【完結】蒼炎の魔女   作:扇架

7 / 16
七話

 父は。私の父は。

 囁くように言う。スクリムジョール邸の玄関。広々としたそこには、影がある。セーミャは俯き、身を震わせた。黒の紗がかすかに揺れる。片手にハンカチを握りしめたその様は、雨に打たれた花を思わせるであろう。うなだれ、為すすべもなくある――弱く、可憐な、摘み取られるばかりの花に。

「……とても言葉にできませんわ」

 声を詰まらせる。そうでしょう、と労るように応じるのは、魔法省の役人だ。言葉こそ丁寧だが、そこに潜むのは冷徹さ。舐めるように大臣息女を見ている。衣を透かしたその下までもを見られているような気がした。

「父は、職務に忠実でした」

 ですが。呻く。本物の呻きだった。喉が焼けるようだ。

「志、半ばで――」

 ふらりとよろめく。大臣の元息女の両肩を掴んだのは、力強い手だった。

「もういいでしょう」

 ご息女はお疲れです。確認は済んだはず。きつく、いかにも四角四面、頑固さがにじむ声。

「こんな酷いことに」

 身体から力を抜く。ぐっと抱き寄せられた。

「僕はご息女と面識があります。介抱してから省に」

「……そのほうがよかろう」

 冷たい声。セーミャを舐めるように見ていた男だろう。

「ではおいとまします。ウィーズリー、くれぐれもご息女を頼むぞ」と言って出て行った。部下らしい者もつき従う。扉が開いて閉まる。雨の音がした。

「とんだ狐だよ君」

 くつくつと笑ったのは赤毛の男――パーシー・ウィーズリーだった。だが、彼の青い眼には茶目っ気がある。双子の弟たちと似た光だ。セーミャは彼の腕を軽く叩いた。そっと一、二歩下がる。

「誰が狐よ」

「いいじゃないか。狐は可愛い」

「子ぎつねはね」

「ほんとは病気が怖いから野生の狐に近づくのはよくないんだけど」

「それはマグルの話でしょ……いい加減、その顔で笑うのはやめて。似合わないのよ」

 チャーリー。ちろりと見れば「パーシー・ウィーズリー」は姿を変える。燃えるような赤毛はそのままに。背が少し伸び、肩幅が広くなり、筋骨隆々とまではいかなくとも、しっかりとした体躯になる。ドラゴン使い、元グリフィンドールチームの伝説のシーカー、監督生かつグリフィンドールの男子首席、そしてセーミャの同期で友人に。

「どうやって?」

「僕の堅物な弟の手引きで」

「あら」

 と言いつつ、チャーリーの手を引く。

「上がっていって」

「そのつもり」

「一応女の住まいなんだけど?」

「どうせ怖いお兄さん方がいるだろう……パーシーは事の次第をわかっているんだが、身動きがとれない。で、君の様子を把握したかった」

「傀儡たちもそうだった」

 「こと」が起こった翌朝にさっそく使者をよこしたのがその証拠だろう。大臣の息女に反抗の意志がないかどうかを確認したかった。養女だろうがなんだろうがセーミャは息女であり、一定の影響力がある……といえるかどうかなのだが。それでも「私の父は殺されたのです」とほかならぬ娘が言えば――と一抹の不安を抱いたのだろう。省にいる誰かは。

 使者は死喰い人が一人、省の人間が数人。大臣の「秘書」が一人。セーミャが下手なことを口走ろうものなら、そのまま拉致するつもりだったのだろう。ちなみに「ウィーズリー」は大家族だ。人質作戦は有効であろう。つまりセーミャの拉致に協力させられる目星はついていたし、協力までいかなくとも沈黙を強いることができると踏んでいた、と。

「ご家族は」

「みんな無事。ロンは別行動だね」

 そう、と返す。ウィーズリー家の末息子は、ハリー・ポッターと友人らしい。チャーリーを引っ張っていく間に事情を聞く。ビルの結婚式の最中に魔法省が陥落したとか。その場にいた客人たちは緊急脱出し、ハリーとその友人たちも脱出した……。

「実家には監視が付いているだろう。僕はルーマニアに高飛びしたことになっている……ねえセーミャ、君の手冷たくないか。いや、昔からか」

 よくご存じで。返すのもおっくうで黙ったままでいた。居間に着けば、座っていた影が片手をあげる。

「やあチャーリーいらっしゃい」

「くつろぎすぎでしょうルキフェル」

「今のところ「待て」なもので」

「お茶はどうかね」

「いやくつろぎすぎでしょうキングズリー」

「ご息女の下僕なので」

「笑えませんよ」

 野郎どもの馬鹿馬鹿しいやりとりを無視した。チャーリーを座らせる。客人たちを無視し、使用人がセーミャのために椅子を引いてくれた。ありがたく腰かける。セーミャ、野郎その一、二、三の前に湯気を立てる茶器と軽食が用意された。なんとまあ野郎率が高いのか。使用人も野郎というか男なので、つまりスクリムジョール邸の男女比はほぼ男で占められていることになる。

「我らがボス、ガウェインは残留。僕らは休暇中」

 前置きなしにルキフェルが切り出す。誰も待ってとは言わなかった。ここにいるのは闇祓い二人に大臣「元」息女、旧家のドラゴン使いだ。そして四人とも首席である。学業での賢さと人間としての賢さは別ではあるが、ここにいる面々は天才とはいかずとも秀才であり、途中で話の腰を折るようなことはしない。

「魔法法執行部長官殿は軟禁……だが、どうせあれこれ要求してバカを振り回すだろう。部下は休暇あるいは出張、留学」

 マグル出身の高官は脱出したり残ったり。状況は最悪のなかの最善といったところか。

「次の大臣は」

 セーミャの問いに、ルキフェルが簡潔に答えた。

「パイアス・シックネス。下手に抵抗をせず穏和しくしているだけか、服従の呪文にかけられているかは調査中。後者の可能性が高い……ルーファスの辞任とシックネスの着任は今まさに知られているところだろう。日刊予言者も下手に抵抗できないから」

「ファッジの頃、予言者は御用新聞になり果てたから」

 キングズリーが付け足す。ファッジが三校対抗試合で起こったことはただの事故、ヴォルデモートは復活なんてしていない、ハリー・ポッターは嘘つきだ、と日刊予言者をつかって書かせていた。それに嫌気がさした記者ももちろんいて、野に下った者もいる。だが、どれほど力になるか……。

「闇の陣営は、法の下にある程度――いや、ほぼ自由に振る舞える」

 ペンは剣より強しね、と皮肉っぽく言ったのはチャーリーだった。死刑執行の書類に署名できる者は強い。剣――杖よりもペンがものを言う。

「もちろん建前というものがある。だからこそ傀儡を立てた。表向きは健全な手続きを経て大臣の交代は成された」

 どれほど疑わしくとも、外部は干渉できないだろう。それこそその正当性を覆す、あるいは政権を奪い返さない限り。

「疑問視する者もいるのでは?」

 チャーリーが茶を一口飲んで言った。キングズリーはセーミャをちらりと見た。

「ご息女が「私の父は病気なのです」と一言口にするだけで疑惑はそこそこ晴れただろう」

 見事な狐ぶりだった、とキングズリーはにっこりだ。うれしくないこと。嘘は言っていない。「言葉にできない」ほどの感情が渦巻いているし、父が「志半ば」なのも本当だ。惨いことが起こったのだし、父が職務に忠実でなかったという者がいたら磔刑の呪文をかけてやる。だが病気だとは口にしていないし、死んだとも言わなかった。連中はセーミャを牙の抜かれたふぬけ、弱々しい令嬢だと思っただろう。それでいい。今は、だが。

「あとは君とシックネスが婚約とか」

「あ?」

 低い声がした。ルキフェルはため息を吐いた。

「君ねえ、戦記物とか歴史物とか読まないのチャーリー? 古典的な手だよ。成り上がりに令嬢をあてがうとか、敵対する氏族の婚姻どうこうとか」

「初夜で花婿を始末する花嫁とかね」

 セーミャはなるべく淡々と聞こえるように願った。絶対嫌だ。シックネスはいくつだ。父と同じくらい? いや年齢の問題ではないだろう。かわいそうに、チャーリーは硬直している。仕方ない、彼は魔法史で寝ていたもの。

「あー、そこらへんはうちも他の一族もあるからなあ……」

 花婿の首を落として髪を掴んで血塗れで寝室を飛び出す花嫁。ルキフェルがさらりと言う。セーミャは想像しないようにした。この局面では想像力なんてものは必要ない。呪いだ。

 チャーリーは頭を抱えている。セーミャは隣に座る、彼の肩を叩いた。

「さすがにそんな古典的な手は使わないと思う」

「やめてくれよ花婿の首を落としに行くとか。うちの弟を化けさせて放り込むから」

 どの弟だ、と少しだけ考えてしまった。双子だろうか。あの子たちはなんでも上手にできるタイプだ。いやでも首は……。

 軽く目眩がしたがこらえる。首のことは後だ。父はどこにいるのだろうと思うのも後だ。無駄でしかない。

「ヴォルデモートは上流階級の育ちではない。おそらくその発想は出てこない。また、そこまでする必要はなく……」

 キングズリーの言を、ルキフェルが引き継いだ。

「さすがに傀儡を取り替えるのも面倒だろうよ」

「首切りならマクネアが専門でしょうに」

 セーミャは言い返す。マクネアは死喰い人で、首切り役人だった。彼なら綺麗に首を落とすのではなくて? そう言おうとしたが、セーミャは立ち上がった。なにかを感じたのかキングズリーとルキフェルも同じようにし、チャーリーも遅れてそれに続いた。

 使用人が滑るように居間にやってくる。

「セーミャ様」

 招かれざる客です。

 

 

 濁った色の空に、生成色が漂う。花吹雪、あるいは蝶の群を思わせるそれは、ひらりと舞い、滑るように降りていく。目指すのは観衆――血の気のまったくない者、かわいそうに両の眼がない者、片足がなく――どうやら肉が欠けてしまって、白いものが覗いている。彼らは不具の者たちだった。魂の失せた空の器。意思を持つことも許されず、使役されるだけの隷属者。

 軽く二十人はいようかという群は、とある邸の門にとりつく。救いを求めるように柵を掴み――そこに救いがもたらされる。

 花吹雪――否、羊皮紙の群が仄かに輝く。こぼれた光は亡者――起き上がりに手をさしのべた。もし門前にいて、羊皮紙を見る者があれば、綴られた言の葉を読みとれただろう。塵は塵に返る、と。

――窓の外、風に吹かれて散っていく灰色を見届け、セーミャはため息を吐いた。紙束をローブのポケットにつっこむ。

「出番がなかった……」

 チャーリーが瞬く。「招かれざる客人」たちを迎え撃とうとはりきって立ち上がったはいいが、結局傍観者となってしまった。心なしか肩を落として座っている彼に、なにか声をかけようとした。

「セーミャなら余裕だし」

「さすがご息女」

 声に眼をやる。立ち上がりまた座った野郎その二、三にため息を吐く気にもなれなかった。これを信頼ととるべきか、単なる怠惰と断ずるべきか。仮に招かれざる客人が死喰い人であれば、二人は嬉々として動いただろう。穏やかな人格者と評されるキングズリーの「嬉々として」は想像しにくいが、とにかく彼らは闇祓いで、闇の魔法使いの敵対者である。キングズリーだってたまには張り切るだろう。張り切ったキングズリーを想像するだけで妙な気分になるが。

 考えることはあれこれある、はずだ。まったくまとまらないが。手伝ってもくれない二人なんてどうでもいいのだ。チャーリーは動こうとしてくれたからいい。気持ちの問題だこういうのは。炎系の魔法を使うのなら、一瞬で消し炭になる威力で撃ち出さなければならない。ついでに群単位なのだから広範囲を焼かなければならない。つまり住宅地でやるには面倒なのだ。まかり間違って松明と化した亡者がダンスパーティなんて開催……。

 額を押さえる。睡眠時間が足りていないようだ。父がいれば「闇祓いたるもの」等言いそうだ。セーミャは闇祓いではないのだが。

――すべて夢であれば

 どれほどよいか。けれど、ダンブルドアは殺されたし、父は柩に封印され、首は奪われたまま。ヴォルデモートの所在は知れず――。

「あれ?」

 小さく声を上げる。なにかが引っかかった。だが、それが何なのかはっきりしない。朧なそれを掴もうとしたとき、またもや声がかかった。客人だという。しかも魔法省から。使用人のしかめ面からして招いてもいない歓迎できない客なのは明らかだ。

「待機しておいて」

 簡潔に言う。闇祓いの中でも実力者が二人と本職ではないが優秀な魔法使いが一人。ついでに使用人も精鋭である。さらには闇の陣営を恨む者が多い――というか、ほぼ全員がそうだろう。セーミャに手を出そうものなら、袋叩きにして忘却呪文をかけてついでに服従の呪文をかけて送り返せる。ああ闇祓いはすばらしい。創設者にして初代局長のアリアドネ・リアイスが根回しして禁断の呪文――死の呪文、磔刑の呪文、服従の呪文を闇祓いが使っても合法とするようにしたのは間違いではないだろう。今は戦時だ。使えるものは使うべきだ。

 忙しいなと思いながら玄関に向かう。杖を振る。ヴェールこそないが、泣きはらした眼をし、唇はひび割れている――ように見えるはずだ。魔法省の役人再び、ということは様子を見に来たのだろう。いくらなんでも早すぎるが。そしてセーミャはおびえきり、悲しみに沈んだ令嬢になりきらなければならない。それは難しいことではない。むしろ――。

「変事があったとか」

 眼を見開き、髪を乱した役人は、ひどく慌てているようだった。いいや、慌て、駆けつけてきたように見せかけているだけだろう。真っ直ぐにセーミャを見る。嘘つきほど視線を逸らさない。わざとらしいほどに。セーミャも嘘つきだからわかる。幼い頃から嘘をついてきた。だから、獣が獣を嗅ぎ分けるように、偽りの匂いを嗅ぎ取ってしまう。生きるために本当の出自を隠してきた代償だ。

――ルシウスのほうが巧くやる

 世辞も巧い。冗談だろうが「どうかねうちのドラコと」と言ってきたこともある。実にさらりと言われたものだから、不快にもならなかった。マルフォイ家とスクリムジョール家がつながることなどありえない。だからこそルシウスは気軽に口にしたのだろう。いわば「私は令嬢を買っている」という表明に他ならない……。

 その点、役人は鼻につく。隠そうとして隠し切れていない本音が漏れ出している。

「ええ、驚きましたが……」

 小さく言い、ぎゅっと胸元を掴んだ。怯えきった令嬢になるのも疲れる。「スリザリンの、それも純血の淑女がやりそうな感じ」を意識する。嘗められて上等だ。侮られたほうが後でやりやすい。

「ご息女が……ああいや、元ご息女が無事でなによりです」

 滲む嘲りに気づかぬふりをする。ここにいるのは楚々とした令嬢、世間知らずな箱入り娘だ。そんな娘は、人の悪意になど気づかない。

「わざわざ訪ねていただいて、申し訳ありません」

 静かに口にし、かすれた息を漏らした。

「お忙しいのでしょう? こちらは問題ありませんから……ああ、あんな群が出るなんて……」

 血の気の失せた顔、か細い声に役人頷いた――満足そうに眼を光らせ、辞去を述べた。

 ご自愛ください、と。

 扉が開き、閉まる。足音が遠ざかり――セーミャは胸元を握る拳を開いた。爪が食い込み、赤いものが滲み……滴る。歯を食いしばる。唇がぶつりと切れた。

――まだだ

 怒りを解放するには早い。我ながらよくこらえた。どれほど役人――おそらく死喰い人の喉を締め上げたかったことか。

「正しいことなの」

 今できる最善なの。

「そうでしょう」

 お父さん。呼びかけても返事はない。永遠にない。セーミャにできるのは、彼ならばどうするかを考えるだけ。一つの羅針盤にすることだけ。嘲りなど鼻で笑って受け流せ。

 それにしても。腹の中に渦巻く熱をなだめ、考えに没頭する。足は勝手に動き、居間へ向かった。

 あまりに早かった。一度様子を見てから……まるでとんぼ返りではないか。亡者を差し向けたのが「魔法省」だとしよう。セーミャの対応に隙はなかったはずだ。いいや、隙だらけだったはずだ。弱々しい令嬢を演じてみせた。相手はセーミャを嘗めた。敵には値しないと判断した。だから帰った。帰ったのに、すぐさま亡者を……。

 セーミャを脅すために差し向けたとする。だが、そうされるいわれはない。ではなぜ、無力な「元」息女に――使用人がいるとはいえ――脅しをかけたのか? そうさせるものがあったのか。

 なにかがあったのだ。たとえばセーミャが闇の陣営側だとしよう。敵を炙り出したい、それか警戒すべき人間に目星をつけたい。血を裏切る者は確定だ。ハリー・ポッターとその友人たちも同じく。リアイスは言うまでもない。だが、野にいる大衆――藁の山のなかから、針を見つけたいとすれば?

 識別するためのなにかがいる……ヴォルデモートに敵対する者が、とまで考えて瞬いた。

 ヴォルデモート。『名前を言ってはいけない例のあの人』、あるいは『例のあの人』、『闇の帝王』。その名を呼ぶのはもはや禁忌。

 では、その禁を破るものがいれば? 忌まわしい名をあえて呼ぶということは――。

 禍つ星(ヴォルデモート)に、弓引く者だ。

 

 

 羊皮紙の上を羽根ペンが滑る。父からもらった、ごく質素でけれど頑丈な品だ。

 羽根ペンだけではない。もはや父のものはセーミャのものなのだ、姓も邸も、そこにある品も、使用人たちも。だが、父だけが欠けてしまった……。助言を求めようにももはやいない。そして、たとえ血が繋がっていなかろうがあなたの娘だとも言えない。どうせ言ったところで「そうか」としか言わないだろうが。

――なにを当たり前のことを、と言わんばかりに

 振り返ったところで仕方がない。今、集中すべきは――。

『確実ではない。だけれど可能性はある』

 居間の卓、広げた羊皮紙に文字を連ねる。闇祓いたちとドラゴン使いはただ沈黙し、羊皮紙を見つめていた。書の中には開き、あるいは読むだけで呪われるものも存在している。そしてセーミャにはそういった呪いをかけることができるだけの能力がある。彼らが眼をつぶらず、逸らさずいるのは信頼の証だろう。まさか眼を潰した罪人を使って書を調べることはしないだろうし。あるいはなにもしらないマグルやスクイブを贄にして本を開かせたりもしないだろう。どちらも本当にあったことだ。それを織り込んで触れれば呪いが発動するように、あるいは本は囮で散らばっている羊皮紙が本命……なんて罠もある。杖を使うだけが魔法ではなく、セーミャは魔法を綴る者であり、そこには闇が潜んでいる……。

 その名を書こうとして、羽根ペンを止める。インクが滲む。念には念を入れて避けるべきか、そのまま書くべきか。しかし、検証が必要だ。どこまで仕掛けがされているのか。

『ヴォルデモートの名を呼ぶものは検知される』

 チャーリーが口を開こうとする。セーミャは人差し指を唇に当てた。話したい気持ちはよくわかる。だが、これは声なきやりとりでなければならない。

 十秒待つ。「客人」の気配はない。セーミャは先を続けた。セーミャの様子を確認し、反抗の意思なしと判断したであろうに、なぜ亡者が現れたのか。一時間もしないうちに、セーミャを脅しつけようとした理由。

『きっかけがあるとすれば、私がヴォルデモートの名を呼んだこと』

 正直、それくらいしかないのだ。傀儡政権は忙しい。元息女の様子ばかりうかがってはいられない。どこかの古くさい考えの誰かが余計なことを考えてやっぱり元息女を確保しておいて、シックネスの寝台に放り込もうなんて考えない限り、しばらく用事はないはずなのだ。正気ならシックネスだって嫌だろうと信じたい等の願望はひとまずおいて、大臣息女はそれなりに使える駒なのだ。

 ディゴリー家息女の故事がわかりやすい。彼女は時の大臣の息女であった。が、大臣たる父が急死……表向きは病だったらしいが、実態は暗殺であろう。後釜に座った大臣は「私はエルドリッチ・ディゴリーの後継である。その証にご息女と婚約している」と宣言した。もちろんディゴリー家息女にすれば寝耳に水である。次々と「婚約の証」が出て――証言、物証その他――包囲は固められた。なにせ名政治家、名大臣の息女。しかも名門。彼女を隣に置けば民衆の支持を得られ、後継であると証も立てられると踏む愚か者が出てもおかしくはない。

 詳細は息女の意にそまぬ婚約を題材にした小説でも読めばわかることだが――『私の魔法騎士』とかあれこれあるのだ――息女は愚か者ではなく、むしろ賢いほうだった。伸ばされた手を払いのけるため、とある魔法騎士と婚約したのだ。つまりリアイスである。どちらから話を持ちかけたかは闇の中であるが、息女は窮地を脱し「後釜」を大臣の座から引きずりおろしたとされる。その「後釜」は大臣に就任して三日だか一週間だかで排除された。ついでに叩けば叩くほど埃が出た。そして「後釜」は大臣としては数えられず、愚かしくも大臣息女に手を出そうとしたとして歴史に名を残している。

 どうか馬鹿が現れませんよう、とマーリンに祈るセーミャは、軽やかに動く羽根ペンをとらえた。

『辻褄は合う』

 ルキフェルだった。手っ取り早く敵を見つけるのにはちょうどいい。たしかにヴォルデモートの名を呼ぶのは敵対者、もしくはそれを支援する者だろう……。

『無駄に知識があって嫌になるな』

 今度はキングズリーだった。理論上ありえる、と彼は続ける。言葉に禁忌をかけることはできるだろう。そういうのは言霊の国の連中が得意だけれど。日本の土御門を指しているのだ。彼らは怨念やら呪詛やら言霊を操るのを得意としているし、神なるもの、荒ぶるものを鎮めるのも十八番であった。亡者関連も一応噛んではいるが、そちらは大陸――中国が長けている、らしい。

『まだ仮定の話』

 セーミャはそっと書いた。杖を振って二枚目の羊皮紙を卓に出す。

『たまたまかもしれない。だけど、呼ばないほうが無難でしょう』

 腹立たしいことだが。名前をはばかるということは、暗示をかけるようなものだ。ヴォルデモートは極めて恐ろしい存在だと。最終的には「勝てない」と思考に刷り込むことになる。ダンブルドアや勇気ある者がその名をあえて呼んでいたのには、相応の理由があるのだ。ヴォルデモートが名前のあるただの人なのだと、必要以上におそれる必要はないと。名前そのものに力はないのだと、形のない術を打ち破るように「ヴォルデモート」とあえて呼んだ。

 自らを死の飛翔――死からの飛翔、ひいては死に打ち克つ者とし、卿を名乗る彼に、セーミャは一抹の哀れみを覚える。

 彼は死より惨いことがあるとは知らない。ただ形のないものに怯えている。まるで壁の模様に亡霊の姿を見る子どものようだ。卿、とこれみよがしな称号を付ける彼の、なんと幼稚なこと。ゲラート・グリンデルバルドは自らの名を轟かせたというのに。なんら己を飾りたてることなく、大陸に災いをもたらした。

 どちらも悪には違いない。だが、ゲラート・グリンデルバルドは生来の名を歴史に刻まれるだろう。

 そしてヴォルデモートはどこの誰とも知れぬ悪として、孤独に息絶えるだろう。

 死の腕に怯え、振り払おうとしても無駄だ。どんな小細工をしようとも、いつか滅びる定めなのだ。子どものように縮こまり、震えているといい。

 父のように死を受け入れることなど、あの男にはできないだろう。決して。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。