虚ろの底で 抱きしめて (旧版)   作:SoCOi

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六:臥せるこよいは したたかに

 

 

 水面に立つ人影は、わたしを見下ろしているものの動ずるわけでもなく、ただ目線をこちらに向けたまま佇んでいた。

 

 

 

 わたしも、何かを求めて手を掲げたりはしない。助けてもらおうとなど、無論のこと思ってはいないのだ。

 

 

水面がふと揺らいだ。ちらと明るくなって、水上の人物はじっと、興味深げにこちらを見ているらしい。

 

 

 

 しばらくの間、わたしもぼんやりと頭上を仰ぎ見ていた。何を思うでもない。全く変化のない暗い水の世界に、誰かがやってきた。それはとても不思議なことだった。

 

 

 

 

 

 

 再び水面が揺らいだ時に、人影が何事かと呟いているのがうかがえた。――わたしを嗤っているようにも思える――

 

 

 

 水底に音はない。静寂こそが、耳を覆いこむ世界だった。当然、その声を聞くことはできない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――わたしに、なにを?

 

 

 

 

 

 

 

 わたしは目を凝らしたが、ここからではわかりそうもなかった。

 

 

 

 

 せめて、誰なのかぐらい、わかればよいのだけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『臥せるこよいは したたかに 』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もこう、だいじょうぶなの?」

 

「いや、今回ばっかしはなあ……」

 

 

 今朝やってきたルーミアを驚かせたのは、妹紅が体を壊したらしい事実だった。

 

 ルーミアはどうも、妹紅と病魔とは縁遠い存在のように思っていたので、床でぐったりしている妹紅を初めて見た時信じられないものを見たような気持になった。

 

 

「たてないの?」

 

「……立とうと思えば」

 

 実際に妹紅は体をぎくしゃくさせながら立ち上がろうと試みたが、ルーミアに止められてしまった。

 

 

 

「いいよ、いいよ!……ねてて?」

 

「そうかい?」

 

 

 普段より妹紅の顔に血の気がないように、ルーミアには見て取れた。常態でも大分色素薄めな妹紅だったが、生気がない分不健康な様子がよく分かった。

 

 

 

 

「おいしゃさん、よぶ?」

 

「寝てれば、治るわよ。――安心してておくれ」

 

 

 

 そう妹紅は言うが、当然ルーミアは不安なままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――まさか、ねえ。

 

 

 妹紅自身にも、今の己の体調は全く意外な状態だった。少なくとも妹紅がこれより前に病臥したのは、遥か昔の出来事として思い起こされるのであり、まだ幻想郷に来てすらいない時代のことだった。

 

 

 

 そもそも自分がちょっとでも病魔に侵される身体であることを、妹紅は根っから考えてはいなかった。

 

 

 

 そんなことだから、起床したとき自分の身体が思うようにならなかったのが不思議でしょうがなく、床に戻って暫く考え込んでしまったくらいだった。

 

 もっとも頭もあまり回る状態でなく、はて私は寝ながらにして飲酒していたのかしらん、と思い至った時ルーミアがやってきて(ひと)しきりびっくりしたのち、

 

 

「それはね、もこう。()()だよ、きっと」

 

 と、この妖怪は極めて人間的で、常識的な助言をくれたのだった。

 

「風邪だぁ!?」

 

 そんな馬鹿な、と常識的には穿った捉え方をした妹紅だったが、なるほどそれが真っ当である状態にいる自分を発見して、妹紅は頷かざるを得なかった。

 

 

 

 まあ実際、本当に風邪だと妹紅は思っていなかったが。

 

 

 

 

「で、私はどうしたらいい?」

 

 

「とりあえず、ゆっくりしてたらいいよ」

 

 

 ルーミアの沈着な返答を聞き、おおこの子も落ち着いてきたものだなと妹紅は思ったが、勘違いである。今度の場合妹紅が落ち着いていないだけである。あらゆる面で今の妹紅はルーミアより弱い立場にいるのだ。

 

 

 だからといって日頃いぢめられている鬱憤をここで晴らしてしまおうだとか、ルーミアには思いもよらないことだった。心配という一つ以外を、ルーミアが考えられないというのもあったし、もし仮に細やかな復讐を思い至ったとしても、それでもこの病人に勝つ自信がルーミアには持てなかったことだろう。

 

 

 

 

 いずれにせよルーミアはこの宿主に対して、寝ずに病床を守ることを秘かに誓ったのだった。

 

 それが必ずしもしなくてはならないことではないとルーミア自身思っていなかった。そして看病を必要としなくも妹紅は早々に治るだろうとも思った。それでも不安がって妹紅を見守ろうとするのは、ルーミアが妹紅のことをなにより好きだからだった。

 

 

 

 

「なんでもいってね、もこう」

 

 

「ありがとう。大丈夫だからね」

 

 

 

 

 

 

 

「ねえねえ、さむくない?」

 

「いいや、大丈夫だよ」

 

 

 

 

 

 

 

「おみずくんでくる?のどかわいたでしょー」

 

「いいよ。大丈夫よ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねがえり、うてる?」

 

「え……大丈夫」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おしっこ、いける?」

 

「だ・い・じ・よ・う・ぶ、です!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、ルーミアの決意とは裏腹に、妹紅は別にそこまで辛そうではなかったし、まただからといって、

 

 

 

「こういう時は、絶対安静」

 

 

 

「……ごめんね?」

 

 

 

「あやまるなよ」

 

 

 

 

 まあ、矢鱈と話し相手になってやるのも良くないだろうしで、段々と所在なさげになってゆくのだった。

 

 

「気ぃ使わなくったっていいんだぜ?まあ、私が寝床を占領しちゃっているのだけど。……うつったりしないだろうし、隣で寝てくれてもいいのよ?」

 

「うん……」

 

「あれ?でも妖怪って風邪ひいたりすんのかな?」

 

「わたしは、ひいたことないよ」

 

「それじゃあ、大丈夫じゃないかな。……ほら、お前だって眠くなってきたんじゃないのかい」

 

 

 妹紅の変わらぬ軽口を聞いているうちに、自分の決意もなんだか大げさすぎた気がしてきて、ルーミアは妹紅の言葉に甘えても良いと思えてきた。

 

 

 

 

「うーん、じゃあ……」

 

 

 ルーミアの細やかな思いやりは、当人の甘言により早々に霧散してしまった。睡魔に流されるままにルーミアは寝床へと誘い込まれていった。

 

 

 

「おやすみぃ……」

 

 

「はいはい」

 

 

 体を落ち着けるのとほぼ同じくして、ルーミアの意識は沈みこんでいった。妹紅もそれも見て満足したように、眠り込んでしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 がっ、ががっ、がっ……

 

 

「よぉーす、きたよー」

 

 

 戸を不器用に開ける音と、外からの掛け声とで、妹紅とルーミアは一緒に起こされた。二人そろって目をこする様子を見て、小野塚小町は目をぱちくりさせた後、くくっ、と笑って面白がった。

 

 

「なんだい、やっぱり随分仲いいね。よく寝れたかな?」

 

「……こまちだ」

 

「……へんなのに目ぇつけられちゃったな。うちを隠れ場所にするのは、やめてよね」

 

「えらく厳しいね!あんた」

 

 

 小町はわざとらしく大げさに仰け反ってみせた。そのくせ、手元で土産の酒瓢箪をぶらぶらさせて余裕の態である。

 

「あんまりに酷いじゃないのさ、そりゃあ。仕事はもう済んだんだよ。――それにね、あたいはルーミアちゃんに会いに来たんだよ。あそびましょ、ってんでね」

 

 

「……わー、こまちだぁ」

 

「あんたまだ眠そうねぇ。無理やり起こしちゃったかい?」

 

「まあ……」

 

 

 妹紅は小町が閉めない戸の向こうに目を向けた。実際よく寝れたらしく、日は沈みかけていた。

 

「……あんたが来なくても、もう起きていた頃ね」

 

「そりゃよかった……けど、そういう割にあんたもかなり眠そうだね。ルーミアはともかく」

 

「病人なんだよ。しかたないでしょ」

 

 

「病人!あんたが?」

 

 嘘かまことか、すぐに判断できなかったようで、小町は暫く目を見開いたまま妹紅を眺めていた。

 

「言っておくけど本当だよ。そんなに驚いた?」

 

()()()なら驚くさ。……何があった?」

 

「別に。何もないよ」

 

 

「はあん、へえ……そうかい」

 

 小町はうつむいて軽く考え込みだした。その小町をルーミアは眠たそうなまま、不思議そうに見ていた。

 

 

「なにか、"そう"なの?こまち」

 

「あんたの()()()()も、案外大したことなかったってことさ」

 

「ねえさん?」

 

 

 その『ねえさん』……と目される妹紅自身は、つまらなそうに発言者の顔を眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当に、思い当たることはないのかい?」

 

 

 時分も宵の口を通り過ぎたころ、ルーミアとしばらくじゃれあっていた小町はふと、妹紅に尋ねてきた。

 

 

 朝方と比べると大分調子を取り戻していた妹紅であったが、未だ身体のだるさが拭えずにおり、寝床で客人と妖怪の他愛のないあれこれを、ただただ傍観するに徹していた。

 

 そんな中でこちらにふと声を掛けられて、妹紅はちょっと面を食らったようになった。

 

 

「思い当たること?」

 

「そうさ。あたいも仕事柄、()()()()()について知らなくちゃあいかんことも、無いこた無いもんでね。――だからこそ、やっぱり不思議に思う訳さ」

 

 小町はそれほど身を入れて妹紅に語っているわけでもなかったが、態度に不真面目さは全くなかった。彼女の膝の上であやされているルーミアが、不思議そうに小町と妹紅とを見比べていた。

 

 

 妹紅はその問いかけに少し俯いたが、特別深刻には考えていないようだった。

 

「分からないね。わたしにも。――そんなに困っちゃいないから、分かりたいとも思わないし」

 

「後々、困ることになったら?」

 

「そんなら、そこまで、ってことよ」

 

 

 妹紅は何でもないように言ってのけた。小町はそれを聞いて、黙って肩をすくめた。

 

 

 今度はルーミアが、困ったように妹紅の方へ縋りついてきた。

 

 

「もこう、どうにかなっちゃうの?……いやだよ」

 

「どうだかね。……まあ、どうにもならない事もいっぱいあるものよ」

 

「そんな……」

 

 

 

 

「あんた自身はそれでいいかもしれないけど、あたいの友達が悲しいってんならいただけないよ」

 

「……大袈裟だよ。私だって、ルーミア(このこ)と離ればなれになってしまうのは嫌だしね」

 

「もこう……」

 

「あんたがそう思っているんなら、大丈夫かねぇ」

 

 小町が肩をすくめた。一応は信じておいてやる、といった態度のようだ。

 

 

 

 

 

 

「それよりもだね」

 

 妹紅が()()と小町を見据えた。小町も身構える。

 

「なっ、なにさ」

 

「こないだの駄賃代わりだ。そいつが欲しいね」

 

 そう言って指さしたのは今は客人の背の向こうに、ぽつんと転がっている瓢箪だった。

 

 

「これね。まあ元より、そのつもりだったんだけどねぇ」

 

 それの現在の所有者は、困ったように自らの頭を掻いた。

 

 

 

「なに?私の体調を気遣ってくれてるのかしら?」

 

「いや、まあなあ……その調子だと大丈夫かな?」

 

「そうよ。わたしがそんなに()()で、こんなところに住んでたら、もう何回倒れていることか……」

 

「じぶんでいったね!こんなところ!」

 

ルーミアはやたら元気になっていた。小町はやれやれ、と首を振った。

 

「わかったわかった。……注ぐもの持ってきてやるよ。どこだい?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次に日が昇って妹紅が起きた時、ルーミアはすやすやと、小町はいびきをたてて眠っていた。

 

小町に酒をせがんだ妹紅であったが、身体が弱っていたせいもあってか、椀二杯ほど呑んだら早々に寝込んでしまったのだ。

 

 

その後のことは全く知らない。見回しても、何かが壊れたりはしてないようなので、ひとまず平和であったらしい。

 

 

立ち上がってみる。寝起きのもやもやした気分を除けば、まずまずな体調でありそうだ。

 

妹紅は静かに外へ出てみた。見上げると、雲が日光に追われて西の空へ逃げてゆくのがみえた。天気もまあ良い。

 

 

 

――とりあえずは良し、かな。

 

 

 

 家の内を振り返る。ルーミアは兎も角として、小町はこれから勤めがあるのだろうか。あるならあるで起こさないでおくのも見ものではあるが、まあルーミアのお守りをしてくれたのと、昨晩の見舞い品の差し入れも考えると、一時の笑いの種も見逃してやろうという気になるのだった。

 

 

 戸を再びくぐると、小町の身体を揺すりにかかった。何となく、寝起きは良くなさそうに思えたので、ちょっと乱暴に揺すってやった。

 

 

 

 がさがさがさ……

 

「起きろ起きろ起きろおきろおきろ」

 

「おきるからやめろ……!」

 

 

 当然というか、はね起きた小町は不機嫌だった。

 

「やっぱり寝起き悪そうだねあんた。……私の見立て通り」

 

「何を根拠に言っているか、教えてほしいね……」

 

「……出仕しなくても良いのかと思ってさ。起こしてあげたんだよ親切にも」

 

「今日は休みだ馬鹿……といいたいが、あんたの親切に感謝しなくちゃいかんらしいね」

 

「おうおう、感謝してくれ」

 

「腹立つなあ、まったく」

 

 

 

 

 小町は律儀にも、空になった瓢箪を座布団の影から探り出して拾い上げると、気だるそうに家の戸へ手を掛けにかかった。

 

「ルーミアによろしくね」

 

「うん」

 

「ああ、あとだね……」

 

 

 妹紅を見据えなおして、小町は言う。真摯に、というには鋭すぎる表情だった。

 

 

「お前様がお前さま自身、どうなりたいと思っていようが勝手だけど、精々大事に思っていた方がいいだろうさね。――誰かのためでなくてもね」

 

 

「――来る時が来れば、例えあんたにだって、頼ることにするさ」

 

 

「それもぜひ、舟の上以外でお願いしたいね。巻き上げようにも、持ってないもんはしようがないし……」

 

 

 にやっと、笑ってから小町の姿は戸の向こうに消えていった。

 

 

「ぅん……おはよう……」

 

「起きたか。間が悪いのか、良いのか」

 

「……うん?」

 

「……ほら、まだ夜も明けたばかりだから、まだ寝てなさいな」

 

「うーん……」

 

 妹紅は再び、ルーミアを寝床へ押し返した。その脳裏では、まったく取り止めのないことを考えては打ち消してと、際限がなかった。

 

 

 

 

 

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