虚ろの底で 抱きしめて (旧版)   作:SoCOi

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八:不詳のとも 夜闇のなかで 

 わたしの周りが騒がしくなった。水中が微かに震えているのだ。

 

 今まで上にいたはずの人影が、ゆっくりとわたしの方へ降りてきた。ここがそんなに深いとは思えなかったが、それは不思議なほど緩やかに近づいてくるのだった。そしてまだ、それがどんな容姿をしているかわからない。

 

 わたしは秘かに喜んだ。ここ誰かが、否ちょっとでも何か変化が訪れることなど、あって良いものなのだろうか.

 

 

それでもなおこの世界においては、一切の音は断絶されていた。かの人影が、なにかをわたしに伝えてくれようとしているのであれば、かなり難儀するかもしれない。それでも、わたしにとっては重大なことではなかった。

 

 

 誰かがここへとやってくる!――それだけでわたしは無性に嬉しかった。際限のない息の苦しさを忘れたほどに。

 

 

 

 ようやく、影が私の前へと到達した。影が、私の両肩に手を置いた。

 

 

 でも、やっぱり相手の顔がよくわからない。まるで靄がかかったようだ。背格好は多分、わたしと同じくらいのはずだというのは見て取れた。

 

 

 わたしは口を開いて、言葉を投げかけようとした。あなたは、だれ――?

 

 

 

 言葉が世界を震わすことはなかったが、わたしの問いかけに答えるかのように、段々と相手の表情がはっきりしてきた。

 

 

 

 少女がひとり、微笑んでいた。紅い瞳が、わたしの目線と絡み合った。とても澄んだ、彼女の腰ほどまでは届きそうな、金色の髪が水中に悠然とたゆたっていた。

 

 

 彼女は微笑みながらも、口を閉ざしたままだった。わたしはずうずうしくも、彼女に何か言ってほしくなってきた。どうしてあなたは、黙ったままなの?どうして、ここに――

 

 

 

 

 

 彼女が彼女の頭上へと、手を伸ばした。そういえば赤いリボンが、彼女の頭で揺らいでいる。

 

 

 そのリボンが、すっと解けて水中を泳いだ。彼女の顔がまた、揺らいでわからなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『八:』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日ルーミアが起きて、一番に拝んだ家主の顔は、つまらなそうにぼんやりとした、気の抜けた表情だった。

 

 多くの場合、妹紅はこういう表情のまま一日一日を過ごしている。実際に退屈している時もあれば、裏腹に結構機嫌がよい時もある。ルーミアはもうある程度察することができるようになってはいるが、付き合い始めは取っつきにくいこと甚だしい。

 

 実際は結構さっぱりとした性格なのだが、態度が結果として他者を突き放すことになっている。妹紅自身はそれを自覚しているのかそうでないのか、気にしている様子はなかった。

 

 

 

「よっ、お目覚めかい?」

 

 口調と声音から察するに、今日は比較的平常であるらしい。多分。

 

「もこう、おはよう」

 

 相手が楽しかろうと不機嫌だろうと、ルーミアのかける挨拶はさして変わらない。妹紅が真にルーミアを傷つけることはないだろうと、ルーミアは信じているからだった。

 

「今晩も、天気が崩れたりはしなそうだよ」

 

「そうかぁ……」

 

「出かける?」

 

「うん」

 

 

 囲炉裏に火を入れながら、妹紅はいつもよりもきょとんとした表情でルーミアを見ていた。

 

「なあルーミア、お前……」

 

「なぁに?」

 

「いやねお前さ、最近妙にうわついているっていうか……いやに楽しそうにみえるのだけど」

 

「そっ、そうなのかな」

 

「そうだとも。何かあったのかしら?」

 

「……そんなこと、ないよ?」

 

「なんだよ……つれないなあ」

 

 

 ルーミアは、妹紅に対して秘密を作った。最近、ルーミアには新たに仲良くなった"友だち”ができたのだった。

 

 

 

「いってきまーす!」

 

「あっ!おい……」

 

 

 逃げるように出かけていったルーミアを見て、妹紅は訳も分からず呆けてしまった。

 

 

「あいつが、わたしに……隠し事か?」

 

 

 妹紅はちょっと寂しく思ったが、自分がルーミアにとって一体、何だというのだ――そうも思い直して、妹紅宇はまた、寂しくなった。

 

 

 結局、ただの他人同士なのだろうか――何をばかな!俄かに思いついた事を、妹紅は打ち消すように首を振って、床に伏せてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつものように両手をぐんとあげて、ルーミアは夜をふわりふわりと飛んだ。向かう先は例の、水田に囲まれた小高い丘、その上に鎮座する小さい寂れた(やしろ)までである。大概はそこで、相手といつも落ち合うのだった。

 

 

 彼女のことを、妹紅には暫く秘密にしておきたいとルーミアは思っていた。別に深い理由はないが、いずれはこれを明かしてびっくりさせようと企んでおり、まあ楽しみをもうちょっととっておこうという、些細な心境によるものだった。

 

 

 『友だち』は言いようのない不思議さを感じさせるような、すこし変わった雰囲気の少女だった。少女といってもルーミアと比べると、幾分か成長した姿をしている。といっても、彼女もルーミアと同じく妖怪であったから、あまり容姿の差によって何か変わることはあまりなかった。

 

 

 

 

 ――ある日、蛙でも採って何とかしてやろうと水田の間の小道を歩いていたら、急にふとどこからか声を掛けられたのだ。

 

 見通しの良いところだったし、周りに気配もまったく感じていなかったから、元々臆病なルーミアは心底驚いた。驚き過ぎて、その身を田圃に突っ込みそうになったほどだが、彼女は急ぎルーミアの手を取ってそれを防いだ。

 

 ルーミアを引き戻した彼女は謝った。こういう性質(たち)だから、許してねとにっこり笑って言った彼女を、驚きから立ち直ったルーミアは警戒した。驚かされたことに怒ったというより、彼女の得体の知れなさがルーミアの心を固めたのだ。

 

 

 じとりと()めつけるルーミアにちょっとばかり笑うのを止めて、小首を傾げた謎の少女は、

 

 

「何かの縁だし……ねぇ、お友達になってみようよ」

 

 

 さすがのルーミアもこの物言いには面食らったし、いくらなんでも脈略がなさすぎると思った。たしかにこんな辺鄙なところで、しかも真夜中に中々人にばったりあうなんてことも珍しいといえばそうだが、それで何かの縁まで感じるかと言ったらそんなことはない。

 

「いやだ!」

 

 と、驚かされた恨みも些かあって、ルーミアはとにかくきっぱりと撥ねつけた。すると今度相手は薄く困った顔を作った。まあ、それが上辺だけのことでなかったとしても、それでもあんまり真剣に困っているようには見えなかったが。

 

 

 

「どうして?」

 

 

 と彼女は答える。ルーミアにとっては「どうして?」もない。だってそもそも得体が知れなすぎる。じっと観察してみてもやっぱりよくわからない奴。お前がしゃべればしゃべるほど、ますます掴みどころがなくなるような感じがする。だいたい、お前の言う"縁"ってのはなんだというのだ?

 

 そんなことを、実際はもっと要領悪く相手に滅茶苦茶投げつけてやったのだが、取りあえずは相手も納得したらしく、「もっとも、もっとも」とか呟きながらうんうんと頷いていた。 

 

 

 ひとしきりルーミアのまとまりのない訴えを聞き終えてから、満を持して、といったふうに胸を張って口を開いた。

 

「わたしの名前は古明地こいし!あなたと同じ妖怪だよ。別に見ればわかるね。よく分からないっていうのはまあ、よく言われるんだ。わたしのお姉ちゃんですら、たまーにそういうんだよ?困っちゃうよねぇ……あなたの名前は?」

 

 話の途中で急に聞かれてしまった。意表をつかれてルーミアはちょっと戸惑いつつも、それに答えてやった。

 

「……ルーミア」

 

「よろしくね!ルーミアちゃん!……でね、ルーミアちゃんと友達になりたいっていう理由はね」

 

 こいしはくるっとルーミアに背を向けて、ちょっと間をもってもったいぶるようにした。

 

 

「――なんかね、わたしとルーミアちゃん、似てるんじゃないかなーと思って」

 

「ぜんぜん、にてないよ」

 

「うーん、どう説明したらいいかわかんないんだけど、何か感じるものがあるように思ったんだよ。……しんぱしー、っていうやつかしら?」

 

「……?」

 

「わたし、こういうの初めて!……ではないか。でも、こういう感覚ってほとんど今まで無かったから」

 

 

 そう言ったこいしの表情は底抜けに明るかったが、そこからもう少し複雑な何かを、ルーミアは見たように思った。

 

「ねえねえ、これじゃあ理由にならないかな?ならないかー」

 

「……」

 

 相変わらずこいしの心情というものを、ルーミアはいまいち感じ取れなかったが、悪意だとかそういう消極的な印象は全く感じられないようにルーミアは思った。悪いやつではないのかな、という判断をする。

 

「……ともだち、になったらどうするの?」

 

「あぁー、どうしよっか?なんかルーミアちゃん、したいことってある?」

 

「え……きょうは()()()、つかまえようとおもったんだけど」

 

「じゃあ、一緒にやろっか!……だめ?」

 

「……いいけど」

 

 

 

 このように奇妙にかかわり合ったふたりだったが、ルーミアの予想に反してこいしは取っつき易い人柄をしていた。まあ、好き好んで夜中に蛙を追いかけ回すのに付き合ってくれる初対面のお人好しなんぞ、そういうるものでもないものだし、そもそもルーミアよりこいしの方がはしゃいでいるくらいだったから、殆どひとに対して奇異の目を向けることを知らないルーミアが、"こいつ、なかなかいいやつだな"と思い直すまであまり時間はかからなかった。

 

 

 妹紅の時もそうだったが、こう、よく分からないうちに何となく馴染んでしまうのは、良くも悪くもルーミアの特性なのかもしれなかった。

 

 

「……で、ルーミアちゃん、採った蛙はどうするつもりなの?」

 

「とりあえず、つるす!」

 

「へぇー!そっか!」

 

 

 こいしは異様に、蛙を捕らえるのがうまかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……斯様に変てこな邂逅をすませたルーミアとこいしだったが、その後ふたりの関係は、大凡は一般と比べてかなり変わっているものの、まず良好なものとなっていった。

 

 

 それでもルーミアにはどこか突っかかるものがある。いまだにこいしが、ルーミアに対して心の内を本当に、その一辺も見してくれていないような、心の壁みたいなものを感じているのだった。

 

 とはいえ、ルーミアはそれを嫌がったりはしなかった。本当に最初から捉えどころの無い友人ではあったから、違和感を持つまでには至らなかったのだ。こいしの事をルーミアはそもそもがこういう感じなのだと割り切って接していたし、その雰囲気がある種の神秘性のように感じることも出来ていた。

 

 

 

 少なくとも、表立っての軋轢が生まれる気配は全くなかった。なによりも、ルーミアにとっては数少ない友達が増えたことになり、本当に嬉しく思っていた。

 

 

 

 

「そういえば、ルーミアちゃんが言っていた、もこうって人にこないだ会えたよ」

 

 

 

 ふたりが今宵、始めに交わした話題はこれだった。ルーミアは少しばかり驚く。

 

 

 

「ほんとに!?よくわかったね。もこうって」

 

「わかるよー。ルーミアちゃんの話を聞くに、随分変わったひとだからね」

 

「こいしも、けっこうかわってるー」

 

「うぅん、そうかなあ?」

 

 

 ふたりは適当に、ぶらぶらとそこらを徘徊し始めた。こいしの物腰は静かだが、ルーミアは手振りは大きいし、無駄に大股でゆっくりと歩いた。

 

 

「で、どんなはなし、したの?」

 

「忘れちゃった!でもね、あのひと、わたしに気付いてくれたんだよ!嬉しかったなあ」

 

「そうだよ。もこうはすごいんだよ!」

 

「でもね、わたしとルーミアちゃんのことはっ、秘密にしといたよ?」

 

「わぁ、こいしありがとう!」

 

「うんうん。だからね、今度ルーミアちゃんにきちんと紹介してほしいよ」

 

「ぜったいね!」

 

 

 今日のふたりの行先は、ふたり自身にもわからなかった。これも毎度(いつも)のことである。

 

 こんな、特別な友達を紹介したとき、妹紅はどんな表情をするだろうか。やっぱり驚くだろうか。妬いてくれたら一番嬉しいと、無邪気なルーミアは無意識の内で実は思っている。

 

 

 

 

 

 

「で、この前いっぱい捕った蛙、吊るした後は一体どうしたの?」

 

「たべた!」

 

「へぇー!そっか!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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