【完結】蒼炎の魔女   作:扇架

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六話

 祈りは。

 祈りというものは。

 あいまいでは、いけない。

 

 分が悪い。勝ち目が薄い。勝ったとしてもそれはピュロスの勝利にしかならない。戦いとはいかに犠牲を少なくするかが鍵であり、いかに準備を整えるかが肝である。

 その点、彼はあまりにも恵まれていなかった。時代が悪かった。時機が悪かった。運に見放されていた。なによりも致命的なのが、彼がこの結末を予期していたのにも関わらず、その座から降りようとしなかったことだ。務めを放棄することなどありえない。それは彼の根本――在り方に反する。では。では放棄ではなく、一時的な撤退ならば? それも無理筋だ。盤面にろくな駒はいない。王は追いつめられた。彼は王ではなく騎士であったが。束の間、ほんの束の間、英国の長として力を授けられただけの男だ。

 口笛のような音が響く。すう、と冷たいものが首を駆け抜ける。軽やかな音を立て、彼は分断される。永遠に、非情に、止まることもなく、取り返しもつかない別離。

 活動を停止するまでの刹那、彼の眼は驚愕する紅の眼と――噴き出し、渦を巻く魔力を捉える。にぃ、と最期の最期に笑った。

――でかした

 私の娘。彼を無理に脱出させるわけでもなく、彼の望み通り伝達陣を作り――そうして密かに仕込んでいたのだ。なんにせよ、彼が不利な状況で戦うと読んで。どのような手段を使うかわからなくても、確実に助けになるように陣を仕込んでいた。

 力を、呪いを跳ね上げるためのもの。鉄錆が香る。血は魔法。力を秘めたもの。手を傷だらけにしてまでも、娘は――彼のために描いてみせた……。

 できることならば、誉めてやりたい。よくやった。お前は私の誇りだと言ってやりたい。お前は出来の悪い子ではないと、何度も言ったつもりだったけれど。

 彼の手をつかむ、あまりに華奢な手。いつだったかに、背にしがみつかれたことも……。

 守って、やれればよかったのに。

 どうしても巧く……。

 約束もしてやれなかった。呪われた血筋などに負けぬようにと、善き種という名をつけた……それしか。

 そんな、ことしか。帰ってきてくださいね、と娘が囁く。お父さん、と娘が呼ぶ。

 ああ、と彼は応え――彼の生命は絶える。

 首が転、と落ち。

 

 最期の魔法、渾身の呪いが、花開いた。

 

 

 願いは裏切られる。祈りもまた同じ。

 そんなことはわかっているはずだった。助けてくださいと願い、祈り――それが叶えられたことはあったろうか。

 ああ、少しはあったろう。見えざる手がそっと伸ばされ、セーミャを獣の牙と舌から救い出した。あれはきっと神の気まぐれでしかない。そう、神にとって――それが実在するのならば――人は駒でしかない。それとも玩具か。たわむれに手を伸ばし、時に壊す。

 気まぐれに、娘に母親を灼かせる。

 そうして、曖昧模糊とした願いや祈りなど、せせら笑って踏みにじる。今のように。

 首は回収できなかった、と遠く遠くから声が聞こえる。セーミャは膝を突き――血にまみれた「それ」を見た。絨毯をどす黒く染め、仰向けに寝かされている。

 そう、首はない。実に鮮やかに両断されてしまっている。だが、セーミャにはわかる。その腕が、杖を握りしめる手が、ありとあらゆる部位が、わからせる。現実を突きつける。

 ひゅう、と喉の奥から音が漏れる。ああ、世界が揺れている。目眩をこらえる。手を伸ばす。彼の胸に触れる。べったりとした赤が染みていく。同時に、痺れるような痛みがはしった。

「ああ、」

 掠れた、笑いの残骸がこぼれ落ちる。セーミャ? と声がする。それらを無視し、子細にそれを観察する。

 首は落ち、断面から血が噴き出したのだろう。同時に――これは……呪詛か。極めて強力な……己を贄とするような、闇の魔術に近いもの。鼻腔を塗りつぶすのは死と呪いの香。

 二人分、と呟く。一人ではこれほどのものは……であれば、贄がもう一人必要だったか。それならば、おそらく――あの元闇祓いか。印が必要だったはず。であれば、つまり――呪詛というものは血肉を用いたものがある。闇の陣営はあの元闇祓いを回収しようとしたろう。それを読んでいて、触れようとした瞬間に弾けたとすれば。

 これは、二人の闇祓いが仕掛けた、反撃だ。

 呻きが漏れる。

「こんなの」

 想定してませんよ。死ぬのはわかっていた。だが、元闇祓い――義足の彼の思惑を察し、己の首まで落とすか。なるほどセーミャは助けになっただろう。確実に何人かの死喰い人を喰らったろう。でも。

「あなたは、」

 どこに行ったんです。首はどこに?

 囁く。返事はない。もはや永遠に望めない。

 だが、指先に乾いたものが触れた。気づけば、彼の胸の上に封筒が現れていた。瞬いているうちに、それはひとりでに開き、セーミャの目の前に浮かんだ。

 残るなり、逃げるなり、お前の好きにしなさい。もはやお前に枷はない。

 お前の幸運を祈り、すべてを与える。

 セーミャ・アレティ・スクリムジョール。

 羊皮紙を握りつぶす。

「いまさら」

 こんな、ものを。あなたの姓を――。

「ほしく、なんて」

 約束もしてくれなかった。

 こんな形での帰還など、セーミャは望んでいなかった。

 

 すべてを与えると言いながら、一番大事な願いを叶えてくれないなんて。

 なんてひどい父親だろうか。

 

 

 

 白い柩がある。

 スクリムジョール邸、その一室の中央。絨毯の上に膝を突き、セーミャの口は囁くように呪文を紡ぎ、セーミャの手は、呪文を綴る。柩を慰撫するように杖先が滑る。淡い軌跡が魔法を形作り、詠唱に共鳴するように脈打ち、黄金に輝いた。

 最後の一音、一文字が唱え紡がれ、ぱっと室が明るくなり、やがて元に戻る。在るのは柩とセーミャのみ。

 ふ、と息を吐く。柩――蓋を閉じ、守りを施したそれを撫でた。何度か撫でさすり、足に力を込めて立ち上がる。立ち上がれるだけの力が残っていることに安堵したとき、扉が叩かれた。どうぞ、と言う。振り返れば、黒い肌の闇祓いがいた。その顔には疲労が色濃い。無理もない、迅速に魔法省を脱出し、その際に養父――ルーファス・スクリムジョールの「残り」を回収したのだ。ルキフェルとともに。

「終わったようだな」

 ええ、と言う代わりに頷いた。あまり行儀がよくはないが仕方ないだろう。疲れが澱のようにたまっている。なにもかも投げ出したい自分がいることに、セーミャは気づいている。

「あとは首だけ」

 首だけ、とは妙な言い方だった。まるで人形の頭がとれてしまったの、どこに行ったかわからないのと言うのと変わりない口調だった。人形などではない。養父は生きていた。血肉ある人だった。今は首なしの騎士となり果てている。

「探し出すから」

 黒人――キングズリーの声は震えている。セーミャは唇を噛んだ。正直、身体――胴体を回収できただけで上々だ。キングズリーたちはわずかな余裕を削ってまで、養父を連れ帰った。情の問題と、単純に理の問題からだ。残しておけば利用される可能性がある。起き上がりこと亡者としてか、それとも切り刻んで魔法省の和の泉に放られるだとか、どこぞの路上に放り出して鴉にでも喰わせる、とか。

 それでも、利用されたくないのなら燃やしてしまえばよかっただけだ。キングズリーたちはそうはしなかった。セーミャはそこに誠意を感じ取った。あるいは矜持か。養父は闇祓いであった。最期の最期まで。彼らは養父に敬意を払ったのだ。闇祓いとして。

「養父の回収は……優先度は低い」

 呟く。言葉にすることで思考を整理しようとする。もう夜も遅い。日付が変わろうとしている。

「セーミャ」

「低いのよ」

 ぴしゃりと言い、キングズリーを睨みつける。親と言ってもいいほどの年の男だ。闇祓いとして経験豊富。そんな彼がわかっていないはずがない。

「胴体はここにある。首がやつらの手元にあるとして」

 仮の身体をつくって結合させ、傀儡にするにしても時間がかかりすぎる。あちらに腕のいい死霊術師がいるとしても、難度が高い。

 死霊術師とは亡骸の扱いに長けた者の総称だ。おおまかに、亡骸を修復する者、亡骸を亡者となす者、亡者を帰す者をひっくるめて呼ぶ。特に三つ目を葬送人と呼び分けることが多い。

 死霊術師たちの活躍が知りたければ『薔薇戦記』を読めばいい。何巻に書いてあったか忘れたが、大量の戦死者が起き上がり、生者に襲いかかる悪夢のような場面がある。見せ場は葬送人による「帰し」だ。『薔薇戦記』の元となったのは数百年前起こった『紫薇戦争』だ。リアイスとユスティヌの戦。彼らは戦死者たちに目を付け、とことんまで使ったのだという。『薔薇戦記』の描写がどこまで正確かは知らないが、戦はどこまでも人を非情にする。亡者が大量に――それこそ悪夢のように生み出されていてもセーミャは驚かない。

「……戦利品のつもりで持ち帰ったんでしょう。あとで見せしめにするかもしれないけれど」

 親が死んだというのに、のろのろとだが頭は回る。

「邸に襲撃を仕掛けて「息女」を引きずり出してどうこう、は今のところない。そもそも私は公に出ていない……たぶん、彼らは事を荒立てるつもりはない。ルーファス・スクリムジョールは事故か病気で引退。生死不明でうやむや……後任は適当な傀儡をつけるでしょう」

 ある程度考えをまとめる。大はずれだったらキングズリーが何かを言うはずだ。否がないということは、彼も似たような考えをしているのだろう。敵がなにを考えているか。何が利か。養父は折々に言っていた。仮に非力でも、読みさえ間違えなければ手はある。また、読み間違えた時のことも考えておく。選択肢はいくつも持っておいたほうがいい。

 魔法省は陥落した。養父は殺された。だが、養父は黙って死ぬような男ではなかった。相当な数の死喰い人を殺してのけ『例のあの人』……いいや、ヴォルデモート卿に傷を負わせた。魔法大臣を始末した「だけ」で、ヴォルデモートが撤退したのがその証拠だ。目障りな者を消すことよりも、治療を優先したのだろう。そして、その目障りな者たちは、養父が命がけで稼いだ猶予で脱出し、あるいは腹を括って残留した。

 養父は後の歴史でどう書かれるだろう。務めを果たせなかった大臣、それとも勇敢な大臣……戦い抜いた男だと? 前者は闇の世界で語られ、後者は闇を祓った先で語られるだろう。

「あっちの出方を考えていても仕方ない」

 屈み、もう一度柩を撫でた。

「さっさと休みましょう」

 亡き者を想うのは後でもできる。今は嘆きの歌を歌うべき時ではない。

 ふ、と笑声が落ちた。キングズリーが肩を震わせている。刷かれていた影が薄れた。敗残者の、むざむざと上官を死なせたという負い目が。

「スクリムジョールそっくりだよ」

 切り替えの早いところがね。なにがおかしいのか、それとも疲労のあまり箍が外れたのか、キングズリーは笑いやまない。セーミャは踵を返し、彼の横を通り抜け様に軽く殴った。

「あんな不義理な人に似ているなんて、失礼な。それに、あなたは間違えてる」

 今は私がスクリムジョールよ。




せーミャ・アレティ・スクリムジョール
闇祓いルーファス・スクリムジョールの娘。
ルキフェル・リアイス
リアイス一族の魔法使い。闇祓い。金髪紫眼。
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