前作「舞い遊ぶ切望のフォルクローレ」の続きとなります。一応単話でも読めます。
原曲「サウタージ」 ポルノグラフィティ
※スマホゲームのSAOIFでは23層が実装されていますが、こちらは原作軸なので全く違うテーマの層になっています。ご了承ください。
「暑すぎる…。」
残された水分はポーチに常備している回復ポーションだけだ。現状の最前線にいる以上は回復以外の用途でこれを飲むわけにはいかないだろう。そもそもこの渇望は仮想の感覚であって、私たちの現実世界の身体は自宅や病院で適切な管理を受けているはずなのだ。だが、そう頭では理解していてもこの渇きは抗いがたい。
私…アスナは今、二十二層のボス攻略を終え、二十三層に降り立っている。この二十三層はフロア一面にオアシス一つない砂漠が広がっており、平坦な地形も相まって改めてアインクラッドの広さを実感させる階層だ。砂漠らしさ満点の日差しが降り注ぎ、仮想の身体から水分が根こそぎ奪われているように感じる。階層全体がこんな調子なら、ポーション以外にも水分補給の手段は確保しなければならないだろう。
二十二層と二十三層をつなぐ小部屋から血盟騎士団御一行が主街区の《アミル》に到着した頃には、ボス戦を終えた疲労と水分の不足でメンバーは満身創痍だった。かくいう私も今目の前に樽いっぱいの氷水でも出されたら一気に飲み干せる自信がある。
今すぐ水を求めて酒場に飛び込みたい気分を抑え、団員たちに労いと休息の指示を伝える。乾ききった団員たちが酒場に吸い込まれていくのを見届けつつ、団長に二十二層攻略完了の報告メッセージを送る。ギルド体験中の身でありながら二十二層のフロアボス戦にてレイド全体の指揮を任されていたこともあり、出発前には「攻略完了の連絡が来るまではギルドルームで待っているよ。アスナ君。」とまで言われていたのだ。可及的速やかにメッセージを送らないと団長も待ちぼうけになってしまうだろう。
人差し指と中指をそろえ振り下ろすと、鈴のような音と同時にメニューウィンドウが開く。フレンドのタグを開くとほとんど余白でいっぱいのフレンド欄が視界に映る。メッセージ送信先の彼の頭文字のHの次は順番としてはKが表示されるだろうが、そこは何も表示されることなく、その下に親友の名が記されて以降は空欄となっている。ひと月ほど前にコンビを一時解散した黒衣の剣士とはフレンドになっていない。それどころか、コンビ解消以降はボス戦の攻略会議以外では全く話してもない。彼との日常は、非日常の極みであるSAOの中で数少ない居場所であり、当たり前のものだった。それゆえにシステム的なフレンド登録を行う必要もなく、四か月近いコンビ期間の間とうとう言いだすこともできなかったのだ。フレンド欄を見るたび、「フレンドになろう」の一言すらも言い出せなかった自分の弱さに歯噛みをするのが、もはや恒例になってしまった。
ぎゅっと瞬きをして頭から雑念を払い落し、フレンド欄のHの行に表示されていた“Heathcliff”の文字列をタップする。手早くレイド全体の無事と主街区への到着を書き起こし、送信。一分程度で帰ってきた返信は彼らしい簡素な内容のメッセージだった。曰く、「二十二層攻略、ご苦労。明日は一日休息をとりたまえ。」とのことだ。
実際多少の疲労感はあるものの、これまで全二十二回のフロアボス戦や数多のフィールドボス戦を経験してきた私にとっては、二十二層のボスはさほど強敵ではなかった。なんせフィールドにはモンスターが出現せず、たった三日でボス部屋が発見されてしまった。さらにボス自身も大したギミックはなく、作戦や指揮系統の混乱もないスムーズなボス戦で、まさに指揮の練習にはぴったりのボスだった。だからこそ命のかかったボス戦後なのに疲労らしい疲労感もないのだろうが。
とはいえ無理が禁物であることはコンビ時代から充分学んできた。
―――――宿を確保して休息したら周辺の探索をしよう。
休息がとれると思うと張りつめていた精神が少しだけ緩むのを感じる。私は砂塵にまみれた体を風呂で流し、ついでに仮眠もとるべくお風呂のついていそうな宿屋を探して砂岩の道を歩み始めた。
私が仮眠をとるのに選んだ町はずれの宿屋は、石造りのこぢんまりとした建屋だった。一階はロビーとレストラン、二階は客室となっている。内装も異国情緒あふれる様子で、まさにファンタジーRPGに出てくる宿屋そのものといった様子だ。ただ悔やまれるのは、お風呂のついた宿が見つからなかったことにある。三十分以上主街区とその周辺を見て回ったが、不自然なほど一軒も見当たらない。これほど砂埃にまみれる気候なら自然とお風呂やシャワーが設置されると思っていたが、まさか一軒も見つからなかったのは想定外だった。仮想世界である以上砂埃なんて視界が悪くなること以外何も問題はないのだが、こればかりは気分の問題だ。
それにしても、こんな隠れ物件を見つけられるようになったあたり、私もこの世界での生き方に慣れてしまったのだろう。もしくは、かつての暫定パートナーの影響だろうか。
二層でネズハ…いや、ナタクの鍛冶屋前で出会ってからずっと隣にいた黒衣の剣士は今やもう隔たれた存在だ。ソロの彼とギルド体験中かつレイドリーダーの私の間にはいつしか大きすぎる壁ができてしまった。
仮眠を終えた私のぼんやりした頭がとりとめのない思考を浮かべて再起動を図る中、私は周辺の探索の前に一階のレストランで早めの夕食を食べることにした。木造の席に着き、卓上のメニュー表を手に取る。セビーチェやティラディートといった日本ではあまり見かけない横文字の料理名が薄い木板に刻まれている。見覚えにあるような名前の気がして記憶の中にある各国の料理を検索していると、ふとメニュー表の不可解な点に気付いた。
「飲み物が、ない?」
これまで攻略中に立ち寄ったレストランは、屋台などではない限り必ず何らかの飲み物が用意されていたはずだ。なのにこの宿屋のメニューには一つの飲み物も載っていない。よくよく考えてみれば、レストランに入った時点でNPCウエイトレスがお冷を運んでくるそぶりもなかった。卓上や周辺を見渡すも、卓上にはNPCウエイトレスを呼ぶためのベルしかなく、飲み物用の別のメニュー表があるわけでもセルフサービスというわけでもないようだ。この渇ききった二十三層の探索をするのに、レストランで飲み物一つ飲めないのは攻略の集中力の低下を招きかねない。これから探索に行こうとしている身ならなおさらだ。
まだ食べる料理は決まっていないがとりあえずNPCウエイトレスを呼んでみることにした。卓上のうっすら錆びたベルを鳴らすと、簡素なエプロンに身を包んだNPCウエイトレスが足早にやってくる。五層の《BLINK&BRINK》ならこの時点でお冷が出てきたが、ここではそういうわけでもないらしい。
「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりでしょうか。」
一礼し、NPCウエイトレスがポケットからメモを取り出す。が、私の用は注文ではない。
「このレストランには飲み物っておいてありますか?」
通常、NPCウエイトレスには注文以外の会話は通じないはずだが、聞いてみるほかない。そう思いつつも見当違いな返事が返ってくるだろうという予想をしていたが、それをはるかに超える出来事がいともたやすく打ち砕いた。
私の質問を聞いたNPCウエイトレスの頭上に金色のクエスチョンマークが表示されたのだ。予想だにしなかったクエスト発生の証が突如現れ、驚きのあまり声の出せない私を差し置いてNPCウエイトレスが口を開く。
「申し訳ありません、お客様。あいにく当店では飲み物は取り扱っておりません。というのも、この地域では水はとても貴重で、お客様にお出しできるほどの余裕がないのです。」
沈痛な表情を浮かべるNPCウエイトレスはそのまま続けた。
「この地域は大昔の大厄災で水源を失い、そのすぐ後には雨も降らない不毛の地となってしまいました。かつて水を探しにこの町を出た女の子もいましたが、旅に出たきり音沙汰もありません。旅の剣士様、どうかこの地に水を取り戻していただけませんか?」
そこまで話を聞くと視界の左端に映るクエストログが更新された。
NPCウエイトレスの悲嘆とわずかな希望に満ちた目を見て、私はわかりましたという他なかった。
からんからん、という錆びたベルの音が寝静まった主街区に響く。視界の左端には意図せず受けてしまったクエストのログが鎮座している。
街中でクエストが発生すること自体は不思議なことではない。六層でキューザックの面々が言っていたように、圏内のみで完結するクエストだってあるのだから。だが、私が驚いたのはそのクエストの規模感だ。大昔の厄災に、旅に出た女の子の行方。この層全体のテーマに触れそうなワードの数々からして、三層のエルフキャンペーンクエストや四層の《昔日の船匠》のような階層攻略に必須級のクエストに違いない。休暇をもらってじっくり二十三層の探索でもしようと思っていた矢先に、とんでもない難題にぶち当たってしまったせいで、驚きのあまりかせっかく食べた夕食の味すら記憶の彼方に飛んで行ってしまった。
クエストの名前は《砂塵に唄う英雄譚》:水を求めた少女を追おう
進行度を示すログ曰く、「町の人と話し、手がかりを見つけよう」とのことだ。あてもなく宿屋兼レストランから出たのはいいものの、深夜の主街区にはNPCの姿一人見当たらない。クエスト攻略を明日に回し、ギルドメンバーに協力を要請する手もあるが、せめて最初の手がかりくらいは見つけておきたい気もする。
ぐぬぬ…と葛藤にさいなまれること三十秒ほど、突然、鈴のような音とともに視界の右端に紫色の手紙マークが表示された。差出人は…。
「キリト君…?」
フレンドメッセージではなく、同じ階層にいないと送信できないインスタンスメッセージが、キリトからの便りとして届いていた。何事かと開封する。
「二十二層攻略とレイドリーダーお疲れ様。少し会いたい。余裕のある時間を教えてくれ。」
少し会いたい、とは彼らしいような彼らしくないような一言だ。こんなメッセージを送ってくるあたり、もしかしたら彼の心情はただ事ではないかもしれない。彼はいつも、私たちの知らないうちに攻略組たちのいざこざを収めたり、PK集団から攻略を死守してくれる暗躍者だ。その分、一人でなんでも抱え込んでしまうし、口下手なこともあり一部の攻略組メンバーからは未だにやっかみを受けている。それにPK集団を相手取っていることもある以上、何があるかわからない。
私は急いで礼と今すぐでも会える旨を送信する。
数十秒後もしないうちに町の中心にある広場に来てくれというメッセージが返ってきた。彼の安否を心配している面はもちろんあるが、それ以上に彼と久しぶりにゆっくり会えるかもしれないという希望が、無意識のうちに私の心を浮足立たせていた。
二十三層のテーマは《荒野を往く詩人》であるらしく、町のいたるところに酒場やステージが立ち並び、今日初めて降り立った時にはそこかしこからエキゾチックな音楽が鳴り響いていた。もっとも、先程のレストランのように、酒場なのにも関わらず飲み物がない場合もあろうが。
そういった町の中でもひときわ大きな円形のステージが町の中心に堂々と設営されている。全方位に席が設置されており、まさしく大型ライブ会場そのものだ。もしかしたら町のミュージシャン達の憧れのステージなのかもしれない。もしくは最近下層で耳にする、《歌チャン》の舞台にもなるだろう。
ステージの北側にある一席の砂を軽く払い、腰掛けて彼を待つ。すぐに行く、と返信が来ていたのでそう長く待たされることはないだろう。万が一待たされるようなことがあれば、コンビ時代のように脇腹に一発お見舞いしてやろうか。
そんな物騒な思慕は、たった一言、間の抜けた裏声の不意打ちで霧散した。
「ヤア アスナ!オマタセ!」
ぴょこっと背後から姿を見せたのは、真っ白な外套を身に纏った薄気味悪い幽霊…のパペットだった。
「………。」
流石の私でもお化けとはいえ可愛らしいパペットに驚くほどではない。苦し紛れにぴょこぴょこ短い腕を動かすパペットの下から伸びる腕をむんずと掴み、力任せに前に引っ張る。
「うぉおああ!?」
と情けない悲鳴とともに、転がり落ちてきた無防備なうなじに左手で手刀を振り下ろす。私の渾身のチョップは見事に命中し、犯罪防止コードを貫通した不快な衝撃が彼を貫き、静寂の街中に彼の「ぐえっ」というさらにみっともない声がこだました。
「いてて…。何も殴らなくたっていいだろ…。」
真っ黒なコートから土ぼこりを払いぼやくのは、二十二層以降まともに話していなかった元暫定パートナーのキリトだ。彼の右腕には先ほどの人形劇に使われたお化けのパペットが握られている。持ち主を転ばせたが故に少々砂を被ってしまったが、それでも遜色ないほどに真っ白な外套がはためいていた。
「変ないたずらするからでしょ!なんなのよ、それ。」
私が怪訝な顔でパペットを指さすと、子供のようなしたり顔で彼は答え始める。彼がボス戦で見せる鬼神のような戦いぶりからは想像もつかない一面に、血盟騎士団に入ってからいつの間にか硬く閉じていた心がゆっくりと解かれていくようだ。
「二十二層の主街区で土産物になっててさ、名付けて“二十二層名物 幽霊パペット”!」
「………。」
ドヤ顔で説明するキリトに向けて精一杯の冷ややかな視線を送る。私がお化けを苦手なこと知ってるくせに。
冷ややかな視線が功を奏したか、キリトが気まずそうに向き直った。
「…えーーっと、そ、それでですねアスナさん。二十二層ボスのレイドリーダーお疲れさま。これ、パペット以外の土産。」
そういうとキリトからトレード申請が届いた。内容は各種ポーションやレイピアに使えそうな強化素材だ。
「喉の渇く層だからポーションは多めに持った方がいいと思ってさ。」
「…ありがと。」
確かにこの層はポーションによる喉の潤いは準備しなければならないし、ありがたいものではあるが、女性に贈るプレゼントにはいかがなものか。あくまでも攻略パートナーとしてしか見られていないような気がして嬉しいような…何だろうか。
トレード申請をありがたく許可し、彼からメッセージが来た時からの質問を投げかけた。
「それにしても急に呼び出してどうしたの?キリト君から連絡してくることなんて、今までなかったのに。」
私の疑問になぜか黒衣の剣士は気まずそうな様子で目をそらす。
「あーーーー、うーーんと…お、俺以外のメンバーと階層登ってきたの初めてだっただろうし大丈夫かなーって…。」
SAOの感情表現エフェクトが彼の額に一筋の冷や汗を垂らす。嘘をついているのは見え見えだ。とはいえ会いに来てくれたことはちょっぴり嬉しい。
「そう。特に何もなかったけれど、緊張はしたかもしれないわね。」
「そ…っか。まあでも無事ならよかったよ。」
今の言葉は本心なのだろう。彼の顔が安堵で緩む。夜風に彼の真っ黒な髪がなびく。こんなに穏やかに話せたのはいつぶりだろう…。
感傷に浸っていた静寂を裂くように、横に座った彼のお腹が「ぐうう~」と鳴った。
「…ねえ、キリト君。夕食はもう食べた?」
「…食べたはずなんだけどな……。」
やれやれ、食い意地が張っているのも相変わらずか。とはいえこの展開は好都合。彼に会う前に受けたクエストについて助言が欲しかったところだ。階層のテーマに直結しそうなクエストならば、ソロの彼だけでは攻略が難しい場面もあるだろうし、Win-Winだろう。先ほどのレストランのメニュー表を見せれば手っ取り早い。それに、ギルドでの食事は窮屈で落ち着かないのだ。どこか軍隊じみているような、息の詰まる食事。まるで現実世界での家族との食事のような…。
さっとかぶりを振って思念を振り払う。今は彼と会食できるかもしれないことを喜ぼう。そう思うと自然と心が落ち着く。腰掛けていた石造りの椅子から跳ねるようにぴょんと飛び降りた。
「じゃあ、私の宿に行きましょ。一階がレストランなの。」
「案内お願いします…。」
空腹でしょぼくれた彼の顔は、水を失い枯れ果てたこの大地そのもののようだった。
宿屋兼レストランに着いた私たちは、さっきまで私が座っていた席に座りなおした。私がほっと一息つく頃には、卓上のメニュー表は彼の手に渡っていた。やれやれと思いつつしばし観察していると、体面に座る剣士からうんうんとうなり声が聞こえ始める。
「メニューが全体的にカタカナばっかりで想像がつかない…。」
楽しみにしていたであろう食事で思わぬ弊害にぶち当たっているらしく、彼のしょぼくれていた顔がさらにしょもしょもと半泣きになっていく。その様子がどうにも面白くてたまらない。
「セビーチェってのは夕飯に食べたんだけどティラディートってなんなんだ…。あとこれも…あるふぁふぉーれす?」
私が夕食を食べる時に抱いた感想と全く同じ悩みのようだが、私は彼と会う前にその疑問については解消していた。ずっと昔、現実世界でハウスキーパーの佐田さんが作ってくれたのを思い出した。確かあれは…。
「ペルーの料理だったはずよ。セビーチェは魚介類のマリネ、ティラディートはお刺身のスパイス煮込みみたいなもの、アルファフォレトースはクッキーでクリームを挟んだ伝統のお菓子ね。」
「へえ~…さすがだなアスナ。博識なのは変わりなくか…。」
「たまたまよ。うちのお手伝いさんが作ってくれたことがあって…。」
そこまで言ってからしまったと顔を背ける。いくら現実世界に帰れないからとはいえ、ぺらぺらと個人情報を話すものではない。案の定、目の前で感心した様子のキリトが、ぱっと顔を上げた。
「え、お手伝いさん…?アスナってもしかして相当いいお家のお嬢様なのか…?」
「お、お嬢様なんかじゃないわよ!」
気恥ずかしくてつい声を荒げてしまった。なぜか彼といるといつもどこかセンセーショナルになってしまう。そろそろ彼に疎ましがられないか心配だ。ギルドにいる時には決してこうはならないのに、なぜこうにも騒々しくなってしまうのだろう。
まあ、そんなことより今は彼に話したいことがある。「悪い悪い。」と手刀を切る彼に、私は先ほどのクエストの話をしようと口を開いた。
「あのね、キリト君。私がここに君を連れてきたのは、食事以外に聞いてほしいことがあるからなの。」
「ん?アスナがそんな風に言うなんて珍しいな。」
「うん、キリト君はそのメニューを見て何か気になることはない?」
そう言って私は彼の手元のメニュー表を指さすと、彼は訝しげにメニュー表をのぞき込む。
「えっ…そうだな…。メニューが全部ペルー料理なところとか?」
「確かにそれもそうだけど、それは階層のテーマにあたるんじゃない?」
「それもそうか…じゃあ、海も川もないのに魚料理が出てくるところとか?」
「あっ!惜しい!もうちょっと!」
「ええ…?海も、川も…水分がないってことだから…あっ!」
パチン!と彼が指を鳴らす。ひらめいた!と言わんばかりに答えた。
「飲み物がない!」
「そう!それ!」
どこからか、ピンポンピンポン!という音が聞こえそうなほど、求めたとおりの答えが出た。このデスゲームを単独で突き進むプレイヤーこその洞察力には感服しきりだ。
だが、キリトの中ではその答えに納得がいっていないようで、「う~ん?」と言いながら腕組みをし始めた。
「でも五層のブリンクアンドブリンクの時は注文を聞きに来た時にお冷が出たよな?」
「そうね、私もそれは考えたの。」
「そういうからには、何も出てこなかったと…。」
「ええ、それこそ今日の本題なの。」
そう告げながら右手の人差し指と中指をそろえ、軽く振り下ろす。開いたメニュー画面を可視モードにして彼に向ける。
「ここで飲み物を頼もうとするとウエイトレスNPCからクエストが発生するのよ。ほら、これ。」
彼は差し出されたクエストログをまじまじと見つめて読み上げた。
「クエスト名は…《砂塵に唄う英雄譚》。進行度は、町の人と話し手がかりを見つけよう…か。」
「町の人にはキリト君を待ってる間に何人か声をかけたの。でもみんな定型文しか答えてくれなくて。何かカギになるようなNPCがいるはずなんだけど…。」
「そのウエイトレスNPCは他に何か言ってなかったか?」
「確か大厄災で水源が無くなってから雨すら降らなくなったって言ってたわね。あ、あと、昔この層で水源を探しに行った女の子がいたとか。」
そう話すと、彼の様子が変わった。はっと目が一瞬見開き、小声で「水を探した女の子…?」とつぶやき始めた。すうっと影になるかのように俯き、ぶつぶつと何かを思案し始める。考え事をする彼が突然自分の世界に入ってしまうのは半年ほどの暫定パートナー期間にもう慣れた。
「どうかしたの…?」
私の問いかけでようやく彼はこちらの世界に帰ってきてくれた。
「あ、いや。もしかしたら、その水を探しに行った女の子のことなら何かわかるかもしれない…心当たりがあるんだ。」
「心当たりって?」
「アスナに連絡する前に受けたクエストで、その女の子の話が出てきたんだ。その時のNPCに聞けば、手がかりにはなる…はずだ。多分。」
さすがは今や攻略組唯一のソロプレイヤーだ。私と会うまでに既にクエストまでこなしていたとは。二十二層ボス戦後にまともに休息を取っているのか心配ではあるが、ここまで来たら付き合ってもらった方が手っ取り早い。
「じゃあ後でそのNPCのところに案内して。情報代がわりにここの食事は私のおごりにするから。」
「えっ!いいのか?」
さっきまでの思案中の真剣な顔から、打って変わって彼の顔が色めき立つ。百面相を見せる彼の様子がどうにも愛おしくて、ギルドに所属した責任感もレイドリーダーとしての緊張もいつの間にかどこかに消え去っていった。
その後三十分ほど、私たちはレストランでペルー料理に舌鼓を打った。事前に二人とも夕食を済ませていたはずなのに、異国風味のスパイシーな香りに誘われてずいぶんと堪能してしまった。夜食という概念に乏しかった私にはしばしの罪悪感があったが、栄養という概念のないこの世界ではいくら夜食を食べようと体型にも健康にも影響はない、はずだ。
体型のことはさておき、充分な食事と休息を終え、思考を攻略へと切り替える。。半年前のあの日から始まったこのデスゲームを一刻も早くクリアしたいという気持ちは今も変わらない。いつまでも町でゆっくりしているところを見られたら、ギルドメンバーにどう思われてしまうかわからない。体験の身ならなおさら。
少しだけ背筋がぴんと張る。ギルドの一員として、二十二層のレイドリーダーとしても気を抜くわけにはいかないだろう。もしかしたらこのクエストは層の攻略のカギともいえるクエストかもしれない。そうなれば私が動かない間この層の攻略が停滞してしまいかねない。
これ以上はゆっくりしていられないなと一息ついてから立ち上がる。ようやくティラディートを食べ終わったキリトがはっと顔をあげた。
「さ、そろそろ行きましょ。夜遅くなるとNPCも寝ちゃうでしょうし。」
がちゃっと鎧を鳴らしてそう告げる。いつものキリトなら食べ終わってすぐにレベル上げに向かうだろうに、今日のキリトは申し訳なさそうにおずおずと手を挙げて話始めた。
「アスナさん…あの…。」
「どうしたのキリト君。食べ終わったなら行きましょ。」
「デザートも頼んでいいですか…。」
「………。」
「アルファフォーレスっての食べてみたいです…。」
「………。」
「だめなら諦めます…。」
「………。」
なんと食い意地のはった剣士なんだ、という言葉を飲み込ませるかのように、彼の瞳は申し訳なさそうに、されどアルファフォーレスへの興味と食欲で爛漫に輝いている。その姿はまるで、母親にお菓子をねだる子供そのものだ。
文句の代わりにはぁ~~~~っとこれ見よがしにため息をつく。彼が一瞬子犬のように縮こまる様子がなんだか憎めない。
「……いいわよ。」
「やった!ありがとな!アスナも食べるか?」
彼の表情がぱああっと音が出そうなほど明るくなる。顔の周りに花畑のエフェクトでもつけてやりたいくらいだ。
まあ、たまにはこういうのも悪くない。
「うん、私も食べようかな。」
私がそう答えると、キリトの「お姉さん!アルファフォーレス二つ!」という声が二十三層の夜空にこだました
アルファフォーレスをじっくりと味わった私たちは心地よい満腹感を抱えながら、キリトの案内で件のNPCのもとへ向かっていた。夜風が主街区を穏やかにそよぐ。石造りの街並みに吹く空っ風はどこか寂しげで、隣にキリトがいるというのに孤独感が募る。彼の存在を確認するかのように私はキリトの行く先について尋ねた。
「ねえキリト君。今から行くNPCのクエストってどういうクエストだったの?」
「ああ、旅人を探せっていう内容だったんだけどな…ううん…。」
「どうしたの?」
話し始めてすぐ彼の語尾が尻すぼみ、口ごもる。しばらく目が泳ぎ、俯き、こほんと咳払いをした後、彼は続けて話し始めた。
「結局旅人は死んじゃっててさ。大事な人だったらしいんだ。けど遺体もなくて髪留めだけがたまたまフィールドに残ってたんだよ。それを届けたらクエストクリアって感じだった。しかも墓標はモンスターが飲み込んじゃっててNPCも旅人が亡くなってたことを知らなくてさ…。」
ふっと彼の顔に影が落ちた。
「そのNPCが最後に『俺みたいになるな』ってさ。」
「………。」
つまりそのNPCは大事な人の死に目にも会えず、別れを告げることすらできなかったのだろう。自分のあずかり知らないところで大事な人を亡くし、ただ無為に帰還を待ち続けるだけだなんて。
「辛かったでしょうね。待つのも、知るのも。」
「…かもな。」
二人の間を風が抜ける。私がギルドに入ったら彼はきっと本格的にソロの道を突き進むだろう。そうすれば私は今まで通り彼の動向を全て知れるわけではない。万が一のことがあったとき私がその場にいられるとは限らないのだ。もしそんなことがあれば、そのNPCの姿はいつかの私かもしれない。
嫌な想像がじわりと私の頭に落ちる。攻略をする以上あり得る懸念だからこそ、一度落ちた不安の雫は止まることなくじわじわと私の思考を染め上げていく。それを断ち切るかのように彼が立ち止まった。
「着いた。ここだよ。」
いつの間にか私はうなだれていたようで、彼の一言ではたと顔を上げる。目の前にはこぢんまりとした一軒家が、転移門広場の隅に建っていた。広場の盛り上がりを遠巻きに見つめるような佇まいは、家主が大切な旅人を待っていたという話を裏付けるようで、物寂しい雰囲気が漂う。中からは小さく弦楽器の音が聞こえている。
悲しげな弦楽器のメロディに耳を傾けていると、キリトが控えめに戸を叩いた。ふっとメロディが止まり数秒もしないうちにか細い男性の声で「どうぞ。」と返される。静かに戸を開けると、そこには窓から差す月明かりを見つめながらリュートを奏でる男性NPCが座っていた。スポットライトのような月明かりが、NPCの背に影を落とす。
「…君か。どうしたんだい。旅人は見つけてくれただろう?」
NPCがリュートからこちらへ視線を送るとキリトは穏やかな口調で返した。
「ああ。その旅人について知りたいんだ。教えてくれないか?」
その時、私の視界左端のクエストログが変化した。どうやらクエストは無事進行したようだ。
ひっそりと安堵する私をよそに、NPCは話し始める。しかし、そう素直にことは運ばないようだ。
「どうして?もう彼女はいないんだよ。今更何を話しても彼女の遺志が果たされるわけじゃない。」
NPCであるはずなのに、その一言にはとてつもない感情が乗せられているように感じた。その重みに気負されたか、キリトも押し黙ってしまう。数秒のきまずい沈黙。NPCの方が先に口を開いた。
「…悪いが帰ってくれ。今日は彼女のことを話す気にはなれないんだ。ゆっくり、思い出に浸らせてくれ。」
重い言葉が砂漠の熱風のように重々しくぶつかる。これ以上言うことはないかとでもいうようにNPCは視線をリュートに戻した。ぽろん、ぽろんと弦が鳴る。哀愁をそのまま鳴らすような音が狭い部屋を埋め尽くす。
「…クエスト、進んだか?」
「ううん、何も…。」
キリトの言葉に私はかぶりを振るしかない。先ほどからクエストログはうんともすんとも言わない。
「でもさっきはこんな風には話さなかったんだ。そもそもクエストが終わったら奥の部屋に入って出てこなくてさ。」
「じゃあ、このNPCが私のクエストに関わっていることは間違いなさそうね。」
であれば何かしらクエストを進めるためのキーワードがあるはずだ。目の前のリュート弾きの青年から水を求めた少女の名を聞き出すための何かが。
「話したがらない理由があるってことよね。」
「そうだろうな。さっき“今日は話す気にならない”って言ってたし、明日出直すか。」
先程のNPCの言葉をキリトが反芻する。確かに青年はそう言ったが、それ以前に…。
とん、と一歩前に出て私は言葉を紡いだ。
「彼女の遺志って何だったんですか?」
彼女の遺志が果たされるなら、彼も何かを話す気になるかもしれない。そんな一抹の希望。いやそれだけではない。彼のリュートを弾くその音に、想い人への弔いを感じたのだ。
「さっきも言ったはずだ。話して何になる。」
ほんのり怒気をはらんだ言葉が突き刺さる。だが、その答えは明確だ。
「私達なら、彼女の遺志を叶えてあげられるかもしれないんです。」
その一言が正解だったのだろう。ジャン!とリュートが鳴り止み、彼はその目を見開く。NPCの生気の無い目のはずなのに、私を見つめたその目には言い表すことのできない感情が渦巻いていた。
「……彼女は水を探してこの町を出ていったのさ。大昔にはここにもたくさん水があったって大はしゃぎでね。」
NPCに勧められ、部屋の椅子に腰かける。リュート弾きの青年NPCは足元にリュートを置き、静かに語り始めた。クエストのヒントを拾うためにはメモでも取った方がいいのだろうが、その語り口が自然とそうさせてくれない。
「なんで彼女はそんなことを?」
「…この地域はそれはもう豊かな土地だったっていう伝説があったのさ。彼女はそれを大真面目に研究していた。けどそんなの、ただの口伝さ。もう誰も信じちゃいない。」
ひょいと肩をすくめながら話したと思えば、NPCはすぐにまたうつむいた。
「俺も最初は笑ったさ。そんなのただの伝説だ、真に受けるなってな。だから、その時にちゃんと止められていれば、もしかしたら今頃一緒に過ごせていたかもな。」
ふっとNPCは顔を上げた。見守るような三日月が彼の瞳に落ちる。じっと月明かりを瞳に揺蕩わせていると、やがてそれを閉じ込めるようにぎゅっと瞼を閉じる。少しして開いた彼の瞳には先ほどとは違う、決意の光が確かに私たちを捉えていた。
「彼女の遺志を継ぐのには、せめて安全に隣町に行ける実力が必要だ。俺には到底不可能だがね。」
かた、と椅子を鳴らして立ち上がり、彼ははっきりと私たちに告げた。
「君たち、彼女の生きた軌跡をどうか探してはくれないか。」
その覚悟を決めた口ぶりに私たちは頷くしかなかった。
クエスト進行を祝福するファンファーレが、その時だけは背中を押す応援歌に聞こえた。
NPCの家を出たころにはすっかり夜も更け、町中の店の明かりが消えていた。街開きでにぎわっていた転移門前広場も人っこ一人見当たらない。眠りについた街を見ていると、自然と睡魔が舞い降りてくる。昼間に仮眠をとったはずだが、フロアボス戦の疲れというのはそう簡単には霧散してくれない。
私もキリトも、何も言わず自然と帰路に着き始めた。
「キリト君、宿はとってあるの?」
「ああ、とってあるけど…明日もこのクエスト一緒に攻略することになるだろ?それなら同じ宿の方がいいと思って。」
「ま、まあ、確かに…。」
自然と同じ宿に泊まることになる流れに、どこか懐かしさを覚えてしまう。そして、一抹の嬉しさも。彼も同じ気持ち…だろうか…?
「それに、あの宿に泊まればまたアルファフォーレス食べられるからな!」
………期待した私が悪かったかもしれない。
宿に着いた頃にはとっくに一階のレストランは閉店していたが、幸い宿のカウンターにはNPCウエイトレスがチェックインを担当してくれた。
さらに幸いというべきか、私の部屋以外にも個室が数室空いていた。昼間の主街区はあれほどにぎやかだったのに、その主街区の宿屋が空いているのは、おそらくこの宿が主街区から少し離れた隠れ家のような立地だからだろう。夜中に明かりもなくこの入り組んだ場所の宿を見つけるのは下層のプレイヤーにしてみれば少々難易度が高い。
キリトが迷いなく別室をとっているのを横目に見ながら、かつての私たちの宿屋事情を取り留めもなく思い浮かべる。部屋が一緒だったり、ベッドが一つしかなかったり波乱万丈の宿事情だったが、今思えばそれも悪くなかった。あの頃だけは、嫌な夢も見ずにぐっすり眠れたのだ。彼とコンビを解消してもうしばらく経つ。その間にも何度飛び起きたことか…。
「…アスナ?」
「えっ、あ、どうしたの?」
「いや、明日は十時に下のレストランに集合でいいか?」
私の隣の部屋のドアノブに手をかけながらキリトが問いかける。
「ええ、大丈夫よ。私が来る前にアルファフォーレス食べ過ぎないようにね。」
「ぜ、善処します…。」
自信なさげな返事を横目に私は自室の戸を開けた。ファンタジー世界の宿屋らしい、古びた扉を開け中に入る。簡素なベッドと小さな棚、アイテム保存用のチェストが置かれたスタンダードでゲームらしい宿の様相にも、もう慣れた。扉が閉まると同時に強烈な眠気がぐんと頭に落ちる。ベッドからの誘惑に抗えず、ふらつきながらも装備を解除してベッドに近づき、ぼふんと音を立ててうつぶせに倒れこんだ。
枕に顔を埋めても呼吸を必要としない仮想アバターなら眠れるはずだが、どうにも息苦しいような気がしてごろりと横向きに寝返る。しんと静まり返った部屋の中では外で鳴く鳥の声がかろうじて聞こえる程度だ。当然だが隣に泊まっているキリトの方からは何の音も聞こえない。シングルベッドなはずなのに、なぜか自分の寝転がった真横に自然とスペースができてしまった。
自分の行動一つ一つにコンビ時代の名残を感じてしまう。壁越しにいる元暫定パートナーが近いようであまりにも遠い。こうなることを選択したのは他でもない私なのに。
キリトが向こうにいるであろう壁を小さくノックする。SAOのシステム上、壁越しの声や音は聞こえない、その原則を知っていても。
コン、コン、コン、コン、と4回ほど壁を叩く。私が伝えたいことがその中にひそかに込められていた。
ころころとした木琴の音が耳元で鳴り響く。いつもの起床アラームが起きるべき九時五十分を教えてくれていた。「あと五分」と言いたい気持ちを、からからに乾いた喉の奥にぐっと押し込んで起き上がる。現実世界なら出発十分前に起床などもはや遅刻確定だが、朝の支度が極限まで簡略化されたこの世界であれば、たとえ一分前だろうと間に合わせられる。…という油断が命取りであることは六層で学んだ。
装備を整え、各種ポーションの在庫、武器の耐久値の確認、それらすべてを慣れた手つきで手早く済ませ、一階のレストランに降りる。朝ごはんを下のレストランで済ませつつ今日の攻略についてキリトと話し合いたいところだがここのメニューにも飲料水の類は全くない。せめて自前で用意したいところだが、あいにくアイテムストレージにある飲み物と言ったらポーション類しかない。起き抜けでからからの喉が水分をよこせと訴えかけてくる。よくよく考えてみれば昨日のボス戦後から何も飲んでいないのだ。この世界で脱水症状は起こさないはずだが、この渇きが不快なことには変わりない。まずは飲み水の確保を…。そこまで考えたころにはすでに階段を下りてキリトの待つテーブルに着いていた。私の気配に気づいたキリトが、いたずらした子供が母親に見つかった時のようにはっと顔を上げる。そのテーブルの上にはいくつも積みあがった皿が鎮座し、テーブルの主の頬はアルファフォーレスでいっぱいになっている。ちょっとだけバツが悪そうに彼が挨拶してきた。
「ん、おふぁおう、あふな。」
「…おはようキリト君。それ、何個目なの?」
私の問いへの返答は少しぎこちなく、ひょいと肩をすくめられただけだった。
私たちが出発したのは、彼が積みあがった皿をさらに三皿増やした後のことだった。宿屋を出ると燦燦とした陽の光が私たちのアバターをじりじりと焼き焦がす。
「やっぱり熱いわね…。」
「七層のウォルプータもこのくらいじゃなかったか?」
「それはそうなんだけどここは海もないから風もないのよね。あんまりリアルでもないような暑さなのよ。」
「なにより、飲み物もないしな。」
そういいながら彼はメニュー画面を開き始め、なにやらアイテムを実体化させた。ちりり…と鈴のような音を立てて実体化したアイテムは…。
ポーションの空き瓶に入れられた、澄んだ水だった。
「そんな水、どこで…。」
無意識にその清水に目が行く。私の疑問に彼はにやりと笑みをこぼし答えた。
「アスナが起きてくる前に二十二層に降りてさ、ポーションの空き瓶に汲んできたんだよ。二十二層山脈の天然水さ。」
「どこかで聞いたことあるネーミングね、それ。」
「はは、アスナの分もいくつかとってきたぜ。」
そういって数本の水入り瓶が表示されたトレード画面が目の前に展開された。普段の攻略なら絶対に捨ててしまうポーションの空き瓶がまさかこんなところで役立つとは。
「ありがと。もらってばっかりで悪いから今度なにかお礼させてね。」
「今日はたくさん知恵を借りるだろうからさ。よろしく頼むぜ。」
主街区から出てしばらくはごろごろとした岩場で、足場の悪いフィールドが続いていた。時折キリトが道端に落ちているソフトボール大の石ころを拾ってはストレージに入れている。理由を聞いても「後でわかるさ。」と言われてはぐらかされてしまうが、彼の行動が案外幼いことはこれまでの冒険で幾度となく学んできた。幼いころの兄もよくどんぐりやら木の枝やら拾ってきていたので、男の子らしい行動原理なのだろう。
さらに歩いていると、ある一線を境に広大な砂地が広がっていた。遮るもののない日差しが砂地に当たり、陽炎がゆらゆらと燃える。
「あの男の人が言ってた隣町ってこの先かしら…?」
「そうだと思うよ。ここ以外に道も無かったし。」
「けど、この砂地かなり広いわよ?歩いて行ける?」
しゃがみこんで足元の砂を両手に掬ってみる。さらさらとした砂地は歩けなくはなさそうなものの、長距離移動であることを考えるとあまり足を踏み入れたくない。陽炎が揺れる合間には最前線にふさわしい濃いピンク色のカラーカーソルがちらちら覗いている。下層のレベリング場とは明らかに異なる強敵の証。そのうえ初見のモンスターを相手取るのに足場が悪いのはあまりにもこちらが不利だ。
「砂に足を取られるリスクを考えるとあのモンスターの群れに無策で突っ込むのは考え物よね。」
「え、ああ…そう…っすね…。」
歯切れの悪い返事とともに彼の目がそれる。まさか。
「無策で突っ込んだ経験でも?」
「…ハイ。」
正直に白状した彼の返事にこれみよがしにはああぁぁ~~~~~っとため息をつく。
「ソロプレイなら今まで以上に気を付けてないとって言ったでしょ!」
「わ、わかってるって!けどちょうどいい狩場を見つけたら血が騒いじゃってさ。」
「そうは言っても安全第一でしょ。もう…。」
「でもそのおかげでこの砂地のモンスターの攻略法は掴んだぜ。」
そう言って彼はおもむろにストレージから先ほどいくつも拾っていた手ごろな石を取り出した。
「これをあのモンスターに向けて投げればいい。」
「投げても石ころだと《投擲》スキルは発動しないわよね?ピックとかの方が良くない?」
「このくらい大きい岩が砂地に落ちるとあそこにいるモンスターが音に反応してこっちに来るんだよ。石を丸呑みしようとするから、そこをソードスキルで叩けば倒せる。」
いくぞ、という掛け声とともにキリトが大きく振りかぶって投げ…る寸前。
「あぶねえぞ!坊主!」
「えっ、うわっ!」
投擲動作を寸前で止められたキリトの右手からぽろっと岩が落ち、ごちん!という音とともに彼の頭に直撃した。HPゲージがその衝撃で数ドット減少し、その横に一瞬だけ《気絶》アイコンが表示された。
「ええ…今の何…?」
「よう坊主。そんなでけえ岩投げたらあぶねえぞ。」
頭の上にぴよぴよとヒヨコを飛ばすキリトに近づいてきたのは、砂地を滑るように進んできた小舟とそれに乗った壮年の男性だった。頭上には黄色のカラーカーソルが浮かび彼がNPCであるとわかる。日焼けした肌や筋骨隆々の身体、粗く整えられた口ひげはこの過酷な層で生きる彼の生きざまを示していた。
「驚かして悪かったな。俺ァこのあたりでガマ漁をしてるモンだ。坊主、なんかあったのか?そんなもん投げたらあいつらが近づいてくるぜ?」
ガマ漁?という私の疑問を投げかけるより少し早く、キリトが話を進めた。
「あ…いや、あのモンスターを引き付けて倒そうと思って…。」
突然話しかけられた驚きゆえかキリトはNPCにゲームらしい言い回しで返してしまっていた。それにも拘わらず、壮年NPCはその意図をくみ取った返事を返してきた。
「ほお…あいつらの生態を知ってんのか。あいつらは音に敏感だからな。岩の落ちた音も聞き分けてちゃんと狙って丸呑みにしてきやがる。」
「ま、丸呑み?それに…ガマ漁って…?」
やけに物騒な単語に、身震いしながら聞き返す。
「おっと、嬢ちゃんは知らねえのか。あいつらはでっかいオタマジャクシさ。下手に近づくとほんとに丸ごと持ってかれちまうぜ。俺らはそいつらを獲って生活してんだ。」
「ひえ…。」
想像するだけでもおぞましいが、モンスターの種類もその倒し方も多種多様なこのアインクラッドなら、プレイヤーの死に様もそれ相応の数用意されているはずだ。とはいえそんな死に方だけはしたくない。
そんな決意をしていると、NPCがまた口を開いた。
「それにしてもこんな砂漠で二人はなにしてたんだ?どこか行きてえのか?」
「あ、ああ。主街区の《アミル》から隣町に行きたいんだ。この砂漠を渡る手段を探してて…。」
「おお、《アミル》から来たのか。俺はその隣の《キパレア》から来たんだ。もう少しで帰るところでな。よかったら乗っけてやろうか?多少仕事は手伝ってもらうがな。」
ガハハとNPCが笑ったのを合図にして、私たちの目の前にはクエスト受注のためのウインドウが表示された。曰く、
サブクエスト《砂塵にはためく大漁旗》:漁師とともに無事にキパレアにたどり着こう
壮年NPCの言った“仕事”の内容が多少引っかかるが、このクエストを受ければ目的地に着くことは間違いないだろう。迷いなくクエスト受諾ボタンを押す。
ウインドウが消えると同時に視界の端でクエストログが更新される。曰く、「準備ができたら船に乗り込もう」とのことだ。自身の準備を確認し、隣のキリトに声をかける。
「キリト君は準備できてる?」
「ああ、いつでも行けるぜ。」
「じゃあ、行きましょうか。よろしくお願いしますね、おじさん。」
そういってNPCに向き直ると、壮年のNPCは豪快な笑顔とともにサムズアップしてきた。
「わあ~!すごい…!水の上を走ってるみたい!」
ざあああああぁぁぁと砂を分け、砂上船が進んでいく。現実世界ではありえない挙動だろうが、こういうところはゲームならではの景色だろう。船頭を務める壮年NPCが私の言葉を聞いてまたもガハハと豪快に笑った。
「なんだ嬢ちゃん!砂上船は初めてか!」
「はい!水の上の船は持ってるんですけど、砂の上は初めて!」
そう答えるといまや懐かしいティルネル号が頭をよぎる。四層の転移門広場、西桟橋の北側に係留させたあのゴンドラには数々の思い出を乗せて今も波に揺れているだろう。二人でフォールンエルフのアジトに乗り込んだ記憶、《ヨフェル城》でダークエルフの子供たちを乗せた記憶、そしてなにより、紫の髪をたなびかせるかの凛々しい騎士の記憶…。
湧いては止まらないノスタルジーが目からあふれる寸前、背後から壮年NPCの野太い返答が返ってくる。
「おお!船ぇ持ってるんだな!要領は同じだし漕いでみるか?」
その豪放な声と砂漠の風があっという間に、胸を締め付ける郷愁と寂しさをどこかに吹き飛ばしてしまった。そうだ、今の私は目の前のことに集中しなくちゃ。
「いえ!船頭はいつもこの黒ずくめさんがしてたので!」
そう言って私は隣に座る黒ずくめ、ブラッキーことキリトの肩を抱く。
「お!じゃあ坊主!代わるか!?」
「遠慮しときますっ!!!!」
というキリトの全力拒否が響き渡ったその瞬間、ばっしゃーーーん!!という轟音とともに船が大きく揺れた。
巨大な何かと大量の砂しぶきが舞い上がる。頭上を巨大な影が通り過ぎ、船の反対側に着地した。巻き起こる砂嵐の中目を開けると、そこにいたのは、優に二メートルを超える巨大な…オタマジャクシだった。
「おっとぉ、来やがったなガマ野郎!」
壮年NPCが飛び上がったオタマジャクシに向け叫んだ。当のオタマジャクシは砂の中を自在に泳ぎまわっている。船を狙っているのかずっと並走して泳いできているが、時折潜ったり蛇行したりするせいで、とても武器を当てられそうにない。
「坊主!嬢ちゃん!そこにある銛を持ってくれ!」
「え!?も、もり?」
NPCが指した先にはちょうど両手槍程度の大きさの銛が転がっていた。持ち手の先には小さな包みと導火線らしき短い紐。その横に数メートルはあるだろう長いロープが括り付けられている。
「そいつぁ“火薬装填式砂上銛”だ!そこの火打石で火ぃつけてぶん投げろ!」
威勢のいい指示が飛ぶものの、キリトも私も戸惑うばかりだ。
「な、投げろって言われても…うおぁ!?」
どかっ!オタマジャクシが船に体当たりをしてくる。もはや一刻の猶予もない。
「行くよキリト君!」
「お、おう!」
揺れる船で必死にバランスを取りながら砂上銛を手に取る。ずっしりとした重みと金属でできた刃先のせいで、揺れる船の上で遠くのオタマジャクシを正確に狙うのはあまりにも難しすぎる。
砂上銛の数にも限りがあるはずだ。だが、こんなに揺れる船内でどうやって…。
「アスナ!この銛、槍カテゴリに分類されてる!アスナなら装備できるかも!」
「槍!?」
突撃槍。私が持っている第二の武器スキル。まだ彼に取得した理由は話していないが、私のとっておきにして最終兵器だ。ガレ城での戦闘以来あまり見せてはいないが、キリトの中ではずいぶん印象が強かったようだ。
「突撃槍スキルって武器投擲系のソードスキルあったよな!?それなら…!」
そこまで聞いてから私は返答もさておいて、すぐに自分のメニューウインドウを開いた。所持アイテム欄から火薬装填式砂上銛を選択し装備フィギュアの武器欄にスクロール。そのままスキル選択画面に移動し、武器スキルを細剣から両手用突撃槍を選択…!
「キリト君!火点けて!」
その声を聴いてすぐキリトが火打石で導火線に火をつけて武器の準備が完了した。火薬装填式砂上銛を片手に持ち、右肩に担ぐように構える。両手用突撃槍単発投擲ソードスキル《ブラストスピア》の予備動作だ。黄緑色の閃光が武器全体を包み込む。
しかし、スキルを今すぐ発動できたとてオタマジャクシは浮いたり沈んだりして狙いが定まらない。それに巨体なのも相まってどこに当てればよいかも検討がつかない。
悠長に考えていたのが仇となったか、並走していたはずのオタマジャクシが突如九十度方向転換し、船に向かって大口を開けて突撃してきた。
ごぼぼろおおおおお!!!!
不気味な鳴き声とともにオタマジャクシが迫ってくる。
―――――呑まれる!!
と思ったその時。
「嬢ちゃん!!口ん中狙え!!」
NPCの声がその一瞬の迷いをかき消した。
「やああああああっっ!!!」
全力投擲の《ブラストスピア》。腕の振りによるブーストも相まって、最高火力なはずだ。黄緑の閃光に包まれた火薬装填式砂上銛は流星のような軌跡を描いて、船を丸ごと吞み込もうとするオタマジャクシの喉に深く突き刺さる。それと同時に、導火線とたどっていた火花が砂上銛に括られた包みの中にふっと消え、ズガアアアン!!という爆発音とともにロケットを彷彿とさせる勢いでそのままオタマジャクシを貫通した。
ぐるううぼおおお……!!
という断末魔とともに、オタマジャクシは私たちの目の前で停止し、ガシャ――ンと青いパーティクルを飛散させて討伐された。
「グッジョブ!アスナ!」
振り向くとキリトが火打石を掲げて労ってくる。
「キリト君こそ!」
こちらもサムズアップして答えた。キリトがいなければこの銛が槍カテゴリの武器であることなど検討もつかなった。さすがの洞察力だ。
「お二人さん!奴らまだ来るぜ!」
後方から壮年NPCの警告が聞こえる。砂漠を見やるとまだまだオタマジャクシは大群で押し寄せていた。
「よーし!やってやるわよ!」
私の鬨の声に、男たち二人の雄たけびが呼応して砂漠に響いた。
「あー!楽しかった!」
「お疲れ。一発も外さないのはさすがだな。アスナ。」
「六層のスライムの核なんかに比べればあのくらい簡単だわ。」
船が出発して数十分、ようやく次なる町《キパレア》に到着した。オタマジャクシ狩りはSAOにはあまり多くないシューティング形式のミニゲームだったが、後ろにいたキリトによる的確な指示と着火タイミングにより、押し寄せてきた大群にも余裕をもって対処できた。命の危険どころか最後の方はもはや楽しむ余裕すらあるほどだった。
互いに健闘を讃えていると、漁の片づけを終えたのであろう壮年NPCが話しかけてきた。
「嬢ちゃん、坊主、すげえ連携だったぜ。特に嬢ちゃん。あんたの戦いぶりで、昔この船に乗せた女の子のことを思い出したよ。」
「え、私たち以外にも女の子を?」
このタイミングで出た“女の子”の話は、私たちが追う水を求めた少女の話で間違いないだろう。半ば食い気味に質問を重ねてしまう。
「おう。もう結構前だがな。嬢ちゃんみたいにキパレアに来たいっつって乗っけてやったんだよ。あの子も砂上銛の扱いがうまくてな。漁師の道に来ねえかって言ったんだが断られちまった。」
わはは、と笑うNPCに更なる質問を投げかける。
「その子はどこに向かったんですか?」
「うーん…どこに行ったかは知らねえが…。この町で一晩過ごしていったのは間違いねえ。町のやつらに聞けば何かわかるかもな。」
NPCは申し訳なさそうに答えるが、今の私達には十分すぎるほどの情報だ。
「そうですか…。教えてくれてありがとうございます。おじさん。」
私とキリトがNPCに礼を言うと、壮年NPCは照れくさそうに頭を掻いた。
「いいってことよ。久しぶりに楽しい仕事ができたぜ。二人ともこの町を楽しんでけよ。それからこいつは礼だ。あんたたち旅の剣士だろう?どこかで使えるだろうからな。」
そう言ってNPCが物を渡すようなモーションをしたと同時にクエストクリアのファンファーレが鳴り響く。サブクエスト「砂塵をはためく大漁旗」の報酬はそこそこのコルと経験値、タッドポールの肉数個。そして火打石と火薬装填式砂上銛五本セットだった。
「それにしても珍しいわね。アインクラッドでなんというか…的当てみたいなことするの。」
クエストが終わってもなお私たちに手を振ってくれる壮年NPCに手を振り返しながら、私は率直な感想をキリトに話した。
「ああ、SAOは意図的にシューティング要素を排除してるからな。俺も最初はびっくりしたよ。」
「飛び道具も魔法もSAOじゃ機能しないはずだもんね…」
「フォルフィチュア…か。」
《奇跡の喪失(フォルフィチュア)》。エルフ戦争キャンペーン・クエストの終盤に登場するアインクラッド創世記における重要なキーワードだ。いにしえの時代に起きた天変地異、《大地切断》により大地は百に切り分けられ浮遊城となり、あらゆる魔法は消失し、飛び道具すらも真っ直ぐ飛ばなくなったという…。
「ある意味槍投げも飛び道具だろうになんでまっすぐ飛ぶんだろうな。」
「プレイヤーが直接投げてるからじゃない?キリト君の《投擲》スキルとかネズハさんの《チャクラム》がまっすぐ飛ぶのと一緒で。」
「なるほど。おっしゃる通り。」
攻略組の中でもアインクラッド創世記をよく知る者はそう多くない。きちんと理解しているのは私とキリトを除けば、この話の全てを伝えたアルゴくらいだろう。だからこそ、この手の話をしているときはキリトの隣に当たり前のようにいられたあの頃を思い出す。それと同時に、大好きだったダークエルフの騎士のことも…。
「とにかく、この町でも聞き込みだな。クエストログはどうなってるんだ?」
「えっ、あ、ええとね…。」
キリトの問いかけで急速に郷愁から引き戻される。「大丈夫か?」と心配されるが軽くうなずいてクエストログを参照する。
「あ、いつの間にか更新されてたみたい。“水を求めた少女が過ごした町で聞き込みをしよう。”…だって。」
「うへえ。人探し系か…。」
「まだ町中に限定されてるしそこまで大変でもないでしょ。」
「それはそうなんだけどさ…どちらかというと俺は《虐殺系(スローター)》クエストの方が性に合ってるんだよな…。」
「相変わらず戦闘が好きねえ。」
と、私のあきれ返った返事をかき消すかのように、キリトのお腹がぐううう~~っと鳴った。時計を見ればちょうど12時。何とも正確な腹時計らしい。
「…お昼にしましょうか。」
「…ソウデスネ。」
そう言って顔を見合わせた私たちは、手ごろな昼食を探して《キパレア》の町を散策することにした。
二十三層第二の町《キパレア》はまさに物流と商魂の町だった。メインストリートにはところ狭しと露店が並び、あの壮年NPCがタッドポール狩りで入荷したであろう肉だけにとどまらず、ジャガイモや豆類、トウモロコシなどの乾燥に強い食材や、独特の香りを放つ香辛料が並べられている。加えてそれらを使ったスープや煮込み料理が昼時の食欲を容赦なく刺激してきて、先ほど正確すぎる腹時計を披露したキリトは、露店から露店へあっちだこっちだと渡り鳥を繰り返していた。魅力的な露店に一目散に向かっていく様子は、まるでお祭りではしゃぐ子供のようだ。
「見ろよアスナ!うまそうなサンドイッチもあるぜ!」
「ちょっとキリト君!走ると危ないわよ!」
とは言いつつも、視界を彩る美食の数々には私だって勝てない。そう考えればキリトが走り出してしまうのも無理はないかもしれない。…子守りをしてる気分にはなるが。
数歩先を行ったキリトが息を切らせながら露店のおかみさんに注文を投げかけた。
「おばちゃん!サンドイッチ二つ!」
「坊ちゃん。ここのはサンドイッチじゃないよ。」
「え、どう見てもサンドイッチ…。」
NPCの注釈で注文に戸惑ったキリトの隣へようやく追いつき、露店の脇に掲げられたメニューを確認する。
「キリト君。ここのメニューは“パン・コン・パルタ”ですって。」
「ぱんこん…?」
「ペルー風のサンドイッチよ。豚肉の唐揚げとサツマイモみたいなお芋とか野菜とかアボカドを挟んだ庶民料理だったはず。」
「へえ…さすがの博識だな。そういえば《アミル》でもこの層はペルーがモチーフって言ってたし全部ペルー準拠なんだな…。」
「気を付けて注文しないとNPCに注文が通らなくなっちゃうわよ。」
「それは困る!」
そんな食い意地の張った軽口をたたいていると露店のおかみさんがパン・コン・パルタを二つ手渡しながら話し始めた。
「あんたたち《アミル》から来たのかい?」
あつあつのパン・コン・パルタを受け取りながら私は答えた。
「ええ。とある人の軌跡を追っているんです。」
「人?ここは人も物もひっきりなしに来るからね。そう簡単にゃ見つからないかもねえ。」
はっはっは、とおかみさんNPCは笑うが、そうは言っていられない。いくら人がいようとここまで進めたクエストを破棄するのは気が引けるし、何より、依頼主の決意に満ちた顔を思い出すととても諦められない。これまで出会ってきた感情豊かなNPCとの出会いが自然と私の口を動かした。
「たとえ何百人いようと見つけてみせます。せめてその痕跡だけでも。」
半ば自分に言い聞かせるように私はそうつぶやくと、目の前のおかみさんNPCはこの喧騒の中でも私のかすかなつぶやきにぴくっと眉を上げて反応した。
「お嬢ちゃん言うねえ。どれ、おばちゃんに話してごらん。」
そのセリフがカギとなったのか、視界の左端のクエストログが突然ピコピコと反応した。クエストが進行した証だ。興奮を抑えつつ、NPCに余計なフレーズを聞き取られないよう小声でキリトに状況を伝えた。
「き、キリト君!クエスト進んだよ⁉」
「え、ほ、ほんとか?」
「“おかみさんに旅人の話をしよう”…だって!」
「とりあえず話してみるしかないな…。」
キリトと意見が一致したところでおかみさんNPCに向き直る。クエストNPCらしく、私の話を聞く姿勢で待っていてくれていた。
「隣町から来た女の子を探しているんです。この層で水を探していたらしくて、その子の辿った道のりを追いかけているんです。」
私ができるだけ簡潔に探し人の情報を伝えると、またもクエストログがピコピコと点滅した。どうやら正解のフレーズだったらしい。
ふ~む…と首を傾げながらおかみさんNPCが口を開いた。
「水を探した女の子ねえ…。そういえばいつぞやにお嬢ちゃんみたいな子が来たことがあったねえ。」
「ほんとですか!」
「あの子はそう…ウチのとこの旦那の宿屋に泊まっていったよ。すぐそこの宿屋さ。」
そう言って店のすぐ裏に建つ石造りの建物を指さす。簡素な看板にはINNの文字が砂にまみれながらも掲げられていた。
「旦那にもおんなじこと聞いてごらん。もしかしたら何か覚えてるかもわからんからね。」
「「ありがとうございます!」」
思わぬ形でクエストが進んだことに喜ぶあまり、二人揃ってお礼を伝えると、おかみさんNPCはからから笑いながら、私たちの手にあるパン・コン・パルタを指さして「さ、熱いうちに食べちゃいな。」と促した。
おかみさんNPCと話し込んでいてもパン・コン・パルタは冷めることなく、あつあつの状態を保ってくれていた。
道端のベンチに座り、二人揃って早速かぶりつく。カラッと揚がった豚肉とお芋の味がじわっと口中に広がり、独特のスパイスがその旨味をブーストしてくる。ガツンとパンチの利いたその味は、攻略中のひと息にしては強烈なほどのインパクトを私たちの脳の味覚野に叩きこんできた。隣に座るキリトも相当気に入ったのか、無我夢中でありついている。
両手いっぱいほどの大きさだったパン・コン・パルタはあっという間に二人の胃の中に吸い込まれた。隣で私よりはるかに早く食べ終わったキリトが恍惚とした表情を浮かべている。
「そんなに気に入ったの?」
「いやぁ…旨かった…。リアルのファーストフードのハンバーガーを思い出してさ…。」
確かにスパイスの利いた肉とそれを補強する野菜やお芋の感触はまさに某ファーストフード店を彷彿とさせる味だった。アインクラッドの料理はスパイス系での味付けが圧倒的に多く、日本のファーストフードに慣れた若者からすると不満が多いらしい。かくいう私もたまにはジャンクな食べ物が食べたいと思うこともあるので、このパン・コン・パルタはまさに若者の渇望にストレートに直撃したと言えよう。だが、
「でもなあ…なんか足りないんだよな…。」
そう。いくら似ているとはいえパン・コン・パルタもスパイス風味のサンドイッチだ。あと一味欲しいような不足感は拭えない。
「すごくおいしいのは間違いなんだけど…何かが足りないのは間違いないわね。」
「こう…バーベキューソースみたいな酸味と旨味のあるソースがあればなぁ…。」
「それって《料理》スキルとか《調合》スキルでどうにかできないの?」
「さあ…。ベータでも色々スキルごとのスペシャリストはいたけど、あの時はログアウトできたからわざわざリアルの味を再現しようとするプレイヤーは少なかったと思うよ。」
「それなら取ってみようかしら。《料理》スキル。」
私の何気ない一言にキリトは苦虫を嚙み潰したような顔で私を見た。
「うええ…《料理》スキルは料理するたびにしか熟練度が上がらないから相当な苦行だぜ。」
「でも、それは他の生産系スキルも同じでしょう?なんでそんな顔するのよ。」
私の疑問に、彼はベータ時代の郷愁にその意識を飛ばしながら答えた。
「…最初の方は熟練度が低くて失敗品しかできないから、しばらくは焦げた肉とかドロドロになった何かとかばっかりできちゃうんだよ。ベータの頃噂にしか聞いてないけど、相当ヤバい味だとかなんとか…。」
「それなら売却しちゃえばいいじゃない。ベータの頃はログアウトできたからわざわざ全部食べる必要も無いでしょ?」
「それはそうなんだけど、失敗料理は不用品扱いで引き取り料金がかかるんだよ。それに料理は一つ一つパラメータが違うせいで別アイテム扱いだからかさばるし、熟練度上げの時にいちいち店に売りに行くのもめんどくさいから必然的に食べるのが最高効率になるんだよな。」
「ふうん…じゃあその処理はキリト君にお願いするわね。」
「な、なんでだよ!」
「前からキリト君変なものいっぱい食べてたじゃない。半魚人のお芋とかスライムゼリーとか。同じようなものよ。」
「す、スライムはアスナの方だろ!」
というキリトの悲痛な叫びのことは聞かなかったことにして私はベンチから立ち上がり、キリトに満面の笑みで「そろそろ行きましょ。」と告げた。振り返るとキリトがいつか訪れる恐怖のフルコースを想像して震えあがっていた。
小腹を満たした私たちは先刻おかみさんNPCが教えてくれた宿屋に向かった。一般的な住宅といった大きさで二階建てのうち一階が受付、二階が宿屋といった構造のようだ。
INNと書かれているからには宿屋で間違いないだろうが、宿屋というよりは民泊に近く、看板がなければとても宿屋とは気づけないだろう。入口のスイングドアを開けてすぐカウンターがあるが、店主と思しき中年の男性NPCが居眠りしており、その緩さがよりさびれた雰囲気を醸し出している。鼻提灯を出したり、ひっこめたりしながらこっくりこっくりしている様は店主にまるでやる気がないことを表していた。
だが、今のところクエストのヒントはここにしかない。お昼寝の最中に客でもないのにたたき起こすのは少々心苦しいが、クエストのためには致し方無いだろう。
「あ、あの~おじさん…。」
「……。」
「ちょっとお聞きしたいことがあって…。」
「……。」
「お、お、起きてください!」
ぱぁん!
私の渾身の叫びは、まるまる膨らんでいた鼻提灯を景気のいい音をたててはじけさせた。
「む…。なんじゃ…。」
そうぼやきながら、店主はのそのそと起き上がり手元にあった眼鏡をかける。そのやる気のない様子はとても宿の店主とは思えない。
「なんじゃ客か…。いらっしゃい。スイートルームも豪華な食事もないがベッドと棚くらいならあるよ。」
けだるげな歓迎のあいさつにかぶりを振って私はクエストに関するフレーズを話した。
「水を探して旅をしていた女の子のことを追っているんです。何か知っていることはありませんか?」
NPCが認識しやすいようできるだけ簡素に、かつはっきりと話すと、クエストの進行を告げるクエストログが視界の端でピコピコと点滅を始めた。
「ふうむ…。この宿に客が来ることなんざ滅多にないからの…。よく覚えてはおらんが、そんな話をしたおなごが来たのは覚えておるよ。」
「その子のこと、なんでもいいから覚えていませんか?」
私が食い気味に聞くも、店主の反応は芳しくない。
「わしも年でな。あまり覚えてはおらん。明るくてしっかりした子だったくらいしか…。」
「そうですか…。」
「さて…おぬしら客じゃないなら帰らんか。わしも忙しいんじゃ。」
そう言って店主のNPCはまた寝入ろうと机に伏せ始めた。
「昼寝してたくせに…。」
後ろで様子を見ていたキリトが店主に聞こえないように苦言を呈す。とは言え宿を探すタイミングとしてはちょうど良い。昼飯時も過ぎて最低限拠点は確保しておきたいし、武器やアイテムの整理もしておきたい。
「ねえ、キリト君。もうお昼も過ぎたし、今日はこの町で一泊するでしょうからここに泊まらない?」
「…そうだな。メシ屋も近いしちょうどいいかもな。店主はやる気なさそうだけど…。」
「泊まっちゃえば一緒でしょ。おじさん、私たち一泊したいんですけどお部屋空いてます?」
私がそういうと店主の「空いておるよ。」の一言とともに宿屋の部屋選択画面が表示された。日付と部屋を決め、決定ボタンを押す。支払いが自動で完了し、メニューウインドウが消滅した。
「うむ。じゃあわしはもうひと眠りするでな。なんかあったら起こしとくれ。」
店主はそういうと今度こそ本当にカウンターに突っ伏して寝てしまった。本気で宿として機能しているのか心配になるが、メニューウインドウが出て支払いをしたからには問題ないだろう。後ろでずっと話を聞いていたキリトにこの後のことを尋ねる。
「キリト君、アイテム整理したいから一回お部屋入ってもいい?」
「ああ、俺はそろそろ装備の耐久値を回復させたいから鍛冶屋に行ってくるよ。」
「じゃあ三十分経ったらこの宿の前に集合ね。」
「了解。」
そう言って彼は町の雑踏に消えていった。私も借りた宿でアイテム整理やら武装の確認やらを済ませておこう。
二階に上がると短い廊下と部屋が二つあった。その片方、私の部屋の戸を開ける。内装は至って簡素で、チェストと簡素なベッドが置かれている。違う部分と言えば半ば朽ちている木製のテーブルと椅子のセット、そしてその上におかれた一冊の本くらいだ。
てきぱきとドロップ品の整理や装備の耐久値確認を済ませていると、突然視界の右端に紫色の手紙のマークが出現した。タップして内容を参照するとフレンドからのメッセージだ。差出人の名はヒースクリフ。件名は「明日以降の行動内容について。」
差出人と件名を見た途端、キリトと過ごしてすっかり忘れていた、ギルドメンバーとしての立ち位置を思い出した。今日は二十二層ボス攻略でレイドリーダーを務めた分の休暇をもらっていただけで明日以降はギルドメンバーと行動しなければならない。そのことを考えた瞬間、はあ…と短くため息をついてしまっていた。ギルドに所属することを決めたのは私自身だというのに。
しばらく前からボス攻略レイドで頭角を現していたヒースクリフは、ALSやDKBの火花散る関係を、一歩引いた視点で見ていた何人かのメンバーに一人ずつ声をかけ、血盟騎士団を結成していた。私とキリトにも声がかかったものの、キリト自身はかたくなにギルドには入ろうとせず、彼はより大規模に攻略に邁進できる環境に魅力を感じていた私の背中を押してくれた。かねてより言われていた「信頼できる人にギルドに誘われたら断るな。」という言葉がそのまま行動に映った結果であるとはわかっていても、それまでのコンビをやすやすと解消されたことは一抹の寂しさがあった。その後散々悩んだ末、私はギルドに所属することを選び、今こうして血盟騎士団で活動している。だが、先程のため息はたった一日キリトと過ごしただけでその決意が大きく揺らいでしまっていたことを示していた。
「…私、いつからこんなに弱くなっちゃったんだろう…。」
誰もいない宿屋で自然と弱音がこぼれ落ちる。自分で決めたことをたった一日の行動で覆すことなんて今までではありえなかった。だからこそ今の言葉すらも自分の弱さの片鱗で、自分自身に失望してしまう。
送られてきたメッセージには、今日の成果の報告と明日以降の行動予定を伝えてほしいと記されていた。このまま放っておくわけにもいかないが、明日このままギルドメンバーと顔を合わせられる気がしない。それに戦闘に集中できなければ危険が及ぶのは自分だけではない。パーティーを組むということは他社の命を預かるということでもあるのだ。生半可な覚悟でパーティーに加わるわけにはいかないだろう。
そこまで考えて、メッセージの返信欄には階層のことに関して重要な要素が判明しそうなクエストを攻略中であること、一時的に協力者とともに攻略をしているため明日も時間が欲しいことを書いて送信とした。送ってすぐ、返事が返ってくる。そこには彼らしい簡素な文で「了解した。都度報告をお願いしたい。メンバーには私から伝えておくのでクエスト攻略に集中したまえ。」と書かれていた。
ギルドに所属して間もないのに早速迷惑をかけたことにも、結果的に裏切りに近い行為をしていることにも罪悪感でいっぱいだが、ヒースクリフの言う通りでもある。悩む時間はいつだっていいが、今目の前にあるクエストは可及的速やかに片付けないといけない。ギルドメンバーだけではなく、下層で解放の日を待つすべてのプレイヤーのためにも、このクエストが行きつく先を見届けなければ。
思い悩んでうつむいていた自分の頬をぱん!と叩き、気合を入れる。あと十五分ほどで約束の時間だ。それまでは一時休息をとるべきだろうが、ベッドに寝ころべばまた己の弱さを反芻してしまいかねない。とはいえ部屋の真ん中で突っ立っているのも居心地が悪く、部屋に備え付けられた朽ちかけの椅子に座って暇をつぶすことにした。少しがたつく椅子の背をもって引くだけで、ミシミシと音が鳴る。宿屋の備品は基本的に《破壊不能オブジェクト》だが、はっきり言って自立しているのがやっとで、一度でも座ったら潰れてしまいそうな有様だ。
それでも試しに腰掛けると、相変わらずミシミシと音が鳴るものの問題なく座れた。ふう…と一息つきながら机に顔を横にして突っ伏すと、ノートほどの大きさの本が視界に入ってくる。そういえば前にキリトから「SAOの本はパブリックドメインになった各国の古典文学作品が原語で収録されている」と聞いた記憶が脳裏をよぎる。中には日本語の作品もあるのだとか。
かつての記憶を巡らせながら、私は何気なしに目の前の本を手に取って開いた。日本語でなくとも英語であればなんとなく読めるかもしれないし、ちょうどいい暇つぶしになるだろう。ぱらりと表紙を開き一ページ目を見ると、そこには“diary”、日記と記されていた。誰かの忘れ物だろうか。
そこまで見て、私はある可能性に行きつく。この宿には水を探した少女も泊まっていたと聞いた。もしかしたら、この日記は彼女の忘れ物かもしれない。少し興奮しながらページをめくる。古い記録なこともあり、かすれて読めない部分もあるが、内容を推測しながら読み進む。
私の予想は見事に的中し、この日記は水を探した少女の忘れ物だった。内容は多岐に渡り、《アミル》と旅立ったこと、砂上船でオタマジャクシに襲われたこと、砂漠で珍しい花を見つけたこと、キパレアにたどり着いたことなどなど、これまで私たちが追いかけてきた彼女の軌跡が記録されている。道中で各地の生態研究でもしていたのか、生物のスケッチや道中見つけたのであろう押し花まで挟まれている。
どのページでも彼女が見つけてきた様々な発見が、発見時の興奮をありありと表す文章量で記されていた。じっくり読みたい気持ちでいっぱいだが、キリトとの待ち合わせ時間も近い。ぱらぱらと飛ばしながら読み進めると、ある一文が目に留まった。曰く、
“この層に残る自然はどれもこの層に水があったことを示すものばかりだ。生き物も、地形も、文化すらも。だけどこの層には水一滴存在しない。水が無くなった原因はなんなのだろう。”
言われてみればこの層に水があったことを示す情景はいくつもあった。砂を泳ぐオタマジャクシ、荒れ地の真ん中にある砂地、そこを進む砂上船。どう考えても水があったことを示唆している。それに気づくことができれば、彼女の抱いた疑問は至極当然の疑問だといえるだろう。心の中でうなずきながら日記を読み進める。
“これほどの急激な環境変化は、何か超常的な現象でも起きないと説明がつかない。けれど、私が知る限りそんな記録はおとぎ話ですら存在しない。一体この層で何が起きたのだろう。”
この一文で、日記は最後のページとなっていた。ぱた、と音を立て日記を閉じ、それを自分のアイテムストレージに格納する。読み飛ばしたページにこのクエストに有用な情報が載っているかもしれないし時間のある時にゆっくり読みなおそう。それに、この日記も彼女の遺した軌跡だ。クエスト報告の時に依頼主に渡せば少しは彼の未練も晴れるかもしれない。
ふと視界端に表示された時計をみると、約束の集合時間まで残り一分となっていた。いくら彼との仲でも遅刻は良くないし、当然ながら私の性分ではない。日記をじっくり読みたい気分を抑えながら私はキリトとの集合場所に向かった。
階段を降りてすぐ、キリトは入口横の柱にもたれかかって待っていた。やたら長いまつげとぱっちりとした目がどうにもニヒルで様になる。無駄な雑念を振り落としながら私は彼に声をかけた。
「おまたせ、キリト君。」
「おう。時間ぴったり。さすがだな、アスナ。」
「ちょっと宿で気になるものを見つけてね。もうちょっとで遅刻するところだったわ。」
「気になるもの?」
彼が訝しげに私の方に向き直る。私はストレージからかの日記を取り出して彼に見せた。
「水を探した少女の日記よ。ここに来るまでにこの層に水があった証拠をたくさん集めていたみたい。」
「へえ…それで、なにかこの先の手がかりとかはなかったのか?」
彼は日記を手に取りぱらぱらとめくりながら私に質問を重ねる。
「きちんと読み切れてはいないけど、最後のページには“水が全くなくなったのは何か超常的な現象がないと説明がつかない。”って書いてあったわ。」
「超常的な現象って…何か…。」
「このアインクラッドで起きた超常的な現象って…あ。」
私がある単語を思いついたとき、キリトもその瞳をまん丸に広げて「まさか…。」とつぶやいた。目を合わせ、彼がぽん、と日記を閉じたと同時にその単語を口にした。
「「《大地切断》」」
そう。この世界で起きた唯一にして最大の超常現象。これ以降魔法を失ったアインクラッドでは超常現象は起きないはずなのだ。
「それしか考えられないわね…。」
「じゃあ《大地切断》でこの層から水が無くなったってことか…?」
「それはないでしょ。あれで起きたことはアインクラッドの完成と《奇跡の喪失(フォルフィチュア)》だけのはずよ。」
「じゃあ何か副次的な理由がある…とか。」
「可能性としてはそっちよね。…でもこれ以上は何も…。」
宿屋の入り口端で二人してうんうんと頭を悩ませる。そもそも《大地切断》に関する話を聞いたのは九層にいた頃のことだ。その時に二十三層のことなど知る由もない。
「これ以上は《大地切断》関係の情報を洗いなおすしかなさそうだな。」
「でももう九層にいたダークエルフの女王様は…。」
「大丈夫。情報だけなら俺に心当たりがあるからさ。ちょっと距離があるから転移結晶で行けば…。」
とそこまで話して彼の言葉が急にしぼんでいった。急にそっぽを向いて目が泳ぎだす。
「キリト君…?」
「あー…えーっとアスナさん。て、転移結晶がもったいないし…一個で行けるんだけどその…。」
彼らしくないもごもごと歯切れの悪い話し方になにやら怪しく、じとっと睨みつける。
「キリト君…?」
「その~、転移結晶の節約上仕方のないことなんで下心とかは全くないんですが…。」
「なによ。」
「え~、その…転移するときだけ…ちょっと手をつないでもらってもいいですか…?」
俯いて居心地悪そうにそう告げるキリトに、私が「改まってそんなこと聞いたら恥ずかしいでしょ!」と叫んで鉄拳制裁するのはその二秒後だった。
キリトとともに手をつないで転移結晶を使い、青いガラスに囲まれるようなエフェクトが晴れると、そこは第六層主街区《スタキオン》だった。転移門広場の足元には無数のナンプレが並び、ぴったり二十センチ角のブロックでできたドット絵のような街並みが主街区いっぱいに広がっている。町の各所に大量に存在するパズルの一部は、フロアボスが討伐されてからも存在しており、下層で暇を持て余すプレイヤーの中にはこの層で日々パズルスキルを磨いている者もいるらしい。
「《スタキオン》もずいぶん久しぶりね…ミィアとセアーノさんにも挨拶していく?」
私がそうキリトに問うと、キリトも懐かしそうに眼を細める。まだ私たちの間に何もない、暫定パートナーだったころを思い出しているのだろう。
だが、キリトは小さく首を振って私の提案を退けた。
「いや…またあの二人には会いたいけど今日はそれどころじゃないな。俺の行先ちょっと迷路みたいになってるし、さすがに道順も忘れたし、そもそも主街区周辺じゃないし…。」
あれやこれやとミィアとセアーノさんと会えない理由が出てくるが、その分私は彼の行先について見当がついた。
「もしかして《ガレ城》に行くつもり?」
「ご明察。自称大賢者さまのブーフルームのじっちゃんがいた図書室なら《大地切断》とか二十三層に関する本もあるかもしれないからさ。それに、たとえじっちゃんとフリカテルは無くなってもガレ城は無くなってないはずなんだ。だってあそこは…。」
「パブリック・マップだもんね。」
「そう。あのガレ城と九層の女王陛下の城だけはこの層のマップとして直結してるからな。まあ、ほんとに図書室の本が無事なのかも、そもそもそこに俺たちが欲しい情報があるかもわかんないけどな。」
そう言って彼はすたすた歩きだしていく。またリュースラのみんながいた場所に戻るのはどうにも気が引ける。なぜなら私たちはエルフ戦争キャンペーン・クエストの終了とともに取り返しのつかない悔いと悲しみを抱えることになってしまい、今私たちがソロとギルドに分かれて生きる遠因となったからだ。そんな記憶があるはずなのに、なぜ彼はこんなにもたやすく、またリュースラの一端に触れようと言えるのだろう。
視線の向こうには数歩先を行く彼の横顔がちらりと見える。その顔はいつもの彼らしいニヒルな表情とは明らかに異なっていた。眉間に深くしわが寄り、奥歯を噛み締め、それでも前を向いて歩いている。
――――そうだ。彼も同じ気持ちなんだ。キリト君もまた、リュースラのみんなとの、キズメルとの別れがそれほどまでに…。
今更考えても詮無いことだが、もし時間を巻き戻せるならキャンペーン・クエストをやり直したい。そうすれば私も、今目の前を歩く彼のように悲しみを背負おうと前に進めただろうに。あれから私は大切な仲間も、自分の居場所すらも自分の手で壊してしまったんだ。じわりと目じりに涙が浮かぼうとも、呼び止めてもいない彼は知らないうちにどんどん進んでいく。私はただ彼の背を追うより他なかった。
その後私たちは、ガレ城周辺の天然迷路を途中途中で道を間違えながら進んでいった。岸壁の隙間や砂の中からサソリやらムカデやらモンゴリアンデスワームやらが飛び出してくるが、ソードスキル一撃でばったばったとなぎ倒していく。これらのモンスターもこの層が最前線だった頃はかなり苦戦したはずで、今やたった一撃で討伐できるのは成長を感じる反面寂しいような気もする。ただ、途中キリトがデスワームにぐるぐる巻きにされたのは予想外だった。巻かれた本人はワームの粘液に辟易していたが、私としてはそういう彼のドジはちょっと面白い。当然、この層ではもはや命の危険がないとわかったうえでの感想だが。
しばらく右往左往しているとようやく目的のガレ城にたどり着いた。石柱と石畳で無骨な印象を与えるその城は、無人になった今も荘厳さを失わない。ただし、私たちを出迎える巨大な門にはもうダークエルフの旗はなかった。門の前に一人の衛兵すらおらず、もはや《シギル・オブ・リュースラ》を掲げる必要すらない。砂上の石板の橋を渡ると、砂を蹴る音と石板を打つ足音だけが周囲にこだまする。
「…入るぞ。」
「うん…。」
短いやりとりの後巨大な扉に手をかけ、重い音を立てながら開ける。そのまま無人の場内を進み、城郭に上がって東翼三階にある図書室へ向かう。こつこつと足音を立てながら歩いていると廊下の左側にひときわ重厚な扉が現れた。キリトが無言でドアノブに手をかけそっと引くと、中から図書室特有の少し埃っぽいような、不思議な香りがふわふわと漂ってくる。
ここまでほとんど無言だったキリトがふと口を開いた。
「ハンバーグの匂いは…ないよな。」
名残惜しいような、悔しがるような一言が私の胸をも小さくえぐる。
「そう…でしょうね。本、探しましょ。」
「…だな。」
それから私たちは図書室の本を片端から調べていった。天井まである書架からお目当ての本を探すのは途方もないように思えるが、先程の日記の件のように、このゲーム内の本のほとんどはパブリックドメインになった古典文学が原語で書かれているため、一ページ適当に開いてそれが日本語かどうか判断するだけの作業だからそう難しい話ではない。
私たちは備え付けられていた梯子を使い、しらみつぶしに本を開けては戻し、開けては戻すという作業を繰り返していった。
静かな図書館の中で、本と本がこすれる音だけが響く。天井がやたら高いおかげもあってか、かなり離れた場所の音も反響してくるため、どこかの本棚の陰でキリトも作業に没頭しているのがおぼろげに聞こえてくる。
窓も時計も無い図書室の中で二人、無言で作業をしてどれほど経っただろうか。私が本棚の最下層の本を探していると、梯子の上の方からがた、がたた…という不穏な音が聞こえ、
「アスナ!あった!見つけた!みつけ……うおっ…うおおわああーーーー!!??」
という叫びとともにキリトが梯子から転落してきた。
「キリト君大丈夫⁉」
すぐさま彼のHPを確認するが、さほど高い位置ではなかったのかせいぜい数ドットしか減っていない。ほっと安堵して気をつけなさいと怒ろうとした寸前、ずい、と私の目の前に一冊の本が差し出された。埃にまみれてタイトルは断片的にしか見えないが、そこには確かに二十三の文字が刻まれている。
「あったぜ。《大地切断》と23層に関する記録。」
古ぼけた二十三層の記録を、かつて私たちが座り今も放置されたままの三人掛けソファに座って確認することにした。キリトは片手で持っていたが、教科書サイズのその本はどう見ても五百ページはくだらない。
「…この本かなり分厚いけど、これ読み切るころには朝になっちゃわない?」
「いくらSAOの本オブジェクトのすべてに文学作品が入ってるとはいえさすがにクエストキーアイテムの本がこれほど分厚いのは想定外だよな…。」
「私は活字得意だし好きだけどキリト君は大丈夫なの?」
「自慢じゃないが教科書読むだけで眠くなってたな。」
「まあそうでしょうね。」
かくっとこけたような真似をするキリトを無視して私は二十三層の記録を読み進めた。
活字嫌いなら見るのも嫌になりそうなページ数ではあったが、現実世界でもこの手の長編小説をよく読んでいた私としては特に苦も無く読みふけっていた。ぱら、ぱらとページをめくる音を反響させながら読み進めていく。その記録の大半は私たちの知る《アインクラッド創世記》だったものの、最後の一割ほどは二十三層に関する記録となっていた。
「キリト君。二十三層のこと、ここに書かれてるよ。ちょっと一緒に見てよ。」
「……。」
「キリト君?」
隣にいたキリトを見ると、彼は背に背負っていた剣を抱えてその鞘に頭を預けるように眠りこけていた。穏やかで健やかな寝顔は彼がいかに活字に触れてこなかったかを暗示している。
「ちょっとキリト君。ここから大事なとこだよ。起きて!」
そう言いながら私は彼の肩をぱしぱしと叩く。耳元で大声を出したからか、叩いた衝撃からか、彼は半目を開けたものの、「あと五分…。」などとふざけた返答を返してきた。
「ちゃんと見ないとクエストクリアできなくなっちゃうでしょ?起きて!」
「アスナさん…今何時かわかっておられます…?」
「え?」
そう言われてとっさに視界端の時計を見ると、午前一時を示していた。確かにもう夜更けだ。本に夢中になっているうちにとうに日が暮れてしまったようだ。よくよく考えてみればここで記録を探しているだけでも相当な時間が経っていたはずなのだ。それにキリトはあくまでも私のクエスト攻略を手伝ってくれている立場だ。それを思い出すと途端に申し訳ない気持ちになる。
「あ、ご、ごめんねキリト君…私夢中になっちゃって。」
「いやまあ、俺も活字見てると眠くなっちゃうからいいんだけどさ。」
「それもそれでどうかと思うけどね…。とりあえず夜も遅いし一旦宿屋に帰りましょ。あ、でも《キパレア》まで行くには…。」
「今から砂上船でオタマとやりあうのはさすがにきついな…。」
「そうね…そしたら今日は《スタキオン》で一泊する?」
「いや、もう眠いからダンジョンを抜けてすぐにある《スリバス》にしようぜ。この時間でも六層のモンスターなら寝てても勝てるし。」
「油断してるとまたさっきみたいにデスワームにぐるぐる巻きにされるわよ?」
「うへえ、またあれは勘弁。」
そんな軽口を叩きながら私たちはガレ城を後にした。無人の巨城に吹く空っ風が、私たちの足取りを後押しするかのように吹きさらした。
攻略当初は難解なパズルとフィールドボス、そしてALSとDKBのいがみ合いのせいで突破に一時間近く要したエリア間ダンジョンも、今や十五分ほどで突き進むことができた。そのまま道なりにたどり着いた《スリバス》の町は攻略当時と何も変わらず、南欧風で優美な佇まいの建物を穏やかな川のせせらぎが包み込んでいる。懐かしい攻略当時の記憶に思いをはせながらゆっくり歩いていると、先程からずっと眠そうにしているキリトが「アスナさん、早く…。」とひときわ眠そうな声でせかしてくる。本当は夕食もまだなのでお腹も空いたし、攻略当時の色々を振り返りたいところだが、キリトのエネルギーゲージはもう限界らしい。
夕食は明日の朝ごはんと一緒にしてしまうことにして、私たちは《スリバス》で宿をとるため町を歩きながら手ごろな宿屋を探した。そういえばこの町では攻略当時も宿をとった記憶がない。せっかくなら景色のいいスイートルームで一泊するのもいいだろう。もはやほとんど眠ってオートパイロット状態のキリトを引きずって広場の脇にあった手ごろな宿のスイートルームを(勝手に)選択。三階建てだったその宿の最上階に向かい、他の客室より一段豪華な扉を開けると、この町一の高さから、おしゃれな街並みときらきら光る水面が窓の向こうで宝石のように輝いている。
「わあ…ねえキリト君!きれいだよ、見て…あ。」
興奮冷めやらぬ状態で、ここまで引っ張ってきたキリトを見ると、彼はいつの間にかすでに二つあるベッドのうち片方に頭から倒れこんで寝息を立てていた。どうやら相当疲れているらしい。
「無理させちゃったかな…ごめんね、キリト君。」
私はそう独り言つと、キリトはまだぎりぎり意識があったのか右腕を少しだけ上げてグーサインを出すとすぐ、本格的に夢の世界へ入っていった。
夢の世界へキリトが旅立つのを見送ってから、私は部屋に備え付けられていた椅子に座って、キパレアの町で見つけた少女の日記を読むことにした。本当は二十三層の記録を確認したいが、どうせならキリトが起きているときの方がいいだろう。いくら活字が睡眠薬になろうと、クエストの重要事項となる部分くらいは興味をもって読め…はずだ。多分。
そんなとりとめのない思考を巡らせながら、私はストレージから少女の日記を実体化させ、昼間は読み飛ばしたページを一つ一つ読み進めていった。
厚めのノートほどある日記には日々の記録とともに二十三層のモンスターや文化に関する記述がこと細かく記されていた。その中には日中に砂上船で戦ったタッドポールに関する記述もある。ところどころに描かれたスケッチには、それぞれのモンスターの特徴や、二十三層に水があったことを裏付ける根拠も記されていた。
「襲われてる時はそれどころじゃなかったけど、言われてみれば砂漠にオタマジャクシは似合わないわよね…。」
SAOのモンスターは基本的にその層のテーマや気候に合わせたモンスターが登場する。三層のような森の層であれば虫系や植物系、六層のガレ城前のような荒れ地の層ならムカデやヤスデといった節足動物系などが挙げられる。それを踏まえると、砂漠の層に水棲生物であるオタマジャクシがいるのはいささか不自然だ。それに《キパレア》の町に行く手段が船だったこともさらに不自然だ。砂漠の移動手段といったらラクダなどの騎乗動物が一般的だと思われるが、わざわざ船での移動を強いるのはこの層にもともと船で渡らなければならないほどの水があったことの裏付けとも言える。
「やっぱりガレ城の記録を見ないとこれ以上はわかりそうにないわね…。」
そうぼやきながら一文ずつじっくり読み進んでいく。研究成果の数々を興味深く見ているとある一か所にそれまでとは違う雰囲気の文が書かれていた。それまで書かれた説明文や考察文とは一線を画すそれは、決意表明のような彼女の思いそのものだった。
“私がアミルの町を出てどれくらい経っただろう。町に置いてきた彼は元気にしているだろうか。私がいなくて一人で寂しがっていないだろうか。手紙もないし、わからないけど、くよくよしてはいられない。私は前に進むんだ。私が帰るときは水を見つけて彼のもとに帰る時だって、そう決めたんだから。”
決して長い文ではない。それにこれはあくまでも物語に深みを与えるためだけのフレーバーテキストだろう。頭ではそうわかっていても、私の心の中にじわりと染み込むようにその言の葉が入り込んできた。
――――この子は、私と同じだ。
理由はどうあれ彼女は自分の信念のもと生きていた。大事な人の隣が居場所で、そして自分の成長のために大切な居場所から離れる。そんな選択を、己の信念のために決断できる、強さ。
かたや今ギルドに所属するか、キリトと離れてしまうかをずっと悩み続けている私の、弱さ。
キパレアの宿で独り言ちた言葉が脳の中でこだまする。私は、いつからこんなに。
「……弱くなっちゃったんだろう。」
はじまりの街で「どう死ぬか」だけを考えて迷宮区に飛び出したあの日の私の方がよっぽど強かっただろうか。キリトと出会わずただ一人、一瞬の瞬きで消え去る流星のように生きた方が強い私でいられたのだろうか。
いや、違う。あの頃の私はただ自暴自棄なだけだった。死ぬために戦うだけならどんな無茶だってできる。そう思ったからあの日、今では考えられないような装備で最前線にこもり続けたのだ。だけど、今は違う。今の私は生き残るために戦っている。私が守りたいと思える居場所があるからだ。だけど、私の居場所は未だに、キリトがキリト自身で守ってくれている。いや、私が彼に守られているのだ。コンビを解散してなお、彼の隣にいることを心地いいと思ってしまうほどに。
だけど、この世界でいつまでも彼の力の傍らにいるだけのわけにはいかない。いつまでも彼の強さに甘えていればいずれ私の居場所は無くなってしまう。彼の隣に対等にいられるだけの実力がなければ、私はただの邪魔ものでしかない。現に今日も彼を私のクエストに巻き込んで散々連れまわしてしまったのだ。ベッドに倒れこんで寝落ちさせるほどなのだからさぞ体力を消耗させてしまっただろう。これからもただ無為に彼の隣にいてこの調子でいれば、いずれ見捨てられてもおかしくない。彼は優しいから、そんなことはしないだろうが、ただ漫然と足手まといになるなんて、私自身が許せない。
だから今、そのチャンスがあるなら。彼の隣にいられる資格をこれからも持つために。
――――私が、私でいるために。
一つの決意をもって私は日記をストレージに戻した。寝落ちてすやすやと眠るキリトの隣のベッドに腰を下ろす。時計を見るとこの宿に着いてからさらに一時間ほど経過していた。明日も早くから攻略に勤しむことになるだろう。いつまでも夜更かしするのは明日の戦闘に差し支える。
「おやすみ、キリト君。」
もうとっくに夢の中にいる彼から返事はない。そのままベッドに倒れこむと、スイートルームにふさわしい柔らかなベッドが、心地よい眠りへ誘っていった。
次の日、私は毎日自動設定にしている八時のアラームで目を覚ました。昨夜の夜更かしと疲労のせいでまだまだ重い瞼を無理やり持ち上げて隣のベッドを見ると、昨夜寝落ちた姿勢から微動だにしていないキリトの寝顔が見える。もはや寝返りすら打てないほど疲れていたのだろうか。
申し訳ないなと思いつつ彼の傍らに近づき、ゆらゆらと揺らして声をかける。
「キリト君、朝だよ。起きて。」
「うう…あと五分…一分でもいいから…。」
「昨日もそんな言ってたでしょ。今はスリバスにいるんだし早くしないとALSとDKBの人たちに置いてかれちゃうわよ?」
「…どうせ船の上で舵取り争いでもしてるだろ……。」
半目を開けながらのそのそと起き上がるキリトを横目に、私は武具のチェックや各種ポーションの在庫確認のためメニューウインドウを漁っていた。キリトのぼやきには「それもそうね。」と適当に返しておく。キリトも眠い目をこすりながら装備の確認を始めた。
「目が覚めたならスタキオンに戻りながら二十三層の記録を確認しましょ。」
「朝メシも食べないとな。昨日の夜は何にも食べてないし。」
「スリバスって確かミートパイが名物だったっけ。」
「ああ~それは覚えてる。アインクラッドじゃ珍しいジャンクなトマトチーズでさ…ありゃ旨かったなぁ…。」
「まったく…食べ物のことばっかり覚えてるんだから。」
とはいえ昨晩なにも食べていないのは私も同じだ。キリトの言うジャンクなトマトチーズのミートパイの記憶が仮想の腹の虫を鳴らす。
「じゃあそのお店でごはん食べながら記録の確認しましょ。」
宿屋を出て、宿屋に面していた川辺の道をしばらく下った先に件のレストランがあった。建物は三階建てで一階と二階はただの民家な上に看板ひとつないので、相変わらず見つけづらい。かつてここに案内してくれたアルゴはどうやってこんな隠れ家風レストランにたどり着いたのだろうか。
古ぼけて木目の浮いたドアを開けると、店内は攻略当時のあの頃と何も変わっていなかった。以前はアルゴも含めテーブル席に三人で座ったが、今日は記録の確認もあるためカウンター席に二人で並んで座る。
ミートパイとともに出てきたお冷を飲みながらキリトがはたとつぶやいた。
「どの層でもこうやって水はあるんだから二十三層だって水をほかの層から汲んでくればいいのにな。」
「それはそうよね。NPCだって転移門は使えるはずだし。」
「そうそう。それにすぐ下の二十二層は湖ばっかりで水源なんて有り余ってるはずだからいくら汲んでも怒られないだろうしな。」
「その理由もこの記録に載ってるんじゃない?」
そういって私はストレージから昨日ガレ城から借りてきた二十三層の記録を取り出した。キリトがいつの間にかミートパイを三欠片ほど食べ終え四欠片目に突入させつつ記録をのぞき込んだ。トマトソースで記録を汚さないようキリトをたしなめつつ、私たちは記録を紐解いていく。びっしりと書かれた活字を少しずつ読み進めていくと、序盤は階層のテーマや出現モンスターに関する情報で、少女の日記の内容とさしたる違いはなく、キリトが眠くならないか心配になる状況が続いたが、最終章にして決定的な一文が私たちの目に飛び込んできた。
“二十三層はもとより水源の豊富なそれはそれは豊かな地であった。だが、その豊かさは《大地切断》の影響だけではなく、たった一匹の魔物により奪われていった。”
「へえ…このたった一匹の魔物っていうのを倒せば二十三層に水が湧く…ってことかしら。」
「ああ…おそらく…。六層の金色キューブみたいに階層の環境ががらっと変わるかもな。」
「《ジ・イレーショナル・キューブ》ね。そういえばあれを倒してからスタキオンのパズルのほとんどが消えたんだっけ。」
軽口を叩きながらも記録はまだ続く。
“二十二層にその水源をほぼ全て奪われた二十三層は少しずつ水を失っていった。だが、干上がる大地を是としない魔物がいた。彼の者は《大地切断》後も微かに残る魔石の力を己に取り込み、そして――――”
ミートパイを食べ進めるキリトの手が止まる。私たちで貸し切り状態のレストランを不穏な空気が包んだ。クライマックスに差し掛かる記録の、最後の一文を私たちは呼吸すら忘れるほど夢中に見入った。その一文は、このクエストの行くべき最後の目的地を示していた。
“彼の者は天柱の塔に全ての水を余すことなく集め、その最奥に身を潜めた。”
「なっ…。」
「天柱の塔…って…まさか。」
信じがたい一文を見た私にキリトは一言呟いた。
「…間違いない。これは、フロアボスの情報だ。」
記録から得られた情報の衝撃のせいか、懐かしいはずのミートパイの味すらよくわからなかったが、私たちは食べ終わってすぐ店を出て、キパレアに向かうことにした。十五分ほどで六層主街区《スタキオン》に戻り、転移門で二十三層に戻ると主街区の《アミル》は街びらきのお祭り騒ぎもひと段落したようで、フロアボス攻略にはまだ追いついていないようなミドルクラスのプレイヤーがちらほら見受けられる。
「ALSとDKBの人たちはもう先に行っちゃったのかな…。」
「血盟騎士団のメンバーから何も連絡来てないのか。」
「ええ。彼らも先に進んでいるとは思うけど、必要な連絡は団長に報告したうえでギルド全体に纏めて共有されるからよっぽどのことがないと何とも…。」
「なるほどね…まあフロアボスにたどり着いていたとしたらさすがに連絡もあるだろうしまだそこまでは行ってないのかもな。」
「キパレアまでの移動手段も限られてるから、そこで足止めされてるのかも…。」
そこまで言って私はある可能性にたどり着いた。隣を歩くキリトも「…まさかな。」とつぶやいている。彼も同じ予想にたどり着いたようだ。
「…漁師さんのところに行ってみましょ。」
「…だな。」
そう言って私たちは昨日キパレアまでの船に乗せてくれた漁師NPCのもとに向かった。
昨日漁師NPCと出会った場所に行くと、そこには大勢の人だかりができていた。その半分はお揃いの青い胴衣を身に着けている。言うまでもなく攻略ギルド《ドラゴンナイツ・ブリゲード》の面々だ。もう半分はモスグリーン一式。こちらも同じく《アインクラッド解放隊》のメンバーだ。そしてその集団の最前では、
「この船はワイらのギルドが先に見つけたんや!抜け駆けは許さへんで!」
「そもそもNPCが俺たちの前に来たのはこちらの投石に反応したからだ!あんたこそこちらの権利を奪うような真似はしないでくれ!」
「なんやとぉ!」
一隻の船と漁師NPCの前で大の大人二人が大喧嘩をしている。人だかりでよく見えないが、頭のてっぺんに棘つき鉄球のような頭が見えるので、あれがALSリーダーのキバオウで間違いない。その横で言い争っているのが姿こそ見えないがDKBリーダーのリンドだろう。
「…キリト君、予知夢でも見たの…?」
私が今朝の寝ぼけた一言を反芻しながら言うとキリトは呆れかえったような顔で答えた。
「いや…船が一隻しかないあたりでこうなることはなんとなくわかってたというか…。」
「まあ、まだちゃんとどっちかが先に乗るっていう議論ができてるだけ行儀がいいのかもしれないわね。下手したら我先に乗りこんで転覆させかねないもの。」
「仮に全員乗れてもリーダーが二人いたらどこに進むかわかったもんじゃないけどな。」
「まさに“船頭多くして船山に上る”…ね。」
遠巻きに二大ギルドのいさかいを眺めながら中身のないやり取りをしていると、背後から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「相変わらずあのお二人はモメごとばっかりだよナ。アーちゃん。キー坊。」
「アルゴさん!」
振り向くと、そこにいたのは小柄な体躯に砂色のケープを羽織ったアルゴだった。
「ようアルゴ。おとといぶりだな。」
キリトがそう挨拶すると、アルゴはケープの下でにんまり笑いながら返した。
「よ、キー坊。こないだのクエはクリアできたのカ?」
私には他愛もない世間話のように聞こえたが、キリトにはなにか心当たりでもあったのかちらりと私を見てごまかすように咳払いした。
「く、クリアできたよ。それよりいつからここにいたんだ?ここにいるってことはこの先の街に行くんだろ?」
キリトの少し不自然な問いかけにアルゴはにんまりと笑いながら答えた。
「あア、もうこの先の街には行ったサ。オイラがここにいるのは二大ギルドの攻略の進捗確認と、彼らに必要な情報の取引をするためだヨ。」
「なるほどね。そのつもりで来たら案の定喧嘩してて話しかけられる雰囲気じゃなかったと…。」
「そういうこっタ。これじゃ商売あがったりだよナ!」
ニャハハと、商売ができない割には愉快そうに笑うアルゴとは対照的に、私は今後の攻略を憂うしかなかった。いくら第三勢力の血盟騎士団が台頭したとて、今の攻略集団の本流は彼らALSとDKBで間違いない。第二層から幾度となく続き、その度に取り返しのつかない事態の一歩手前まで行きついた彼らの衝突はこれからも終わることはないだろう。それはつまり、いずれ彼らの衝突が行ってはならない方向へエスカレートする可能性があることを示している。クリア不可能と言われたアインクラッドもとうとう最初のクォーター・ポイントに差し掛かったこの状況で何も起きないことを祈るばかりだ。
私の憂いを自慢のひげで敏感に感じ取ったのか、アルゴが私に視線を向けてきた。
「そんなコワい顔しなくても大丈夫だヨ、アーちゃん。この層の攻略ならあの血盟騎士団の皆サマがかなり先に進んでくれているからナ。ここのレイドリーダーも血盟騎士団になるだろうサ。」
「それってつまり、私がまたレイドリーダーになるってことじゃ…。」
「マ、そうかもナ!…と言いたいとこだけど、二十二層と違って今回アーちゃんは血盟騎士団のメンバーとは別行動なんだロ?それならさすがにレイドリーダーはしないんじゃないカ?」
「……そこはもう団長の采配次第ね。」
ギルド本部で報告の度に会う団長の顔を思い出す。いつ見ても何を考えているかわからない、ミステリアスな雰囲気を纏った人物だが、さすがに階層攻略の大部分で別行動していた体験メンバーをレイドリーダーに抜擢することはないだろう。おそらく私の欠員は団長自ら担ってくれているだろうから、もしかしたら二十三層のレイドリーダーは彼かもしれない。
「それはそうト、お二人さんはなんでまだアミルにいたんダ?連中と違って二人ならとっくに迷宮区まで行ってると思ってたんだけどナ。」
「ああ、えっと…。」
キリトが返答に口ごもってちらっと私に目配せしてくるが無理もない。相手は凄腕情報屋の《鼠》たるアルゴだ。五分話したら百コル分の情報を抜かれるなんて噂の彼女に、私が受けているクエストの内容をキリトがただで話すわけにはいかない。
とはいえ、フロアボスの情報はいずれ攻略ギルド全体に周知するつもりの情報だ。キリトに軽く頷き返して私が続ける。
「アミルで受けたクエストのために六層に行ってたんです。そこでフロアボスの情報も手に入ったから、ほかのギルドが無茶して特攻してないか心配になってきたんですけど…。」
「それならある意味喧嘩してくれてて良かったかもナ~。こんな序盤で止まってくれてるなら五層みたいなことも起きないだろうシ!」
「まあ、なんかあるたび攻略が止まるのはいい加減考えものだけどな。」
クエスト説明の間沈黙を貫いていたキリトが呆れた様子で合いの手を入れてきた。
「そりゃあそうだけどナ。オイラからすれば情報を売るチャンスにこと足りないヨ。…それでアーちゃん。そのフロアボスの情報について聞いてもいいカ?モチロン、相応の報酬は渡すヨ。」
アルゴの目がそれまでの雑談モードとは一転、商談をする《鼠》の目に早変わりした。ここで情報を秘匿することだってできるが、私の心はとうに決まっている。
「ええ、全部話します。けどアルゴさん。このフロアボスの情報は無償でほかのギルドにもできるだけ早く周知してください。これ以上二ギルドの衝突を減らすためにも。」
私の精一杯の願いに、《鼠》のアルゴはその口ひげペイントを満足そうな様子でにまっと笑顔にさせ答えた。
「アーちゃんが頼まずともそのつもりだヨ。ボスの情報が判明したとなっちゃあ、あのお二人の喧嘩も少しは早く終結するだろうしナ。」
そういってアルゴはどこからかメモ用紙を取り出す。私はこれまでのクエストの流れと知りえた二十三層の情報すべてを余すことなく伝えていった。
アルゴに情報を全て伝え、別れの挨拶を済ませた後もなおいがみ合いを続けるALSとDKBを尻目に、私たちは徒歩でキパレアに向かうことにした。本当は砂地の中を長距離歩くのはモンスターに襲われた際の《転倒》リスクが高まるためあまり推奨されないが、安全な移動手段であるたった一隻の船を完全に占拠されてしまっている以上、この選択は致し方ない。ちょうど昼時で太陽がてっぺんに上っていることと、砂漠で日光を遮るものが無いこともあり、この層で感じた中では一番の暑さだった。
「あぢぃ…ほんとにこんな層に水なんてあったのかな…。」
「状況証拠はあるんだから、昔はあったんでしょうけどね。けど、この暑さだとキリト君の言いたいこともわからなくもないわ…。」
「いくら記録にあったからって言っても、《大地切断》のことを知らないと全く解けないクエストっていうのも変な話だし、ある程度誰でもこの層に水があったことがわかるようなキーアイテムがありそうなのにな。」
「それもそうよね。私たちがクエストを受けるかどうかなんて誰にも分らないわけだし。」
首を傾げる彼を横目に、私も少女が日記に記した砂漠で見つけた数々の“水のあった証拠”を思い出した。あの記録にも生物のスケッチや地形から推察した証拠しかなかったはずだ。そのほかの記録はアミルやキパレアに行ったこととか珍しい花を見つけたこととか…。
「砂漠の花…。」
「…アスナ?」
訝しげに私の顔をのぞき込むキリトに、私は少女の日記で見かけた唯一の物的証拠について話した。
「キリト君、砂地歩いてる時は足元に気を付けて。もしかしたら…。」
私が言い終わる寸前、キリトの足元に私の探していたアイテムが埋まっているのを見つけた。とっさにキリトを制止する。
「あっ!キリト君!止まって!」
「へっ?うおあっ!へぶっ!」
とっさの制止に急制動をかけた彼は砂漠の柔らかな砂に頭から突っ込んだが、一旦置いておき、私はキリトの足元にあったあるものを拾い上げた。
「キリト君!これだよ!“水があった物的証拠”!」
砂に埋まった頭を砂埃を上げながら引き抜いたキリトに、私は興奮気味にそのアイテムを見せた。
「いてて…これは…ただの石じゃないのか?変な形はしてるけど。」
わたしが拾い上げたその石は、確かに妙な形をしている。層がいくつも広がったような形はまるで花の化石といった様子だ。
「これはね、砂漠の薔薇っていうの。」
「砂漠の薔薇?」
「砂漠の地下にあった成分が水の蒸発で表面に出てきて、周りの砂を巻き込んで固まるとこうなるのよ。少女の日記にこれを見つけたことが書いてあったのを思い出したの!」
「水の蒸発で…ってことは、この場所に水があった証拠はちゃんと誰にでもわかるアイテムで残ってたんだな。」
「ええ。ちゃんと日記にも書いてあったってことは、あの子もこれを証拠の一つとして捉えていたはずだわ。」
手の中にある砂漠の薔薇をじっと見つめる。決して本物の薔薇のような華やかさはないが、水の存在を暗示して咲き誇るそれは、私にはこの層の希望のように見えた。
砂漠の薔薇をアイテムとして取得してさらにしばらく歩き、私たちはようやくキパレアの街に戻ってきた。相変わらず活気にあふれたこの町は、そこかしこの露店から香ばしいにおいを漂わせ、昼食も間近の私たちの胃を暴力的なまでに刺激してくる。私たちは目についた露店でまたもパン・コン・パルタを購入し、しばしの休憩の後迷宮区の攻略をしようと計画していた。昨日とは具材が少し異なるパン・コン・パルタを食べようとしたその時、視界の端で紫色の手紙マークが点滅した。差出人は。
「団長…?」
「む、あふな?どうひた?」
パン・コン・パルタを口いっぱいにほおばったキリトが私の呟きに反応した。
「団長からメッセージが来たみたい。なんだろう…攻略情報の共有メッセージはいつも夕方に来るのに。」
そう思いつつも私は食事を片手にメッセージを開いた。現実世界で食事しながらほかのことをしようものなら母親に激怒されるところだが、今はキリトしかいないし、緊急のメッセージの可能性もある。そう心の中で言い訳しながら私は開封されたメッセージを確認した。メッセージの内容はヒースクリフ団長らしい堅い文章でこう綴られていた。
“本日、血盟騎士団のパーティーが二十三層のフロアボスの部屋を発見した。明日午前十時、キパレアにて攻略会議を行い、会議終了後から一時間後にボス攻略を決行する。上記のことは私から各ギルドに伝達しておく。ボスに関する情報があれば速やかに報告を頼みたい。 以上”
「キリト君。血盟騎士団のみんなが二十三層のボス部屋見つけたって団長から…。」
「さすが、いがみ合わないでどんどん進んでるギルドは攻略も早いな…。」
いつの間にかパン・コン・パルタを全部食べ切っていたキリトが砂漠の向こうで今もいがみ合っているであろう二大ギルドのことを遠い目をしてぼやいた。
「団長がボスの情報があれば報告してほしいって。さっきアルゴさんに伝えたばっかりだけど、団長にも報告しておくね。」
「アスナが得た情報なんだし、自由に話してくれて構わないよ。」
気を遣わせないようにそう言ってくれたキリトに礼を言い、私はヒースクリフに先刻アルゴに話したボスの情報を報告書形式で手早く送信した。送信して数秒後報告に関する礼と明日の攻略会議でも共有する旨が返信されてきた。
「明日の攻略会議でボスの情報ちゃんと共有するって。だから今日はクエストのこと、ちゃんと終わらせておきたいわね。そうすれば二十四層にもすぐ行けるから。」
「そうだな…。あ、そういえばクエストログはどうなってるんだ?」
キリトの一言ではたと気づく。言われてみれば最初にキパレアの街に来た時に街中で聞き込みをするようログが更新されてから、日記を見つけたりガレ城に行ったりしてすっかり失念していた。早速メニューを開きクエストログを確認する。
「えーっと…“砂塵に唄う英雄譚”の方はフロアボスを討伐し二十三層に水を取り戻そうですって。それで…これは…サブクエストかしら。“砂塵に萌える手向け花”…?受けた覚えがないのだけど…。」
「SAOのクエストは発生条件がバラバラだから身に覚えのないクエストがあったりするよな。多分、さっき砂漠の薔薇を拾った時に自動発生したんじゃないか?」
「そうね。クエスト内容も彼女の探した場所に花を手向けようってなってるから。」
「探した場所って多分、ボス部屋だよな。」
「ええ、記録にもボス部屋にはボスが集めた水があるって書いてあったし。」
ガレ城で拾った二十三層の記録を思い出す。あの記録の末尾には確かに、ボスがその部屋に二十三層中の水を蓄えていると書かれていたはずだ。
「それなら、ボスギミックも水が関わってくるのかしら。」
「可能性は高いな。四層の魚馬の時みたいに溺れるやつが出ないといいけど。」
「…でも私、浮き輪はもう使いたくない。」
「…同感。」
アインクラッドで溺れる話や泳ぐ話となれば最初に槍玉に上がるのは四層の水路だ。最初に四層に降り立った時はゴンドラなんて便利なものはなく、水着を着て《浮き輪の実》でじゃぶじゃぶ泳いで主街区の《ロービア》まで泳いでいく羽目になった。キリトと二人ならいざ知らず、ボス部屋で浮き輪と水着で戦うのはさすがにごめんこうむりたい。
「…さて、クエストもボス部屋に行かないと進行しないようだし、あとは明日の攻略会議までちゃんと休みましょ。昨日もちゃんと寝れてないし。」
私は気持ちを切り替えながらキリトに呼びかける。キパレアに到着してからしばらく経って、もう日が傾き始めている。本来はボス線前に戦力を整えることも必要なので、キリトならばレベリングに行きたがるかと予想したが、彼の返答は意外にもすんなり休養を受け入れていた。
「そうだな。昨日取ってた宿にも結局泊まれなかったし、今日はそこでちゃんと休んで、明日に備えよう。」
そう言って彼は、昨日のやる気のない店主がいる宿に向かって歩き始めた。私も片手にまだ残っていたパン・コン・パルタを急いで食べ切って彼の背を追った。
宿に着くと、相変わらずやる気の欠片もなさそうな店主がカウンターに頬杖とついて居眠りをしていた。部屋は昨日に引き続き取ったままなので、店主の安眠を妨げないように私たちは二階の部屋に向かった。二階の様子は昨日と変わらず部屋が二つだけあるシンプルな構造だ。私は昨日少女の日記を見つけた部屋のドアノブに手をかけて、後ろから階段を上がってきたキリトに声をかける。
「私、昨日こっちの部屋使ったからキリト君は隣の部屋使ってね。」
「了解。俺、ポーションの買い出しもしたいからあとで行ってくるよ。」
「ええ。そしたら明日の九時頃に下のエントランスに集合でいい?」
「了解。」
予定の確認も済み、私が自分の部屋に入ろうとしたその時、隣の部屋に入ろうとしたキリトが「あれ?」と訝しげな声を上げた。
「どうしたの、キリト君。」
「…部屋のドアが開かない。」
「このドアノブ捻ったら開かない?」
「いや…何度試してもダメで…。」
試しに私も彼の部屋のドアをガチャガチャ動かしてみるも、当然ながらびくともしない。どうしたものか、と思いながら顔を上げると、キリトの部屋のドアには簡素な看板が一つ掲げられていた。そこには掠れて消えかかった文字で“staff only“の文字が書かれている。私たちはもはや顔を見合わせることしかできなった。
不可抗力的に同室になってしまった上に、ベッドも一つしかない状態だが、こういったことはコンビ時代もよく発生していた。良くも悪くも経験がある以上、こういう時の対処に関しては互いによく理解している。すなわち、
「ここ、国境線ね。」
私はそういってシングルにしては少し大きめのベッドの真ん中に人差し指で縦の線を引いた。きっちり半分で分けようかとも思ったが、ここまで散々振り回してきたキリトに申し訳ない気もしたので少しだけキリト側を広めにとる。
「ああ…俺は床で寝ようか…?迷宮区でもよく雑魚寝してたし。二人じゃ狭いし。」
「それじゃあせっかく宿取って休んでる意味がないでしょ。まさか部屋が一つしかないなんて思わなかったけど…。」
「本当に…NPCになんでスタッフルームが必要なんだろうな。」
「茅場晶彦のこだわり…なのかしら。本の中身を全部用意しちゃうような人だし。」
「だとしても客室が一つしかない宿ってどうなんだよ…。」
彼の文句はごもっともだが、今あるベッドは一つだけだ。一緒のベッドに寝るのは少し気恥ずかしいが、もう何度も経験しているし、早めに寝入ってしまった方がお互いのためだと考え、私は国境線を超えないよう布団に潜り、中でパジャマに着替えた。
布団のぬくもりで眠気がじんわり湧き上がってきたころ、国境線の向こうからもぞもぞとした振動が伝わってくる。背後にキリトの気配を感じて、私は安心しきった子供の様にすぐ夢の世界へと導かれていった。
「それではこれより、第二十三層ボス攻略会議を開始する。今回のレイドリーダーは取り決めにより、ボス部屋の第一発見ギルドである血盟騎士団の団長、ヒースクリフが務めさせていただく。諸君、よろしく頼む。」
やる気のない宿屋で一晩休息をとった私たちは、キパレアの町の中心部にある広場にいた。集まった攻略組の先頭には私の体験先ギルドである血盟騎士団の団長、ヒースクリフがその凛とした声で雑然と集まる皆々を仕切っていた。会議は昨日の連絡と一分違わず開始され、私とキリト、いつの間にかキパレアに到着していたALSとDKB、エギル率いる《ツーハンデッド・ビルダーズ》、そしてヒースクリフを護衛するように構える血盟騎士団の面々が参加している。総勢四十八名。フルレイドだ。皆の手元には一様に、小さなガイドブックが開かれている。表紙には丸い耳と左右に三本ヒゲの意匠付き。今朝からキパレアの道具屋で無料配布中の《アルゴの攻略本》だ。とはいえ内容は昨日私たちがアルゴに伝えたボス情報のみだが。
ヒースクリフによる攻略本の読み合わせ、大まかなパーティー決めとそれぞれの役割分担という攻略会議らしい流れが一通り終了し、いよいよボスに挑むための本格的な準備が始まった。今回の作戦も従来通り、二大ギルドと血盟騎士団のパーティーがアタッカーとタンクを担い、私たちコンビとエギルさんのギルドがそのサポートとして立ち回るというオーソドックスな作戦となり、サポーターの私たちも武装の準備やポーションの買い出しに町の商業施設の並ぶ一角に向かっていた。
「なあ、アスナ。会議だと迷宮区の攻略に関して何も話がなかったけど、迷宮区のことはヒースクリフから聞いてないか?」
道中キリトが、ボス戦前なら当然の疑問を投げかけてきた。その答えは会議前にヒースクリフから送られてきた報告メッセージに記載がある。
「迷宮区はいたっていつも通りだったらしいわよ。ただ、タワーの高層に行くにつれてぬかるみトラップが増えていってメンバーが何度か転倒しちゃったみたい。」
「へえ…それってボスが蓄えた水が滴ってきてるのかな…。」
「かもしれないわね。この層に今までそんなトラップなかったから、対処が大変だったらしいわ。」
「レイド全員をそんなところに連れて行ったらみんなトラップに引っかかってどろんこパーティーになりそうだな。」
彼の発言をちょっと想像してみる。一列になったレイドが将棋倒しのごとくぬかるみで転んで体中が泥まみれに。そしてALSのメンバーの中から聞き覚えしかない声で「なんでや!」といった叫びが迷宮区にこだまする…。
我ながら下らない想像を頭から霧散させてヒースクリフからのメッセージに書かれていた対策を伝えることにした。
「残念だけどそうはならないわよ。団長が《回廊結晶》でボス部屋直前までコリドーを繋げてくれるんだって。」
「か、《回廊結晶》⁉」
キリトが驚くのも無理はない。六層以降相当なレアドロップとして登場し始めた結晶系アイテムの中でも、群を抜いてレアな結晶である《回廊結晶》は現状この世界にわずか数個ほどしか存在していないと言われている。当然NPCショップにはなく、ダンジョンの宝箱や一部の強力なモンスターからのレアドロップとしてしか入手できないため、今や売価が安定しつつある転移結晶や回復結晶とは比にならない価格だ。その分、たくさんのプレイヤーを転移させるにはもってこいの代物である。当然、私は実物すら見たことがないし、おそらくキリトも同じなのだろう。
「私も驚いたわよ。あんな高級品を団長が持ってるだなんて知らなかったわ。」
「え、ギルドの金庫から出費したとかそういう裏事情があるわけじゃないのか?」
「うん、あくまでも団長の私物よ。ろくに前線にも出ないしギルド本部で待ってることがほとんどなのにどこで入手したんでしょうね。」
「まったく…さすが第三勢力の血盟騎士団サマだな。」
キリトの言う通り、私が体験している血盟騎士団は突如現れたギルドであるにも関わらず、二層から攻略組の看板を背負い続けたALSとDKBの実力を軽く飛び越えてきた。その分所属しているメンバーの練度はそれ相応のものだし、団長の持つユニークスキルと噂の《神聖剣》は、ギルド内外問わず何人も寄せ付けない圧倒的な戦闘力を誇る。それほどまでに恵まれた環境にお誘いが来たのは喜ばしいことだし、コンビでは伸び悩んでいた私には絶好のチャンスだった。その気持ちは今も変わらない。だがこの数日、改めて彼と過ごして私は自覚してしまった。彼といることの心地よさ。そして、彼といることで露呈する、己の弱さ。私が私でいるためにもう何か月も前にはじまりの街を出たというのに、私はずいぶん弱くなってしまった。彼に守られることを心地良いと思ってしまうほどに。彼から離れて私の強さを取り戻したい気持ちと、これからも彼の隣にいたい気持ちがこの二十三層にいる間ずっとせめぎあっていた。
だからこそ、ボス戦に挑む前である今、けじめをつけられるであろう今、私は彼に問いたい。彼は私がいることをどう思っているのか、私がいなくなったら彼はどう思うのか。そして、
「……キリト君。」
私は立ち止まって、彼の名を呼ぶ。彼はいつものように優しそうな、どこかナイーブそうな顔でこちらに振り向く。
「ん?どうした?アスナ。」
「………。」
「アスナ?」
「………キリト君は私が血盟騎士団に入っても、変わらずに私と話してくれる…?」
私の青臭い質問の真意が彼に届いたかはわからないが、彼はふわりとほほ笑んで答えてくれた。
「俺もソロだし、呼ばれたらいつでも行くよ。どこかで無茶なレベリングでもしてないカ心配だからな。」
その言葉は、彼の心からの励ましに聞こえた。よし、このボス戦が終わったら、きちんと彼に伝えよう。私のこれから、私の決意を。
私は彼に背中を預けられる最後の戦いの場に向け、最終準備を整えた。
準備を整え、新天地に向け爪を研いだ剣士が四十八人、キパレアの広場に再集結した。先頭には深紅の鎧を身に纏う、このレイドのリーダー、ヒースクリフだ。その手には転移結晶よりもはるかに濃い濃紺色の結晶。二十三層ボス部屋前につながる《回廊結晶》だ。広場の外周には下層プレイヤーのギャラリーが大勢集まっている。皆、一様に解放の日のための一歩に声援を送っていた。
がやがやとしたざわめきをかき消すように、ヒースクリフが盾をかぁん!と石畳に打ち付けた。鶴の一声のごとし精悍な一声が響き渡る。
「諸君、これよりアインクラッド第二十三層ボス戦を開始する。此度も諸君らの力を存分に発揮してほしい。――――解放の日のために!」
おおーーっ!!という野太い鬨の声が広場銃を埋め尽くす。周囲のギャラリーからの声援も一層大きくなる中、ヒースクリフはその手に握っていた《回廊結晶》を高く掲げ、「コリドー・オープン」と発した。その高価なクリスタルは一瞬にして砕け、彼の目の前には揺らめく鏡のような光の門が開く。
「皆、ついてきてくれたまえ。」
彼は攻略組をぐるりと見まわして、颯爽とコリドーに入って行った。ほどなくして各パーティーも鎧をガチャガチャ鳴らしながら吸い込まれていく。最後尾にいた私とキリトはちらりと互いの顔を見合わせた。
「いよいよね…。」
「ああ…。」
私たちの目の前にいたレイドメンバーがコリドーに入って行く。残るは私たちのみ。
「行こう。アスナ。」
キリトの声に導かれるように、私たちは並んでコリドーに足を踏み入れた。
光の門を潜り抜けた先には二十三層のボス部屋に続く巨大な扉が構えていた。足元には情報通りところどころぬかるみがあり、回廊結晶を使っただけの意義を感じさせる。
先頭にいたヒースクリフはもう一度全員そろっているかを一目、確認し扉に手をかけた。
ごごご…という重い音とともに、決戦の地に続く道が開く。その奥に見える影はこの層のフロアボスだ。扉が開くにつれ、そのシルエットはより鮮明にボスの姿を映し出す。その姿は優に五メートル以上はあるだろう、大きな大きな…カエル。
ぐるるぼおおああああーーーーーっっ!!!というウシガエルのような咆哮がボス部屋に響き渡り、攻略組の進撃を一瞬ひるませた。巨体の横には4段ものHPバー、その最上段、ボスのカラーカーソルに真っ白なフォントでボスの名が煌々と刻まれる。
【Pariap‘atu the Desert Monopolist】……パリアパツ・ザ・デザートモノポリスト。
「砂漠の…独占者…!」
「あれが、この層が枯れきった元凶…!」
これまですべてのクエストの終着点たる砂色の独占者は、私たちが剣を抜くと同時に、その巨体をぼてぼてと揺らして迫ってきた。
「A隊、D隊とスイッチ!H隊は戦闘継続!三、二、一…今!」
ヒースクリフの的確な指示が、ベロ射出攻撃の構えだったボスに一瞬のブレイク・ポイントを作り出した。その隙にALS主体のA隊が後退、DKB中心のD隊が前面に躍り出る。主にヘイトを管理しながらボス前面の防御が低い部位を狙うA、D隊および二大ギルドに対し、私たちが所属するH隊は比較的攻撃が届かない代わりに防御が高くて攻撃が通りにくい側面の脚部を攻撃し続ける。レイドが扇状に展開して攻撃している以上あぶれ組が戦いにくい陣形にされてしまうのはやむなしだが、少しだけやるせない。
ボスの攻撃パターンはカエルらしく垂直に飛んで落下してくるスタンプ攻撃、正面にまっすぐ舌を射出するベロ攻撃、前腕でのなぎ払い攻撃というシンプルな攻撃パターンで、最初のHPバー二本は、危なげなく削られていった。ボス自体カエルという特性上、そもそもあまり防御力が高くなかったのかもしれない。とはいえ一瞬の油断がこのゲームでは文字通り命取りとなる。私は己を鼓舞するように愛剣の柄を握りなおした。目の前ではキリトがボスの脚部に渾身のソードスキルを叩きこもうと左脇にその剣を構え、剣が薄い水色のライトエフェクトを瞬かせる。獲物に噛み付かんとする獰猛な獣のごとき轟きが彼の剣から迸った。片手直剣水平四連撃ソードスキル《ホリゾンタル・スクエア》。
「せあああっ!」
目にもとまらぬ速さで彼の剣が閃き、カエルの脚部に正方形のラインを描き出す。同時に、カエルのなぎ払い攻撃による衝撃波がじわりと彼のHPを減らした。HPバーがイエローゾーンぎりぎりで停止する。
「アスナ!次の攻撃でスイッチ行くぞ!」
「了解!」
掛け声に導かれるように私もボスに視線を移す。その直後、私の視界からボスが消えた。
「上だ!」
どこかのパーティーからそんな声が聞こえる。ボスの巨体は重力に任されたまま落下してきた。コンマ数秒してビターン!という湿った落下音がボス部屋に一瞬の静寂を作る。ちらりと見たレイドメンバーのHP表示に被弾者はいない。今だ。
「キリト君!」
「アスナ!スイッチ!」
彼の後退とともにすかさず私が飛び込み、ソードスキルを叩きこむ。細剣単発突進系ソードスキル《シューティング・スター》。
その名に恥じない高速の一撃がカエルの左後足を貫いた。その衝撃があってか、ぐるうううっ!というボスの苦悶の声とともにでっぷりとした腹を上向きにして巨体が倒れこむ。脚部集中攻撃によるダウンだ。
「総員、総攻撃!」
ヒースクリフの覇気のある声に攻略組達の雄たけびが続き、色とりどりのソードスキルがボスの柔らかな腹に向かって撃ち込まれ続けた。がくん、がくんとボスのHPが削られていく。技後硬直の解けた私は、スイッチ直後でソードスキルが打てないキリトに駆け寄った。
「そろそろHP半分ね。」
「ああ、パターン変わるだろうから気をつけろよ。」
真剣な彼の表情は、つい先日までお菓子を頬張っていた彼とは明らかに異なる。頼りにできる剣士の顔。
「わかってる。キリト君も無茶しないで。」
「ああ…来るぞ!」
見ればいつの間にかボスのHPは半分を切っている。ひっくり返っていたはずのボスがじたばたしながらも、べちゃっと音を立ててダウンから復帰した。
「HP半減!パターン変化に注意せよ!B、C隊前へ!」
ヒースクリフの指示でタンクメンバー中心のB、C隊が前線に出る。パターン変化が起きやすいHP半減時のセオリー通り。キリトとともに後方へステップ回避する中、私はボス戦が始まってずっと気になっていたことをキリトにこぼした。
「…どうしてカエルがボスなのかしら。」
「どうしてって?」
「モノポリスト…独占者って本来人に使う単語のはずよ。カエルが水をどうやって独占したのかしら。」
「確か魔石の力で水を独占したって記録には書いてあったし…。」
「魔石をカエルが使う方法もわからないし、それに蓄えているはずの水もどこにもないわ。パターン変化で何が起きるか…。」
現状のボス部屋を見渡すも、フィールドと同じような砂と岩でデザインされており、入口側を岩場、ボスの屹立している場所が砂地になっている。もちろん、水なんてどこにもない。謎だらけのカエルボスが部屋の真ん中で力をためるようなモーションを取る。ボス戦開始から始めて見るモーション。間違いなく何かが起こる。
「今はパターン変化に集中しよう。」
キリトが真剣な顔でボスを見据える。何が起きるかわからないボス戦で悠長に会話していたのは油断だったろうか。
ぐるるうううああああーーーーっっ!!!
ボスがそれまでとは打って変わった咆哮を轟かせ、私の返答はかき消された。ひとしきり吼えきったボスが今までにないほどの跳躍でボス部屋の天井近くまで跳躍し、大きくその四肢を広げ…。
びたん!という痛々しい音とともに落下した。巨体が自由落下した衝撃は相当なもので、ボス部屋全体が大きく揺れ、攻略組の誰もがよろめいた。ボスの近くにいた者の中には転倒している者もいる。私たちも例に漏れず両腕を水平に上げてゆらゆらとバランスを保つ。ごごご…という地鳴りの音の中にヒースクリフの「転倒したものは速やかに復帰し後ろへ!」という声が微かに聞こえるがこの揺れでは復帰も立ち上がるのは至難の技だ。どうにもできず這いつくばっているレイドメンバーが数人、武器だけは離さぬよう握りしめている。壁際ではボスのパターン変化に合わせて壁際に退避していた大多数のメンバーが壁に寄りかかる様にして揺れを凌いでいた。その刹那。
ずるっ…という感覚とともに水っぽい不快な感覚が私の両足を包んだ。見れば私の立っていた地面が徐々にその硬さを失っている。そのうえボス部屋のあちこちから人の背丈ほどの水柱が噴出し始めた。これはつまり…
「液状化⁉」
ボスのため込んでいた水は最初からボス部屋に存在していたのだ。地面の奥深く、おそらく一段下の迷宮区の天井すれすれに。それが此度の地震によってボス部屋の液状化を引き起こしている。ボス部屋のあちこちから「岩場側に行け!」という悲鳴じみた指示が飛び交った。
そこかしこからあふれ出る水がボス部屋の中で豪雨を降らし、徐々にボス部屋を沈めていく。ボス部屋の中心で落下したままのポーズだったボスが雨水を滴らせて起き上がり、逃げ惑う私たちには目もくれず背後の水たまりに飛び込んでいった。
「あいつ逃げよるでぇ!」
岩場に陣形を築くレイドの中から聞きなれたダミ声が耳に入る。その直後、どん!という最後のひと揺れで、ボス部屋の様子は一変した。
円形のボス部屋の入り口側半分は岩場のままだが、先ほどまで砂地だった向こう側はすべて、大量の水に沈み切っている。その様子はまるで荒野の中の…。
「オアシス…。」
キリトが絞り出すような声でつぶやく。それまでの乾ききったボス部屋から一転、巨大なオアシスが完成した。無論、そこは癒しの泉などではなくまさしく死地であるが。
「B、C隊、ボスの出現に合わせ防御姿勢で構えよ!他はボスの出現位置を探せ!」
皆が一様に揺れる水面を遠巻きに覗く。あれほどの巨体だというのにどこを見てもその影すら見えない。どこに…どこに…。
「いたぞーーーッ‼」
そう叫んだのはリンドだろうか。青髪たなびく剣士の指した切っ先には、そこだけ見ればつぶらな目が二つ水面から私たちを偵察するように浮かんでいた。私も一瞬だけボスと目が合う。
私たちに発見されたのを察知したか、ボスはざあああっと水をかき分けて体を持ち上げると、身体のほとんどを隠してしまうほど大きな口を開けてこちらに向ける。おそらく…。
――――ブレス攻撃!
私がそう察知したと同時に同じ考えに至ったのであろうキリトが一歩前に出た。すかさず彼の影に陣取る。彼の指先がステッキを回すように動き、彼の愛剣が二回ほどくるくる回り薄緑色の光芒をまき散らして盾を成す。片手直剣防御ソードスキル《スピニング・シールド》
ボスの口内にちらっと水色のライトエフェクトが見え、一瞬強く瞬き、
「防御――――っ!!」
という絶叫が濁流のカノン砲の轟音に呑まれた。
盾持ちのメンバーはダメージこそ受けていないが一メートルはノックバックしている。後ろにいた剣士達も衝撃波によるダメージでHPゲージが一割ほど削られた。剣で防御していたキリトも、ノックバックこそほとんど無いがやはり一割ほどはダメージを受けている。全員がそれぞれのHP状況を確認しあう間も、ボスは悠々と急ごしらえのオアシスを泳いで、岩場に上がってくる気配はない。
「これじゃあ攻撃できねえぞ…。」
私たちの後方で防御していたエギルが、泳ぎ去るボスを見つめてかすれた声で呟く。少し離れた一団の中では相変わらず二大ギルドがボス攻略法で言い争っている。
「いっそ水中戦に切り替えるか…⁉」
「どアホ!そんなことしたらガマに食われてドザエモンや!」
「だがそれしかないだろう!」
本来、この手の水棲モンスターを相手取るときは陸に上がってくるまで待つのがセオリーだ。とはいえただ待ちぼうけにするわけではなく、こちらが何らかのアプローチでボスを水上に引きずり出す必要がある。だがその方法がわからない以上潜水も視野に入れる必要があるが、SAOでの水中戦闘は極限まで装備の軽量化を図り、なおかつ《水泳》スキルがなければ、水の抵抗によりまともな攻撃は難しい。それでなくとも、フルダイブ環境下の水泳は現実世界とは微妙に異なるコツがいる。当然、攻略組の中に水泳スキルを取っている者など皆無なはずだ。
「ほかにボスを引きずり出せる手段があれば…!」
キリトですら歯噛みし水面をただ見つめる状況で、私はボスをオアシスから引きずり出すために、これまでのありとあらゆるボスの情報を反芻していった。ボスはカエル…砂漠の独占者…魔石の力で水を蓄えてきた…。
ふと、パターン変化前から気になっていたことが脳裏をよぎる。それは、“ボスはどうやって魔石の力を使ったのか”
口内で水色の光が輝いていた以上、魔石の力はおそらく口の中で間違いない。ボスはおそらく、魔石を丸呑みに…。
「………‼」
全ての点と点が線になった感覚がして、私は息をのんだ。私の予感が正しければ、ボスを陸に出す手段はまさしく私の手の中にある。
隣でなおも水面を凝視して防御の構えを解けないキリトに指示を飛ばす。
「キリト君!十秒だけ私を守って!」
突然の、しかも意図すら伝えていない私の指示に、彼は一瞬目を見開いて、「わかった!」と短く答えてくれた。その返事をしてくれる確信があったからこそ、私は食い気味にメニューウインドウを開く。裂けそうなほど脈打つ心臓を落ち着けながら、所持アイテムのリストをスクロールし、目当てのアイテムをオブジェクト化、そのまま装備フィギュアの武器欄にあるレイピアを先ほどオブジェクト化したアイテムと交換する。ついでにアイテムリストから火打石を選択し、これもオブジェクト化。すかさずスキルウインドウを開いて細剣スキルを《両手用突撃槍》に変更…。
全ての手順を終えた私の手に装備されたのは、長い持ち手に火薬の包みが巻かれた両手槍…いや、《銛》。
いつの間にかキリトとともにエギル率いる《ツーハンデッド・ビルダーズ》の面々も私を囲って万全の防御態勢を取ってくれていた。
「点火よろしく!」
そう投げかけてキリトに火打石を渡す。キリトは慌てて火打石を受け取ると、一瞬私の手に握られた《火薬装填式砂上銛》を見て、即座に意図を理解した様子で頷いた。
あのカエルはアミルからキパレアに向かう際に私たちの砂上船を襲ったオタマジャクシの成体で間違いない。かのオタマジャクシも石を丸呑みする習性があったのだから。
この予想が正しければ、私の手にある銛はボス戦のための秘密兵器――――!
ちょうどその時、ボスがもう一度巨体を持ち上げ、水カノン砲の体制に入った。レイド全体に緊迫した空気が再来する。
「エギルさん達下がって!キリト君!点火!」
「了解!」
まさに阿吽の呼吸で彼が火薬の導火線に点火する。すぐさま私は銛を右肩に担ぐように構える。両手用突撃槍単発投擲ソードスキル《ブラストスピア》の構え。黄緑色の閃光が武器全体を包み、耳をつんざく甲高い金属音が発射をせかす様にうなりを上げる。刹那、ボスの口の中でひときわ輝く水色のライトエフェクトが目に飛び込んできた。
「せああああああーーーーっっ!!!」
最大限の腕の振りで威力をブーストした火薬装填式砂上銛がきらめく流星のように飛び立っていく。レイドメンバーの誰もがその銛に釘付けになった。鮮やかな軌跡を描いて飛翔する銛は狙い通り、すわブレスを吐こうとするボスの口内に直撃し…導火線の火が柄に巻かれた包みの中に消える。
直後、ズガアアアン!!という爆発音がボス部屋を支配した。その推進力で銛はボスの口をえぐり取り、勢いを衰えさせぬまま貫通した。さすがのボスもたまらず、ばねのようにびょーんと跳ねて、レイドメンバー達の目の前に落下。仰向けのまま伸びている。ブレス阻止による特殊ダウン!
「全員!スイッチ!フルアタック!!」
勢いに任せた突発的な指示にレイド全体が沸き上がった。
色とりどりのソードスキルが気持ちいいほどボスのHPを削り続ける。火打石を仕舞ったキリトと、《ブラストスピア》の技後硬直が解けた私もボスに向かって走り出した。
「アスナ!最後に大技頼む!」
「任せて!」
レイドメンバー全員からの渾身の一撃を食らっても、ボスのHPはあとわずかに残っていた。HPバーを半分からここまで削ったのはさすが攻略組だが、皆技後硬直で動けずあと一歩が削り切れない。
「いっ…けええ!!」
並んで走る彼の剣が青白い光を帯びて地面すれすれを滑るように跳んだ。片手直剣突進系ソードスキル《レイジスパイク》。その刃が固まって動けないレイドメンバーの間を縫ってボスの脇腹に深々と刺さる。
「アスナ!スイッチ!」
脇腹から剣を引き抜いた彼が叫ぶ。言わずとも、私もクイックチェンジで持ち替えたレイピアを掲げて突き進んだ。発動したスキルは《カドラプル・ペイン》。渾身の四連撃。
「これで…とどめーーーッッ‼‼」
システムアシストだけではない。腕の振りを最大限活用し威力をブーストした十字の連続突きが、ボスの柔らかな横腹に赤々と傷を残し…わずかに残っていたHPはじわじわと減少していき…。
最後のHPバーがゼロになった。その途端、ボスの身体が青白い光に包まれながら幾千万のガラス片のような青いパーティクルに変貌し…爆散した。
ボス部屋には大きく「congratulation!」の文字が掲げられ、私の視界に【You got the Last Attack!!】の文字が音もなく瞬いた。
後に、主街区で待機していたギルドメンバーに聞いた話だが、私たちがボスを討伐した報告をするより前に、二十三層全体に突如として暗雲が立ち込め、それまでの快晴が嘘のような豪雨が降り注いだという。その時だけは店で商品を物色するプレイヤー達すら差し置いて、町中のNPCが恵みの雨に狂喜乱舞していたらしい。
当時の私たちはそんなこと露知らず、レイド全体がボスの討伐に湧き上がっていた。皆が互いの健闘を讃えあい、ドロップ品を見せびらかしあう中、私はアイテム欄から一つのアイテムをオブジェクト化する。手の中に転がったのは、フィールドで拾った“砂漠の薔薇”。
私はボスが沈んでいた水辺にしゃがんで、その薔薇を水面に落とした。かの少女が求め、命を賭して探し求めたものが私達の目の前にあふれるほど存在している。
背後から足音が近づき、私の隣にそっと腰を下ろした。この層の攻略中ずっと隣にいてくれた彼は、沈みゆく薔薇を見つめ、私に言い聞かせるように呟いた。
「あの子、水が見つかって喜んでるといいな…。」
「ええ…これで報われるはず。きっとね。」
視界の端でクエストログが点滅する。どうやらボス攻略をもって、クエスト《砂塵に唄う英雄譚》及び、サブクエスト《砂塵に萌える手向け花》はクリアとなったようだ。短いファンファーレとともに、ボスからのドロップに引けを取らない経験値が加算される。顔を上げればいつの間にかレイドメンバーはそれぞれのギルドごと集まり、今後の予定を確認しあっているようだ。
今、私の前には二つの道がある。このままキリトの隣で暫定コンビを続けるか、血盟騎士団に所属するか。
その答えはボス戦前に決めていた。私がこれから彼といられる資格を持つために、私が私でいるために。今は彼のもとを離れて私の力で生き延びるんだ。
私は決意を鈍らせないよう先刻のボスのごとく勢いに任せて立ち上がると、キリトに向き直って、私の選択を伝えた。
「キリト君。私、血盟騎士団に入るね。」
その言葉を聞いた彼はおもむろに起き上がり、私の瞳をじっと見つめる。互いの視線が交差し、彼の黒い瞳に揺れる光がほんのすこしだけじわりと滲む。これまでずっと私を見守ってくれたこの眼ともしばしの別れだ。
私と交錯した視線から、何を読み取ったか。彼は一度だけ瞬きし、ふわりとほほ笑んで答えた。
「わかった。ボス戦では会うと思うけど…。向こうでも元気でな。」
たったそれだけ、でもそれがすべてだ。彼の精一杯の優しさを胸にしまい込み私は血盟騎士団のメンバーのもとへ向かった。別れ際、最後に彼の方へ振り向く。私なりの、精一杯の笑顔で別れを告げた。
「キリト君。ありがとう。またね。」
黒衣の剣士は小さく頷くと、二十四層に続く階段へと足を向けた。
血盟騎士団のメンバーのもとへ向かう一歩一歩で今しがたの決意を心の中に落とし込む。
寂しい。けど、大丈夫。私がいつか彼の隣に対等にいられるほどに強くなったら、また彼の隣にいよう。それまでは私の気持ちに別れを告げて。
いつかまた、隣にいさせてね、キリト君。
それぞれの方向に進む黒衣の剣士にそっと気持ちを飛ばす。今もなおほんの少し揺らぐ決意が心の水底に落ちるころ、私は新たな仲間のもとへたどり着いていた。
その時別れを告げた恋心が、再び帰ってくるのはそれからずっと、ずっと後のことだった。
原曲「サウタージ」 ポルノグラフィティ
元々は人生で初めて書いたSAO二次創作作品である前作「舞い遊ぶ切望のフォルクローレ」の続きを書きたいと思って書いた作品でした。まさか階層攻略を書き切ることになるとは……
実際階層攻略系のお話を書くのはかなり楽しいので、今後も積極的に書いていきたいですね。
次回はキリトとアスナの結婚報道を受けたシリカが初恋をどう乗り越えたのかを語る、「彩る決別のファンファーレ」を掲載予定です。
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