今朝は、家の小窓を閉めておくことにした。
本当はいつもこうしておいた方がルーミアも寝付きやすいのだろうけど、じめじめした事は妹紅は嫌いだった。日々鬱々と過ごしているような妹紅だったが、やはり基本はからっとしていた方が断然気持ちがよいのだった。
それはそれとして、妹紅にも思いやりというものがあるから、同居人に気まぐれで気を遣ったりすることもできるのだ。
数は少ない窓を閉めてから、いつもと変わらぬように妹紅は床にたどり着いたルーミアを振り返るのだった。そして彼女はすでに半分眠りの中にいる。
「おやすみ、もこう」
そう言って、安心したようにルーミアは目を閉じる。これもまた、いつものこと。
「おう、おやすみなさい」
こたえる妹紅も、これまたいつも素っ気ないのだ。これでそれぞれ、一日が終わったり始まったりする。
妹紅にとっては、また別になんてこともない、一日がはじまる。
『七:てんとうに散る 不死のけむり』
妹紅が思いやって、ルーミアを暗闇へ閉じ込める時は、おのれは外出しようと企むことが多い。
そしてそういった場合の大半は、別段目的があってどこかへくり出すわけではない。おおむね常に暇をしているというのが藤原妹紅という人物の対外的な印象であった。
それでも何か、秘めたるものがあるように見えて、近寄りがたく思う連中もたまにはいるが、実際はどうせ貧しい晩の献立と考えたり、どうして当面のための日当を得るかとか、他愛ないことを考えているのが関の山なのだ。
妙な貫禄があるというのも、妹紅の対外的なよくある印象のひとつである。
今日も今日とてへんに堂々と、往来をのんびり歩いていた妹紅であったが、ふと道端のやぶの中が気にかかる。
何か視界をよぎったとか、気配を感じたわけでもないが、とにかく引っかかるものがあって、妹紅はそこへと寄ってみた。
藪を覘いた妹紅の視界がまずとらえたのは、見るも無残な行き倒れの姿であった。このごろは割と幻想郷は――少なくとも表面上は――平和なものなので、存外珍しいものが見れた妹紅はちょっとばかり驚いた。
上半身はもうぐちゃぐちゃで原型を留めていない。大方、しょうもないような小妖怪が昨晩の内に無茶苦茶に摂取したに違いない。対して胴から下はほぼそのままの状態で残っていると思われる。
「贅沢な奴」
と、それを鑑識した妹紅は曖昧なことを呟く。一応人間の妹紅にとっては足が一番うまそうに思えるが、妖怪たちにとっては案外美味しいものではないのか、とも考え、そのことを妹紅は帰ったらルーミアに尋ねてみることとした。
死体については妹紅もその程度の感慨しか湧かなかった。つまるところ、妹紅の引っ掛かりはそこにはなかったのだ。
「お前の晩餐かい?腐る前に残りも食っとけよ」
ふと虚空に言葉を投げかけた妹紅。するとまるで当たり前に、そこにいたものかのように、かがみこむ一人の少女の姿が確認できるのだった。
「わたしじゃないよー。……ちょっと気になっただけ。五体満足なら、持って帰りたかったけど」
「ふーん……そう言わずにさ、虫が湧く前に早く持ってった方が、みんなありがたがるぜ?」
「いやいや。何よりぐっちゃぐちゃなのがいただけないかなあ――あなたはよく、私のことがわかったね」
「心にゆとりがあると、いろんなとこに目が向くものなのさ」
なんだか面白くなってきた妹紅は、少女に合わせて自分も身をかがめた。少女はにこりと妹紅に微笑みかける。
「ようは、暇人なのね?」
「……ほっといてくれ」
少女はにこにこしたままで言う。妹紅は肩をすくめてから、また下半身の見分を再開してみた。今は土やら砂で薄汚れているが、地の色は灰色のズボンを穿いている。靴は履いておらず、裸足である。しゃにむに逃げ回ったのだろう。気の毒である。
「わたしを見つけてくれたごほうびに、これをさしあげましょう」
「なによ、これ?」
そう言って、手渡されたのは四角い紙の小袋だった。そこにはなにかいろいろ図形やら文字やら書いてあるようだが、文字は妹紅には読めない種類のものだった。多分英語とかだろうと妹紅は思うが、読めないものは読めないからそこはどうでもよかった。
どことなく洒落た意匠であり、単なるがらくたとは思えなかった。
妹紅はその袋を軽く振ってみた。中になにか入っているようだが、やはり何だかわからない。ただ、こすれる音から、おそらく同じ紙製の何かだと思われる。
「多分この人の遺品だよ。ここのポケットの中にあったの」
「なんだよそりゃ……全くありがたみってもんがないご褒美だね。で、これ何なの?」
「しらない」
「知らないって、なあ……」
まったく人を喰ったような小娘である。そいつは用事はすっかり済ませたというように、ゆっくり立ち上がった。
「じゃあね、おねえさん」
「適当だなあ。別にいいんだけど」
「今度会ったら、それがなんだったかおしえてね」
「何となく気に入らないな。いやだね」
「けち。……心に余裕がある人とは、思えないね」
「ほっとけ」
少女と別れてからも、妹紅は少女からの"ご褒美”を手の先で玩びながら道をゆく。とにかく、こいつが何なのか突き止めるという目的ができた。それによって、今度の散策の行先も実は決めたのだった。
袋とその中身の正体も気になったが、それよりも妹紅は、さっきの少女の存在の方が気にかかった。
――あいつ、ついに"あっちの目"、開けなかったな。
少女には普通、顔にある双眸の他に、もうひとつ"目”があった。多分"さとり"とかいう妖怪である。彼らは他人の心の中を覘いてくる、なんとも迷惑な連中なのだが、少なくとも少女は妹紅の心を覘こうとはしてこなかったように思える。
それを置いても変な娘だった。妹紅をしても心の表面しか浚えない、底が見通せないような不思議な印象を受ける少女だった。
相手からも、自分からもこころを閉ざしている――そんな印象だった。表面上では楽しそうにしていたが、実際はどうだろうか。たいして面白くもなかったかもしれないし、そもそも――
――妖怪の、"こころ”ねえ――
幻想郷にいる以上、いままで無関係であるということはなかったが、それでもルーミアが居つくようになるまでは、交流と意味であまり関わりがあったように妹紅自身は考えていなかった。
それに関して慧音なんぞもちょっと特殊なのだが、彼女に接するうえで、人間である他の感覚はなかった。その上慧音自身も、努めて人間たろうとしているきらいがあった。それも普段から、自然な心持ちであるので別段妹紅も気にしたことはなかった。
妖怪でなくとも他人とのかかわりが希薄な妹紅であるから、彼女の長い人生の中でもルーミアの存在は大きな転機となった。
ルーミアという『妖怪』を慮る。そこに何か人間と接することとは違った、なにかがあっただろうか。
――子どもっぽくは、あるな。
少なくともルーミアという一個人を、迷惑に思ったことはなかった。あれはあれでしっかりしているし、妹紅とは共生しているが、寄生はしていないのである。言ってしまえば仲の良いだけで生活を共にしているだけではあるのだ。
変わっているといえばそうかもしれない。こうなった切っ掛けも、ルーミアが妖怪だったからとも言えた。しかし、心情的にはルーミアが妖怪だろうが、人間だろうが妹紅には変わらないことだった。
さっきみたいに、変わったやつも中にはいるが実は人間と妖怪の人格というのは、当然といえば当然なのだが――案外変わらないものだ、というのが数百年かけて妹紅が得た知見なのである。
――馬鹿、かな。
妹紅はそう自嘲する。かつての自分の所業が、そうさせた。
かつて、ある一時期妖怪に矢鱈目ったら当り散らして回ったことがある。今思えばいろいろと赤面ものである。
当時は本当に必死だった。怒りや後悔、懺悔に苛まれ、自らに憤っていた。
それらを誰かに解放してもらいたかった。たとえそれが叶わないことと分かっていたとしても、何もしないままではいられなかった。
幾度もこの身を滅ぼそうと、その身を火中に投げ込んでみたが、その度に苦しむだけ苦しんで、何も変わらなかった。
されば、妖怪なら。常人には太刀打ちできぬ連中ならばと
そのうち妹紅は空しくなった。結局とがった感情を、永い時間に任せて丸め込んで済ませている。それで案外、面白いこともあったりして気ままに生きることを決め、今に至る。
思えば、己の事ばかり考えていて、対象たる妖怪たちにはほとんど目を向けたことがなかった。つまり、ある種手段としか捉えてなかった。無論他に構っていられないような当時の心情もあったが結局、彼らに人格というものを見止めていなかったのは確かで、手段と決め込むにしてもぞんざいに扱っていたのだ。
――今では、どうだ。
ところが今、ふいに己の道程に迷い込んできた妖怪一匹を実に大事にしている。勝手なものでいまでは彼女が気になって仕方がないのだ。
そんなルーミアには確かに心がある。なければああやって妹紅を慕ってくれることもないであろう。
わからないことはずっと、わからないままだろうけど、わかることは確かにある。生きていくにはそれで十分だと、取りあえずは思うのだった。
長く生きていると、考えはどうしても堂々巡りに陥ってくる。頭の中をぐるぐるさせているうち、いつの間にか目的の場所に到着していた。結構な距離を歩いてきたはずだったが、体感としてはあっという間であった。
延々と年だけを重ねる自分を、なかなか難儀な体質だと妹紅は思わざるを得ない。生活の端々にこういった事が実感させられるので、うんざりすることも多々あるのだ。
目的の建物を見上げてみた。掲げられた看板を見てちょっと安心する。普段あまり馴染みがないものだから、適当でいるなりにたどり着けるか不安だったのである。
特に迷うこともなく、店内へと入り込む。妹紅には何かわからないものから、一応わかるものまで大小さまざまな商品が統一感なく所狭しと並んでいる。それらの奥にいる店主以外は誰の姿も確認できなかった。その店主も何やら読書に熱中しているようで、商売に対してのやる気は感じられなかった。
そんな調子では、閑古鳥が鳴くのも当然というものだろう。むろん店主もそれをわかってやってるのであろうが。
「いらっしゃい……あっ」
そんな感じで、お客を迎える挨拶も気のない感じで終わるだろうと思われたが、妹紅の姿を見た途端、心なしか店主の態度が変わったようだった。
「?」
「いや……何をお求めかな?」
「なんだよ……妙に愛想がいいわね」
「そんなこと、ないはずだがね」
何がそんな事ないというのだろう。この人物へ数少ない面識の中でも、これほど気さくに"接客"されたことなど無かった。まったく気味が悪いったらありはしなかった。さっさと用事を済ませた方が見のためだろう。
「これを人から譲ってもらったんだけど、なにかわかる?」
懐から例の授かりものを突き出した。ちょっと店主は一瞥して、「へえ」と漏らした。
「これは煙草だよ。紙巻きタバコ」
「ああ、煙草ね」
そんなに期待していたわけでもなかったが、妹紅が思っていた以上にこいつの正体は意外性のないものだった。言われてみればそれ以外ないという感じがするし、そういえば、そもそもそういう類の匂いがちょっとしていた。
「何だか知らないで貰ったのかい?」
「まあね。そいつも外から来たやつに貰ったんだとさ」
「いらないようならうちで買い取るけど」
「そう?どんくらいで?」
それほど銭金が欲しい訳でもなかったが、そこまで興味があるような品でもなかったし、大体行き倒れの死体から出てきたものを押し付けられたものである。ちょっとでも銭金になるならそれに越したことはないのだった。
「まあ……蕎麦ニ、三杯おごるくらいの気持ちぐらいかな」
「そうかい……ぼったくっちゃあ、いないだろうな」
「滅相もない!……銘柄としては外ではそんなに珍しいものでもないみたいだし、うちにも偶に入ってくるものだよ」
「なるほどね。とにかく、まあ買い取ってはくれるのね」
「……今回は僕が呑んでみようかと思うんだけどね」
「へへえ、それは……」
本当の出所を知らないまま、これをこいつが気取って呑む様を眺めるというのも、結構愉快かもしれないが、こいつのことだからあまり気にしないかもしれない。
どのみち妹紅は中身を見てみたくなった。
「そんなら、開けてみてもいいかしら」
「あなたが良ければね。ああ、適当にちぎって開けたりしちゃいけないよ」
「じゃあ、あけて見せてよ」
箱を手渡すと別に何の手間もなく、上の部分の端を綺麗に破ってから、中身を一本取り出した。
「こっち側に火をつけて、反対側で煙を吸うのさ」
「ふうん」
「で、どうする?」
いざ渡すとなるとなんだか惜しい気がしてきた。煙草なんてわざわざ買ってまで欲しいことも今後ないだろうから、少しぐらい手元に残しておくのもいいかもしれないように思われた。
「……嘘ついた。それ、行き倒れた誰かから見つけたやつを、何故かわたしに押し付けてきたものなんだよ」
さすがに店主も面食らったらしく、珍しく少し驚いて見せた。
「えっ……それは酷い嘘をつかれたな。でも何で今更本当のことを?」
「それでもあんたが欲しがるものかと思ってさ」
「別にこいつ自体はきれいだからいいんだけど……できれば聞きたくなかったな」
妹紅の好奇心が頭をもたげてくる。なんだ一回ぐらい、体験してみてもいいじゃないか。
「……はんぶんこ、しない?」
「君も、呑んでみるっていうのかい?」
「うん」
「そうか……まあいいだろう」
店主はちょっと残念そうにしながら、袋から十本取り出して妹紅に差し出した。
「すまないわね。がっかりさせたようで」
「君が持ってきたものだから仕方ないさ」
店主はそう言って話を切り上げたらしく、またさっきまで読んでいた本に目を落とした。
妹紅はちょっと待ってみたが、すぐに声を上げた。
「何か忘れてないかしら?」
「なんだい?」
「……その半分だって、蕎麦一、二杯分にはなるんじゃないか?」
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妹紅は結局、当初提示された額分をせしめて、店を後にしたのだった。そして煙草の半分は、妹紅の手中に収まっている。
その上乾燥するといけないからと、丁寧に別の紙で包んでくれるなど、あの辛気臭い店主にしては大層愛想がよかった。気持ち悪がった妹紅は当の店主に問いただしたが、いまいち歯切れが悪い答えしか返ってこなかった。
――ま、なんでもいいか。
一本咥えて、教えられたように火をつけた。こういう時、自分の
煙を奥まで吸ってみた。案外噎せたりはしなかったが、別に旨くも不味くもなんともなかった。煙を取り込んでいるという以上の感じはなかった。そんなものだろう。
それでもふかしたまま家路をとった。運ぶ足ばかりはちょっと速い。今日はまあまあ珍しいことがあったので、普段より幾分かは機嫌がよかった。
だが傍から見ると実につまらなそうである。こんなだから、妹紅は他人から倦厭されがちなのだ。実際、
あれも罰なら、これも罰みたいなものだろう。そういえば、ちょっと不自由かもしれないし。
ふう、と煙を吐き出した。吐き出された煙は妹紅の後方へともれなく流れていった。
帰ったら、ルーミアへの土産話ができる。煙草は土産にはならないだろう。些細な事だが、妹紅の日常の中ではやはりちょっとした出来事になるのだった。
そういえば、
一本目はそうそうに投げ捨て、二本目の煙草を咥えて火をつけた。あの時、ちょっとでも魅力的に見えたのはなぜなのだろう。ぜんぶ売っぱらってしまえば良かったのだと、妹紅は後悔する。やっぱり有り余る暇がいけないのだろうか。それであんなものでも面白く見えてしまうのかもしれない。
こんなものを大事に持っているのもばからしくなった。小さな橋を渡っているとき、妹紅は下を流れる川へ目がけて、残りの煙草を全部投げ捨ててしまった。