僕のウィザーディングアカデミア   作:いものこ

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1990年代当時ののイギリスの平均年収は1万ポンドらしい。


ダイアゴン横丁 前編

 コツコツ、コツコツ、

 

 翌朝、ハリーは何かがノックするような音で目が覚めた。床に直接寝たせいで、身体中がまるで硬直したようにバキバキだった。体を起こすたびに関節という関節が抗議の声をあげる。

 

 「いたた……」

 

 誰に聞かせるでもなく、ハリーは小さく呻いた。すぐ隣にはバーノンおじさんが転がっている。大きないびきひとつ立てるでもなく、ぴくりとも動かないその姿に、思わずハリーは眉をひそめた。

 

 「……生きてる」

 

 口元に手を添えると微かに空気の流れを感じる。死んではいない、まだ寝ているだけのようだ。ほっとしたハリーは重たいコートから這い出て音の発生源を確認した。くちばしに新聞を銜えたフクロウが足の爪で窓ガラスを叩いていた。

 ハリーは眠っているハグリットたちを起こさないようにそっと窓あけた。だがフクロウはハリーの気づかいを無に帰すように、新聞紙を眠っているハグリットの上にトサッと落とした。それからハグリットの服を激しくつつきはじめた。

 

「だめだよ」

 

 ハリーがフクロウを止めようと声をかけるが、それでもフクロウは服を執拗につつき続けた。このままではハグリットの服がぼろぼろになってしまう。そう思ったハリーはハグリットを起こそうと揺さぶった。

 

「ハグリット、起きて。フクロウが来てる。どうしたらいいの」

 

 ハリーの揺さぶりにほんの少し覚醒したハグリットは、ソファーに顔をうずめたまま、まだ眠そうな目をうっすらと開けた。

 

「金を払ってやれ」

 

 言われた意味が分からず、ハリーは戸惑いながら問い返した。

 

「お金?僕、お金持ってないよ」

 

 ハグリットはさらに顔をクッションに押し付け、モゴモゴと続けた。

 

「コートのポケットにあるはずだ。五クヌートやってくれ」

 

「クヌートって何?」

 

「小さい銅貨だよ」

 

 ハリーはたくさんあるポケットから小さな銅貨を探し出すと、フクロウの目の前で5枚数えて見せてからその足に着いていた小さな革袋に入れた。お金を入れるとフクロウは窓から飛び去った。

 ハグリットは大きな声で欠伸をしながら起き上がり、体を伸ばした。

 

 「出かけようか、ハリー。今日は忙しいぞ。ロンドンまで行って、おまえさんの入学用品を揃えんとな」

 

 ハリーはハグリットの言葉に、期待と不安が入り混じったような複雑な表情を浮かべた。そして、すぐに心配の色が濃くなった。

 

「ハグリット……僕、お金持ってない。バーノンおじさんたちもお金は出してくれないと思う。だから僕にでもお金を貸してくれる場所を教えてほしいんだ。」

 ハグリットは、バーノンおじさんに被せられていた大きなコートを拾い上げ、ぞんざいに羽織ると、脱ぎ捨てていた泥だらけのブーツに足をねじ込みながら言った。

 

「そんな心配はいらん。お前さんの父さんと母さんが、お前に何も残していなかったと思うのか?」

 

 ハリーは、これまで伯母夫婦から聞かされてきた言葉が頭をよぎり、不安げな表情で反論しようとした。

 

「でも、おばさんたちは……」

 

 ハグリットはそれを遮るように、力強く言い切った。

 

 「大丈夫だ。おまえさんは何も心配せんでいい。さあ、まずは魔法使いの銀、グリンゴッツへ行くぞ。ほら、ソーセージをお食べ。冷めてもなかなかいけるんだ」

 

 ハリーは、ハグリットからずっしりとしたソーセージを受け取り、一口かじりつきながら素朴な疑問を口にした。

 

「銀行、あるんだ……」

 

「一つしかないがね。グリンゴッツといって、賢くてちょっぴり意地悪な小鬼が経営しとる」

 

「へぇ」

 

 ハリーは、想像もしていなかった魔法使いの社会の一端に驚きながら、ソーセージを咀嚼した。

 

「だから、銀行強盗なんて狂気の沙汰だ、ほんとに。小鬼ともめ事を起こすべからずだよ、ハリー。何かを安全にしまっておくには、グリンゴッツが世界一安全な場所だ。たぶんホグワーツ以外ではな。実はな、他にもグリンゴッツに行かにゃならん用事があってな。ダンブルドア先生に、ホグワーツの仕事を頼まれてとるんだ」

 

 ハグリッドは、自慢げに大きな胸をぽんと叩いた。

 

「ダンブルドア先生は、大切な用事をいつも俺に任せてくださる。おまえさんを迎えにきたり、グリンゴッツから何か持ってきたり…… 俺を信用していなさる。な?」

 

 満足そうに頷いたハグリットは、残りのソーセージを平らげ、身支度を終えると、ハリーに向き直って声をかけた。

 

「忘れ物はないかな。そんじゃ、そろそろ出かけるとするか」

 

 ハリーはバーノンおじさんたちにまだ挨拶ができていないことが気にかかったが、ハグリットに連れられて小屋の外に出た。

 

「どうやってここまで来たの?」

 

 バーノンおじさんたちと乗ってきた船しか見当たらないことに気づいたハリーが、思わず尋ねた。

 

「飛んで来た」

 

「飛んで?」

 

 ハリーは目を丸くした。

 

「そうだ…… だが、帰り道はこの船だな。おまえさんを連れ出したから、もう魔法は使えないことになっとる」

 

 「だめだよ。それ使っちゃったらバーノンおじさんたちが帰れなくなっちゃう」

 

 ハリーが慌ててそう言うと、ハグリットは一瞬きょとんとしたあと、ぶはっと笑い出した。

 

 「なんてこった、なんてやさしいんだおまえさんは。あの意地悪一家にも気を遣うなんてな」

 

 「……だって、僕のこと育ててくれたのは確かだし」

 

 ハリーは曖昧に笑った。言葉にしてみると、その事実がずしりと胸に落ちる。酷い仕打ちばかりだったけれど、それでも自分の居場所だったのだと、どこかで思っていたのかもしれない。

 

「なら――しょうがないな。ホグワーツにはバラさんでくれるか?」

 

 ハグリットはウインクしながら小声でそう言って、再び小屋の中に引き返した。隅の方に積まれていた毛布をどかすと、下から何か金属製の大きな物体が現れた。覆いを取ると、それは黒くて重厚なフォルムの――バイクだった。

 

「まさか……それ、飛ぶの?」

 

 ハリーは目を見開いた。マグルの世界では考えられない光景だった。

 

「そのとおり。昔、赤ん坊のおまえさんを預けに行ったときも、こいつで空を飛んだのさ」

 

 そう言って、ハグリットはバイクのエンジンをかけた。ごうん、と腹に響くような音が狭い小屋に鳴り響く。

 

「さ、しっかりつかまっとれよ。港までひとっ飛びだ」

 

 ハリーは急いでバイクの後ろにまたがり、ハグリットの腰にしがみついた。ハグリットがハンドルをぎゅっと握ると、バイクはうなり声をあげながら宙に浮き上がった。小屋の屋根をかすめるようにして、二人を乗せたバイクは空へと舞い上がっって港の人気がない場所でバイクが地面に降りた。

 小さな町の駅に向かって歩く道中、ハリーはハグリットに遅れまいと小走りで移動した。並の人よりも2倍も大きいハグリットの歩幅は普通に歩いているだけでも、ハリーの何倍も早いのだ。息を弾ませながらハリーは聞いた。

 

「ねぇグリンゴッツってどこにあるの?」

 

「グリンゴッツはロンドンの地下数百キロのところにある。ドラゴンが守ってるなんて噂もある。ホグワーツを除けば、グリンゴッツが世界一安全な場所さ」

 

「ドラゴン⁉ドラゴンがいるの!」

 

「ああ、そう言われとる。俺もドラゴンが欲しい」

 

「 へぇ、ドラゴンって飼えるんだ」

 

「ガキのころからずっと欲しいんだがなかなかな……ほい、着いたぞ」

 

 ハグリットは「マグルの金はわからん」とハリーに紙幣を渡し、ロンドンまでの切符を買わせた。

 電車に乗ると彼は二人分の席を占領しながらごそごそとコートをまさぐった。

 

「念のため持ってきた予備だ。こんなかに買い物リストが入っとる」

 

 そう言ってハリーに入学許可証の封筒を渡した。封筒を開けて中身を見ると、制服と内容こそ普通ではないが教科書類といった普通なものから杖や大鍋といった変わったものまで記載されていた。

 

 ロンドンは、ハリーにとって初めての場所だった。

 地下鉄の改札口では、ハグリッドが大きすぎてつっかえたり、電車の座席に文句を言ったりと、どう見ても普通の人とは違う行動ばかりで人目を集めた。

 

「マグルの連中は、魔法なしでよくやってけるもんだな」

 

 動かないエスカレーターをよっこらしょと上りながら、ハグリッドは感心したような、呆れたような声でぼやいた。

 

 地上に出ると、そこは店が建ち並ぶにぎやかな通りだった。ハグリッドはまるで自分の庭のように大またで人混みをかき分けて進み、ハリーはただその背中を必死についていくのが精一杯だった。

 

 本屋、楽器店、ハンバーガー屋――どこを見ても、魔法の杖を売っていそうな気配はない。ごく普通の人たちが行き交う、ごく普通の通り。こんな場所の地下に、金貨の山や呪文の本、空飛ぶ箒を売る店なんて、本当にあるんだろうか?

 映画館の前を通りかかったとき、ハリーはふと掲げられたポスターに目を留めた。青と赤の服に身を包み、大きな盾を構えた男が正面を見据えて立っている。

 

 その姿に見覚えのあった。

 

 名前は知らない。でも、昔、ダドリーのおさがりにもらった壊れかけの小さなおもちゃが、まさにこんな格好をしていた。ボロボロだったけどハリーはそのおもちゃをヒーローみたいでカッコイイと思って、大事にしていた。

 

 (映画、あったんだ)

 

 「ハリー、何してんだ、ついてこい」

 

 数歩先で立ち止まったハグリットが振り返った。

 

「うん、なんでもない!」

 

 ハグリッドの声に我に返り、ハリーは慌てて足を動かした。ハグリッドはずんずん歩き、本屋を通りすぎ、雑多な店の並ぶ通りをさらに進んでいく。

 

 やがて、通りの喧騒が少しずつ遠のく。通行人の数もまばらになり、どこかくたびれた雰囲気の小道に入ったところで、ハグリッドが立ち止まった。

 

 扉をくぐった瞬間、すすけた空気と温かいランプの灯りが迎えてくれた。漏れ鍋は昼間だというのに薄暗く、何人かの魔女や魔法使いたちが木のテーブルに肘をついて、ゆっくりと酒をすする音が聞こえていた。

 

 カウンターの奥にいた禿げた老バーテンダーが、ハグリットを見つけて顔を綻ばせた。

 

 「おやおや、ハグリットじゃないか。いつものやつかい?」

 

 「いや、今日はホグワーツの仕事中でね」

 

 ハグリットはにかっと笑い、ハリーをぐっと前に押し出した。

 

 「この子を連れてる。ハリー・ポッターだ」

 

「おお、何たる光栄……」

 

 バーテンは急いでカウンターから出てきて涙を浮かべながらハリーの手を握った。

 

「お帰りなさい。ポッターさん。本当にようこそお帰りで」

 

 数秒の沈黙ののち、椅子の軋む音とともに、次々と顔がこちらを振り向いた。

 

 「ハリー・ポッター?」

 

 「ほんものかい?」

 

 「傷があるぞ……!」

 

 一番に動いたのは、小柄な魔女だった。

 

 「……あなたに会えるなんて……! 本当に本当に……ハリー・ポッター! ドリス・クロックフォードです。ポッターさん、あ、握手、してくださらない?」

 

 ハリーが戸惑いながら手を差し出すと、彼女は何度も何度も、握っては離し、また握った。

 

 「信じられない……こんな日が来るなんて!」

 

 それを皮切りに、パブの中の魔女や魔法使いたちが、次々にハリーのもとへやってきた。

 

 「エルフィアス・ドージだ。君のご両親には世話になってね……」

 

 「ベス・キルスワース、新聞で君の記事を全部切り抜いてるのよ」

 

 「私はアーニー・ピアス。あの夜、赤ん坊が生き残ったって聞いたときは震えたよ……」

 

 ひとりひとりが名乗り、手を取り、感嘆し、頭を下げた。ハリーは自分が誰か別人になってしまったような気持ちで、それでも笑顔を張り付けて丁寧に握手を返していった。

 

 そのとき、カウンターの陰から、少し控えめに近づいてきた人物がいた。シルクハットを胸に抱き、静かに頭を下げた紳士だった。

 

 「ディーダラス・ディルクです。以前、ほんの一度だけ、あなたをお見かけしたことがあります。」

 

 「覚えています。僕にお辞儀をしてくれた人でしょう?」

 ハリーは静かに言った。

 

 ディルクの表情が驚きから感動に変わった。手が小さく震えていた。

 

「覚えていてくださった!みんな聞いたかい? 覚えていてくださったんだ」

 

 最後に来たのは神経質そうなターバンを頭に巻いた、青白い顔の男だった。彼は他の誰よりも緊張した様子で、目をパチパチさせながら、袖口を指でつまんでいた。

 

 「は、はじめまして……わ、わたし、クィレルです……来学期から、ホ、ホグワーツで、闇の……魔法に対する……ぼ、防衛術を……あの、教えることに……なりまして……」

 

 ハリーが頭を下げると、クィレル教授は口ごもりながらも、必死に笑顔を作ろうとしていた。クィレル教授と握手をした後もハリーはしばらくパブの住人にもみくちゃにされていたが、ハグリットが軽く咳払いをして、全員に聞こえるように声をかけた。

 

 「こいつは、ダイアゴン横丁にいかにゃならん。買い物がごまんとあるからな」

 

 ハリーは最後にもう一度、周囲の魔女や魔法使いたちに軽く頭を下げてから、ハグリットの後に続いた。

 

「言ったろう。お前さんは、有名なんだ」

 

「そう、みたいだね……」

 

 ハリーの声には、どこか戸惑いが混ざっていた。

 

「お前さんの両親が有名だったからってのもあるが、例のあの人を知っている者にとっては、お前さんは奇跡みたいな存在なんだ。赤ん坊が、あの『名前を言ってはいけない人』から生き残ったんだからな」

 

 ハリーはそれに何も返さなかった。ただ、まだ信じられない気持ちのまま、前方を見つめた。

 ハグリットと一緒に漏れ鍋の奥へ進むと、そこには煤けた中庭があった。薄曇りのロンドンの空がのぞき、小さな雑草が石畳の隙間から顔を出している。

 

 ハグリットは背中のポケットから、ややねじ曲がったピンク色の傘を引き抜いた。

 

「こっちだ。じっと見てな」

 

 そう言うと、古びたレンガ壁の前に立ち、ハリーを背後に下げる。

 そして、ある決まった煉瓦を数えて、先端で「1回…2回…3回」と軽く叩いた。

 

 その瞬間──

 

 壁が音を立ててうねり、煉瓦がまるで生き物のように内側へ引っ込み、丸いアーチが姿を現した。向こうには、石畳の通りと賑わう人々の姿があった。

 

 「さあ、これがダイアゴン横丁さ」

 

 ハリーは呆然としながら、ゆっくりとアーチをくぐった。

 

 目の前に広がっていたのは、信じられないような世界だった。

 カラフルな看板、煙突から上がる蒸気、ふくよかなフクロウの鳴き声。店々の窓には、空飛ぶ箒やガラス瓶に入った不気味なもの、立体的に動く本の表紙まで並んでいる。

 

 「すごい……」

 

 思わず呟いた声は、自分でも聞き取れないほどだった。

 ハリーはまるで首が回らなくなるまであちこちを見回し、ハグリットの歩みに何度も遅れそうになった。

 

 ある店の窓には、真鍮の秤と天秤がずらりと並び、その隣には、空飛ぶペンと自動記録ノートが宙に浮いていた。背の高い魔女が手袋を試しながら呪文の巻物を読んでいる。ハリーはその光景すべてを目に焼き付けようと、まばたきすら惜しく感じた。

 

 しばらくすると、ハグリットの足が止まった。

 

 「グリンゴッツさ。魔法族の銀行だ」

 

 真っ白な石でできたその建物は、周囲の店よりもはるかに大きく、背が高く、天を突くような三角屋根を持っていた。柱がいくつも連なり、入り口の階段の前には、真紅と金色の制服を着た奇妙な生き物が立っている。

 

 「銀行? あれが?」

 

 「そうさ。人間が経営してない。あそこは小鬼共の仕事場だ。金の管理は奴らの方がずっと几帳面だからな」

 

 ハリーは何もかもが新鮮すぎて、戸惑うより先にただ見上げてしまった。

 あんなにも立派な建物の中に、自分のお金があるなんて──それが現実だとは、まだとても思えなかった。

 

 階段を昇り、銀行 グリンゴッツの中はひんやりとしていて、厳粛な空気が漂っていた。大理石の床にはハリーとハグリットの足音が響き、天井はとても高く、日光を反射するシャンデリアが金色の光を落としている。

 

 ずらりと並ぶカウンターの裏には、耳の尖った小さな存在たち──小鬼たちが椅子に座り、羽ペンを滑らせたり、大きな秤で金貨を量ったりしていた。どの顔も険しく、正確さと疑い深さの両方をたたえた目をしている。

 

 ハグリットはどっしりとした歩幅で空いているカウンターに近づいた。

 

「ハリー・ポッターさんの金庫から金を引き出したいんだが……」

「鍵はお持ちですか?」

「どっかにあるはずだ、ちょっと待っとれ」

 

 そう言ってハグリットはコートのポケットをあっちこっちにひっくり返し、黄金の小さな鍵を取り出してカウンターに乗せた。

 

 カウンターの内側にいた小鬼が慎重に鍵を調べる。

 

 「……承知いたしました。」

 

 ハグリットはさらに、ポケットの中から封筒を取り出した。

 

 「それから──ダンブルドア先生から預かってきとる。七一三番金庫にある、例のものについてだが」

 

 ゴブリンは封を開け、中の文書にしっかり目を通すと、やがて彼は頷いた、横を向いて口を開いた。

 

「グリップフック!」

 

 別のゴブリンが静かに駆け寄ってきた。

 

 「こちらのお客様を、まずポッター様の金庫へ。それから七一三番金庫までお連れして」

 

 「かしこまりました。ついてきてください」

 

 グリップフックは短い手足ながらも素早く動き、二人を案内していく。銀行の奥に進むにつれて、空気は冷たく、照明も少なくなっていった。やがて、石でできた通路の突き当たりに、トロッコが止まっていた。細いレールが奥へと続き、風がどこからか吹き込んでくる。

 

 「さあ、乗ってください」

 

 ゴブリンが言うと、ハグリットは少し顔をしかめながら足を止めた。

 

 「お、おう……やれやれ、このトロッコはな、どうも酔うんだ……」

 

 彼は腹を押さえて深くため息をついた。どうやら何度か経験しているようだ。

 

 ハリーはその様子を見て、トロッコに乗る前に、今がチャンスかもしれないと思った。

 

 「ねえ、ハグリット。さっき言ってた“例のもの”って……なに?」

 

 ハグリットはびくっとして、しばらく目を泳がせた。やがて視線を逸らしながら答える。

 

 「極秘だ……ダンブルドア先生から、誰にも話すなって言われてる。お前さんにも、な」

 

 「僕にも?」

 

 「ああ。言っちまったら俺が首になるだけじゃすまん」

 

 ハリーはハグリットの様子が本気なのを感じ取ると、それ以上は追及しなかった。

 

 「さ、行くぞ。ひとっとびだ……うえぇ……」

 

 顔を青くしたハグリットがトロッコに乗り込み、腹をさすりながら深呼吸をしている。

 

 ハリーも手すりをしっかり握りしめ、グリップフックが軽く指を鳴らすと、トロッコはがたんと動き出し、猛スピードで闇の中へと突っ込んでいった

 

 「こいつで下まで行くぞ」

 ハグリットが言い、ひょいと足をかけて乗り込む。

 

 ハリーも慌てて乗り込み、手すりをぎゅっと掴むと、グリップフックが軽く指を鳴らした。

 

 次の瞬間、トロッコががたんと揺れて、猛スピードで走り出した。

 

 急加速で闇の中を滑るように走るそれは、まるでジェットコースターのようだった。

 

 「わあっ!」

 

 風が顔に当たり、視界がぶれる。トロッコは急な下り坂を一気に下り、何度も左右に急旋回しながら暗い坑道を駆け抜けていく。冷たい水音や鉄の響きが耳を打った。

 

 「ハグリット! これ楽しいね!」

 

 風を切りながら急カーブを曲がり、上下に揺れながら進むたび、ハリーは心の底から楽しげに声を上げる。一方で、隣のハグリットはというと、両腕で自分の体を抱えるようにして座り込み、顔を青くしていた。

 

「うう……やっぱりダメだ、こりゃ……」

 

 ぐん、とトロッコが沈みこむように下降していくと、視界がぱっと開けて、奥に不気味に光る地底湖が現れた。黒く静かな水面が揺れもせず、まるで鏡のようにトロッコの姿を映している。

 

「すっごいきれー……」

 

 ハリーがぽつりと呟く。冷たい空気が肌を刺すようで、どこか神聖な雰囲気すらあった。

 

 しばらくして、トロッコは大きな鉄の扉の前で止まった。グリップフックが鍵を開けると、扉がもくもくと緑色の煙を上げた。それが消えたとき中には山のような金貨が積み上がっていた。

 

「……えっ……」

 

 目を見開いたまま、ハリーは言葉を失った。金貨や銀貨、クヌート銅貨の山が光を反射している。

 

「みーんな、おまえさんのもんだ」

 

 ハグリットがにやりと笑って言った。

 

「ぼ、僕の……?」

 

「そうさ。お父さんとお母さんが残してくれたんだ。何年もダンブルドア先生が管理しておったんだがな。学費も生活費も、全部ここから出る」

 

 ハリーはまだ信じられないという顔で金貨を見つめていた。これまで粗末な服しか与えられず、おやつも分けてもらえなかった彼にとって、それは現実味のない光景だった。

 

「1ガリオンが17シックルで、1シックルが29クヌートだ。簡単だろう?」

 

 ハグリットはそうハリーに解説しつつバックにお金を詰めていった。ハグリットの言葉を聞いてハリーはハッとしてグリップフックの方を向いた。

 

「すみません、これ……マグル紙幣に両替できますか? たとえば……ポンドとか」

 

 グリップフックは軽く眉を上げ、淡々と答えた。

 

「可能です。ただし、金貨の価値は変動します。現在の為替レートによって、必要な金額を見積もる必要があります」

 

「……なら11万ポンドほどお願いします。どうしても必要なんです」

 

 ハリーの真剣な言葉に、グリップフックはより不機嫌そうに眉をひそめたが、小さくうなずいた。

 

「では、後ほど両替担当の者を通じて対応します。それから大金ですので非常に時間がかかります。それでもよろしければ対応いたしますが……」

 

「本当!ありがとう、お願いしてもいいかな」

 

 ハリーがグリップフックに笑顔でお礼を言っていると、バックにお金を詰め終えたハグリットが不思議そうにハリーをみた。

 

「おい、ハリー何やっとんだ?次行くぞ」

 

「あっ、ハグリット。全部任せちゃってごめんなさい」

 

「構わん構わん。次は七一三番金庫を頼む。それからもうちっーとゆっくりは行けんか?」

 

 そうやってグリップフックにトロッコの速度について交渉をしていたがすげなく断られていた。

 

 トロッコはさらに地下へと潜っていった。スピードはさらに増し、気温はますます低くなっていった。ものすごい速度で地下渓谷を走るトロッコにハグリットの顔色はさらに悪くなっていたが、ハリーは落ちない程度に身を乗り出して暗い谷底を覗き込んでいた。

 

 「下がってください」

 

 グリップフックがぴたりと止まった場所は、異様なほど無機質な岩壁の前だった。そこには大きな扉があり、だが不思議なことに、鍵穴がどこにも見当たらない。グリップフックが無言で手袋を外し、指先で扉に軽く触れた。すると、鉄の扉は音もなくじゅわりと溶けるように消えていった。ハリーが思わず感嘆の声を漏らす。

 

「グリンゴッツの小鬼以外がこれをやりますと、中に吸い込まれ、閉じ込められてしまいます」

 

 まるで観光地にガイドのようにグリップフックが解説した。

 

「開けたとき、強盗と鉢合わせちゃったりしないの?」

 

 ハリーが聞いた。

 

「いても皆、飢え死にしておりますゆえ」

 

 グリップフックはニヤリと笑った。ハリーはその言葉にハグリットがグリンゴッツ銀行を世界一安全な場所と称した理由を理解した。そしてこんなにも厳重な金庫ならどれほど高価な宝物がしまわれているのかという好奇心に誘われて身を乗り出した。

 

 しかし中はがらんどうだった。

 

 正確には――小さな茶色の包みがひとつ、中央にぽつんと置かれているだけ。

 

「え……」

 

 思わず、声が漏れた。まさか本当にこれだけなのかと、目を疑いたくなるほどの虚無。

 

 だがハグリットは何も驚いた様子もなく、包みを丁寧に拾い上げてコートの中にしまった。

 

「中身を気にしちゃならんぞ、ハリー。これは校長の命で預かっておる」

 

 それだけ言って、彼は足早にカートへ戻る。ハリーも慌ててついていった。

 

 再び地上に戻り、光の差し込むグリンゴッツのロビーへ戻ったハリーはグリップフックとともに、少しばかり緊張しながらカウンターへ向かった。

 

 グリップフックは受付の小鬼に何か伝えるとその小鬼は物凄い顔をしかめたがすぐさま表情を取り繕ってハリーの方を見た。

 

 「両替手続きに完了しました。大金ですので17時半に再度お越しください。お名前を告げていただければ、こちらでご案内いたします」

 

「急なお願いでごめんなさい。本当にありがとうございます」

 

 ハリーは深々と頭を下げて感謝を伝えた。そんなハリーの様子を見た小鬼は眉間に寄った眉をほんの少しだけ緩めた。

 

「お預かりしていた金庫の鍵も、両替完了後にご返却いたします」

 

 その言葉を聞き、ハリーは何度もお礼を言いながらもう一度深々と頭を下げてグリンゴッツをあとにした。

 




原作者のインタビューよると1ガリオンは5ポンド分程度の価値があるらしい。純金製だと価値が釣り合わないので本作ではガリオン金貨をクラッド貨幣であると設定している。
ガリオン金貨の鋳造ってグリンゴッツ銀行が行ってるんだろうか。
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