トネリコとアルトリアの田舎日和 作:イモ
風が、地図のページをふわりとめくった。
スケッチブックの上に広げられた空白には、“次の目的地”を描く余地が、まだ残されていた。
「お姉ちゃん。ここさ、“会議室”の隣にもう一個、小さい部屋作らない?」
アルトリアは、鉛筆で四角を描いてから、すぐにまた消しゴムで消す。線は残り、どことなく影のようになった。
「用途は……おやつ専用、ですか?」
「そうそう。“基地内のおやつ庫”。暗号鍵もつける」
「では、“食糧保管庫β”として、仮設計いたしましょう」
トネリコがページの左下に「β倉庫(おやつ)」と小さく記す。字の形が、アルトリアのものとは少し違って、読みやすく、ぴしっとしている。
「じゃあ、入口には“おやつが落ちるぞ注意”って看板もつけたいな」
「標識は後でまとめて掲示しましょう。“基地標語一覧”として整理しておきます」
スケッチブックとノートが並ぶちゃぶ台の上、ふたりの間に紙の山がひとつずつ増えていく。
「このへんに通気孔つけたい。あと、風が入ってきたとき、鳴るやつ」
「“風鈴式警報器”という名で設計しますね。去年の残りがまだ引き出しにあったかと」
「えっ、あるの?」
「はい。……いえ、たしか“残されていた”はず、です」
少しだけ言い直して、トネリコは椅子を引いた。
「探してまいります。設計だけでなく、資材確認も必要ですから」
「じゃあわたしは、椅子の下を“地図に載ってない通路”にしておくね!」
「通路……? それはどちらからどちらへ通じていますか?」
「会議室から、おやつ庫へ!」
「なるほど。ならば“地下通路α”として登録いたしましょう」
ふたりの声が飛び交いながら、部屋の中に基地の輪郭ができていく。
まだ何も完成していないけれど、紙の上ではすでに世界が広がっていた。
「お姉ちゃん、この箱、基地の入口にしない?」
畳の上に座り込んで、アルトリアが空き箱をぐいっと引き寄せる。
ちょっとへこんでるけど、それがまた“それっぽい”。
「高さもちょうど良さそうですね。……出入りのときに頭をぶつけないよう、注意書きも貼りましょうか」
「いいね! “進入注意・頭上危険”って感じで!」
ふたりはガムテープをちぎりながら、空き箱にくるくると巻きつけていく。
トネリコは丁寧に直線を引いて、アルトリアは勢いよくペンで落書きのように注意マークを描いていく。
「じゃあ、ここが入口ってことで……中はどうする?」
「まずは“作戦会議室”ですね。椅子ふたつ置ければ、充分機能します」
「了解っ! じゃあこの座布団、ここに置く!」
アルトリアが座布団を真ん中にドンと置くと、トネリコもすぐにもう一枚並べた。
「並列配置ですね。左右対称で、動線にも無理がありません」
「動線とか言うと、なんか本格的だね」
「ええ、基地ですから」
トネリコが小さく笑って、手元のノートに“会議室(仮)・定員2名”と書き込む。
隣でアルトリアは、スケッチブックの片隅に、くるんと丸い天井の絵を描いていた。
「これ、毛布で屋根つけたら、すごくそれっぽくなるよ!」
「では、試してみましょう。椅子の背にかけて、クリップで留めれば……」
「風が通っても大丈夫?」
「対策として、上からぬいぐるみを乗せておきましょう」
「なるほど、それは“重し兼警備兵”ってやつ!」
ふたりは段ボールを立てて、毛布をかけて、天井を作っていく。
少しずつ、影ができて、空間が生まれる。まだ狭いけど、ふたりが並べば、ちゃんと“部屋”だった。
「お姉ちゃん、入口の横に、もうひとつ小さい部屋つけてもいい?」
「用途は?」
「おやつ置き場!」
「賛成です。“非常食庫”として登録しておきます」
ふたりの会話が、かさかさと動く紙やガムテープの音と一緒に、畳の上に広がっていった
「お姉ちゃん、これ見て! 旗つくった!」
アルトリアが手を上げて、折り紙に割りばしを刺した小さな旗をひらひらさせた。そこにはカラフルなペンで「ひみつきち」と書いてある。
「すばらしいですね。それでは、正式に“拠点名”として登録いたしましょう」
「やった~! 基地っぽくなってきた~!」
ふたりは椅子の背に毛布をかけて、その上に旗をペタッと貼りつける。ちょっと傾いたけど、それもまた味だった。
「入口にはこれを設置しましょう。“ピンポンのかわりベル”です」
トネリコが持ってきたのは、小さな鈴。アルトリアがキラキラ目を輝かせる。
「最高! 入るときにチリンって鳴らすの!」
「侵入者の察知にも使えますからね」
「あとねあとね、わたし考えたの。“おかし持ちこみ自由ゾーン”つくろう!」
「いいですね。ではその場所を、“おやつ会議室”と名付けて……」
「名付けたー!」
アルトリアがスケッチブックにでっかく「おやつ会議室」と書き、となりにビスケットの絵を描き足す。
「お姉ちゃんも描いて! なにか!」
「では、麦チョコを」
「やったー!」
ふたりでひざをついて、毛布の下の壁に絵を描きはじめる。段ボールに描くのはちょっとザラザラしてたけど、楽しくてたまらない。
「トネリコ画伯、これはなにですか!」
「これは……おにぎりです」
「基地にぴったり!」
笑いながら、段ボールの壁がどんどんにぎやかになっていく。
「基地のルールも作ろう!」
「第一条、“たのしくすること”」
「第二条、“ひるねはきもちいい”」
「第三条、“なんでも基地のせいにしない”」
「ふふ……それは大事ですね」
「じゃあ、お姉ちゃん! これから“ひみつきちのテスト”をします!」
「テスト……ですか?」
「うん! ちゃんと“基地っぽく”使えるかどうか!」
そう言って、アルトリアは毛布の入口をくぐりながら、手を広げて見せた。
「まずは、“潜入試験”! 音を立てずに入れるかチェック!」
「了解しました。では、音を立てたらやり直しですね?」
「そうです! さぁ……いざ、潜入ーっ!」
アルトリアがにゅるっと毛布の下をくぐる。うまくくぐれた、と思ったそのとき――
「チリン……」
入口の鈴が、ほんの少しだけ鳴った。
「アウトですか?」
「ちょっとだけセーフ!」
ふたりで笑い合う。トネリコも続いて静かに潜り込む。
「次は、“おやつ配置チェック”です」
「わたし担当だー!」
アルトリアは箱からビスケットとチョコを取り出して、基地の角にきっちり並べはじめる。並べ方にもこだわりがあるらしい。
「ここは“ビスケット部屋”、こっちは“麦チョコ通り”!」
「分類が明確で、素晴らしいです」
「では次、“外部との連絡手段”を設置します!」
トネリコが、紙コップと糸で作った“糸電話”を取り出した。ちゃぶ台の脚にくくりつけて、基地の奥へ糸をたぐっていく。
「お姉ちゃん、聞こえる?」
「……もしもし?」
「おー! 聞こえた!」
「では、緊急時の連絡に使用いたしましょう」
基地の中がどんどん便利になっていく。まだまだ“途中”なのに、もう使ってる感じが楽しくてたまらない。
「あとで、“昼寝スペース”も作ろうね」
「もちろんです。“ふわふわ係数”の高い場所を選定いたしましょう」
毛布の中で、ふたりの声が響きあう。
楽しくて、なんでもできそうで、でもまだまだ途中。
だからこそ、やることがいっぱいあって――それが、うれしい。
「アルトリア、これ、ちょっと見てください」
トネリコがノートをぱたんと開くと、ページの中央に“仮の基地配置図”が描かれていた。線はまっすぐで、まだ書き足す余白がたっぷりある。
「この位置、どう思います? 会議スペースとしては……けっこう、気に入っているんですけど」
「うん、いいと思う! ここなら、しゃべる声も外に聞こえにくいし!」
「ですよねっ!」
トネリコの返事が、ほんのすこしだけ弾んだ。声の調子に自分で驚いたように、ふふっと笑って、鉛筆を取り直す。
「なら、“拠点(仮)中央部”に指定します。あとで名前、ちゃんとつけましょうね」
「わたし、“ひかりの部屋”って名前がいいな」
「……それ、すごくいいです」
即答してから、トネリコはちょっとだけ早い手つきで、文字を書き加えていった。
「じゃあ、“入口から四歩、南側にある光の部屋”。入口の角を目印にして……うん、これなら絶対、迷いません」
「お姉ちゃん、そんなに細かく書かなくても……」
「書きたいんです! ……こうしてると、ぜんぶ、地図にしたくなっちゃうんです。なんでもない場所まで、残したくなっちゃうんです!」
そう言って、トネリコはぴしっと背すじを伸ばした。鉛筆の芯を削る手にも、なんだかちょっと気合いが入っている。
「アルトリア、次は何を作りましょう? この毛布、屋根になりますか? それとも――」
「なるなる。あと、こっちの段ボールも使っていいよ」
「やった……ありがとうございます!」
トネリコは嬉しそうに毛布を広げ、段ボールの角を指で押しながら、目をきらきらと輝かせた。
「これ、屋根にも壁にもできますね。すごい。まだ何も作ってないのに、すでに楽しいです……!」
アルトリアがそっと微笑んだ。
「お姉ちゃん、今すごく楽しそう」
「……はい。すごく楽しいです」
基地はまだ途中。壁も床も、ぐらぐらしている。
けれどその不安定さが、いまはとても愛おしい。
「アルトリア、この段ボール、横に倒すと……」
トネリコはそっと箱の側面を押さえた。手のひらに伝わる紙の感触はやわらかく、どこか、可能性の余白みたいだった。
「ほら。こうすると、ちょうど入口になります」
「ほんとだ! じゃあ、ここから入って……この辺に座ればいいのかな?」
「はい! “光の部屋”の入口、決定です!」
ノートに鉛筆を走らせながら、トネリコは机に身を乗り出した。
体ごと前のめりで、なんだかもう、書く手が止まらない。
「ここに窓……は難しいですかね? でも、ただの切れ込みじゃなくて、外が見える“感じ”だけでも……」
「なら、透明の袋つけたら? 引き出しにあったよ」
「それです! 窓、作りましょう! “見えなくても、あると思えば見える”窓!」
「ちょっと難しくない?」
「いえ、気持ちの問題です! きっと、アルトリアならわかってくれると思って!」
トネリコは勢いよくうなずいた後、すぐにノートへ戻って設計図に追記していく。
頭の中では、もう“見えないけれど明るい窓”が、ちゃんと形になっていた。
「次は……えっと、“部屋の名前”どうしましょう」
「さっきは“ひかりの部屋”だったよね?」
「はい。でも、もっとたくさん作れます。名前が足りないくらい、部屋を増やしたいです!」
そう言いながら、トネリコは地図の端を指で軽くたたいた。
「ここに、もうひとつ部屋を作ります。“ふたりでしゃべるためだけの部屋”」
「え、それって……今いる場所じゃない?」
「いえ、これは“つくるときにしゃべる部屋”です。今度は、“ただしゃべるために行く部屋”です」
「……ちょっとわかんないけど、楽しそうだから賛成!」
アルトリアがにっこり笑って、トネリコも思わず声に出して笑ってしまった。
「では、記録しておきます。“おしゃべり部屋β”。定員、ふたり」
「アルトリア、このエリア、つなげませんか? “おしゃべり部屋β”の横に……」
トネリコが、ノートの左端をぐっと広げた。余白だったスペースに、新しい部屋の輪郭を描き加える。
「このあたりに、ちいさな棚を置きたいです。なんでも入れていい、“なんでも棚”!」
「……“なんでも”ってなに入れるの?」
「まだ決まってません。でも、“まだ決まってないもの”を入れておくのも、大事だと思って」
「わかる……! そういうの、ひとつはほしい!」
アルトリアがスケッチブックを広げて、すぐに小さな箱のイラストを描く。四角の中に“?”のマークをつけて、それをぐるりと丸で囲む。
「これは、“いつか大事になるかもしれないもの”って意味!」
「完璧です……もう、名前をつけるしかないですね。“未定保存室”にしましょうか」
「かっこいい! なんか“作戦の中枢”って感じ!」
トネリコは、ページをめくり、基地の見取り図を丁寧に更新していく。
“光の部屋”のとなりに、“おしゃべり部屋β”、そして“未定保存室”。
まだ何も作っていないのに、紙の中ではちゃんと世界が広がっていく。
「アルトリア、入口も見直しませんか? 今のままだと……“通るだけ”なんです」
「うん。じゃあ、何かひとつ“通るときのルール”をつけようよ」
「ルール、ですか……たとえば、“通るときには、ひとことだけ話してから入る”とか」
「いい! それ、言葉の鍵だね!」
「“声の鍵”、です。扉は開きませんが、気持ちはひらきます」
ふたりでうなずき合って、入口の位置に「※声の鍵を通して入ること」と赤くメモを書き足した。
「なんだか、ちゃんと“始まりの場所”になってきましたね」
「うん、そう思う!」
「では次に……“出口”をどうするか、考えましょうか」
トネリコが地図の右下を指しながら、真剣な声で言った。
「入るだけでは片道ですから。基地としての完成度を高めるには、やはり“出る場所”も……」
「……“出口”って、いま出てきたところじゃダメなの?」
アルトリアが、毛布の端をめくりながら言う。
「それでは“入口兼出口”になってしまいます。“専用出口”には、“専用の意味”が必要です」
「なるほど……じゃあ、ちょっと待ってて!」
アルトリアが立ち上がって、部屋の隅へ走ったかと思うと、ごそごそと紙袋をあさり始める。
「お姉ちゃん、これ!」
「……ビニール傘の袋、ですか?」
「これを出口にぶらさげて、出るときに“ポフッ”ってなるの!」
「……それは、出口として、どういう……機能……?」
「演出です! 出口の気持ちになってください、“ポフッ”ってなると、“よし、出た!”って思う!」
「……わかる気がしてきました!」
ふたりは傘袋を毛布の端にくくりつけ、出るときにくぐる位置を調整した。
試しにトネリコがくぐってみると――
「ぽふっ」
「音が出た!? 成功です!」
「出口、完成しました!」
ふたりはなぜか拍手した。
「では、“出口:ポフッ式専用通路”と記録しておきます」
「うれしすぎて、もうひと回りしたい」
「出て、また入ります?」
「うんっ!」
アルトリアがぐるりと基地の外へ出て、再び入口の“声の鍵”の前で立ち止まる。
「……こんにちはー!」
「どうぞ、声の鍵、確認できました!」
「では、いざ侵入!」
毛布をくぐり、基地の中へ入ったそのままくるりと回転、反対側の“ポフッ出口”へ一直線。
「ぽふっ!」
「出ました!」
「楽しいっ!」
「記録しておきます。“ポフ通過テスト、一名成功”!」
ノートのページがぱたんとめくられ、基地の地図の端に、いま新たな項目がひとつ書き加えられた。
その項目の名前は――
『出口テスト:ポフ成功記録』
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
完成していないからこそ、笑えることがあって、
決まりきっていないからこそ、ふたりの言葉や気持ちがすっと入る場所がある。
そんな「途中の楽しさ」が、この姉妹の日々を静かに、でも確かに彩ってくれているようなっています。