小高い丘の上、その上に立つ老いた木のまた上に、ふたりは座っていた。今日はやたら黄色い月光がふたりの背に降り注いでいる
「さいきんね」
珍しく、ルーミアは浮かない顔をしてこいしと向き合っている。こいしも流石に気づいたらしく、ルーミアにその訳を問うてきた。
「……もこう、ぐあいわるいことが、おおいんだ」
一度、妹紅は体を壊して以来、その後もたまに同様の事態に陥ることがあった。大概、それが数日にわたるほど長引くことはなかったのだが、こういうことが何度もあるというのは当然、不安にならないわけもなかった。
「そうだったんだ。それは心配だね。でもちょっと意外だなあ」
「こいしも、そうおもう?」
「あのひとが体を壊すことなんて、どうも考えられない事だね」
「からだが、なかなかうごかないんだって。でもつらくはないって、もこうはいってた」
「そっか、そっか。お医者さんとかは、呼んだの?」
「もこうは、ひつようないって……よぶひつようはないっていうんだけど」
「でも何か病気だったなら、やっぱりおねがいした方がいいよ」
「びょうきじゃないから、かかってもしかたないっていうんだよ」
「……じゃあ、本人にはその理由がわかっているのかなあ」
「たぶん、そう……」
うつむいたルーミアの頭に、こいしがそっと手を置いた。ルーミアはそれでちょっと心が休まる。
妹紅も、よくこうやってルーミアを優しく撫でてくれたものだと、ルーミアはそういった時のことを思い出した。今日も、妹紅は自分のことは気にするなと、こうしてルーミアを送り出してくれたが、やはり彼女のそばにいた方が良かったかもしれない。
だからといって自分になにかができるわけもないと、ルーミアはそう自覚していたが、やはりそばにいないことは心配で、気が気でなくかった。
ルーミアはこいしの方へ向き直った。こいしの顔からはいまいち感情が伝わってこないような、表情が固まっているわけではないが色が希薄な感じを、ルーミアは見て取った。
そのくせ、こいしの眼は真ん丸に開かれているようで、ふと、ルーミアの無意識の片隅に漠然とした不安感が生まれたのだった。
『九:想いあうなり ふたりごと 』
「つまりだ、あんたが殿方の訴えに折れたから、私んちは魑魅魍魎の手にかかってしまうという訳だ」
「はいはい、わたしが迂闊で身勝手でした。……でも私だってそんなに裕福な訳じゃあないんですよ。許してください」
「ま、今よりひどいことになることも、そうないと思うけどね」
昨日はまた、身体の自由が利かなくなってしまった。今日はもうある程度元に戻っていたが、それでもやはり気だるい感じが残っていた。
隣で寝かしつけたルーミアをそのままにして、妹紅はしばらく床で鬱々としていたが、ぼーっとしすぎてどれくらい経ったか分からなくなった頃、不意に慧音が訪れてきた。
慧音は妹紅の体調の事など知らなかったから、いつものごとく妹紅の不摂生を詰ったが、妹紅も別にここで弁解はしなかった。
それからは妹紅の宅の改築の請負についての話になった。ここにきてようやく、連中に委託することとなったいきさつが、慧音の口から語られたのだった。
「……どうりであのしかめっ面の亭主が、あの時妙に愛想が良かったわけだな」
「そんなことがありましたか」
「ありましたとも。……そうか、あの黒づくめの小娘と、係わりがあったんだっけなあの野郎」
「それはなんとも、あの人らしからぬ事をされたものですね」
「妹思いは、結構だけどね」
「いもうと?」
「みたいなもんでしょうが」
「まあ……」
頷いた慧音が、対面の妹紅と、あっちで寝ているルーミアを交互に見比べた。妹紅は『なんだってんだよ』といったふうに慧音を睨んだ。それで慧音も、まったくひるんだりはしなかった。
「とにかく、こうしてあなたが前向きに生き始めようとし始めているのも、なんだかんだルーミアのおかげという訳ですね」
「大げさだなあ。なによそれ」
「あなたが言ったんじゃないですか。そんなことを」
「言ったかもしれないけど、多分もっと違う言いようをしてたと思うよ」
「口では何て言っても構いませんけど……まあ、ルーミアは大事にしてあげてくださいね」
妹紅は向こうの後ろのルーミアへ振り返った。今は、静かに寝息を立てている。
昨晩は妙にルーミアが早く帰ってきた。おそらく妹紅を気遣ってのことだと思われるが、妹紅にとっては何だか情けないことと思わせるのだった。ルーミアが自分を気遣ってくれたことは、実は内心で結構喜んでいたりするのだが、それでもルーミアの自由を奪っている感じがやるせなく思えてしまうのだ。
ルーミアは一緒に寝てくれているあいだ、妹紅の手に自分の手を置いて添い寝した。妹紅の思っていたより、ルーミアの手は小さいように思われた。
……何とかしないと、いけないかな。
妹紅は思った。今目の前にいる、気の知れた彼女に相談するもいいかもしれない。そうも思った。
「慧音、相談事が出来た」
「あら、わたしにも妹紅にお話しがあるんです」
「奇遇ね」
「そうですね」
ふたりの、視線が合う。心なしか、慧音の表情から物悲しさが感じられた。
「妹紅、ルーミアを大事にしてくれというのは、何もルーミアだけを守っていればいいというものではないんですよ」
「そうらしい」
「心当たりは?」
「ない……けど別段急に
「でも、あなたにはルーミアがいます。……ルーミアという存在が、出来てしまったんですよ」
「どうにか、ならないかしら」
「わかってるんでしょ。取りあえず何をしたら良いかは……私が竹林の奥まで、背負って行けっていうですか?」
「やれやれ……それには及ばないよ。ただ、お願いが一つある」
「はい」
「わたしに何かあったら、ルーミアに……」
ここで、ちょっとの間が空いた。妹紅の目線が遠くなった。
「よろしく……って」
「……そんなの嫌ですからね。わたし」
慧音が静かに俯いた。今度は妹紅が寂しそうにしてから、笑った。
「わたしだって、いやよ」
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「もこうって、しなないって……ううん、しなねいんだって、いってた」
「……そうなんだ」
「なんでもない、ってしてるけど……わたし、ほんとはつらいんじゃないかって、おもうの」
「優しいんだね。きっと」
「もこうのからだも、それのせいで、わるいんだっておもう。……くわしくはわかんないけど」
「……」
「わたし、もこうのために、なにかしてあげられないかな」
「そんなルーミアちゃんにとって、あの人っていったい何なの?」
「まえにも聞かれたけど、よくわかんないんだ……ともだちとも、ちょっとちがうとおもう」
「……」
「でも、もこうがわたしを――
「……」
「わからないことはおおいけど、とってもたいせつなひとなんだ……」
「じゃあ、ルーミアちゃんにとってあのひとは、ルーミアちゃんそのものなんだね」
「それも……わかんないや」
「うん、そっか」
こいしは座っていた枝の上に立って、うんと背を伸ばした。するとすぐにルーミアの顔を見下ろすように、やはり屈託のない笑みを向けてきた。
「ふたりがどうしようと、私はルーミアちゃんを応援するよ」
月の光を背にしたこいしは、どこかぞっとする何か印象を湛えていた。
だからといって、ルーミアは顔をそらしたり、俯いたりはしないのだった。