【完結】蒼炎の魔女   作:扇架

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十話

「たいした理由はないんですよ」

 そう『妖女シスターズ』のリーダーは言った。場所は食堂。家主のセーミャと、居候その一のキングズリーと、その二のルキフェルと、その三のチャーリー、そしてまたぞろ増える居候たちの『妖女シスターズ』たち。使用人は古い邸にあまりにそぐわない、音楽家集団にもひるまなかった。さっとやるべきことをやり待機中。テーブルの上には茶器がたくさん。今から会食でも始まるのか? という人口密度である。これ以上居候が増えるようなら、空いている室を食堂その二にするか、もっと広い室を食堂にしてしまうかを検討しよう。

「その割に、思い切ったことを」

 言えば「いやあ」「それほどでも」「お嬢様にほめられた」と彼ら――女性メンバーもいるから彼女ら――ともいえる――が照れた。これが今流行りの、どちらかというと伝統とやらには縁がなさそうなバンドの反応とは、少し意外だ。セーミャの勝手な印象では反政府的、常識なんて破ってこそ、のような連中かと思っていた。芸術家とはそういうものだと言うのは偏見に過ぎないのだけど。

 反政府的といえば反政府的だろう。彼らは魔法省に反旗を翻した。世間には「マグル生まれは違うものだ。だから区別しなければならない」という比較的柔らかい主張から「マグル生まれは盗人で侵略者だ」というそこそこ尖った主張もあり「マグル生まれは家畜である」という完全にどうかしている主張も紙面に躍っている。言ってしまえばグリンデルバルド時代の再来であり、つまり第二次紫薇戦争――第一次はリアイスとユスティヌの戦を指し、第二次はヴォルデモートが現れた「一回目」を指し、第三次はヴォルデモート復活後、つまり今を指す――の頃と似たような毒が蔓延しつつある。

 本音が出ただけ、という者ももちろんいるだろう。純血主義を唱え、純血を名門とみなす風潮は昔からあった。ヴォルデモートはただ隠れた本音をつつき、引きずり出しただけとも言える。だからヴォルデモートが好きにできるとも言えるだろう。そして『妖女シスターズ』が積極的に動く理由などないのだ。

「世界の平和を歌ったでしょう」

 親指を折る。

「マグルと魔法族の融和を歌ったでしょう」

 人差し指を折る。「お嬢様が俺たちの曲を聞いてくれた」となんだかざわついていたが無視した。マグルが円盤で音楽を聞くように、魔法界にも似たような媒体はあるのだ。ラジオ……は絶賛乗っ取られ中なので、セレスティナの情熱の歌は流れないし、『妖女シスターズ』も、ほかのバンドも排除されているが。今ラジオから流れているのは傀儡政権の前に屈した者たちの、いわゆる御用音楽というやつだ。音楽は幅広い層に届く。芸術は政治利用されやすく、音の波もまたそうだ。

「あれが……」

 少しためらう。「クソだって歌もね」と中指を折る。ひゅーっと指笛が聞こえた。『妖女シスターズ』もとい、妖女たちは大喜びだ。

「それで」

 やってきた死喰い人を蹴散らして、彼らの顔に落書きをして逃亡、と中指を折る。ちょっとロックすぎないか? 妖女たちの音楽分類はいまいちわかっていないが。伝統と先鋭の融合がどうこうらしい。

「そこまでしなくても、あなたたちなら乗り切れたでしょうに」

 海外へ逃亡するのでもいいし、御用音楽家になるのでもいい。生き延びるだけならどうとでもなるのだ。わざわざヴォルデモートの不興を買うことはない。死喰い人を蹴散らしてしまったことで、彼らは目をつけられただろう。取り込んで御用音楽を流させるのでもいい。もっと直接的な「使い方」もある。妖女たちはいわゆる奏で歌う者たち。魔曲家と歌い手だ。

――ただの音楽家たちではない

 妖女たちは汎用的な魔法の使い手――闇祓いとはまた違う、独特の魔法を使うのだ。セーミャのような綴る者、描くことで魔法を現出させる画家たちと似たような分類だった。

 『魔王』という曲がある。とある詩に触発されて書き上げられた、と伝わる。その詩の元となったのが、とある父子を襲った悲劇だ、と密やかに魔法界には言い伝えられている。

 なぜなのか。『魔王』はマグル界の音楽である。ただ、その成立に魔法族が噛んでいるからだ。とある父子を襲った悲劇が、魔法族の仕業だったからだ。魔王が来ると怯える子の命を奪い、父親を狂気に追い込んだのはとある魔曲家の悪戯だったと。妖精のしわざとされる悪戯も、ほかの不可解な――マグルの理屈では説明できない出来事も、多くは魔法族が絡んでいる。その魔曲家はきまぐれで音楽を奏で父子を破滅させたのかもしれず、なにか諍いがあったのかもしれず……どちらにせよ、あまりにも気軽に、無邪気に残酷なことをするものだ。

 そして、妖女たちは似たようなことができるのだ。彼らはその力を正しいことのために使うようだけれど。

「世界は平和なほうがいい」

 さらりと妖女のリーダーは言った。もっと本音があるだろうと見つめると、彼は両手を上げた。

「わかった、わかったよ……」

 父君そっくりだ、とリーダーがぶつぶつ言う。眼を丸くしていると「あたしたち、大臣主催のパーティに呼ばれたことがあるんだよね」と妖女の一人が教えてくれた。なるほど。上流だけでなく、庶民に人気の著名人にも手を伸ばしていたのか父は。地道に支持率をのばそうとしたのだろう。

「セドリック・ディゴリー」

 逸れていた思考が一気に引き戻された。三校対抗試合の優勝者にして犠牲者。名誉を踏みにじられた者……。

「この中に、ご親戚でも?」

 訊きながら、違うだろうと思う。セドリックの母方はグリーングラスにつながる。グリーングラス本家の「女傑」の孫がセドリックだ。では、なぜ彼の名が出たのか。

「ちょっとしたことなんだけどね」

 リーダーがため息を吐く。

「僕らはホグワーツに呼ばれたことがあって」

 クリスマス・ダンスパーティ、とリーダーが囁くように言った。

「あんな上品というか、よくできた子が、わざわざ僕らに礼を言いにきてくれたんだよ」

 それだけの話なんだ。

「まあでも、彼は僕らのファンの一人であるし――そのファンが殺されたっていうんなら、そんなことをした連中に屈するのは嫌だってだけの話」

 たったそれだけ。

 それだけの、ちっぽけな理由だ。

 沈黙が落ちる。ヴォルデモートにはわからないだろう、とセーミャは思う。くだらない理由だと言い、鼻で笑いとばすに決まっている。一つだけ言えるのは、ヴォルデモートを百人合わせたより妖女たちが立派だということだ。人間の価値が行いで決まるとすれば、妖女たちの行動は大変尊いもので、今の混沌とした世界になくてはならないものだった。

「バグノールド閣下が手を回すわけね」

 小さく言った。彼女は粋なことが好きだ。だから彼らは一時的に保護し、セーミャの元に送り出したのだ。

「というか、僕はナイアードの友人で」

「じゃあ彼のところに?」

「そうそう、ゴドリックの谷に駆け込んだんだけど」

 今は忙しいからバグノールド閣下のところに行けと蹴り出された。紙より薄い友情だった。

「それで閣下から、貴女のところに逗留するように、と」

 にっこり笑って言われた。セーミャはあの女傑にまんまと仕事を押しつけられたことを悟った。人気のバンド『妖女シスターズ』になにかあってみろ、非難は免れない。

「もちろんただ飯を食らうつもりはないよ」

 笑顔のまま、リーダーは言った。

 ちょっとラジオ番組を放送してみないか、と。

 ◆

 話がとんとん拍子でまとまった。セーミャはあたふたしながら動いた。放送する拠点の確保、司会者の候補を絞り込むこと。

 『表』のラジオは乗っ取られている。だから、正しい情報は流れない。各地の被害もごまかされ、どこかにいるであろうハリー・ポッターたちへの支援も――なにせ彼をおとしめるような流言ばかりが飛び交っているのだ――届かない。ならば裏ラジオ番組を流すしかない。

「機材は伝手でなんとかしたよ」

 胸を張ったのはルード・バグマンだった。元クィディッチ選手。数年前のクィディッチワールドカップでは実況をした。魔法ゲームスポーツ部の長である。ルキフェル曰く「首輪付き」の男である。なんでもリアイスの御曹司ことウィスタ・リアイスが借金を肩代わりし、バグマンに首輪を付けたらしい。利用できそうなのでそのまま魔法省に置いておいたのだそうだ。いつ何がどこで使えるかわからないものだ。ウィスタだって、この局面でバグマンが使えるとは思っていなかったろう。

「いやーバグマンさん」

「お久しゅう」

 にこにこしながら言ったのは、双子のウィーズリーだった。眼をぎらつかせながら、バグマンの手を握りつぶそうとしている。セーミャは放置することにした。「君たちへのあれこれは、ウィスタがどうにかしただろう! ああ、悪かった! 悪かったよ私が!」とバグマンが叫んでいても知らない。彼らの近くで双子のお友達リー・ジョーダンが大笑いしていた。楽しそうでなによりだ。

「じゃあ暗号名を決めないと」

 キングズリーが穏やかな声で言った。いかにも人格者、落ち着きがある年上の男に見えようが、内心は少しわくわくしているのがセーミャにはわかった。暗号名とか作戦とかゲリラ放送とか好きだものね、男の人は。

「じゃあキングズリーはロイヤルね」

 暗号名を考える大会が始まらないうちに、セーミャは先手を打った。周りからは「驚くべき雑さ」「さすがルーファスの娘」「まあ彼でもロイヤルって付けそう」等の暴言が飛んだ。きらきらした眼のバグマンに「私はなにかな?」と訊かれ「ビーでいいでしょう」と返せば、がっかりされた。あなた、ワールドカップで選手時代の蜂っぽい服を着てたじゃないの。

「ロイヤルって」

 いくらキングがつくからって、とキングズリーは渋い顔だ。セーミャは小さく笑った。

「予言しましょう、あなたは魔法大臣になるわよ」

 半分冗談、半分本気だった。

 その予言が実現するのは、もう少し先のことである。

 

 ゲリララジオ作戦で忙しくしているうちに日々は過ぎていった。各地の情報がまとめられ、心ある魔法族にマグルの保護を呼びかけ、どうか希望を失わないようにと訴え、と地道な活動が続いた。

 曇天に、一条の陽が射すことをひたすらに信じ、待つことしかできなかった。

 そしてある日、ウィスタ・リアイス救出の報が届き――希望が潰えてなどいないと知った。

「遅くなった」

 ルキフェルが、箱を卓の上に置いた。ひどく恭しい手つきだ。そっと蓋があけられて『その人』が姿を現した。眠るように眼を瞑った――まるでつくりもののような『その人』。

「……お帰りなさい」

 セーミャは、父の首に囁いた。

 ぽとり、と雫が落ち……父の頬を伝って流れた。

 

 

 眼を瞑り、指を組み、横たわる父は少しの間だけ眠っているように見えた。執務の合間のほんのひととき。休むことを自分に許して、そしたらまた仕事に戻る……彼のすべきことをするために。

「お前は」

 私の起きている時の姿しか知らないが。囁きに眼を上げる。柩の内から、声の主へと。柩の縁に軽く腰掛けるようにしている、父へと。彼は逝ってしまった。だからこれはセーミャが見ている幻に過ぎない。蓄積された記憶が紡ぐ、ただの虚像だ。父は門の向こうに行ってしまった。セーミャを置いて。幽霊にもならず。そんなことはわかっていたし、覚悟もしていた。闇祓いの、魔法大臣の娘なのだから当然のことだ。けれど。

――覚悟など脆いものだ

 口先だけならなんとでも言える。覚悟だ誇りだ正義だの言えば格好もつく。セーミャは毅然してあらねばならず、心が折れることなどあってはならない。逃げるわけにもいかない。覚悟を――闇側と戦う覚悟を決めたと己に言い聞かせねばならない。何重にも己を縛り、どこかで逃げたいと囁く己に嘘を吐いてでも。

 だから、父が現れるのはセーミャの弱さの証だ。なにを喪ったか確認し、父ならばどうするか問うためのものだ。セーミャには導きが必要だった。たとえ実体のないものであっても……。

「こんな形で」

 眠っているあなたを見たくなんてありませんでした。誰にも聞こえないように囁く。死者の永遠の眠りを妨げないために。

「――葬儀は決着がついてからになるだろう」

 隣に誰かが膝を突く。見るまでもなくルキフェルだった。父の幻が立ち去る。セーミャは眼を伏せた。いつまで、こんな形で父を留め置くのか。首は戻った。帰ってきた。けれど、事態は動き出す気配もない……。

「そうね……死霊術師にお礼を言っておいて」

 声が掠れる。父の亡骸を修復したのは、ルキフェルが呼んだ死霊術師だ。お陰で、父の首に傷跡一つない。切断されたなんて嘘のようだ。首が損壊されていなかったのは奇跡だ。なにかしらよこしまな目的に使われるか――見せしめにされるかと思っていたのに。

 いいや、見せしめにはされたのだ。父の首が綺麗な状態で帰ってきた理由を思い出し、セーミャは喉を鳴らした。吐き気がこみ上げる。口元を押さえた。身体がひどく重い。頭の芯が痛み、揺れた。

「……リアイスの御曹司は、」

 言葉が切れる。父の首が帰ってくると同時にもたされた報せに、セーミャは絶句した。あろうことか、闇側はマルフォイ家に捕えられたウィスタ・リアイスの室に、父の首を「飾った」らしい。極めて綺麗な状態で、腐らせもせず、生々しいまでのその首を。見せしめのようにして。闇側にとってはちょっとした遊び、悪趣味のつもりだったのだろう。ウィスタはあらゆる拷問を受け、崩壊する寸前だったのだという。首の一つが飾られたところで、たいした違いはなかっただろう。それでも、セーミャは底知れない悪意を感じた。気に入らないなにかを玩具にし、踏みにじらないと満足できない、幼稚で、だからこそ醜い悪意を。

「ウィスタは療養中だ」

 よくなるよ。ルキフェルが優しく言う。セーミャは唇を噛んだ。よく生き残ってくれた。壊れずにいてくれた。そして、父のことを――首を、気にかけてくれたのだという。どれほどの拷問を受けたか、どれだけの傷を受けたのかセーミャにはわからないけれど、闇の底にいてさえ、彼は善意を失わなかったのだ。

「……成人したばかりの子が」

 いいや誰であろうとも、惨い目に遭っていいはずもない。セーミャは喉の奥から、熱い塊を押し出した。

「彼は十分よくやった」

 だから逃げてもいいの。途切れ途切れに言っても、ルキフェルは首を振った。

「彼は――僕らはリアイスだから。君がスクリムジョールの娘であるのと同じように」

 譲れないものがあるのさ。ルキフェルの手が、セーミャの軽く叩こうとし……止まった。

「休んだほうがいい、ご息女。顔色が悪い」

 張りつめていたものがゆるんだんだろう。そう言われて、否定しようとする。だが意識が段々と不明瞭になる。こんなところで休んでいられない。なにも解決していない。ヴォルデモートを討てていないのに。父が死んだというのに、なにもできていない……。

「少しの間だけだ」

 ぼやけた視界に、鮮やかな色が浮かぶ。赤。分厚い手のひらがセーミャの背をさする。

「誰だって走り続けることはできないんだから」

 手を引かれる。傀儡のように立ち上がる。柩がそっと閉じられた。

「淑女を室にお送りするのはいいが」

 手を出すなよ。からかうように、しかし警告を込めてルキフェルが言う。チャーリーがセーミャの手を強く握った。

「ちょっと黙れよルキフェル」

 ◆

 湿った石の壁を見つめる。描かれた封印の式を通り越し、獄を抜け、彼の眼は天を見通す。移ろいゆく星、織られた絵図から道を――曲がりくねり、いくつも分岐した先、希有なほどに絞られた「可能性」を読みとった。

「結局こうか」

 可能性の絶対値。大悪が現れるのならば、対抗する者もまた出現する。今の世であれば、それはハリー・ポッターであり――ウィスタ・リアイスである。稲妻を刻まれし者。選ばれた者。呪われた者。

「下衆なやつ」

 ふん、と鼻で笑う。予言など無視すればいいものをそうはせず、赤ん坊を殺そうとする愚。女を手に入れたいがために壊し、呪いの子を産み落とさせた醜悪さ。可能性の絶対値とは言うものの、半分以上は卿と名乗る幼稚な男の、自ら成せる禍である。

 あの男は、運命が牙を剥いたと思っているのかもしれず、なぜ思うままにならぬと憤激しているのだろう。被害者の面をして。運命に裏切られたような顔をして。数多の屍を積み上げ、血と涙と呪いを地上に満たして。

 被害者なものかよ、とあざ笑う。産み落とされた不幸はあるけれども、選べたはずなのだ。そうはしなかった。血筋に固執し、力に固執し、太陽を射落として踏みにじった。正道が男を見限ったのではない。男が正道に背を向けたのだ。

 足音が聞こえる。重く響くそれに、彼――かつての大悪、ゲラート・グリンデルバルドはくすくすと笑った。おいでなすった。やはり来た。こそ泥のように密やかに歩くのは矜持に障るらしい。どこまでも堂々と、王のごとく登場したいと。ああ、馬鹿らしいことだ。真に優れたるものはそんなことを意識しない。威風をまとい、品格を纏いただあるのみ。男がしているのは猿真似に過ぎない。どこまでも哀れなものだ。

――物事の

 表層しか分からない。分かろうとしない。予言などというただの計算、ただの予測に振り回され、踊らされるのだ。

 鉄格子の向こうに影がある。ぎぃ、と鈍い音を立てて格子が開かれた。ぽうと灯ったのは紅の色。禍つ星の色彩。かつては秀でていたその面は、無惨にも食い荒らされている。ゲラートはにぃと笑った。あの獅子の――闇祓いの仕業だろう。よくやった。この餓鬼のことをゲラートは気に入っていなかった。もっと言えばくたばれと思っていた。こいつが自分の後継のような面をしているのがムカついたのだ、端的に言うと。あらゆる悪を成したが、少なくとも己の支配欲のために女を組み敷いたりはしていない……し、実の娘たちを始末していない。ついでに言えばゲラートですら己の血を分けた者に下衆な真似を働こうとも思わない。ないだろう。ないない。ゲラートは血族に欲情するような趣味はない。いくらなんでも、である。拷問して……するか普通。狂ってやがる。

 見通した可能性、時の一枝でもひどいものである。そりゃあ孫に寸刻みにされる。やっていいと思う。お前にはその権利があるぞウィスタ・リアイス――いや、ブラックか。分岐だと。

「呼んでないぞ」

 帰るといい。ゲラートはひらひらと手を振る。ちゃりちゃりと、からかうように鎖が鳴った。あの獅子になら茶の一杯も出していいかなと思ったが、こいつに出す茶はない。

「ニワトコの杖はどこにある」

「吐かせてみるか?」

 間髪入れずに呪文が飛ぶ。がっちりと心を閉ざす。磔刑の呪文が心をこじ開けようとする。こんな馬鹿な餓鬼に明け渡すものなどない。

 寝台にくずおれる。ひゅう、と喉が鳴った。わかっていたことだ。この展開は。どうやってこの男をからかってやろうか、とずっと考えていた。退屈しのぎにはちょうどよかった。ずっと穏和しく獄にいたのは、このためだった。

「お前はアルバスを殺していい気になっているが」

 あいつは死んではいないんだよ。

 にやにやと、笑みを浮かべる。

「酔狂にも校長なんてもんをやったあの馬鹿は、人を育てるのが巧かった」

 お前には理解できんだろうがね。壁に寄りかかる。深く息を吐く。

「あいつが育てた連中がいる限り、アルバスは真に死んではいない。お前はずっとずぅっと煩わされる」

 杖が振られる。ゲラートの肩から重みが消えた。片腕が転がる。悲鳴など出すつもりはない。

「杖はどこだ」

「お前にはやらないよ?」

 なにひとつ。

 魂を裂いた愚か者にやるものなどない。この局面を生き残り、ハリー・ポッターを討ったとしても、魂はいずれ劣化して、己が何者かもわからなくなるだろう。そんなことすら理解しようとしないやつにくれてやるものはないのだ。

「お探しの杖を見つけたとしても」

 お前には使いこなせない。囁く。

「あれはちょっと出来がいいだけのものだ」

 伝説なんてそんなものだ。幼い子どもに諭すように言う。今度は右足が落ちた。八つ当たりするしかできない餓鬼め、とゲラートは唇をゆがめる。思うとおりにならなくて、癇癪を爆発させる子どもだ。

 杖。杖ねえ。ニワトコの杖はアルバスにくれてやった。もう一本は、手を打ってある。それでいいのだ。少々の気まぐれだ。彼の杖はふさわしい者の手に渡り、罪を雪ぐだろう。

「お前はなにもできないよ」

 歌うように言う。

「そう、たとえ今勝っても、破滅する」

 ツケを払うのさ。太陽を射落とした罪、愛を知ろうとしなかった罪。血族を踏みにじった罪。実の娘たちを殺した罪。あらゆる罪。一角獣を殺し、血をすすった罪――もはやお前は呪われた。呪いそのもの。

「すべてが巧くいく人生なんてあるものか」

 お前はそれをわかっちゃいない。

 だから、惨めに死ぬのさ。

 男の顔が歪む。ゲラートは高笑いした。さあ呪いは打ち込んだ。巧くいくものかという呪い。ただの言葉。しかし、この男には効くだろう。だって心の奥底で、怯えているのだから。ただの赤ん坊を殺せず――もしかしたら、運命に背かれているのではないか、と。

 緑の閃光が迫る。襲い来る死を、ゲラートは瞬きもせずに見つめた。招きもしていない客人に、恐れを見せるのは矜持に反する。

「さらばだ」

 いずれ滅びる者よ。

 

 

 

 誰かの高笑いが木霊し、綺麗な燐色の炎が過ぎった……ような気がした。

 ぼうやりと眼を開ける。ああ、ここのところろくな働きができていないと嫌悪しながら身を起こす。手が固いなにかを握っている。眼をやれば、それは杖だった。奇妙に手になじむ。じんわりと熱を帯びる。

 そっと手を開けば、黒い杖、その柄が姿を現す。

 まじまじと杖を見る。セーミャの燐色の眼が、かつての大悪と同じ色の双眸が柄――刻まれた二つのGを認めた。息を呑む。誰に言われずとも悟っていた。

 これは託されたものだ。

 ゲラート・グリンデルバルドの杖だ、と。

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