【完結】蒼炎の魔女   作:扇架

5 / 16
五話

 虚空を滑り、弧を描いて星が墜ちていく。

「……ふん」

 彼は燐――墓場を漂う不吉、あるいは……マグルのアルコールランプ、その炎の色を瞬かせる。空の薄青でもなく、海の碧でもない青白いそれを。

 狭い(ひとや)、見上げても隔てがあるばかり。だが、彼の眼は――先視の双眸は、現世のくだらぬ障壁など問題にもならない。読み解くのは天、いや世界そのものの流れ。

 白い白い星――鳥の姿を思わせる魂の欠片が、消えていく。

「逝ったか」

 ふむ、と彼は考える。ここに放り込まれてからというもの、時間だけは有り余っていた。暗闇は彼の魔法を研ぎ澄ませた。一暴れして出て行ってもよかったのだが――いや、一暴れ「させて」、出て行ってもよかったのだが、外界に戻ったところで勝ちの目は薄い、と彼の勘は告げていた。機会が巡ってくればその緒を掴んでもよかったのだが、悲しいかな、誰も彼の救出に来なかった。仮にやり直しの機会があれば、次はもっと巧くやるのだけど。ぼんやりと闇の中にいるうちに、時はするすると逃げていき、流れてくる断片を読むばかり。ちらりちらりと見え隠れするそれは、かつての友にして敵、紛れもない勝者にして敗者――実妹を救えなかった事実はあれを蝕んだ――の姿をしていることもあった。

「お前はただでは死ぬまいよ」

 悪い男だからな。彼は囁く。なるほどこの「可能性」になったか。呪いに蝕まれて即死だとか、闇の帝王とか呼ばれている恥ずかしい餓鬼と一騎打ちして死ぬだとか、あれこれ枝分かれしていたのだけど。

 どうしようかなあ。彼は子どものように呟いた。出て行くか? それは何度も検討し、やめた。彼が獄を出たところで、さしてできることはないだろう。出たところで……。

「私は子どもが好きなんだよなあ」

 かわいらしいし。やんちゃをしてもかわいいものだし。妹も可愛がったものだ。なぜか姉には怒られた。そうそう、いいところを見せたくてうっかり近所の森をいくらか燃やして殴られて宙ぶらりんにされた。飯抜きだったし。いやはや我が姉、後の大悪をも締め上げる女だった。

 別にきょうだいたちが嫌いだったわけじゃない。少なくとも死ねばいいと思っていたわけではない。積極的な理由がないだけだったのかもしれない。姉は彼の先行きを心配し、口酸っぱく言ったものだ。力は善いことに使うべきだと。お前はすぐに調子に乗る。あの子に兄やぶりたいなら、もっとちゃんとしなさいな。

 お前は賢すぎる。だから心配なのよと。

 懐かしい話だ。はいはいと聞くだけ聞いて、彼は好き勝手したが。善きことのために力を尽くしたはずなのだけど、つまるところ彼は世界に証したかっただけなのだろう。存在証明だ。

 再び外界に舞い戻ったところでだ、彼は過ぎ去った時であり影であり、時代の名残でしかない。かなしいね。ついでに下手をすれば火の粉が飛ぶかもしれない。こどもたちに。

「……確率としてはそうないが」

 出て行った場合の未来がちらりと見える。勝率は上がるが、こどもたちに累が及びそう。却下。

 出て行かなかった場合は……まあこっちのほうが本筋で「可能性の高い未来」だが。前々から視えているが、段々と輪郭を濃くしている。赤い星がちらつく。禍つ星。必ず現れる悪。可能性の絶対値。そしてこれに対する絶対値もある。これはさだめだ。打ち破る力を持つ者……印されたもの。復活と破滅。狭間。勝者を決める者。再誕。彼がしゃしゃり出ることはない。

「それにしても」

 唸る。時の枝、その分岐は少ないものの、下手をすれば泥沼だなこれは。

「困るな」

 あんな獣以下が勝つ世界なんて嫌だ。彼はあれよりはマシな人間だと思っている。少なくとも女に無理強いしていない。惚れた女を組み敷いてどうする下衆め。あれが勝ったところでたいして長い治世は望めないだろうが……ざっと二十年くらいか。ほう、しっぺ返しを食らう? 細切れにされるらしい。ざまあない。孫に殺されてやがるの。いやでも孫も怒るなこれは。あの下衆はほんとに下衆だ。

「善いことに力を使えばいいものを」

 彼はせせら笑う。姉が叱り飛ばしてくる幻聴が聞こえたが無視だ。

 悪かったと思ってるよ姉さん、あとかわいい妹よ。せめて敗けた時に火の粉が飛ばないようにしてやればよかったとも。いやあだって思わないじゃないか? まさか彼の血をわけたきょうだいだからってあんなことに。だから熱に浮かされた愚妹な民衆は嫌いなんだよ。

 ぶつぶつとかつての大悪は呟く。

「許してほしいな」

 これでも子どもたちのために祈ったんだよ。それはもっとも古い魔法だから。幸せになりますようにと。

 ただ、祈りは正しくせねばならない。

 だから、とある魔女の――業腹なことに「マグル生まれ」の魔女……妹の子孫の力を悪い方に高めたらしい。無意識の束縛と服従は不幸な結果を生んでしまった。

 姉の子孫は……とりあえず泥沼から抜け出せたようだが。紳士の皮をかぶった獣に穢されなくて幸いだ。

 ただの祈り。ただの魔法。

 それが正しく聞き届けられるとは限らない。そんなものだ。

 彼は喉を鳴らす。

「今更家族もなにもあるまい」

 会ったところでなんになる。

 ただ静かに待つだけだ。その足音が聞こえるまで。

 

――本当に

 逝ってしまったのか。

 真っ白い顔に、長い髭。両手指は組まれ、杖を握っている。アルバス・ダンブルドアは眠っている。柩の褥に横たわり、その肉体は活動を停止している。

 そっと手を伸ばし、花を一輪手向ける。かさり、と乾いた音がした。拍子にわずかな芳香が鼻をくすぐる。

 吹く風は柔らかく、葬儀の日には似つかわしくない晴れ。そっと息を吐く。黒の紗がかすかに揺れる。大魔法使いと謳われたその人から、視線を引きはがす。

 畏れていたひとが、いなくなってしまった。彼とセーミャの間に交流らしい交流はない。ただの校長と生徒であった。話したこともない。彼がセーミャを認識していたかも怪しい。それでも、セーミャはどこかで安堵した。グリンデルバルドを知る人間が一人減った、と。ダンブルドアが非情とは思わない。セーミャがグリンデルバルド家の血を引いているからといってどうこうしようともしないだろう。だが、セーミャは知られたくなかったのだ。恥ずべきそれを。自分には関係のないことだ、と出自を切り離すには、グリンデルバルドの悪名は轟いていた。轟きすぎていた、といったほうがいいか。

 セーミャにとって、アルバス・ダンブルドアとは小さな棘を思い出させる存在だった。奥深くに刺さり、普段は意識しないのに時折痛む、わずらわしいもの。しまい込もうとしてもできない荷。グリンデルバルドの血筋、とある大悪の影を想起させる。なぜならば彼はグリンデルバルドを討った者。いわば魔法界の正しきもの、祝福されたもの、選ばれし者であった。そしてセーミャは――いいや、グリンデルバルドは影である。倒された者、悪しきもの、呪われしもの、切り捨てられたものだ。

 無論、ダンブルドアにはなんの罪もない。セーミャが勝手に引け目を感じていただけだ。仮にも彼が校長を務めるホグワーツで学んでおいて、その死に安堵するのは間違っている。間違っているとわかっていても、理性と感情は別なのだ。そして、こうも思う。

――こんな時に死ぬなんて

 抑えきれない苛立ち。『例のあの人』の復活が公になって約一年。魔法省は痛手から立ち直っていない。揺れ、軋むばかりのあばら屋になり果てている。それか崩れんとする塔だろうか。省への信頼は地に墜ちた。養父が魔法大臣に就任し、かろうじて保っているだけだ。闇の陣営は時機をうかがい、大規模な動きは控えていた。彼らの狙いはあくまでもハリー・ポッター。稲妻型の傷持つ少年が、本当に選ばれし者かはどうだっていい。そう見られ、認識されていることが重要であった。いわば魔法界の希望の光だ。養父はいつだったかに「反吐が出る」と言っていたが。ハリー・ポッターに反吐が出るのではない。養父は言葉が足りない。大変足りない。少年にあれこれ押しつける連中に「反吐が出る」のである。セーミャも同感だ。未成年を貶めたと思えば持ち上げるのだから。どうしようもない。……反吐が出るどうこう言いながら未成年のポッター少年を利用しようとするのだから、養父も性質が悪い。同情と「利用できるか」は別なのだろう。その案はものの見事に破綻した。そもそも成立しなかった。

――根性のある少年らしいから

 ロングボトムの大奥様の言だ。養父の代理でロングボトム夫妻――フランク・ロングボトムとアリス・ロングボトムのお見舞いにセーミャはよく行っていた。大奥様の孫ネビルとハリー・ポッターは同級生で、大奥様はポッター少年の話を孫から聞き、高く評価しているのだ。

 断片的な情報からでもよくわかる。彼は欲がない。というより野心がない。どうも放っておいてほしい類。平穏を愛する者だ。セーミャにはわかる。つまり、魔法省の「マスコット」には不向きである。

 駄目で元々なプランAは始まる前に終わった。そして事態は悪化した。闇の陣営を抑止する人物がひとり消えてしまった。省にはろくな駒がいない。せめて養父が魔法省をもう少し立て直すまで死ぬのを待ってほしかったのだけど。

 踵を返す。用意された席――魔法大臣関係者席に戻る。居心地が悪いったらない。一般枠で参列? 駄目に決まっているだろうと連行されたのだ。ちょっと前までただの闇祓い局長官の娘だったのだけど。養父のせいで肩書きだけが降ってきた。

 周りは護衛ががっちり固めている。そして養父は機嫌が悪い。ありとあらゆる罵詈雑言を故人にぶつけているのだろう。協力要請してもけんもほろろ、ハリー・ポッターに干渉しようとしても妨害され『例のあの人』打倒に関する情報を持っていそうなのに吐かずに死なれたわけだ。多少は腹も立つだろう。ついでに、ダンブルドアを殺したのはセブルス・スネイプらしい。これは目撃証言しかなく――であるから、公にはなっていないが。少なくとも葬儀の席にセブルス・スネイプの姿はない。彼は元死喰い人だ。ダンブルドアに恩があり忠実に働いていた、あるいは飼われていた男。セーミャの印象では「飼われていた」に軍配が上がる。なぜならばダンブルドアはただの老人ではないからだ。グリンデルバルドを打ち破った男なのだ。引退したテセウス・スキャマンダー曰く、グリンデルバルドは未来視持ちで、あれほど厄介な男はいなかったそうだ。そんな男を破ったのだから、ダンブルドアは頭が切れる。そこらの犯罪者より悪知恵が働く、はずだ。であればただの慈悲でスネイプが更正した等々言って身元を保証するわけがない。手駒にしたのだろう。

――これが

 今ここで起きている事象――ダンブルドアが殺害されたということ――は、飼われ、利用されるのに鬱屈を抱えた死喰い人が爆発したから起きたことなのか。ダンブルドアを殺したという実績さえあれば、多少の瑕疵があろうと問題はなくなるだろう。諸手を上げて迎え入れられるはずだ。死喰い人の中でも高位にのぼり、その地位は揺るぎのないものになるだろう。

 ダンブルドアとて人だ。傷も病も呪いもなくとも、老いて死ぬ。スネイプがダンブルドアの老いを、衰えを察知して、それならばと手を下した可能性はある。みすみす死なれるくらいならば手土産にするだろう。

 今頃、闇の陣営はお祭り騒ぎかもしれない。『例のあの人』にたたえられるスネイプが目に浮かぶ。あいにく、いつ見ても不機嫌そうな魔法薬学教授の姿しか浮かばなかった。

 あとは、と考える。思考の三分の一は進行する葬儀を捉え、三分の一は不穏な気配がないか探り、残りはひたすらに考える。誰がダンブルドアを殺したのか。

 それはダンブルドア自身ではないのか。被害者ではない。加害者だ。いや被害者で加害者だ。ダンブルドアが全盛期であったとしたら、死んだふりをして己を伏せ札にする手をとったかもしれない。奇襲は成功すればおもしろいほど「はまる」ものだ。だが、そうではない。

 老いていた。病という線もありうる。たとえば死期を悟っていた? だからあっさり殺された。殺されるようにし向けたとしよう。スネイプに……。であれば、ダンブルドアは駒を闇の陣営に送り込める。すべての疑いを払拭し「禊」を済ませたスネイプは『例のあの人』の懐に潜り込めるだろう。ダンブルドアを殺した男を疑う理由など『例のあの人』にはないのだから。

――最終目的は

 『例のあの人』の暗殺、とか。

 笑いをこらえる。こんなときに笑いでもすれば、頭がおかしい女と思われるだろう。なにせ葬儀の真っ最中なのだ。

 『例のあの人』を殺す試みなど幾度もあったはずだ。肉薄できたものがいたとしても――なぜか皆返り討ちにあった。『例のあの人』に異常な力があったから? それもあるだろう。卓越した魔法使いで、良心を捨てた悪だ。逃げるときに町の半分を焼いたとか、マグルのダムを崩壊させたとか、嘘か本当かわからない話がごまんとある。

 ただ『例のあの人』は今に至るも死んでいない。生きていれば死ぬはずだ。それが宿命だ。理だ。一騎打ちに持ち込んで、あるいは多数でかかり、討てていない。揃いも揃って闇祓いが無能だったのか。否。そんな無能揃いならばとっくのとうに英国は闇の陣営に呑まれている。

――死んでいなければおかしいのだ

 跳ね返った『死の呪文』を受けて、死ななければいけない。復活など本来はありえない。セーミャの記憶にはない「その夜」になにが起こったのか。なんの罪もない赤ん坊を『例のあの人』は殺そうとした。死の呪文を使ったのは確実で――赤ん坊は生き残り、『例のあの人』は消えた。ゴドリックの谷、ポッター家に残された痕跡は、死の呪文が使われたことを示していた。

『ハリー・ポッターが次の悪徳だという者もいるが』

 そうではなかろう。いつだったかの食事時に養父はこぼしていた。日常会話としては不適当な話題だったのだが、当時十歳そこらのセーミャにはそんなことはわからなかったし、養父は子どもにあわせた無難な会話などできる人ではない。

 通貨のことからホグワーツがどういったところか、各国の魔法学校について、おおまかな英国の歴史、純血一族について。どこが信用できるか。どこを警戒するか等々、養父なりにセーミャを教育していた。闇の底出身の子どもは、ものを知らなかったので。

 ちょくちょくセーミャに「グリフィンドールかハッフルパフに入れ」と刷り込んできた。下手にスリザリンに入られるよりはいいと思ったのだろう。レイブンクローはある意味癖が強いし、選択肢として二つの寮に絞ったのは納得だ。

 逸れた思考を戻す。ハリー・ポッターと「あの夜」。分岐点となった夜。

『魔法とは杖を使ったものだけではない』

 そんなものは上澄みに過ぎない。あらゆるものが魔法であり、それが解明されることは永遠にないだろう。神秘部にいくつ謎が眠っていることか……。

『己の生命が脅かされたとき』

 養父は囁いた。セーミャは、彼がなにを示唆しているのか察した。人は己の命を優先する。だから――危機に陥ったとき、排除する。それが己の母親だろうと。子ども相手でも手加減がなかった。セーミャは養父がそんな人だと受け入れていた。生みの親より育ての親だ。血は水より濃いなんて言葉を、セーミャはどぶに放り込む。

『誰かの命が脅かされたとき』

 たとえば、我が子の命。

 リリー・ポッターは我が子をかばった。その献身は魔法となったのだろう。原初の魔法だ。死の呪文は赤子にではなく、非道な男に牙を剥いた。状況証拠からはそうとれる。

――そして

 『例のあの人』は死ななかった、とされる。現場には肉片ひとつ残っていなかった。煙のように彼は消えた。そして再び現れた。あらゆる理を無視して。

 もし、殺しても死なないとしたら? どんな化け物だ。勝ち目はあるのか。おとぎ話のようではないか。九つの命を持つ猫、とか。

 鐘が鳴る。葬儀の終わりを告げる。セーミャは瞬き、立ち上がった。

「帰るぞ」

 差し出された手をとる。大きな手だった。セーミャがいくら成長しても決して埋まらない差だった。

 養父を見上げる。鋭いものを秘めた黄褐色の眼。老いた獅子……。

「ハリー・ポッターに接触しなくても?」

「もうあきらめた」

 ぽろりと言えば、苦笑とともに返される。

「……引退しませんかお父さん」

「隠居にはまだ早い」

 却下された。セーミャはがっかりした。どう考えても貧乏くじなのに。

「『例のあの人』は簡単には……」

「承知の上だ。誰かが倒さないといけない」

 非合法な手段であれこれ己に手を加えているだろうから厄介だがな。うんざりしたように養父は言う。そんなにうんざりしているのなら、大臣職を辞してほしいのだけど。

「おしゃべりはしまいだ」

 セーミャは渋々従った。どうせ養父はセーミャの言うことなんて聞いてくれないのだ。

「一旦帰って諸々を処理する」

 ちら、と養父は城を見やる。セーミャはなんとなくわかってしまった。

「家捜しを」

「人聞きの悪い。宝探し、もしくはプランBだ」

 つまりダンブルドアの遺品を漁りたいらしい。セーミャは一言だけもの申した。

「それは大臣閣下直々の仕事ではないですよ」

 

 「その報せ」をまじまじと見る。ふくろうが運んできた手紙。封筒に入っていたのはカードだった。

「……急展開すぎるでしょう」

 何度見返しても書いてあることは変わらない。つまり、結婚式への招待状。

 スクリムジョール邸の居間で、セーミャはきつく眼を瞑った。仕事がはやいこと。どういうこと? なにがあったのトンクス?

「駆け落ちでも――」

「ないない」

 言ったのは闇祓いのルキフェルだった。今日はスクリムジョール邸もとい、セーミャの護衛らしい。やれマグルの首相閣下の護衛だの、やれ魔法大臣閣下の護衛だの、その息女の護衛だの、と彼は忙しい身の上だった。彼かキングズリー・シャックルボルトが次の闇祓い局の長候補だとセーミャは睨んでいた。大臣の息女に構っているほど暇ではないはずだが……ルキフェルはくつろいでいた。ここはあなたの邸か、と聞きたくなるほど好き勝手している。具体的には椅子に腰掛け、紅茶を飲み、つらつらと書類を読んでいる。そして合間にセーミャを構う。

――リアイスだからこその勝手さか

 それともルキフェルだからこそか。正直、養父もセーミャもスクリムジョール邸を持て余している。目の前に座る大貴族こそ、この邸にふさわしいのではないか……と思考が遊ぶ。スクリムジョール家、純血でもなんでもないのだ。本当はそこそこ小さな平屋で充分。庭があればうれしい。養父は林檎の樹が好きなので――セーミャが杖選びで落ち込んでいたから言ったのか、そうでないのかはわからないが――樹が一本あればなおよい。

 杖材は林檎だ。よかったなと不器用に言っていた養父を思い出し、苦いものがこみあげる。林檎の杖に選ばれた者は決して悪に染まらない、と言われている。そこはまあいいとしよう。セーミャは杖と人物の相関について信じてはいない。あくまでも傾向でしかない。そして人間というのは変化する。善にも悪にも。養父が言ったのはただの願いで祈りだろう。

 それに。

 囁くような声。淡い色の眼がセーミャを見る。

『樹は林檎』

 芯は不死鳥の灰。極めて強力な杖です。ずっと当家に眠っていたものです。これはすぐさまあなたを見初めた……。

 林檎は禁断の実とも言われ、あるいは不和の象徴とも言われる一方、知恵や美、愛の象徴ともされる。善悪どちらともとれる。

 そして不死鳥。涙には癒しの力を宿し、その歌は善なる者に力を、悪しき者に恐怖を与える。いわば善、聖なるものの象徴だ。死しては蘇り、その生は永遠とされる。霊鳥、神鳥。人が従えられるものではない。セーミャの杖芯は不死鳥の「灰」。燃えて灰となり、灰から生まれる不死鳥の、灰。生死どちらも内包するだろうが――どちらかといえば死の象徴か。どの時代のオリバンダーがつくったかは知らないが、なんで不死鳥の羽根にしなかったのか、とセーミャは今でも思っている。善悪、聖邪、生死はらむ謎の杖……とオリバンダーは言っていた。

 当時のセーミャははっきりした意味はわからなかったが、どうも自分が厄介な杖に選ばれたと知って、それはそれは落ち込んだ。養父はすっぱりと「杖は使いようだ」で済ませた。

 いや、養父のことはいいのだ。林檎の樹が好きとか、使いようとかいう慰めをする養父はこの際おいておこう。もしかして、今一番慰めがいりそうなのは養父なのでは、という考えも隅に放っておこう。ダンブルドアの遺品強……もといプランBが破綻したようだから。言わんこっちゃないとか言ってはいけない。

「……ルキフェルはどこまで――?」

 切り替える。ばかげた妄想をしている場合ではないのだ。小さめの庭付きの平屋、林檎の樹ありはいいのだ。セーミャがいるのはスクリムジョール邸で、しかも地下には曰く付きの本がごろごろある……なんてこともいい。いや、もう考えたくない。書庫もそうだが、奥の隠し部屋に闇の魔術に関する本がどっさりあったなんて言えない。

「トンクスとリーマスが付き合う付き合わないですったもんだしてるところから知ってた」

「へえ」

「と、いうか、リーマスから「頼むからトンクスをもらってくれ」と泣きが入ったことがある」

「うん……」

 トンクスのためを思って身を引こうとするリーマス・ルーピン。ふざけんじゃないわよと粘るトンクスか。え、それでルーピンが「私よりふさわしい男が」と言ったのだろうきっと。

「君は僕に婚約者がいることをお忘れかな? もらってもいいけどトンクスはいわゆる第二夫人になるよと返した」

 最低だな。

「そもそもトンクスはものじゃないしね……というのは前提で、闇祓いかつリアイスの妻はちょっとという女性が多い」

 セーミャは黙っていることにした。リアイスにも悩みはあるらしい。

「すまなかった。それに、トンクスを第二夫人なんて立場にするものかと」

「好きなんじゃないのそれ」

「だろ?」

 ルキフェルは肩をすくめる。

「まあでも彼にもあれこれあるしね。人狼なのを気にして別れる別れないでこの一年ほどごちゃごちゃしていた。で、最近トンクスが粘り勝ちしたのか、リーマスが腹を括ったのか、結婚という運び」

「トンクスは派手で軟弱な男は嫌いだろうから、ルーピンでいいんじゃないの」

 雑な返ししかできない。ああだこうだ悩みつつもトンクスは決めたのか。こればっかりは理屈ではないのだろう。常識で考えたら人狼と結婚するなんて正気の沙汰ではない。いくら脱狼薬があろうと、危険ははらむ。そして人狼は犯罪者予備軍だという見方もある。闇の底にいる穢らわしい娼婦が犯罪や病、この世の悪しきものの温床だと思われるのと一緒だ。

 学生時代に付き合ったり振られたりで散々落ち込んでいた彼女が、誰かと結婚することを決めた、というのはめでたいことなのだろう。

――こんな時でなければ

 もう少しゆっくり結婚準備を整えることもできただろうに。時代が悪い。災厄が降りかかる前に幸せを手にしたい、と生き急いでいるようだ。

「それだけ詳しいってことは」

「僕も出る。警護もあるしね。キングズリーはどうかな」

 警護、と驚かなかった。そもそも闇祓いの結婚式である。警戒は必要だろう。襲撃するような馬鹿がいるとも思えないが、念のためだ。

「息女殿ももちろん出るだろう」

 もはや決定らしい。断る理由もないし、トンクスの花嫁姿は見たい。ついでにリーマス・ルーピンがどんな人間かも見ておきたい。が、日程がかなり近い。せめて一ヶ月前に招待状を送ってほしかったのだが。かなり急に決まったことだったので仕方ないのだろう。

 とある地方のとある村、とある酒場で式があるという。どうしたものか。上流の場に着ていけるドレスはあるが、それだと絶対に浮くだろう。かといって普段着も駄目だ。

「……こっちで手配しようか」

「それはご親切に?」

 どういう風の吹き回し、と暗に訊けばルキフェルは眼を細めた。

「出席者から相談を受けててね。闇祓いの装束で行くわけにもいかないだろ? 闇祓いじゃなくても選ぶのに迷うし。防護付きのそれなりの服……となるとなお迷う。まとめてナイアードのところに投げればなんとかなる」

「支払いは?」

 前払いか後払いか、と確認する。ふっとルキフェルが笑った。

「養父の結婚式に張り切っているどこぞの坊ちゃんの持ち出し」

 そうか、養父の結婚式で暗躍しているどこぞの坊ちゃんがいるのね、とセーミャはそれ以上考えないようにした。そして、一言返した。

「お願いします」

 

 とある地方のとある村、とある酒場。セーミャはグラスを傾けて、中身を飲み干した。グラスを軽く上げる。ガラスを通して、輝く花嫁が見えた。笑顔で祝いの言葉を受けている。素直によかったと思える自分にほっとした。妙な嫉妬など抱きたくない。

「行かんのか」

 こつ、と硬い音がした。わざと音を立てたのだとセーミャは了解している。ちらと彼を見た。

「人の輪の中には飛び込みたくないので」

 マッド・アイ。囁くように言う。隣の彼は顔をゆがめた。鮮やかな青の眼がぎょろりと動き、顔を覆った傷跡がゆがむ。なんとも恐ろしげだ。初めて会った時、セーミャは怯えてしまい、養父の背に隠れたものだ……。

「妙なところで似ている」

 ひゅう、とマッド・アイが音を漏らす。どうやら笑ったようだった。わかりにくい人だ。初対面の時の印象がこびりついて、セーミャはどうしても彼が苦手だ。怖い人ではないとわかっているのに。あまりに「出来過ぎる」天才型。アズカバンの半分を埋めた闇祓い。養父曰く「癖がある」。ダンブルドアの友人。

「養父は」

 ため息が漏れる。なんて言おう。養父は。大臣になるだけはあって……。

「社交の場にもそれなりに出てましたよ」

 あなたと違って、とは言わない。しかしマッド・アイは察したようだった。くつくつという音がした。

「いや、あれは渋々出ていた。顔にもなにも出してはなかったがな」

「出世したいのなら仕方ないのでは」

「ある意味てっとり早いが。鼻の利く狐どもにすりよられていたよ」

「悪くはないですからね」

 淡々と返した。女狐どもに言い寄られる養父か。容姿は悪くないほうだと思うし、滞りなく出世していたし、マグル生まれというわけでもない。上流の「上」のほうには受け入れられなくても、上の下くらいまでの「女狐」どもにとっては買いだったのかもしれない。女狐という言い方もどうかと思うけれど。狐だってかわいいと思う。いやそうではなくて。女は狡猾という不当なあれこれはどうかと思う。

「……気が利くほうではないでしょう」

 私の養父は。言えば「わかっているじゃないか」と頷かれた。わかってしまうのだこれが。気づけば十年以上親子をやっているので、養父の言葉の足りなさは承知している。仕事はできるくせに。できなければよかったのに、と未だに思う。

「で、あいつは大臣から降りるつもりはないと」

「読まないでくれます?」

「心を閉じているくせに」

 さて、本当に読もうとしたのか、ただのふりか。セーミャはそれほどわかりやすいか。

「諦めろ」

「わかっていますよ」

 つい、愚痴っぽくなる。手段を選ばなければ養父をどうにかはできるだろう。養父だって数には勝てない。拉致監禁して病気で執務ができません、としてもいいのだ。なんだかクラウチ・シニアを思い出して嫌な気分になる。彼のことはうやむやになってしまった。息子をアズカバンから脱獄させた罪、服従の呪文で自宅に監禁した罪はもはや裁かれることもない。

――それとも

 清算されたのだろうか。息子――クラウチ・ジュニアに殺されることによって? クラウチ・ジュニアの裁きもあいまいなままだ。吸魂鬼の接吻を受け――最期は彼の従姉妹、クロード・リアイスが始末したという。空の器のまま生きながらえるよりは、という慈悲だろう。

 養父相手に強引な手段をとれるわけがない。実行は可能だが、その後が怖い。セーミャだって強引に休職させられたのだから……店長は落ち着いたら戻ってこいと言ってくれたが――やり返してもいい。困ったことに心情的に無理なのだ。養父は魔法大臣として在ることを望んでいる。その道を妨げるわけにはいかない。そもそも、大臣職から引きずりおろしたところでどうしようもない。もはや養父は闇の陣営の標的リストの何番目かに載っているだろう。無意味だ。

「今は楽しむことだ」

 マッド・アイは軽く言う。そうして離れ、最後の弟子のところへ向かった。

 セーミャはぼんやりと酒場を見回す。マッド・アイにひっついて、トンクス――いいや、結婚によってルーピンになったのだが――に会いに行くべきだったか。しかし会場の警戒も必要だろう。リーマス・ルーピンは不死鳥の騎士団の一員だし、トンクスは闇祓いだし。結婚式を嗅ぎつけた闇の陣営が襲撃してこないとも限らない。トンクスを含め闇祓いが何名か、元闇祓いもいる、ついでにリアイスもいる会場を襲撃する愚か者がいるとは思えないが。

 邪魔しようものなら血の雨を降らせてくれる、という趣旨のことを言ったのはリアイスであった。ウィスタ・リアイス。養父の結婚に際して暗躍していた「御曹司」である。彼は会場の端でちびちびと何かを飲んでいるようだ。彼なら血の雨くらい降らせるだろうし、ほかのリアイス――ルキフェルたちも同じくだ。セーミャは新婦の友人枠での参列……のはずだったが、会場もとい村の防衛に駆り出された。事前に言ってくれればもう少しやりようもあったのだが、村をぐるりと囲む方陣を描く羽目になった。どうせなら強力にと思ってナイフで手を切ろうとしたら、チャーリーに止められたのは数時間前のことだ。

 音楽がかかる。陽気なそれにうつむけていた顔を上げれば、いつの間にか卓は取り払われ、トンクスは花嫁衣装から着替えていた。今からお祭りの時間、というわけだ。

 人々は中央に滑り出る。さてどうしよう? 踊れなくはない。むしろたたき込まれたので踊れる。いつまでも壁の花というわけにもいかないし、一歩、二歩踏み出す。さて。ルキフェルかウィリアムソンあたりを捕まえるか。

 そう思っていたのだが、たまたま、少年と眼が合った。春草色の眼をした子だ。お洒落な男の子だった。新郎新婦を幸せにし隊もとい、衣装その他制作班のひとり、リガーダント兄弟に眼をつけられた、哀れな羊。彼は軽く首を傾げ、手に持ったグラスをひょいと消失させ、するりと会場を縫い歩き、セーミャの元にやってくる。

「相手がいなくて困ってて」

 助けてくれません?

 見事なものだ、と口笛を吹きたくなった。気が利くし、セーミャに恥をかかせまいとしているのだろう。壁の花が恥とも思わないし、この会場にいる面子に、底意地の悪いのがいるとも思いたくないけれど。

「ありがとう。スラグホーン家のご令息」

 名前は確かサフィヤだ。年の離れた弟くらいの年齢で、社交の場で顔を合わせたこともあれば、養父主催の「狩り」で会ったこともある――高官息女とみてとるや、どこぞのマクラーゲンに言い寄られたのを思い出し、げんなりした。陽に弱いの、と言ってヴェールを着けていたのだが、執拗にとらせようとらせようとしてきた。なんとか逃げ出せてよかったものだ。

「……その節もありがとうね」

 そっと言う。令息ことサフィヤがふっと息を吐いた。

「どうか男があんな野蛮人ばかりだと思ってほしくないですね」

 セーミャとマクラーゲンの間に割り込んでくれ、助けてくれたのはサフィヤだった。養父の教育がいいのだろう。彼はホラス・スラグホーンの養子だという。同じ養子同士、なんとなく馬が合うらしい。セーミャとサフィヤは。

 大臣のご機嫌はいかがで? また狩りがしたいですね、ああ、新郎新婦の衣装ね……の生地で、刺繍がこうで、等々の当たり障りのない話をしながら、適当に踊る。セーミャが見たところ、サフィヤも相当踊れるのだが、ここは上流の社交ではない。さほど気合を入れる必要もない場所だった。

「踊りといえば、グリーングラスのリディア嬢がとびきり巧くて」

 とサフィヤが言ったとき、近くにいた誰か――みたところ、トンクスの母、アンドロメダと踊っているウィスタ・リアイスがびくりとした。気のせいか。

 そのうちに、相手が替わった。

「踊れたのね」

「……君みたいに、格式高いのは無理だけど」

 そう言いながらもチャーリーはかなり上手だった。少なくとも足を踏まれる心配をしなくてもいい。

 ステップを踏み、ターン。腰に手を添えられどきりとする。ただの踊りだが、妙にその手を意識してしまう。

「箒が恋人かと思えば、ドラゴンにべったりになっていたのに……ルーマニアには?」

「当分戻らないね」

 わかるだろう、と元グリフィンドールチームのシーカー、現ドラゴン使い兼不死鳥の騎士団員は言う。

「一生戻れないかもよ」

「彼女たちは待ってくれるよ」

 どうやらあちらにはノルウェーリッジバックなどがいるらしい。かなりの希少種のはずだが、よく入手できたものだと眼をしばたたかせると、チャーリーが視線を逸らした。

「君こそ。ねえご息女?」

「……バレたか」

「別にトンクスやキングズリーが話したわけじゃないよ」

 君の養父殿の情報は、騎士団でもそれなりに把握している。

「あちらにも君の存在は割れているだろう」

「でしょうね」

 投げやりに返した。公に大臣息女は姿を現していないが、社交の場には出ているわけだし、完璧に隠蔽できるとも思っていない。少なくとも大臣の息女がいる、くらいは割れているはず。問題は魔法大臣ルーファス・スクリムジョールにとっての息女の価値。狙うまでもなく、人質にもなり得ないと思ってくれたほうが都合がよかった……のだが、結局養父から距離をとろうとして失敗した。できることなら、養父はセーミャにあれこれと構わず、己の道を行ってほしいものだ。護衛も本当はいらないのだ。養父のところに全投入で構わないのに。

「私は養父に対しての手札にはならない」

「仮にも娘だろ?」

「あの人は大臣だもの」

 私が人質になったとしても、見捨てるのが最適解よ。言えば、チャーリーは最高に嫌そうな顔になった。

「僕はそんな大臣を上に戴くのは嫌だね」

「情より理よ」

「君、騎士団に入らない?」

「ねえチャーリー。クィディッチチームに入らない、くらいの軽さね」

「僕は真剣だよ」

 ふうん、と声を漏らす。

「人手がほしいのか、それとも」

「身の安全のため、もある」

 まじまじとチャーリーを見上げた。ウィーズリー家は背が高いほうだ。どうしても見上げる格好になる。青い眼をじっと見た。

「昔から思ってたけど、あなたお節介じゃない」

「相手は選んでる。君には恩がある」

 ん? と首を傾げた。なにかあったっけ。そもそもチャーリーに助けてもらうほうが多かったはず……。

「あー、ほら、僕が進路で悩んでたら」

 困った、覚えていない。口にはしなかったが、チャーリーは察したようだった。青い眼が鋭く光る。少しご機嫌斜めになったようだ。いやでも学生時代なんて何年前よ。

「ドラゴンの研究はそういう機関じゃないとできないじゃないって。クィディッチは趣味でやったら、とか。両方やればいいって」

「そんな偉そうなこと言った?」

「まっとうな助言だったよ」

 真夜中近くになり、おひらきになった。セーミャはトンクスと(ルーピン夫人と呼んでみれば、軽くこづかれた)、抱擁を交わし、リーマス・ルーピンに「トンクスをよろしく」と言って村を後にした。

 それからの日々は意外なほど平穏に過ぎていった。死喰い人が動いたの動いてないの、ハリー・ポッターが動いた動いてないの……という情報は飛び交っていたが。

「……アラスターが死んだ」

 とある日の朝、玄関先で養父が言った。黄褐色の眼はひたすらに静かで、ひたとセーミャを見ていた。省から一旦邸に戻り、また出ていくところだった。朝食くらい食べてください、と彼の口にトーストを一切れ突っ込んだセーミャは固まった。

「いつ」

「数日前」

 トーストをさっさと咀嚼し、養父が返す。なぜ伏せているのですか、とセーミャは訊かなかった。そんな必要などない。アラスター・ムーディは高名な元闇祓い。それが死んだ――殺されたとなれば、世間に与える衝撃は計り知れない。ダンブルドアが殺され、今度は……だ。

「あいつの亡骸は発見されていない。今後もされることはない……と思うが」

 養父が言葉を切る。セーミャの手を強く握った。

「仮にもし、やつの姿をした誰かがお前の前に姿を現したら」

 始末しろ。亡者に情けはいらない。セーミャは震えた。死者への冒涜だ。そんなことにならないように祈りたい。首を落とし、手足を切り落とし、だめ押しに燃やすなんて嫌だ。それか何本もの銀の杭を打ち込むか……。惨いことだ。彼らをたちまちのうちに穏和しくさせられるのは葬送人のみ。セーミャはそうではない。惨い真似をしなければ、止められない。

「お父さん」

「もはやただの器だ。それに、もしものことだ」

 つらつらと養父は言う。朝日が淡く養父を照らしていた。傷跡のある顔から、鋭い黄褐色の眼。たてがみのような髪を。

「私がお前の前に現れても、同じようにしろ」

「なにを、」

「お前なら、私の真偽を見分けられるだろう。容赦はいらん。もしものときは始末しなさい」

「そんな弱気でどうします」

「万が一、だ」

 そう簡単にはやられない。

 囁くように言い、養父は背を向けようとする。セーミャは彼の手をきつく握った。咄嗟のことだった。

「セーミャ」

「最近お休みになっていません。今日くらいお休みをとってください」

「仕事がある。私の娘なら、わかるだろう?」

「でも、」

 養父が空いた手で、セーミャの手を引きはがす。力の差が恨めしかった。なにもできず、引き留めることもできない自分が呪わしい。私の娘なら、と言われては反論できないではないか。

「今日は、帰ってきてくださいよ」

「善処する」

 ではな、と養父は背を向ける。またな、ではない。約束するでもない、養父はそういう人なのだ。闇祓いとはそういうものだ。できないことは言わない。

 扉が開き、閉じる。セーミャはうなだれた。

 大丈夫、大丈夫と言い聞かせる。少なくとも今日は帰ってくる。だからセーミャは待っている。待っているから。帰ってきますように。

――そして

 その祈りは半分叶い、半分裏切られた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。