【完結】蒼炎の魔女   作:扇架

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九話

「……とのことですので」

 ご安心ください。穏やかに言い、精一杯の笑みを浮かべる。紅茶を持つ手が震えていないか心配だった。相手に内心を悟られてはいけない。

「任せよう」

 いや、任せるしかないだろう。男は疲れたように言う。お茶会室でくつろぐどころではないのだろう。卓に載った茶器が鼠に変わりやしないかとびくびくしているのかもしれない。男はマグルの首相。通称ダウニング殿、あるいは閣下である。

「君も大変なことだ」

 ご令嬢、とダウニングは言う。魔法界のごたごたの影響を受けているにも関わらず、彼は落ち着いていた。紅茶を飲み、そーっと百味ビーンズに手を伸ばしている。そんなに慎重にならなくても、まともな味の物をそろえておいた。かなり地道な作業だった。まさかマグルの首相に鼻くそ味なんて食べさせるわけにはいかないではないか。

「留守番ですので。あと私は令嬢ではなく――」

「嘘を吐きたまえよ。立ち居振る舞いから発音まで上流の出だろう」

 言い切られ、セーミャはあいまいな返事をした。ちら、と隣を見る。涼しげな青い眼がセーミャを見返すも、なんらかの助け船は寄越してくれないらしい。百味ビーンズをせっせと分けるという地味すぎる作業はしたくせに。

――間違っても

 テセウス・スキャマンダーにさせていい作業ではない。そもそもセーミャが主でテセウスが従とはどういうことだ。叫びたくても叫べない。セーミャを首相官邸に呼び出した相手――ミリセント・バグノールドは外出中である。「ちょっと魔法省に行ってくる」らしい。うちの子も何人か置いてるし、テセウスもいるし後はよろしく、と。実に気軽に頼んできた。待ち合わせの場所に首相官邸を指定されたと同時に「魔法省で動きがある」という報が入ってきたので、セーミャは従うしかなかった。

 バグノールドだって鬱憤が溜まっているのだ。たまには発散させるべきだし、彼女の実力は折り紙付き。そう、老いぼれなんて侮る連中を薙払うくらいはする。そしてセーミャは女傑に逆らうつもりはない。武装を整え首相官邸に参じたのだ。

「彼女はルーファス――あなたを訪ねてきた魔法大臣の娘でしてね」

 此度、留守を任すのに適任とされたのですよ。テセウスがさらりと言う。軽く睨めつけても無視された。なんでそんな話を出すのか。ダウニングに振ったところで困るだろうに……と思っていたら、当のダウニングは「ああ」と声を漏らした。一、二度瞬き、セーミャをまじまじと見る。

「これほど年若いご息女がいたとは」

 しみじみと言って、軽く眼を伏せる。

「お悔やみを申し上げるよ」

 あの女傑殿から聞いた、とダウニングは付け加える。セーミャは刹那の半分ほどの間、言葉に詰まった。公的には病気で引退したことになっている父。散々に書き立てられている父。死んだ、殺されたとわめいたところでどうしようもなく、セーミャに火の粉が降りかかるだけ。耐えるしかなかった。シックネスは傀儡だと暴露することもなく、ただの、弱々しい、脅威にもならない女だと思わせるしか……。父の名誉を回復するのは今ではないと、ひたすらに歯を食いしばっていた。かき乱された心に、ダウニングの――純血派たちが穢れた血と蔑む存在の、率直な言葉は、深く沁みた。魔法族であろうがなかろうが、人としての根本はそう変わりないのだと。

 ◆

「疲れたか?」

 首相執務室――の控えの間に、テセウスの声が響く。セーミャはソファに腰掛け、無言で頷いた。隣では電話が鳴ったり、ファクシミリが紙を吐き出す音がするが、控えの間はしんとしていた。魔法族の護衛のための隠し室だ。代々の護衛が好き勝手に家具を持ち込み、もはや生活ができるようになっている。テセウスは古びた椅子に腰掛け、じっとセーミャを見ていた。まるで孫を見るように。

「問題ありません」

 囁くように返す。もっと流れるように言葉が出ればいいのに、どうしてもテセウスの前だと駄目だった。思考が錆び付いたかのようだ。理由など分かり切っている。セーミャは後ろめたいのだ。父が死んで――殺されて、引退した元魔法大臣や、引退した元魔法警察長官が引っ張り出されたこと? それもある。セーミャのような若輩が、テセウスの「補佐」を受けていること? それもある。

「気を遣っていただかなくても結構です」

「私は気にしないが?」

 君の血筋のことは。姿勢よく腰掛け足を組み、テセウスはさらりと言った。まるで昼下がりのカフェでの雑談のように。

 セーミャは息を呑んだ。何度か会ったことはあるし、言葉を交わしたことはある。特別、セーミャに眼を留めた様子はなかったし、気づかれていないと思っていた。

「私の婚約者を殺したのはあの男だ。それはあの男の罪であって、君のものじゃあない」

「惨かったと……」

 声が掠れる。テセウス・スキャマンダーには婚約者がいた。大陸のレストレンジ家出身の娘だったという。彼女は文字通り、地上から消え去った。灼熱に呑まれ、なにも残さなかった。そうしたのはゲラート・グリンデルバルドだ。

「そうとも」

 ふ、とテセウスが息を吐く。手のひら――皺が刻まれたそれ――を翳す。薬指にはまった指輪がちかりと光った。

「彼女が死ぬ必要などなかった。私の婚約者であり、省に勤めていたとはいえ――魔法警察でもなんでもなかった。共に歩む未来は絶ち切られた」

 愛している、と聞こえた。今でも、死に別れようとも、と。

 す、とテセウスの手が下がる。青い眼はわずかに潤んでいる――ように見えた。

「君に八つ当たりなんてしても、彼女は喜ばないだろう」

 みっともないとすら言うだろう。

「……その燐の眼はあれと同じ。だが――魂は違う。君はセーミャ・スクリムジョール。闇祓いに育てられた娘だ」

 それに、若い娘を殺めるなんて私は嫌だ。テセウスはきっぱりと言う。不和を喜び、流血を望んでいる場合ではなく、また私の信念にも反すると。

「――まあ」

 あれを殴るくらいはしたいがね。機会があればどうだ? とテセウスは茶化す。年月を経て丸くなったのか、元々こういう人だったのか、セーミャには判別が付かなかった。少なくとも、元魔法警察長官という肩書きから想起する、厳めしく融通が利かない狩人、という印象は薄い。

「ヌルメンガードへの旅行を手配しておきましょうか」

 まずは、バグノールド閣下のお帰りを待ちますけど。言って、そっと問いを投げかけた。

「あなたならば、単独で乗り込んで――殴るくらいはできたのでは?」

 始末できたのでは、と暗に問う。テセウスは肩をすくめた。

「何年かはそう思っていたが」

 大陸での惨事――グリンデルバルド狩りの噂を聞いて萎えてしまった。それに。ぷつ、と言が切れる。セーミャは静かに待った。テセウスは舌を動かす。心の奥底の、沈んでいたなにかを見つめ、掬い上げるように、そっと。

「あれは監獄から出ようと思えば出られただろう。安全神話などない。どこかに隙はある。だが――あれは、何年も、何十年も静かにしていた。もしかして、機を窺っているのかもしれないとも思った」

 だが、奇妙な考えが兆した。

「あんな男でも、どこかに良心の欠片があり……なにか世間の役に立つことをするのでは、と」

 そうであってほしいという、私の勝手な希望かもしれないがね。くすくすとテセウスは笑う。優しい眼をセーミャに向けた。

「本当は、力なんて使いかた次第なんだ。善にも悪にもなる。その人が――」

 何を選ぶかなんだよ。セーミャ・アレティ・スクリムジョール。

 

 

「――一矢報いた」

 大きな成果とは言えない。最終目標はあくまでもあれの討伐であり――さらには「その後」の問題も積み上がっている。だが、成果は成果。

「今は喜ぼうではないか」

 つらつらと語り、女傑は茶器を傾ける。セーミャは杖を振り、クラッカーやチーズやジャムその他必要そうなものを補充した。「酒は?」と訊かれたが首を振る。

「よそのお宅ですよ」

 ところは――引き続きマグル首相官邸。時刻は陽が沈んだ頃。窓の外を見れば、月がぽかりと浮かんでいるだろう。ふらりと出て行ってふらりと戻ってきたミリセント・バグノールドから魔法省のごたごたについてあらましを聞いているのだ。

「一暴れの後の酒は美味いのに」

「宴にはまだ早いです」

 ぴしゃりと言う。たとえ元魔法大臣、女傑ミリセント・バグノールド相手でも言うべきことは言わないといけない。彼女の養子たちの苦労が忍ばれる。官邸にも何人が詰めているが、これ幸いと彼女の相手をセーミャに押しつけているようだ。別に構わない。本来はマグルの首相、通称ダウニングの護衛が仕事なのだ。バグノールドは第二の拠点のように使っているが。勝手に拡張もしているが――これはバグノールドばかりが悪いとは言えない。出入りする護衛たちがじわじわと改造、いや増築を繰り返したのだ。そもそも首相官邸を建てる時に魔法族の手が入っている。ダウニング閣下に言うのはかわいそうなので黙っているが。

「騒ぎたいものだね」

「そして閣下が一喝なさると」

「やれ困った。みんなその話をするんだ」

 バグノールドは肩をすくめる。ヴォルデモート凋落後、英国はお祭り騒ぎになった。ほぼ丸一日、箍が外れていたのだ。流星群が降り――これはディーダラス・ディグルの仕業で、公然の秘密というやつだ。英国中に星を降らせたというのだから、才能の無駄遣いである。昼日中にふくろうが飛び交い、伝統的な格好をした魔法族がマグルの町を出歩き、花火を打ち上げまくり――どこぞの湖には謎の生物が現れ……これは水魔の使い手が悪戯したとか……マグルのラジオを乗っ取った誰かがハリー・ポッター万歳と……テレビまで乗っ取っていたら危なかったかもしれない。それと、なぜかあらゆる店――百貨店も含む――で半額セールが開催されたとか。服従の呪文ではなく、ほかの魔法で半額セールがあるのだと思いこませたのだろう……と、挙げればきりがない。めちゃくちゃである。お祭り騒ぎをいさめるべき魔法省側もこの日ばかりは浮かれていた。機密保持法なんてそっちのけである。

 無論、国外から苦情が入った。が、魔法省の長たるミリセント・バグノールドは言い放った。

 パーティの邪魔をする者は許さぬ、と。

 元から彼女の支持率は高かったのだが、この出来事でさらに支持率を上げ、ヴォルデモート凋落後の約十年、大臣を続投した。

「では、マグル生まれは脱出したのですね」

「本当のマグル生まれがどれだけいるか、だが」

 バグノールドは唇をゆがめた。人狼の登録簿はあっても――実質機能していないとはいえ――マグル生まれの登録簿なんてものは存在していない。していなかった、というべきか。傀儡の魔法省が愚かにも施行した『マグル生まれ登録』は、極めてずさんなものだ。周囲からの情報提供という密告。明らかに純血ではない姓である、等。今や死喰い人が校長を務め、死喰い人兄妹が教授になっているホグワーツから魔法省に情報がもたらされたとして、どれほどの精度が望めるか。ホグワーツの入学名簿に名前が載る条件は単純で、英国籍かつ一定の魔法力を示した生徒を自動的に載せているのだ。そこにマグル生まれや純血などという区別はない。名簿に印でも付いていれば別だが、それはないだろう。

 マグル生まれにだけ星印がついている、素敵な名簿が存在していれば『マグル生まれ登録』は必要ない。ホグワーツ――スネイプが魔法省への提供を渋る理由などないのだから。

 仮に魔法省がホグワーツの入学名簿を受け取っていたとして、そこから先が地道な作業になる。リアイスやブラック、ウィーズリー、ロングボトムなどの明らかに純血の家系を除き、マグル生まれらしい、かつて親や祖父母がホグワーツに在籍していなかった生徒を割り出す。考えただけで面倒だ。後は、オリバンダーに吐かせるか、か。囚われの身だという杖つくりは、驚異的な記憶力の持ち主だ。もちろんマグル生まれの生徒の杖も見繕っているし、覚えてもいるはずだ。連中がそれだけの手間をかけるとも思えない。なぜならば……。

「不確かな噂と密告で十分ですからね」

 魔法省にとって、マグル生まれが「本物」である必要などない。純血主義を掲げるのにマグル生まれがちょうどいい標的なだけだ。数が少ない異端ははけ口になりやすい。

 純血主義にしても、お粗末なものだ。もし本当に純血だけの世を目指すとしたら、英国の魔法族は一人残らず排除されるだろう。主義を掲げるほうもマグルの血が入っていないと証明はできない。どこかの愚か者が聖二十八族なんてものを決めたわけだが、それにしたって「最近」のことだ。ついでに言えば「血を裏切る者」のウィーズリー家を除外しなかったのは、あらゆる家系とつながっている古い名門を純血外にすれば、どの家系も純血を担保できなくなるから……だそうだ。

「不和を撒き、賄賂が飛び交うようにし、省を腐敗させられればよかったわけですし」

 魔法省の綱紀は形骸化した。英国の秩序は麻のように乱れた。父の――父だけの努力ではどうしようもなかった、とも言える。ルーファス・スクリムジョールの魔法大臣就任以前から、魔法省という船は腐り、底に穴が空いていたのだろうから。

 ヴォルデモートという嵐が過ぎ去り、仮初めの平和を享受した十数年。純血主義の恐怖が少しずつ薄れ、息を吹き返したのだ。今の有様は必然ともいえる。なにせ魔法省の高位には純血の過激派――少なくない数――が、登用されていたのだから。魔法大臣コーネリウス・ファッジなど、死喰い人の疑いが濃厚なルシウス・マルフォイを重用していたくらいだ。彼にとって、富裕な、伝統的な純血名家という点が魅力的に映ったのだろう。浅はかな。

「――アンブリッジを排除したよ」

 あれこれ考えすぎて頭痛がしていたセーミャは、思わず笑顔になった。バグノールドもにやりとする。

「よかったよかった。あの堅物に育てられたものだから、作り笑いしかできないかと案じていた」

 それは余計だ。

「冗談がお上手ですね」

「そう怒るなよ」

 バグノールドが手をひらひらさせる。なんだか女傑というより悪戯好きな女性――いや、人たらしと話している気がしてきた。

「セルウィン家がはりきってな」

 あの邪悪な純血主義者が、セルウィン家の者だと吹聴しおって。そりゃあセルウィンの者どもは激怒だよ。

「……首と胴はくっついてますか?」

「くっついてるね。幸い」

 別にばらばらでもよかったんだが、とバグノールドが言った気がしたが、空耳だろう。セーミャもあの女が肉の塊になっていても同情はしない。あれは性質が悪い。ファッジがおかしくなったのは、多少はアンブリッジ、いやあの女のせいもあるだろう。ファッジはあれこれ欠点はあるとはいえ、未成年を誹謗中傷したりするような男ではなかったはずだ。それに、ホグワーツに干渉するような度胸もなかっただろう。後者は確実だ。ファッジはダンブルドアを畏れ敬っていた。

「あれはおかしくなっているが、とりあえず生かしている。証言を引っ張り出す必要が出てくるだろうし――そうそう、ポッターたちがいてな」

 何気なく重要なことを言わないでほしい。セーミャは頷き、茶器を傾けた。喉が乾いて仕方ない。

「――目的は?」

「不明だ。だが必要があって乗り込んだのだろう。おそらく、マグル生まれを解放したのはついで……というか行きがかり上だな」

「それについては放念しましょう」

 セーミャは考えることを放棄した。ポッター一味が口を割らない限り無理だし、それなりの理由があるのだろう。ダンブルドアがハリー・ポッターに何かを託したのだとしても、セーミャたちは手を出せない。余計ひっかき回すことになりかねない。せめて匿いたいが――ハリー・ポッターが頷くとは思えない。父に対する印象は最悪に近いだろうから。父の娘から提案されたところで、信用されるわけがない。

「引き取ってほしいのがいるんだが」

 え、と声を上げる。考えに没頭するあまり、口から漏れていたらしい。視線をさまよわせるセーミャなんてお構いなしで、バグノールドはその名を告げた。

「……は?」

 

 どうもお世話になります、とはきはきと元気よく、しかし礼儀正しく言った「彼ら」は、順番に手を差し出してきた。幻覚か。夢か。しかし熱い手のひらの感触は現実で、ドラゴン革のジャケットや靴を身につけ、髪は奇抜で、装飾品がたくさんある彼らはまぎれもなく存在していた。

「粗末な住まいですけれど」

「いやいや」

 大臣のお宅に寄宿させていただけるなんて、と彼らは眼をきらきらさせている。猛犬のはずが、つぶらな眼の子犬のようだった。どうも調子が狂う。

「是非ともはじめましての曲を貴女に」

 す、と準備を始めようとする彼らをあわてて止めた。

「お疲れでしょう。またで結構ですよ」

 妖女シスターズのみなさん。

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