一方アスナは、グランザムにて飛竜討伐隊と、侵攻してくる飛竜の討伐クエストに参加していて……
アインクラッド第五十五層主街区《グランザム》、別名《鉄の都》。黒光りする尖塔が天を貫き、鋼鉄をリベット留めしたメインストリートは、三月だというのに真冬の空っ風が吹き荒ぶ。街の一角では黒鉄のプレートアーマーに身を包んだNPCが何十人と整列し、ブーツを高らかに鳴らして行軍している。
この浮遊城きっての軍事都市、それこそがグランザムだ。故に街には戦闘のための施設や補給所が充実し、最前線の攻略組にとっては過ごしやすい街である……はずなのに。俺はどうしても、その冷たい空気には耐えられなかった。
とある依頼を終え最前線である五十五層に舞い戻った時には、すでに階層の攻略が進んでおり、情報屋による攻略本が出版されていた。道具屋に委託販売されているそれを購入し、大規模ギルドたちが提供した情報を頭の中に書き込んでいく。
五十五層は荒野地帯と氷雪地帯の入り混じる過酷な環境だ。深い谷底と高い山脈が連なり、山脈の一部には永久凍土とも言えよう深雪がプレイヤーの行く手を阻む。さらに探索済みのフィールドは軒並み草木一つ見えない不毛の地であり、それゆえかそこに住まうモンスター達も狂暴で、出会えば即戦闘が始まる好戦的(アクティブ)モンスターばかりが跋扈している。その上、現状の攻略段階においては迷宮区タワーまでの道中に、休息の取れそうな村や集落は見つかっていない。攻略本の末尾にも、踏破にはモンスターの対策だけでなく、環境に適応するための準備が確実に必要となるだろうと書かれていた。だからこそ、攻略組のほぼ全員が主街区であるグランザムを拠点とし、フィールドの攻略情報を血眼になって探しているわけだが。
それにしても、この場所は寒いというか冷たいというか、
「どうにもここは……」
苦手だ、という俺の言葉は行進してきた軍隊NPC達が鋼鉄のメインストリートを踏みしめる音にさらわれていった。
依頼の関係で、俺はこの街が発見されてすぐ下層に降りていたため、グランザムの滞在時間はそう長くはない。ただそれでも、俺にとってこの街はどうにも好きになれない。
初春の冷え切った風と、軍隊NPCの殺伐とした雰囲気は、俺…キリトにとってはどうしても馴染めない空気だ。プレイヤーホームとしている五十層のアルゲードは現実でよく遊びに行っていた電気街にどこか似ており、その猥雑さと人間味が好きなのだ。それに対してこの街は真逆と言っていい。受け入れがたいのも当然と言える。だが、最前線をひた走る攻略組である以上、必ずしもホームに帰れる日ばかりではない。迷宮区に何日もこもることだってざらにある。それに、攻略組の中ではほぼ唯一と言っていいソロプレイヤーとしては、ホームに戻る時間も惜しんで攻略を進めなければ、他の大規模ギルドのメンバー達に先を越されてしまう。設備も充実し、最前線に最も近いグランザムを拠点にすることは、本来非常に合理的な選択だが、俺はこのどうしようもないいたたまれなさに耐えられず、グランザムから離れて五十五層で別の拠点を探すことにした。
迷宮区タワーへの道中に拠点候補地がないことは確認済みだが、現状まだ探索が行き届いていない地域が残されている。グランザムよりはるか西、永久凍土に包まれた山脈の向こう側だ。いくつかのギルドが探索部隊を編成したが、どうやらこの山脈の頂上は巨大な水晶がいくつも屹立し、まるで水晶を玉座とするがごとく、フィールドボス級の白竜が棲みついているらしい。縄張り意識が強いらしく、見かけたプレイヤーに全力で襲い掛かってきてしまい、討伐隊を編成しなければ山脈を越えることはできないと報告されたそうだ。確かにパーティープレイならばボスから隠れて通り過ぎることは難しいだろうが、ソロであれば水晶に隠れてやりすごすことができるはずだ。
グランザムから荒れた谷底を歩くこと数十分、俺は氷雪山脈のふもとまでたどり着いた。高々と連なる山は、遠目に見れば霊峰とも言えよう高さに見えるが、アインクラッドには次層の底という高さの絶対的上限があることもあり、どんなに高い山でも標高百メートルを超えることはない。高さが大したことないのに、山頂が永久凍土なのはやや違和感があるが、そもそも、アインクラッドは大地が見えないほどの超上空に浮かんでいるのだから、現実の気候に合わせていたら全ての階層が極寒の層になっているはずなのだ。そういった自然現象の不可思議で神秘的な部分はゲームの世界ならではというところだろう。
足を滑らせて滑落しないよう、しっかりと雪を踏みしめながら、道中に出現したイエティやら、フロストボーンというなんとも安直なネーミングのスケルトンをばったばったとなぎ倒し、俺はようやく件の白竜の棲み処にたどり着いた。雪道が続く向こうには次層の底に届きそうなほど高い水晶の柱が伸び、道のそこかしこに人の背丈を優に超える水晶が雪を貫いて伸びている。白銀の世界という言葉がぴったりの幻想的な光景だ。その向こうには巨大な白い影。噂の白竜が水晶に背を預けるように鎮座している。頭部に浮いているカラーカーソルは血のように赤いクリムゾンレッド。最前線のボスである以上強敵であることは想像に難くない。
「……見つからないようにしないとな」
誰に伝えるわけでもなく呟いて、俺は水晶に背中を預け、メニューからスキルを選択し、《隠蔽(ハイディング)》スキルを選択した。視界の下部に《隠れ率(ハイド・レート)》を示すインジケータが表示され、身体が周囲の環境に溶け込んでいく。俺の《隠蔽》スキルの熟練度は、最近ついに七百の大台を突破し、いよいよ完全習得(コンプリート)も視野に入り始めた。二層でネズハを尾行した時からすればずいぶん成長したもので、おかげで現在はレートも九割を超え最前線でも十分に通用する実力になったわけだが、このスキルがボスにも効くのかは、はっきり言ってわからない。なにせ《隠蔽》スキルは視覚以外の感覚を持つモンスターには効果が薄い。あの白竜が匂いとか気配を感じ取るような野性的センスを持っていた場合、例え俺の《隠蔽》スキルが《完全習得(コンプリート)》していたとしても、いとも容易く見破られてしまうだろう。
それでもスキルを使わないよりはましだと、俺はできるだけ水晶に身を隠しながらボスの脇を潜り抜けることにした。
永久凍土に降り積もった雪は柔らかなクッションとなり、足音を最小限に抑えてくれる。きらびやかな水晶たちが光の反射を繰り返し、ちかちかと映る陽光が結果的に俺の動きを覆い隠す。白竜は侵入者の存在に気付く様子はなく、時折大きな翼をはためかせては、周囲の粉雪を煙幕のように巻き上げ、結果的に俺の《隠蔽》をアシストしてくれていた。
なんちゃらインポッシブルな音楽を脳内再生しつつ、俺は慎重に歩みを進めていく。《隠れ率》は九十パーセントを切ることなく、順調に白竜の背後に回りつつあった。この調子でいけば、さしたる苦労もなく山脈を越えられるだろう……という油断を、どうやらこの世界のシステム様は見逃してくれなかったらしい。
白竜の翼が巻き上げた粉雪が、寒さで赤くなった俺の鼻をふわふわとくすぐった。途端に鼻腔の奥からくしゃみのボルテージが上がってくる。当然《隠蔽》スキルは、物音を立てたり遮蔽物から離れたりすれば《隠れ率》が大きく低下し、看破される確率は格段に高まる。縄張り意識の高い白竜相手ならなおさらだ。
応急処置として、鋭く息を吸ってみたり鼻をつまんでみたりしても、ボルテージは一向に引く気配もなく、むしろどんどん上ってきて……。
「びえっくしょい!!」
大きな物音と急激な動き。《隠れ率》がゼロになるには十分な条件が揃っていた。周囲に溶け込んでいた身体はすぐに元の色に戻っていき、あっという間にスキル使用前の姿に戻ってしまった。それと同時に、俺の身体が大きな影に飲み込まれ、視界が急速に暗くなる。今この場で俺をすっぽり覆うほどの影を生み出せるのはたった一人……いや、一頭だけだ。
恐る恐る顔を上げる。そこにあったのは予想に違わず、巨大な白竜の紅玉のような双眸。
ギュオオオァァァーーーーッッ!!という猛禽を思わせる咆哮が雪山に轟く。同時に白竜は翼を大きく広げて迎撃姿勢に入った。
「やべっ……!」
毒づく間もなく、白竜の足元の雪がこれまで見たことがないほどの勢いで舞い上がった。雪煙が視界を奪い、一瞬にしてボスの姿がかき消され、前方から叩きつけるような突風が襲う。地面についていたはずの足があっという間に宙に浮き、全身がくるくると回る。もはや自分がどの方向を向いているかもわからない。
あれはおそらく、翼をもつモンスター特有の突風攻撃だ。本来なら地形を使って風を凌いだり、武器を地面に突き立てたりして吹き飛ばされないようするのがセオリーだが、今回はあまりに超近距離で繰り出されたこともあり、対策が間に合わなかった。後悔の念が頭の中を埋め尽くすがもう遅い。俺はただ風と重力に身を任せ、雪山を滑落していくほかなかった。
どれほど遠くまで飛ばされたのだろう。気づけば俺の身体は、ふかふかの何かにすっぽりと覆われていた。雪に埋まったのかと思ったがまったくもって冷たくない。それどころか、ほんのりと温かく、むしろ心地良いほどだ。雪に埋もれて感覚信号が狂ってしまったのだろうか。
宙を舞って混乱した頭をどうにか再起動して起き上がる。身体を動かすたびに、俺の周囲からはがさがさと乾いたものが擦れる音がする。試しに手元にある何かを掴んでみると、俺の手に残っていたのは大量の枯れ葉だった。どうやら俺は白竜の突風で吹き飛ばされ、ふもとに偶然あった枯れ葉の吹き溜まりの中に着陸したらしい。
命を救ってくれた落ち葉には感謝のしようもないが、一つ疑問が残る。この雪山と荒れ地しかない五十五層で、なぜ落ちてきた人間をノーダメージでキャッチできるほどの落ち葉があるのか。その答えは、俺の目の前に広がっていた。
陽光をちらちらと覗かせる広葉樹の森林がどこまでも続き、そこかしこから可愛げな鳥の歌が聞こえ、雪解け水の清流がせせらぎ、あちこちでリスやらウサギやらが追いかけっこをしている。一言でいえば、桃源郷そのものだ。
あまりにも穏やかで、美しい自然に見惚れていると、近くの茂みがかさかさと揺れた。茂みの上には薄いペールピンクのカラーカーソルが表示されている。カーソルの色からして、五十五層には似合わないような、明らかに格下のモンスターが隠れているらしい。まさか下層にまで滑落したのだろうかなどと考えながら、一応抜剣し襲撃者の様子をじっとうかがう。ぱきぱきがさがさと枝やら葉っぱやらをかき分けて出てきたのは、ふわふわの赤い羽毛に身を包んだ幼竜だった。
幼竜はこちらを見上げてきゅるる…と一言鳴くと、襲い掛かってくるわけでも逃げ出すわけでもなく、ガラス玉のようにまん丸の青い瞳と黄色の瞳孔でじっとこちらを見つめてきた。おそるおそる手を伸ばすと、炎を思わせるくるくるとしたくせ毛の頭を差し出して撫でられに来る。その人懐っこさには覚えがあった。つい先日とある依頼の解決と同時に、迷いの森から救い出した少女が使役していた《使い魔》ピナの、人慣れした様子にそっくりなのだ。片手で幼竜を撫でながら、もう片手で剣を収め、急いでメニュー画面を開く。確かシリカに聞いた話では、ピナの好物はナッツだったはずだ。野営用の食材セットの中にしまっていたナッツ袋を実体化し、そっと手のひらから与えてみる。
幼竜は訝しげにナッツの匂いを嗅ぎ、手のナッツと俺の顔を交互に見やる。傍から見れば生き物に餌やりをする平和なひと時だが、俺は初めて経験する飼い馴らし(テイミング)イベントへの緊張で心臓がはちきれんばかりに脈打っていた。幼竜の方も意を決したのか、ナッツを一粒咥え、生えたてと思しき小さな牙でかりこりと咀嚼し始めた。固唾を飲んで見守ると、ふいに幼竜の頭上に浮いていたペールピンクのカラーカーソルの色がはっきりとした黄色に移り変わった。敵から味方になった、つまりテイミング成功の瞬間だ。いつの間にか止まっていた息をはあーーっと吐き出してうなだれると、その安堵が伝わったか、緋色の幼竜は拙い羽ばたきでぱたぱたとホバリングし、俺の後頭部に着地し、くるるぅ!とご機嫌な様子でいなないた。
ネーミングというものに全く自信のない俺は、昔遊んだゲームに登場していた赤い竜になぞらえて、その幼竜を《リウス》と名付けた。
種族名《クリムゾンウィルム・ベビー》、リウスと名付けたその幼竜は、シリカの使い魔であるピナの色違い個体らしい。俺自身はピナと関わる機会にほとんど恵まれなかったが、飼い主であるシリカ曰く、使い魔は索敵能力や微量の回復能力など、微力ながらもこのデスゲームで生き残る上では非常に役立つ能力を発揮してくれるらしい、のだが、テイムしたばかりで本来そこまで懐いているはずもないリウスは、その翼で飛ぶわけでもその足でついてくるわけでもなく、俺の頭の上で小さく丸まって眠りこけていた。幸いなことに今歩いている森の中は平和そのもので、赤いカラーカーソルはリウスと出会って以降一度も見ていない。だからと言ってずっと寝ていられると、いざというとき本当に戦ってくれるのか不安なのだが。
木漏れ日を浴びながら暖かな森の中をあてどなく歩きつづける。周辺にモンスターが湧かないのであれば、この森を拠点にしたいところだが、それ以前にグランザムや迷宮区タワーに通じる道は確保しておかねばならない。ふかふかの柔らかな腐葉土を踏みしめて進むたび、白紙だったマップが徐々に埋められてゆく。どこまで進んでも、絵本のような世界がただ広がるのみで、とても同じ五十五層の景色とは思えない。この層はもっと殺風景で、生命の気配などどこにも見当たらない層だと言われていたのだ。たった一山を挟んだだけで、隣り合うはずのない自然環境が隣接するのは六層などでも前例があり、決してこの層に限った現象ではないのだが、あまりの変わりようにきょろきょろとあたりを見回してしまう。結果、意図せず頭上に乗っかっているリウスをぶんぶんと振り回してしまい、リウスからぐりゅう……といういびきなのか抗議の声なのかわからない呻きをいただいてしまった。安眠を妨げてしまったことは申し訳ないが、今この場で唯一俺の味方である幼竜に、返事を期待することなく問いかけた。
「なんでここばっかりこんなに豊かなんだよ、リウス?」
「それはな、ここが竜の拠る地だからじゃよ」
「へえっ……!?」
リウスから出るはずのないしゃがれた返答が背後から聞こえ俺が仰天し振り返ると、そこに立っていた声の主は、もちろん赤毛の幼竜などではなかった。何かの骨と思しき素材でできた杖で身体を支え、紫色に染められた着物を身に纏った老年の男性が俺のすぐ後ろで微笑んでいた。頭上のカラーカーソルは黄色。NPCであることだけははっきりとわかる。
「驚かせてすまなかった。わしはこのあたりにある集落の者でな。森を見回っていたら偶然、ぬしがおったものだからつい声をかけてしもうた」
「は、はあ……」
あまりの展開に脳の処理が追いついていない俺をよそに、その老人NPCは俺の背負う剣をちらりと見て続けた。
「旅の剣士さんや、この辺りはグランザムとも隔絶した場所じゃ。日が暮れる前にわしらの村に来なさい。村の寝床と食事くらいは出そう。ここにずっといては、いずれ竜の餌になってしまうぞい」
ほっほっほと、不穏な発言とは似つかわしくない笑い声とともに、穏やかな微風が梢を揺らす。同時に、NPCの頭上に金色のクエスチョンマークが出現した。思いがけない展開に俺はただ茫然と立ち尽くしていたが、いつの間にか目を覚ましていたリウスがくるるっ!とひと啼きしながら、柔らかな翼でぺちぺちと俺の頭を叩き、意識を目の前のNPCに引き戻してくれた。NPCも設定された定型文を話し終わったのか、俺の返答を待ってにこにことこちらの様子をうかがっている。少なくとも敵意があるようには見えないし、宿や食事を確保できるクエストならば願ったりかなったりだ。
俺は、なるべくNPCに意図が伝わりやすいよう、はっきりと返事を返した。
「ありがとうございます。お邪魔させてください」
クエスト受諾フレーズは正確に認識されたようで、NPCの頭上で金色のクエスチョンマークがぴこぴこと点滅する。クエストが受諾された証だ。
「よかろう、ついてきなさい」
老人NPCが頷き、振り向くと同時に視界の左端に表示されたクエストログが更新された。クエスト名《手を取る者たち》、この時の俺はまだ、クエスト名の意味を深く考えるまでには至っていなかった。
***
五十五層の主街区であるグランザムは、今の《血盟騎士団》の雰囲気に、ある意味ぴったりと言える。鋼鉄でできた城のような建物が整然と並び、その間を軍隊が一糸乱れぬ動きで行軍していく。団長であるヒースクリフの指揮系統の元、ゲーム攻略を最優先とし、規律を重んじる現在のギルド方針そのものだ。もっとも、その規律を重んじる最たる例が私……アスナなのだが。
グランザムの乾いた風を一身に浴びながら、私は単身でクエスト《抗う者たち》の攻略に勤しんでいた。SAOのクエストは経験値やアイテムが入手できるだけでなく、階層攻略に必要な情報が提供されることがある。(こういったクエストを総じてボスクエスト、略してボスクエと呼ぶ。)そのため各ギルドはメンバーをいくつかのパーティーに分け、階層中を駆け巡り、なるべく全てのクエストを網羅してからボスに挑むようにしている。このデスゲームで一人の犠牲者も出さないという絶対的ルールを守るために、二層の頃から続く攻略組の不文律だ。
かくいう私が受けているクエストは、まさしく攻略に必須のクエストだ。街往く軍隊の先頭で行軍の指揮を執る小隊長NPCから受注できるクエストで、噂ではギルドのリーダー、あるいはサブリーダーしか発生しないレアなクエストらしい。受注した当初はそんなことなんて露知らず受注していたのだが。
クエストを発生させていた小隊長NPCは、自らの一団を《飛竜討伐隊》と名乗った。曰く、このグランザムの街は、はるか西の山脈から飛来する飛竜による被害に長年悩まされているらしい。彼らに対抗すべく飛竜討伐隊が結成され、街全体で飛竜を迎撃するための設備や産業を整え、今の《鉄の都》が出来上がったのだと。だが近年、飛竜の襲来頻度が少しずつ増加し、これまでの迎撃体制では対処しきれず、旅の剣士の一行に支援を依頼しているのだと言っていた。
おそらく、旅の剣士の一行というのがギルドのことを示しており、飛竜討伐隊とギルドとの共同戦線を組むというクエストなのだろう。ギルドの責任者しか受注できないのも納得である。
私の視界の左端に映るクエストログには、「飛竜討伐隊の団長に話を聞こう」と表示されていた。小隊長NPCが教えてくれた飛竜討伐隊の本部はメインストリートを進んだ先、街の中心部に位置するらしい。ブーツを鋼鉄で舗装された歩道にかつかつと打ち付けながら、私は先を急いだ。
しばらく進むと視界の向こうには飛竜討伐隊本部と思しき建物が見えてきた。街中でひと際高い尖塔を誇り、鉄格子と門番の兵士が配備され、窓からは槍が突き出している。どの槍にも群青の旗がたなびき、全ての旗に左側を向く飛竜へ槍が突き刺さった刺繍が施されていた。この隊の意匠なのだろうか。
私が門に近づくと、微動だにせず構えていた門番たちが、がしゃりと鎧を鳴らし、武器を構えながら厳かに忠告してきた。
「旅の者よ!ここは我ら飛竜討伐隊の本部である!貴殿らには用の無い場であるため、即刻立ち去りなさい!」
「私は、小隊長に飛竜討伐の支援を頼まれている、血盟騎士団のアスナです。紹介状も預かっています」
私はそう言って、小隊長から受け取っていた紹介状を門番に手渡した。門番は羊皮紙のスクロールを丁寧に開け、中身を確認する。クエストのキーアイテムであるため、これがあれば確実に門をくぐれるはずだが、軍の本部に来訪するというシチュエーションがどうにも緊張を加速させる。
しばらくすると門番は紹介状をくるくると巻き直し、私に返してきた。同時に構えられていた武器が下ろされ、黒鉄の門が重々しい音を立てて開いていく。門番は親切にも、団長の居場所まで教えてくれた。
「血盟騎士団副団長、アスナ様!失礼いたしました!我らの団長は最上階、最奥の部屋でお待ちであります!」
「わかったわ、どうもありがとう」
門番はざっと靴を鳴らして向き直り、見事なまでの敬礼で返答としてきた。その姿は、最近ギルド内でより強固となっていく、軍事施設じみたギルド本部の様子に、どこか重なって見えた。
玄関から長い廊下を突っ切り、階段を上がっていくと、突き当りに警備の兵士が何人も配置された扉が見えた。飛竜討伐隊本部の内装は、街の安全を担保する組織なだけあって整然と整備され、待機中の兵士たちも皆、きっちりと鎧を着ている。本部に外部の人間が入ることはまれなのか、NPCとはいえ一瞬驚くらしく、私が通り過ぎる瞬間に慌てたように敬礼してくる姿が、どうにも人間味を感じてしまう。アインクラッドのNPCも一年半の歳月でずいぶんと成長したものだ。
警備の兵士が私を見るなり扉から退き、ゆっくりと扉が開いていく。恭しく開かれた扉の向こうは団長の部屋というだけあって、鋼鉄でできた内装に冴え冴えと見える深紅の絨毯が敷かれている。広い部屋の真ん中には両手を広げても届かないほどの製図台が据えられ、その上に何枚もの書類が乱雑に置かれている。団長の執務室というより、最高指令室といった趣だ。部屋の最奥には人の背丈以上の巨大な窓が設置され、グランザムの街が一望できる。
「ようこそ、我ら飛竜討伐隊本部へ」
渋い声が、製図台の奥に置かれた革張りのオフィスチェアから投げかけられた。サングラスをかけ、高級そうなジャケットと深紅のマントを身に纏った、いかにも地位の高そうな壮年のNPCが、私のことをじっと見つめていた。
「君が、血盟騎士団のアスナ君だね?私は飛竜討伐隊の団長、ドルマだ。よろしく」
団長NPC改め、ドルマ団長がデスクから立ち上がり、右手を差し出してきた。ギルドの代表としてその手を取り、軽く握手をする。
「血盟騎士団副団長のアスナです。飛竜討伐隊の作戦支援として伺いました。よろしくお願いします」
「話は聞いている。我々の作戦によくぞ参加してくれたね」
死線を潜り抜けてきた兵士特有の、余裕に満ちた笑顔を返し、ドルマ団長は続けた。
「我ら飛竜討伐隊……いや、このグランザムという街は、はるか昔より幾度となく飛竜に襲撃されてきた歴史を持つ街でね。飛竜との戦いを繰り返す度に軍備の増強を繰り返し、いつしか鉄の都とまで呼ばれる軍事都市にまで発展した……」
長い歴史を反芻するかのように、部屋の窓に向き直る。眼下には、軍事国家と言いながらも決して冷酷さばかりではない、軍需による経済的な賑わいを持つ街が広がっている。
「さて、貴殿らにはこの街を守るため、襲撃してくる飛竜から街を守る防衛戦線に参加してもらいたい、報酬は……そうだな、旅の剣士達なら天柱の塔に行くまでの地図がいるだろう。我らの地図があれば安全に天柱の塔までたどり着けるはずだ。無論、金銭や道具の支給もしよう。どうかね?」
このグランザムから天柱の塔……迷宮区タワーへの道のりは、乾いた荒野が延々と続くフィールドになっているが、その構造は決して平坦ではない。現実世界のグランドキャニオンのような砂岩の迷路が広がっており、迷宮区タワーまでの道のりを調べるだけでも、相当な労力が必要なことは、攻略組の間では周知の事実だ。最前線のフィールドであれば、未知のモンスターやトラップに出会う危険もあり、クエスト報酬に安全なフィールドマップがあるというのは、大変ありがたい。
「それで構いません。むしろ十分すぎるくらいだわ」
私の返答は相違なくシステムに伝わり、視界左端のクエストログが更新された。同時にドルマ団長が続ける。
「うむ、頼もしいな。先遣隊により飛竜の襲来は明日の早朝と報告があった。飛竜は必ず西より現れる。明日の午前、グランザム西門に集合するよう、血盟騎士団の面々にも伝えてくれ。貴殿らの活躍を、期待しているよ」
指示を拝命した私は、すぐにその全てをフレンド・メッセージで我らがギルドの団長、ヒースクリフに伝えた。おそらくすぐにパーティーが編成され、ギルドメンバー全員に作戦内容が周知されるだろう。
飛竜討伐隊と血盟騎士団によるグランザム防衛戦線が、今ここに発足した。
***
「名乗りを忘れておったな、わしの名はナファ。この《竜の拠り地》に住む守り人の村の長じゃ」
「竜の……拠り地?」
クエストが開始されてすぐ、俺の前を歩く老人NPC改めナファ村長は、骨製の杖と共にゆっくりと歩みを進めながら話し始めた。
「そう、かつてはこの地全体が、竜達の住まう豊かな土地じゃった。だが、いつしか竜はいずこかに消えてゆき、今やほとんどの竜が、わしら守り人が守るこの拠り地で暮らしておる。」
「竜と暮らす……ってそんなことできるのか?」
「できるとも。彼らを傷つけようとしなければな。おぬしもその幼竜とともに居ろう。似たようなものじゃ」
ナファ村長の言いたいことはわかるが、その口ぶりからして、彼らは先ほど雪山で遭遇した、白竜並みの大型モンスターの棲み処で暮らしているのだろう。プレイヤーの場合は少なくとも大型のネームドボスのテイミングは不可能なはずだが、NPCの場合は例外なのだろうか。だが、七層で出会った《夜の主(ドミナス・ノクテ)》であるニルーニル様のように、何らかの特殊能力を備えているようにも見えない。目の前の老人は、どう見ても何の変哲もない人間だからだ。それに使役された竜ならば……。
「雪山の白竜は俺を見てすぐに襲い掛かってきたのに…」
俺のぼやきに、ナファ村長はほっほっほと愉快そうに笑いつつ、視線だけをこちらに向けてきた。
「あの竜は気難しくてな。雪山を侵す者には容赦せんのじゃ。古株の竜じゃが、その分強い。故に、拠り地の門番のようになってくれている。お主のことを、縄張りを荒らしにきた不届き者とでも思ったんじゃろうなぁ」
釈然としない思いを抱えながら、村長の背中を追う。うららかな風が吹きさらし、先ほどまで俺の頭の上で昼寝をしていたリウスが、ぴょこっと上体を起こし、ぱたぱたと飛び立ち、あっという間に村長を通り越して進んでいってしまった。
「あっ、おいリウス!」
「む、幼竜にはわかるか。もうすぐじゃ。ほれ」
村長が杖をさっと上げ、前方の光が差すほうを示した。まぶしい陽光が一瞬俺の目を焼き、その先に見えたのは
「竜……!」
巨大な竜達が山から山へ、その大きな翼を悠々と広げ飛び交っている。木や草だけを使って作られた小さな家々が、俺たちがいる谷底に軒を連ね、天を貫くほどの山脈に幾多の竜が棲みつき、巣を作り、人々と共に生きていた。竜達は谷底の村人を襲うそぶりもなく、むしろ村人から食べ物をもらったり、竜が村の子供たちの遊び相手になっていたりと、ナファ村長のいう通り、竜と人間が協力しあって息づいている。俺の頭から飛び立っていったリウスは、いつの間にか村の上空を楽しそうに滑空し、村の子供たちの注目を集めていた。
「これこそ、我ら守り人と竜の共生よ」
ナファ村長は誇らしげに、村の様子を眺めている。様子を見る限り、守り人は竜をテイミングしているわけではない。意図的な飼い馴らしに頼らずとも、互いに信頼を寄せあい、手を取り合って生きているのだろう。
「食われたりしないのか?喧嘩に巻き込まれたりとか……」
「安心せい。竜の気を引く餌や目くらましの閃光玉がある。我らとて、いざとなればそれらを使おうとも」
ごほん、と大げさに咳払いをしてナファ村長は続けた。
「さて、お主には宿と食事は用意しよう。じゃが、ただというわけにはいかん。我らは今夜、祭事があってな、その準備を手伝ってもらいたい」
「ああ、わかった。何をすればいい?」
俺の返事はシステムにクエスト進行フレーズとして認識され、視界左端のクエストログが更新された。
「簡単な話じゃ。この森でいくつか草花を集めて持ってきておくれ。祭りに使う張り子の材料にするのじゃ。欲しいものはここに書かれておる」
そういうとナファ村長は懐から草木で作られたのであろう、和紙のようなメモを渡してきた。
「わしも集めようと思って森に入ったがな、腰の悪い老人にはちと厳しかったわい」
わっはっは、とまたも愉快そうに笑う村長に同調するかのように、周囲の村人も笑顔を向けたり、来訪者である俺にサムズアップしてきたりした。村長の穏やかさと器の広さは、村民全体に共有されているのだろう。
竜だけでなく、旅人である俺すらたやすく受け入れてくれるその姿勢に、ソロを貫く俺の心は自然と絆されていった。
村の子供たちに歓迎という体で、もみくちゃにされていたリウスを丁重に回収し、俺は改めて森の中に入り、メモに記された素材を集め始めた。要求されている素材は思ったよりも多く、竹やら松脂といった聞き馴染みのあるものから、楮、三椏といった読み方すらわからない素材まで記されている。こういう時、アスナなら一発で素材の正体がわかるのだろうが、今の俺が頼れるのは、子供たちに散々おもちゃにされた割には楽しそうにきゅるきゅると喉を鳴らす赤毛の幼竜、リウスだけだ。
「リウス~。この木に者って書いてある素材なんて読むんだよ~」
自分ではどうにもならずに、伝わるはずのない泣き言をリウスに投げかける。ぱたぱたと羽毛をはためかせて俺の頭に着地した幼竜は、メモを興味深そうにのぞき込んで、くんくんと匂いを嗅ぎ始めた。
「食べ物じゃないからな……?」
あわやメモを咥えこみそうなリウスに、一応注意してみる。小言が効いたのか、メモを食べようとはせず、確認するかのように何度もメモの匂いを嗅ぎ続けた。
「リウス……?」
満足するまで匂いを嗅いだのか、リウスはさっと首をもたげ、何かを探すように辺りを見渡した。しばらくして、ぱさっと翼を広げたと思えば、主人を差し置いて森の奥に向かってどんどん飛び立っていく。
「お、おい待てって!」
俺は慌ててリウスを追いかけることにした。幼竜と比べればずっと大きい人間が、容易く追いつけるはずもなく、軽やかに枝葉をすり抜けて飛んでいく幼竜とは対照的に、俺のコートには引っかけた落ち葉やら枯れ枝やらがくっついていく。ようやく近くまで追いついたとき、身体がやけに重いと思えば俺のコートはもはやミノムシみたいな状態になっていた。
それでも視線を上に固定し、俺はリウスを見失わないよう走り続ける。ただ、木の根が張り巡らされた森で足元を見ず走れば、起きることは当然ただ一つ。ブーツの先端が、ひと際大きな木の根に引っかかり、
「リウス待て!待てって……おおああ!?」
ばさぁっ!と落ち葉を搔きわけんとするかの勢いで、見事なまでに前から倒れこんでしまった。体中からぱきぱきかさかさと音が鳴り、ダメージこそないが心底不快だ。現実でこんなことになろうものなら母親の大目玉を食らいそうなものだが、この世界ではしばらくすれば枝や葉の耐久値が尽き、勝手に消滅していく。ミノムシ状態になった主人の、無様な姿が大層気に入ったのか、リウスは黄色い花をつけた低木に止まり、愉快そうにきゅるきゅろと鳴いた。
「お前……はぐれたらどうするんだよ……」
くるるぅ!とわかっているのかわかっていないのか不明な返事を返しつつ、リウスは己が止まっていた梢を牙で器用に折って、転倒状態から復帰した俺に渡してきた。その枝を受け取り、右手でタップしてみると、小さなネームウインドウが出現し、アイテム名が記されていた。そこには小さく、《ミツマタの枝》と書かれている。
「これって……?」
読みすらわからずリウスに聞いた三椏なるアイテムで、ほぼ間違いないだろう。
「お前、言葉が通じるのか?」
俺の問いかけに幼竜は明確な返答を返すことはなかったが、その後も読めない漢字を何とかリウスに伝えながら、俺たちはせっせと祭事のためのアイテムを集めていった。
リウスの持つ謎の検索機能と思しき能力に助けられながら、俺たちは順調に村長の納品クエストを進めていった……順調とは言ったものの、集め終わったころには辺りは暗くなり、すっかり日が沈んでいた。もっとも、この村は高い山に囲われている構造上日が短いため、視界の端に表示された時計はまだ午後四時を回った程度なのだが。
俺が村に入ると、村の中央には巨大な焚火が置かれ、村人達が忙しそうに祭事の準備をしていた。すれ違う村人たちは、俺が村に初めて訪れた時と変わらず、俺を見るなり手を振ったり肩を叩いたりして歓迎してくれる。ついでにリウスは、またも子供たちに遊んで……いや、しっちゃかめっちゃかにされていた。あまりにも容易く部外者を受け入れてくれる様子が、ソロプレイを貫いてきた俺には少しむず痒い気もする。それでも、排他的な態度を取られないだけ運がいいと思いながら、俺はまっすぐ村長の下へ向かった。
キャンプファイヤーのような巨大な焚火を背に、村長は四方八方に指示を出していた。出会った時にはただ好々爺とした印象しか受けなかったが、炎を背に真剣な表情をしていると、村の長として選ばれるだけの貫録を感じる。
「村長さん!言われた素材、持ってきたぜ」
俺の声掛けに、村長は真剣な顔を崩さず、それでも物腰柔らかく対応してくれた。
「おお、間に合ったか、良かった。これで祭りに使う張り子が作れる。感謝するよ、剣士どの」
村長のお礼とともに、クエストクリアのファンファーレが鳴り響き、いくばくかの経験値とコルが付与された。すぐに村長が話を続ける。
「宿はすぐそこの空き家を使うといい。お主が森に行っている間に片づけは済んでおる。今夜は祭事ゆえ、夕食は存分に楽しむとよい」
クエスト報酬として宿と食事まで提供されてありがたい限りだが、俺は森に入る前からの疑問を村長に投げかけた。
「村長さん、今日の祭事っていうのは何のお祭りなんだ?」
「む、話しとらんかったか。今夜の祭りは《送り火の祭事》じゃよ」
「送り火?」
俺が聞き返すと、村長は深々と頷きながら解説してくれた。
「左様。……明日、この拠り地より青き星に飛び立つ竜がおるのじゃ。生命が燃え尽きるその最期の時を見送ることも、我ら守り人の使命なのじゃよ」
「ええと……青い星ってなんだ?それに最期の時って……」
「まあ、聞くより見る方が早いじゃろう。今しばし村で待っておれ。祭事を見れば、おぬしも我らの生き方を自ずと理解できようぞ」
「は、はあ……」
村長が語り終えると同時に、クエストログが更新されたが、そのログも「祭事を見届けよう」と、ヒントの欠片もない一文が表示されただけだった。その下には小さくタイマーも設置されている。表示された時間は二時間を切りながら、刻一刻とカウントダウンを進めている。おそらく祭事が始まるまでのカウントダウンだろう。少なくともあと二時間はクエストが進まないということらしい。
「仕方ない、レベリングでも……いや、このあたりモンスター湧かないんだったよな……」
まとまった時間があるのなら、下層の狩場でレベリングに勤しみたい頃だが、今回ばかりはそう上手くいかない。転移門もあるグランザムまで戻る道のりもわからない上に、たった二時間で山越え谷超えと往復できる気もしないのだ。
ふと上を見上げると、陽が落ちた空……いや、次層の底には満点の星空らしいテクスチャが広がっていた。村は活気こそあれど、夜のとばりが下りている。現在時刻は午後五時。普段の俺的攻略スケジュールに則れば最前線の攻略を終え、これから晩メシをたらふく食べて仮眠休憩と洒落こむ時間帯だ。そんなことを自覚してしまうと、ぐう~と腹の虫が鳴り始めながら、瞼がぐんと重くなる。我ながら本能に忠実だなぁと、破滅的な生活リズムに忸怩たる思いを抱えながら、俺は祭事の豪華な食事を楽しみにしつつ、安息の宿に足を向けた。
まだ眠っていたいのに、頭の上でふわふわとした何かが踊っているらしい。その踊る何かはちりちりしゃかしゃかと毛を振りかざし、俺の安眠を妨げてくる。そのうちふわふわは俺の胸に乗っかってきて、リズミカルに跳ね始めた。ぼすっ、ぼすっとみぞおちが穿たれ、それにすら飽きたのか、今度は俺のシャツの裾から腹に向かってもぞもぞと這い上がり始める。幾重にもやってくる安眠妨害の波状攻撃が、俺の至高の二度寝フェーズを強制終了に導いく。これが迷宮区で野宿をしているなら、間違いなくモンスター襲撃の合図だが、ここは安全な村。周囲にモンスターはいないはず。ならば俺の安眠を妨げる不届き者は……
閉じたくてたまらない瞼を、闖入者の確認のために最小限開くと、俺の目をのぞき込むように、竜特有の細い瞳を宿した赤い竜が、俺の襟からぴょっこり顔を出していた。どうやら俺を散々起こそうとしてきたのは、リウスだったらしい。俺と目が合うなり、俺が起きたのがそんなに嬉しいのか、きゅるう!と嬉しそうに笑う。
「ふふ……愛い奴め……」
無邪気なその振る舞いに自然と言葉が漏れる。服が伸びるのも気にせずに、(厳密には伸びるというより、服の耐久値減少が若干早まるだけだが)幼竜の頭をわしわしと撫で繰り回していると、宿の扉が、どん、どん、という雷のような音でびりびりと震え始めた。これは……太鼓の音?
そこまで連想して、俺はばっとクエストログを確認した。タイマーは残り一分。祭りの開始まで文字通り一刻の猶予もない。どうやら俺は目覚ましのアラームすらろくにセットせず寝入ってしまっていたらしい。現実世界ならもはや遅刻確定だが、そのあたりの面倒な身支度は全部簡略化されている、夢のような場所こそアインクラッドだ。リアリティを追求した茅場晶彦がこういう面倒なところまで再現しなかったことは、ゲームデザイナーとして非常に賢明な判断だったと言えよう。例え身支度をリアルに再現したとて、SAOを初日に買うほどの廃ゲーマー達が、まともに身支度をするかは知らないが。
宿の簡素なドアをダッシュの勢いで突っ切り、目の前で行われるキャンプファイヤーに向かって滑り込むようになだれ込む。タイマーはぴったりゼロへ。輪を成して宴を盛り上げていた村人たちは、遅刻寸前だった上に間に割り込む形になった乱入者すらも、たくましい腕でがっしり肩を組んで歓迎してくれた。少し離れたところで酒を酌み交わしていた村長が、酒をぐいっとあおり、俺に向かって杯を掲げた。
「お主!待ちわびたぞ!危うく出し物に遅れるところじゃったな!わーはっはっは!」
村長の豪快な笑い声に、炎を囲う村人がどっと笑った。遅刻者たる俺はただ恐縮して肩をすくめるばかりだ。主人の遅刻をなんとか防いだ功労者たるリウスも、火の精と見まごうようなきらめく赤毛をたなびかせ、炎の周りを誇らしげにぐるぐると飛び回っていた。
どんどん酒が酌み交わされ、次々に村中から集められたであろう、お待ちかねの御馳走が運ばれてきた。巨大な葉っぱでできた木の実やキノコの蒸し焼きや、アインクラッドではS級食材代表として名高い白米と、色とりどりの香辛料を使ったペッパーライス風の食べ物など、香り高く食欲をそそる料理が運ばれてくる。木でできた皿はどんどん空になり、皆一様にこの祭事、いや宴を楽しんでいた。アインクラッドで飲酒をしても、現実にある生身の身体にアルコールは一滴も入らないはずなのに、熱量にあてられて俺も過去に覚えのないほど盛り上がっていた。
いよいよ宴もたけなわといった頃、村長がキャンプファイヤーの正面に設営されたステージの上で、その枯れ枝のような身体を打ち鳴らすように宣言した。
「皆の衆!今日はこの宴に集まってくれたことを、心より感謝する!」
村長より杯が高らかに掲げられ、村中が沸いた。酒と満腹感に煽られ、俺も同調して拳を挙げる。村民と来訪者の盛り上がりに、村長は満足そうに続けた。
「これより!祭事の主たる……《送り火の祭事》を執り行う!」
村長の鬨の声に、それまで真っ赤な顔で豪快に酒を煽っていた村人たちの空気が、急速にボス戦前のような緊張感に包まれていった。とりあえず雰囲気を壊さないよう、俺も手に取ったキノコの蒸し焼きを一旦保留にして村長を見上げつつ、隣に座る村人に小声で声をかける。
「な、なあ。この送り火の祭事って何の祭事なんだ?」
「ああ、死にゆく竜を見送る祭事だよ。ほら、あそこに竜がいるだろ?」
村人はステージの奥、村を囲う山脈の頂上で黄昏れている竜を指さした。竜はその白銀の鱗を月光の下にさらし、何かを見据えるよう気高く屹立している。堂々たるその姿は、とても死にゆくものとは思えない神秘さを蓄えていた。あの輝かしい鱗はドレスのような……いや、まさしく死に装束なのだろう。
「彼は明日、自分の寿命を察して、青い星に挑みに行くんだ」
「その青い星ってなんだ?村長も言ってたけど……」
俺の疑問に、村人はかぶりを振って答えた。
「祭事を見ればわかるさ」
質問を続けようとした俺の言葉は、どん!とひと際大きく鳴らされた大太鼓の音にかき消される。
「祭事が始まるぜ、よく見とけよ。剣士さん」
そういうと、これ以上語ることはないといった様子で、村人も祭事の方へ向き直った。祭事の真剣な雰囲気を察したのか、リウスも上空から舞い戻り、俺の頭の上に着地して祭事を見届けようとしている。
村長が太鼓の音を背に、ステージから降りていく。その姿をかき消さんとばかりに太鼓の音は次第に威力を増し、祭事の始まりを予見させていった。村長の姿が完全に見えなくなると、村のあちこちから子供たちが厳かな表情で歩いてくる。皆一様に、紙でできた小さなランタンを抱えていた。子供たちはステージの周りに集まると、ランタンをもったままその場に座り込み始める。
どん!と太鼓が打ち鳴らされ、一斉に村全体が一瞬の静寂に包まれた。満点の星空と静まり返った村で、唯一巨大な炎だけがぱちぱちと音を立てて燃え盛る。
ぎしっ、という木の軋む音とともに静寂を破ったのは、ステージに誰かが上がる音だった。決して派手ではない、だがこの村では一度も見なかった白いベールのような衣装に身を包んだ、華奢な女性NPCが、恭しくステージに上がった。顔にはフェイスペイントがなされ、宝石のようにきらびやかな竜の鱗の装飾が、頭にのせられたティアラに施され、炎を反射して揺らめく。そのあまりにも美しく神秘的な姿に、俺は息を飲んだ。
「歌姫さま……」
村人たちはそういうと手の指を組ませ、クロスしたようなジェスチャーを取り始めた。この村で何かを拝むときのポーズだろうか。俺も一応同じポーズを取っておく。
村人たちに歌姫と呼ばれたNPCはさっと振り返り、月明かりに黄昏れる竜に一礼すると、華奢な体から発せられるとは思えないほどの声量で、厳かに歌いだした。その歌の歌詞は村独自の言語なのか、俺にはさっぱり聞き取れなかったが、透き通るような声と、相反するような声量に、ただ圧倒されるばかりだった。呆然としてただ歌姫の声に見惚れていると、視界の端から、和紙と竹でできた巨大な二つの張り子が、村の屈強な男たちに抱えられて運ばれてくる。悠々と翼を広げた深紅の竜を模したものと、星形の幾何学模様が描かれた筒状の張り子が、相対するように配置され、ランタンを持った子供たちがそれを囲うようにぱらぱらと並び変わっていく。
「この歌はな、この地の竜を弔う歌なんじゃ」
突然後ろから村長の声がして、俺は小さく飛びのいてしまった。村長は俺の方を見るでもなく、じっと祭事を見届けながら続けた。
「我ら守り人は、竜の旅立ちの前夜、こうして竜達の最期を見送るのだよ」
「あの……結局青い星ってのはなんなんだ?」
俺の質問に、村長は張り子たちを指して説明してくれた。
「竜と星が相対しておるじゃろう。竜は力を蓄え、己の死に際にこの地の厄災たる、青い星に戦いを挑むのじゃ」
「厄災……」
「本来、竜は竜自身が選んだ地で死に、その地で新たな命の苗床となるはずなんじゃ。しかし、青い星がこの地に現れてからは、竜は死地を選ばなくなった。故にこの地は豊かさが失われ、今や荒れ地と雪山が残るのみじゃ」
ここまで話を聞いて、俺ははたと気づいた。階層の歴史に深く根差した話が聞けるクエストということは、つまり。
「ボスクエだったのか……」
俺のつぶやきなど意にも介さず、村長は話を続けた。
「じゃが、竜が死地を選ばぬようになったことも、またこの地の自然。我らはそれを傷つけず、ただ傍観し、守るのみなんじゃよ」
言われてみればこの村に来てから、肉や魚と言った食材を見ていない。動物由来の素材を唯一使っていたのは、歌姫のティアラにあしらわれた鱗だけだが、おそらくこれも自然と剥がれたものを再利用しているだけなのだろう。つまり彼らのいう守り人とは、竜とそれを取り巻く自然を守るものという意味に違いない。
「竜に襲われたりしたときに、戦ったりもしないのか?」
素朴な疑問を何気なしに投げかける。村長は少しだけむっとした顔で答えた。
「命を傷つけることは、この村ではいわば禁忌じゃよ。もともとは、グランザムの者どもと隔絶した結果できた村じゃからな」
「俺ら旅人も、戦っちゃってるけど……」
「外部の者にまで我らの考えを押し付けることはせんよ。ただ、グランザムにいれば、我らの目の前で竜が殺されてしまう。さりとて軍まで整備した者たちに、我らが力で勝つこともできんでな。こうして、辺境の地で竜と暮らす生き方を選んだんじゃよ」
老体に鞭を打って話していたのか、ふうと息を切らせ、村長は最後に一言告げた。
「旅人よ、お主はグランザムの者のようになってはならぬぞ。ただ無為に命を狩り、巡るべき命を無に帰すようなものにはな」
いつの間にか祭事は佳境に入っていた。竜の張り子が青い星の張り子に対峙し、大きな翼の一振りで、星の張り子を吹き飛ばす。青い星は倒れ、竜はいななき、子供たちが一斉にランタンを宙へ飛ばす。主役であるはずの竜は、村の祭事のことなど気にも留めないように、山脈の頂上で気高く吼えた。
夜が明け、村人たちが祭事を終えた片付けに追われる中、竜は翼を広げ東の空に飛び立っていった。
***
あくる日、飛竜討伐隊と血盟騎士団の精鋭メンバーは、グランザムの西門に集結していた。血盟騎士団が到着した頃には、すでに門のいたるところに丸太を組んでできた柵や、角材でできた櫓が並び、飛竜を迎え撃つ準備が着々と進められていた。私はギルドメンバーに戦闘に備えた準備を指示し、ドルマ団長のもとに向かった。団長は、本部にいた時のゆったりした服とは正反対の鋼鉄の鎧を身に纏い、現場の兵たちに粛々と指示を出していた。
「ドルマ団長、血盟騎士団到着いたしました」
私の声掛けに、ドルマ団長は鋼鉄のブーツを高らかに鳴らしながら振り返った。
「待っていたよ。すでにこちらの準備は完了している。飛竜はおよそ三十分ほどで飛来するはずだ。準備は怠らないように頼むよ」
その言葉と同時に、私の視界に映るクエストログに三十分のカウントダウンタイマーが表示された。すぐにメンバーにタイマーの存在を知らせ、事前に汲んだ作戦通りに配置するよう促す。本作戦の私の役目は、クエストの受注者として、改めてドルマ団長に飛竜についての情報を収集することだ。
「ドルマ団長、そもそも飛竜はなぜグランザムを襲うのでしょう」
「うむ……現状飛竜についてわかっているのは、ほぼ毎回西から飛来することと、なぜか毎回気が立っていることだけでな。あとのことは何とも……」
「そうですか……」
「我らも調査をしたいところではあるんだが、あいにく度重なる襲撃に対処するので手一杯でな。近頃は襲撃の頻度も増していて、手に負えんのだよ」
「頻度が増している?」
「今はまだ、対処できないほどではないが……このまま増え続ければ、いずれ我々には対処できなくなる可能性も考えられる。それまでにこの現象の原因を突き止めたいところだがな」
襲撃頻度が増しているということは、それだけグランザムの襲撃イベントも発生するということだろうか。グランザム自体はシステム的に圏内とはいえ、クエスト中はその限りではない。念のため今回の作戦中はグランザムに下層のプレイヤーが侵入しないよう通達をだしているが、頻繁に起きるのであればギルドとしてだけでなく、攻略組全体としてグランザム防衛、または封鎖のために何らかの措置をする必要があるかもしれない。重要な証言として記憶しておく。
「アスナ様、そろそろお時間です」
後方で待機していたギルドメンバーから声がかかる。作戦の最終確認の時間だ。
「では私はこれで。共にグランザムの安全に尽くしましょう」
「ああ、頼むよ。作戦の成否は君たちの手にかかっている」
私はさっと踵を返し、ギルドメンバーのもとへ向かった。
ごく一部の例外を除き飛び道具の存在しないSAOでも、空中戦を仕掛けてくるモンスターは多数存在している。フィールドに登場する蜂などの小型昆虫系やコウモリ系のモンスターの場合は、武器の届く範囲内を低空飛行してくれることが多いが、ボス級のモンスターともなると、その前提はいとも容易く崩壊する。
飛竜と言われるだけあって、此度の襲撃者も高い飛行能力を持っていた。銀色に輝く鱗を陽光に晒し、燦然と舞う。敵意に満ちた双眸が、ぎっと眼下の兵士たちを睨むと同時に、竜の口元に邪魔者を焼き尽くさんとする火の粉が舞う。炎ブレスの予備動作だ。
「B隊、D隊とスイッチ!上空からのブレスに対処!」
すかさずB隊のメンバーが、盾持ち(タンク)主体のD隊の影に隠れる。一斉に盾が竜の正面に掲げられ、あっという間に防御姿勢が整った。
ごうっ!という炎ブレス特有の轟音とともに、D隊の盾にブレスが直撃する。歴戦の猛者の盾でさえ、巨大な火球の熱までは防ぎきれず、後ろで指揮をする私の頬をちりちりと焦がす。すかさずレイド全体のHPを確認するが、D隊全体が一割ほどの消耗に留まり、他のメンバーは無傷だった。竜はブレスの発射に体力を消耗するのか、武器の届くすれすれの位置でホバリングし、威嚇の体制に入った。
高い飛行能力を有するモンスターに対するセオリーは心得ている。投げ物系の武器で弱点を狙うか、長槍(スピア)や斧槍(ハルバード)などのロングレンジの武器で引きずり下ろすまでだ。
「C隊スイッチ!翼を狙って!」
「任せろぉ!」
C隊のリーダーであるサンザが、頼もしい返事とともに、愛用する木柄の十字槍(クロススピア)を掲げ、集団戦に適した単発技のソードスキルを放った。
SAOのクリティカルには《弱点クリティカル》と《真クリティカル》が存在することは、もはや周知の事実だが、《真クリティカル》の発生確率上昇に、木柄の武器が関わっているという情報は、攻略組の中でも比較的よく耳にするオカルト話だ。眼前のサンザは以前よりこの説の熱心な信者で、金属製に比べれば耐久値の劣る木柄を変えようとはしない。だが、その説を立証するかのように、彼の放ったソードスキルはひと際大きなダメージエフェクトを発生させた。
彼に続いて、盾を踏み台として長モノの使用者たちが一斉に飛び出し、色とりどりのソードスキルが天空を彩る。飛竜のHPゲージが目に見えて減少し、美しい銀の翼に血のような赤いエフェクトが散っていった。
翼を大きく損傷した飛竜が、呻き声をあげながら戦線の真ん中に墜ちた。これならショートレンジ武器でも攻撃が届く。
「A隊、全力攻撃(フルアタック)!」
本レイド最高火力を誇るA隊から、威勢のいい鬨の声が上がる。それに呼応するかのごとく、飛竜討伐隊のNPC達も支給されたのであろう鋼鉄の武器を振りかざし、少なくないダメージを飛竜に与えた。二段しかないHPゲージがぐんと大きく減り、瞬く間に二段目に突入し、それすらも消し飛ばすように連続して放たれるソードスキルが竜を薙ぐ。
ぐるおおおおっっ!!と飛竜が最大級の怒りを込めていなないた。同時に損傷したはずの翼を思い切りはためかせ、上空に飛び立とうと天を仰ぐ。風圧によるひるみとソードスキルの技後硬直でレイドメンバーのほとんどは動けない。先ほどの全力攻撃で、竜に残されたHPはあと一割を切っている。
「逃がすな!」
誰かがそう叫んだ時には、私はもう動いていた。左腰に吊られた愛剣《ランベントライト》を引き抜き、飛竜に向かって真っすぐと駆ける。
「盾!掲げて!」
飛竜が飛んだのを確認しようと、盾を下げたD隊メンバーに叫ぶ。目の前のタンクメンバーは、さすがの反応速度ですぐに手に持つタワーシールドを天に向かって掲げた。
己の敏捷度パラメータの限界まで加速し、盾を踏み台にして私は高く跳んだ。加速は慣性となり、竜の目に向かって身体が落ちていく。落下速度が最大に到達し、私はレイピアを担ぐように体を弓なりにしならせ、刺突の予備動作を取った。愛剣はすぐに答え、甲高い金属音を奏でて緑色の光の尾を伸ばす。最近細剣(レイピア)スキルの熟練を修練して会得した、最上位細剣技《フラッシング・ペネトレイター》
十分な速度が無ければ発動しないこの剣技は、ダッシュの慣性と自由落下で、容易に発動条件を満たしていた。彗星のように光芒を引くレイピアが、吸い込まれるように竜の目を直撃する、寸前。竜は大仰にその身を翻し、グランザムを標的から外した。思いがけない方向転換に、私の渾身の一撃はひらりとかわされてしまう。
「えっ……!?」
思ってもない回避に、驚嘆が漏れた。技を外した剣はその輝きを失い、身体は慣性を失って重力に従い始める。とっさに着陸姿勢をとった私は何とか落下ダメージを食らわずに着地に成功した。
竜は上空を旋回しながら眼前の敵を一瞥し、まだダメージエフェクトの残る翼を引きずるように、東の空へと飛び立っていった。
「逃げやがるぞ!」
血の気の多いギルドメンバーを、さっと手を挙げて制止し、私はドルマ団長の様子をうかがった。鋼鉄を纏う重戦士らしい彼は、飛び立つ竜に武器を構えるでもなく、後ろに手を組み竜を見送っていた。一言も発さず竜を見送る彼に、付き人がしびれを切らしたのか、団長、と小さく声をかける。はたと気づいた彼は、今も警戒を解かず武器を構えるレイドパーティーに小さく手を振って告げた。
「竜は去った。グランザム防衛は成功だよ。ご苦労だった」
その一言で、レイドパーティー全体の緊張の糸が解けた。わあっ!と歓声が上がり、皆が互いの健闘を讃えあう。実際、陣形の乱れもなく、最前線のボス戦とは考えられないほど順調だったと言っていい。クエストクリアのファンファーレが鳴り、メンバー全員にかなりの量の経験値とコルが加算される。ドルマ団長からは「約束の品だ。受け取り給え」と迷宮区タワーまでの地図が手渡された。
手短に感謝を伝え、ギルドメンバーに声をかける寸前、私は飛び立っていく竜の、小さな影を見やった。遠く、遠く、竜は迷宮区タワーの方へ飛び、影すらも見えなくなった時、迷宮区タワーの最上階付近で、青白い光が小さく瞬いているのが見えた。
***
「もう行くのかね」
祭事の主役たる竜を見送った俺は、宿で村を出る支度をしていた。この村の周囲には、モンスターが沸かない分、レベル上げには適さない。その上村の中でクエストが発生するわけでもなく、周辺環境自体が戦闘職のプレイヤーに適していないのだ。おそらくこの村は、生産職のプレイヤーが前線のレアな素材を安定的に入手できる採集拠点としての役割があるのだろう。それを示すかのように、村に唯一あった商店にはポーションや武具の類は一つもなく、代わりに草刈用の鎌やら鍬やらばかりが置かれている。
「ああ、この村には世話になったけど、俺も自分のすべきことがあるからさ。一度グランザムに帰らないと」
「ふむ……それならグランザムに続く抜け道を教えてやろう。また雪山の白竜に襲われてもかなわんじゃろう」
カッカッカッ!と笑う村長に、俺もつられて笑ってしまう。昨日の凛とした態度とは真逆の様子がどうにもツボにはまる。支度の最中俺の頭の上でずっと眠りこけていたリウスも、村長の笑い声に呼応してきゅるきゅると啼いた。
宿から外に出ると、祭事の片づけはほとんど終わり、村人たちにいつもの生活が戻っていた。日差しが山脈の間から差し、飛び立った命を祝福している。澄んだ空気がどうにも気持ちよく、俺は一瞬だけこの村にずっと留まりたいと思ってしまった。だが、俺の背にある剣がそれを否定する。昨日村長は、「よそ者に村の生き方を強要しない」とは言ってくれた。それでも、最前線のプレイヤーである俺に、この村で竜の命を見送る生活は似合わない。
村の広場で鬼ごっこをしていた子供たちが、俺の頭に乗るリウスを見るなり、わあっと声を上げて周囲を囲った。子供たちは口々に「もういっちゃうのー?」「あしたもくるー?」と言って引き留めに入る。俺は返答に迷って村長の方を見るも、村長はにこやかに笑ってこちらを見るだけだ。その顔はどこか面白がっているようにも見える。
「え、ええと……」
その時、子供たちに返事をするように翼をぱたぱたとはためかせていたリウスが、俺の頭からぱっと飛び立ったかと思えば、ホバリングしながら天を仰いで、一瞬首をすくめた。
皆の視線がリウスに集中する。リウスがその小さなアギトをくわっと開いた瞬間、その口から天空へ、小さな火の玉がぽんっと放たれた。火球はシャボン玉のようにふわふわと天に昇ったかと思えば、上空でぽん!と音を立てて弾けた。赤と青の火の粉が散り、小さな花火が夜明けの村に輝いた。
「わあーっ!」「リウスすごーい!」「始めて見たー!」と子供たちが歓声を上げる中。
「火炎ブレスとか撃てたの!?」
俺の盛大なツッコミに、リウスは愉快そうにきゅるきゅると啼いて、村人たちとの別れの時を彩った。
ざく、ざくと落ち葉を踏みしめながら、村長の背中を追う。来た時と反対の方向に進んでいくと、背に見えていたはずの村はあっという間に木々に隠れ、森の中には俺と村長と、その周りを楽しそうに飛ぶリウスだけになった。
ゆったりとした歩みで、抜け道を目指して歩く村長の足が、はたと止まり、俺に向き直った。
「そうだ、お主に聞こうと思っていたことがあったんじゃった」
少しだけ真剣な村長の目が、俺の目線にぴったり合う。
「旅の者にとって、昨日の祭事はどう見えた?」
真剣な空気を察したのか、リウスも村長の脇にホバリングし、俺のことをそっと見つめてきた。まるで試されているようなその問いに、俺は一瞬たじろいだ。なんせ、こういった感想を直接伝える場面は、俺のような廃ゲーマーかつコミュニケーション能力ゼロの人間にとって最も苦手とする分野だからだ。そもそも俺自身、感想文とか一言日記みたいな、自分が感じたことを言語化する能力に乏しい。例えば夏休みの読書感想文は、適当に選んだ本のあらすじを検索して、文字数を増やすテクニックを駆使し、既定の枚数に届くぎりぎりを攻め続けた記憶しかない。だからこそこの短い質問は、俺にとって最大級の難易度と言っていい。
「俺には……」
どうにも言葉が詰まる。けれど、村長の真剣な顔に、俺の意見を否定しようという様子は微塵も感じなかった。それどころか、どんな言葉すらも受け入れようと、にこやかに構えてくれている。考えてみればこの村長、いやこの村自体が、よそ者の来訪すらも容易く受け入れてくれる場所だった。今更何と言おうと排斥されることはない。
俺は自分の中にあった思いをそのまま吐露することにした。
「俺達剣士には、全部の命を守ることはできないよ。時には倒さないといけないことだって……いや、その方がずっと多いんだ。」
俺の言葉を、村長はじっと見つめて聞いている。俺は続けた。
「でも、ただ無駄に狩らなくても……あるべき自然を見守ることも大事なんだなって、思ったよ」
その返答はMMORPGというゲームの根底を否定することだということに、俺ははっきりと気づいていた。それでも、この世界で命と向き合う彼らの生き方を否定することはできなかった。俺たちにとっては仮想の世界だったとしても、彼らにとってはここが現実だ。彼らの生きざまも、生きる場所も、これからずっと守り続けていかねばならない。
俺の心境を知ってか知らずか、村長は満足そうに頷いた。
「うむ……わしらとて、旅の者に命を狩るなと言うことはせん。旅をすれば危険もあろう。お主が白竜に飛ばされ、ここにたどり着いたようにな。」
ふっふっふ、と愉快そうに笑い、村長は続けた。
「とはいえ、ただ無為に命を狩る者になってはいかん。命は本来、あるべき場所に還る。それはまた新たな命の依り代になり、それがまた朽ちて新たな命と成る。それが自然というものじゃ。この空も、大地も、その空はすべてつながっておる。ゆめゆめ、忘れてはならぬぞ」
村長はさっと翻り、低木に隠された、人の背丈ほどのトンネルを指さした。
「さて、この道を抜ければ、雪山の白竜には会わずグランザムへと往ける。洞窟には怪物もおるが……なに、お主とリウスなら案ずるような敵ではない。暗がりに迷わないよう気を付けるんじゃな」
「ありがとうな、村長さん。また遊びに来るよ」
「いつでも歓迎するとも。子供たちも、ずいぶんとおぬしらのことを好いておるようじゃからな」
俺達がトンネルに入る寸前、村長は背中を押すように俺たちにまじないのような言葉を投げた。
「おぬしらに、竜の導きがあらんことを」
俺達がトンネルの暗がりで見えなくなるまで、村長はずっと見送ってくれた。俺とリウスは、野営用のランタンとリウスの火炎ブレスの光を頼りに、暗い洞窟をひたすら進んでいった。
***
午前のうちにグランザム防衛線を終えた血盟騎士団一行のテンションは、過去に見ないほど最高潮に達していた。何せクエスト報酬の地図があれば、どんなギルドよりも早く迷宮区までたどり着けることが明白だったからだ。こういったテンションの高まりは、戦闘の士気を上げる反面、思ってもみないミスを誘発する。現場の指揮を預かる者として、時にはメンバーの高揚を落ち着かせることも必要となってくる。それはわかっているはずなのに、私は己の中の違和感に導かれるように、迷宮区タワーまでの攻略を開始していた。
その違和感の正体とは、あまりにもあっさりとしたグランザム防衛戦のことだ。あれほど大型の飛竜が相手だったにも関わらず、飛竜のHPゲージは二本しかなかった。その上、討伐を目前にして逃げられている。クエストのボス、しかもNPCの軍隊と共同戦線を組むほどの戦闘が、あれほど簡単に終わるはずがない。その証拠に、私の視界に映るクエストログには今も《抗う者たち》の表示がある。もっとも、今の表示は「会うべき人に会って話をしよう」という非常に漠然とした内容となっていて、取り付く島もないのだが。
そんなわけで、私はギルドメンバーのやる気のあるうちに迷宮区タワーを登り、青い光に向かっていった飛竜を追いかけることにした。無論、グランザムで最大限の準備をしたうえで、レイドパーティーから抜粋した数名の精鋭メンバーを連れている。
グランザムの門から迷宮区タワーまでは、曲がりくねった荒野の谷を延々と進む天然の迷路となっているが、ドルマ団長から渡された地図には、その最短ルートが赤字で記されていた。道中の戦闘を考えれば、グランザムからタワーまで片道三時間もかからないだろうと予想を立て、私たちは迷宮区タワーまでの道のりを、最大限の警戒をもって進行した……のまではよかったのだが。
「先程からモンスターがいませんね……」
「そうね……どうしてかしら」
パーティーメンバーが更なる違和感に気付いた。それもそのはず。グランザムから出て発生した戦闘は、片手で数えるほど。それも全てグランザムからそう離れていない場所で発生しており、迷路の中盤からはモンスターの湧出(ポップ)がストップしているかと錯覚するほど、モンスターの気配がない。
「先に進んでる人が軒並み狩りつくしている……とかでしょうか」
「考えられる要因としてはそうでしょうけど、それにしても異常だわ。人気のある狩場ならともかく最前線でモンスターの湧出(ポップ)なんて、よほどの高火力メンバーを一極集中でもさせない限り考えられない」
他の例外として、フィールドにモンスターが出現しない階層や、マップ構造的に安地が広いためモンスターが沸いていることに気付かないケースなどが考えられるが、どれも可能性は低い。だが、私には一つだけ心当たりがあった。竜が飛び立った先に瞬いていた、あの青い光である。心当たりと言っても、あれほど巨大な竜の向かった先であるなら、迷宮区タワー周辺のモンスターも引き寄せられているのではないか、という荒唐無稽な考えだ。無論根拠に乏しく、あくまで私の想像の域をでないが、それでもイレギュラーの要因として考えられるならば、迷宮区タワーに向かってみる価値はある。
「……行きましょう。道中にモンスターが出ないなら願ったり叶ったりよ」
私は不思議がるメンバーの肩を叩き、先を急いだ。
片道三時間という見積もりは、モンスターの出現がないという不可思議な状況のおかげであっさりと打破され、私たちは片道二時間を切る驚異的スピードで迷宮区タワーに到着した。グランドキャニオンのような周囲の様子が見えにくい谷底の道を突破し、タワーの最下層に到着した私たちが見たのは、
「どういうこと……⁉」
それまでの荒野が嘘のような、あまりにも豊かな大自然が広がっていた。木々の葉は冴え冴えとした緑に艶めき、木々に成る実も美味しそうに熟れている。不気味なほど美しい花畑が広がったその中心には、白みがかった巨大な物体が埋まっていた。その形はどう見ても、何者かの頭骨と、その翼が白骨化したものだ。
「これって……飛竜の骨?」
防衛線の最後、間近でその双眸と交えたからこそわかる。先刻に戦った飛竜とは別個体だろうが、なぜこんな場所に飛竜の骨があるのだろうか。しかも、この骨は完全な状態ではない。近くで見てみれば、大きく欠損している箇所が複数あるし、そもそも翼の骨が片翼の分しか見当たらない。しかも、私から少し離れて探索していたメンバーが、そこかしこから「アスナ様!こちらにも竜の骨が!」「こっちにもあります!」と、次々と発見報告を上げてくる。ざっと数えただけでもその数は片手では数えられないほどだ。古いものも新しいものも混ざって、もはやこの場所は竜の墓場と言っていい。
不意に、私の隣にいた女性メンバーが「ひっ……」と小さな悲鳴を上げた。
「何?どうしたの?」
「アスナ様……上……」
「上?」
すぐに彼女の視線の先を追う。迷宮区タワーによくある、コンクリートのような石造りの壁がずっと続いている……はずだった。タワーの五階に相当するあたりまでは。
「何よ……あれ……」
タワーの六階あたりからは、タワー全体を真っ黒の巨大な甲が螺旋状に覆っていた。いくつも連なる甲殻の隙間からは、体躯に比べやや小さく見える節足動物のような多脚が無数にくっついて、時折小さく蠢いている。そのムカデを思わせるフォルムは、おぞましいの一言に尽きる。
「あれがボスだっていうの……?」
その体躯に、私は慄くしかなかった。過去幾度とないボス戦においても、あれほどの巨躯を相手取ったことはない。油ぎってギトギトと黒光りする漆黒の甲殻が生理的嫌悪を発生させる。あんな身の毛のよだつようなボスに、私たちは勝てるのだろうか?
「アスナ様!タワーの入り口、発見しました!」
上空に巣食うムカデにまだ気づいていないメンバーが、新たな道を見つけて報告してくれる。例えボスがどんな姿でどんな大きさであろうとも、私達攻略組は解放の日のために戦い続けなければならない。頭ではそうわかっていても、私はムカデから目を離せないまま、歯切れの悪い返事を返すしかできなかった。
パーティーメンバー全員がムカデを直視しても、迷宮区タワーに挑もうという流れになったのは、攻略組としてのプライドというよりメンバー全員に宿るMMOプレイヤーとしての意地によるものだったと思う。そうでなければ、おぞましい巨大ムカデが巻き付いたタワーに入ろうなんて、誰が言い出すだろうか。
発見された入り口から迷宮区タワーの内部に入った私たちは、迷宮区の様子に今日何度目かの困惑を示した。フィールドに続いて、迷宮区タワーにすらモンスターの気配がなかったのだ。その上壁やら天井やらには、相当な純度の高さがうかがえる水晶が所狭しと生えており、薄暗いはずの迷宮区タワーが反射光でまぶしい程になっている。
一度も戦闘になることなく、迷宮区タワーの十階までたどり着く。おそらく迷宮区の中ボスクラスがいたのであろう大広間は、ひとっこ一人……いやモンスター一匹すら見当たらない。代わりに、巨大な水晶が集まって壁のように生え、中ボスがいたであろう場所以外を塞いでいた。本来、迷宮区タワーはアインクラッドの階層の高さ制限である百メートルに則り、二十から三十階層程度に制限される。一部の階層には中ボスクラスのモンスターが出現することがあり、フィールドの一部に住まうフィールドボス同様、中ボスを倒さなければ先に進めない造りだ。つまり、タワーの十階にたどり着くということは、迷宮区を少なくとも三分の一は踏破したことになる。
「これは……どういう事なんでしょう……」
メンバーの一人が独り言つが、誰も正解など返せるはずもない。こんながらんどうの、しかも不自然なほどに煌びやかな迷宮区は、これまでにも覚えがない。かつて六層で迷宮区タワーのモンスターを片っ端から薙ぎ払って駆け上がるセアーノさんを、キリトやアルゴ達と共に必死に追いかけた時ですら、モンスターのリポップによって、それなりに戦闘は発生していた。例え、攻略組が全員集まってモンスターを一掃したとしても、この状況を作れるのはせいぜい五分くらいのものだ。
「少なくとも、異常事態であることには間違いないわ。モンスターも水晶もね」
「原因っておそらくあの外のムカデ……ですよね」
「まず間違いなくそうでしょうね。あれ以外にイレギュラーは無いもの。……問題は、現象の理由よりも、あんな甲殻と巨体のボスをどう倒すか……ね」
周囲を歩くギルドメンバーが一斉に頷く。迷宮区タワーと同等、あるいはそれ以上の体長を誇るボスなど前例がない。これを攻略組全体に報告した時に、会議で流れるだろう絶望的な雰囲気が目に浮かぶ。迷宮区にモンスターがいないことがせめてもの救いだろうが。
迷宮区踏破は、過去に類を見ないほどのスピードで進んでいた。当然ながら、モンスターがいないためである。数回、壁や天井に生えた水晶が、何らかの衝撃で崩れて降ってくるという事故こそあったが、パーティーの先頭にタンク職と長モノ武器の使用者を置き、降ってきそうな水晶を事前に除去、危なくなったら盾で防ぐという配置にした結果、被弾は最小限に抑えられた。
命の危険どころか、ポーションの使用すらなかった迷宮区攻略も、あっという間に終わり、私達の目の前にはフロアボスの部屋に続く巨大な扉が重々しく姿を現した。その扉は艶やかな黒曜石で造られ、芸術家ロダンの「地獄の門」を彷彿とさせるような禍々しいレリーフが、数えきれないほど彫られている。周囲に生える水晶の純度もひと際高く、日光など全く入らないはずなのに、まるでそれ自体が発光しているかのようにきらきらと輝いている。総じていえば、オブジェクトが《重い》のだ。五十体を越えるフロアボス戦を体験すれば、ボス部屋に続く道の様子だけで、ある程度ボスの力量を測れるようになってくる。そして、これだけのオブジェクトが配置されているボスは、ほぼ例外なく強敵だったのは言うまでもない。
「アスナ様、どうします……?」
これまでのボス戦では基本的に、先遣隊がボスに挑みHPを可能な限り削ってパターン変化までを確認してから、本隊がボスに挑むという流れが基本だ。故に、ボス部屋まで確認できた時点で、私たちの成果は十分以上と言っていい。賢明な判断をするならば、この場でパーティーの撤退、および先遣隊の派遣を要請すべきだ。だが、長くこの城で戦い続けた私の勘は、直感的に一つの結論にたどり着いていた。
おそらく、このボスは大きさからしても相当な強敵だ。巨大な敵というのは、その巨体を活かすべく広範囲攻撃や回避の難しい攻撃を多用してくる傾向にある。そのため、回避主体のシーフ職では対処しきれない可能性が考えられる。こういう場合は盾装備や防御力を高くしたタンク職が攻撃を「受ける」という戦法が基本となってくる。そして、今このパーティーにはタンク職やロングレンジ武器によるCC(クラウドコントロール)、私自身を含めたDPSという非常にバランスの取れたメンバーが揃っており、ここまでの道中にほとんど消耗していない。いつ何時この迷宮区にモンスターが沸くかわからない状況で、一切の消耗無しにボスの偵察ができるのは僥倖ではないだろうか。
「全員に確認です。転移結晶は準備できていますか?」
「えっと……まさか、挑むんですか?あの大ムカデに……?」
一人のメンバーが怯えた表情を向けてくる。その恐怖は当然のものだが、私にはこのタイミングでボスに挑むだけの、確かな根拠がある。
皆の転移結晶の所持状況を確認し、私は副団長としての判断を表明した。
「今後、迷宮区にモンスターが沸かない保証はありません。一切の消耗無しにボスに挑めるチャンスがあとどれだけあるかわからない以上、今の私たちはボスに挑むうえで最高の環境にいると言っていいでしょう」
皆が私の最後の宣言を待った。私はひとつ、大きく息を吸って、宣言した。
「これより、第五十五層フロアボスの偵察を始めます」
「了解!」
信頼できるギルドメンバーの返事は何よりも頼もしい。私は早速、各メンバーにそれぞれの役割の確認を始めた。
十分後、私たちのパーティーは、目の前の禍々しい扉を、静かに押し開けていった。本来、迷宮区タワーは窓のない完全な閉鎖空間になっており、ボス部屋の扉を開ける時は、完全な暗闇に突入することになるはずだ。だというのに―――扉を開けた先は赤々とした夕刻の陽が差していた。迷宮区の最上階は外壁が一切ない構造になっており、周囲には石造りの柱だけが、外周部に等間隔で天井まで伸びている。天井は次層の底そのものであり、巨大な水晶がつららのように垂れ下がっている。その様子は、一言でいうなら水晶に彩られた巨大な鳥かごだ。その鳥かごの中にボスの姿は見当たらない。
「ボスは———」
どこ、というセリフは、タワーの下層から聞こえるぱき、ぱきという音に遮られた。巨大な何かが私たちの立つ床を揺らし、その接近を予感させる。じわじわと不快な破壊音は近づいていき……不意にさっと陽が翳った。巨大な影がパーティーメンバー全員をすっぽりと影に覆う。影の主を見上げれば、タワーに張り付いていた甲殻の主が、多脚をうねうねと這いまわらせながら最上階の鳥かごに昇りつめていた。黒光りする甲殻がばきばきと音を立てながら、巨躯を見上げる私たちの視界に陣取った。頭と思しき部分が、少しのけ反ったかと思うと、先端に青白い光を蓄え始める。おそらく、これは。
「ブレス攻撃よ!盾構えて!」
指示と同時に青白い閃光が視界を灼いた。盾持ちのプレイヤーが何とか踏ん張ってビームを真っ向から受け止める。鳥かごの一部がばらばらと音を立てて崩れ、巨大ムカデが入れるだけの空間が出来上がった。柱を破壊してできた穴から、ボスの巨大な頭が入り込んでくる。鳥かごに住まう小鳥を丸呑みにせんと姿を現したボスの頭には、どす黒い血のようなカラーカーソルと、六段にも及ぶHPゲージ。そして、煌々と輝く白文字でその名が綴られていた。【The Blue Bellwether】———ザ・ブルー・ベルウェザー……青き先導者、とでも言おうか。
閃光が止まりボスの全体像が見えた時、ムカデと思っていたその生物は、想像とかけ離れた姿をしていた。ムカデらしい平坦な体に円柱状の頭が不格好にくっついており、目のような器官は見当たらない。頭部は、胴体の甲殻似た黒光りする鱗に覆われ、巨大な口らしき器官は、クレーンのように三方向に開く構造をしている。口、というよりは何かを掴むための腕のようにも見える。
ギュルゥ……オオ―――ン!!!という人工物のような咆哮がパーティーメンバーの耳朶を打つ。
「戦闘、開始!」
私の合図に、メンバーの鬨の声が重なって、ボスにすら負けない雄叫びとなって響いた。
***
村長に教えられた洞窟は、光源の一つない全くの暗闇に包まれていた。世界初のVRMMORPGであるSAOにおいて、暗闇というのは原始的な恐怖を引き起こす。その上、左手が光源の所持で固定されてしまうため、盾持ちや両手武器の使用者は光源を床に置いて戦わなければならず、暗闇による視界不良の影響をもろに食らってしまう。俺のように片手がフリーの場合は幾ばくかましだが、それでも普段の姿勢と異なる動きになってしまうこともあり、慣れないプレイヤーだとソードスキルが失敗(ファンブル)することもある。そういった危険を避けるために中層プレイヤーの間では、暗闇の多い階層は避けてレベリングをすることもあるのだとか。
俺も攻略組として暗闇で戦闘をする場面も多く、その分こういった戦闘に慣れてはいるものの、やはり照らしていない方向から何かが追いかけてきているのではないかという恐怖は常に付きまとう。今思えば、かつて隣にいた暫定パートナーの存在は大きかったと思う。もちろん戦闘力においてもそうだが、心細い瞬間に隣に人がいるという状況がどれほど頼もしいか。失えば失うほど、それが心に突き刺さる。
暗い洞窟の冷たい空気に引っ張られるように、心の欠片が沈んでいく。冷え切った指先に、リウスの小さな炎ブレスの熱が伝わる。光源確保のためにいたるところに火の粉を撒いてくれていたリウスが、いつの間にか俺の肩に止まっていた。口元から小さな炎がちりちりと漏れている。まだ幼いためか、炎の制御ができていないのだろう。
「ほら、口元から火出てるぞ」
そう言ってまだ牙も生えそろっていない口元を撫でようと手を出した。口元の火にすら気づいていない幼竜は、撫でられるのが嬉しかったのか、口元を拭おうとする俺の手のもとに、ぐいぐいと頭を挟もうとしてくる。
「違うって。口のとこ拭くんだから」
愛嬌ある仕草に自然と笑みがこぼれる。そういえばずっと昔、まだ妹の直葉とも仲が良かったころは、好物を嬉しそうに食べる妹の口元をよく拭ってやったものだ。あの頃はまだ俺達兄妹も仲が良かった。十歳のころ、俺が住基ネットの抹消記録に気付いてしまったあの日までは。
自分という存在が大きく揺らいだあの日から俺はずっと、誰とも共に在らず、という生き方を貫くようになってしまった。現実世界では目の前にいるのが誰なのか、この人は本当にこの人なのかという疑問が常に頭の中に居座ってしまい、人との関わりを築くことすらできず、皆が仮面をかぶって生きるネットゲームの世界へと逃げ続けてばかりいた。デスゲームで生きることになってすらも、この精神性が変わることはなかった。結果、俺は最初にできた友人を見捨て、俺に信頼を寄せていた少女までも見殺しにして今に至る。たった一人、共に生きた細剣使いがいるが、彼女も今は隣にいない。
そんな俺が、今更ペット……いや、テイミングモンスターと共に生きる資格などあるのか。隣で構ってほしそうに羽を揺らす幼竜を見つめる。リウスは今自分に向けられる視線の意味など、まるでわかっていない様子でごろごろと喉を鳴らしていた。
この幼い竜は、出会ってからまだ一度も戦闘を経験していない。火炎ブレスこそ吐けるが、小さい花火になるほどの威力では、はっきり言って大した役には立たないだろう。モンスターが襲って来た時には俺が守ってやるしかない。効率だけでいえば、テイミングなどせずに置いていった方が良かったのは間違いない。それでも、俺がこの竜をテイミングしたのは成り行きだけではない、と思う。あれほど人を遠ざけた俺すら、誰かに一緒にいてほしいと心のどこかで思っているのかもしれない。その証拠に、先の全く見えない暗闇でも、リウスがいるというだけで、こんなにも心穏やかに歩めているのだから。
村で自然と共に生き、竜と共生し、互いに認め合って生きる姿を見て、俺もすっかり感化されてしまったらしい。
―――せめてこの層にいる間だけは、この竜を守り抜こう。
俺の決心がついたころ、トンネルの少し先には、小さな光が見えていた。どうやら物思いにふけっているうちに、いつのまにか出口までたどり着いてしまったらしい。肩に止まったリウスも、出口の光を見て嬉しそうに啼いた。ここを抜ければグランザムは近い。俺はリウスと頷きあい、出口への歩みを速めた。
***
「HPゲージを一段削ったら、パターン変化を確認後撤退とします!皆、隙を見て後退!」
フロアボスの偵察は想像以上の苦戦を強いられた。それもそのはずである。このボスは定冠詞の前に固有名詞の存在しないボスだからだ。
アインクラッドのボスモンスターは大きく三種類に分類される。一つは、二層の《ブルバス・バウ》や四層の《バイセプス・アーケロン》のような定冠詞のつかないボス。次に一層の《イルファング・ザ・コボルドロード》や五層の《フスクス・ザ・ヴェイカントコロッサス》のような固有名詞と定冠詞の組み合わせのあるボス。そして、六層の《ジ・イレーショナル・キューブ》や十二層《ザ・ストリクトハーミット》のような固有名詞を持たないボスだ。
これまで幾多ものボスを屠ってきて、死を間近に感じたボスは数知れないが、その多くは固有名詞を持たないボスだった。この命名パターンのボスは世界観設定上、名を口にすることすら恐れられ、長い年月の間に忘れ去られてしまったということになっている。それだけ、固有名詞を持たないボスは強力だというわけだ。
目の前のムカデボスもその例に漏れず、強力無比なモンスターだった。頭を覆う鱗は見た目以上に堅牢で、その上頻繁に剣の届かない高さに上がってしまうため、攻撃できるタイミングが限られてしまう。それでも、攻略組でも指折りの精鋭達はゆっくりとだが着実にHPゲージを削っていき、何とか六段のゲージのうち一本を削りきる寸前までこぎつけた。パターン変化の有無だけでもわかれば、ボスの情報として申し分ない。
タワーの外に出ていたムカデの頭が、おもむろに大きくのけ反り始めた。頭部叩きつけ攻撃がくる予備動作だ。
「叩きつけが来るわ!衝撃波回避!」
タンクは盾を構え、それ以外はジャンプの姿勢に入る。ボスがぐわんぐわんと頭を振ったと思えばぴたっとその動きを止め、重力に身を任せて頭部を振り下ろした。ビターン!という痛々しい轟音と共に、全方位に向けて衝撃波が走る。全員が避けきったのを横目で確認し叫んだ。
「全力攻撃(フルアタック)!削り切ったら後退!」
色とりどりのソードスキルがボスを薙ぎ、HPゲージがほんのわずかに減るが、それだけでも、一段目を削り切るには十分なダメージが与えられた。ボスは再び、狂乱しながら咆哮する。耳をつんざくような轟音がやがて止まり、ボスは鳥かごのようなこのフロアから頭を抜いた。そのまま私たちに向かって攻撃してくると思いきや、ボスは私たちに向き直るでもなく、吼えた口をそのまま大きく開け、口元に青白い光の玉を作り始めた。これまで見てきた攻撃とは、明らかに様子が違う。
「回避と防御に徹して!」
指示を飛ばし、私自身も剣を横向きに構えて防御姿勢を取った。頭部叩きつけや単純なビーム攻撃とは次元の違う攻撃が来るに違いない。
けれど、私の懸念は突然の来訪者によって驚愕へと変わった。
空の向こうから、ばっさばっさと風を制する音が聞こえ始める。音はボスの青い光に引き寄せられるように近づき、次第にパーティーメンバーとの会話すらままならないほどの大きさに代わる。さっと夕日が翳り、巨大な影が私たちをすっぽりと覆った。夕日の逆光に照らされながら、外周部に現れたのは、銀の鱗をきらめかせた巨大な巨大な……。
「飛竜!?」
銀の竜、おそらく私たちがグランザムで撃退した個体だろう。翼はぼろぼろに破け、カーソルの横に浮かぶHPゲージはほんの数ドットを残して削られている。乱入した竜は私たちを一瞥すると、ボスの光に向かってよろよろと飛び始めた。その姿に私達と対峙した時の雄々しさはない。まるで操られたように飛ぶ姿は、飛んで火にいる夏の虫のようだ。
飛竜を誘うように、ボスの口には青白い光は妖しく輝き続けていた。煌々と光るそれに、飛竜が誘われ、光に触れる寸前―――。
ばきぃっ!という音と共に、ボスの口が閉じた。同時に、飛竜だったものが辺りに散る。私たちが呆然とする中、美しかった銀の鱗は目を背けたくなるような貪食の餌食となり、赤いライトエフェクトに塗られていく。
メンバーの一人がうっ……とえずいた。それ以外のメンバーは、衝撃的な展開にもはや逃げることすら忘れて足が止まり、目を離すことすらできない。
ばきぼき……ぐちゃぐちゃ……という音と凄惨な捕食の影が夕暮れ時のボス部屋に映り、ごくん、という音と共に止まった。食事に夢中だったボスの頭がゆっくりとこちらを向く。そこまで来て私ははっと気づいた。捕食シーンの凄惨さに気を取られていたが、よく見ればやっとの思いで削ったはずのHPゲージが回復している。その上、ボスの右半身の鱗が変形し、まるで泡立つようにぐじゅぐじゅと音を立て徐々に質量を増し……やがて頭の隣にもう一つの頭が、そっくりそのまま完成した。
「ひっ……」
誰かから短い悲鳴が上がった。無理もない。ナーヴギアのレーティングには、少なくとも十八歳以下使用不可という制限はない。そのため、各種描写も適度にデフォルメ化されており、どんなに悲惨な戦闘だろうと、血や肉片を見るようなことはない。
それにも関わらず、今私たちの目の前で起きている現象はグロテスクの一言に尽きる。しかも画面越しにのみ描写される過去のゲームとは違い、ここは仮想世界だ。その臨場感は、たとえグロ描写に慣れているものでも耐えがたいものとなる。
「こんなの……無茶苦茶だわ……」
パーティーメンバー全員が蛇に睨まれたカエルのように固まってしまっていた。双頭となったボスは、機を伺っているのか、二つの頭をゆらゆらと動かしながらこちらを見ている。
この状況ではとても統制の取れた退却など不可能。私はとっさにそう判断した。
「全員、転移結晶で離脱!グランザムに集合!!」
半ば悲鳴じみた指示を、メンバーたちは流石のスピードで実行に移した。あるいはこの指示を待っていたとも言えるが。
転移結晶は緊急離脱にはもってこいの代物だが、転移中に攻撃を受けると転移がキャンセルされてしまうという、ちょっとしたデメリットが存在する。そのため、戦闘中に使う場合はブレイク・ポイントを作ってその隙に離脱するか、仲間に守ってもらう必要がある。故に私は一人、リーダーとしてメンバーが安全に離脱できたことを見届け、双頭のボスに対峙した。増殖した頭部、三叉に開く口、飛竜を呼ぶ青白い光。どれも生物の行動とは思えない、いや、思いたくない。原始的な恐怖に鼓動が速まっていくのを感じながら、細剣の切っ先を揺らし、隙を伺う。
刹那、ボスの頭の片方が動いた。天を仰ぎながらゆらゆらと頭部を揺らし始める。形態変化前にしてきた頭部叩きつけモーションの予備動作だ。それと同時にもう片方の頭もゆらゆらと頭を揺らし始める。頭部叩きつけは衝撃波が発生するため範囲は広いが、それなりにボスにも負担があるのか、頭を上げなおすのに少し時間がかかる。本来は攻撃のチャンスなのだろうが、今は離脱に専念すべきだ。
双方の頭が時間を空けてぴたっと止まり、風を切る音とともに巨体を振り下ろした。タワー全体を揺らすように、その質量が叩きつけられ、衝撃の波状攻撃が私に向かってくる。複数重なる可能性がある衝撃波は、個々にジャンプで回避しようとすると着地点で被弾のリスクがある。敏捷度パラメータの限界速度で走りぬき、衝撃波が交差する点に急いだ。衝撃波が無情にも私を追い詰め、私の身体に接触し被弾判定となる寸前、私は床を蹴り、勢いを殺さぬよう壁際に生えた柱に二歩目を出し、力任せに蹴り上げた。
ふわり、とボス部屋の隅で己の身体が宙を舞う。衝撃波は宙返りする私の髪をすれすれですり抜け、柱に激突し消えた。残るは頭を叩きつけて軽いスタン状態のボスだけだ。私はすぐに腰のポーチから淡い水色の転移結晶を取り出して、着地の寸前、すぐに転移のコマンドを口にした。
「転移!グランザム!」
ボス部屋の床に落下していく視界が、青白い光に包まれボスの姿が掻き消えていく。私が完全に視界が包まれる寸前、スタンの解けたボスは、逃げてゆく敵を未練がましく見つめいていた。
***
洞窟を抜けグランザムに到着した俺は、街がやけに浮足だっているのを肌で感じた。グランザムを旅立った日は、この街はもっと冷え切っていて、人の暖かな営みなど感じられない街だったはずなのに、周囲には転移門広場の周辺で、いくつものパーティーと思しき集団が酒を酌み交わし、笑顔で食事を楽しんでいる。しかもそのメンバーの半数近くが、純白の騎士服に深紅の十字架を背負っている。間違いなく血盟騎士団のメンバー達だ。ざっと見ただけでもギルドメンバーの半数近い人数がいるというのに、そこにアスナの姿は見えない。まあ、鬼の副団長サマが、ギルドメンバーが狩りにも行かずに酒盛りしているのを見たら、卒倒の後大目玉であろうことは想像に難くないので、何らかの用事があって不参加なのだろうと推測される。
こういうギルドメンバー間の飲食代って経費で落ちるのかな……などと、血盟騎士団の財政事情に思いを馳せていると、近くに座っていた血盟騎士団のメンバーが声をかけてきた。
「おおい、ブラッキーさんよォ!残念だったなぁ。今回のフロアボスはウチがもらったぜ!遅かったな!」
SAOの酒にはアルコール分は一滴も含まれないはずなのに、そのメンバーは血盟騎士団のお堅い印象とはかけ離れた陽気さで、ジョッキ片手に俺の肩を組んだ。リウスのことは言及されると面倒なことになりかねないので、コートの内側にさっと隠す。
「ど、どういうことだよ。ボスをもらったって……」
「今俺らの副団長様御一行が迷宮区に挑んでんのよ!もうじき戻ってくる頃だぜ。今回は指くわえて見てるんだな、ブラッキー!」
俺と組んだ肩を解き、背中をバシバシ叩きながら高らかに笑う彼をよそに、俺は迷宮区の方を見やった。アスナなら無謀な挑戦はしないだろうが、それでも未知の迷宮に向かったという情報は、それだけで不安を加速させる。コンビを解消してもなお、俺の中ではずっと、初心者の頃の彼女がいるのだ。どれほど彼女が強くなったとしてもこの気持ちは消えないだろうと、今でも思う。
夕日をバックに屹立するタワーを見つめていると、不意に後ろでおおーーっ!という歓声が沸く。と思えばすぐにその声は沈み、不穏などよめきに変わった。次第に、広場にいた血盟騎士団の面々がぞろぞろと広場の中心に集まっていく。俺も嫌な予感に引かれ、後を追うように集団に近寄ってみた。
広場の中心に表れたのは五人の血盟騎士団メンバーだった。彼らの表情は一様に、酒盛りしていた連中とは全く正反対の悲痛と絶望に満ちた表情となっている。おそらく、迷宮区に挑戦したメンバーの帰還だろう。そしてそこに、アスナの姿はない。
酒盛りメンバーの一人がどよめきの中から、帰還した彼らに問うた。
「だ、大丈夫かよ。何があった?」
帰還メンバーは悲嘆に濡れた顔を上げ、労わってくるメンバーを制して答えた。
「俺たち……フロアボスまでたどり着いて……ボスにも挑んだんだけど、あいつ回復するし、増えるし、もう無茶苦茶だ……」
途端に周囲から、「回復……?」「増える……?」などと不穏なワードが繰り返された。でも、俺が気になるのはそこではない。SAOのパーティーメンバーは最大で六人、迷宮区を突破するのに、フルパーティーにならないなんてことは安全上ありえない。そして、今帰還したのは五人。あと一人足りない。俺の中に、その一人がアスナであろうという絶対的な確信があった。血盟騎士団のメンバーでもないのに、俺は不安に突き動かされるように叫んだ。
「あと一人は……アスナは!?無事なのか!?」
「えっ、あ、アスナ様は……」
その叫びが届いたのかはわからないが、帰還した五人の後ろに、青白い光の柱が立ち上った。誰かがテレポートしてきたのだろう。真ん中にはテレポートの主であろう人影が見え……ん?あの人影、横倒しになっていないか?
光が急速に収縮し、人影だけが取り残され、ぽーんと弾き飛ばされように俺の目の前に突っ込んできた。栗色にたなびく髪と純白と深紅に彩られた騎士服。間違いなくアスナだ。一瞬ほっとしたのも束の間、なぜか横倒しに吹っ飛んできたアスナの身体を受け止めることもできず、己の全身で着地のクッションになる羽目になった。
ずさあああっと埃を巻き上げて、なんとか俺はアスナの下敷きになりつつ、無事アスナに伝わるであろう衝撃を、最小限に抑えることに成功した。当の副団長様は相当打ちひしがれたのか、俺の上から動いてくれない。SAOでは筋力パラメータの値に関わらず、人を押してどかすなどの行為は(一部例外を除いて)できないため、人の下敷きになった時は本人にどいてもらうしかない。
「アスナ……大丈夫か?」
俺の呼びかけに、アスナはめまいでもするのか、目元を抑えながら答えた。
「ええ……大丈夫……みんなは無事……?」
「帰還したメンバーが五人なら、全員無事だよ。それはそうとどいてくれませんかね……?」
「そう……よかった……ん?」
目元を抑える手を取ったアスナと目が合う。数秒固まったアスナは、《閃光》の異名に違わず、超高速で周囲を見やり、自分を見つめるギルドメンバーと自身の真下に倒れる俺の姿を認識した。そして、みるみるうちに顔が真っ赤に染まり……。
「なっ……きっ……そっ……」
という奇怪な音を発した。おそらく、「なんでキリト君がそんなところにいるのよ」と言いたいんだろうが、もはや言葉すら出ていない。すぐに凄まじい速度で俺から飛び降りたアスナは右手の拳を握りしめ、これだけははっきりと聞こえる大音量で叫んだ。
「きっ……キリト君の……バカ――――――ッ!!」
ハイレベルプレイヤーの代表たる副団長の拳は、俺を容易に吹っ飛ばし、数メートル先に置かれた、ギルドメンバーの酒盛りをひっくり返した。
俺のコートの中で二度ももみくちゃにされたリウスから、抗議の声が上がりそうになるのをなんとか宥めつつ、俺はアスナの様子を伺った。
彼女は副団長としての威厳を取り戻さんとばかりに、ギルドメンバーに指示を飛ばし、酒盛りメンバーには下層でのレベリング、帰還メンバーには休息を取るよう言い渡し、その場からの解散を宣言。すぐにヒースクリフへ状況の報告をメールで手早くまとめ、その返答を待ち、しばらくのやりとりの後、ようやく肩の荷が下りたようなほっとした表情を見せた。この手際の良さと責任感は、さすが長く副団長を務めあげただけあると素直に感心してしまうほどだ。
ギルドメンバーがそれぞれの指示を全うするため、転移門広場から姿を消すと、アスナはふーーっと長い溜息をついて、後ろにいた俺に、それはそれは言いにくそうに話しかけた。
「えっと……キリト君。さっきはその、ごめんなさい。あなたがキャッチしてくれたのに、吹っ飛ばしちゃって……」
ばつの悪そうにしている副団長様がどうにもいたたまれなくて、俺も口ごもりながら返した。
「いや……まあ、俺も結局ちゃんとキャッチできたわけじゃないからさ。そういう事故もあるよ、うん」
「そう……ね。でも、申し訳ないからご飯くらいおごらせてちょうだい」
「いいけど、俺この街のレストランとか全然知らなくて……」
俺の返答に、アスナは意外そうな表情を浮かべた。
「キリト君にしては珍しいわね。いつも食べ物の話しかしないのに」
「いやあ、この層に来てからちょっと用事で下層に降りたり、別の街にずっといたりしたからさ。ここで食事する機会がなくて」
「へえ……この層にグランザム以外の街なんて見つかってたのね。それなら、その話を聞きつつごはんにしましょ。お店は……あそこでいい?」
アスナが指さした先にあったのは、先程俺が店先の酒盛りテーブルをひっくり返した店だった。
幸い、店はNPCの経営するレストランで、店先に置かれたテーブルをひっくり返す迷惑な客も、嫌な顔一つせず迎え入れてくれた。もっとも、あのちゃぶ台返しは俺のせいではないのだが。
ちゃぶ台返しの主犯とともに、案内された店奥のテーブルに着きメニューを見るが、内容は至って代わり映えのしない欧州田舎料理風の名前が並んでいた。俺たちは適当な料理を注文し、NPCレストランらしく、すぐに運ばれてきた前菜たちをつつきながら話し始めた。
「……そういえば、なんでアスナは転移門から吹っ飛んできたんだ?」
「ギルドでフロアボスの偵察をしたのよ。でも思ったよりも強敵で、攻撃を避けながら結晶で離脱したら、そのまま……」
転移結晶や転移門は、ワープ時にプレイヤーの姿勢や慣性を直接反映するという特性がある。そのため、何らかの理由で追いかけまわされたプレイヤーがダッシュのまま転移門に飛び込み、道行く通行人を巻き込んで衝突事故を起こすことが、最前線では度々発生する。まれに街中で見るたび、俺もいつか巻き込まれるんじゃないかと思うが、痛みもダメージもないのでその時はその時だ。まあ、例え事故でも、プレイヤーの九割を男性が占めるこの世界で、あまり密着はしたくないが。
「なるほどな……まあ、ピンチの時は姿勢がどうとか言っていられないし、しょうがないさ」
事故のことをこれ以上蒸し返すと、また副団長サマの鉄拳制裁が飛んできかねないので、俺はすぐに話題を変えることにした。
「ところで、アスナが帰ってくる前に、ギルドの連中が不穏なこと言ってたけど、どういうことなんだ?なんかボスが増えたとか回復したとか……」
先刻の不穏なワードを話すと、さしもの副団長様も状況を憂いたのか、不安げにうつむいてしまった。
「あとで連絡が来ると思うけど、明日フロアボス攻略会議が行われるわ。そこで聞くことにはなると思うけど……」
そう前置きしながら、彼女はおぞましいボスの特徴を羅列していった。
「この層のボスは迷宮区の下層から最上層までべったり張り付くほど巨大なムカデよ……と言っても、頭は蛇というか、ヤツメウナギというか、口がぱかっと開く触手みたいな感じだったんだけどね」
そう言って彼女は中指と薬指を親指にくっつけ、狐のような形を作ってぱかぱかと開閉する。こういう口の開き方をするモンスターは少なくはないが、総じてそういうモンスターは気持ち悪いという印象を受ける。身体がムカデならなおさらだ。
「HPゲージを一段削った時に、急に口を大きく開けて青白く光り出したの。そしたら、今日グランザムで戦った竜が誘われたみたいにふらふら飛んできて、ボスが飛竜を……」
「ん?ちょっと待ってくれ。グランザムで飛竜と戦ったってどういうことだ?」
俺の慌てぶりに、アスナはややきょとんとした様子で俺を見た。
「グランザムには西の方から一定の周期で飛竜が飛んでくるのよ。やたら気が立ってる割には弱くて、グランザムの飛竜討伐隊と共同で街の防衛をするクエストがあるの。今日は倒す寸前に取り逃しちゃったけど、ボス戦で飛んできたのは間違いなくおんなじ竜だったわ」
「……その竜が来たのは、今日のいつ頃だった?」
「今日の午前中よ。そうじゃなきゃ、午後に迷宮区踏破なんてできないわ」
何かが繋がりそうな予感に突き動かされるように、俺は矢継ぎ早に質問を飛ばした。
「竜が来た方角は?あと、竜の特徴は何かなかったか?」
俺の怒涛の質問攻めに、アスナは律儀に答えを返す。
「グランザムの西からよ。特徴らしい特徴は……銀色の鱗が綺麗だったことくらいしかないわね……ねえキリト君、いったい何なのよ。そんなにボス戦したかったの?」
彼女の呆れたような言葉は、俺の耳には入って行かなかった。代わりに俺の中で、アスナから得た情報の点がどんどん線になっていく。グランザムの西から現れたやけに弱い銀色の飛竜、青白い光を放つボス、そして、《送り火の祭事》……。
竜がもし、青い星に立ち向かうのではなく、ただ餌にされているのだとしたら……?
祭事の時、村長の言った言葉が脳裏をよぎる。
―――竜が死地を選ばぬようになったことも、またこの地の自然。我らはそれを傷つけず、ただ傍観し、守るのみなんじゃよ。
これが……。
「自然だって、言っていいのかよ……」
「キリト君、大丈夫……?」
呼びかけにはたと気づいたときには、目の前に座っていたはずのアスナが訝しげに俺の顔をのぞき込んでいた。
「ああ……うん。大丈夫……その、飛竜のことなんだけどな……」
「飛竜の?討伐のためのクエストなら、ギルドリーダーしか受注できないからキリト君だと受けられないかもしれないけど……」
「いや……そうじゃなくて。その竜はたぶん、今朝俺たちが送り届けた竜なんだよ」
「送り届けた……ってどういうこと?もしかして、キリト君がグランザムにいなかったのって……」
察しのいいアスナに肯定の意を示しながら頷き、俺は雪山の向こうに生きる守り人と飛竜の生きざま、そして送り火の祭事について話し始めた。
「……つまり、拠り地の人たちは、竜がフロアボスに挑んで、この層の厄災を終わらせようとしていると思っているのね。でも実際は……」
「ボスの光が何らかの作用で竜を呼んで食べて、頭が増えたり、回復したりして手に負えなくなってるってこと、だな」
俺の返答に、アスナは手早く身支度し始めた。
「……だとしたらボス攻略を急がないと。これ以上頭が増えたりしたらもう手に負えないわ」
「ま、待った待った。ボス討伐を急ぐって言っても、途中で竜が飛んできちゃったらただの消耗戦だぜ。せめて、竜を止める手段がないと」
「止める手段ならあるわよ」
アスナはそう言いながら右手でメニューを開き、クエストログを可視化して俺の前にスライドした。そこには《抗う者たち》というクエスト名と「会うべき人に会って話をしよう」という、なんともヒントに乏しいガイドが表示されていた。
「さっき話したグランザム防衛戦のクエスト、まだ完全なクリア状態じゃないのよ。おそらく、グランザムのドルマ団長に今回の件を報告すれば、きっと協力してくれるはずだわ」
「グランザムの……もしかして、街中を歩いている軍隊にか?」
「ええ、飛竜討伐隊ね。この街を襲う飛竜の居場所がはっきりしたなら、彼らも協力してくれるはずだわ。……おそらく、飛竜を殲滅することになるでしょうけどね」
「それだけはだめだ!」
そのまま振り向いて出ていこうとするアスナに、俺は反射的に叫んだ。背に刺さった叫び声に、彼女の足が止まる。
「……NPCでも、モンスターでも関係ない。彼らだって、生きてる。少なくとも意図して人々を傷つけているわけじゃないんだ。グランザムを襲ったのだって、何か理由があるはずなんだ」
「そうかもしれないけど、モンスターにいちいち同情しているわけにもいかないわ。私たちの目的はフロアボスを倒して次の層に行くこと。それを達成するためには、プレイヤーの命以外に犠牲にできないことなんて無いわよ」
アスナの言葉が店の空気を冷たく凍らせていく。彼女は決して間違ったことは言っていない。だが、俺の中で、それは相容れないものだった。まるで、彼女の判断の中に何か大切なパラメータが欠落しているような、そんな気がするのだ。
「これ以上悠長なことは言っていられないわ。もし、明日も年老いた飛竜がボスに誘われてしまえば、今以上にボスが強くなることも考えられるのよ。少なくとも明日には、ボスを突破しないと取り返しがつかなくなる」
「だけど……だけど、何かあるはずなんだ。じゃないと、俺が拠り地で見たものは……」
「拠り地のクエストがどんなものかは知らないけど、私のボスクエストと違ってそっちはただのクエストだったんじゃないかしら。階層テーマに合致していても、ボス攻略に影響しないクエストだってあるでしょう」
クエスト、という言葉が俺の中で一瞬引っかかった。そういえば、アスナの受けていたクエストにそっくりな名前のクエストを、俺も受けている。しかもそのクエストは”まだクリアされていない”。とっさに俺はメニューを開き、クエストログを見た。そこには、アスナが見せたログと全く同じ、「会うべき人に会って話をしよう」という文章が綴られている。
「これ……これなら、村のやり方で竜を止められるかもしれない!アスナ!」
勢いに身を任せ、アスナに俺のクエストログを可視化して見せる。だがアスナはちらりと一瞥しただけで、すぐにそれを突き返してきた。
「でも、拠り地の人々は飛竜と戦う手段が無いでしょう?いざというとき、どうやって飛竜を止めるのよ」
「それは……」
またしても正論を突き付けられてしまう。確かに拠り地の人々に、竜と真っ向から戦う力はない。いざ竜がボスに誘われ、それを無理に止めようとしたとき、村の人にはなす術がないだろう。だが、俺は討伐隊による殲滅作戦だけはどうしても容認できなかった。村長に答えた「あるべき自然を見守ること」に反している、ひいては村長と拠り地のみんなを裏切るような気がしてならない。だから今、アスナの提言を止めることは俺の責務だと、その思いだけが今の俺を動かしていた。
「それでも、殲滅だけはだめだ。この層の人々が、自然が、全部だめになるかもしれないんだ」
俺の必死な様子に、店を出ようと数歩進んでいたアスナが、はあ、とため息をつきながらつかつかとブーツを鳴らして戻ってきた。俺は、また正論で言い返されて、今度こそ何も言えなくなるのではないかと、ぎゅっと目をつぶってその時を待った。
だが、アスナが言い放った言葉は、意外なものだった。
「だったら、どちらも協力すればいいんじゃないかしら」
「……えっ」
「私のクエストもキリト君のクエストも、名前とかログが似通ってるじゃない。もしかしたら何か関係性があるかもしれないわ。もちろん、三層のキャンペーンクエストみたいに、完全な敵対関係になる可能性もあるけど、敵対する前に協力する方向で動いた方が妥当だわ」
「アスナ……」
「お互いの攻略のためにはこれが最善でしょう。もちろん、解決策が得られなかった場合は殲滅作戦に切り替えるわ。それでも良いわね?」
「ああ……ありがとう、アスナ」
血盟騎士団の副団長であり、攻略の鬼とまで言われる今のアスナにとっては、この提案は最大限の譲歩と言っていいだろう。なにせ、飛竜の殲滅は嫌だというのは完全に俺のわがままなのだ。
「それなら、お互いパーティーを組みましょ。明日の攻略会議までに両方のクエストを進めないと会議にならないわ」
てきぱきとメニューを触り、スムーズにパーティー申請が飛んでくる。一層でパーティーメンバーの名前の見方すら知らなかったあの頃からは考えられない成長だ。その分、彼女が失ってしまったものも多いように感じるのは、俺の気のせいだと思いたい。
パーティー申請を受諾し、俺も出発準備を急いで整えた。
「まずはグランザムに行こう。ここから近いし、軍にも営業時間とかあるかもしれないしな」
「軍に営業時間も何もないでしょ」
冷静なツッコミを飛ばして、アスナはすたすたと歩き始めていた。凛とした彼女の歩みにコンビ時代を思い出しながら、俺は急いで後を追った。
グランザムの飛竜討伐隊の本部は、街中でひと際大きく、それでいて堅牢な建物だった。門の周囲には陽も落ちたというのに二人の門番NPCが構えており、本部というより要塞といった様相だ。軍の規律と統制を重んじる軍の在り方は、俺のようなはぐれ者とは無縁のものであり、ソロだったら絶対に近づかないのだが、数歩先を行く副団長様はそんな俺の思いも露知らず、勝手知ったる様子でどんどん進んでいってしまう。
門をくぐり、階段を上り、すれ違った兵士達の敬礼になんとなく会釈を返しながら進んでいくと、突き当りにひと際警備の厳しい扉が見えた。アスナがちらりと振り返り、小声で忠告してくる。
「ここがドルマ団長の部屋よ。NPCとはいえ失礼のないようにね」
「わかってる。色々話してみて、村の人と協力できないか聞いてみるよ」
「ええ、交渉は基本的にキリト君に任せるわね」
数回ノックをして、団長の部屋に入ると、いかにも高そうなジャケットと深紅のマントを羽織った人物が、夜にも関わらず大量の書類をデスクに積み上げ、何やらうんうんと唸っていた。その姿は、傍からみると残業中のサラリーマンを彷彿とさせる。俺のような学生ならともかく、社会人のプレイヤーがこの姿を見たら何を思うのだろうか。
残業サラリーマン改めドルマ団長は、突然の来訪者に驚きつつも、笑顔で対応してくれた。
「こんばんは、アスナ君。こんな夜更けにどうしたのかね」
「こんばんはドルマ団長。夜分に突然の来訪、失礼いたします。実は、襲撃してくる飛竜の出所がはっきりしまして、そのことで彼から話が」
そう言って、彼女は目配せしながら、俺にドルマ団長の視線を譲った。ドルマ団長がこちらに向き直る。瞳の奥に厳しさを宿すその感じは、血盟騎士団の団長、ヒースクリフを初めて見た時の顔つきによく似ていた。もっとも、彼とボス攻略戦以外でまともに話したことすらないが。
部屋の空気がいくらか寒くなるような静寂を裂くように、俺は交渉を始めた。
「初めまして、ドルマ団長。キリトと言います。アスナの、ええと……せ、戦友です。今日はお願いがあってきました」
緊張でなんだか変な言葉遣いになってしまったが、隣に立つアスナから特にツッコミは無い。
「ほう……アスナ君の戦友とあらば信用しよう。して、お願いというと?」
「西に住む、拠り地の人々と協力して、明日いっぱい竜がグランザムに来ないように戦ってほしいのです」
単刀直入な俺の言葉に、ドルマ団長はぴくっと眉を上げた。
「拠り地……か。あの場所の者たちと我々は相容れないと思うが?彼らはただ見守る者、我らは狩る者だというのに」
「……確かにそうかもしれません。けれど、飛竜たちは守護獣に何らかの方法で誘われて、あの場所から天柱の塔に向かって飛んでいき、餌にされてしまいます。せめて明日、俺たちが守護獣を討伐する間だけでも、飛竜を食い止めてほしいんです」
俺の訴えに、ドルマ団長はふむ……と少し首を傾げた。
「ならば、飛竜を殲滅すればよかろう。我々からすればその方が容易い。この地にいる飛竜を狩りつくすのに、君たちの協力があればそう長くはかからんはずだ」
それに、と一呼吸おいて、団長は厳しさを強めて続けた。
「守り人のような、軟弱な思想に取りつかれた者たちに、今更我々から差し出す手はないよ。彼らは人々ではなく竜を守ることを選んだ。そして我らは竜ではなく人々を守ることを選んだ。相容れぬ思想同士、協力などできようはずもない。以上だ」
ふん、と鼻息を漏らし、彼はこれ以上話すことはないかのように書類に目を戻してしまった。
確かに、グランザムの人、それどころか軍をまとめる長である人物からすれば、拠り地の人々は戦いから逃げたように映るだろう。けれど、俺は知っていた。剣を取るだけが守ることではない。そのことを、守り人の人々の生き方から教わった。
俺は息を深く吸い、堂々たる姿勢でドルマ団長に向き直り、つぐんだ口を開いた。
「グランザムの方からすれば、守り人の生き方は軟弱に見えるかもしれません。けれど、俺は見たんです。竜と共に、傷つけあわずに生きる彼らの姿を」
ドルマ団長は顔を上げてはくれない。けれど俺は伝えるべきことを伝えた。祭事で見たことを反芻するかのように。
不意に、俺のコートの裏に隠していたリウスが、俺のシャツの内側に入り込み、もぞもぞと這い出て襟からぴょこっと顔を出した。静まり返った部屋に、きゅるう!という可愛らしい声が響き、二人の視線が一点に集中する。
「キリト君、その子……!?」
「飛竜……!?」
二人の驚嘆を受けても、何のことやら、と言いたげなリウスの頭を撫で、俺は幼気な竜を抱えて話を続けた。
「剣を取らずとも彼らは村を、ひいては街を守ることだってできた。この子が俺と共にいても、ここまで誰も傷つけなかったことがその証拠でしょう」
街に幼竜がいたことが相当な衝撃だったのか、ドルマ団長もアスナも固まってしまった。これ幸いと俺は言葉を続けた。
「命を守る選択は決して軟弱なんかじゃなかった。方法が違っただけなんです。けれど今は、守り人と飛竜討伐隊の両方の力がなければ、守護獣が倒せません。俺たちに、どうか力を貸していただけませんか」
同時に、俺は深々と頭を下げた。不意に、隣で固まっていた俺の言葉を聞いていたアスナがこほんと咳払いし、一歩前に出てドルマ団長に進言した。
「ドルマ団長。私もあなたと同じように、飛竜を殲滅すべきだと考えていました」
頭を下げたままの俺は冷や汗をかきながら、アスナの言葉を聞いた。雰囲気を察知したのか、腕の中にいるリウスも不安げにくるる……と啼き、短い首をすくめる。
「ですが今、改めて考えました。我々は本当に竜を殺す必要があるのか、人と竜の存在に、違いがあるのか……正直、私にはわかりません。けれど彼のいう、方法が違っただけという点においては間違いではないと思います」
そう言って、アスナも俺と同じく深々と頭を下げた。
「私からもお願いです。どうか、力を貸していただけないでしょうか」
しばしの静寂が部屋に戻る。クエスト受注者が提言したからか、ドルマ団長は「頭を上げたまえ」の一言と共に、俺たちにもう一度視線を向けた。
「君たちの言い分はよくわかった。だが、それは私の一存で決定できるものではない。守り人の村長にも話をすべきだろう」
そう言って団長は書類の山を置き、いそいそと着替えを始めた。マントを脱ぎ、手元には武器の用意がされていく。
「五分後にもう一度来てくれ。これより竜の拠り地に向けて出立する!……キリト君、アスナ君、道案内と護衛を頼もうか」
威勢のいい一声に、俺も力強く返事を返した。腕の中にいたリウスもくるるぅ!といなないて片翼を上げる。心なしか、隣にいるアスナがほほ笑んだような……気がした。
本部を出たころにはとっくに夕日は沈み、空……ではなく次層の底には満点の星空エフェクトが表示されていた。アインクラッドは地面の真上にほぼ同面積の次層の天井があるため、本来星は見えない。何かしらの光源が設置されているのかと思いきや、一部の高山に登るなどして天井を近くで見ても、そういったものは何もないコンクリートじみた石の天井になっているらしい。とはいえ、ゲームの世界にいちいち理屈をつけること自体、野暮とも言えるし、実際カップルの間では、現実ではなかなか見られない満点の星空がみられるとして好評なので、深く考えないで置いた方がいいともいえる。それに、もう少し歩けば暗いトンネルに入るため、そもそも星は見えない。
俺とリウス、そしてアスナとドルマ団長は、竜の拠り地にいる守り人に会うため、夜道を行軍していた。もうずいぶんと夜も更け、ナファ村長が起きているかもわからないが、明日の攻略会議に間に合わせないといけない以上、最悪の場合村長を叩き起こすこともやむを得ないだろう。
俺の隣を歩いていたアスナが、傍らに飛ぶリウスを見上げて、俺に問いかけた。
「キリト君……いつの間にテイミングなんてしてたのよ」
「えっと……拠り地に飛ばされたときにこいつが出てきて、前にビーストテイマーの子から聞いてた餌を上げたら当たりだったっていう……」
「……相変わらず運のいい人ねえ」
アスナが呆れたようにため息をつく。何かを感じ取ったのか、俺の傍らでぱたぱたと羽ばたいていたリウスがアスナの周りをぐるりと旋回押して、彼女の肩に止まった。
「ちょっと、くすぐったい……!」
そう言いつつも、ふわふわの綿毛に撫でられるのが気持ちいのか、アスナは攻略の鬼という異名にはふさわしくないような、まんざらでもない笑顔を浮かべていた。構ってもらえるのが嬉しいのか、リウスもごろごろと喉を鳴らして甘える。アスナの笑顔が、星空にも負けないほど輝いて映った。
俺とのコンビを解消してそろそろ一年。いつしか《攻略の鬼》《副団長様》など、その恐ろしさを例えるため、実に様々な異名が語られている彼女だが、俺の中ではどうにもしっくりこない。俺とコンビを組んでいたころも、宿屋で理不尽に果物を投げつけられたり、国境線を越えて朝食のおかずを献上することになったりと、ヒジョーにコワい思いをしたものだが、その頃のコワさとは何かが違う。レストランで彼女を説得した時に覚えた違和感がよみがえる。彼女の中にあるはずの、大事なパラメータが欠落してしまったような、そんな気がしてならない。
俺が違和感に悶えていると、後方から「あの洞窟かね」と渋い声が届いた。ドルマ団長が指す先には、俺が拠り地から抜けてきたトンネルがぽっかり口を開けている。
「ああ、あれだよ。あのトンネルを越えたら拠り地はもう近い」
「へえ……こんな抜け道、攻略組が見つけられないとは思えないんだけど……」
「もしかしたらクエストを受けないと開かないタイプの抜け道なのかもな。RPGにはよくある仕掛けだよ」
「そのうち下層にレベル適正帯を外れたダンジョンが、うっかり開いてないか確認しないといけないかもね」
「SAOはそういうお約束の隠し要素とか外さないからな……」
コンビ時代を思い出すようなやり取りに、懐かしい思いを馳せながら、俺たちは暗闇の洞窟に足を踏み入れた。
トンネルの中は相変わらずモンスター一匹出てこなかった。俺はすでに一度通っている道だったこともあり、特に疑問には感じなかったが、隣にいたアスナはきょろきょろと不安そうな様子で歩いていた。
「アスナ、この洞窟はモンスター出ないから安心して良いぜ。俺の索敵スキルなら、少なくとも襲われる前に対処できるし」
この一言で安心させられると思ったが、彼女からの回答は思っていた不安と真逆の内容だった。
「うん……いえ、むしろここもモンスターが沸かないのね」
「ここも?」
「ええ、私達が今日迷宮区を踏破してフロアボスの部屋を見つけたって話をしたとき、キリト君何か感じなった?」
そう言われてレストランで情報共有した時の記憶を引っ張り出したが、確かあの時思ったのは……
「やけに早いな、とは思ったよ。けれどボスクエに何かヒントでもあったのかと思ってスルーしてた」
「確かにあの谷底の迷路を突破する地図はもらったけど、それだけじゃないの。迷路の途中からモンスターが沸かなくなって、迷宮区に至ってはボス部屋まで一切の戦闘が無かったのよ」
「戦闘が一切無かった?」
「ええ、その上迷宮区の真下だけ異常なほど自然豊かで、しかもボスはあんな見た目だから、落差でおかしくなりそうだったわ」
訳が分からない、と言いたげなアスナの横で、俺は村長の言葉を思い出した。
―――命は本来、あるべき場所に還る。それはまた新たな命の依り代になり、それがまた朽ちて新たな命と成る……。
「……もしかしたら、階層中のモンスターがみんなボスに喰われた後なのかもな。だから、ボスから落ちたおこぼれで迷宮区周りだけ自然があるのかも……」
「確かにあの場所、飛竜の骨がいくつもあったわ。キリト君の言うことも、あながち間違いじゃないのかもね」
「そのあたりも、村長さんに聞いたら何かわかるかもしれないぜ。何より、モンスターがいなければ攻略も楽だし、ボスが食べる相手がいなければ竜を止めることに集中できるはずだ」
俺の即物的な物言いはアスナにとっては安心材料になったようで、「それもそうね」という彼女の返答は、どこか柔らかな印象を受けた。一人と一匹では長かった洞窟も、隣に話せる相手がいるだけでずいぶんと早く感じる。気づけばトンネルの先を、星々の光が優しく照らしていた。
トンネルを抜けた先は満点の星空の下ほのかにキノコたちが輝き、艶やかな緑を蓄えた木々の葉がそれを反射していた。夜更けとは思えないほどの明るさに、アスナから「わあっ……」と小さく歓声が上がる。力強く伸びる幹の奥には、小さくオレンジ色の光が揺れていた。おそらく村の中心にあったキャンプファイヤーの光だろう。
「まだ村人は起きてるみたいだな」
「なら急ぎましょ。NPCが寝ちゃったらクエスト進行不可能になっちゃうかもしれないし」
言われずとも、自然と三人の足が速まる。今朝ナファ村長と歩いたときは、村長のまったりとした歩みに合わせていたが、足腰の強い若者二人と軍のトップたる人物の歩みにかかれば、平和で危険のない森などあっという間に抜けることができた。
村の中心には赤々としたキャンプファイヤーが揺らめき、村全体を暖かな熱が包み込む。村全体はまだ眠りにつかず、村人たちは家族や友人と食事を囲み楽しげに談笑していた。村が炎のような活気に満ち、グランザムとは正反対の人間味あふれる村がそこにはあった。同じ層の居住地だというのにこれほど雰囲気が異なるのは、ひとえに、それぞれの街が持つ生き方の差異だろう。
燃え上がるキャンプファイヤーのすぐ横には、村長が屈強な男たちと座り込み楽しげに酒を酌み交わしていた。ざくざくと土を踏みしめて近づいていくと、村長はすぐに、俺を見つけて俺を盃を掲げて歓迎の意思を示してくれた。だが、俺のすぐ後ろに立つドルマ団長を見るなり、まるでゲームがフリーズしたかのように固まり、途端にその表情が険しくなっていく。
「お主……その後ろの者は?」
穏やかな団らんから一転、剣呑な目つきになった村長にひるみつつ、俺はドルマ団長を紹介した。
「この人は飛竜討伐隊のドルマ団長だよ」
「なぜ、この地に飛竜討伐隊を連れてきた。我らはグランザムの生き方とは隔絶したと言ったろう」
何か言いたげに前に出ようとする団長を手で制し、俺は村長に事情を話した。
「村長さん、実はさっき俺の仲間が青い星の正体を突き止めたんだ。」
俺の言葉に、村長と屈強な村人のどよめきが重なる。村長も訝し気な様子で聞き返してきた。
「……なんじゃと?」
「青い星っていっても星なんてもんじゃない。でっかいムカデが飛竜を誘って餌にするための光だったんだよ」
どよめいていた村人の一部から、小さく悲鳴が上がる。
「そのムカデはずっと竜やらほかの生き物を独占し続けているんだ。村長さんの言ってた通り、そのせいで今、グランザムの周りすら生き物が全然いないんだよ」
「それは、飛竜討伐隊の者がここにいることと、何か関係があるのかね?」
ここからが正念場だ。村長を説得できなければ飛竜殲滅作戦は免れない。そうすれば、この村の存在すら危うくなる。その思いは、自然と俺の声に張りを持たせた。
「俺たちは明日、青い星……いや、大ムカデを討伐する。そのために、拠り地のみんなに飛竜討伐隊と協力してほしいんだ」
「協力……?」
どよめきは次第に大きくなり、周囲の声はやがて怒号にまで発展する。当然だろう。なんせこの村は、命を傷つけることを禁忌としている。飛竜討伐隊に良い印象を持つ者なんて一人もいない。罵倒を受けもはや爆発寸前のドルマ団長を、アスナが後ろで制している。もはや一触即発だ。
―――やっぱり、どちらかのクエストしかクリアできなかったか……
レストランでアスナの話した懸念が泡沫のように浮かぶ。俺とアスナのクエストは、本来敵対ルートになる、あるいは同時クリアの不可能なクエストだったのだろう。この怒号の嵐は、その懸念を体現するには十分だった。
諦めてグランザムに戻ろうと決意する寸前、ナファ村長は手に乗せた盃をぐっと飲み干し、はあ~~っと大きくため息をついてうなだれた。その様子に、村人の怒号が次第に静寂に変わる。うつむいた村長は、いつにも増して低い声で呟いた。
「我らに、自然を断ち切れというのかね」
重く、低い声はなおも続けた。
「我ら守り人は、自然自身が選んだ道をただ見守ることを信条としておる。人の介在しないことこそ、自然なのじゃ。外部の者に強要せんとは言ったが、我らが協力するとなれば話は別。そこの、命を狩る者とともに星を倒せばよかろう」
これまでずっと見てきた、村長の暖かでおおらかな雰囲気はもはやどこにもない。冷たく、部外者を排斥しようとする視線だけがそこにあった。彼に武器があれば、俺はとっくに斬られていただろう。
ふう、とため込んでいた息を吐き、彼は零れるように呟いた。
「……主は、あの祭事を見て、あるべき自然を守ることを知ったろう。ならば、わしらの在り方も知ったはずじゃ。なのに、なぜ今それを反故にする。人間とは、ただ、見守る者であるべきなんじゃよ」
それまでの力強い拒否の態度から一転、村長はもの悲しげな視線を俺に送った。その言葉に俺自身も、村を去るときに得た学びがよみがえる。確かに俺は、あの時村長に伝えた。あるべき自然を見守ることも大事だと。だけど俺にとってのあるべき自然は、ただ飛竜がボスに貪られるものだとはどうしても思えなかった。いや、思いたくなかった。死地を見定めて飛び立ったあの美しい銀色の飛竜が、ボスに誘われた餌に過ぎなかったと、受け入れたくなかったのだ。
「確かに俺も、あるべき自然をそのままにすることも大事だって言ったよ。でも、飛竜がボスに喰われることも、層のモンスターがみんないなくなることも、全部が自然だって言えないと思うんだよ。そんなことになれば、俺たちも今ある命もみんな生きられなくなる」
自分の気持ちをそのままの形で紡いでいく。いつの間にか村長も村人も、アスナに制止され続けていたドルマ団長すらも、俺の話を真剣な表情で聞いていた。
「俺たちも、自然の一部なんだ。だから、命を奪うことも守ることも俺たちの役目なんだよ。これまでは見守ることが、今からは倒すことが、命を守ることなんだ……と思う」
広場には、炎の火の粉を散らす音だけが控えめにその静寂の中で鳴る。
「だから、どうか拠り地の皆の力を貸してほしい。何も竜を殺せなんて言わない。足止めだけでいいんだ。頼む……」
最後に、俺はもう一度深々と頭を下げた。またも、静寂が満ちる。
「……頭を上げよ。旅の者」
村長の言葉に、頭を上げた。視線の先には、やっと穏やかな表情に戻った村長の微笑みが見える。俺がこの拠り地に来た時に、部外者すらも容易く受け入れた、優し気な表情がそこにはあった。
村長はおもむろに立ち上がると、俺の肩にぽんと手をやり、すぐ後ろにいたドルマ団長と固く手を結んだ。俺とアスナにクエストクリアのファンファーレが鳴り、村人から一斉に歓声が上がる。
守り人の一族と飛竜討伐隊による第五十五層生態系防衛戦線が、今ここに発足した。
その後、村長と団長を交えた作戦内容の共有をし、俺たちはすぐにグランザムへの帰路に着いた。もう一度ドルマ団長を道案内するものだと思っていたが、彼らは「まだ我々には話すべきことがある」と言って村に残ることを選んだ。帰り道に道案内イベントが発生しなかったのは、おそらくクエストクリアによってNPCの防衛イベントが終了したためだろう。もしくは、長年隔絶していた人々ともう一度手を取るための時間を作りたかったのかもしれない。
モンスターすらいない森の中、梢が揺れる音だけが小さく俺たちの聴覚野を刺激する。隣を歩くアスナは先ほどから一言も発さず、柔らかな腐葉土を踏みしめて歩いていた。
凛とした佇まいとレイピアの切っ先の如く鋭い眼光は、攻略の鬼と呼ばれるにふさわしい雰囲気のように思える。攻略のためなら人の命を除けばどんなものも犠牲にする、泣く子も黙る副団長様。今の彼女に対する世間の評価は、そんなところだろう。だけど、一層から続いたコンビ時代を知っている者としては、その評価はやや不適切と言える。確かに、レストランでは厳しい判断を見せたが、本来の彼女は必ずしも人命以外の全てを軽視しているわけではない。俺の説得クエストを、何も言わず、ずっとアシストしてくれたことがまさにその証拠と言える。
俺は、彼女に感謝の意を伝えるべく、沈黙を破った。
「アスナ……その、ありがとうな。ここまでついてきてくれて」
俺のぎこちない感謝に、彼女はちらりと視線を向けて答えた。
「……久しぶりにキリト君と一緒にクエスト攻略なんてしたら、なんだか感化されちゃったみたいね。ギルドではこんな判断はしないわ。あくまでも攻略が最優先だもの」
どこかもの悲し気な表情を浮かべ、彼女は続けた。
「でも、アインクラッドで戦う限り、こんな悠長な選択ばかりはできないわ。今回は解決できたけど、毎回こうはいかないことだけはわかってね、キリト君」
「……ああ、わかってるさ」
一体どちらが本当のアスナなのかは、柄にもなく彼女と付き合いの長い俺でも、結局のところよくわからない。はるか下層で見た彼女の生き方が本当のアスナであることを、俺は次層の底に輝く星々に祈った。
何事もなくグランザムに帰還し、明日の攻略会議の日程をアスナと確認し、俺たちはそれぞれのホームに帰った。ただ一度の戦闘すらなかったというのに、アルゲードのねぐらに戻った俺は気疲れのせいか泥のように眠った。無論、今度こそアラームをかけて。
次の日、頭に突き刺さるような電子音のアラームと、リウスによる二度寝防止攻撃により何とか起床した俺は、寝起きなのにやたら元気なリウスを何とかマントの内側に隠し、寝ぼけた頭のギアを最低限まで上げて、グランザムの転移門広場に向かった。俺が遅刻ぎりぎりで到着した頃には、攻略組の面々はとっくに集合していた。人だかりの中心には真っ白なマントと深紅の十字架を背負ったプレイヤーの一団。血盟騎士団のメンバーだ。そして彼らが護衛しているプレイヤーが一人、今回の会議の主催者であるアスナだ。
MMORPGのプレイヤ―というのは、偏見ではあるが往々にして夜型、または睡眠時間を極限まで削って遊び続ける人間が圧倒的多数であり、こんな朝から人を集めるというのは非常に難易度が高い。それでも、彼らがボス攻略のために早起きできるモチベーションは、攻略組としての自負か、最前線から置いて行かれたくないというプライドか、あるいは。
「それではこれより、第五十五層ボス攻略会議を開始します。司会は私、アスナが務めます。よろしくお願いします」
…………副団長サマに怒られないため、かもしれない。
攻略会議は副団長の手慣れた司会もあり、他ギルドからの質問や反論もなく、順調に進行した。途中、ボスが飛竜を食べたシーンだけは大きくどよめきがあったが、いつもは厳粛なアスナも、ボスの凄惨な捕食シーンとその後起きた現象を実際に見ただけあって、無理にそれを止めようとはしなかった。
迷宮区までの道中と攻略手順、ボスの攻撃パターンと捕食シーンまで説明し、どよめきが静かになったころ、アスナはついにこのボス戦の肝となる部分に言及した。
「先程説明した通り、ボスが飛竜を呼んでしまえば、HPの回復、頭部の増殖による攻撃パターンの複雑化が考えられます。そして一度増えた頭部が、再挑戦時に一つに戻るかどうかは確認が取れていません。最悪の場合、攻性化(アグロ)が切れてもボスの頭部が元に戻らない可能性があります。したがって、飛竜を確実に足止めできるこの最初の挑戦が、最もクリア確率が高いと言っていいでしょう」
本来、モンスターはプレイヤーと戦闘状態になると攻性化(アグロ)状態となり、対峙している間は技や外的要因以外でHPが回復することはない。ただし、プレイヤーが逃走するなどして大きく距離が離れ、ターゲット持続時間および距離を超えると自動的に攻性化が解除され、HPや移動した距離、形態変化がリセットされる。この仕様により、パーティーを断続的に送りこみ、チャンス時のみボスを攻撃してじわじわ倒すという戦法は使用できないのだが、その代わり、突発的なピンチなどで一旦ボスをリセットして仕切りなおすという選択がとれるようになる。
ただし、この仕様はあくまでもHPや状態異常の回復に限る。というより、物理的にボスの形態が変わった場合の攻性化の扱いが不明なのだ。これまででも、ボス自身がピンチの時、スーパーほにゃらら人よろしく覚醒状態になることはあったが、この場合、あくまでボスに気合が入って姿が変わったという体であり、怒りが収まれば自然ともとに戻るというのは理にかなっている。そういった形態変化と今回のボスの相違点は、まるでボス自身が物理的に成長している様にみられることだ。気合の有無ではなく物理的な成長が攻性化にどう影響するかわからない以上、これ以上ボスが強化される前に倒す方が確実とも言える。
アスナの説明に、広場の端に固まって話を聞いていた和装風の一団から手が上がった。攻略組の一翼を担う《風林火山》のメンバーだ。
「飛竜の足止めっていうのはどうするんだ?いくらなんでもメンバーを大量に割くわけにはいかないし、飛竜が大量に飛んで行ったらここにいる全員でも対処できないと思うが……」
「ええ、その点はすでに解決しています。私と彼の受けていたクエストにより、NPC達による飛竜の足止め作戦が実施される予定です」
彼、という単語と共にアスナが俺の方に視線を遣る。おかげで、集団から一歩引いた位置で会議を聞いていた俺に、攻略組達からやっかみの視線を向けられてしまう。
皆が俺に注目する中、アスナがこほんと小さく咳ばらいをし、第五十五層生態系防衛戦線についての説明を始めた。
「私と彼のクエストにより、グランザムの飛竜討伐隊と雪山エリアの向こう、竜の拠り地に住む守り人の一族の皆さんに、飛竜の足止めについて協力をしていただけることになりました」
「NPCに……?」「大丈夫かよ……?」という不安げな声が攻略組達の中から散見されたが、彼女は気にせず説明を続けた。
「現在、血盟騎士団のシーフ職数名が竜の拠り地とグランザム西門に待機しています。それぞれを第一、第二障壁とし、飛竜に対して閃光玉や餌などでヘイト管理をすると同時に、飛竜討伐隊の武力により、抵抗が予想される飛竜の鎮圧を行います。万が一全障壁を突破された場合は、迷宮区タワー入口に待機させる予定のプレイヤーにメールを送り、ボス戦中の私たちに伝言する、という流れを採用しました」
この作戦にとって幸いだったのは、迷宮区タワー周辺とその内部にモンスターが一切湧かないということだった。迷宮区やダンジョン内ではメッセージの送受信ができないため、万が一のことがあればシーフ職などに頼んで伝書鳩のように直接伝言してもらうほかない。その時に迷宮区にモンスターが湧かなければ、単独でも迷宮区を踏破してボス部屋に伝言ができるというわけだ。原始的なやり方だが、これが最も確実と言える。
「伝言の内容次第ではボス戦を中止、作戦の再構築を行います。その場合は速やかに離脱してください。ただし、先程も説明した通り、最初の挑戦が最も成功率が高いです。このボスの攻略は、皆さんの対応力にかかっています」
皆が無言でうなずく。最後に、アスナはいっそう張りのある声で宣言した。
「質問が無ければ、これにて解散とします。一時間後、準備を整えて再度集合。本日、ボス討伐作戦を決行します!」
アスナの鶴のごとし一声に、男たちの鬨の声がグランザム中の鋼鉄を揺らすほど轟いた。
グランザムから迷宮区タワーまでの道中は、聞いていた通りモンスターとの戦闘がほとんどなかった。グランザムを出て少しの間は数匹ほど遭遇したものの、アインクラッド屈指の実力者集団の前では、たとえ最前線でもそう厳しい相手ではない。大規模なレイド故に歩みこそ遅いが、それでもグランザムから迷宮区までの道のりにさしたる苦労はなく、ものの二時間程度で迷宮区タワーに到着した。
荒野の迷路となっているフィールドを抜けたその先、迷宮区タワーの真下には、巨大な竜の骨がいくつも転がっている。それらから広がる様に花々が咲き、草木は萌え、木々はたくましく、葉を蓄えた枝を伸びやかに広げていた。コートに隠していたリウスが、小さな翼でぱっと俺の下から飛び立ち、物珍しそうに目に映る物の匂いをかいだり、生えかけの牙で噛んでみたりしている。
一言でいえば楽園とでも言えそうなその光景に、村長の言葉がよぎる。
―――命はあるべき場所に還り、新たな命の依り代になる。
直感的に、目の前の光景は青い星がこの地に現れる前の五十五層の姿なのだろうと感じた。思えば、あまりにも豊かな自然は拠り地の環境にも酷似している。あの地はまだ飛竜がいるからこそ、あれほどの豊かさを残せているのだろう。
タワーを見上げれば、嫌悪感を催す黒光りする甲殻がタワーに巻き付いている。巡るべき命の輪を断った元凶を断てば、この荒れ地もいずれ元の豊かな大地に戻るはずだ。時間はかかるかもしれないが。
命にあふれる五十五層の姿を想像していると、気づけば前を歩いていたレイドメンバーは皆迷宮区タワーに乗りこんでいた。少し走ればすぐ追いつけるとはいえ、連携を要するレイドにおいて勝手に隊列から離れるわけにはいかない。なおも楽しげに周囲を探検しているリウスに呼びかけ、俺はレイドメンバーの後を追った。
前情報の通り、迷宮区タワーの内部すらも、モンスターは全く存在していなかった。内部にはきらびやかな水晶がいくつも生え、仄暗い印象を与える迷宮区をほのかに照らす。途中には中ボス部屋のような階層も発見されるが、その空っぽの部屋は、後天的にモンスターが湧かなくなったことを示唆していた。攻略としては非常に好都合だが、がらんどうの迷宮区というのはなんとも言えない不気味さを醸し出している。今はレイドメンバーと一緒に来ているため気にならないが、こういう不気味なほど静かな場所には、孤高のソロプレイヤーといえど一人では来たくない。
迷宮区道中は、過去最速かつ過去最高に安定して踏破できた。唯一HPの削られそうな要素は、道中にいくつも発見された水晶の落石トラップだったが、これもアスナの的確な指示により、長モノ武器や投剣スキルで発見次第すぐに除去されていった。タワーの階層が上がるにつれトラップは増え、水晶はより大きくより煌びやかに屹立していた。
周囲のオブジェクトが如実に重くなってきたころ、レイドの足が止まった。皆の目の前には巨大で、禍々しい意匠を施された扉が存在している。まるで扉自体が妖気を放っているかのような在り様に、一部のメンバーから驚嘆が漏れる。あるいは畏怖か。
レイドの先頭で指揮を執っていたアスナが扉の前で翻り、攻略組全体を見据えた。
「準備は、いいですか?」
たった一言の確認に、全員が頷いて各々の武器を取る。それだけで十分だった。俺も背中の愛剣《ムーンソリッド》を抜く。本当は、先日の五十層ボスより手に入れた漆黒の剣を使いたいところだが、あいつは要求ステータスが高すぎてまともに振ることもできない。今はこの、月の意匠を乗せた剣にすべてを賭ける。
「では、行きます!」
彼女は扉に向き直り、ゆっくりと手を掲げた。妖しげな扉は重々しい音を立てつつも滑らかに開く。薄暗い迷宮区に、壁のない最上階から真昼の陽光が差した。光がボス部屋の天井に生える巨大な水晶に反射して、シャンデリアのような様相を呈している。俺たちがまぶしい光に目を細めるうちに、双頭のボスはばきばきと音を立てて、俺たちのいる最上階にその頭を覗かせた。薄目を開けてカーソルを見れば、事前情報通り白い文字で、かのボスの名が記されている。
【The Blue Bellwether】、この戦いはただゲームのボス戦というだけではない。命の輪廻を取り戻すための、決戦だ。
グロテスクに開くボスの大口は不気味な咆哮を轟かせた。それに抗うように、俺はただひたすらに吼え返した。
当初の「攻性化が切れてもボスの頭は増えたままの可能性がある」という懸念は、残念ながら現実のものだった。ボスの登場演出時点で双頭だったということは、これ以降頭が増えても同様に増えたままであることを裏付けている。
それでも、さすがというべきか最前線の攻略組達の順応は早かった。双頭から別々のパターンで放たれる大ぶりの攻撃にも、危なげなく対処していく。青白いエネルギー砲のようなビーム攻撃をかいくぐり、ボスの頭部叩きつけ攻撃に対して衝撃波回避およびアタッカーの攻撃というターン制コマンドバトルのような戦いを繰り返していく。黒光りする鱗には、順調に赤く光る傷のライトエフェクトが刻まれていき、六段にも及ぶHPゲージはあっという間に一段目が削られた。それを合図に、ボスは狂乱するようにのけ反り、鳥かごのようなフロアから頭を引き抜いた。双頭は共に天を仰ぎ、三又に開く口を大きく広げる。口元には青白い光が昼間でも輝く恒星ように、燦々と輝いた。皆がボスの様子と、周囲の空を交互に見やる。この行動パターンこそ、祭事で見た……
「青い……星……!」
アスナから話に聞いていた、飛竜を呼ぶ青い光。星と名がつくだけはある強力な光は、ひと際大きく輝き、一瞬攻略組の眼を灼いて、消えた。ボスの動きが固まり、辺りにはボス部屋を抜ける風の音だけが響く。そこに飛竜の羽ばたく音は無い。
「戦闘続行!」
静寂に包まれたボス部屋で、アスナの声が風音に負けず皆の耳朶を打つ。空腹を癒せなかった双頭の先導者は、怒りに身を任せ轟いた。
飛竜が来ないということは、少なくとも五十五層生態系防衛戦線の崩壊は無いはずだ。頭ではわかっていても、俺は村とグランザムの無事をひたすらに祈るしかなかった。
ボスの頭部増殖ギミックを完全に封じ込められていることが確認でき、攻略組の士気はいっそう高まっていった。幸いにもそれ以降、血盟騎士団シーフ隊から、五十五層生態系防衛戦線の崩壊が伝達されることもなく、攻略組の猛攻によりボスのHPゲージは目に見える早さでじわじわと減っていく。俺はボスから目を離さないよう後ろに跳びつつ、衝撃波が掠めたダメージをポーションで回復しながら、後方で指揮を執るアスナに近づいた。
「村長と団長から連絡ないか?」
「ええ、今のところはね。でも……」
「何があるかわかんないからな。わかってるだろうけど最悪の場合……」
「……今は祈りましょう。団長も村長も信頼できる人だわ。飛竜を守るには彼らを信じて、私たちは戦うしかないでしょう」
アスナの言葉に、俺は目を見開いた。昨日の飛竜を殲滅しようとした態度とは明らかに異なる。今の発言はどちらかと言えばコンビ時代にアスナが持っていた感性に近い。NPCの生き様や、彼らの守る者を尊重する姿はまさしくキズメルやミィア、ニルーニル様と共に生きたアスナの姿だ。
驚きのあまりアスナを見たまま固まる俺に、アスナがふんと鼻を鳴らす。
「何よ、そんなに変なこと言ったかしら」
「あ、いや……なんか久しぶりに見たなと思って。そういうこと言ってるの……」
副団長サマのじとっとした目が俺に突き刺さる。まあ当然と言えよう。ボス戦中にこんなに悠長に話していたら、話しかけたのが誰であろうと鬼の副団長サマの逆鱗に触れる。むしろ怒鳴られてないだけましかもしれない。
俺の呑気な返事に剣呑な視線を向けたアスナは、はあと浅くため息をついてレイピアの切っ先をボスに向けた。
「今は、ボスを倒しましょう。キリト君の目的も私の目的も、ここに収束していることは間違いないでしょう?」
アスナの言葉に、俺はじっとボスを見る。気づけば、ボスのHPは三段目まで削られ、いよいよ後半戦に突入していた。ただし、前線にいるアタッカーやタンクのHPも満タンとはいかず、皆三割ほど削られている。巨大ボスの大ぶりな攻撃は、それ自体を避け切っても衝撃波が発生し、特にそれを受け止めるタンク職のHPはじりじりと削られてしまう。そのためレイドでは、タンクとアタッカーを集めたパーティーを複数用意し、交互に運用してHPが大きく削られないようにすることがセオリーとなる。つまり、前衛のHPからして、そろそろ俺の出番だ。
「そろそろスイッチの指示出すから準備しておいて」
「ああ、任せてくれ」
「……ねえ、キリト君」
持ち場に戻ろうと足を向けた俺を、彼女のか細い声が止めた。
「なんだ?」
振り向いた俺に、アスナは憂うような目を見せた。
「…………あなたは、変わらないでね。……それだけよ」
何のことやら、と思う間もなくボスの咆哮が俺の意識を戦いに引き戻した。アスナからもこれ以上の言葉はない。
俺も何も言わず、自分の持ち場に向かって走り出した。
***
ボス戦の最中だというのに、なぜあんな感傷的な言葉を彼に投げたのかは、自分でもよくわからなかった。
レイドリーダーとして、戦闘中に私語をするようなプレイヤーなんて速攻 り飛ばして持ち場に戻らせるべきだ。なのに私は、最初は確認だったとはいえ、彼の言葉に耳を傾けた。そもそも彼にもシーフ隊から連絡がなければ戦闘を続行することは事前に周知していたのだ。それでなくとも、ボスが光った時に飛竜が来なかった時点で、五十五層生態系防衛戦線の無事はわかっていたはずだから、あんな風に確認をすること自体不要である。それでも、NPC達の無事を確認する彼に、私は応えた。
なぜ、私はキリトの私語を受け入れたのか、その上「信じて戦う」なんていう感傷的で非合理的な発言をしたのか。私もドルマ団長のことが心配だからか?それとも、昨日からキリトの考えにあてられたからか?どれも間違ってはいないが、どうにもしっくりこない。
ふと、ボスから視線を離さないようにしつつ、走り去っていく彼の背中を追う。その姿は、これまで何度も経験した、彼との別れに重なった。
私と彼がコンビを解散してから、早くも一年が経とうとしている。血盟騎士団のメンバーとして、彼とフィールドやボス戦で会うことは何度もあったが、その度に私はいつも強い衝動に駆られていた。「今すぐ紅い十字架もギルド印章(シギル)も脱ぎ捨てて、もう一度コンビを組みたい」と。その度に、二十五層で己のした選択に後悔を滲ませながら、血盟騎士団のメンバーに規律と統制を強いていた。
本当は、彼とコンビを組んでいた時のように、NPCやこの世界を生きる全ての人たちと心を通わせ、時に笑って、時に泣いて、そんな攻略がしたい。でもそれは、もはや叶わない。
もしかしたら彼に感傷的な言葉を返したのは、そんな思いがあふれ出た結果なのかもしれない。私とキリトの二人での攻略、二人で話す瞬間が、私の気持ちをあの頃に戻したのだ。
もう一度キリトの走り去った方を見る。だが彼はもうとっくに持ち場に戻って、私のスイッチ指示を待っていた。
自分の言ったことぐらいはやり遂げよう。今は、ボスを倒す。
「次の叩きつけ攻撃でスイッチ!三……二……一……今!」
***
副団長の掛け声は、ボスの叩きつけ攻撃にぴったり重なった。双頭が同時に叩きつけられ、ボス部屋が大きく揺れる。頭を叩きつけるという行為は、たとえ巨大なムカデだろうと脳震盪でも起こすのか、しばらく巨大な頭は力なくボス部屋の床に折り重なって横たわる。その隙をついて、俺は右手の剣を振りかぶった。剣は黄緑色の光芒を宿し、システムアシストが俺の加速をアシストする。片手剣突進技《ソニック・リープ》。
上段から繰り出された突進技は、叩きつけ攻撃で伸びているボスの頭部に、爪で掻いたような軌跡を深々と残す。俺とほぼ同時に、交代要員のアタッカー達も突進技や刺突技でボスの正面に躍り出て、三段目に突入したボスのHPゲージをぐいっと削る。全員の技後硬直が解け、交代前のアタッカーやタンクが後ろに下がり切ったころに、ようやくボスはその巨体をもたげた。
頭が増えるギミックのせいか、ボス自身の攻撃パターンはそう多くない。予備動作の大きい代わりに全方位に衝撃波を飛ばす頭部叩きつけ攻撃と、狙ったプレイヤーを追尾するビーム砲、頭を床に下ろして左右に振るなぎ払い攻撃の三種類だ。二つの頭それぞれから別々の攻撃が飛んでくるため、パターンがコンボのように組み合わさると、あわや直撃しそうなこともあるが、副団長による的確な指示により現状直撃したものはいない。
順調にボスとの戦闘は続き、もう一度俺が回復のために後衛とスイッチした時には、ボスの六段もあったはずのHPゲージはラスト一本となっていた。いよいよ討伐、および五十五層のクリアが見えてきて、レイド全体から歓声と雄叫びが上がる。
「最後まで油断しないで!集中していきましょう!」
アスナからも冷静ながら、興奮を隠せない檄が飛ぶ。ただ俺は、ここまでのボス戦に一抹の不安があった。
これまで経験してきたフロアボス戦は、ボスのHP減少に応じて、パターンの変化や攻撃速度の上昇が起きることがほとんどだった。例えば一層の《イルファング・ザ・コボルドロード》は、ゲージが最後の一段になった時にそれまでずっと使っていた骨斧を捨て、背中に背負った野太刀を抜き、一層時点では誰も習得できないカタナスキルを使用してきた。そういった急激なパターン変化は、フロアボス戦ではよく見られる光景だ。
これらのパターン変化は、街やフィールドで受けられるクエストにヒントがあることが多く、攻略組の間ではなるべく最前線のクエストは全て攻略し、ヒントを集めてからボスに挑むことが不文律となっている。これを共有するために開催されるのがボス攻略会議なのだが、今朝グランザムで行った会議では、パターン変化に関する情報は議題に上がらなかった。唯一特殊な行動だった飛竜呼びは、確かにパターン変化と言えばそうなのだが、一段目のゲージが削られたときにしか起きていない。正直、そんな序盤に回復して何になるのだという話でもあるのだが、そのあたりにも何か理由があるのだろうか……
俺がボスの隙を伺いながら思考を廻らせていると、ボスが頭部叩きつけ攻撃の予備動作に入った。後方から聞こえる、アスナのカウントに合わせて大きく跳び退く。直後、びたーん!という、プールで飛び込みに失敗したような痛々しい音と共に、衝撃波が跳んだ俺の真下を掠めた。俺は自分のHPがほんの数ドットだけ削られたのも気にせず、右手の剣を肩に担ぐように引き絞り、反対の手を照準器のようにして突き出した。片手剣直剣スキルが九五〇になると解放される、片手剣単発重攻撃技《ヴォーパル・ストライク》が、ジェット機のような轟音と血のような深紅のライトエフェクトを纏って発動した。
解放条件の難しさに対して、申し分ないほどの威力を秘めた剣技は、ボスの硬そうな鱗を突き破って深々と刺さり、派手にダメージエフェクトを散らした。そのダメージは、ボスのゲージをみるみるうちに削り……あと一ドットのところで止まった。後方から「ごり押せ!」「いけー!」という応援が飛んでくる。俺もボスが起き上がる前に少しでもダメージを与えようと、剣を深々と差し続け貫通継続ダメージを狙った。だが、ボスのHPはあと一ドットのところからびくともしない。
「だめだ……削れねェ!」
俺より少し離れた位置から、レイドメンバーの誰かが叫んだ。皆が一斉に驚愕と戸惑いの声を上げる中、ボスは重い頭を弱弱しく、されど精一杯といった様子で動き出した。俺は剣を持っていかれないよう、とっさに剣を引き抜き、ボスから飛び退いた。
傷だらけの双頭は、火事場のバカ力とでもいうように、やっとの思いで天井にその頭を向けた。この、天を仰ぐようなモーションは……
「飛竜呼びよ!」
後方からアスナが叫ぶ。確かにこのモーションは、序盤で見せた飛竜を呼ぶモーションそのものだ。ただ、ボスの口先は、部屋の天井に生えた巨大な水晶に向いている。
皆が警戒をする中、ボスの口が恭しく開き、その口から青い光が迸った。その姿はまるで、香りで蝶を呼ぶ花のように神秘的で美しく、それでいて禍々しい。
迸る青い光は、シャンデリアのように煌めいていた天井の水晶に乱反射し、一回目とは比べ物にならないほどの閃光を放った。太陽を直視したような閃光に、攻略組全体の動きが止まり、視界が青白くホワイトアウトする。俺は左手を掲げて影を作り、なんとかボスの様子を確認した。
一回目と違い、飛竜を呼ぶ光は一瞬の閃光ではなく、水晶に光を当てながら持続して輝き続けていた。当然、光っている間は飛竜を呼び続けるだろう。
「何としても飛竜を食べて生き残ろうってことか……!」
俺は、眩しさに目を細めながら右手の剣を収め、フリーになった右手で腰のベルトから投擲用ピックを取り出した。
ピックを構え、上空に向けて投剣スキル《シングルシュート》を発動させた。ピックは敏捷度パラメータの補正とシステムアシストにより、まっすぐボスに向かって飛んでいく。青い光を反射して飛んだピックは一瞬にして視界から消え、小さく赤いライトエフェクトを散らした。俺のスキル熟練度なら、ピックが当たりさえすればボスの一ドットのHPくらいなら削り切れるはずだ。だが、ボスがポリゴン片にならず輝き続けているということは、飛竜呼びの光を灯してもなお、そのHPがロックされているということだろう。
リーダーの指示を仰ぐべく、俺はすかさずアスナの方に振り向いた。視界が青く染まっても、燦燦とはためく白の騎士服を纏うアスナは、そっくりのデザインの服を着た何者かと話している。彼女の話し相手は、ボス戦とは思えないほどの軽装だ。逆光で見えにくいが、少なくともこのレイド開始時には見ていない顔。まさかあれは、血盟騎士団のシーフ職……?
直後、ボス部屋の周囲から風を叩くような音がいくつも重なって聞こえた。この遥か高い場所から風以外の音が聞こえるはずがない。空の向こうに見える無数の天は……
「飛竜……!!」
会議で話があったはずだ。血盟騎士団のシーフ職がボス部屋に来ているということはすなわち、五十五層生態系防衛戦線の崩壊を表している。無数の飛竜がボス部屋に向かっている音がその証拠だ。あの数が全てボスに喰われれば、ボスのHPは間違いなく全回復するだろう。それどころか、今度は頭が増えるどころでは済まない可能性すらある。ボス級の攻撃が四方八方から襲い掛かれば、いくら攻略組といえどひとたまりもない。場合によっては壊滅すらあり得る。
俺は敏捷度パラメータ全開でアスナのもとに走り、コンマ数秒で彼女の隣に立った。
「アスナ……どうする⁉」
「……撤退したいところだけど、今撤退すれば飛竜がみんな食べられて、ボスは討伐不可能になりかねないわ」
「何か手立ては……」
「一つだけ、当てがある」
アスナははっきりと宣言すると、レイピアの切っ先をボスの口元の真上に向けた。その先には、ボスの出す光を増幅させている、シャンデリアのような巨大な水晶だ。
「ここまで来るのに、何度も水晶のトラップがあったわ。もしかしたらあのトラップはボス戦攻略のヒントだったのかも……けど」
彼女はかぶりを振って続けた。
「あんな大きな水晶、投剣スキルじゃ刃が立たないわ。何か、爆弾でもあれば話は変わるでしょうけど……」
確かに、ボスの口元にある水晶は巨大すぎて、ピックでは傷一つつかないだろう。迷宮区内のトラップですら、除去は武器による攻撃で行っていた。それ以上の火力がないと破壊できないのは明白。だが武器が届く高さではない以上、アスナの言う通り爆弾でもなければ到底破壊できない。
俺も含む誰もが、アスナの撤退指示を待った。その宣言をアスナがしようとしたその時、俺のコートの裏から何かが動いた。コートからさっと何かが飛び出し、俺とアスナの目の前に飛来し、くるぅ‼と威勢よく啼いた。翼を高々と掲げ赤い綿毛を散らすそれは、攻略組からのやっかみを防ぐためコートの裏にずっと隠しておいた……。
「リウス……‼」
後ろにいた攻略組達が一斉にどよめく。それもそうだ。ビーストテイマーというのはそれだけ珍しい存在である。俺が逆の立場だったらどよめくどころか、テイミングにチャレンジしに行くだろう。
「リウス、あの水晶壊せるか⁉」
使い魔は本来、十種類程度の指示しか介することはできない。その上、技や行動をある程度具体的に指示しなければならず、こんな漠然とした指示が通るはずがない。
それにも関わらず、リウスは俺の真剣な表情を感じ取ったのか、くるぅ!と一声答えると、小さな翼で悠然と水晶に向かって飛び立った。青白く発光する水晶の真横に陣取ったリウスはそのアギトをくわっと開き、口元に赤々と炎を蓄え始める。ボス部屋の外には、さっきまで米粒のようにしか見えなかった飛竜の大群が、ついにそのシルエットが見えるまで近づいていた。もう一刻の猶予もない。
「いけーーっ!リウスーーーーッッ‼‼」
俺の声援に応えるように、リウスは渾身の炎ブレスを放った。
その幼気な姿には似合わないほど、巨大に膨れ上がった火球は、ボスの真上、水晶の側面に激突し、大爆発を引き起こした。
轟音、そして黒煙が部屋を包む。風に煙が流されていくと、巨大な水晶には大きなヒビが入り、ばきばきと音を立て、一瞬にして崩れ落ち、真下で大口を広げていたボスに直撃した。無論、それだけのダメージは、たった一ドット残ったボスのHPを削り切り、五十五層ボス《ザ・ブルー・ベルウェザー》の身体はすべて、水晶の欠片のようなポリゴン片に変わって、盛大に爆散。不気味な青い光が消え、五十五層の空に暖かな晴天が戻った。直後、歓声。俺の目の前にラストアタック・ボーナス獲得の取得メッセージが音もなく開いた。
後に、血盟騎士団により報告された内容だが、ボスが最後に行った飛竜呼び以外は、竜の飛来を一切許すことなく守りきっていたらしい。
だが、最後の飛竜呼びだけは違った。水晶に増幅された青白い光は、五十五層の空全体をただの晴天とは違う鮮やかな青に染めたのだという。結果、拠り地で確認できるほぼすべての飛竜が、それに反応してしまった。
だが、五十五層生態系防衛戦線のメンバーたちは、NPCとは思えないほどの連携を見せたという。ある者は閃光玉や巨大な餌で飛竜たちの気を引き、ある者は盾や鉤縄を使って飛竜を足止めした。残念ながら飛竜が一斉に飛び立ってしまった時はかなりの数を取り逃してしまったらしいが、それでも半分以上の足止めには成功していたそうだ。それに、自分たちが戦うことになるだろうと身構えていたシーフ職たちは、むしろ一度も抜剣することすらなく、伝達業務に集中できたらしい。ボス部屋にあれほどの速さで連絡役が来られたのは、まさにそのおかげだったとか。
リウスと共にボスを倒してから舞い戻ったグランザムは、どこか暖かい雰囲気を纏っていた。鋼鉄でできた、自然一つ無い街並みこそ変わらないが、その暖かさの理由はすぐに分かった。転移門や飛竜討伐隊本部周辺にたくさんの人々がいるからだ。彼らのカーソルは一様に黄色。かたや鋼鉄の鎧をまとった飛竜討伐隊の兵士たち、もう片方は植物で編まれた素朴な衣装を着た守り人の一族たちだ。皆酒や飲み物を片手に肩を組み、和気あいあいとお互いの健闘を讃えあっている。ふと視線を正面に戻すと、転移門の前ではドルマ団長とナファ村長が向き合って、穏やかな表情で話していた。
俺が二人の下に行こうとしたとき、俺の横にテレポート特有の光の柱が出現した。じっと見やると中から栗色の髪をたなびかせる女性プレイヤーが現れた。振り向いた彼女と視線が交差する。
「あら、キリト君。来てたんだ」
「おう、アスナ。ボス戦お疲れ。ナファ村長達に挨拶しようと思ってさ」
「私も。二人は……あ、いた!団長さん、村長さん!」
アスナが二人のもとに走っていくと、ドルマ団長とナファ村長は笑顔で出迎えてくれた。
「おお、おぬしら!無事じゃったか!」
「はい、村長も無事でよかった」
「なあに、この程度でくたばったりはせんわい。……主ら、よくぞ青い星を倒したな」
村長は嬉しそうに俺の肩を叩き、俺の横で飛んでいたリウスの頭を撫でた。隣にいたドルマ団長が口を開く。
「実はな、我々飛竜討伐隊の調査で、守護獣の生態がある程度わかったんだ」
「守護獣の生態?」
アスナが聞き返す。
「うむ。どうやら、あの青い星は光を通して一種の誘引物質のようなものを出していたようなんだ。最初は棲み処近くの小動物や虫を食べていたようなんだが、次第に餌が天柱の塔周辺のモンスター達へと移り変わり、力をつけていった結果……」
「いつしか遠く離れた飛竜すら呼び寄せるようになってしまった……ということですね」
アスナは流石の洞察力を見せ、ドルマ団長は満足そうに頷き、話を続けた。
「おそらく、飛竜がグランザムにやってきたのは、何らかの目的があったわけじゃないのだろう。拠り地から守護獣のもとに向かおうとしたルート上に我々がいた。その様子を、我々は飛竜の侵略と勘違いして迎撃態勢を整え、結果的に飛竜と我々の間には敵対関係が生まれた……というわけだ」
ドルマ団長はかぶりを振って尚も続ける。
「これまでのグランザム防衛戦線はひとえに、我々飛竜討伐隊が大自然というものを理解していなかった結果起きたことに他ならない。我々はもっと飛竜の生態や、彼らを取り巻く環境を理解すべきだった……」
うつむいていくドルマ団長の言葉を、ナファ村長が引き継ぐ。
「反対に我々守り人の一族は、人の営みというものに無頓着だったのだろうな。飛竜討伐隊の者たちは、あくまでも自分たちの居場所を守ろうと戦っていた。なのに、我々は命を奪っているという点にのみ執着し、結果として互いの間に、深い隔絶を生んでしまったのじゃ」
さっと顔を上げたドルマ団長が、真剣に二人の話を聞いていた俺とアスナに向き直った。
「君たちは私にこう言ったな。方法が違うだけだと。あれは核心をついていたと思うよ。我々は総じてこの環境を守ろうとした。ただ視点が異なるだけだったんだ。」
「これからは飛竜討伐隊も守り人も、互いのやり方を尊重してこの地の自然を守ってゆこう。幸い、青い星はもういない。いずれこの地は、また豊かな地に戻るはずじゃ」
俺は拠り地や迷宮区タワーの真下にあった豊かな自然を思い出した。命が正しく巡る様になれば、五十五層はきっとあのような豊かな地に戻る。そんな確信があった。
「ああ、そうだな。きっとそうさ……」
「感謝するぞ、旅の剣士達。どうか君たちに、竜の導きがあらんことを」
二人の見送りの言葉と共に、俺とアスナのクエスト、《手を取る者たち》と《抗う者たち》は完全クリアとなり、ボスドロップ並みの経験値が付与された。
「ねえキリト君、本当に《使い魔》の子置いて行って良かったの?」
グランザムから五十六層に戻ってすぐ、アスナは俺に問いかけた。彼女の疑問はもっともだ。《使い魔》は強力な技こそ出せないが、少量のヒールや攻撃で戦闘面に置いてささやかながらも頼れる相棒となる。そんな《使い魔》であるリウスを、俺はナファ村長に預けてきたのだ。「立派な飛竜にしてやってくれ」と言い残して。
「ああ……ちょっと寂しいし、迷ったんだけどな。例えNPCの《使い魔》でも、最前線に連れて行ったら守り切れる自信がないからさ。別に今生の別れじゃないし、また会いに行けばいいさ」
「そう……キリト君らしいわね。なんでも自分で守ろうとしちゃうところ」
「そうかな……」
自分のことを指摘されて、気恥ずかしい俺は、赤くなっているであろう顔をごまかすように、五十六層の主街区に差す夕日を見上げた。はるか向こう、アインクラッドの外周に沈む夕日は、リウスの火球のごとく赤々と燃え上がって、ゆっくりと沈んでいく。
俺たちは五十五層に巡る数多の命に思いを馳せながら、沈みゆく夕日を静かに見守り続けた。
原曲 導きの唄:モンスターハンターワールド
原作完全準拠ですが、もし設定面などに質問あればコメントください
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