トネリコとアルトリアの田舎日和 作:イモ
小さな“玄関”ができた。
「……のれん、もう少し長くしてもいいかもしれませんね」
トネリコは膝をついて、紙の端を手のひらで撫でながら言った。 アルトリアはその隣で、赤いクレヨンを使って、のれんにちょっとした模様を描いている。
「ハートだけじゃさみしいから、ここに“ぐるぐる”も入れよ」
「“ぐるぐる交差点”と連携ですね。基地内のデザインに一貫性が出ます」
「基地の統一感、だいじ!」
笑いながら、アルトリアはクレヨンでくるくると渦を描く。下手っぴだけど、見てるとなんだか安心するような渦だった。
「……“ただいま”と“いってきます”も、ちょっと色変えた方が見やすいかな?」
「その判断、適切です。玄関は“ひと目で安心できる構造”が望ましい」
「じゃあ、“いってきます”は青、“おかえりなさい”はオレンジ!」
「青は“外へ出る覚悟”、オレンジは“帰るぬくもり”。色の選択に意味があるのですね……」
ふたりはしばらく無言になって、ペンを走らせる。 カーテン代わりの紙ののれんに、どんどんと気持ちが乗っていく。
「……アルトリア、“玄関の音”って、決めたほうがよいでしょうか」
トネリコが、ぽつりとつぶやいた。
「音?」
「ええ。“のれんをくぐったら鳴る音”。入ってきたときも、出ていくときも。そういう“気配”が残ると、なんだか嬉しくありませんか?」
「……なるほど。じゃあさ、小さい鈴つけよ?」
「採用です。では、リボンで吊り下げましょう」
すぐにリボンと、どこかで拾った小さな鈴が持ち出され、玄関の上でちりん、とひとつ音が鳴った。
ふたりで、顔を見合わせる。
「ちょっと、いい音……」
「ですね。これは“帰ってきた感”が増します」
そのあとしばらく、ふたりは“玄関の使い方”を実地で試すことにした。
「じゃあ、お姉ちゃんが“外に出て”、あたしが“おかえりなさい”って言う!」
「了解です。では、“いってきます”。──ただいま」
「ちょっと早っ!? 玄関の余韻がまだ鳴ってるうちに戻ってきてるよ!」
「……失礼しました。のれんの裏で気持ちを整理しきれませんでした」
「じゃあ、今度はゆっくり出て、のんびり戻ってきて!」
「かしこまりました。“そっと出て、そっと帰る”──難易度、やや高めです」
トネリコは慎重に、のれんをくぐり、すこし基地の外に出る。畳の上で一回転し、くるりと戻ってくる。
「ただいま、です」
「──おかえり!」
ふたりは顔を見合わせて、なぜか真剣にうなずきあった。
「ねえ、お姉ちゃん……この玄関、風が抜ける気がしない?」
アルトリアが、のれんの端を持ち上げながらつぶやいた。
確かに、そこだけ、空気がすうっと通るような感覚があった。段ボールと毛布に囲まれた空間なのに、不思議と風が通っている。
「“風の抜け道”……良いネーミングです」
「地図に書いてもいい?」
「ええ。そこは“気持ちが通る通路”として記録しておきましょう」
ふたりでノートを開き、新しく描かれた“玄関”の隣に、“風の抜け道”という細長いスペースを加える。
「じゃあ、この道を通るときは、“言いにくい気持ち”をちょっとだけ飛ばしていい、ってルールにしようか」
「……素敵な提案です。風に乗せて、流す気持ち。言えないままでも、基地の中に残しておけるんですね」
「うん。ちゃんと“ここを通った”ってだけで、ちょっと楽になるようにしたいなって」
そのときふと、外からの風が紙ののれんを揺らした。 ちりん、と鈴が鳴る。
「……これは、風からの“ただいま”でしょうか」
「えへへ、それ、ちょっといいね」
アルトリアが鈴を見上げる。
しばらくして、“風の抜け道”に置くためのアイテムも決まった。
「小さなメッセージカードを置いておきましょう。“風に言いたいこと”を書いて通すんです」
「うん。“ふわっとした気持ち専用ポスト”って感じで!」
箱をひとつ置いて、アルトリアがカードに「わたし、ちょっと元気です」って書いた。
「……ちょっとだけ、ってのがポイント?」
「うん。“ちょっと”って気持ち、風に合うから」
そう言いながら、カードをそっと箱に入れた。
ふたりはそのあとも、玄関の前で何度ものれんをくぐった。
「いってきます」「おかえり」「ただいま」「もうひとまわりしてくる」
何度繰り返しても、そのたびに小さな気持ちが切り替わる。 段ボールの隙間から、今日の夕方がゆっくりと差し込んでくる。
ふたりはそれを眺めながら、口を揃えて言った。
「“玄関”、つけてよかったね」
「──でさ、お姉ちゃん」
「はい」
「この玄関、鍵って、いると思う?」
「……玄関に鍵」
トネリコは真剣な顔で考え込み、次の瞬間、勢いよくメモ帳を開いた。
「基地法・追加案。“勝手に入ってくる風、対策すべし”」
「風は敵!?」
「油断できません。“思い出し恥ずかしさ”とか、“突然の眠気”とか、風はそういうのに乗ってきますから」
「じゃあ鍵つけよ! がちゃってやつ!」
「作りましょう。“気持ちロック機構”!」
ふたりはすぐさま作業に取りかかる。使うのは輪ゴム、洗濯ばさみ、折り紙の残骸──そしてなぜか、使用済みのアイスの棒。
「よし、鍵っぽい形できた!」
「これは“気持ちがカギ型になったときだけ”開く仕組みです」
「えっ、じゃあ“もやっとしてる気持ち”じゃ入れないの!?」
「もやっとしてるなら、“風の抜け道”で干してから入ってください」
「やさしいのか、厳しいのか、よくわかんない基地になってきたなぁ……」
玄関のすぐ横に、手作りの「鍵をかけるフリスイッチ」も設置された。
「押しても何も起きないけど、“かけた気分”にはなれます」
「逆に一番信用しちゃいけないやつじゃん!?」
そのとき──
「ぴんぽーん!」
唐突にアルトリアが口で効果音を出す。
「!? だ、誰か来た!?」
「わたしです!」
「インターホン自演やめて!? 玄関が混乱する!」
「混乱が醍醐味でしょう?」
「くっ……副基地長のくせに自由すぎる……!」
それでも、きちんと“対応”を行うのが基地のルール。
「お客様、ようこそ。“だらだら基地”へ!」
「ええと……“宅配便です!”」
「なにを運んできたんですか?」
「“今日のおやつと、ついでに疲労感です!”」
「それ、返品できませんか!?」
「すみません、開封済みです!」
騒ぎのあいだに、風がふっと吹き、鈴がちりんと鳴った。
「……お姉ちゃん、“今の風”、ちょっと笑ってなかった?」
「笑い声のような風……それは、“玄関が基地の一員になった証拠”です」
「玄関って、生き物だったの!?」
アルトリアがふと、のれんの端をぺらっとめくった。
「──じゃあさ、次、これつけようよ。“のれんの覗き穴”!」
「それ、のれんの意味……!!」
「いや、こう……くぐる前に“中の様子”をちょっとだけ見れるように」
「見えても、基地の中、段ボールと毛布しかありませんよ?」
「でも、ほら、精神的にほっとする!」
「それなら、“心の準備穴”として正式採用です!」
「やったぁ!」
新たに設置されたのは、のれんにあけられた小さな三角形の穴。 そこから顔を出すと、たしかに……毛布の影から、ぬいぐるみが逆さまにぶらさがっていた。
「……なんか、見なきゃよかった気もするね?」
「それが“基地の現実”です。油断したら、逆さまです」
そして、トネリコがぽつりとつぶやく。
「でも……なんか、ちゃんと“ただいま”って言いたくなる場所になってきましたね」
「うん。入るときの気分、出るときの気分、迷ってるときの気分──みんな、ここ通るからね」
「なら、最後にひとつだけ。新しい紙を貼っておきましょう」
ふたりは玄関の真上に、紙をぺたり。
『ここは、気分が戻ってくる場所。』
アルトリアが、それを見上げて小さく笑った。
「──じゃあ、改めて」
のれんをくぐって、元気に言う。
「ただいまっ!」
「おかえりなさい、副基地長!」
基地は今日も、ぬるっと楽しく、全力で成長中である。
「……ねぇ、お姉ちゃん。さっきさ、玄関をくぐったとき、なんか“忘れてる”感じしなかった?」
「……“鍵かけたか”の不安、ですね?」
「それそれ! なんか……気になっちゃって、またくぐり直したくなった!」
「では、基地に“出入り記録帳”を設けましょう」
「えっ、それ、地味に面倒なやつじゃ……」
「大丈夫です。“ひとこと書くだけ”です。“ただいま(本気)”とか、“いってきます(だるい)”とか」
「かっこの中で感情がにじみ出てるー!」
トネリコがさっそく段ボールの切れ端に日付と時刻を書いて、「基地記録帳」とタイトルをつけた。
「じゃあ、今日の一発目は──“ただいま(朝から眠い)”。記録完了です」
「よしっ、“いってきます(おやつ探し)”!」
「それ、出る必要ないですね!? 基地内ですべて完結してる目的!」
ふたりは玄関前に交互に並び、ひとつ出ては、ひとこと書く。気がつけば記録帳がどんどん埋まっていく。
「“ただいま(あんまり出てなかった)”」
「“いってきます(さっきも行った)”」
「“ただいま(気づいたら基地)”」
「“いってきます(書きたいから出る)”」
「……これ、“ただ記録帳を埋める遊び”になってきてない?」
「その通り。“基地帳埋め大会”開催中です」
「公式化されたー!!」
と、そのとき。
「ぴんぽーん(自作)!」
またしてもアルトリアが口でチャイム音を鳴らす。しかも、今度はちょっとエコー付き。
「また自演訪問!?」
「違うよ! 今回はちゃんと理由あるもん!」
「なんです?」
「“配達物の受け取り”!」
「……届いてないですよ?」
「いや、来たの。“ぐったり”が! だるさが届いた!」
「……それは“受け取らない”選択肢が必要ですね」
トネリコは即座に紙を取り出し、“気持ち拒否ポスト”と大書した。
「ここに“いまは受け取らない気分”を入れておくと、玄関が“預かって”くれます」
「じゃあ、“ぐったり”を入れる……ポイ!」
「“気持ちの一時預かり”。基地のサービスがまたひとつ増えました」
しばらくして、今度はトネリコが言う。
「……そろそろ、“基地の外に行く理由”を真面目に考えておきたいです」
「おやつの買い出し?」
「それ以外で!」
しばらくふたりでうーんと唸ったあと──
「じゃあ、“基地外ミッション”をつくろうよ。出発前にくじを引いて、今日の任務を決める!」
「いいですね、それ。“無目的な出入り”が防げます」
「じゃ、いくよっ! アルトリアミッション引きまーす!」
紙くじを一枚ぺらりと引いて、読み上げる。
「“冷蔵庫に行ってプリンの生存確認”……!!」
「重要任務です! 冷蔵庫は“文明の境界線”ですから!」
「わたし、行ってきます! 任務名“プリンセーフ作戦”!」
アルトリアが勇ましく玄関をくぐり、風の抜け道を横切って部屋を飛び出していく。
「……ただの冷蔵庫なのに、なんか壮大になったなぁ」
トネリコは笑いながら記録帳に書き込んだ。
「“出発:プリンセーフ作戦。帰還を祈る”」
基地の玄関が、今日もいろんな“出入り”を見守っていた。
「──帰還しました、“プリン、無事”です!」
アルトリアが手を振りながら、玄関ののれんをくぐる。頭にはなぜか毛糸の帽子、片手には空っぽのプリンの容器。
「……空じゃないですか」
「試食、必要だったので!」
「セーフじゃないじゃん!」
「でも、“おいしかったので精神的に無事”です!」
「……むむ、判断に困りますね。“精神的プリンセーフ”ということで記録しておきます」
トネリコは記録帳にそう書きながら、アルトリアの荷物検査を行うフリをする。
「ミッション中に拾ったものは?」
「えっと……スプーン、ふた、つまようじ、お腹の満足感!」
「基地法に則り、“満足感”は一時申告が必要です!」
「そんな法、いつの間に……!? もう基地の法、多すぎない!?」
そのままふたりで法規の確認作業に突入する。
「基地法001、“だらだらスペースの使用には心構えが必要”」
「基地法004、“おやつのこぼし事故は、楽しそうなら不問”」
「基地法019、“風の抜け道では3歩だけ偉そうに歩くこと”」
「……うわ、もう019番までいってる!」
「ルールが増えると、“基地に文明感”が出ますから」
「文明感って何!?」
しばらくして、アルトリアが唐突に言った。
「ねえお姉ちゃん、これ……ちょっと、面倒じゃない?」
「どこがですか?」
「記録とか、出入りとか、いちいち手書きじゃん。もっとこう、“効率化”したくない?」
トネリコは目を細める。
「……まさか、あなた……ついに“基地のIT化”を?」
「ちがう! “玄関パス制”にしようと思って!」
パスとは何か? つまり、「その日、どの気分で出入りしていいか」の申告カードである。
「たとえば、これ。“やる気30%通行証”!」
「なるほど。“ちょっとだけ頑張れる日”に使えるパスですね」
「“やる気2%パス”も作るね。“トイレ行くだけ”って書いとく」
「それ、存在そのものがゆるい!」
「あとこれ、“意味なく出る許可証”!」
「それもう、ただの散歩ですね!」
パスカードはたちまち山のように増えた。
「“おやつだけ帰還許可証”」 「“玄関渋滞緩和特別措置”」 「“気まずい空気から逃げてきた通行証”」 「“うっかり出てうっかり戻る認可書”」
「……もはや、“通行理由の博覧会”ですね」
「ねえお姉ちゃん、これ、“基地パス展示室”つくる?」
「いいですね。“気分による認可文化”を、記録・保存していきましょう」
こうして、基地の隅に「パスギャラリー」と名付けられた一角が作られた。
段ボールの壁に、ぎっしり貼られた通行証。よく見ると、どれも手書きで字が微妙にゆがんでいる。
「ねぇ、これさ……ぜんぶ読んでくと、“わたしたちの気分の歴史”になるよね」
「ええ。“いまここにいる理由”を毎回考えてたら、たぶん……そのぶん、ちゃんと記録になってるんですよ」
そう言いながら、トネリコは新しいカードを一枚書いた。
『“気分で出入りしていい基地”認可証 第000号』
「……これは、誰が持つの?」
「もちろん、“ふたりで”。基地の“最高通行権”ですから」
アルトリアがぱっと笑って、カードの端を持つ。
「じゃあ、いまから──“ふたりで一緒に玄関をくぐる”ってことで!」
「はい。“おかえり”も“いってきます”も、セットで!」
のれんがふわりと揺れて、鈴がちりんと鳴った。
基地の中に、新しいルールがまたひとつ増えた。 それは、“ふたりで決めた気分の入口”。遊びのようで、でもちょっとだけ本気のやつだった。