レディ・スクリムジョール
「君も」
変に追いかけ回されるより避難したいだろう?
英国魔法省ロンドン本部、魔法大臣執務室。セーミャ・アレティ・スクリムジョールは卓の向こうにある顔をじろりと睨んだ。魔法大臣に呼び出され「お茶」をするとなると、やましいことがある者は内心で冷や汗をかき、立身出世を願う者は魔法大臣に取り入りたいと願うだろう。なにせキングズリー・シャックルボルトは「ぽっと出」の「臨時」大臣で隙があるとみなされている。手練とはいえ一闇祓い。長官位を経て大臣になったわけでもない。そんな大臣を影に日向に支え、おこぼれを狙う輩は出てくるだろう。
セーミャは臨時大臣に取り入りたいとはまったく思っていないし、追い落とそうとも思っていない。冷や汗もなにもかかず、むしろキングズリー・シャックルボルトに対して、面倒事を投げてくる人遣いの荒い男という印象が強い。これだから能吏は嫌なのだ。自分にできることは他人にもできると思っていらっしゃる。
「他に成り手がいるでしょう」
私はかわいそうな竜を保護して小鬼と交渉するっていう面倒事を片付けたばかりですけど?
返し、茶器を傾ける。大臣執務室に備え付けの茶葉はずいぶんと安物だ。一度この室は使用不能になったし、あらゆるものが血に塗れたという。傀儡政権がとりあえず使えるようにするのにけっこうな手間がかかったし、服従の呪文にかけられたパイアス・シックネスは茶葉になんてこだわらなかっただろう。彼は闇の陣営の意を伝えるだけの木偶人形だったのだから。
ホグワーツの戦いで闇の陣営を下し、魔法省を取り返しても大臣執務室はすぐには使えなかった。まずはパイアス・シックネスを叩き起こすところから始まり、執務室を洗浄、呪いの解除、危なそうなものは破棄、と手間がかかったそうだ。破棄されたもののなかにはもちろん茶葉もあったろう。毒が混入されている可能性は捨てきれなかった。
とりあえず、それなりの体裁を整え、大臣執務室が使えるようになり、臨時魔法大臣が入室したとはいえ、茶葉の問題など後回しだ。なにせ余裕がないのだ。英国全土で巻き起こった災禍は、多数の死者と負傷者を出し、それよりもなお多い行方不明者を発生させ、親の庇護をなくした者も多い。
――それに
混乱に乗じて、獣も多くさまよい出てきた。ヴォルデモート自身は奇妙な信念でもあったのか、婦女子へのよからぬ行いは禁じていた、という。しかし首領の意が完璧に浸透するわけがない。確実にとりこぼしがある。獣に目をつけられた犠牲者は多い。望まれない子どもたちが生まれ、捨てられるのは火を見るよりも明らかだ。世の中、愛と理想だけではどうにもならないことも多い。
能吏であるがゆえに貧乏くじを引いた臨時大臣閣下は戦時の混乱、それによるあらゆる障りを解消していかなくてはならない。キングズリーが父ならばそんな面倒な地位なんて誰かに押し付けてしまえと言っただろう。しかし彼はセーミャの父ではないし、慮る必要もない。多少の手伝いくらいならするからやれ、だ。なので臨時大臣の補佐官にねじ込まれても受け入れた。戦後の混乱に乗じた形になる。すぐに使える人間がいないんだよ、と泣きつかれたら仕方ない。
まさか最初の仕事が「某かによって逃されたグリンゴッツの金庫番こと竜の保護」になるとは思わなかったが……と遠い眼をする。大変だった。チャーリーを巻き込んで、ドラゴン使いを動員し、捕獲。なだめすかして誘導して、箒で隊列を組んでロンドンへ。途中休憩を挟み、暑さに耐えきれなかったドラゴン使いたちは湖で水浴びをした。もはやセーミャがいようとおかまいなしで、皆様上半身裸ではしゃいでいた。竜は湖で気持ちよさそうにしていて、チャーリーは肩のあたりの火傷の痕を見せびらかしてきた。子どもか。そもそも、ホグワーツでの戦いでけっこうな傷を負ったチャーリーを治療したのは誰だと思っているのか。既に上半身は見ている。
――上半身を見せびらかすくせに
ついでにとっくの昔に成人してるくせに、妙に恥じらうのはなんなのか。セーミャは己の唇に触れかけてやめた。ここは大臣執務室。チャーリーは一旦ルーマニアに飛んでいる……。旅立つというから見送りに行ったらさっと唇を奪う男ってどうなのか。そして逃げるようにポート・キーを掴んで行ってしまった。意気地なしめ。
今は仕事の話、と意識を戻す。開心術でもかけられたら終わりだ。父に擦り切れる寸前まで鍛えられたので、名うての開心術士相手でも秘密を守る自信はある。それでも多少の不安はあるものだ。
「ミネルバの要請だ」
キングズリーの声に気持ちを引き締める。ミネルバ。変身術教授、グリフィンドール寮監。ホグワーツの現校長。
「ナイアードが行ったと聞いたけれど?」
ナイアード・リアイス。リアイス一族の魔法使いで闇祓い有資格者。つまり臨時の闇祓いができるだけの実力者。彼は今ホグワーツに赴いている。闇の魔術に対する防衛術教授として。
「城の修復作業もするから、手が多いほうがいいと」
ナイアードはただの穴埋めだし、ずっとホグワーツにべったりというわけにもいかない、とキングズリーは穏やかに言う。セーミャは顔をしかめた。
「つまり私が主でやれと?」
「補佐をつけるから」
ハリー・ポッターとウィスタ・リアイス。
実に軽く言ってくれる。セーミャは目眩をこらえた。
「彼らは学生よね? ひどくない?」
「そこで君の出番だスクリムジョール」
「……元息女が出張るのはどうなのよ」
「保護者たちが不安がっていてね」
君がいれば安心だ。蒼炎の魔女。
誰だ、恥ずかしい異名をつけたやつは。たぶん犯人はテセウスな気がする。にこにこする老魔法使いの姿が脳裏によぎった。
ゲラート・グリンデルバルドの時代は遠くなった。当時の生き残りはわずかで、[[rb:聖にして邪なる炎環 > プロテゴ・ディアポリカ]]を目撃した者はもっと少ない。いまさら蒼炎をグリンデルバルドと結びつける者もいない……ということだろう。そもそも、炎の術は数多ある。どうとでもなるし、他ならぬテセウスがしれっと蒼炎どうこうと口にすればそんなものかで済むのだろう。世の中、そういうこともある。
恵まれているのだろう。生まれは不幸なものだったけど、拾われ、庇護され、本来ならばセーミャを恨んでもおかしくないテセウスは、たぶん思い上がりでなければセーミャのことを気にかけている。
――本当なら
セーミャはとうに死んでいるべきだ。一度死んだようなものだった。
父ならどうするだろう、とふと考える。孤児、それもいかがわしい場所にいた女の子を拾い、彼なりに育てた父ならば。最初は渋々引き取ったのだろうと思う。
――それが義務ならば
父はそう言うだろう。仕事だから、義務だから、と。そういう人だ。だから貧乏くじを引いてしまって、この世からいなくなってしまった……。
「マクゴナガル先生がお困りだからですよ」
絶対、大臣閣下のためじゃないですよ、と釘を刺す。貧乏くじを引いた大臣その二に簡単にほだされるわけにはいかない。仕事を山積みにされるのは間違いない。
「ああそうだ、寮監をしてほしいそうだ」
なにげなくキングズリーが付け加えた。セーミャは頭を抱えそうになった。未成年の生活の監督もしろと?
「君ならできるよ首席」
他人事だと思って無責任に言ってくれる。キングズリーを睨んでも「いやぁ父君そっくり」と喜ばれた。
「あなた、ルーファス・スクリムジョールによく似てる女と結婚したいわけ?」
腹立ち紛れに矢を射掛ける。キングズリーが呻いた。
「私が言いはじめたわけじゃない」
「省をちゃんと締めてよ」
ちくちくと言えば眼を逸らされた。キングズリーが「避難」と言ったのは、妙な噂からの避難も含まれる。気をきかせたどこかの愚民が、キングズリー・シャックルボルト臨時魔法大臣はいくら純血とはいえ……臨時だし……なんとなく正当性がほしい等の理由をひっつけて、セーミャとの婚姻はどうでしょうとぶち上げたのだ。控えめに言っても死の呪文である。迷惑すぎる。
そして、キングズリー・シャックルボルトとセーミャ・スクリムジョール、正式名セーミャ・アレティ・スクリムジョールは結婚するのか……という雰囲気が醸成されてしまった。迷惑にもほどがある。
「私は今のところ結婚は考えてないと言った」
しかし明るい話題に飢えている者が多くてね、とキングズリーは歯が痛むかのように顔をしかめた。セーミャはため息を吐いた。キングズリーとセーミャの年の差をわかっているのだろうか。善良なる一般市民は?
「私が避難してる間に、なんとかしていただきたいのですけど閣下」
無言で眼を細められた。笑顔に見えなくもない。笑って誤魔化す素敵な大臣閣下である。
妙な噂や、うっとうしい取材から逃れるためにホグワーツへ行ったというのに、きらきらした眼の子どもたちに囲まれ「うちの兄とどうですかレディ・スクリムジョール」とか「やっぱり大臣と結婚するんですか」と訊かれ、膝を突いた。無邪気な分対応に困る。
そして、ふくろう便、それも超特急便で手紙が届いた。乱れた字で「君がキングズリーと結婚するって聞いた」と書かれていた。なんでルーマニアにまで噂が流れているのか。セーミャは羽根ペンでこう綴った。
そんなに心配ならさっさと帰国しなさいよ、と。
セーミャ・スクリムジョール(セーミャ・アレティ・スクリムジョール)
前魔法大臣の息女。闇祓いの娘。レディ・スクリムジョール。