トネリコとアルトリアの田舎日和 作:イモ
掃除機のコードを引っ張りながら、トネリコは壁際のコンセントにプラグを差し込んだ。カチッという音のあと、リビングに一瞬だけ静寂が落ちる。
「……じゃあ、いきますよ」
「うむっ、文明の柱、出撃である!」
宣言だけは堂々としたアルトリアが、手に持ったクッションを脇に寄せる。その背後にあるのは――ソファの裏。
数日どころか、数週間単位で“手つかず”だったエリアである。
「ええと……まずクッションどけて……あ、リモコン出てきた」
「それ、ずっと探してたやつです!」
「お姉ちゃんが“どこにもない!”って言ってたやつだよね」
「“どこにもない”の定義、いま更新されました」
ひとまず、発見されたリモコンを確保。続いて、ソファの下に掃除機のノズルを差し込む。トネリコがノズルを少しずつ動かすと、ゴゴゴ……という低い吸引音とともに、いくつかの“遺物”が姿を現した。
「お姉ちゃん、なんか出たよ。輪ゴムと、ポップコーンのかけらと……これ、マスキングテープの芯?」
「それもまた、“文明の残骸”ですね……」
埃と一緒に吸い込まれていくポップコーンのかけらを見ながら、トネリコは小さく肩をすくめた。
(おやつの時間のあの1粒が、こんなところで眠っていたとは……)
「ねぇお姉ちゃん、もしかしてさ……このへん、一度ちゃんと掃除したらさ、今後は楽になるんじゃない?」
「ええ、“はじめての文明整備”って、たいてい泥沼から始まるものですから」
「まるで開発途中の国みたいな言い方……」
それでも、ふたりの息は意外と合っていた。トネリコが掃除機を支え、アルトリアが小物を拾って仕分ける。小さな“発掘品”の中には、消しゴムのかけらやペンのキャップといった、いつのまにか失われた日用品も混ざっていた。
「見て見て、お姉ちゃん! このペン、乾いてなかった!」
「……再利用可能とは、文明の奇跡ですね」
掃除という作業のなかに、少しずつ“懐かしさ”が混ざっていくのが不思議だった。どれもこれも、“過去の自分たち”が落としていったものたちなのだ。
トネリコは、ホースを持つ手を一瞬止めて、ふぅと息を吐いた。
「……ここまで来たら、いっそ家具の配置も変えてみますか?」
「いいね! じゃあ次は“文明の模様替え計画”だ!」
「……その命名、やや不安ですけど」
とはいえ、少しずつ“家を自分たちで整えていく”という実感が、彼女たちの中に根を下ろし始めていた。
ソファの奥に差し込まれた掃除機のノズルが、「ゴゴゴ……」という音とともに小さな埃の塊を吸い込んでいく。
「お姉ちゃん、なんか厚紙みたいなのが出てきたー」
「厚紙?」
トネリコがノズルを止めて確認に向かうと、アルトリアがそっと拾い上げていたのは、よれた冊子のようなものだった。表紙の角は丸くなり、インクの色もあせかけている。
「……これ、あたしたちが小学生のときに読んでた……」
「……あっ、“はじめての科学図鑑”ですね。それ、付録ついてましたよね」
「そうそう! “水のふしぎ実験セット!”……あのコップにビニール袋かぶせて逆さまにするやつ!」
「あのあと台所びしょびしょになりましたね」
ふたりは顔を見合わせた。
ソファの裏で発見されたのは、ただの厚紙ではなかった。“懐かしさ”という名の、文明の欠片だった。
「なつかしー……ていうか、なんでここにあるの?」
「当時、“実験やるからソファの上は立入禁止!”って騒いでましたから……おそらく、その流れで封印されたんでしょう」
「文明の闇、深い……」
アルトリアがそっとページをめくると、中からさらに小さな紙きれが滑り出てきた。
「これ……お姉ちゃんが昔書いた“やってみたい実験リスト”じゃん!」
「やめてください、それは完全に黒歴史です。捨てます、いますぐ」
「だめっ! これは“文明の遺産”!」
「“保護文化財”というにはあまりに俗っぽいんですけど……!」
トネリコが顔を真っ赤にしてリストを奪おうとすると、アルトリアはソファの背もたれにひらりと飛び乗ってかわした。
「わたしの勝利ー!」
「勝利の定義、もう一度見直しましょうか?」
ふたりの間に、ほんの一瞬だけ静かな時間が流れる。
ソファの裏には、今なおホコリと共に、“姉妹の思い出”が沈殿しているのだろう。
「……掃除って、戦利品が出てくるとモチベ上がるね」
「戦利品というより、“書庫から発掘した備忘録”みたいな気もしますけどね」
それでも、トネリコは笑っていた。埃まみれでも、どこか温かい。そういう“生活の積み重ね”が、なんだか嬉しかった。
そして――
「お姉ちゃん、今度あれやろうよ。あの、“ペットボトルロケット”!」
「えっ、それだけは……いや、あれだけは家の中では……!」
「ベランダ! ベランダなら!」
「その発想がすでに危険です!」
数分後。
ペットボトルを片手に、トネリコは呆然としていた。いや、厳密には“呆然としながらも諦めていない”顔だった。
「……ほんとうに、やるんですね?」
「うん! ペットボトルロケットはロマンだよ、ロ・マ・ン!」
アルトリアの声には、無駄にハリがある。すでに玄関横の収納から段ボール、ビニールテープ、なぜか空気入れまで持ち出してきていて、その熱量だけは本物だった。
「ただの思い出トークから、どうして本気の打ち上げ準備になるんですか……」
「だって! 姉妹の歴史に、今日という“発射記念日”を加えたくない?」
(わたしたちの歴史、もはや家庭内で完結しない方向に進んでませんか……?)
それでもトネリコが手を動かし始めたのは、もはや“理性”ではなく、“諦観に似た協力体制”だった。
「では、わたしは尾翼部分の設計を……いえ、仕上げを……いえいえ、マジックテープで固定だけ……」
「責任逃れがすごいよ、お姉ちゃん……」
その頃には、すでに作業は“空想”から“実務”へと移行していた。ペットボトルの底に紙粘土で重りを仕込み、空気圧で押し出すチューブを取り付け、噴射方向を調整するための牛乳パック切れ端を羽根状に固定。
「よし、ミッション名は“Project: Tenohira One”にしよう!」
「なぜ急にNASAっぽく……?」
トネリコも、もはやツッコミの速度が追いつかない。
「これが成功したら、“文明の柱”、次はドローンで宅配に挑戦する予定です!」
「規模の跳ね方が異常すぎます」
やがて、ベランダの窓が開く。
風が吹き込み、ペットボトルロケットは静かに――出番を待っていた。
「お姉ちゃん、見て……ほら……ちゃんと、風に乗れそうな顔してる」
「……それ、ペットボトルの顔ですか」
「あるよ。見れば見るほど、“やってやんよ”って顔してるよ」
ふたりの目が、無言で合った。
“やるしかない”という、あまりに原始的な共犯の合図だった。
「じゃあ……いくよ?」
「ええ。空を……目指しましょう、“文明の名のもとに”」
次の瞬間、空気入れのレバーが下ろされる――!
トネリコは息を詰めて、空気入れのメーターを見つめていた。
ピシ、ピシッ……と、ペットボトルの表面がわずかに膨張していくたびに、彼女の顔も一緒に強張っていく。
(……圧が……圧が見える。目に見える緊張というものがあるなら、今この場ですね)
そんな姉の横で、アルトリアは口元をニヤリと歪めた。
「お姉ちゃん、気圧と希望って似てると思わない?」
「希望が破裂する前にやめましょうね?」
トネリコの声はひきつっていた。というよりも、手に持ったガラス窓の隅を、今にも隠れ場所にしそうな勢いで固まっていた。
だが、アルトリアはすでに“打ち上げモード”に入っている。
「もう少し! あと三回、空気を送れば……!」
「いやそれは、だいたい“何かが壊れる直前”のセリフでは……」
カチリ。固定器具が軽く鳴った音が、なぜか時限爆弾のカウントダウンのように聞こえる。
ふたりの視線が一点に集まった。
窓際、風に揺れるカーテンの向こう――そこに座しているのは、炭酸飲料用ペットボトル製ロケット《てのひら一号》である。
鼻先には切り取ったキッチンタイマーの蓋、側面には「文明の柱ここにあり!」とアルトリアが油性マジックで書き込んだ横断幕のような字。
その佇まいは、真剣にやればやるほど笑える存在だった。
「トネリコ姉……カウントダウン、お願い!」
「わたしですか……? 今のこの状況で……?」
「せっかく“文明の名にかけて”って誓ったのに!」
やむなくトネリコは、深呼吸ののち、右手をまっすぐに掲げた。
「……カウント開始。“てのひら一号”、発射まで――」
「――五!」
「四!」
「三!」
「……二……」
「えっ、ちょっと待って待って! わたしの足がホースに絡まって――」
「一!」
「聞いてませんか!? いまバランスが――」
シュゴォッ!!
……発射音ではない。おそらく、空気圧の開放音だ。
その瞬間、トネリコとアルトリア、そしてロケットの三者三様に重力と混乱が訪れた。
ロケットは、飛んだ。たぶん。
というのも――
「……あれ? どこ行った……?」
発射音のわりに、視界には何も映らない。トネリコは目を細めて窓の外を見渡すが、空にも庭にも、“てのひら一号”の姿はない。
「……もしかして、光速?」
「アルトリア、あれは空気圧です。風船の原理です」
「でもいま、音はすごかったよね!? バシューッ! って!」
「それはたぶん、あなたの足元から抜けた空気の音では」
そう――発射台となっていたバケツの角度が微妙に傾いていたことに、ふたりは完全に気づいていなかった。
「ちょっ、お姉ちゃん! なんか……このへん、冷たい!」
「水、こぼれてます。しかも半分以上……床、すでに“文明の湿原”と化しています」
「うぅっ……柱の名が、また汚されていく……」
タオルを取りに行こうとするトネリコ。その背後――
「……ん?」
ゴトンッ。
物音。
「上?」
ふたりの視線が、同時に冷蔵庫の上に向かう。
あった。しかも、ちょこんと立っていた。
《てのひら一号》、なぜかきれいに直立で。
「……あの、冷蔵庫の上って……発射範囲に含まれてました?」
「いや、完全に死角だった。というか、そっちに飛ぶようには設計してなかったはず……」
「つまり、逆噴射して跳ね返って、物理法則を捻じ曲げながら飛び乗ったわけですね」
「“文明、重力に抗う”だね!」
「違います。“文明、重力に裏切られる”のほうが正しいです」
それでも、ふたりはしばし無言で眺めていた。
炭酸ペットボトルに貼られた「文明の柱」の文字。どことなく、そこに魂のような何かを感じた。
(……いや、感動してる場合ではありません)
トネリコはようやく冷蔵庫の隅に手をかけ、椅子を持ってきてロケットを回収することにした。
「次は、もう少しだけ“方向”という概念にこだわってください」
「了解! 次の機体は“文明の二段階発射”に進化する予定!」
「わたしの心労も二段階に増えそうです……」
こうしてまた、台所にはふたりと一本の“実績解除済み”ペットボトルが残された。
冷蔵庫の上から救出された《てのひら一号》は、現在、食卓の上でタオルに包まれて静養中――ということになっていた。
「ねえお姉ちゃん、これさ……なんかこう、ロケットっていうより“長旅から帰ってきた漁船”みたいだよね」
「おそらく、中に残っているのは炭酸水ではなく“失われた尊厳”です」
トネリコは、キッチンの床にうっすら広がった“湿原”をタオルで拭きながら、心の奥に静かに問いかけていた。
(なぜ、わたしはここまでして、床と向き合っているのだろう)
文明を名乗るには、試練が多すぎる。だが、逃げるわけにもいかない。
「文明の柱たるもの、失敗から学ばねばならぬのだっ!」
その声とともに、アルトリアが腕を組んで立ち上がる。
トネリコはタオル越しに床を見つめたまま、顔を上げずに聞いた。
「学びの第一歩は……“床が濡れていたら拭く”ことから、ですかね」
「うん、それも文明!」
「できればその“文明”を、前回に発揮していただきたかった」
そんな掛け合いをしているうちに、床の水気もほぼ取れた。ようやくタオルを絞ろうと立ち上がったその時――
「よし、お姉ちゃん! じゃあ次は、“てのひら二号”の設計に入ろう!」
「……まさかの、学びより先に実践を再開ですか」
「さっきの失敗は、“てのひら一号”の限界だったの! 素材から見直して、ペットボトルをもっと軽く! 空気の逃げ道も斜めにして!」
(ああ……この子にとって、“やらかし”とは反省より先に次の挑戦を意味するらしい)
タオルを洗いに向かいながら、トネリコは心の中でそっと警鐘を鳴らしていた。
(次こそ、冷蔵庫の上では済まない予感がします……)
案の定、次の瞬間。
「お姉ちゃん! あとさ、ゴム手袋ってある? 水圧実験に必要かもしれないんだけど!」
「……それは“ロケット”というより、“破裂装置”のカテゴリでは……?」
それでも、少しだけ口元が緩む。
(この先何が起きようと、わたしたちはこの“文明”を共に支えていくのですね)
トネリコは、ゴム手袋の在庫を思い出しながら、小さく息をついた。
「ここなら、床が濡れても大丈夫! つまり! 文明の実験場にふさわしい!」
お風呂場のドアを開け放ち、アルトリアは堂々たる所信表明をした。
「……そもそも風呂場は“くつろぐ場所”です。実験場として使うことに、強く異を唱えたいのですが」
「でも! でもでも! 今のわたしたちには、水場と安全性と排水能力が必要なの!」
トネリコはバスタオルを持ったまま、浴室の入り口で足を止めた。まるで、戦場に踏み込むか否かを迷う指揮官のような顔だ。
(……前線に立つのは、できれば冷えた炭酸水だけにしてほしいですね)
アルトリアはすでにペットボトルに穴を開け、ゴム手袋を取りつけていた。
「“てのひら二号”、今度は空気量も圧力バランスも完璧に計算した! しかも風呂場だから床も気にしない!」
「……その割に、目測だけで作っていませんか?」
「感覚も大事だよ、文明って!」
意味はわからないが勢いはあった。
そして、ついにアルトリアが声高らかに叫ぶ。
「てのひら二号、発射までカウントダウン開始! さんっ、にーっ……」
「ちょ、待っ――」
「いちっ!」
シュッ――
浴槽のふちをかすめながら、ペットボトルが思った以上に勢いよく滑空し、そのまま壁に コンッ と当たって落下した。
「……おおっ。今の、ちょっと飛んだね……?」
「飛びましたが、“目的の方向”にではありませんでした」
ペットボトルは、トネリコの足元にコロコロ転がってきた。炭酸のしぶきとともに、まるで反省しているかのようにおとなしく横たわっている。
「いやー……風呂場、思ったより“反発力”あるね!」
「今後“住宅物理”まで取り入れるつもりですか、あなたは」
タオルで浴槽の縁を拭きながら、トネリコは深く小さく息をついた。
(文明の未来は明るい……とは、言いきれませんが)
ただ、その隣にいる妹の顔が、どこまでも楽しそうなのだけは――
きっと、この騒動のなかで一番の“発見”だったかもしれない。
「ふー……さすがに、もう今日は落ち着きましょうか」
床に転がったペットボトルを拾い上げながら、トネリコはタオル越しに額の汗を拭った。まさか、夕食後に風呂場で“軌道実験”が始まるとは、今朝の自分は夢にも思っていなかったに違いない。
「お姉ちゃん、今のは9点はいったと思うよ!」
「審査員、あなたしかいませんからね……しかも点数の基準が謎です」
アルトリアはゴム手袋を外しながら、「次は、角度をもう少しだけ浅めにして……」などとすでに“次の課題”をぶつぶつ口にしている。学びの速度が速いのは長所だが、応用先を選んでほしいところだ。
「……とりあえず、今日はもうお風呂入りましょう。実験のついでに汗だくでは本末転倒です」
「えー、もうちょっとだけやっても……」
「聞こえません」
言いつつ、トネリコはさっさとシャワーをひねった。ぬるま湯が音を立てて広がり、空気がやんわりと変わる。
少しだけ静かになった空間に、気まずそうなアルトリアの背中が見えた。
「……でもさ、お姉ちゃん」
「なんでしょう」
「こうやって、なんでも試せるのって、なんかちょっとだけ、大人っぽくない?」
その言葉に、トネリコはふと手を止める。
(――たしかに)
たとえ、それがロケットまがいの炭酸装置でも。洗面所で爆発寸前になったラップでも。全部、結果は散らかってばかりだけれど、でもたしかに“日々は前に進んでる”ような気がする。
「……それを“大人っぽい”と思えるあなたは、ある意味で希望ですね」
「えっ、ほんと?」
「ただし、“ある意味で”です」
ふたりは、ぱしゃぱしゃと水音を立てながら、湯気の中で笑い合った。ドアのすき間からは、少しだけ涼しい風がすべりこんできて、なんとなく“この日がそろそろ終わる”ことを告げている。
(でも――まだ終わりませんよ)
トネリコは、湯を止めながらそっと思った。
“文明の柱”が今日も倒れず立っていたことに、ちょっとだけ感謝しつつ。
なぜなら、次に控えているのは――