トネリコとアルトリアの田舎日和   作:イモ

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よろけ部屋と、ほわ〜ん室

「アルトリア、基地の地図……少し、複雑になってきました」

 

 トネリコはノートをくるくると回しながら、鉛筆の先でページをコンコンと叩く。

 ふたりで描いた“部屋”があちこちに散らばっていて、それぞれに小さなメモが添えられていた。

 

 「おしゃべり部屋、光の部屋、おやつ庫、ポフ出口……」

 

 「にぎやかになってきたね!」

 

 「ですね! ですが、これ以上は“通路の混線”が懸念されます。交差点に“信号”を設けたほうが……」

 

 「基地に信号!?」

 

 「……たとえば、“赤いシールを貼ったら通行禁止”というルールにするとか」

 

 「なるほど……って、じゃあわたし、シール係ね!」

 

 アルトリアはリュックのポケットから、小さな丸シールの束を取り出した。赤・青・黄色・きらきら。なぜそんなものを持っているのかは、もう聞かなくていい。

 

 「ここ、光の部屋とおやつ庫がぶつかってるから……青!」

 

 「えっ、それは“優先通行可”の色では……?」

 

 「そう! おやつ優先!」

 

 「……異議なしです!」

 

 ふたりで通路の上にシールを貼りながら、どこかを直してはまた笑う。

 

 「そういえば、基地の中に“名前のない空き地”があるの、気づいてました?」

 

 「え、どこ?」

 

 トネリコがそっと地図を回転させ、ページの端を指さす。

 

 「ここです。“なにも決まっていない場所”。いまなら、なんでもできます」

 

 「……うーん、じゃあさ、“ただ座ってるだけの場所”にしよ?」

 

 「“座っているだけの空間”……いいですね。決まりのない場所」

 

 「名前、どうしよっか」

 

 トネリコは、にっこりと笑ってから言った。

 

 「“だらだらスペース”です」

 

 「うわ、好き……!」

 

 ふたりはその場で正座を崩して、段ボールの上にごろんと寝転がる。

 天井代わりの毛布がふわりと揺れて、上からぶらさげた紙のプレートがゆらゆらと揺れた。

 

 「ポフの出口から出て、“だらだらスペース”に戻ってきたら、なんか無限ループだね」

 

 「それこそ、秘密基地です。“用事がなくても帰ってこれる場所”です」

 

 ふたりの視線が、上を見たまま、ふと重なった。

 

 

 「……アルトリア、ちょっと問題が発生しました」

 

 仰向けになったまま、天井(毛布)を見上げていたトネリコが、まじめな声で言った。

 でも顔は、完全にくつろぎモードである。

 

 「ん? 基地に敵襲?」

 

 「いえ、敵は来ていません。“眠気”です。非常に強力な……」

 

 「うわっ、それ危ない!」

 

 アルトリアが、わざとらしく“起きろアラーム!”と書いた紙を掲げる。

 その裏には、昨日の買い物メモがうっすら透けていた。

 

 「この“だらだらスペース”、快適すぎます……設計に落ち度があるとは思えませんが、わたしの意志力が想定を下回っています」

 

 「でもお姉ちゃん、いまのうちに書き込まないと!」

 

 「……書きます。だらだらスペースの注意点、“3分以上滞在すると立ち上がる気力が半減する”」

 

 「それって、“立ち上がる”イベントがフラグ制になっちゃうじゃん!」

 

 「ええ、だから“発動条件”を明記しておきます。“おやつの匂いがしたら復帰”」

 

 「オッケー、それわたしの仕事だね。ビスケット、出します!」

 

 アルトリアが勢いよく袋を開けると、勢い余って中身が床にばらばらばらっ。

 

 「……ちょっと派手に発動しましたね」

 

 「“非常復帰モード”ってことで!」

 

 ふたりで床に散ったビスケットを回収しながら、トネリコが急に真顔になる。

 

 「アルトリア……これ、記録しときましょう。“ビスケット散乱事件”」

 

 「そんなの残さなくていいよ!?」

 

 「残します。これは“基地内食糧安全問題”として、将来的に議論の余地が……」

 

 「じゃあせめて、“故意ではない”って書いといて!」

 

 「わかりました。“事故的散布による緊急展開”。これでどうでしょう?」

 

 「もっとややこしくなってる気がするけど、お姉ちゃんが楽しそうだからいいや……」

 

 ふたりの笑い声が、狭い基地の中にくるくると広がっていく。

 毛布がふわっとゆれた。外の風のせいか、ふたりの気配のせいかは、きっとどっちでもいい。

 

「お姉ちゃん! ここに、検問所を作りたいです!」

 

 ビスケットを片手に、トネリコがぴしっと指をさしたのは、基地の中心にある細い通路だった。

 

 「検問……って、誰が通るの?」

 

 「わたしたちです!」

 

 「自分で自分に止められるの!?」

 

 「それが良いんです。ちゃんと“通っていい気分かどうか”を毎回確認しましょう」

 

 「なるほど……気分チェック……」

 

 アルトリアは納得したような顔で、段ボールの切れ端を持ってくると、「検問中」と書いて基地の通路に立てかけた。

 

 「じゃあさ、ここ通るには“通行証”がいるってことにしよう」

 

 「良案です! では、わたくしがすぐに作成を――」

 

 トネリコはノートの端をちぎり、ちょっと厚めに折りたたんでから、そこに走り書きする。

 

 「“だらだら通行認定証”……発行完了です」

 

 「……名前がすでにゆるい!」

 

 「これは“気持ちがふにゃっとしてても通っていい日”に発動する許可証です」

 

 「じゃあ、“ぴしっと通行証”もあるの?」

 

 「もちろん! それは“やたらキビしい目つきで通る日”に使います」

 

 アルトリアが笑いながらその場に正座して、手を挙げた。

 

 「はいっ、検問お願いします!」

 

 「はい、トネリコ検問官です。では、質問します」

 

 「はい!」

 

 「本日のおやつは、どこにありますか!」

 

 「だらだらスペースの奥です!」

 

 「正解っ! 通行、許可します!」

 

 「やったー!」

 

 アルトリアが両手を上げて基地内をぴょこぴょこと走り抜け、検問の奥の“おやつ会議室”に着地する。

 

 「この基地、思ったより……規則、ふえてきたね」

 

 「それが“楽しい”のです! いま、わたしたちは……完全に建設中です!」

 

 「“完全に建設中”って言い方、なんかかっこいい……」

 

 笑いながら、トネリコはもう一枚、小さな紙に新しい項目を書き始める。

 

 『基地法:検問通過にはその日の気持ち申告が必要』

 

 ルールがひとつ増えるたびに、基地は広がっていく。

 ちょっとだけ無駄に思えるものも、ふたりの地図には全部ちゃんと載っていた。

 

 

「ねえ、お姉ちゃん、信号の先にある交差点……あそこ、なんかさ、ぽっかり空いてるよね?」

 

 アルトリアが指さしたのは、基地の中央にある十字型の通路。どの方向にもつながっているけど、真ん中だけ、名前がついていなかった。

 

 「……たしかに。未命名交差点ですね。ノートにも、“?”マークしか書いておりません」

 

 「なんか、名前つけたいなあ。っていうか、つける!」

 

 「副基地長の権限、発動ですね。どのような名称にされますか?」

 

 「うーんとね……“ぐるぐる交差点”!」

 

 「ぐるぐる、ですか?」

 

 「だって、ぐるぐるまわれるじゃん。行って、戻って、また来て、って感じで」

 

 「……深いです。交通の混乱を愛でるネーミング。採用です」

 

 トネリコはノートに“ぐるぐる交差点”と丁寧に書き加えると、アルトリアの顔を見てふと首をかしげた。

 

 「ですが、その名前だと……交差点内での迷子発生率が上昇するのでは?」

 

 「それがいいの! ちょっと迷うくらいの方が、基地っぽくない?」

 

 「なるほど。“わざと迷う余地を設ける”設計ですね。応用可能です」

 

 トネリコは、ぐるぐる交差点に立てるための“ぐるぐる注意看板”を作りはじめた。

 

 「『この先ぐるぐる注意。逆走したくなっても気のせいです』……うん、完璧です」

 

 「それ、ぜったい気のせいじゃないやつ……!」

 

 ふたりで笑いながら、基地の中心に新しい看板を立てた。

 トネリコはそっと毛布の裾を整えて、正面を見据える。

 

 「アルトリア、基地は……またひとつ、進化しましたね」

 

 「うん。でもさ、おやつスペースとか光の部屋とか、ぐるぐる交差点とか……あたし、どこにいるのかちょっとわかんなくなってきたかも」

 

 「それこそ、基地のあるべき姿です。わたしたちは、常に“探検中”なのですから」

 

 「ふふ、そうだね。……じゃあさ、次は“迷った人がひと息つける場所”つくらない?」

 

 「……承認します。“よろけ部屋”の建設を、次の目標にいたしましょう」

 

 

「“よろけ部屋”の建設を、次の目標にいたしましょう」

 

 そう宣言したトネリコだったが──

 

 「……あれ? 部屋、もう埋まってない?」

 

 ふたりしてノートを開いて見直すと、そこにはすでに“寝転びスペース”“もぐもぐソファ”“しずかな読み聞かせコーナー”などが記載されており、どこもそれなりに“よろけ”ていた。

 

 「……いや、これは“部分的によろけ”ですね。“全力でよろける場所”がまだありません」

 

 「そんな分類ある!?」

 

 「あります。“半よろけ”と“全よろけ”は別物です。床材の柔らかさと、音の響き方が違いますので」

 

 「じゃあさ、思いっきりよろけられる……“ふかふかゾーン”とか?」

 

 「良い案です。段ボールと毛布の組み合わせを再設計しましょう」

 

 ふたりは早速作業に取り掛かる。毛布を重ね、クッションを寄せ、古い雑誌を何冊も敷き詰めて、謎の防音性とふわふわ感を実現する。

 

 「はい、“ふかふかよろけルーム”、完成です!」

 

 「ネーミングが急にオシャレ寄りに……!」

 

 「室内は寝転び自由、声のボリューム制限あり、入室時には“よろけ申請書”の提出をお願いします」

 

 「申請!? 入るだけで!?」

 

 「書式はこちらです。“理由欄”は空欄でも結構ですが、“よろけたい気持ち”を最低一文、添えてください」

 

 アルトリアは深いため息をひとつ。

 

 「……“午後にやることを忘れたので、よろけます”。これで提出します!」

 

 「承認します。どうぞ、よろけてください」

 

 「うおおぉおお~……っ!」

 

 もはや芸術的な勢いでふかふかゾーンに倒れ込むアルトリア。  毛布が舞い、クッションがずれる音と共に、基地の一角が“全力よろけ空間”に包まれた。

 

 「すばらしい……! これは実証実験成功です!」

 

 トネリコもすぐさま申請書に「“おやつをこぼしたので、いったん心を落ち着けたい”」と記して突入。

 

 結果、ふたりの寝転がった姿はほぼ布団と同化し、会話も「もごもご」や「ふわ〜」で構成される領域へと突入するのだった。

 

 ──が、そこへ突如、

 

 「お姉ちゃん、やばい。ここから出たくない」

 

 「わかります。でも……それが罠です。ここは“底なしよろけゾーン”ですから」

 

 「ひっ……そんな恐ろしい設定だったの!? は、早く対策を……!」

 

 「次なる建設候補、“強制脱出ジャンプ台”を作るべきです」

 

 「それ、基地じゃなくてアスレチックじゃない!?」

 

 混沌とするふたりの作戦会議(よろけながら)。  毛布に包まれたまま、トネリコがポツリとつぶやく。

 

 「でも……楽しいですね、基地生活」

 

 「うん。何にも決まってないのに、いっぱい決められる感じ」

 

 「自由にして、自由の中で“ちょっとルール作ってみる”って、案外贅沢なんですよ」

 

 「じゃあさ、次のルールも作ろ?」

 

 「……では、次は“基地のおやつ係”をローテーション制に」

 

 「ええーっ!? さっきまでの私の功績は!?」

 

 「記録には残します。“だらだら通行認定証第001号所持者、初代おやつ係”。称号付きです」

 

 「……その称号、かっこいいんだかゆるいんだか……でも、ちょっとうれしい!」

 

 ふたりはくすくす笑いながら、次のページに“基地称号リスト”を作り始めた。

 

 『副基地長』『おやつ係』『ふかふか守衛』『よろけ推進官』──

 どれもたいした意味はないけれど、ちゃんと誰かがいて、思い出があって、名前がある。

 

 

「お姉ちゃん、基地の地図に“称号リスト”ってつけてもいい?」

 

 アルトリアがそう言って、ノートのはじっこに書き始めた。

 

 『副基地長』『おやつ係』『検問官』『ぐるぐる交差点の管理係』──

 

 「なんだか、えらそうな名前が多くなってきましたね」

 

 「えへへ、でもさ、“おやつ係”ってちょっとかっこよくない?」

 

 「では、その称号に“初代”ってつけましょう。“初代おやつ係”。歴史が出ます」

 

 「うわっ、なんか重みある〜!」

 

 ふたりでケラケラ笑いながら、新しい肩書きを考えていく。

 

 

 

 次に話題になったのは、“ふかふかで気持ちいい場所”の話だった。

 

 「“よろけ部屋”、作るんだったよね!」

 

 「はい。思いっきり力を抜いて、ふにゃーってできる場所。必要です!」

 

 段ボールの上に毛布を重ねて、クッションをたくさん集めて、雑誌を敷いて──

 できあがったのは、ふたりで転がれる“ふかふかスペース”。

 

 「よし、“ふかふかよろけルーム”、完成!」

 

 「名前のクセが強い!」

 

 そのままふたりで転がって、ごろんと寝そべる。

 

 「……動きたくなくなるね」

 

 「その通り。ここは“底なしよろけゾーン”……油断すると、二度と出られません」

 

 「こわっ! じゃあ、次は“緊急脱出ボタン”つけようよ!」

 

 「それはよい発想です。ジャンプ台も検討しましょう」

 

 

 

 寝転んだまま、アルトリアがぽつりと言う。

 

 「なんかさ、どんどんルールがふえていくね」

 

 「ええ。でも、それが楽しいんです。“決まりごと”を考えるのは、遊びですから」

 

 「じゃあさ、次のルールは“基地音頭”にしよ!」

 

 「音頭……踊りですね!? 文化の始まりです!」

 

 ふたりで歌詞を考えて、適当なリズムで体をゆらす。

 

 「“だらだら踊って よろけて寝て〜 ビスケット〜♪”」

 

 「完成度が……低いけど、なんか耳に残りますね……!」

 

 

 

 ふたりで笑っていると、アルトリアがふと、ノートを見ながら言った。

 

 「お姉ちゃん、この地図って、“遊んだこと”がのってるよね」

 

 トネリコはしばらくノートを見てから、小さくうなずいた。

 

 「“部屋の名前”も、“検問”も、“音頭”も。全部、私たちの思い出です」

 

 「じゃあ、次はさ、“迷ったときの部屋”作らない?」

 

 「はい。“よろけたときに、ちょっと休める場所”。とても大切です」

ふたりは、ノートの白いページをひらいた。

 

 「“よろけたときの部屋”、どこに作ろうか」

 

 アルトリアがくるくると鉛筆を回しながら、地図のすみっこを見つめる。

 

 「“おやつ庫”のとなりは、すでに“ふかふかよろけルーム”ですから……」

 

 「よろけ部屋とかぶっちゃうね」

 

 「いっそ、“よろけ特化型スペース”にしてみましょうか。もっとこう……くにゃん、と」

 

 「くにゃん!? じゃあ、入り口の床をちょっとナナメにするとか!」

 

 「いいですね。思わず足が“ぬっ”とすべる構造に」

 

 「ぬっ!? それ、基地にあるべき機能!?」

 

 トネリコはまじめな顔でうなずいた。

 

 「“気持ちが斜めのときには、入口もナナメに”。物理と心の一致を大切にしましょう」

 

 「哲学的……! 基地って、深い……!」

 

 ふたりは段ボールを引っ張り出して、端っこに“ななめ床”をつくり始める。毛布の切れはしをくるくる巻いて“ふち”にして、入り口には「すべり注意!」と書かれた紙をぺたり。

 

 「……なんか、もう“安全第一”な雰囲気になってきたね」

 

 「ええ、楽しい基地も、“対策”が必要なのです」

 

 「じゃあさ、部屋の中はどうする?」

 

 「よろけ部屋ですから、動きたくなくなる要素をたっぷりと」

 

 「おっけー、じゃあ“ぬいぐるみの山”!」

 

 「“ひとりだけにぴったりの毛布”!」

 

 「あと、“好きな音がずっと流れてるエリア”!」

 

 「それなら、“ぽつぽつ雨音CD”を流しましょう。効果抜群です」

 

 トネリコがスピーカーに見立てた空き箱を設置し、そこに「雨音」とマジックで書いた。

 

 「ここ、もう……ぜったい出られないやつだ」

 

 アルトリアが毛布にくるまりながらつぶやく。

 

 「よろけ部屋の完成度、すばらしいです。あとは、名前をつけましょう」

 

 「うーん……“ぐったりの間”? “やる気の谷”? “ぬくもりゾーン”?」

 

 「それらすべての意味を含んだ名前を提案します」

 

 トネリコは、ノートにすっと書き加える。

 

 『“ほわ〜ん室”』

 

 「……ほわ〜ん」

 

 「語尾が“〜ん”だと、急に力が抜けませんか?」

 

 アルトリアは一瞬だけきょとんとしてから、吹き出した。

 

 「うん、それ、好き!」

 

 ふたりはすぐに部屋のプレートを作って、入り口に立てかけた。

 

 『ここは“ほわ〜ん室”。急に元気を失っても安心!』

 

 「副基地長のくせに、どんどんよわよわになってる気がする……」

 

 「基地とは、“そのときの気分”で変化するものです。正しいです」

 

 

 

 しばらくして、トネリコがごろんと寝転びながら言った。

 

 「アルトリア、これで……“迷ったら休む場所”ができましたね」

 

 「うん、ちょっとだけへこんでも、帰ってこれる場所」

 

 「次は、“立ち上がるきっかけ”の部屋も必要でしょうか?」

 

 「……あっ、それ大事かも!」

 

 「では、名称は……“ひとまず元気ルーム”で」

 

 「ちょっと回復しそう!」

 

 こうして基地には、“よろけても安心な場所”と、“ちょっとだけ元気になれる場所”が追加された。

 

 ふたりの基地はまだまだ小さくて、まだまだガタガタだけど。

 “気持ちに合わせて動いてくれる地図”があるだけで、なんだか心は、ずっと広くなった気がした。

 

“ほわ〜ん室”の隅には、小さなメモ帳が置かれていた。

 表紙には「気持ちの記録」とだけ書かれていて、紙は何枚か使われていた。

 

 「お姉ちゃん、これ……書いてたんだ?」

 

 アルトリアがページをめくると、「今日は元気五割」「光の部屋の窓がきれいだった」「でも、ちょっと考えすぎて疲れた」──そんな一文一文が、小さな字で並んでいた。

 

 「はい。いわゆる、“ひとりごとの貯金帳”です。後で読み返すと、なんだかおもしろいので」

 

 「そっか……」

 

 アルトリアは静かにノートの最後のページを開いて、そこに「おやつを食べて、気分が百点になった」とだけ書き足した。

 

 トネリコがそれを横から覗いて、ふっと笑う。

 

 「……よろけからの、完全復帰ですね。さすが副基地長」

 

 「でしょ?」

 

 アルトリアがえへんと胸を張ると、トネリコは毛布をととのえながら立ち上がった。

 

 「では、そろそろ次の工事に取りかかりましょう」

 

 「えっ、もう!? まだ“ほわ〜ん”しててもいい?」

 

 「いいんですよ。基地の工事は“ほわ〜んしながら”進めるのが一番ですから」

 

 「……なるほど」

 

 アルトリアはその場に座ったまま、頭の中で“基地工事中にやりたいことリスト”を整理しはじめる。

 「新しい部屋」「迷路の強化」「おやつ警報装置」──気づけば、またページが埋まりそうだった。

 

 

 

 そんなとき。

 

 「……アルトリア、ひとつ、気づいたことがあります」

 

 「なに?」

 

 「この基地、部屋はたくさんあるのに、“玄関”がありません」

 

 「──あっ」

 

 ふたりは顔を見合わせた。驚きと、ちょっとの感動が入り混じったような顔で。

 

 「ほんとだ。入るところが……ない!」

 

 「ということは、ずっと中にいたんですね、私たち」

 

 「“帰ってきた”って言ってたけど、“出てない”可能性すらある……」

 

 「これは由々しき事態です。“基地に出入りできる構造”を考えなければ……!」

 

 トネリコがノートの余白に線を引きはじめる。アルトリアもすぐ横にしゃがみこんで、絵を描き足す。

 

 「“玄関のれん”、つけたい!」

 

 「“ただいま”と“いってきます”が両方書いてあるやつ、ですね」

 

 「あと、のれんの前には“気持ちスイッチ”も!」

 

 「入るときと出るとき、気分がちょっと変わる仕掛け……いいですね」

 

 

 

 しばらくして、ふたりは“基地の玄関”に決まった段ボールの小さな開口部に、紙ののれんを立てた。

 

 片面には「いってきます」

 もう片面には「おかえりなさい」

 そして真ん中に、小さなハートのスタンプ。

 

 「これで、どこに行っても……ちゃんと“帰ってこれる場所”になったね」

 

 「ええ。たとえ少しだけでも外に出て、どこかに迷って、やっぱり帰ってきたとき──こういうのがあると、ほっとするものです」

 

 ふたりは、並んでのれんをくぐってみた。

 声に出さなくても、“いまここに戻った”という実感が、毛布の中にふわりと広がっていく。

 

 

 

 「次は、“風の抜け道”とか作ろっか」

 

 「はい。“ときどき気持ちが通り抜けるための場所”。よい提案です」

 

 「っていうか……基地って、部屋だけじゃなくて、“気分でできてる”よね」

 

 「ええ。地図に描けないものも、けっこう大事なんですよ」

 

 そう言いながら、トネリコはまた、新しいページをめくった。

 “玄関”と書かれたその地図の横には、まだ真っ白な余白が広がっていた。

 

 アルトリアが笑って言う。

 

 「じゃあ、この空いてるとこは……“いまの気分を書くページ”!」

 

 「それ、基地法に加えておきましょう。“気持ちの余白は、大事にすること”」

 

 ふたりは笑いながら、また少しずつ地図を広げていった。

 基地は今日も、見えないまま、ちゃんと育っていく。

 

 

 

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