アインクラッド第22層ボスを討伐し、迷宮区最上階の扉を開くと、風切り音とともに大量の砂が目に飛び込んできた。
「うわっぷ!」
情けない声をあげながら反射的に目を閉じ扉を閉める。仮想世界ゆえに目に砂が入ろうが痛みはないが、新しい階層の第1歩目としては最悪の気分だ。
つい15分ほど前、22層のボスが討伐され、ALSやDKBがドロップ品の分配に勤しむ中、唯一のソロプレイヤーである俺…キリトが23層転移門のアクティベートを任された。先程砂埃を浴びた通り、23層のテーマは荒地と吟遊詩人らしく、それを示すかのように主街区《アミル》では至る所で詩人が歌い、酒場では男女のNPCが踊っている。
中には異国情緒溢れる楽器を販売するショップも見受けられ、何となく立ち止まる。戦闘系スキルに全振りしている俺には用のない店だが、《吟唱》スキル持ちのプレイヤーからすれば楽園のような店だろう。どの楽器も見覚えのないものばかりで、ふと目の前にある竹筒を重ねたような楽器の名前を質問しようと思い、口を開く。
「なあ、アス…」
そこまで言いかけて視線を正面に戻す。いまやかつて隣にいた細剣使いはいない。彼女は今、いつからか攻略組に参加していたヒースクリフと名乗る男にギルドに誘われ、体験という形でかのギルドに所属している。その高い能力を買われ、先ほどの22層攻略ではレイド全体の指揮まで任されていた。「信頼できる人にギルドに誘われたら断るな」といった過去の自分の言葉が脳裏にこだまする。いつか来ると思っていた日が来ただけなのに、どうして俺はこんなにも…。
そこまで思い立って、俺は自嘲気味に笑う。あの日、茅場のチュートリアルが終わった途端、唯一できた友人を見捨ててホルンカの村に1人走ったあの日から、俺には「誰かに隣にいて欲しい」なんて言う資格はないのだ。1層ボス攻略後に後ろ指を指され、《ビーター》と罵られた姿こそあるべき姿だったのだ。
「…行くか」
誰に聞かせる訳でもなく、一言こぼれるようにつぶやく。転移門のアクティベートもまだだ。もう下層のプレイヤー達に22層攻略成功の報は広まっているだろう。そう思うとまるで地面の向こうから早く、早くと急かされるような感覚に陥り、俺は唯一この街にいるプレイヤーとして、転移門広場に足を向けた。
***
転移門をアクティベートし、俺は転移門のすぐ横の目星をつけていた民家に向かう。新しい階層が解放されれば、しばらく街中で攻略組を労う酒盛りや、解放の日に近づいた喜びの宴が起こり、人がごった返すだろう。軽快な音楽やダンスが街中に溢れるここなら尚更だ。そうなる前にひとつくらいクエストを受注しておきたい。皆が酒をあおる間に少しでも効率よくレベルをあげておこうという魂胆だ。利己的なビーターの片鱗を自分の中に感じつつ、目の前の民家の戸をくぐる。
中にいたのはリュートを片手につぶやくように歌う気の弱そうな青年だった。頭の上にはNPCであることを示す黄色のカラーカーソルとクエスト発生点であることを示す金色のクエスチョンマークがゆっくりと回って表示されている。俺はクエストを受注するため、代表的なクエスト受諾フレーズを発した。
「何かお困りですか?」
同時に金色のクエスチョンマークがぴこぴこと点滅し、青年はゆっくりと顔を上げた。
「旅の剣士さん、俺、ずっと前この街から旅に出たとある人を探しているんです。とある美しい蝶を追って旅に出た旅人を見つけてくれませんか?」
「えっ…と、その旅人の特徴はなにか分かりますか?」
こういった「〇〇を探してこい」系のクエスト――お使い系クエストと呼ばれる――はまず、受注元からの情報から手がかりを探すのがセオリーだ。そう思い質問を重ねるが、青年はかぶりをふる。
「いえ…終わらない旅だとしか…」
そういって青年はこれ以上話すことは無いとでもいうように、またリュートに視点を落とす。すかさず俺の視界左端のクエストログが表示され、俺は諦めて民家を出た。
***
あまりにもヒントのないお使いクエストに俺は困惑するしかなかった。クエストログには
クエスト《帰らない旅人》:青年の探す旅人を見つけよう
としか表示されていない。クエストの同時受注数には限界があるため、謎解き系や面倒なクエストは諦めて破棄することもできるようになっており、俺はクエストを破棄しようとメニュー画面を開いた…その瞬間。
視界の右端に紫色の手紙のマークが点滅した。クリックすると視界にフレンドメッセージが表示される。差出人はアルゴ、内容は…「お前の後ろに」…?
「キーぼ〜〜う…」
「うおああああ!?」
本日2回目の情けない声をあげ、ぎゅいんと後ろを向く。目の前にいたのは白っぽい外套をまとったアルゴだった。
「ニャッハハハハ!ずいぶんと派手に引っかかってくれるじゃないカ。」
「そっ、そういうのは夜にやる方が効果的なんじゃないか?それになんだよその白いの。」
情けない悲鳴を晒した気恥しさに、皮肉気味に答えると彼女の頬のペイントが自慢げににやりと笑う。
「22層で幽霊の噂があってナ。お化けの森って名前で名物っぽく売り出されてるんダ。名付けて、『22層名物、幽霊なりきりセット』!」
「お前それ、やる相手は選べよ?…で、何か用があって来たんだろ?」
5層のアストラル系モンスターに本気で怯えていた暫定パートナーが頭によぎる。
目の前の情報屋は、わかってるっテと笑いを噛み殺しながら続けた。
「ま、イタズラはさておき…22層攻略組お疲れサン。主街区のマップとかクエストの情報があれば買い取ろうと思ってナ。」
「残念だけど、まだ主街区の大まかな作りとクエスト開始NPC一人しか見つけられてないよ。…一応渡しとくな。」
そういってマップデータの書かれたスクロールをオブジェクト化し、アルゴに手渡す。
「悪いナ、キー坊。規定の情報料ならいつでも払うからナ。」
「マップデータで商売する気はないさ。…あ、それなら情報料ついでにこのクエストの謎解き、一緒に考えてくれないか?」
アルゴはスクロールをポーチにしまいつつ、手短に頼むヨと言い微笑んだ。
アルゴの要望通り1分ほどでクエスト内容を話し、クエストログをアルゴに見せると、何やら納得したかのようにウンウンと頷いた。
「何かわかりそうか?」
「そうだナ…オネーサンにしてみればNPCの言動も蝶の正体もまあまあ想像はつくナ。」
縋るような目を向ける俺にアルゴはびっと指をさして続ける。
「でも、今のキー坊こそ、このNPCの気持ちが1番わかるかもしれないゾ?」
「…どういうことだよ?」
訝しげな表情を見せ、さっぱり分からない風のアピールをしたが、自称オネーサンはニヤニヤと笑うだけだ。
「マ、じっくり考えて見ることだナ!そろそろオイラは次のお得意サマのところに行く時間だからもう行くナ。また情報が欲しければメッセージ頼むヨ!」
そう言い残し、アルゴは《鼠》の名に恥じぬ速度で雑踏の中に消えていった。
頼みの綱の情報屋に見捨てられては、もう手の打ちようがない。俺はこのクエストを破棄するか自力で解くかの選択に迫られた。アルゴと会う前は破棄するつもりだったが、どうもアルゴの一言が引っかかる。俺なら気持ちが分かるというのはどういう意味なのだろう…。仕方がないためクエストを続行することにし、別の虐殺系クエストの攻略のため、俺は圏外に出た。
***
アルゴと話していた間に、主街区周辺は攻略組プレイヤーの狩場になっているようだった。つい1時間ほど前に22層ボス攻略で顔を合わせたメンバーも見受けられる。
23層はテーマの「荒地と吟遊詩人」にあるように、フィールドは不毛な荒地ばかりだ。フィールド全体に大きな岩や枯れ草の玉が転がっており、時折その影からモンスターが出現する。突然モンスターが出てくるびっくり要素や足元の悪さから《転倒》の可能性が高いと判断し、俺は岩の落ちていない場所を探して、荒野を進むことにした。
小一時間歩くと、ある一線を境に岩も草も無い、広い砂地が広がっていた。そこかしこに濃いピンク色のカラーカーソルが浮かぶ様子とは裏腹に、プレイヤーを示す緑のカラーカーソルはひとつも見当たらない。
「この辺りなら…狩れるか。」
俺はそうつぶやくと背中に背負った《クイーンズ・ナイトソード》を引き抜いた。
砂地にいたモンスターは砂を泳ぐオタマジャクシのようなモンスターだった。ただ大きさが想定外。どう見ても2mはある。口を開けて向かってこられては飲み込まれそうになるほどだ。その巨体がサラサラの砂地をまるで水かのようにスイスイと泳いで襲いかかってくるわけだから、今俺が情けない声を上げて逃走しているのも無理はない。
「うおおおおわあああああああ!!!??」
本日3度目の情けない声を張り上げて、走る俺の真後ろには大きく口を開けたオタマジャクシが砂埃を上げて向かってきている。必死に逃げつつ後ろを向けば3mくらい後ろに鋭い牙が明確な敵意と食欲を持って迫っていた。
その瞬間、オタマジャクシの口が大きく傾いた…違う、俺が《転倒》したのだ。足元を見れば先程見た砂地の地面の線を越えている。オタマジャクシに気を取られ、岩だらけの荒地に踏み出していることに気づかなかったのだ。
人が食べられる瞬間というのはこれまで古今東西のフィクションで扱われた題材だ。だが、まさか自分自身で体験することになるとは。
こんなとき彼女なら何を言うだろう。きっと俺にはおよびもつかない方法でこの窮地を脱するだろう。
――アスナ……。
覚悟を決めてぎゅっと目をつぶる。もはやこれまでと思うが一向にアバターに牙が突き立てられることはない。まさか足元からじっくり味わう気か…?と思いそっと目を開け振り返ると、あると思っていた貪食の牙はそこにはなく、俺に死期を悟らせた岩がそこにあるだけだった。背後では俺を見失ったかのようにオタマジャクシが頭を上げ、キョロキョロと辺りを見回している。そこまで見て俺は気づいた。オタマジャクシに目がないのだ。いや、正確には目と思しきものは顔の横にある。しかし機能しているとは思えないほど小さく、そこだけ見れば正直かわいい。
SAOのモンスターは目がついていれば、視野が設定されており、視界に入れば《攻撃化》状態になる場合が多い。逆に目に相当する器官のないモンスターの場合、音や匂い、はたまた第六感を頼っている場合もある。ホルンカの森の《リトル・ネペント》のように……。
――なら音で誘導できるのでは?
先程までは情けない声を張り上げて全力疾走していたのだ。その姿はさしずめ騒音のバーゲンセールや〜…などと23層一帯を凍らせるようなことまで考えてから俺は音を立てないよう立ち上がり、テニスボール程の岩を手に取った。アイテム名は《手ごろな岩》。もし音を頼りにモンスターが俺を探しているなら、オタマジャクシは岩の着地点に向かって突進するだろう。そこまでの仮説を立て、俺は手元の岩をゆっくりと振りかぶった。
引きこもりの虚弱ゲーマーであるリアルの自分なら、これほどの岩を投げても5mも飛ばないだろう。しかし、23層にしては十分すぎるほどのレベルと筋力値は期待以上の成果を上げ、岩は綺麗な放物線を描き…20mほど先の砂地に着弾した。次の瞬間、オタマジャクシの目が食欲に煌めき、一瞬にして砂地の中に潜り…
ばっしゃああああーーーーーーん!!!
という轟音とともに着弾点の真下から飛び出し、俺の投げた岩を砂ごと丸呑みにした。
俺の予想は見事的中。それどころかこの習性は好都合だ。岩を自分の周りに投げ、オタマジャクシが出てくる瞬間にソードスキルを合わせれば安全に狩ることができる。
MMOプレイヤーという生き物は「安全で高効率な狩場」を見つけられた時には、血が騒ぐものだ。自分が最前線にいるなら、尚更。
「…よし。」
現在時刻は午後2時ちょうど、いつもの攻略時間は午後6時前後までにしているので、晩飯まではここで狩れそうだ。まさしく血湧き肉躍るような感覚――SAOのアバターにそんな機能があるかは知らないが――となった俺はアイテムストレージにありったけの《手ごろな岩》を詰め込み、オタマジャクシ達の待つ砂地へゆっくりと歩き出した。
***
時刻は午後7時。高効率の狩場に夢中になっているうちに晩飯の時間を1時間もオーバーした俺は、空腹を極めていた。転移門近くでは夕飯時である事もあり、各地のレストランはより香しい香りを漂わせている。俺はアンデット系モンスターのごとく店先のテーブルに倒れ込むように座り、打って変わって光の速さでテーブルのメニュー表を凝視する。娯楽が極端に少ないアインクラッドにおいて、食事は唯一にして最大の娯楽と言っていい。かく言う俺もSAO正式サービスからは雌牛のクリームや半魚人のイモなど、色々と食べ歩いてきたものだ。
そういえばあのクリーム美味しかったな…《逆襲の雌牛》またやらないとな…などと食欲に支配された思考を巡らせていると、メニュー表の左下に書かれた《タッドポールのセビーチェ》なる文字列が視界に飛び込んできた。タッドポール…日本語ではオタマジャクシだ。つまりこの店では、俺の晩飯を遅らせた元凶を美味しくいただけるというらしい。ストレージを開き、先刻のオタマジャクシからドロップした《タッドポールの肉》の文字を見る。
――今度野営する時はこの肉でディナーだな
などとまたも食欲でいっぱいの計画を立てストレージを閉じる寸前、タッドポールの肉の真下にあった別のドロップ品が目に映る。
《アンノウン・ストーン×5》直訳すれば不明な石…が5個
オタマジャクシ狩りで使った岩の余りかとも思ったが、あの時投げた岩は《手ごろな岩》だったはずだ。それに、《アンノウン》とつくアイテムには覚えがある。3ヶ月ほど前に5層で暫定パートナーとした《遺物拾い》の拾得物の中に《アンノウン・ネックレス》があったのだ。あの時と同じように、《鑑定》スキル持ちのプレイヤーかNPCの鑑定士に渡せば、この石ころの正体が分かるかもしれない。
そこまで考えて、空腹は人の神経を研ぎ澄ますのだなあとしみじみ思いながら、俺は鑑定スキル持ちの知り合いに向けてメッセージを書き始めた。
***
俺が知る限り、現在のアインクラッドで唯一の鑑定スキル所持者は、転移門広場からそう遠くないレストランで食事をしているようだった。先程のレストランで《タッドポールのセビーチェ》を美味しくいただいた俺は、メッセージの送信先の居場所へ向かう。
「よう!キリト!こっちだ!」
と手を挙げ、大人びた声で俺を呼ぶのは、ビーターである俺の数少ない理解者であるエギルだ。同じテーブルには、俺が《アニキ軍団》と勝手に呼んでいるエギルのギルドメンバー達もいる。巨大な両手斧を背負う漢達の目の前には、脂の乗った肉や魚の料理が広げられており、皆でそれを美味そうに食べ、樽ジョッキに注がれた泡盛のエールをあおっている。その姿はまるで…
「ギャングの決起集会みたいだな。」
「おいおい、最初から失礼だな。鑑定依頼があるってっから待ってたんだぞ。」
「悪い悪い。その鑑定依頼なんだけどさ…」
手刀を切りながら俺は《アンノウン・ストーン×5》を実体化させる。
「こいつを鑑定して欲しいんだ。」
「構わねえが…俺の鑑定スキルはまだ熟練度が低いからな。どこまではっきり鑑定できるかわからんぞ。」
エギルは熟練度が低いと言ったが無理もない。俺が2層でネズハから譲渡された《ベンダーズ・カーペット》をエギルに押し付け……再譲渡し、更にエギルが商人クラスに向けたスキルを育成し始めてからまだ3ヶ月程なのだ。だが俺の目的は《鑑定》スキルだけではない。
「その石がもしかしたらクエストのキーアイテムかもしれないんだ。アルゴに聞いても意味深なことしか言われなくて…。」
知恵を貸してほしいと言う前に、俺の言葉は彼の艶やかなバリトンボイスに遮られた。
「なるほどな…ちょっと待ってろ。」
そう言ってエギルは《アンノウン・ストーン》のひとつを手に取り鑑定を始めた。
鑑定を終え、全ての《アンノウン・ストーン》が1列に並べられる。こうしてみると、どれも形が全然違うのだと俺はこの時初めて知った。
俺からクエストの一部始終を聞いたエギルは腕を組み、神妙な顔で鑑定結果を話し始める。
「どうやらそいつは墓石だな。これは間違いない。」
確認のため《アンノウン・ストーン》をタップすると、アイテム名が《墓石の欠片》に変わっている。
「あのあたりに墓なんてなかったと思うんだよな…。」
首を傾げる俺にエギルは更なる情報を口にする。
「それにアイテム名が一緒なのに形が違うのも妙だとは思わねえか。」
確かにその通りだ。形状や特性が同じアイテムは自動的に1つにまとめられるため、同じアイテムを実体化したら別の形のアイテムが出現することはない。
「つまりこれらは元々1つのアイテムから生まれたんじゃないか?」
「1つのアイテムがバラバラに…?」
2人で首を傾げていると、エギルの隣で骨付き肉にかぶりついていた《アニキ軍団》の1人、ウルフギャングが肉を皿に置き、代わりに《墓石の欠片》を手に取った。
「元がひとつのアイテムじゃったんじゃろ?つまり…。」
と言いながら5つの《墓石の欠片》をカチャカチャと組み合わせる。
刹那、5つの墓石がまばゆい閃光に包まれ、次の瞬間には1つの墓標になっていた。
「「「おおーーーーーっ!」」」
テーブルがどよめき、ウルフギャングが長い顎髭を満足そうに撫でながら渾身のドヤ顔を披露した。
***
その後ひとつになった墓標をエギルに再度鑑定してもらい、このアイテムの名前とフレーバーテキストが明らかとなった。
アイテム名《オアシスの墓標》:空と海が混ざる場所で、貴女は永遠の眠りにつく
要するにこの墓標はおそらく女性を弔ったものなのだろう。問題は、この層にオアシスらしい場所がないということだ。
普段の俺なら今頃、夕食後に仮眠をとって夜の攻略タイムだ。下層の美味い狩場やクエストを攻略する俺的な攻略の本番。だが今日だけはなぜかこの層を下りる気にも、仮眠をとる気にもなれず、宿屋にあった揺れいすをカタカタと鳴らしながら墓標の元の在処を考えていた。
この層は昼に見た通り一面が荒地であり、水源のひとつも見当たらない。墓標に書かれたオアシスや海など以ての外だ。とはいえ、水源のある層に行かないと行けないような、階層をまたぐキャンペーンクエストとも考えづらい。キャンペーンクエストはその規模故に階層のテーマにそったNPCや主街区の領主など、「わかりやすく規模が大きい」傾向にあるためだ。あのクエストNPCの様子からしてもそこまで大規模なクエストだとは思えない。
「う〜〜〜ん……」
宿屋で1人、何度目かも分からないうめき声を上げた俺は、閃きの種でもないかとアイテムストレージを開く。鈴のような音をたてて開いた俺のアイテムストレージの内容は、はっきりいってカオスだ。ちょっと気に入った武器や防具に無駄遣いを繰り返すため、コルも貯まらないしストレージはアイテムで溢れかえる。わかりにくいためストレージを入手順にソートし、上から順番に見ていくことにした。…《オアシスの墓標》…《手ごろな岩》…《タッドポールの肉》……
――タッドポール?
よくよく考えてみれば、なぜあんな不毛の砂地にオタマジャクシなんていたのだろう?親ガエルの背に乗って水たまりを移動するオタマジャクシは小さい頃テレビで見たことあるが、まさか砂地を泳ぐオタマジャクシなんて現実世界にいるはずもない。しかしアインクラッドのモンスターの造形は階層の気候や環境に沿った生物が選出されるため、砂地にオタマジャクシがいることには何か理由がある……はずだ。
「行ってみるか…」
揺れいすから立ち上がり宿屋の窓から砂地の方角を見ると、地平線のようなアインクラッドの外周付近に砂地が見え、月明かりで静かに照らされていた。
***
普段なら仮眠をとっているはずの時間に俺は昼間の砂地に向かっていた。眠気は穏やかに俺を帰路につかせようとするが、何かに導かれるように荒地を歩く。
ふと立ち止まると、そこはまさしく昼間、俺が《転倒》し死期を悟った場所だった。相変わらずオタマジャクシは泳いでいるが、満月の光を砂が反射し、きらきらと波打つ様はまるでここがかつてオアシスであったことを静かに主張しているかのように見える。
「オアシスってここのことだったのか…?」
答える者はいないが、代わりに砂地の外周付近に何かが一瞬煌めいた。向かって見ると、砂の中に手のひらに収まるほどの大きさの美しい蝶のブローチが埋まっている。その姿はまるで生きているかのような精巧さだ。喜びを表すような鮮やかな黄色と憂いのような青の飾り、そして世界の果てのような漆黒の羽…。
拾い上げるとすぐ、俺の視界左端のクエストログが変化した。曰く、「青年のもとへ向かおう」との事だ。俺は蝶のブローチをそっとアイテムストレージにしまうと、青年の待つ家に足早に向かった。
青年の待つ民家のドアを開けると、相変わらず気弱そうな青年NPCは手元のリュートを鳴らし歌を口ずさんでいる。昼間と違う点があるとすれば青年の視点の先が手元のリュートではなく、窓から差す月明かりということだ。
「あの…旅人の探していた蝶ってこれのことですか?」
完璧にこのクエストのことを解ききったわけではないが、少なくともこれでクエストは進行するだろう。
俺が蝶のブローチを差し出すと、青年の表情が強ばった…ように見えた。青年が口を開く。
「これをつけた女性は?一緒にいなかったのか?」
あの場所に女性はいなかった。だが俺には青年の言う女性に心当たりがある。俺はおもむろに《オアシスの墓標》をストレージから出し、青年に渡した。
青年は慈しむように墓標を撫でると1度深くため息をつき、俺に話し始めた。
「君に旅人と伝えた相手は俺の片想いの相手でね…この層でオアシスを探す旅に出ると言ってこの街を飛び出して行ったのさ。……あの時、俺が勇気を出して彼女に想いを伝えてこの街に留まらせていれば、彼女を死なせずに済んだかもしれないな…。」
そう言って彼は窓の向こうの月明かりを見る。本来、ほとんどのクエストNPCには高度なAIは搭載されていない。この青年も同じはずだが、俺は確かに、月明かりの映る青年の目の中に哀愁と後悔を見た…気がした。
もう一度青年は俺に向き直ると、
「ありがとう。彼女を見つけてくれて。そして…君は俺みたいになるなよ。」
青年はそう言い残し、墓標を抱えたまま奥の部屋に姿を消した。クエストクリアを祝福するファンファーレがもの悲しげに俺の耳に響いた。
***
このゲームが始まった時点で俺はまだ中学2年生だ。恋人どころか片想いの相手すらいない。ましてや、片想いの相手を亡くす経験など想像もつかない。だが、青年NPCの「俺みたいになるな」の一言が俺の胸に小さなトゲのようにちくちく痛む。
確かに恋人や片想いの相手はいない。だが、この世界で死なれたくない人ならいる。アルゴやエギル、《アニキ軍団》の面々、クライン…そして………。
「…………アスナ…。」
栗色の髪をなびかせ、流星のごとき細剣の一撃を繰り出す彼女の姿が一瞬、俺の目に映る。
彼女にだけは、死なれたくない。
そう思うと、無性にアスナに会いたくなった。彼女とはフレンド登録はしていないが、おそらく23層にはいるだろう。22層攻略の指揮を取った彼女に労りの言葉くらい伝えに行こう。
そう決めた俺は、メニュー画面を開き、アスナにメッセージを書きはじめる。土産は何がいいだろうか。《22層名物 幽霊なりきりセット》を買って脅かしたら…斬られるな。そんな失礼な思慕の念を抱きながら、俺はメッセージの送信ボタンを押した。
アインクラッドのクエストが世界各地の伝説や伝承を元に自動生成されていたと俺が知るのは、これからずっとずっと後のことである。
原曲 アゲハ蝶:ポルノグラフィティ
こちらの話も原作完全準拠です。(ただし、23層は完全オリジナル設定となります)
23層編はこの後、「春一番のラウンドチャント」というお話に続きますが、こちらは後日アップ予定です。
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X(旧Twitter)@Jack_sousaku