【完結】蒼炎の魔女   作:扇架

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三話

「ご協力感謝します」

 ミス・アレティ。固い声に顔を上げる。影が立っている。いいや、人だ。肌が黒いから、そう見えてしまっただけだ。

「警護はいいの」

 誰のとは言わない。キングズリー・シャックルボルトの実力は確かだ。だから大臣の――あっちかこっちかは知らないが――警護の任に就いていると思っていたのだが。

「問題ありません」

 ミス・アレティ。慇懃無礼というのだろうか、嫌味なキングズリーだ。現場に行ったら大臣の息女がいるなんて、と批難しているのだ。セーミャだって居合わせたかったわけではない。

 そう、とだけ返す。父が勝手に大臣になっただけなんですけど、なんて言ったところで意味はない。我が儘で馬鹿な小娘に見られるだけだろう。

「不可抗力なんだから」

「わかっている」

 キングズリーが眼を細める。彼が見ているのはセーミャではなく、彼女の膝に頭を載せている女の子だった。そして、周りが騒がしいのは、ごく平凡な家庭が破壊されたからだ。

 配達先に行ってみたら、誰も応対に出なかった。鍵は閉まっていた。奇妙なほど音がしなかった。炊事の音も、ラジオの音も。話し声も。出かけた様子はどうもなさそうで、嫌な予感がして鍵をこじ開けて踏み入った。そしたら玄関に子どもが倒れていた。血塗れだった……。応急処置をして、居間へ行けば……。

「君はよくやってくれた」

「善意の一市民ですから」

 返す。居間は血塗れだ。ソファも血塗れなのだが、座る場所が他にない。

「一市民に押しつけて申し訳ないと思っている」

 キングズリーがかがみ込む。眠っている女の子の頬にそっと手を当てた。

「……伝染するとか言わないのね」

「触れただけでは伝染しないだろう」

「わかっていても嫌がる人はいるでしょう」

 人狼なんて、と。言って、ちらりと視線を投げる。その先には闇祓いがいる。ニンファドーラ・トンクス。愛され、溌剌としていてだいたいの人間から好かれる類の魔女。髪は気分によってショッキングピンクにしていたり、ターコイズブルー、それかきつい紫にしていたものだ。学生時代、とにかく目立っていた。なにがあったのか、髪はくすんだ茶色だ。青ざめた顔をして、壁際にいる。扉近くだから侵入者を防ぐためという言い訳は立つ。けれど、彼女の目的は距離をとることだろう。「穢らわしい」人狼から。

――咬まれてしまった、かわいそうな女の子から

 トンクスから眼を引きはがす。人間、どうしても乗り越えられない壁はあるだろう。トンクスの場合はそれが人狼への偏見というだけだ。差別心がない人間なんていない。そんなものがいたらある意味化け物だろう。人ではない。

「この子の検分は療者に任せるとして」

 セーミャは囁く。ごめんね、と謝って女の子の服に手をかける。釦を一つ二つと外し、肩をはだけた。どす黒い傷跡がある。三本の爪痕だ。

 獣はまず女の子のわき腹を咬んだ。幼い生き物の柔らかい肉に牙を立て、そして肩に印を刻んだ。

 多くの人狼はあえて人を襲ったりしない。だが、少数の、異常な執着に駆られた人狼は、積極的に獲物を求める。満月の夜に獲物の近くに身を潜め、狩りをするのだ。そして勝利の証を刻む。肩に三本爪の痕を残すのは――。

「グレイバックか」

 キングズリーが嫌悪も露わに吐き捨てる。冷静沈着な闇祓いにしては珍しいことだった。視界の隅で、トンクスがますます青ざめるのが見えた。死人のようだ。

――あんなに

 脆く見えてしまう魔女だったろうか。セーミャの友人に、多少繊細なところがあるのは確かだ。ニンファドーラという名をからかわれて報復していた。他にはなんだったかな。好きになった男の子の好みに合わせて容姿を変えていた。七変化だから、なまじどうにでも変身できるのが悪かったのだろう。トンクスの「おつき合い」は早ければ数週間で終わりを迎えていたものだ。そして髪の色が艶やかな黒ではなく、濁った黒だったり、くすんだ灰色だったり……どぶ色に変わって……。

 瞬く。ここが殺人現場であるということも忘れ、トンクスを再度見た。

「というわけでだ。君は帰ったほうがいい」

 キングズリーの声に我に返る。膝の上の女の子を撫でた。柔らかい頬。平穏な暮らしを送り、痛みや傷、流血とは無縁だったろう子。

「……付き添っていなくても?」

 この子の親はいない。殺されてしまったのだから当然だ。癒者チームが来て、聖マンゴに搬送されても、保護者が誰もいないのだ。

 キングズリーの深い色の眼が、セーミャをまじまじと見た。なにかを言いかけ、ため息を吐いた。

「君にそこまで押しつけるわけにはいかない」

 ◆

「……人狼が嫌いだとか」

 そういうんじゃないんだ。トンクスの護衛付きで帰宅し、彼女を夕食に誘ったら、重い話が飛び出てきた。

「うん、そうね。友達がそうなんだよね」

 これはあくまでトンクスの「友達」の話だ。あるいは知り合いとか。親戚とか。誰だよとか言ってはいけないし、それはトンクス自身の話じゃないのと言ってはいけない。マナー違反だ。

――キングズリーめ

 トンクスのことを押しつけてきたな。大臣息女の護衛にわざわざトンクスを付けたのはそういうことだろう。頼まれてくれるかと言われたわけではない。トンクスとは友人だし、闇祓いの秘匿に関することでなければ聞くことくらいはできる。夕食を一人で食べるのは滅入るので、トンクスがいるのはありがたい。

 山盛りのサンドイッチをこしらえ、スープも付けて、二人で食べているうちに、トンクスの「友達」の話は泥沼になっていた。

「えー……年上で」

「親子くらいは離れてないよ」

「穏やかでユーモアがあって」

 人狼で。

 セーミャは眼を瞑った。どうしようか。人狼が全員犯罪者なわけではない。なりやすいだけだ。もっと正確に言えば、闇の陣営が積極的に犯罪者になるように誘導している。実はマグル生まれが標的になりやすいと言われている。正確な統計はないが――守りの薄い家を襲い、子どもを咬んでさらうとか。さらって、教育を施す。恵まれた連中への恨みを吹き込む。囁くのだ。汚染してしまえ……。

 人狼は社会の暗部、二等市民以下の獣だ。その昔は人狼は密かに始末されていた……らしい。特に純血家系では。よくて処刑、悪くて飼い殺し。

 今でも間引き、子棄てが行われているかは知らない。されていてもおかしくないとセーミャは思っている。脱狼薬が開発されたとはいえまだまだ高価だ。余裕のある家庭ばかりではない。そして人狼になった子どもを愛せる親ばかりではない。

 親子といっても所詮他人だ。血の絆など幻想だ。子どもに身体を売らせようとする母親だっている。

 きっと愛は、最初からあるものではない。生まれ、育っていくものだ。そしてトンクスは恋をしている。愛になるかはわからない。

 まともで常識的な魔法族ならやめておけと言うだろう。だって人狼だ。まっとうな職には就きにくい。ホグワーツ卒なんて夢のまた夢。人狼は家庭学習か「学舎」だろう。高等教育は受けられない、と考えて、例外がいるのを思い出した。

 付き合う段階まで行っているか、かなり微妙なトンクスの彼、いやトンクスの「友達」の彼が誰だかわかってしまった。

 リーマス・ルーピンだ。元ホグワーツの教師。ダンブルドアに大恩があって、たぶん不死鳥の騎士団に入っている。ああ確かに年上だ。親子まではいかないが、十二、三ほど離れているはず。

 彼もまたグレイバックの印を持つ者。通称灰色の子どもたちだ。よく犯罪者に墜ちずにまっとうに生きてきたものだ。

「荊の路だよ」

「わかってる」

 うーんと唸った。

「……ただ、彼は、その」

 よそよそしくなって。トンクスはぽつぽつ言う。セーミャはなにも言わなかった。相手が大事だから下手につき合えないとか、身を引くことはありそうだ。その「彼」とやらを責められない。セーミャだって同じようにするだろうから。

『お前が』

 不細工だっていう噂があったから、どんなものかと思って。

 けらけらとした笑いが記憶の底から蘇る。学生時代、短い期間付き合っていた彼だった。

『剥がせばこんなものか』

 ああよかったキスしなくて。

 眼を瞑ってと言われ、期待していたら裏切られた。挙げ句に写真まで撮られ……今度こそ、噂だけではなく写真までばらまかれるのかと戦慄した。

――助けてくれたのが

 トンクスとチャーリーだった。呆然としているセーミャをよそにその「クソ野郎」を締め上げ、カメラを破壊し、写真も燃やし、破れぬ誓いで拘束した。

 ホグズミードの一角で密かに起こった事件だ。その「クソ野郎」はチャーリーとの破れぬ誓いを破ることはなかった。だが、気づけば退学していた。

 常識人ぶって「まともで」「無難で」「安全」な路を説くことなんてしたくなかった。助けてくれてどれだけ嬉しかったかトンクスにはわからないだろう。だから、セーミャは彼女にハーブティーを出した。

「泊まっていって。どうせ直帰でしょ」

 彼女が誰を愛そうが――それが犯罪者かそれに類する者でない限り――自由だから。

 セーミャはできないけれど。だってセーミャこそが穢らわしく、犯罪者に類する者なのだ。

 知らなければ問題なかった。ないものは問題とはならない。だが、養父はセーミャに突きつけた。

 お前はグリンデルバルドの血縁なのだと。

 

 

 各地の被害、死喰い人の目撃情報、英国からの離脱者の概算など、把握すべき情報は多々ある。決めるべきことも、やるべきことも山積みだ。雑事にかかずらう余裕などない。ないのだが。

「……そうか」

 なにかもっと言うことがあるだろう。そう思っても、舌が回らない。頭も回らない。肩は重いし胃も痛む。

 娘が仕事――配達に行った先が殺人現場と化していたなんて聞けば、普通の親は動揺するだろう。だが、ルーファスはひたすら疲労がたまるばかりだ。

「あの子に大臣息女の自覚はあるのか?」

 どれだけ危険か? 配達なんてもってのほかだ。そんな含みをキングズリーは正確に読み取った。

「あなたの娘として公に出るのをためらっていますし」

 迷惑だと思ってますね、ご息女は。さらりと言った闇祓いを睨みつける。時刻は夜。大臣執務室は不夜城と化している。続き室で仮眠はとれるし風呂もある。着替えもあるので帰宅しなくても問題ないのだ。

「なあキングズリー」

「なんでしょう大臣」

「……娘のことがわからん」

「心配なさらないでください。男親にとっては永遠の謎でしょう」

 私は娘を持つ予定はないので気楽ですがね。ひょっとしなくてもキングズリーは面白がっている。こいつも娘を持って苦労すればいいのだ。娘が転がり込んで胃を痛くするがいい。

「そんなに心配なら、邸に戻せばいいでしょう」

「簡単に言ってくれるな」

 吐き捨てる。どうしたものか。連れ戻すのが最善だろう。それはわかっている。

 羽根ペンを握りしめれば、儚く折れた。根性のないペンだ。娘が転がりこんでから、何度羽根ペンをへし折ったことか……。

 あの日もそうだった。冬の休暇で娘が帰ってきたときも、羽根ペンが犠牲になったのだ。

 ◆

 世間が浮かれ騒ぐ時というのは、犯罪も増える。よって闇祓いの仕事も増える。繁忙期というやつだ。だが、娘がいる身だ。さすがにクリスマスは一緒にいてやりたいとルーファスは早めに帰宅した。それと、話したいこともあった。なかなか時間がとれないので、ずるずると先延ばしにしていたことだ。と、いうよりも踏ん切りがつかなかったせいかもしれない。

――お前は

「穢れた血」ではないのだと。その根拠をいい加減開示すべきだ。セーミャはもう四年生だ。成人には達していないがしっかりしているし飲み込みも早い。二年生の時スリザリンの愚か者に絡まれてからというもの、あれこれ気に病んでいるようだった。ちなみにその愚か者は退学になっている。女子への暴行ということで――マクゴナガルの逆鱗に触れたようだった。きっとリーン……リーン・リアイスのことを思い出したからだろう。亡き彼女もまた、セーミャと同じように絡まれていたという。もしセーミャが殴られ、髪まで切られていたら、ルーファスはそいつを始末していただろう。憶測だけで決めつけ、侮辱し、誤魔化しの術をはがし、化物呼ばわりするのも罪の重さでは似たようなものだが。だからこそマクゴナガルは怒り狂ったのだ。

――随分と治ったのに

 黙々とチキンを口に運んでいる娘を見る。うつむいていてしっかりとはわからないが――くっきりと赤い火傷痕は、色を薄くしている。ルーファスは「家でまで隠さなくていい」と娘に告げていた。恥じることではないのだ。特に片頰、顎、首が酷いその痕は、娘が望んで刻まれたものではない。灼かれ生き残ったのは罪ではない。母親を殺めたのも咎ではない。誰だって生きたいと思うものだ。娘の行動は正当なものだった。

 娘は化物では断じてない。だが、ルーファスは告げなければいけない。お前は、グリンデルバルドの……のだと。それは必要な情報だった。身を守るためにも。降りかかるかもしれない火の粉を払うためにも。

「セーミャ」

 呼びかけに、のろのろと娘は顔を上げた。眼を伏せがちで、心ここにあらずいった、どこか虚ろな眼をしている。

――不調か?

 一瞬そう思う。しかし、使用人から「お嬢様はなにかお悩みがあるようです」と耳打ちされていたのに思い至った。

 はい、と応えた声はひどく小さい。

――なにかしたろうか

 ルーファスは大急ぎで過去を振り返る。叱責はしていない。そもそも忙しすぎてろくに話していないし、顔も合わせていない。キングズ・クロスへは使用人が迎えに行った。帰省してからクリスマス――今日まで、ルーファスと娘に接触はほぼなかった。

――仕事を優先しすぎて

 家庭をないがしろにしている父親そのものだ。ルーファスは眼を泳がせた。娘は難しい年頃のはずで、父親らしくない父親についに嫌気がさしたとか? やっぱり妻を迎えたほうがよかったのか? 男の使用人ばかりなのは失敗だったのか? いやだがしかし、娘の面倒を押し付けるために妻を迎えるのはどうなのか。それはそれで……。

 メイドにしても、妻にしても、闇祓いの職務上面倒なことになりそうなので避けていたのだが。

「……どうした?」

 おそるおそる訊いた。部下が今のルーファスを見れば、眼を剥くか笑い転げるだろう。ルーファスだって滑稽だと思っている。女の子相手に怯えているのだから。いい歳をした闇祓い、何度か死にかけた闇祓いが、だ。

「なんでもないです」

 いやなんでもなくはないだろう。泣きそうになっているではないか。ここで心優しい親なら、話せるときに話せばいいと言うのだろう。しかしルーファスはまったく優しくはないし、父親的挙動もわからず、たいして気が長いほうではなかった。つまり子ども、殊に女の子の相手は不向きだった。

「料理が冷める前に話しなさい」

 私が助けてやれるかもしれない。じろりと見れば、娘が固まった。潤んだ、淡い淡い燐の色が暗く陰った。

「辱められたんです」

 その言葉が耳に届き、脳に到達し、意味を解して思った。

 よし、相手を抹殺しよう。なに私の娘に忌まわしい真似を。いやそれよりも。

「相手はどこの誰だ」

 唸るルーファスを見て、娘は青ざめた。首を振る。

「娘が無体を働かれたたんだぞセーミャ。いや待てマンゴには……? 誰かこれを……?」

 口走る。どのあたりまでいったのかが問題だ。嫌な話だが……そもそも……やっぱり妻を迎えるべきだったか。娘にそれが来ているのかそうでないのかまではわかるわけがない無理だ。

「……スの前に、」

 つっかえつっかえ娘が話す「事情」をルーファスは聞いた。つまり暴行ではなかったと。辱めではある。私の娘を弄ぶ気満々で近づいて? 隠しているのを承知で術を剥がして? 不細工だの言って? 写真を撮った?

 うんやはり始末しよう。そいつはこの世にいないほうがいい。

「セーミャ」

 立ち上がる。卓を回り込み、娘の背を撫でた。頼りないほど小さい背中。だが、灼かれてもしぶとく生き延びた、たくましい背だ。

 お前の火傷はよくなっていると言っても無駄だろう。今回の一件でさらに傷は――心の傷は深くなった。

 ましてや、その抹殺予定の誰かと同じくルーファスは男だ。もはや娘が男嫌いになっても仕方ないかもしれない。下手になにも言えない。

「よく話してくれた」

 嫌なことを話させて悪かった。

「私は、お前が娘でよかったと思ってるよ」

 今日はもう休みなさい。

 そんな陳腐な言葉しかかけてやれなかったのだ。

 娘がとぼとぼと室に戻った後、ルーファスも自室に引き上げた。便箋と筆記具を用意して字を連ねる。

 行状のよろしくない学生がいるようだ。姓名は――で、掘ればなにかほかにも出てくるかもしれない。手隙なら調査いただきたく。

 とある一族への手紙を認め終え、ふくろうに託して飛ばす。たかだか娘のために、と鼻で笑われても仕方がない。さすがに闇祓いの権限であれこれ調査するわけにはいかない。個人的に依頼するのが確実だ。

「……退学にしてくれる」

 羽根ペンを握れば、ぱきりと折れた。

 そして後日、娘を傷つけた某は学校を辞めた。

 親の浮気が発覚し、泥沼の争い、離婚、横領等々まで露見し、家庭が崩壊したそうだ。

 怖い話だ。

 

 

――なんでこんなことに

 クリスマスの夜。自宅。駆け込みの――少し遅れたクリスマス・プレゼントを求めに来た客を捌き、くたくたに疲れ、例年ならベッドに入って寝ているところだ。が、今年は違うらしい。

「メリー・クリスマス」

 お父さん。囁くように言う。養父はじろりとセーミャを見た。獅子は不機嫌だ。ずっと不機嫌だ。ああ、とだけ答え、おいしくもなさそうにコーヒーを飲んでいる。パーシー・ウィーズリーの腕が悪いのか(彼は居間の隅で壁に向いて立っているし、耳をふさいでいる)、インスタントコーヒーがまずいのかはわからない。秘書官なら大臣の好みはわかっているはずだし、たとえインスタントでもそれなりのものを入れられると踏んで台所に立たせたのだけど。

「なんで急に?」

「クリスマスだ。来て悪いか」

「……仕事帰りに思い出して寄りましたね?」

 養父が瞬く。ビンゴ。ちらと「置物」を見る。秘書官を伴う用事――ちなみに護衛は外を守っている――ということは。

「ハリー・ポッターに会いに行った」

 そして袖にされた。

「セーミャ」

 いちいち読むな、と養父は唸る。

「開心をしているわけじゃないですよ」

 繋ぎ合わせればわかります。そう言えば、養父は押し黙った。

「それよりなんだ」

 急に襲って来るな。強引な話題転換にもほどがある。セーミャは顔をしかめた。被害が玄関だけで済んでよかった。修復し、戦闘があったことなど言わなければわからない。

「じゃあ急に来ないでください。敵かと思ったじゃないですか」

 ちなみにセーミャも養父もパーシーも護衛も傷を負った。かすり傷程度と言っておこう。うっかりパーシーを失神させてたんこぶまで作らせたのは悪かったけど。

「ハリー・ポッターはダンブルドアの側ですし……お気に入りのウィスタ・リアイスだって魔法省に尻尾を振るものですか」

 わかっていたでしょう大臣。秘書官たちには言えないことを言う。

「魔法省への好感度は最悪ですよ。特にハリー・ポッターはね」

「善なるもののためには好悪を棄てるべきだろう」

 ひく、と喉が鳴る。善なるものか。つ、と養父を見れば苦虫を噛み潰したような顔をしている。疲労が濃く、髪には白いものが混ざっている。皺も増えただろう。適当に流すこともできないし、誰かに仕事を押しつけることもできない、損なひとだ。挙げ句にグリンデルバルドを思わせる発言をして、自分で自分に苛立っている。

「善は暴走します」

 第二のグリンデルバルドにでもなるおつもりですか。声に棘が混じる。セーミャの人生の苦痛の何割かは、ゲラート・グリンデルバルドのせいだ。知らなければ遠い過去の人だったというのに……。

「それとも」

 私を恐れていますか。静かに問う。嫌な問いだった。だが、最初に押しつけてきたのは養父だった。セーミャは知りたくなかった。グリンデルバルドの血統なんて。彼の直系ではないらしい。だが、世間から見れば「闇の血筋」だ。

『知らないと身を守れない』

 四年生の冬休みだったと思う。トンクスとチャーリー曰く「クソ野郎」に心を踏みにじられて、隠しておこうと思ったのに養父に詰問され、嫌々明かした。慰めを口にしていたようだけど、覚えていない。セーミャは傷ついていたのだ。自分で思っていたより深い傷だった。血を流していた。そして冬期休暇最終日、さらに傷をえぐられたのだ。

 お前はグリンデルバルドの血筋だ、と養父は言った。わざわざ室に訪ねてきて、囁くように。これを逃せば会えるのは夏だろう。ひょっとしたらもっと先かもしれない。闇祓いは忙しい。

 そこには「もっと先」どころか「永遠に」が隠れていた。闇祓いは危険な職業だ。闇の時代が過ぎ去ったとはいえ、殉職がなくもない。養父も何度か死にかけた、らしい。

 だから、話せるうちに。

 最低だと思った。そんな事実は知りたくなかった。証拠らしい証拠だってないと言おうとして

『お前の眼は、濃淡の差はあるが』

 グリンデルバルドの眼だ、と容赦なく言われた。セーミャは泣いた。母親が――まったく母親らしくなかったが――死んだ時だってセーミャは泣かなかったのに。ただただ自分が引き起こしたことに狼狽え、途方に暮れていただけ。悲しみはわいてこなかった。触れた先からぼろぼろと崩れていく「それ」はおぞましかった。ちっとも綺麗じゃなく、母親の悲鳴と熱だけを覚えている。恨みのこもったその眼を。

 そうだ、とその時思い出した。火傷の痕は、いわば些細な問題だ。セーミャの奥深いところには闇が凝っている。生まれの定かではない娼婦の子。母親を殺した娘。挙げ句に大陸に混沌をもたらした男の血縁なのだ。

 陰のなかで生きるしかなく……。

「お前は私の娘だ」

 養父は言い切る。だが、セーミャは唇を噛んだ。わかっている。養父は善人だ。でなければ、汚らしい孤児を引き取らない。あの時点ではセーミャの血筋は明らかになっていなかった。義務感で引き取ったにしろ、やはり善き人ではある。セーミャを玩具にするつもりで手元に置いたわけではない。わかっているのにどこかで信じきれない。

「私を、」

 連れ戻したいのは。

 押し殺した囁き。養父がわざわざ来たのは、邸に戻れと言いにくるためだった。先日の一件が耳に入ったらしい。入るに決まっている。闇祓いは養父の元部下だ。

「守るためでもあり」

 大臣の息女になってしまったから。だが、いくらでも理由はある。

「……万が一公になってしまえば」

 処理しやすくするため。

「セーミャ」

 鋭い声が飛ぶ。セーミャは養父を無視し、続けた。

「悪徳の芽を摘むのがあなたの仕事ですものね」

「……セーミャ?」

 養父は瞬く。知らない誰かを見るように。

「いつか言っていたじゃないですか」

 セーミャは笑った。ひきつれた笑いだった。

「『例のあの人』の子が――血筋がもし、現れたならば」

 消さねばならないな、と。

 ホグワーツに入る前だったか、後だったかも定かではない。なにがどうしてその会話を耳にしたかもわからない。

 居間から漏れる明かり。ひそやかな声が聞こえてきた。

『ヴォルデモートは消えた。だが』

 もし……万が一、子でも残していれば厄介だ。担ぎ上げられるだろうし、どんな形質を継いでいるかわからない。火種となりうる存在だ。いっそのこと存在しないほうがいいだろう。

『見つけ次第、押し込めるか、消すか……』

 悪徳の血筋とはそういうものだ。生きているだけで災いになる。

 セーミャは、その恐ろしい響きを覚えている。どこまでも淡々と、草花を刈り取るかのように、誰かを――存在しない誰かの命を左右する話をしていた。

「お前は、違――」

「彼が出現したから、グリンデルバルドの存在は薄まっただけ」

 ただそれだけ。

「もしかして、グリンデルバルドのほうが……」

 屍を積み上げたのかもしれない。

「……もし、魔法省の支持率がこれ以上落ちたなら」

 どうしようもなくなったら。

「私の首を獲ってください」

 力ある魔法省、正義の鉄槌を下す者の存在を誇示できるでしょう。

「ろくな駒がいない、どうあっても手が足りない今」

 英雄が必要です。魔法省のために。求心力を得るために。魔法族を安堵させるためにも。

「ハリー・ポッターを取り込めない以上」

 あなたが英雄になればいい。

「いい加減にしろ!」

 養父が卓を叩く。カップが跳ね、コーヒーが飛び散った。誰かの心の欠片のように。青ざめ震えている男に、セーミャは笑いかけた。

「大臣になんてならなければよかったのに」

 そこは、

「崖っぷちだと気づいているんですか」

「――それでも」

 戦慄く声が言う。

「もはや私にしか、」

 大臣は務まらない。

 予想していた答えに、セーミャは俯いた。なにがあっても、どうあっても、養父は大臣であり続けるだろう。

 けれど、セーミャは。

 永遠の別離など望んでいないのだ。

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