ようこそパンドラの教室へ 作:人生とは何か
瑠璃のクラスは説明後、スキンヘッドのクラスメイトの提案で自己紹介を行うことになった。
私たちは3階まで上がり、綾小路がこれから過ごす教室の前にやって来た。中には多くの生徒が騒いでおり、非常に騒々しい。
「ここが俺のクラスか......じゃあ、ここでお別れだな小鳥遊」
「そうだね。じゃあ、また放課後に寄らせて貰うから、忘れないでね」
「ああ。分かった。放課後にまた会おう」
綾小路はそう言い教室に入って行った。私は彼が教室に入ったことを確認し、自分が過ごす教室へと向かう。
1年Aクラスと表札に書かれた教室をすぐに見つけ、教室の中へと入る。教室の中では多くの生徒が自分の席に座って静かに過ごしていた。
Aクラスの教室にやってくるまでの間、Dクラス、Cクラス、Bクラスの教室の前を通ってきたが、どのクラスも異質だった。
綾小路がいるDクラスは騒がしくまるで私が昨年まで過ごしていた孤児院を連想させたが、孤児院では子供たちは自立を促されるため、彼らより大人びているので少し違うような気がする。
Cクラスは大声で怒鳴る声が聞こえ、乱闘騒ぎの暴力的なクラスで、不良ドラマでも観ているかのようだった。
そして最後にBクラスだが、このクラスは1人の女子生徒を中心にまるで神を崇めるかのように親睦を深め合っていた。入学して数分でただ仲の良いクラスというのも不気味だが、彼女に心酔しているような生徒が多いというのも宗教的な怖さを感じさせる。
私がこれから過ごすAクラスは、どのクラスとも対照的に静かで落ち着いていた。孤児院の以上の幼稚さも、暴力も、宗教的な恐怖も無い、普通のクラスだ。入学初日、出会って数分なのだから会話が0というのも不思議ではない。中学の入学式のホームルーム前の時と何ら変わらない。過去の情景とよく似た光景に私は心から安堵した。
そして、黒板に書かれた座席表を確認し、自分の席に着く。私の席は窓側から2列目の最後尾だ。授業中に落書きや内職がしやすい位置でこれまた安堵した。
「おはよう。全員揃っているようだな」
数分後、筋肉質でプロレスラーのような外見をした男性が教室の前の扉を開け、中に入って来た。
「今から今年度最初のホームルームを始める。入学初日から欠席者が出たクラスもあるが、流石はAクラスだな。俺の名前は真嶋智也だ。我が校では英語の授業を担当している。これから3年間、君達のクラスの担任を務めることになった。よろしく頼む」
どうやら彼は見た目に反して知的な人間のようだ。一見体育会系のように見えるが、どちらかといえば対極のようだ。性格はどちらかと言えばドライでよく言えば冷静、悪く言えば冷徹な印象を持った。それにしても3年間、ということからクラス替えが行われないことが推測される。
世間ではクラス替えを行わない学校もあるため、不自然では無いが、人間関係に問題ができた場合クラス替えはして貰えるのだろうか。
「では今から我が校に関する説明と今後の日程について話していく。まずは前者から説明していこう」
真嶋はそう言い、教卓の上に置かれた冊子と電子端末を各列に人数分配布していく。前から後ろへと冊子と電子端末が回され、ついに私の元へやってきた。冊子には『高度育成高等学校入学案内』というタイトルが印字されており、入学前に届いた入学案内と全く同一のものだということが分かる。
「我が校では3年間クラス替えが行われない。だから、このクラスは3年間俺が担任を務めることになっている。そして、君達も分かっているとは思うが、3年間外部との連絡が絶たれる。しかし、だからといって不安に思う必要は無い。外にいる家族に何かあれば、君たちにもその都度連絡し、連絡が取れる配慮はするのでそこは安心してくれ」
外部と連絡が断たれるとはいえ、やはり政府が運営する学校だ。最低限の道徳的配慮はなされているらしい。
「我が校で生活する生徒諸君には毎月ポイントが支給され、このポイントを使って買い物や施設の利用をすることができる。また、一部の施設では今配布した学生証端末の提示が必須なので、常に持ち歩くようにして欲しい。今回君達には我が校に入学したこと祝って、10万ポイントを全員に支給している。これは現在の君達に対する正当な評価なので、好きに使ってくれて構わない」
私は配布された学生証端末を起動すると、私の名前やクラス等の基礎情報、現在持っているポイントの数が目に入った。画面を軽くスワイプすると、一般的なスマートフォンのようなブラウザやカメラ、カレンダーやチャットアプリが入っており、外部との連絡ができないという点から内部での連絡は可能なことが推測できる。
また、ストアを開くと一般的な携帯ゲームのアプリをインストール事ができるため、これは外部との連絡には該当しないようだ。
「学校生活に関する説明は以上だ。細かい箇所については、各自学生証端末から確認してくれ。質問がある者はいるか?」
真嶋の言葉に2人の生徒が挙手をした。
「2人、か。じゃあ葛城から質問してくれ」
「はい。質問です。真嶋先生は10万ポイントは我々に対する正当な評価だと仰られていましたが、この評価が下がった場合支給額が減額することもある、という認識で間違いありませんか?」
「支給されるポイント額について、我々教員は今答えることが出来ない。これで理解して貰えたか?」
「なるほど、分かりました。ありがとうございます」
葛城と呼ばれた男子生徒は、軽く会釈をし席に着いた。私は葛城の言葉を聞き流しながら、早く学校の敷地内を見て回りたいと思いながら、窓の外の景色を眺めていた。次に坂柳が立ち上がり口を開いた。
「では、質問よろしいでしょうか?」
「構わん」
「私がお聞きしたいことは、本当にクラスを移動することは不可能なのか、ということです。現代の認識はいじめや生徒同士の関係悪化に非常に敏感です。もし、生徒間でトラブルが起きた場合、通常クラス変更等の措置が行われます。しかし、我が校ではクラス替えが存在しないと仰りましたよね。ではこのようなケースでもクラス替えは不可能なのか、それとも他に抜け穴があるのか、それを教えていただきたいです」
私は坂柳の質問に初めは興味を示していなかったが、"いじめ"というワードを聞いて彼女の言葉につい耳を傾けてしまう。
「確かに、今日本ではいじめ問題について連日ニュースや新聞で報道されているな。まず、いじめが起きた場合当然学校側は厳正なる調査を行い、加害者に制裁を加える。我が校は政府が運営する国立の高校だ。だからもちろんいじめ問題を見て見ぬ振りすることは無い。しかし、それとクラス替えは別問題だ。生死に関わると判断しない限り、いじめや人間関係の悪化に関してクラス替えの対応をすることは無い」
いじめが起きてもクラス替えの対応をしない、という点については引っかかる。人間関係とはいとも容易く拗れ、加害者と被害者双方にとって同じクラスにいるというのは悪影響にしかならない。
そして彼らから目を逸らす傍観者にとってもストレスになる。だからこそ、私はこの学校のスタンスが気に入らないと感じた。
人が人である限り、トラブルが発生することは避けられない。人が人でなければ、トラブルを解決するなんて面倒なことはせず獣のように生きることが出来る。
私たちは思考を持たぬ獣ではない。つまり、トラブルが起きれば最適な解決案を探し、実行しなくてはいけない。なのに学校はそれを自ら状況を悪化させようとしている。教育機関として、政府運営の学校として有り得ない愚行だ。
「そして、坂柳の言っていたクラス替えの方法がほかに無いのか、という問いに対してだが、ポイントを使えばクラス替えを行うことが出来る。我が校ではポイントを使ってありとあらゆるものを買うことができる。その中にクラス替えをする権利というものもある。この権利は2000万ポイントで買えるが、現実的な手段とは言えないな。ちなみに、退学を取り消す権利も同額の2000万ポイントだ。これで満足したか?坂柳」
「2000万ポイント、ですか。なるほど……理解致しました。私からは以上です。御回答いただきありがとうございました」
「そうか、分かった。他に質問がある者はいるか?」
真嶋が教室全体を見渡して挙手をしている者がいないことを確認すると、彼は荷物を纏めながら口を開いた。
「ではこれにてホームルームを終了する。この後の日程についてだが、1時間後に体育館で入学式が行われる。遅れないように5分前には集まるようにしてくれ。体育館に集合したら各クラスごとに出席番号順に縦に並んで待つように。では、解散とする」
真嶋が教室を出て行くと、生徒達はさり気なく辺りを見回しそわそわとしている。おそらく皆友達を作りたいが、自分から話しかけるのはなんとなく嫌なのだろう。誰かが差し伸べてくれる手を待つだけだなんて時間の無駄だ。私たちは御伽噺の中のお姫様じゃないのだ。王子様然として、誰かに手を差し伸べるべきなのである。
私は自ら王子として姫に手を差し伸べることを決意し立ち上がろうとした───その時、とある男がクラス全体に聞こえる声の大きさで話し始めた。
「全員聞いてくれ。入学式までまだまだ余裕がある。どうだろう、今からクラス全員で簡単な自己紹介を行わないか?その方が早く互いのことを知ることが出来て、趣味の合う友を見つけやすいと思うのだが」
クラス全員での自己紹介を提案したのは、先程真嶋に質問をしていた葛城という男子生徒だった。
「良いですね。私もあなたの意見に賛成致します」
彼の提案を真っ先に受け入れたのも、先程真嶋に質問をしていた坂柳という女子生徒だ。よく見ると、彼女は杖を持っており、身体的な問題を抱えていることがうかがえる。
「ほう、まさかお前が賛同してくれるとはな。それは心強い」
「うふふ、そう言っていただけると嬉しいです」
「……反対する者もいなさそうだな。では言い出しっぺの俺から始めさせて貰おう」
葛城はそう言い軽くネクタイを治して仕切り直し、自己紹介を始めた。
「俺の名前は葛城康平だ。中学では生徒会役員を務めていた。この学校でも生徒会に所属したいと考えている。何か困ったことがあれば何時でも相談に乗ろう。この先は自己紹介、という訳では無いが一つ意見を共有しておきたいと考えている。先程のホームルームで俺がした質問から一つの仮説が浮上した。この学校では毎月支給されるポイントが変動するかもしれない。正当な評価の表れが毎月支給されるポイントだとすれば、評価の変動に比例しててポイント額も変動するはずだ」
葛城の先程の質問というのを聞き流していた私は、当然一部話についけてないが、彼の話が事実だとすれば、生活費が減る可能性があるということになる。
孤児院で生活していた経験から、貧しい質素な暮らしには慣れているが、それでも普通の世間一般的な暮らしというものに憧れていた。だからこそ、ポイントを無駄遣いせず、かといってあまりケチらないようにしなければいけないと、心の中で誓った。
「では一体どんな基準で評価されるのか……入学できたことが評価されていたのだとしたら、まず考えられるのは内申点と学業成績だ。飛行に走らず、学業を怠らなければここから点数が引かれることはないと現時点では考えている。良かったら参考にしてくれると有難い。俺の話は以上だ」
葛城の長い話は続くが、彼の話はあながち間違ってはいない。学業成績と素行は生徒を評価する2大要素だ。つまり、これらをある程度こなしていれば評価が大きく下がることは無いだろう。彼の意見という名のアドバイスに内心うんざりしながらも有難いことだと感謝した。
「では次は私が自己紹介をさせていただきます。私は坂柳有栖と申します。見ての通り杖を使っての歩行を行っておりますので、皆さんにはご迷惑をかけてしまうかもしれません。しかし、私は頭脳という点で自分自身を天才だと自負しております。もし勉強に困っている方がいらっしゃったら、いつでも力になりますので気軽に声を掛けていただけたらと思います」
身体的問題について文句を言う奴は人間では無い。むしろそんな奴がいたら悪魔が憑いているかもしれないので、まずはお祓いを奨めたい。それでも治らないのなら、制裁を加えるべきだ。
「私も葛城君同様、少し意見共有をさせていただきます。先程、真嶋先生が仰っていたポイントで何度でも買えるという発言ですが、これが意味するものは他にもあるはずです。退学を取り消す権利やクラス替えを行う権利があるのなら、テストの点数を買う権利や授業の出席を買う買う権利もあるのではないでしょうか……つまり、何が言いたいのかというと、この学校ではポイントが強力な武器になるのです。つまり、無駄遣いは控え、ポイントを有効活用すべきです。これは私の善意のアドバイスですので、忘れないように御注意くださいね。ここまで御清聴ありがとうございました」
坂柳の上から目線で傲慢な態度は煩わしいが、彼女の発言は忘れてはいけない。常に頭の片隅に置いておくべきだ。慣れるまではポイントの使用は極力控えた方が良い。
それから数人の生徒が自己紹介を行い、遂に私の番がやってきた。
「私は小鳥遊瑠璃です。出身は桜花女子中学で、中学では3年間生徒会役員を務めていました。3年時では議長を務めました。趣味は読書とティータイムで、友達とのお喋りが好きです。読書とティータイムとお喋り好きなお友達、募集してます。みなさんよろしくお願いします」
至って普通な自己紹介だ。忌避されることもなければ、特別誰かに好かれるということも無いだろう。
読書もお喋りもティータイムも友達と距離を作って行うものだ。つまりパーソナルスペースを犯されることは無いため、安心して距離を置けるという利点がある。
「小鳥遊瑠璃って世田谷区誘拐殺人事件の生存者の子じゃない?」
「いや、昨年起きたスクランブル交差点の追突事故の被害者だろ?」
「小学生の時に起きた大岩銀行の立て篭り事件で人質に取られていた子でしょ?あれ?でも苗字が違う?」
全言撤回だ。私が名乗りを上げてから教室内の空気が変わった。確かに私は何かと事件や事故に巻き込まれ、度々ニュースに名前が上がっていたため、知っている人間がいても不思議ではない。しかし、わざわざニュースに取り上げられた内容について本人の目の前で騒がれるのは気分が悪い。
その後、全員が自己紹介を終えるとそれぞれが趣味の合う人や同じ経験をしてきた人の元に向かい、スムーズに会話を始めた。
しかし、私は1人動けずにいた。王子様然とするにはあまりにも私は非力だった。たった一度の噂話にすら、太刀打ちできなくなってしまった。今も遠巻きに私を見ている生徒が数人いるが、被害者だとか事件関係者だとか好き勝手話されていて良い気はしない。
こんなことなら、中学の頃に戻りたい。あの中学は育ちの良い子が多く、噂に振り回されること、同情されることも無かった。人の尊厳を踏みにじられることなく、地雷を踏まれることなく、平和なままでいられたのだから。
私は居心地の悪さに耐えられず、逃げることにした。教室をゆったりとした足取りで優雅に離れ、構内マップを学生証端末で開きながら、目的地まで歩き続ける。数分後『保健室』という3文字が視界に入った。
「失礼します」
「あらら、どうしたの?体調でも悪くなった?それともサボリかしら?」
茶髪の巻き髪をくるりと指で回しながら、豊満な身体付きの女性は私に言葉を投げかけた。私は彼女の養護教諭とは思えない装いに内心驚きつつも、あくまで優等生としての解答を行う。
「いいえ、少し頭痛がしてしまって。しばらく休めば治るとは思うのですが、明日からの授業も心配なのでここは無理せず保険室で休ませていただこうかと思いまして」
「へぇ、そう。名前と学年、症状と体温、時間を記入してね。はい、これ体温計」
私は制服を第二ボタンまで開け、渡された体温計を脇に差し込んだ。その間に目の前に置かれたバインダーに挟まれた用紙に必要事項を記入していく。数十秒後、体温計がピピピッと音を鳴らして計測完了の合図が出た。体温計を取り出し体温を確認する。
「何度だった?」
「37.1度です」
「なるほど、微熱ね。他に何か症状は出てる?昨日の体調はどうだった?」
「昨日は至って健康だったと思います。他には少しだるさがあるような気がしていましたが、問題ないです」
「分かったわ。じゃあそのバインダーを見せてもらうわね」
養護教諭は用紙に書かれた情報を時折相槌をうちながら確認していく。
「へぇ、あなたが"あの"小鳥遊瑠璃さんね。とりあえず、入学式を欠席することは真嶋先生と学年主任の先生に伝えておくから、そこのベッドで横になっていてくれる?……ああ、自己紹介が遅れたわね。私は星之宮知恵よ。この学校で養護教諭を務めているわ。何かあったらいつでも相談に来てね」
星之宮はそう言い残して保健室を出ていった。私は彼女の値踏みをするような態度に嫌悪感を感じながらも、自分がそれほどまでのトラブルメーカーなのだということを、よりいっそう実感した。
私が望んで問題を起こしているわけではないのだが、何故か私の周りでは何かしらのトラブルが発生してしまう。いくら私が努力したところで、世間の認識が変わることは無いのだから、いっそ諦めてしまおうかと何度も思った。
しかし、それでも私は抗う道を選んだ。だから私は『愛される』ためにここに来た。もう捨てられないように、私が価値ある人間だと認められるために。
目を閉じると急に眠気が襲ってきた。寝不足というわけではないが、新しい環境に慣れようと必死で疲れが溜まっていたのかもしれない。今は眠って英気を養おう。夢の中でだけは、私は物語の主人公になれる。皆から愛される素敵な主人公に……
◇◇◇
数ヶ月前、とある秋の日の午後のことだった。その日は異様に鈴虫がうるさく鳴いていて、坂柳成守はなかなか仕事に集中出来なかった。
そんな日に、理事長室で書類を片付けていた成守の元に1人の来客があった。約束をしていた訳でもないその来客に、彼は驚きを隠せず口をポカンと開けて数秒固まった。
「......こっちの書類は整理出来た。少し休むとしましょうか」
コーヒーを入れて一息つこうと思った矢先、突然理事長室の扉がノックされた。今日は来客の用はない為、彼はおそらく教員の誰かだろうと思い、部屋に入るよう促す。
「......どうぞ」
すると扉はギィと音を立てながらゆっくりと開けられた。
「坂柳理事長、お久しぶりです」
その来客を見て、成守は驚愕した。
「あ、あなたは……珍しいですね、こんな時間にあなたが我が校にいらっしゃるなんて。一体どうされました?」
「実はお願いがありまして。先日孤児院で1人の少女を養子として迎えました。しかし、あの子は成長すればまた道具として利用されてしまうでしょう」
男は養子となった少女を憐れむような、胡散臭い表情を浮かべながら、ニヤリと口角を上げて笑った。
「……本題を話してください。ここにあなたが来たということは、私に何か頼みがあったのでしょう?」
男の歪な笑みに成守は警戒しながらも、ハッキリと本題に入るよう促す。
「本題に入る前に少しあなたに質問をさせてください。理事長、あなたは浦島太郎という昔話を知っていますか?」
「え、ええ、勿論知っていますよ」
「理事長、何故浦島太郎は乙姫から貰った開けてはいけない箱を開けてしまったのでしょうか?その理由についてどうお考えで?」
成守は彼の言葉の真意について思考を巡らせる。彼の質問にどう返答するかでこの話し合いの結末が変わるのだと、彼の第六感が告げていた。
「過ぎてしまった時を、嘆き悲しんだ。そして、乙姫から貰った箱の存在を思い出し、一抹の望みをかけて開けたのでは?あの時の彼は冷静さをかいているはずです。乙姫の『開けてはいけない』という言葉なんて忘れていた。だから愚行を犯してしまったのでは?」
「確かに、私もあの作品を読んでそう考えていました。では、あなただったら。あの箱を開けましたか?自分以外時間が過ぎていて、あなたの知っている街も人も全て変わってしまって、乙姫が渡した箱に縋ろうとしますか?」
「私は……決して開けません。若い頃の私であれば知的好奇心、あるいは若者ながらの冒険心からその箱を開けてしまったかもしれません。しかし、今の私には守るべき大切な存在がいる。だから、決して開けないでしょうね」
大切な一人娘の顔を思い浮かべ、成守は箱を開けない選択をした。その選択を聞いた男性は目を細めて笑い、こう言った。
「あはは、そうですか。やはり、私の目に狂いはなかったようだ。その言葉を聞いて安心しました。あなたの学校に、養子として迎えた少女を入学させたいと思っています。ああ、御行に迎えていただける場合、彼女についての詮索は辞めていただきたいですね。注文が多くて申し訳ないですが、是非受け入れていただきたい」
「……あなたの養女を、ですか。我が校に?」
信じられないものを見ているかのような表情で、成守は男を見つめる。男は成守の言葉に真剣そうな表情でこう言った。
「あなたが愚かな浦島太郎にならんことお祈り申し上げます、理事長」
こうして、成守は乙姫から貰った玉手箱を自分の箱庭にて管理することを決めた。時は過ぎ、時代も科学も前に進んで行く中、成守は決して玉手箱を開けないと誓い、男に向かってこう言った。
「分かりました。玉手箱は大切に管理させていただきます。あなたの玉手箱をあなたが必要とする、その時まで」
「結構。話が分かる方で助かりました」
男はそう言うと、理事長の机に置かれた写真に視線を向ける。中には銀髪の可愛らしい少女が、もう少し若い理事長とチェスを打ち合っていた。
「随分、可愛らしいお嬢さんですね」
「ええ、そうでしょう。自慢の娘です。あの子はとても聡明で賢く、すぐに本質を理解し……」
男は娘自慢を始めた男を面倒くさそうに思いながらも、その話を聞くのが嫌じゃなかった。男が彼の話を聞いたのは、自分に娘ができたからか、はたまた自分の頼みを聞いた男にご機嫌取りをするためなのかは、一生その男にすら分からない難問だろう。
今回、ホームルーム中の主人公はあまり賢くないのではないかと思った方もいると思うのでここで少し補足しておきます。
主人公は勉強が好きで知識を得ることが趣味みたいな変人ですが、物事の本質を見極めるのは得意ではありません。
だから真嶋の説明にも本質を見抜くことはできず、他者の意見を聞いて「へぇ、そうなんだ。気を付けよ!」くらいの考えしか持っていません。
だから、頭良すぎる主人公を期待していた方は肩透かしを食らったかもしれないんですが、こんな主人公でも好きになってくれたら嬉しいです!
主人公は良い意味でも悪い意味でも純粋で、悪い意味で大人びています。
これは彼女が孤児院で過ごしてきたが故で、彼女の置かれた人生については今後綾小路を含む生徒たちと関わる中で明らかになっていく予定です。