養い子シリーズ、蒼炎の魔女の番外編。紙版「蒼炎の魔女」が頒布終了しましたので、書き下ろしを再録。
紙本をお手に取ってくださったかた、ありがとうございました。
切り捨てるべきだとわかっていても、その手をとってしまった
魔法省のとある階、とある一角――いわゆる福祉課。窓口の職員はひくひくと目尻を痙攣させ、彼と眼も合わせずに言った。
「どこもかしこも手が回っていないんですよ。孤児院もいっぱいで」
ましてや生き延びるかもわからないのでしょう。
柔らかく言ってはいるが、早く死んでくれはしないかと思っているのだろう。本人は自覚すらしていないのだろうが、その眼に宿るのは侮蔑だ。
「魔法族は平等だと思っていたが」
笑顔を浮かべる。職員は乾いた笑いを漏らした。
「そりゃあ、あなたにとっては皆平等」
平等に殺してしまえる存在でしょうね。局長殿。
ちりちりとした熱を身の内に抱えながら、彼――ルーファス・スクリムジョールは聖マンゴに踏み入った。内心ではとっても、かなり、大変腸が煮えくり返っているのだが我慢である。ここにはか弱い者どもがいる。傷に病に呪いに……壊されてしまった者たちがいるのだ。戦場のにおいをさせてはいけないし、気を落ち着かせなければならない。
背をぴんと伸ばし、己になにやらの呪詛がつけられていないか再度確認し、笑顔とまではいかなくても努めて穏やかな風を装う。冬の足音が近づいてきた。そのうち、病院内にもクリスマスの飾りが付けられるだろう。
――間に合うまいな
ルーファスはため息をこぼす。気を取り直し、受付に向かった。
「蒼の子に面会したい」
「ああ、お父様……」
父親ではないと言ってもどうせ無視される。一時的に身元引受人めいたものになってしまったのだ。夜の底で助け、聖マンゴに運び込み、入院の書類に署名をしたのが運の尽きであった。
名前を訊けなかったので、仮の名を付けたのも彼であった。蒼の子、と。寂しげな眼をした子であった……。
個室の扉を叩く。応答がないのはいつものことだ。それでももしかして起きていて、応えてくれるかもしれない。そう思うからこそ毎回扉を叩く。何の物音もしないのでそっと身を滑り込ませた。静寂と薬の匂いが鼻をつく。弱々しい呼吸音、その元へ近寄った。
寝台に横たわる小さな身体。顔は包帯で覆われ――いいや、全身が包帯で覆われた有様。眼を覆うガーゼは先日取れたけれども、それでも痛々しいものであった。髪も焦げてしまっていて、剃り落としたと聞いている。焦げた肌も同様に。
――惨いものなどいくらでも見てきたというのに
数多の同胞の死に様を見た。ルーファスより年若いのに散っていった者たちを見た。死なずとも、心が壊れてしまった者たちを見た。うんざりするほどに――世の過酷さを、悪意を見てきた。ままならぬことを見てきた。
だというのに、たかが子どもひとりのこんな有様に胸が痛んだ。よくあることだと思わなければやっていかれないのに。それでも、小さいものが害されるのは……あってはならぬ、とほんの少し残った青臭い心が言うのだ。
あってはならない。理不尽だ、と。
「誰か、」
ちゃんとして、穏やかな気質の夫妻にでも引き取られればいいのに。
椅子を引っ張ってきて座る。苦しげな呼吸音。
『完全には治らないでしょう』
癒者は仮の保護者――ルーファスに言った。少し物憂げな眼をし、淡々と続けた。
『強力な炎にやられたのでしょう。インセンディオより上のもので』
なるべく綺麗にしてあげたいのですが、と癒者はそれまでの平坦な――強いてそうあろうとしている口調のなかに、わずかな苦さを滲ませた。
完全には元に戻らない、ということだ。ただの炎ではない、いわゆる呪文性外傷に近い。しかもインセンディオよりも上。たとえば悪霊の火のような……なにもかも灼き尽くす、凶悪な魔法だ。こんな小さな子が反対呪文を知っているわけもない。杖も持っていなかった。生き残ったのは奇跡だ。母親を灼いてしまったという趣旨のことを言っていたが、そんなまさか。火傷による痛みと衝撃で、あらぬことを口走っただけだろう。
ルーファスはため息を吐きたくなった。大火傷から生還したとして、この子の引き取り手は現れるのだろうか。客観的に――精一杯公平に見て、この子の命は軽いのだ。もちろん癒者は全力を尽くしている。けれども彼らの仕事は患者を生存させ、傷をなるべく癒し、原状回復を目指すものだ。その後のことは管轄外である。
――同時に
闇祓いの職務は、闇の魔法使いを捕まえること。事件の兆しがあれば摘み取ること。ひいては、無辜の魔法族たちに秩序と安寧は確かにあるのだということを示すことである。無論、助けられる命は助けるし、場合によっては聖マンゴに運ぶこともある。なにせ戦によって人材が枯渇している。厳密に職掌の枠を定め、適切に運用できるだけの余裕がないのである。あちこちで助っ人のやりとり、応援の要請がなされ、どうにかこうにか回している……というのが現状であった。
だから、ルーファスが助けた子どもの入院手続きをして、書類に署名し、なるべく聖マンゴに足を運んでいるのも……仕事の一環だ、きっと。
職掌の範囲を逸脱しているぞ、という囁きを無視した。ルーファスは闇祓いで、局長である。砂漠の一粒の砂、大河の一滴に過ぎない子どものことなど構っていられないのだ。ましてや夜の底にいた孤児。娼婦の子である。優先順位は低い――とまで考え、ルーファスは顔をしかめた。福祉課の某の言を思い出す。彼にとっては出自もわからない、死にかけの孤児などどうでもいいのだ。これが実は権門の出……とか、半分権門……とか、高官の子、魔法省員の子ならば、福祉課も身を入れて対応しただろうと思うと、ますますやるせない気持ちになった。わかってはいる。福祉課は精一杯やっているだろう。世の中には孤児が溢れている。
先の戦が「終わった」のはたった一年ほど前のことだ。行方不明になった父母を待ち、頼れる親族もおらず孤児院に入れられている子たちも多い。また忌まわしい子――闇の魔法使いにだまされ、あるいは乱暴された魔女たちが産んだ子たちも孤児院に入れられている。その逆もある。闇の陣営に女は少ないが――良家の男を陥落せしめ、胎に胤を宿し、高笑いする者もいるのだ。人はどこまでも堕ちていける。
仕方がないことだ。魔法省とて万能ではない。すべてを救うことはできず、無辜の――善良な民たちの自発的な救済に助けられている面も大いにある。そして、善良な者どもだからこそ夜の底の、娼婦の子を忌むだろうとルーファスは予想していた。しかも大火傷を負って、再び歩くことができるかどうかもわからない。幸い、両手足はどれも切り落とさずに済んだ。それでも積極的に引き取りたいかというと……難しい。
福祉課がルーファスを追い返さずに、渋々でもひとまず応対しているのは、ルーファスが――ルーファス・スクリムジョールが闇祓い局長だからだ。しかも、権門リアイス家の魔女、闇祓い局創設者である、アリアドネ・リアイスの部下であった。ルーファスは彼女によって引き抜かれたのだ。彼女が亡くなって、正確には惨殺されて随分と経つ。だが、ルーファスの背後に彼女の影を見る者は多い。
魔法族は平等だ。マグル生まれも純血も、混血――あるいは半純血も変わらない、とルーファスは言う。綺麗事だとわかっていても、建前だと知っていても、言う。闇祓いは秩序の守り手だ。世の中を斜めに見て、冷笑するような真似はしたくなかった。世の中なんてこんなものだと言いたくはなかった。だというのに局長の立場をいいことに、その背後にあるアリアドネ・リアイスの影を利用して、福祉課に孤児の引き取り手を探せ、それか孤児院の空きを探せと吼えることは――平等ではない。職権乱用と言われても仕方がなく、福祉課に嫌味を言われるのも当然であった。
闇祓いは殺すのが仕事だ。死の前では皆平等だ、と。マッド・アイはなるべく生け捕りにしているというのに、あなたはその手間を惜しんだと。そこに私憤がないと言えるのかと。
楽な道を選択した自覚はある。相手は犯罪者で、監獄に入れたところで弱るか、狂うだけ。死喰い人ならば始末してしまったほうが早かった。ほとんどの闇祓いはそうであった。殊にリーン・リアイスなど、どれほど手を汚したことか。愛弟子の荒み具合にマッド・アイ――アラスター・ムーディが顔をしかめるほどには死を積み上げた。
秩序の守り手を謳いながら、人々の心を食い荒らしていたのは闇祓いにも責があるだろう。やつらは悪だ、という理由で杖に死を歌わせた。
そんな無慈悲な闇祓いが、切り捨てられるべき子に気を揉んでいる。なんと滑稽なことだろう。いてもいなくてもたいして変わらず、死んでしまったところで問題はない命。ルーファスには果たすべき務めがある。このような些事にかまけている暇などないのだ。本当は。
子どもに罪はない。そんな風なことを、闇祓いの娘は言った。罪はない。たとえ死喰い人の子だろうと。命までとることはない。孤児院にやった、と。
その手を血で汚しながら、良心まで捨てていなかった娘。あまりに早すぎる死であった。
「……君が生きていてくれればな」
リーン・リアイス。
小さく囁いて、苦笑う。なにを馬鹿なことを言っているのか。死んでしまった。殺された……彼女の同期は全員、死んだ。ジェームズも殺された。フランクとアリスは生きてはいるけれど、死んだも同然だ。
「きっと、救いの手を差し伸べたろうに」
ルーファスでは限界があるのだ。リアイスならば引き取ってくれるかもしれないとも思ったが……彼らは気が立っている。リーン・リアイスの息子の消息が知れないから。くだらないことを持ち込める雰囲気ではなかった。
『拾いものをしますよ』
そう言った先視の魔女を思い浮かべた。リーンの親族である。ルーファスは頭を振った。拾っただけだ。一時預かりしているだけだ。だが、追い打ちをかけるように別の魔女の静かな面が脳裏に過ぎった。義務だ、と言った魔法大臣。女傑ミリセント・バグノールド。
まるでルーファスが引き取る未来が確定しているようではないか。そんなまさか。子どものことなんてわからない。しかも、こんなに傷ついた小さな女の子なのだ……怖がらせるに決まっている。名前だって聞いていない。
――名無しだったらどうしようか
あり得ないとは思うけれど。いくらなんでも、娼婦とはいえ名前くらい付けるのでは……もしかしたら、その母親が娘を殺そうとしたのでは、とルーファスは疑っているが。なにせ混乱した子どもの言、正確さに欠ける……とはいえ、娘の顔半分、と首のあたりの火傷は酷かった。
――大人の手で触れられたかのように
頬から首へ、するりと撫でられたかのように。
ルーファスは見なくてもいい暗がりを、わざわざ覗きこんだような気がした。そして後悔した。もし名前があったとしても、名乗りたくないかもしれない。実の親子ならば情がある……という話でもない。所詮他人と他人である。血の繋がりは情を確かなものにはしないのだ。
「お前に引き取り手が現れなければ私が困るのだ」
ぽつぽつとルーファスは言った。言い聞かせるように、言った。
「元気になって、闇祓いではない、普通の……優しい親がいるような家庭に行ってもらわなければ」
落ち着かなくて仕方がない。
無理だ、と思う。ルーファスにはとても無理だ。退院までは見守ってやりたいが……手に余る。厄介でしかない。結婚しなかったのは、万が一子どもができたら困るからだ。守るものは少ないほうがいい。
厄介だと思った自分を嫌悪する。別にこの子のせいではないというのに。
「厄介の種ではないのだ」
眠っている娘が聞いているはずもないのに、ルーファスは言い訳をした。もはや誰になにを弁解しているのかもわからなかった。
「子どもは皆、
そうであればよいと思っている。
結局、子どもの引き取り手は現れず、無理だ女の子の親になるなんてと散々渋り、けれども暇を見つけては様子を見に行って、成り行きで車椅子に乗せて散歩をし、女の子が段々と快復に向かうことを喜ばしく思う自分を否定もできず……寂しげな燐の眼にからめ取られるように、その書類に羽根ペンを滑らせた。
退院手続きに必要な、諸々の書類に。
父はルーファス・スクリムジョール。
子はセーミャ・アレティ、と。
荷物を持ち、そっと小さな手をとって、父子は聖マンゴを後にした。
お父さん、とおずおずと呼ばれ……なんだ、と素っ気なく返事をした。まったくどうすればよいかわからなかった。優しい父親なんて柄ではないのに。
胸の内に灯った、奇妙なあたたかさなど幻だ。
そんなぶっきらぼうな返答でも満足だったのか、小さな娘はルーファスの手を――傷だらけの手を強く握った。
ルーファスは、灼かれ、焦がされても生き延びた、小さな小さな手を返事の代わりに握り返した。