虚ろの底で 抱きしめて (旧版)   作:SoCOi

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四:薄暮のゆめ 白光のかぜ

 気がついたら、わたしは暗い水中に浮いていた。左足首が、鎖に繋がれており動けない。

 

 胸内の空気はもう出し切ってしばらく経った。それでも、生きている限り体は空気を欲して、取り入れようと活動する。だから、ずっと苦しいままだ。

 

 

 水底にはわたし以外、何物も存在しなかった。目の先にはひたすらに重苦しい、黒くぼんやりとした視界があるだけだった。

 

 見上げると、微かに光が指している。大して深くはないようだ。それでも水上に何があるのか、それとも何もないのかは判らない。

 

 

 自分がすでに、ながくここに居続けているということは知っていた。そしてこれからもこのまま、永久に捉われ続けることだろう。

 

 

 

 

 

 

 心も、体も苦しみ続ける。わたしは永劫、こうしていなければならない。

 

 

 

 当然の報いなのだ。こうなって、はじめてわたしは、赦される。

 

 

 

 覚悟しなくてはならない。涙することも、あってはならない。

 

 

 

 それがわたしの咎への、罰。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 光が、遮られる。わたしは仰ぎ見た。

 

 

 

 

 

 だれかが、わたしを見下ろしているのがわかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『薄暮のゆめ 白光のかぜ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もこう、おきてっ」

 

 

 夕方、ルーミアに起こされた。思ったより長々と寝てしまったらしい。ルーミアが心配そうな目をこちらに向けている。妹紅はいかにも大仰そうに上体のみを起した。

 

 

「……おはよう」

 

「ねえ、だいじょうぶ?」

 

「なにが」

 

「なにがって、すごくくるしそうだったよ?」

 

「えっ……苦しそう?」

 

「うん」

 

 

 たしかに良い気持で起床したわけではないが、そう言われても寝ていた時のことはもう、記憶になかった。

 

「悪い夢でも見たのかな?」

 

「わかんないよ。もこうのことだし」

 

「そうだろうね」

 

 そうなると、今まで夜はずっと、一人でうんうん唸りながら寝ていたことも、あったかもしれない。そう考えるとなかなかぞっとしないことだと妹紅は思う。

 

 とはいえ、ここ云十年ほどは夢を引きずって目覚めた覚えはなかった。

 

「……やれやれね」

 

「ほんとうに、だいじょうぶ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちょっと午睡をむさぼるつもりで横になったは良いものの、うっかり日没まで寝込んだ挙句、悪夢を見て余計に寝汗をかいていたというのは、我が事ながら全く情けがないものだと妹紅は思う。

 

 こころが、何となく気がめいっているふうに感じられた。脳内がぐわんぐわんと唸っているような、漠然とした心地の悪さもある。いっそもう一眠りするかと一瞬考えたが、それはやっぱりためらわれた。

 

 

 

 妹紅は何か面倒そうに頭を掻いた。再び寝ようという気はなかったが、寝床から出るのも億劫だった。ルーミアも、まだ小首を傾げてこっちを見ている。

 

 はっきりとした考えもなく、ルーミアに言葉を投げかけてみる。

 

「なんか、食うかい?」

 

「ううん、いい」

 

 そっか、と一言吐くと、何となくばつの悪そうに、妹紅は目線を落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 黙り込んまま未だ寝床に居座り続ける妹紅に対し、もどかしくなったか痺れを切らしたのものか、はたまた単に寂しくなったかルーミアが身を摺り寄せてじゃれついてきた。

 

 

 妹紅は何故か困ったような微笑みを作って、妹紅の膝を枕にして甘えているルーミアの頬に優しく手を置いた。ルーミアの顔つきはいかにも、妹紅が心配そうなふうであった。

 

 

「大丈夫だよ。ルーミア」

 

「ほんとうに?」

 

「本当だよ。大したことは、無かったのよ」

 

 ルーミアも上体を起こして、妹紅の顔を見つめてきた。そのルーミアの表情はいかにもはつらつとした笑顔に変わっていた。妹紅も、できる限りの明るい笑顔でかえそうとした。

 

 

 

 

 わずかな時間、笑い顔のふたりの目線が重なっていたが、妹紅の方が何となく気恥ずかしくなってしまい、ちょっと頬を上気させたうえ、目線をわずかにずらした。

 

 ルーミアにはそれが愉快に思ったらしく、やや嗜虐的な笑みを浮かべて、さらに顔と顔とを肉薄してきた。仰け反る妹紅。

 

 

「なっ、なんなんだよ」

 

「えへへ……」

 

 

この子もすっかり馴染んだものだと妹紅はふと思う。とりあえず今このときは、この妖怪が妹紅のもとにいることは、妹紅自身にとってこの上なく幸福なように思われた。

 

 それだけで妹紅は救われた気持ちになる。なにから、という訳でもないが、不快な感情は晴れ渡るように開けてゆくのだった。

 

「生意気だぞう、ほらっ」

 

「わあっ」

 

 ぐいと、妹紅はルーミアを払いのけた。それを楽しそうに、ルーミアは無邪気に床を転がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おそとにでてみようよ、もこう」

 

 気づけばいつの間にか隣り合って座りなおしていた状態のふたりだったが、ルーミアがとつぜん、こういう提案を妹紅に投げかけてきた。

 

 なるほど、と妹紅はちょっと思ったが、その根拠のないことに一瞬間後気づき、笑っているんだか困っているのだかわからないような、不思議な表情が妹紅の顔で完成した。

 

「なんで、また?」

 

「すっとおうちのなかにいるの、よくないよ。きぶんてんかん、しよう?」

 

「まあな……」

 

 

 

 外は当然寒かろうしますます億劫な気もしたが、呆けた頭を冷やすのには良いことかもしれなかった。ちょっとした、荒療治である。

 

 

「今日はもう、そこそこ寝てしまったわけだし、たまにはお前について行くのもいいかもしれないな」

 

「いっしょに、きてくれる?」

 

「……そうしよう」

 

 

 妹紅は凝り固まっていた身体を立ち上げて、うんと背伸びをした。傍らでルーミアもすっくと立ち上がる。

 

 

 ルーミアが期待を込めた目妹紅を見ている。口元には笑みがこぼれている。

 

 

「なんていうか……犬みたいね、お前」

 

「えー?」

 

 

 そんなことより早く行こう、と言わんばかりにルーミアがもじもじとし始める。妹紅もやれやれ、と笑みを漏らす。

 

 

「……行こうか」

 

「うん!」

 

 

 

 

 

 

 

 まだ当分は立てつけが悪いままであろう家の戸が半ば強引に開かれる。途端、冷たい外気がそこへ殺到する。

 

「やっぱり寒いなぁ」

 

「ねぇー?」

 

 そういうルーミアはちっとも寒さなんか意に介していないようにはしゃいでいる。妹紅はちょっと、あきれた気持ちになる。

 

 

「子供は風の子、ってやつかなあ」

 

「なあに、もこう?」

 

「お前は元気だな、ってさ」

 

「元気だよ、いつもより!」

 

 言ったとおり、ルーミアは月光の降る野道を、ぴょんぴょん跳ね回っていた。彼女の短い金髪が煌々と月明かりの中にそよいでいた。

 

 

 

 

 

 

 

――綺麗なものね、ふしぎと。

 

 

 

 

 

 

 ルーミアの姿に意外な神秘性を見出し、妹紅の胸は少しばかりどきりとした。そんな妹紅に構わず、ルーミアは楽しそうに跳びながら先を行く。

 

「もこう、はやくぅ」

 

「……急ぐなよ。こけて泣いたって、知らないからな」

 

 

 やはり、そんな妹紅の言葉にも構わず、ルーミアは声をあげて笑いながら道を駆けていった。

 

 妹とかいうものは、こんなものなのかもしれないと妹紅はちょっと思ったが、なんとなく気恥ずかしくなって、妹紅もルーミアを追って駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんなに急いで、どこに行こうってんだよ」

 

 追いついて、妹紅は訊いた。

 

「ううん、きめてないよ」

 

 とルーミア。

 

「おまえなあ……」

 

「もこうはどこか、いきたい?」

 

「何だ、どこへでも連れてってくれんのか」

 

「えへへ、いいよ?」

 

「そうか……」

 

 

 妹紅は今宵真っ白な月を指さす。

 

「あそこへでも連れて行っておくれよ?」

 

「よぉし!」

 

 ルーミアが妹紅の右手をとってまた駆け出した。三歩、四歩と踏み出して、ふたりの身体は宙へととんだ。

 

 

 

 右手と左手とをつないで、互いを助けながら、ふたりは夜の光の流れに逆らってぐんぐんと上昇していった。青白く照らされた風景が、ふたりの眼下を過ぎてゆく。

 

 

 

「おつきさんまで、いけるかなあ?」

 

「……いいや、くたびれるまでが限界さ」

 

「じゃあ、それまでがんばる?」

 

「がんばる、か……そうねぇ……」

 

 

 

 ルーミア赤い瞳が輝いて見える。この子と一緒ならば、この先の苦難なんて、全く何でもないように思われるのだった。

 

 

 どこまででもゆける、そんな気がした。ずっとこの子といっしょに居られて、ずっとこのような瞬間が続けばいいと、妹紅は切に思った。

 

 

 

 

 

 少なくとも今は、この愛しき我が妖魔と束の間の空中散歩に一切をゆだねるだけであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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