トネリコとアルトリアの田舎日和   作:イモ

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届けたい、私の声

 

 ページをめくる指をふと止めて、トネリコはそっと顔を上げました。

 

 図書館の空気が、今日はいつもよりもやわらかく感じられます。午後のやさしい光が窓から差し込み、隣に座るアルトリアの金髪をふわりと照らしていました。揺れる麦のように、あたたかな光を受けて、きらきらと輝いています。

 

 「……本当に、静かですね」

 

 ぽつりとつぶやくと、アルトリアが顔を上げ、こちらを向きました。

 

 「ねえ、お姉ちゃん。今日の図書館、なんだか落ち着くね」

 

 その瞳には、少しだけ安心したような、柔らかな色が浮かんでいます。トネリコは、静かに頷きました。たしかに、今日は周囲の気配も穏やかで、聞こえてくるのはページをめくる音とふたりの呼吸だけ。

 

 その静けさが、まるで「この時間は、あなたたちのためにあります」と囁いてくれているように思えました。

 

 「お姉ちゃん、これ読んでくれる?」

 

 アルトリアがそっと差し出してきたのは、彼女が読んでいた絵本でした。表紙には、古いオルガンの上に座る小さな猫が描かれています。木の質感がにじむ、素朴でやさしい装丁。

 

 「……『まっすぐな声』。素敵な題ですね」

 

 

 「うん。なんかね、最初の数ページで、ぐっと来ちゃって……。でも私、うまく読みきれないの。続き、読んで」

 

 その頼み方はどこか照れくさそうで、それでも素直だった。トネリコは微笑みながら頷き、受け取った本のページをそっとめくる。

 

 言葉は簡単なのに、胸に染み込んでくるような優しい文章だった。

 

 ――小さな猫は、歌うことが好きでした。でも、その声は誰にも届きませんでした。

 

 読み進めるうちに、トネリコは不思議な感覚に包まれていった。

 

 この物語はきっと、誰かに届けたい「まっすぐな気持ち」の話なのだと、そんな確信が胸の奥で芽生える。

 

 ふと視線を上げると、アルトリアがじっとこちらを見つめていた。期待と、少しの不安を混ぜ込んだような眼差し。

 

 「どう? 続き、気になる?」

 

 「……ええ。とても、わかりました。では、お借りしますね」

 

やさしく微笑みながら本を受け取り、ページを静かにめくります。淡い色で描かれた挿絵と、やわらかな言葉。どの一文にも、まっすぐで誠実な思いが込められていました。

 

 ――「まっすぐな声は、まっすぐな心の形です」

 

 読み進めるうちに、トネリコの声音も、ほんのわずかに揺れていました。

 

 アルトリアはじっと、こちらを見つめています。物語に引き込まれているその横顔は、いつもの元気な様子とは少し違って、どこか凛としていて――それでいて、とても幼く、無防備にも見えました。

 

 ページを閉じると、トネリコは静かに息を吐きました。

 

 

 「……とても、いいお話でしたね」

 

 「うん……」

 

 アルトリアは目元を指でぬぐいながら、はにかむように笑いました。

 

 「お姉ちゃんの声で聞いたから、もっと届いた気がする。なんか、あったかくて……落ち着く」

 

 「それは、嬉しいです。……でも、きっとアルトリアさんがまっすぐな子だからこそ、“まっすぐな声”をちゃんと受け止められたのだと思いますよ」

 

 「えへへ……ありがとう。でもちょっと泣いちゃったのは、ないしょだからね?」

 

 「もちろん、秘密です」

 

 小さな秘密を共有して、ふたりはまた、並んで静かに座りました。

 

 午後の図書館には、言葉にならない想いだけがそっと残り――

 

 その静けさは、ふたりの心を、やさしく包み込んでくれるのでした。

 

 微笑みを浮かべ、トネリコは本を受け取る。ページをめくる音が静かに響き、優しい言葉が静けさに染み込んでいく。

 

 その物語の一文一文が、まるで語り手自身の心をすくい上げるようだった。

 

 ――「まっすぐな声は、迷わない。まっすぐな心を、抱えているから」

 

 読み進めるうちに、トネリコの声もまた、どこか揺らぎ始める。

 

 アルトリアが黙って聞いている。時折、息を飲んだり、瞳を細めたり。その横顔は、子どもというより、小さな騎士のようで――それでいて、どこまでも無防備だった。

 

 ページを閉じたとき、トネリコは静かに息を吐いた。

 

 「……いいお話だったわね」

 

 「うん……」

 

 アルトリアは、ほんの少し目を潤ませていた。そして、少し照れたように笑った。

 

 「お姉ちゃん……この猫、ちょっと、私みたい」

 

 唐突に、アルトリアがぽつりと言った。

 

 「誰にも届かない声で、頑張ってるところとか、ちょっとおっちょこちょいなところとか。あと……ほんとは誰かに聞いてほしくて歌ってるってとことか」

 

 トネリコは、手の中の本を見つめたまま、そっと息を吐いた。

 

 「そうかもしれませんね。でも、あなたの声は、ちゃんと届いていますよ」

 

 「ほんとに?」

 

 「ええ。少なくとも、私はちゃんと聞こえています。あなたの思っていること、感じていること……」

 

 

 そう言って、トネリコは微笑みました。やさしく、静かな光を湛えた笑みでした。

 

 アルトリアは一瞬ぽかんとしてから、きゅっと目を細めて笑います。

 

 「お姉ちゃんは、ずるいなあ。そう言われたら、泣けなくなっちゃう」

 

 「……泣いてもいいんですよ。場所は、ここですから」

 

 そう、ここは静かな図書館。誰もふたりに気づかない、秘密の場所のようで。

 

 アルトリアは少しだけ身を乗り出して、テーブルにあごを乗せました。頬に髪がふわりとかかって、どこか猫のようにも見えます。

 

 「ねえ、お姉ちゃん」

 

 「はい」

 

 「お姉ちゃんも、歌ってるの?」

 問いの意味を一瞬理解できず、トネリコはわずかに目を見張りました。

 

 「ほら、その猫の子みたいに。誰かに届くかどうかもわからないけど、心の中で何かを、ずっと、歌ってるような」

 

 それはきっと、アルトリアなりの言葉でした。誰より感受性が強く、まっすぐで、そしてよく人を見ている子の。

 

 「……歌っているのかもしれません。気づかないうちに」

 

 「じゃあさ」

 

 アルトリアはくすっと笑いました。

 

 「お姉ちゃんの声も、私、ちゃんと聞いておくね」

 

 今度は、トネリコが息を呑む番でした。

 

 驚きと、戸惑いと、それから……温かな何かが胸に広がっていきました。

 

 「……ありがとう、ございます」

 

 言葉が少しだけ震えました。けれど、それはきっと――嬉しさから。

 

 再び視線を落とすと、絵本の猫が、ほんの少しだけ笑っているように見えました。

 

 ふたりはそのまま、何も言わず、ページをめくり続けました。

 

 小さな猫が歌い続けたその先に、誰がいて、どんな結末が待っているのかを、静かな時間のなかで追いながら。

 

 図書館の空気はやわらかく、午後の光がページの上で揺れていました

 

 「お姉ちゃんの声、やっぱり落ち着くなあ。……物語が、心に届いた気がする」

 

 「ふふ。ありがとう。でも……きっと、あなたがまっすぐな子だからよ。まっすぐな声に、ちゃんと気づけるくらいには」

 

 「えへへ……そうかも。あ、でもちょっとだけ泣いたのは、秘密ね?」

 

 「もちろんです‼︎」

 帰宅してからのアルトリアは、どこか静かだった。

 

 玄関を入ると「ただいま」と小さく声を出して、スニーカーを脱ぎ、上がり框に腰を下ろして靴を整える。その仕草は普段と変わらないはずなのに、トネリコにはどこか丁寧すぎるように見えた。

 

 台所では、夕飯の支度が始まっていた。トネリコはエプロンの腰紐を結びながら、ちらりとリビングの様子を伺う。

 

 アルトリアはクッションを抱いてソファに座り、窓の外をぼんやりと見つめていた。陽は傾き、山の稜線に沿って色が変わっていく空。その光を、じっと追っている。

 

 「アルトリア」

 

 呼びかけると、ふり返った妹は少しはにかんだように笑った。

 

 「うん、大丈夫だよ。考えごと、してただけ」

 

 「……そうですか」

 

 トネリコはそれ以上、何も問わなかった。けれど内心では、気づいていた。きっと、図書館で読んだあの物語が、アルトリアの中でまだ響いているのだと。

 

 夕飯の準備が整うと、二人は向かい合って食卓についた。

 

 その夜のメニューは、焼き鮭と味噌汁、胡麻和えと少しの漬け物。いつもと変わらない、けれど穏やかな献立。

 

 箸を進めながら、ぽつりとアルトリアが言った。

 

 「ねえ、お姉ちゃん。私って、ちゃんと“届いてる”かな」

 

 「……はい?」

 

 「さっき言ってくれたでしょ。私の声は届いてるって……でも、本当に? お姉ちゃんには、ちゃんと見えてる?」

 

 その問いに、トネリコは箸を置いて、まっすぐ妹の目を見る。

 

 「はい、見えています。届いています。あなたが笑っているときも、黙って考えているときも……。私は、ずっと見てきましたから」

 

 アルトリアは目を伏せた。けれど、その頬には、ふわりとした安堵の色が差していた。

 

 「そっか……そっかぁ。なら、よかった」

 

 まっすぐな声が、少し震えながらも、確かに言葉になっていた。

 

 トネリコは、そっと微笑む。

 

 「あなたが今日読んだ物語と、同じですね。伝えようとした気持ちは、きっと誰かに届く。……あなたの声も、想いも、まっすぐであればあるほど」

 

 その言葉に、アルトリアは顔を上げて、小さく、けれどとても素直に笑った。

 

 「……うん。ありがと、お姉ちゃん」

 

 夕暮れの光が完全に消えるころ、窓の外には月の輪郭が淡く浮かんでいた。

 

 姉妹の食卓には、まだ温かい湯気と、少しだけ甘い匂いが残っていた。

 

 

翌朝。朝の光が障子を透かして、淡い影を畳の上に落としていた。台所からは湯気の立つ味噌汁の香りが漂い、静かな田舎の一日が、また始まる。

 

 トネリコが居間に戻ると、そこにはすでに、きちんと正座したアルトリアの姿があった。

 

 「おはようございます、姉上」

 

 「……はい?」

 

 トネリコは目を瞬かせた。普段なら、どこかまだ眠たげにあくびをしているはずのアルトリアが、今日はまるで舞台に立つ前の役者のような顔で、真剣な眼差しを向けてくる。

 

 「その口調は……何かありましたか?」

 

 「えへへ、ちょっとだけ練習中」

 

 気恥ずかしさを隠すように笑いながら、アルトリアはちゃぶ台の味噌汁を、そっと押し頂いた。

 

 「昨日、お姉ちゃんと話したでしょ。思ってることを、ちゃんと声にするって」

 

 「……ええ。覚えていますよ」

 

 「だから、せめて今朝はちゃんと、丁寧に言ってみようかなって思って」

 

 その言葉の中に、ほんの少しだけ――けれど確かに宿る、勇気のようなものをトネリコは感じた。彼女は頷き、そっと微笑む。

 

 「では、改めまして。おはようございます、妹上」

 

 「うんっ!」

 

 ふたりの声が、ぴたりと揃って、静かな部屋に和やかに響く。

 

 「いただきます」と手を合わせたその瞬間、いつもの朝食が、少しだけ特別な時間に思えた。

 

 

 

 食後の食器を片づけているとき、アルトリアが、少しもじもじしながら口を開いた。

 

 「……ねえ、お姉ちゃん。今日、ちょっとだけ出かけてもいい?」

 

 「はい?」

 

 「その、図書館じゃなくて……村の掲示板の方」

 

 「珍しいですね。何か目的でも?」

 

 トネリコが首を傾げると、アルトリアは湯呑みを両手で包みながら、ぽつりと呟いた。

 

 「……昨日ね、本を読んでて思ったの。誰かに言いたいことがあるのに、うまく言えない時って、すっごく苦しくなる」

 

 「……ええ」

 

 「だから、手紙を書いたの。誰宛ってわけじゃないけど、なんか、空に向かって言いたくて。声にならない気持ちを、言葉にしておきたかったんだ」

 

 その言葉に、トネリコはゆっくりと頷く。彼女の中で、またひとつ季節がめくれたような気がした。

 

 「……それは素敵なことですね。掲示板にお願いして、貼ってもらいましょう」

 

 「うん、ありがとう!」

 

 

 

 村の掲示板には、季節の行事や、迷い猫の張り紙、子どもたちの描いた絵が並んでいた。色とりどりの紙の中に、アルトリアの手紙が一枚、そっと加わる。

 

 

---

 

「声を届けたい誰かへ」

 

ときどき、何を言えばいいかわからなくなるときがあります。

 

でも、それでも伝えたいことがあります。

 

ありがとうとか、ごめんねとか、さみしいとか、うれしいとか。

 

声にしないと届かないことって、いっぱいあるんだなって、私は思いました。

 

この手紙を読んだ誰かが、ちょっとだけ、やさしい気持ちになれますように。

 

――アルトリアより

 

 

 

 

 掲示板の前で手を合わせるアルトリアの表情は、少し緊張しているようで、それでもどこか晴れやかだった。

 

 「……貼れたよ」

 

 「誰か、読んでくれるかな」

 

 「きっと、誰かの心に届きますよ。言葉は、不思議と、ちゃんと道を選んで進んでくれるものですから」

 

 「……じゃあ、いい一日になりますようにって、お祈りして帰ろっか」

 

 ふたりは並んで手を合わせる。その姿はまるで、神様へのお供えのように、素朴で清らかだった。

 

 

 

 小さな村の風が、手紙の端をやさしく揺らす。

 

 まっすぐな声は、まるで小石を投げた水面の波紋のように、どこかで、静かに誰かの心に届くだろう。

 

 それがきっと、いつか誰かの優しさに変わる日がくると信じながら――。

トネリコは湯呑みに口をつけたあと、ふぅと小さく息を吐いた。朝の静かな時間に、こうして並んで本を読む日々が続いていることが、最近ではささやかな喜びになっていた。

 

 そんな彼女の前で、アルトリアは夢中でページをめくっていた。

 

 「……あ、ここ。小人が雨宿りに使ってるのって、空き缶じゃない? 前に拾ったやつと似てる!」

 

 ページの挿絵を指さして、アルトリアが身を乗り出してくる。目はきらきらと輝き、どこか自分の体験と物語を重ねるような口ぶりだった。

 

 「似ていますね。……というか、そちらが勝手に空き缶を拾ってきたのでは?」

 

 「えへへ。ほら、あれ捨てられてたんだよ? だったら、小人が使うかもしれないって思っただけで……」

 

 トネリコは苦笑しながら首を振る。だがその表情には、どこか柔らかい温度が滲んでいた。想像力は暴走気味だが、それもこの妹らしいところだ。

 

 「ねえお姉ちゃん。小人って、私たちが気づかないところで、すっごく頑張って生きてるんだね」

 

 「……ええ。見えないからこそ、想像できるのです。そこが、物語の面白さですよ」

 

 ページを読み進めながら、アルトリアは何度も小さな「うん」と頷いていた。

 

 読み終わった後、アルトリアはしばらく黙っていた。手の中の本をそっと閉じて、そのまま膝の上に置く。

 

 「……お姉ちゃん。小人がね、最後に空を見上げて“ありがとう”って言うの。誰に言ったのかな」

 

 その問いに、トネリコは少しだけ考える素振りを見せてから、言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。

 

 「たぶん……その小人を見つけてくれた誰かに。そして、ちゃんと送り出してくれた誰かに、でしょうね」

 

 「……ふふ、じゃあ、ちょっと私っぽい?」

 

 「自覚があるのなら結構です」

 

 アルトリアは照れ笑いを浮かべながら、指先で表紙を撫でた。その仕草には、どこか別れを惜しむような気配があった。

 

 そしてふと、彼女が言った。

 

 「私さ、この本……返すの、ちょっと寂しいな」

 

 「それは、いい本と出会えた証拠です。……でも、寂しさは、次の出会いをより大切にするための準備でもあるんですよ」

 

 「……うん。じゃあ、次の本も、大切にする」

 

 その言葉を聞いて、トネリコはそっと目を細めた。

 

 風が窓から入り込み、カーテンがやわらかく揺れる。

 

 その揺れの向こうに、ページのない新しい一日が、ゆっくりと始まろうとしていた――。

 昼下がり、ふたりは縁側に並んで腰を下ろしていた。陽が高く、木漏れ日が畳の上にゆらゆらと模様を描いている。

 

 アルトリアは絵本をぎゅっと胸に抱え、足をぶらぶらと揺らしていた。先ほど読み終えたばかりの物語が、まだ心の中で余韻を残しているのだろう。口元は微かに結ばれていて、珍しく静かだった。

 

 「……返しに行く前に、もう一回だけ読んでもいい?」

 

 ぽつりと漏らしたその声に、トネリコは小さく頷いた。

 

 「ええ。読み納めとして、ゆっくり読んであげてください」

 

 「うんっ」

 

 アルトリアは嬉しそうに本を開いた。指先でページをめくるたび、ひとつひとつの言葉を確かめるように、今度は声を出さずに読んでいく。

 

 トネリコはその様子を隣でそっと見守っていた。最初は「絵が可愛いから」と手に取った一冊が、こうして彼女の中に大切なものとして残っていること。それが、何よりも嬉しかった。

 

 しばらくして――。

 

 「……ふぅ。これでほんとに、最後」

 

 アルトリアが本を閉じ、そっと膝の上に置く。少しだけ目元が赤いのは、気のせいだろうか。

 

 「また読めるといいなぁ。いつか、もっと大人になってからとか……」

 

 「同じ本でも、読む時によって感じ方が変わりますからね。次に読む時は、きっと今日とは違う気持ちになるでしょう」

 

 「それって……なんか、ちょっと不思議。でも、楽しみかも」

 

 ふたりはゆっくりと立ち上がり、本を抱えて玄関へ向かった。

 

 

---

 

 図書館への道すがら、道端の草むらからは虫の鳴き声が聞こえ、木の葉のざわめきが夏の風に運ばれていた。

 

 アルトリアは黙ったまま歩いていた。いつもなら、おしゃべりが止まらない彼女が、今日はなぜか口数が少ない。

 

 「……お姉ちゃん」

 

 「はい?」

 

 「“さよなら”って言わなくていいかな。“またね”って言ってもいい?」

 

 トネリコはその問いに、やわらかく微笑んで答えた。

 

 「ええ。あなたの気持ちをこめて、その言葉を選びましょう」

 

 図書館に着き、カウンターに本を差し出すと、職員の女性が笑顔で迎えてくれた。

 

 「あら、この絵本。とても丁寧に読まれていましたね」

 

 「えへへ、すっごく好きだったから……!」

 

 アルトリアは少し照れくさそうに笑いながら、本にそっと触れて、「――またね」と静かに呟いた。

 

 

 

帰り道。

 

 虫の鳴き声が遠くから響き、木々の間を抜けてきた風が、ふたりの髪をやさしく揺らした。田舎の道は静かで、どこまでも続いていくように見える。

 

 アルトリアは、図書館で返してきた絵本のことを思い出していたのか、ふと立ち止まり、ぽつりと口を開いた。

 

 「お姉ちゃん、次の本、何がいいと思う?」

 

 その問いかけに、トネリコは少し考えるように目を細め、空を仰いだ。

 

 「そうですね……たとえば、誰かを助ける物語。あるいは、自分の心を旅するようなお話もいいかもしれません」

 

 「むぅ……哲学っぽいのは、ちょっと苦手かも」

 

 アルトリアは頬をふくらませ、地面を見つめて小さく蹴った。けれどその表情には、選んでもらいたいという素直な気持ちがにじんでいた。

 

 「なら、最初は分かりやすくて、でもじわっと胸に残るようなものを」

 

 「お姉ちゃん、探してくれる?」

 

 「ええ。あなたが飽きずに読み切れる本、ちゃんと見つけてきます」

 

 トネリコの声には、どこか頼もしさとあたたかさが混じっていた。

 

 「じゃあ、その時は一緒に読もうね」

 

 「もちろんです」

 

 小さな約束を交わしたその瞬間、ふたりの間に流れる空気が、少しだけ未来の匂いを含んだように感じられた。

 

 

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