾けば――今日の夜は本当に、完全終結だ。
「お姉ちゃん、明日って晴れるかな」
「天気予報では“ところにより曇り”だそうです」
「おっけー、じゃあ“ところ”を外そう」
「できれば“我が家がその範囲外”であることを祈るのみですね」
ひとしきり床を拭き終え、アルトリアが立ち上がる。濡れたタオルをパン、と乾いた音で両手に叩きつけた。
「どうだっ! ピカピカ床、完成!」
「残念ながら、湿度がまだ現役です」
「くぅぅっ、明日の朝には乾いてますように!」
その願いが通じたのかはともかく、台所にはようやく“人が立っても大丈夫な安全地帯”が回復しつつあった。
トネリコは、ゆっくりと足を伸ばして試しに歩いてみる。ぬかるむ感触はなく、床は――少し冷たいけれど、確かに踏み心地が戻っている。
「……はい。“文明の柱”、合格です」
「やった!」
両手を挙げて喜ぶアルトリアに、トネリコは布巾をぽんと手渡す。
「そのまま、タオルは洗濯機へお願いします。“文明”の続きとして」
「……文明って、大変なんだね」
「それでも、前に進めば楽しくなってくるんですよ」
小さく微笑みながら、トネリコは照明のスイッチをパチリと切った。暗くなった台所の中に、ふたりの笑い声だけがふわりと残った。
洗面所の扉を開けると、そこには洗濯機が、静かに“構えて”いた。
(まるで……試されているような雰囲気ですね)
手に提げた濡れたタオルが、ぽたぽたと滴を落とす。その音が床に小さな水たまりをつくりながら、トネリコは思わずため息をひとつ。
「アルトリア、洗濯機の電源は……あ、入れてませんね。やはり」
声をかけるまでもなく、背後から「すまぬ!」と元気な返答が返ってきた。
「“文明の柱”、操作にはちょっと弱いんだよね!」
「それは“文明”として根幹から見直しが必要では?」
電源を入れ、洗剤の位置を確認し、残り湯モードがオフになっていることを再確認して――ようやく、タオルをぽん、と投入。
横で見ていたアルトリアが、なぜか拍手を送ってきた。
「お姉ちゃん、それっぽい! “てきぱき家事マスター”っぽい!」
「“ぽい”ではなく、実際にやっているんです」
そして、ふと思いついてトネリコは振り返る。
「……ところで、他にも洗濯するものがありませんか? たとえば、あなたの“文明の戦闘服”とか」
「あっ、あー……。あれは、えっと、ちょっと今は……気持ちの整理が……」
「……臭いの整理のほうが優先されるべきです」
結局、アルトリアは「うう〜ん」と唸りながら自室に消え、二分後には着替えと一緒に“雑巾化したTシャツ”を持って戻ってきた。
「……これは、戦の痕跡ですね」
「カレーと麦茶と床掃除の歴史が、全部ここに詰まってる!」
「それを詰めたままクローゼットに戻すつもりだったのなら、こちらも歴史の改変を行うところでした」
無事に洗濯槽にすべてを収め、フタを閉じる。ボタンを押すと、機械が低く唸りを上げ、水が流れ出す音が始まった。
「よし。これで“文明の夜間作戦”、最終工程です」
「“清潔こそが正義”って誰かが言ってた気がする!」
「それを言ったのがあなたなら、せめて記憶に残しておいてください」
そんな会話をしながら、ふたりは洗面所の明かりを消す。
ほの暗い廊下を並んで歩きながら、トネリコはふと、自分の掌を見下ろした。
(なんだかんだで……今日はずっと、手を動かしてばかりでしたね)
けれど不思議と、嫌な疲れではなかった。むしろ、どこか満ち足りている。
「お姉ちゃん、明日の朝ごはんは……梅干しにしようかな?」
「了解です。“文明の保存食”を、炊き立てのごはんに」
洗面所を出た二人は、なんとなくそのまま、習慣の流れで洗面台に並んだ。
「……では、そろそろ“文明の終末儀式”とまいりましょうか」
「儀式って言うと、なんか怖いからやめて……」
トネリコは、静かに歯ブラシ立てからお気に入りのブラシを手に取る。水道のレバーを倒す音、歯みがき粉のキャップがパキッと開く音――。慣れ親しんだその一連の動作のはずなのに、今日は妙に丁寧だった。
(……忙しさでごまかされていた疲れが、やっとゆるんできたのかもしれませんね)
隣ではアルトリアが、すでに歯ブラシを口に突っ込んだ状態で、ぐるぐると不器用に手を動かしている。
「んんっ……ふあぁいでー、うーまらーいっ」
「口の中にあるうちはしゃべらない、というのも“文明”の教えですよ」
「んむっ!」
それでもしゃべろうとする妹を軽くにらみながら、トネリコは鏡の中の自分と目を合わせた。
髪は少し乱れていて、頬には疲れが色濃く残っている。けれど、それを映すその目だけは、どこか柔らかい光を宿していた。
(……ああ、でもやっぱり。なんだかんだで、“こういう日”がいちばん好きかもしれません)
ゴボゴボ、という口をすすぐ音が響いたかと思えば、次の瞬間――
「ぶっ……うえっ!? お姉ちゃん、わたし間違えて炭酸水で口すすいじゃったぁ!」
「なぜそんなものが洗面所にあるのか、わたしが知りたいです!」
「お風呂上がりに飲もうと思って冷やしてたのに、どこで間違えたのかコップごと……ごぼっ、ごぼっ!」
トネリコは思わず肩をすくめた。シュワシュワ音をたてて泡立つコップの中身と、涙目で咳き込みながらも懲りない妹の姿に、脱力を通り越して、なぜか少し安心すらしてしまう。
「……あなたが“文明の柱”なら、その土台は間違いなく泥です」
「むしろ肥料だと思えば……成長のチャンスっ!」
「もう、いっそ“野生の柱”と名乗ってはどうでしょうか」
そう言いながらタオルで手を拭く。アルトリアも、水滴まみれの口元をぬぐいながら、ようやく落ち着きを取り戻したようだった。
「ふーっ……なんとか今日も、文明を守りきったね!」
「むしろ“文明を擦り減らしながら運用した”気がしますが……」
言い合いのようで、どこか噛み合っているやり取りのまま、ふたりは並んで洗面所の灯りを落とした。
軽やかに――けれどしっかりとした足取りで、姉妹は部屋へと戻っていく。
そして、静かな布団の中で。
(明日は……何が起きるでしょうね)
そんなことを思いながら、トネリコは目を閉じる。
“文明の柱”、次なる試練に向けて、しばしの休息を取ることになる――それがまた、思いもよらない方向に転がっていくのだとしても。