「……まあ、そういう訳だ、ルーミア。今日のところは留守番しておいてくれないか?」
「いつもみたいに、どこかへ出かけていっても全然構わないしさ」
「……」
目を覚ましたルーミアがみたのは、彼女の寝床の主たる藤原妹紅の他に、もともと少ないここへの来訪者の中にあって、比較的出没率の多い上白沢慧音の存在があった。
そのふたりが懇切言葉を投げかけても、ルーミアは不機嫌にそっぽを向いて押し黙ったままである。
上白沢女史が、わざわざ夕刻を選んで藤原家を訪ねた所以というのは、ここのあまり豊かとはいえないだろう夕飯の相伴にあずかろうだとか、妹紅の晩酌の相手をしようだとか気安い理由ではなく、例の藤原家宅立て直しのための話し合いをもつためにあった。
とはいえ、妹紅と慧音だけでできることでもなく、実際に工事に携わる人足らと妹紅の間を取り持つのが主な趣旨であるはずだった。だが当の妹紅が、
「ルーミアを長く放置しておくのは不安だ。――なに?過保護なものか。先日だって……」
と、まあ難色を示した上に、その言い分が慧音を心情的な面で納得させうるものであったため、何かしらの処置が必要であろうと二人の間でなった。
眠たがるルーミアを背負うか引きずるかして同行させるかと妹紅は発案したが、今度は慧音によってそれは却下された。
「そんな、可愛そうなことをさせないでくださいよ」
慧音は、冗談を言っている暇があったら……などと思い、手をひらひらさせたが、妹紅の方は内心ほぼ本気であったために若干不服そうであった。
結局、慧音が日中の内に、話の場を晩に設けることを先方へ伝え、先方もそれを承知したため問題は取りあえず収束したかに見えた。
……これが、昨日までの話。しかして妹紅は、昨日の内にルーミア説得の手間を怠ったのである。
慧音としては、妹紅に対して憤ること甚だしかった。
「もっと、早くに知らせていれば他にどうしようもあったというのに!」
「お前さんが律儀に迎えに来るなんて、思っていなかったからなあ。ルーミアがどこかへ出て行ってしまってから、特に言付も気兼ねもなく出発しようと思ったのに……」
「わたしのせいだって、言うんですか!?」
「そうは言ってないよ……ルーミアは本当に連れてっちゃ駄目なのか?」
「駄目です。晩に会合なんて結局は酒宴になってしまうだろうし、ルーミアには教育上よくないです」
「そうだな。お前が酔っぱらうという醜態を、ルーミアに見せたくないのはよくわかるよ」
「なんですって!?」
「図星か?」
二人がいがみ合っているさなかにあってもルーミアは不貞腐れたままだった。それどころかますます、不機嫌が増長してゆくのだった。
そんな不毛な三すくみにも構わず、日は沈んでゆく。ふたりも、いよいよにらみ合ったまま膠着状態に陥った時、不意に転機が訪れた。第二の来訪者である。
「よいしょ……」
がっとん!がっとん!
どうも不慣れであるらしく、立てつけの悪い戸を無理矢理に開けてから、家の中の光景を見て、
「……あら?」
と、呟いてから、
「よいしょ……」
ごとん!ごとん!
また難しそうに、戸を閉め直した。
「待った!」
「待てぇっ!」
「……?」
『 ふねを漕ぐには せわしなく 』
「なるほどねぇ」
慧音は縋るような目を輝夜に向けて、妹紅は敵意を輝夜へ向けている。ルーミアもふくれっ面を止めて、いつの間にか妹紅の膝の上で、この特異な闖入者を不思議そうに見ていた。
「姫様、この子のお世話を、どうかお願いできませんか?」
「貴様なんぞに任せるのは忸怩たるものがあるが、背に腹は代えられん……いや、やっぱりかえって不安だ」
「こら、妹紅!」
慧音が怒鳴ろうが、今更自重するような妹紅ではない。無視するように膝の上のルーミアがつけているリボンを掴んでいじり始めた。その対象のルーミア自身は輝夜を見つめたまま動かない。
輝夜はそんなルーミアに目を移した。ふたりの視線が交錯する。慧音は言葉を止め、妹紅はやはり構わず意味のない作業を続けた。
ここにきてようやくルーミアが口を開く。
「おなまえは、なに?」
問われた方は、にこやかなまま
「かぐや、と言うわ。よろしくお願いするわね。――ルーミアさん?」
「……うん」
「今夜は私と、ご一緒してくださる?」
ルーミアは、傍らの慧音に目を向ける。慧音もルーミアの方を見て、何度も小さくうなずく。なんとなく懸命である。
頭上後方の妹紅の顔もルーミアは覗ったが、心底うんざりといった体で天井の向こう側を見上げていた。
「けいね……だいじょうぶかな?」
「勿論だ。このひとほど信用できるお方も、そう居やしないよ」
「じゃあ……いいよ」
「まあ、うれしいわ!」
がくんと、妹紅の肩が落ちた。
「わたしには聞かないのぉ!?」
「まあまあいいじゃないか。……助かります。姫様」
「かまわないのよ?そもそもは、こんなところにわざわざ居候する妖怪さんがいるというので、ここまで抜け出して伺ったのですよ。お引き受けしますわ、先生」
「お前らなあ……」
「さあ行きましょう、妹紅。時間もだいぶ圧していますよ!」
言うや否や、慧音は妹紅の手を引いて立ち上がった。ルーミアが膝から降りると、
「それではお願いいたします」
と、輝夜に声をかけてから、まだ何かぶつぶつ言っている妹紅を引きずるようにして、戸の向こうへ一目散に去っていった。
「いってらっしゃい……」
半ば唖然として、ルーミアはもう見えなくなったふたりの背中に言い掛けた。
輝夜はにこにことして、悠然とふたりを見送った。
「さて」
輝夜は、納得ずくというか、事態に取り残されたままでいるルーミアへ身体ごと向き直った。
「あらためてよろしくね。ルーミア」
「う、うん」
当然ではあるがルーミアは輝夜のことを信用しきれないでいた。妹紅の態度は置いておくにしても、いつになく強引だったとはいえ慧音が推してくれたからまだ危機的な感情はなかったが、あまりひとに慣れているとは言えないルーミアにとって、輝夜にはちょっと接しがたくあった。
「これからルーミアは、何か予定とかあるのかしら?」
「ないよ、とくに」
互いの距離を縮めようとしないルーミアに、輝夜は微笑みながらもすこし小首を傾げた。
「これから、どうしたい?」
「えっと……」
輝夜はそもそもルーミアにとってはお目付け役である。彼女のことを快く思う謂れはないのだ。かといって嫌ったりする謂れもまた、ルーミアは持たずにいた。そんな調子だから、輝夜にどう接すべきか距離感を測りかねていたのである。
「ふたりを、追いかける?」
「それは、いいよ」
実のところ、別に置いていかれることに関してルーミアに不満はなかった。ただ、いまいち信用されてないと感じたことがルーミアには何よりも不満だった。
その上、ふたりは勝手に言い合いを始めてしまうし、ルーミアは憮然とするほかなかった。
「
「ねぇ……かぐや」
「なあに?」
名前を呼ばれたからか、輝夜は嬉しそうに
「かぐやは、なにしてるひと?」
輝夜について何もルーミアは知ってはいないのだった。これに限らず起きてみたら困惑することばかりで、とにかく辟易としていた。
「わたしはね……何もしていない人よ」
「ふうん、もこうといっしょだね?」
「ううん……
初めて輝夜が困ったような表情を表に出した。何となく両者の間にあった見えない壁の一端が崩れた様な感じがして、ルーミアもちょっとばかり笑うことができた。
「かぐやは、もこうとは、どういうしりあい?」
わずかに勇気を絞り出してルーミアは輝夜に問うてみた。
「何かしらね?――腐れ縁、とでもいうのかしら」
「?」
「
「えっ!?」
突拍子もなく、尋常ならざる言葉が飛び出してきたので、ルーミアは素直に驚いてしまった。対して発言者は特に意に介すこともなく話を続けた。
「私にもそりゃあ、悪いところはあるんだけれどね。はじめて会ってからずっとこんな調子なのよ」
「……どうして?」
「わたしのことが、嫌いなんでしょ」
先ほどの妹紅の態度を見ていれば、それは自ずから察することはできた。だが当然、殺したいほど嫌うような仲というのは、やはりそれだけの理由があろうわけで、それについてルーミアも気にならないではなかったが、知るのは何となく空恐ろしい気がしたので、それ以上詮索するのはやめにした。
ただ、またしてもルーミアは、この人物に対すべき恰好がわからなくなってしまった。
それでもやはり、輝夜は微笑みを崩さないままだ。
「ルーミアは、あいつとはどういう知り合いさんなの?」
「うんとね、わかんないよ」
「わからないの?」
「うーん、まえにもきかれたけど、よく……」
やはりこの問いに関しての、一定の答えの存在は未だ見いだせていなかった。別に何かしらを定義したところでふたりともが変わるわけでもなかったし、今はこれでも十分なのだった。
「そうねぇ……案外こういうことって、難しいことよね」
輝夜は妙に納得したらしかった。そして次に投げかける問いをまた模索し始めたらしい。そんな輝夜は如何にも楽しそうなふうである。
「じゃあ、じゃあね……」
結局、輝夜の質問攻めに当分、ルーミアは付き合うこととなった。自然、ルーミアの持っていた輝夜への警戒心も融けていったが、どうもルーミアは気おくれするような心持を捨てきれないままでいた。
「もこうって、どんなひと?」
幾ばくかの問答がひと段落を見たのち、ルーミアがふと輝夜に尋ねた。
何の気はなくルーミアは尋ねたのだが、輝夜はちょっと意外そうな顔をつくった。
「それを、どうしてわたしに?」
「だって、もこうのこと、むかしから しってそうだし……」
「まあ、ねぇ……」
今度、輝夜は本気で悩みだしたらしく、顎に手を置いて考え出しはじめた。
ルーミアにしろ妹紅にしろ、互いがどういう人となりなものか、わざわざ教え合うようなことはなかったし、またそれぞれが知りたいとも今までは思ってこなかったのである。
この質問に際しても、ルーミアはさして真剣な気持ちがあったわけではなく、ただ不意に思い立って聞いてみただけなのであった。
「――可愛い子よ。とても。……可愛げは、微塵もないけれど」
ちょっとの間をおいて、輝夜は答えた。
「よくわかんないや」
それは、少なくともルーミアには些か判りかねる表現だった。外見云々はともかく置いても、"可愛い"という形容が、妹紅に結び付く印象がルーミアの内には存在しなかった。
「ルーミアは、あいつをどう思っているの?」
「え……?」
これについてもルーミアは考え込まざるを得なかった。小さい口をとがらせながら、短い腕を組みながら、ルーミアは熟思した。
「可愛いとは、思わない?」
「うーん」
「かっこいい、とか」
「ううん」
「怖いとは、思う?」
「……ちょっと」
「不満とかは、ある?」
「それも、ちょっと」
「妹紅のことは、好き?」
「……うん」
輝夜はにっこりと笑って、ルーミアの頭へ手を伸ばした。
やっぱり輝夜はよく分からない人だったが、親しげにされて悪い気はしなかった。
「あの子と、仲良くしてあげてね。……本当は結構、弱いところもあるはずなんだから」
これはルーミアにも、なんとなくわかる気がした。
「ぜったい、なかよくするよ?」
「ふふ……」
輝夜はしずかにルーミアを抱き寄せた。やさしい心地がした。
ルーミアは無性に、誇らしい気持になった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
月も真上の、すっかり更けた夜の道中、一人がひとりに、肩を貸して歩いていた。
貸す方はさすがに慣れた様子だが、貸される方はうまくいかないものだ。なかなか距離を稼ぐことができないでいる。
「わたしはもう、色いろと不安だよぉ」
「らいじょぶ、らいじょうぶれすって……」
妹紅が連れられ行った先に居たのは、鬼、河童、魔法使いがそれぞれ一匹ずつ、やたらにふんぞり返って待っている姿だった。
そして慧音も、一瞬唖然としてすぐに平静を装った様を、妹紅は見逃さなかった。
「あの、これ……」
「大丈夫、だそうです」
「いやいやいや」
「だいじょうぶ」
「ええぇ……」
もっとも先方は、それらしい図面を提示してきたのだ。それはそれでうすら寒いことだった。その上、いつ調べたものかそうでないのか、造りまで妹紅の家の構造まである程度把握しているらしかった。まあルーミアが勝手にに入り込んでねぐらにするくらいだし、いつでも調べられようというものではあったが。
慧音は騙されたんじゃないかと、妹紅は思わないでも無かったが、なぜか早々に慧音は酔いの世界に逃げてしまったため、責任を問うことがかなわなくなってしまった。
「今日のこいつ、無責任だなあ」
かくて勝手に盛り上がっている連中の中から慧音だけを連れ出して、妹紅は抜け出してきたのだ。
「ほら、先生、もうちょっとしっかりしろよ」
「うーん……」
「何だってんだよ、まったく」
「妹紅……」
「はいはいなんでしょ」
「ルーミア……ばかりに……」
他にも何か呟いたすえ、完全に意識が遠のいたらしい。妹紅の左肩への負担が増す結果となった。
「……やれやれ」
妹紅は慧音背負って歩いた。ルーミアより重いな、と妹紅は当たり前のことを思った。
肩を貸しているより、負ぶった方が当然重たかったが、楽ではあったし歩みも速かった。そう時間をかけずに帰宅できた。
「ほら、帰ったよ」
戸を開けて、妹紅の目に飛び込んで来たのは、ルーミアを肩車して佇む輝夜の姿だった。上のルーミアも当たり前のような顔をして妹紅を迎えた。妹紅はちょっとばかり呆れてしまった。
「おかえり!」
「子守、ご苦労様ね」
こう言ったのは妹紅ではなく輝夜の方である。"子"とは無論、慧音を指す。
「それはお互い様だろうさ」
「そんなことないわよぉ。ルーミアは全然、おとなしい子よ。……ねぇ?」
「そうだよ!」
ルーミアが意義あり、といった目を妹紅に向けている。妹紅は慧音を床に転がすと、申し訳なさそうに頭を掻いた。
「そうだな。お前は案外、しっかりしてるしな」
「うん!」
ルーミアは久方ぶりに妹紅へ笑顔を向けた。妹紅もそれを受け、苦笑する。
「ね。よぉく、わかったかしら?」
「わかったよ……ほら、お前は帰った、かえった。どうせ勝手に、抜け出してきたんだろ?」
「そんな邪険にしなくても、いいのに」
特に抗うこともなく輝夜は帰った。ルーミアは名残惜しそうにしていたが、
「この家に、四人はちょっと多いわ。……早く改築してもらうことね」
そんなことを言って、素直に妹紅の言葉に従った。今度ばかりは妹紅も、嫌味の一つもかけてやることはなかった。
妹紅も前後不覚ならずも、それなりの酔態ではあったため輝夜が去ってすぐに布団へ入り込んでしまった。
「じゃ、おやすみルーミア」
「まってよお!」
「なにさ?」
「けいねも、いれてあげてよぉ」
「あー、そうだった……」
ルーミアが慧音の身体をぐいぐいと押して、妹紅の寝床へ寄せてくる。それでも慧音は起きずにむにゃむにゃ言っている。
「しょうがないな、今日のところは。……今後はもう一式、常備するとしよう」
妹紅は慧音を、布団の上へ転がすと、自分は床の上に丸まってしまった。
「もこうも、はいってよう……かぜひいちゃうよ?」
「えー?」
今度は妹紅が布団へ誘われた。ルーミアが異様にしつこかったので、諦めて妹紅も慧音と添い寝する羽目になった。
「なんだって、こんな……」
なんだかんだ身体の倦怠感には勝てず、妹紅はそこに落ち着いてしまった。
間もなく、寂しくなったかルーミアが二人の間に割って入ってきた。
「どうした。お前、また寝るのか」
「うん」
「……ま、いいけどさ」
わざわざ何か、言う気にもならなかった。嬉しそうなルーミアの頭を、妹紅はそっと撫でた。
「ねえ、もこう」
「なーに」
「かぐやを、ころさないでね?」
妹紅はちょっと驚いて、目を何度かしばたたいたが、ふっと笑って答えた。
「まあ、簡単にくたばるやつだったらな……まあ、安心しなさい。喧嘩ぐらいは、するだろうけどね」
「そうなのかぁ……」
取りあえず納得したらしいルーミアの顔を見ながら、妹紅の意識は眠りの世界へと蕩けていった。
慧音さんがいよいよギャグ要因に……
スマン!