夢を叶える魔法の石~鬼才の錬金術師が万能の石を生み出した結果少女にTSしてついでに親友は小人になりました   作:Yumerur

2 / 8
だいにわー、ちっちゃなきしさんのかつやく


第二話「暴走する夢」

石の化身が工房から飛び去ってから一夜が明け、工房には重苦しい沈黙と、薬品の匂いに混じって微かな埃っぽさが漂っていた。昨夜の衝撃的な出来事が、いっそ悪夢であってくれればとフェリクスは何度願ったことか。しかし、姿見の隅に偶然映り込んだ、亜麻色の柔らかな髪と大きな翠色の瞳を持つ見慣れぬ少女の姿が、非情にも現実を突きつけてくる。

 

「くそっ、また服がずり落ちた……!」

 

フェリクスは忌々しげに舌打ちしながら、ぶかぶかの上着の肩を引き上げた。この華奢で非力な体には一晩中悪戦苦闘し続けていたが、未だに手足のように馴染む気配はない。

 

実験机の上では、フィンが小さな体で必死に何かを運ぼうとしていた。それは、昨日フェリクスが指先で摘まんで口にしたパン。フィンにとってはそれでもなお、両手で抱えねばならぬほどの「重い荷物」に見える。

 

「フェリクス、お前も何か食べた方がいい。昨日から何も口にしていないだろう」

 

フィンの声は、近くで羽虫が立てる羽音ほどの頼りなさだが、工房の奇妙な静寂の中では、不思議と明瞭にフェリクスの耳に届いた。振り返ると、机の端――フィンにとっては見晴らしの良い崖の上といったところか――にちょこんと座り込んだ、身長10センチメートルほどの親友の姿が目に入る。

 

「ああ……そうだな」

 

フェリクスは億劫そうに頷き、重い腰を上げようとして、またしてもだらしなく引きずる服の裾を踏んでよろめいた。まるで生まれたての小鹿だ、と内心自嘲する。この体での単純な動作一つ一つが、これほどまでに困難だとは。あまりの動きにくさに、フェリクスは再び舌打ちすると、おぼつかない手つきで指を組んだ。微かな魔力のきらめきと共に、長すぎる上着の裾が不格好に断ち切られ、足首あたりでバサリと床に落ちる。多少ましになったとはいえ、全体的なだらしなさは変わらず、彼の不機嫌をさらに募らせただけだった。錬金術師としての矜持も、力の抜けた綿人形のようなこの少女の体の前では、まるで役に立たないガラクタのようだった。

 

「待てよ、俺がそれを取ってやる」

 

そう言いながら、フェリクスは棚に置いてある保存食の干し肉に手を伸ばした。しかし、昨日まで、いや、ほんの一日前までは楽々と手が届いたはずの棚板が、今では背伸びをしても爪先がようやく触れるか触れないかという絶望的な高さにある。

 

「くっ、手が届かねえ……! (かつては星々すら掴もうとしたこの俺が、たかが棚の一つに…!)」

 

フェリクスは何度かその場でぴょんぴょんと跳ねてみた。傍から見れば、小さな少女が何かを取ろうと健気にジャンプしている可愛らしい光景なのだろうが、本人にとっては屈辱以外の何物でもない。肩の上のフィンは、その滑稽な姿に思わず吹き出しそうになるのを必死で堪えているようだったが、彼の表情には同情と苦笑が入り混じっていた。

 

「フェリクス、その椅子を使ったらどうだ?」

 

フィンの冷静な提案に、フェリクスははっと我に返り、近くにあった木製の椅子を引きずって棚の前に運ぼうとした。だが、それすらも一苦労だった。いつもなら軽々とはいかずども持ち上げることはできた椅子が、今では全体重をかけて床を擦るようにして、ようやく数センチずつ動かせる程度の重さに感じられる。

 

「はあ、はあ……なんて情けない……(こんな…こんな虚弱な体では、研究どころか生きることすらままならん!)」

 

ようやく椅子の上に乗り、息も絶え絶えに保存食の包みを手にしたフェリクスは、ふらつきながら机の前に戻った。フィンにとって、その机は高さ約13.5メートル、天板は雲の上に広がる台地のごとき威圧感を放っている。その「台地」に立つフェリクスも、本来なら見上げるような巨人のはずだが、その巨人がぜいぜいと肩で息をしている様子は、何とも言えず滑稽であり、そして痛々しかった。フィンは、「(フェリクスほどの男が、こんなことで…いや、今は『彼女』か。それにしても、守ってやりたくなるような姿だ、なんて思ってしまうのは、俺がおかしくなったからか?)」と、胸の内で複雑な思いを巡らせた。

 

「ありがとう、フェリクス。でも……」

 

フィンが感謝の言葉を口にしようとした時、フェリクスが机に無造作に置いた干し肉の塊は、フィンにとっては高さ50センチメートルはあろうかという、硬く乾燥した巨大な赤茶けた岩塊に見えた。

 

「これ、俺には大きすぎるぞ……どうやって齧ればいいんだ」

 

「ああ、そうか」フェリクスは力なく苦笑いし、指先で干し肉をできるだけ細かく千切って、フィンの前に置いた。それでも、フィンにとっては両手でしっかりと抱えなければならないほどの大きさだった。

 

「俺たちって、なんて間抜けなコンビなんだ……」

 

自嘲気味に呟くフェリクスの言葉に、フィンも小さく頷くしかなかった。

 

不器用な朝食を済ませた後、二人は再び工房の古文書の山と向き合った。元の姿に戻る方法、あるいはあの石の化身をどうにかする手がかりがどこかに記されているはずだ。しかし、羊皮紙の束をめくれどめくれど、それらしい記述は見つからない。フェリクスは、か弱い少女の指では分厚くごわつくページをめくることにも難儀し、苛立ちを募らせた。

 

「『夢を叶える魔法の石』についての記述はあるにはあるが、その副作用だの、ましてや暴走した際の制御方法なンてものは、どこにも書かれていやがらねえ……!」

 

フェリクスは頭を抱え、傍らの実験台に突っ伏した。フィンは机の上で、自分の身長とほぼ同じくらいの厚さがある巨大な古文書――そのページ一枚一枚が、フィンにとっては分厚い石板のようで、とてもではないが彼にはめくることすら不可能だった――の端に座り込み、フェリクスが時折吐き出すように読み上げる内容に、小さな耳を懸命に傾けていた。

 

工房の窓は固く閉ざされ、外界の様子は窺い知れない。しかし、時折、風に乗って遠くから微かな喧騒が運ばれてくる。甲高い悲鳴のような音、何かが派手に壊れるような轟音。それは昨日よりも明らかに大きく、そして頻繁になっていた。

 

「……またどこかで祭りの準備でもしているのか。やけに騒々しいな」フェリクスは顔を上げずに、ぶっきらぼうに呟いた。自分のことで手一杯で、外の騒動など気にかける余裕はなかった。

 

フィンは首を傾げた。彼の小さな耳は、フェリクスのそれよりも遥かに鋭敏に、その音の質の違いを感じ取っていた。「いや…なんだか、いつもの祭りの騒がしさとは違うぞ、フェリクス。もっと…切羽詰まったような、嫌な感じがする。胸騒ぎがするんだ」

 

「お前は相変わらず心配性だな」フェリクスは顔を上げ、フィンの真剣な表情を一瞥したが、すぐに古文書へと視線を戻した。

 

しかし、フィンの不安げな様子は変わらなかった。「このまま工房にいても埒が明かない」ややあって、フィンが意を決したように言った。「俺が少し外の様子を見てくる。何か手がかりがあるかもしれないし、第一、食料だっていつまでもつか分からない」

 

「馬鹿を言うな!お前みたいな10センチメートルの体で外に出たら、野良猫に一飲みにされるのがオチだぞ!」フェリクスは反射的に怒鳴った。この非力な体では、フィンを守ってやることすらできないかもしれないのだ。

 

「それでも、このままじゃ何も変わらない!それに、お前だってこの体じゃ満足に動けないだろ?俺が目となり足となるしかないじゃないか!」

 

フィンの言葉は、厳しいながらも正論だった。フェリクスはぐうの音も出ず、しばらく押し黙った後、重いため息と共にかぶりを振った。

 

「…分かった。だが、絶対に無理はするなよ。工房のすぐ外の様子を見るだけだ。異変を感じたら、すぐに戻ってこい」

 

フェリクスはフィンの小さな体をそっと手のひらに乗せ、自分の肩まで運んだ。その頼りない重さと温もりに、言いようのない不安が胸をよぎる。これから何が起ころうとしているのか、全く予想もつかなかった。

 

工房の重い扉を、フェリクスは少女の細腕でなんとか押し開けた。一歩外へ出ると、昨日とは明らかに異なる空気が肌を刺す。鼻につくのは、いつもの街の匂いに混じる、焦げ臭さと、そして何よりも人々の恐怖が凝縮されたような、鉄錆にも似た不快な臭気だった。

 

「うわっ…!」

 

フェリクスの肩の上で、フィンが息を呑むのが分かった。彼の小さな体が小刻みに震えている。

「フェリクス、見ろ!あれを!」

 

フィンの指差す(というより、必死に腕を伸ばしている)方向へ視線を向けると、フェリクスは言葉を失った。道端には、まるで巨人が脱ぎ捨てたかのように、だらしなく衣服が散乱している。その傍らでは、手のひらほどの大きさに縮んでしまった人々が、パニック状態で泣き叫び、右往左往していた。彼らにとって、普段は何気なく跨いでいた歩道の段差は、今や乗り越えられない絶壁と化し、排水溝の格子は、底なしの奈落へと誘う不気味な口に見えているだろう。馬車の轍は、幅広の運河のように彼らの行く手を阻んでいた。

 

「なんだ…これは…!昨日、俺たちが体験したことが、街中で…!」フェリクスの声は掠れていた。

 

「俺が作った石が…あいつが、こんなことを…!」

 

強烈な罪悪感が、フェリクスの胸を鉄の杭で打ち抜かれたかのように貫いた。自分の飽くなき探究心が生み出したものが、これほどの大規模な災厄を引き起こした。その事実に、彼は立っていることすら困難なほどの衝撃を受け、思わず膝から崩れ落ちそうになる。

 

「フェリクス、しっかりしろ!ぼさっとしてる場合じゃないぞ!」フィンの鋭い叱咤が、かろうじてフェリクスの意識を繋ぎ止めた。

 

我に返ったフェリクスは、フィンの言葉に促されるように、騎士団の訓練場へと足を向けた。そこでは、さらに絶望的な光景が広がっていた。屈強であるはずの騎士団の訓練生たちが、軒並み10センチメートルほどの大きさに縮んでしまい、指導者を失った雛鳥のようにパニックに陥っていたのだ。彼らにとって、普段は軽々と振り回していた訓練用の木剣は、今や持ち上げることすら叶わぬ巨大な丸太と化し、訓練場の砂利一つ一つが、足を取られる岩塊のように感じられているだろう。

 

「誰か…誰か助けてくれ!」

 

縮小した騎士の一人が、フェリクスの足元に転がるようにして叫んだ。その声は、絶望と恐怖で震えていた。他の者たちも、唯一通常サイズの人間であるフェリクスの姿に気づき、次々と助けを求めて集まってくる。彼らにとって、亜麻色の髪を風になびかせ、困惑しながらも自分たちを見下ろす少女の姿は、まるで天から舞い降りた救いの女神のように見えたのかもしれない。

 

「あなたは…どなたかは存じ上げませんが、どうか我々をお助けください!一体、どうすれば…!」

 

騎士の一人が、か細い声で懇願する。その瞳には、わずかな希望の光が宿っていた。フェリクスは戸惑った。自分自身もこの異常事態の被害者であり、元の体に戻る術すら見つけ出せていないのだ。このか弱い少女の体で、一体何ができるというのか。しかし、自分を見上げる、絶望に染まった小さな瞳の数々を前にして、彼は逃げ出すことなどできなかった。錬金術師としての探究心とは別に、心の奥底で燻っていた何かが、カチリと音を立てたような気がした。

 

「…落ち着け!」フェリクスは、自分でも驚くほど冷静で、そして張りのある声で言った。「まずは状況を正確に把握する。そして、安全な場所を確保し、原因の究明と対策を講じる!生き残っている者は、俺の指示に従え!」

 

その言葉は、まるで魔法のように、混乱していた騎士たちに僅かな秩序と希望をもたらした。フェリクスは、図らずも、そして不本意ながらも、彼らのリーダー的な立場に立たされてしまったのだった。

 

フェリクスの指示のもと、縮小された騎士たちは、比較的安全と思われる騎士団の詰所の一室を臨時の対策本部として確保した。そこへ、街の各所から絶望的な情報が続々と集まり始める。

 

「中央広場にて、光を放つ女が人々を次々と縮小させているとの報告多数!」

「西地区では、縮小した市民がカラスに襲われている模様!カラスが…人を咥えて飛び去ったと…!」

「食料品店のパンが、我々には岩山のように巨大で手が出せません!」

 

報告される惨状に、フェリクスは唇を噛み締めた。「光る女」…間違いなく、あの工房から飛び去った石の化身だ。自分の創造物が、街を恐怖のどん底に突き落としている。その事実に、彼は内臓を抉られるような痛みを感じた。

 

その間にも、縮小された人々は、それぞれの場所で必死に戦っていた。

ある若い騎士は、自分よりも遥かに大きな野良猫に果敢に立ち向かい、仲間の子供たちが避難する時間を稼いでいた。彼にとって猫の爪は、鋭利な鎌が振り下ろされるような恐怖だったろうが、その瞳には騎士としての誇りが宿っていた。

治癒術師の卵である内気な少女は、指先ほどの大きさしかない貴重な薬草を、震える手で必死にすり潰し、瓦礫の下敷きになって負傷した老人の手当てをしていた。彼女の小さな手から、淡い治癒の光が放たれる。

伝令役を任された活発な少年は、詰所の階段――彼にとっては、一段一段が自分の背丈ほどもある、まさに断崖絶壁――を何度も何度も往復し、各地の情報をフェリクスの元へ運び続けていた。その息は切れ切れで、今にも倒れそうだったが、その足取りは決して止まらなかった。

 

対策本部では、フェリクスを中心に、集まった騎士や、噂を聞きつけてやってきた魔導学院の学生たちが、石の化身(彼らは口々に「光る女」や「災厄の魔女」、「空飛ぶ縮小魔」などと、恐怖と若干の不謹慎な好奇心を込めて呼んでいた)の行動パターンや能力について分析を進めていた。

 

「目撃情報によれば、彼女は常に楽しげに空を飛び回り、まるで子供が悪戯をするかのように人々を縮小させているようだ」騎士の一人が報告する。

「悪意は感じられない…だが、それ故に予測がつかず、厄介極まりない」別の学生が付け加えた。

 

フェリクスは、自分が石の創造主であることは胸の奥に固く秘め、錬金術の知識と工房で読み漁った古文書の記憶を総動員して、石の化身の特性を推測した。

「おそらく、彼女の魔力の源は、この世界のあらゆる場所に存在する『エッセンス』を無尽蔵に取り込むことにある。そして、その膨大な力を制御する方法を知らない。つまり、今は生まれたての獣のように、本能のままに力を振るっている状態だと考えられる」

その的確かつ冷静な分析に、周囲の者たちは驚きの表情を浮かべた。この可憐な、しかしどこか威厳すら感じさせる少女が、なぜこれほど高度な魔法知識と洞察力を持っているのか、と。

 

フィンは、その小さな体と人並み外れた機敏さを活かして、フェリクスの指示で危険な場所へ偵察に出たり、他の縮小者グループからの伝言を届けたりと、八面六臂の活躍を見せていた。彼にとって、机の脚はフリークライミングの絶好の練習台であり、散らかった書類の山は、敵(主に猫やカラス)から身を隠すための格好のシェルターだった。

 

「彼女の魔力を封じる方法はないのか?このままでは街が…!」騎士の一人が、悲痛な声を上げた。

 

フェリクスは、しばし考え込んだ後、静かに頷いた。「一つだけ…心当たりがある。『魔力封印の腕輪』だ。古文書に、かつて暴走した古代の魔力を持つ存在を鎮めるために用いられたというアーティファクトの記述があった。これを使えば、あるいは…」

 

しかし、問題は山積みだった。第一に、腕輪の錬成には極めて希少で特殊な材料がいくつか必要だった。そのうちの一つ、「星影石の細片」が、この対策本部には影も形もなかったのだ。

 

「星影石なら、街の東外れにある古い廃坑に行けば手に入るかもしれない…だが、あそこは崩落の危険もあるし、魔物もどきが住み着いているという噂もある。今の我々では…」年配の騎士が顔を曇らせる。

 

その時、数名の縮小された若い騎士たちが、決然とした表情で名乗りを上げた。「我々が行きましょう!この小さな体でも、役に立てることがあるはずです!このまま何もせずに、誰かが助けてくれるのを待っているだけでは、騎士の名が廃ります!」

 

フェリクスは彼らの勇気に胸を打たれ、同時に、彼らを危険な任務に送り出すことへの罪悪感に苛まれた。しかし、他に選択肢はない。フィンの指揮のもと、材料調達部隊が編成された。彼らにとって、街への道のりは、カラスが翼長数メートルの怪鳥のように空を舞い、排水溝が底なしの暗黒洞窟のように不気味な口を開ける、まさに命がけの冒険だった。フィンは、持ち前の運動能力とリーダーシップを発揮し、時には猫の追跡を巧みにかわし、時には仲間を励ましながら、見事、星影石の細片を持ち帰ることに成功した。

 

材料が揃うと、フェリクスはすぐに腕輪の錬成に取り掛かった。騎士たちが、詰所の片隅にあった古い武具の手入れ場を片付け、臨時の工房として提供してくれた。しかし、少女の非力な体では、錬金術の基礎であるはずの薬研で材料を粉砕することも、小さな鞴(ふいご)で火力を調整することもままならない。

 

「くそっ、この体では力加減が…!こんなことでは、精密な錬成など…!」フェリクスは歯噛みし、何度も失敗を繰り返した。

 

その時、縮小された騎士や学生たちが、フェリクスの周りに集まってきた。

「我々がお手伝いします!どうか指示を!」

「そうだ、俺たちがあなたの手となり足となろう!」

 

彼らは、文字通りフェリクスの「手足」となった。小さな体で薬研の杵に何人も取り付き、タイミングを合わせて材料を搗き砕く。数人がかりで鞴の取っ手を押し引きし、火力を維持する。フェリクスが指示する通りに、ピンセットよりも小さな指先で、微細な部品を慎重に組み上げていく。それはまるで、伝説に語られる小人族の職人たちが、巨大な魔法の品を作り上げるような、奇妙で、しかしどこか神聖さすら感じさせる光景だった。

 

彼らの献身的な協力と、フェリクスの卓越した錬金術の知識が融合し、夕刻近く、ついに銀色に輝く「魔力封印の腕輪」が完成した。それは、成人女性の腕にぴったりと合うように作られている。

 

「やった…できたぞ!」フェリクスは、思わず歓声を上げた。周囲で作業を手伝っていた小さな英雄たちも、疲労困憊の表情ながら、満面の笑みで互いを称え合った。

 

しかし、喜びも束の間、最大の難問が彼らの前に立ちはだかっていた。これをどうやって、空を自由に飛び回り、予測不能な動きをするあの石の化身に装着させるというのか?

 

フェリクスの発案を元に、縮小された騎士や学生たちは、それぞれの知識と能力を結集し、石の化身捕獲作戦を練り上げた。作戦の舞台は、比較的開けていて、石の化身を誘導しやすそうな街の中央広場に決定された。

 

まず、縮小された騎士たちが陽動部隊となり、石の化身の注意を引く。彼らは声を張り上げ、磨いた金属片を投げて光を反射させ、時には自分自身が目立つように動き回って囮となり、石の化身を広場の中央へと巧みに誘導した。彼らにとって、石の化身が気まぐれに放つ魔力の余波は、突風や小さな竜巻のように感じられ、その度に吹き飛ばされそうになるのを必死でこらえていた。

 

その間に、学院の学生たちは、フェリクスの理論に基づいて準備を進めていた。石の化身の魔力を一時的に中和する特殊な素材――銀糸と月光草の繊維を編み込んだもの――で作られた巨大なネット。そして、彼女の動きを鈍らせるための魔法陣。これらは、縮小された者でも協力すれば設置・起動できるように、細かく分割して設計されており、まるで精密なパズルを組み上げるように広場に配置されていった。

 

陽動部隊が石の化身の注意を引きつけている隙を狙い、フィンが数名の特に機敏な仲間と共に石の化身に接近する。彼らの任務は、事前に用意された、先端に強力な粘着樹脂を塗った蜘蛛の糸よりも細い魔法の糸を、石の化身の衣服の目立たない箇所に複数取り付けること。これは、万が一腕輪装着に失敗した場合のバックアッププランであり、また、石の化身の動きをわずかにでも制限するための布石だった。フィンにとって、石の化身の翻るスカートの裾は、まるで嵐の中の船の帆のように巨大で、その下に潜り込むのは命がけの作業だった。

 

ついに、陽動部隊の決死の働きにより、石の化身が広場中央の魔法陣の範囲内に入った。

「今だっ!」フェリクスの鋭い声が響く。

その合図で、学院チームが一斉にネットと魔法陣を発動させた。銀色のネットが石の化身に覆いかぶさり、足元の魔法陣が淡い光を放つ。石の化身の動きが一瞬、明らかに鈍った。

 

「こっちよ、いいものがあるから!」フェリクスは、できるだけ優しく、しかし相手の注意を惹きつける力強い声色を作り、石の化身に呼びかけた。その声に、石の化身が怪訝そうな表情でふわりとフェリクスの方へ向き直る。

 

その瞬間、陽動部隊の生き残りが最後の力を振り絞り、一斉に石の化身の足元にしがみついた。それはほんの数秒の時間稼ぎにしかならなかったが、彼らの作戦にとっては決定的な数秒だった。

 

「いけーっ!」

 

フィンと潜入チームの仲間が、まるで熟練の曲芸師の一団のように息の合った連携を見せる。一人が石の化身の気を逸らし、もう一人が体勢を崩させ、その隙を突いてフィンが跳躍した。そして、近くにいた力自慢の騎士が、フェリクスの指示で特製の小型カタパルトから射出した腕輪を、フィンが見事空中でキャッチし、そのまま石の化身の腕に滑り込ませるように装着させることに成功したのだった。

 

銀色の腕輪が石の化身の腕にはまった瞬間、彼女から放たれていた眩いばかりの魔力の光が、まるでランプの灯を絞るように急速に収束し、やがて完全に消え失せた。飛行能力を失ったのか、彼女はふわりと地上に降り立つ。その表情には、初めて感じる無力感と、何が起きたのか分からないといった戸惑いが浮かんでいるように見えた。周囲の喧騒や、自分に向けられる多くの視線に、少しおびえているようでもある。

 

「やった…のか?」誰かが、かすれた声で呟いた。広場には、先ほどまでの喧騒が嘘のような、奇妙な静寂が訪れた。

 

その静寂を破ったのは、意外にも石の化身だった。彼女は、おずおずとした足取りでフェリクスに近づくと、まるで大きな子犬が信頼する飼い主にじゃれるように、その体にすり寄ってきた。

 

「うわっ!こ、こら、やめろ!くすぐったいだろうが!」

 

フェリクスは、思わず素の男口調で悲鳴を上げた。少女の体では、見た目相応に力のある石の化身のじゃれつきを受け止めきれず、たたらを踏む。周囲の騎士や学生たちは、そのあまりにも人間くさい(?)光景に、先ほどまでの緊張も忘れ、ただただ呆気にとられていた。

 

「フェリクス」肩の上から、フィンの小さな、しかしどこか安堵したような声がした。「こいつ、どうやら本当に悪い奴じゃなさそうだ。ただ、生まれたばかりで何も分かっていないだけなのかもしれない。…なあ、こいつに名前をつけてやったらどうだ?名前で呼べば、少しは落ち着くかもしれないし、俺たちもどう接すればいいか、少しは分かるようになるかもしれん」

 

「名前…だと?」フェリクスは眉をひそめた。この街を未曾有の大混乱に陥れた元凶に、名前など。しかし、自分の服の裾を掴んで離さない石の化身の、どこか子供のような無垢な(そして非常に迷惑な)瞳を見ているうちに、フィンの言葉も一理あるように思えてきた。こいつは、自分が何をしでかしたのか、本当に理解していないのかもしれない。そして、このまま「石の化身」や「災厄の魔女」として恐れられ続けるのは、ある意味では哀れでもあった。

 

フェリクスは、深いため息をついた。「…分かった。お前の言う通りかもしれん」そして、じゃれついてくる石の化身の頭を、ぎこちなく、しかしどこか優しさを含んだ手つきで撫でながら言った。「お前の名前は…そうだな、『リシア』だ。どうだ、気に入ったか?」

 

リシア、と名付けられた石の化身は、フェリクスの言葉にきょとんとした表情を浮かべたが、やがて何かを理解したかのように、嬉しそうに声を上げた。「りしあー?りしあ、うれしー!」その声は、大きな声に見合わない、無邪気な幼い少女のものを感じさせた。

 

束の間の安堵もつかの間、広場に新たな緊張が走った。アウレリア騎士団の上層部と、魔導学院の教授らしき一団が、物々しい雰囲気で現れたのだ。彼らは、縮小された部下たちから次々と報告を受け、この異常事態の首謀者と目される「謎の少女」と「捕獲された石の化身――今はリシアと名付けられた」の元へと、ようやく到着したのだった。

 

「君が、この騒動を収拾に導いたと聞く少女か」騎士団長と思しき、厳つい顔つきの壮年の男が、鋭い目でフェリクスを見据えた。その隣には、いかにも神経質そうな魔導学院の教授が、リシアを値踏みするような視線で観察している。

 

フェリクスは内心で舌打ちしながらも、できるだけか弱く、しかし凛とした少女を装って頷いた。「は、はい…たまたま、その…皆さんと協力して、なんとか…」

 

騎士団長はフェリクスの言葉を遮り、その肩に乗るフィンに視線を移した。「その肩に乗っているのは何だ?報告では、多くの者が縮小していると聞くが…その小人も、今回の事件の関係者か?」

 

「こ、彼は私の大切な…ええと、使い魔のようなものですわ!小さいけれど、とても賢いのです!」フェリクスは咄嗟に、貴族の令嬢のような猫なで声で嘘をついた。あまりの不自然さに、フィンが肩の上でプルプルと震えているのが分かる。

 

フィンが何か言い返そうとするのを、フェリクスは指で小さく小突いて制する。

 

騎士団長の隣にいた、学者風の老人がリシアに目を向けた。「そして、こちらが例の『石の化身』…いや、リシアと名付けられたとか。ふむ、確かに魔力は腕輪によって抑制されているようじゃが…これほどの力を持つ存在を、野放しにしておくわけにはいかんな。危険な存在であることに変わりはない。騎士団の厳重な管理下に置く必要があるだろう」

 

リシアは、学者たちの厳しい視線に怯えたのか、フェリクスの服の裾をぎゅっと掴み、その後ろに隠れようとした。フェリクスは、思わずリシアの頭を庇うように手を伸ばしていた。この行動が、騎士団長たちの疑念をさらに深めることになるとも知らずに。

 

「さて」騎士団長が再び口を開いた。その声には、有無を言わせぬ威圧感がこもっている。「これだけの騒動を収拾に導いた君は一体何者なのだ?その知識、その指揮能力、そしてそのリシアとかいう存在との関係…。協力に感謝はするが、いくつか、いや、多くのことを聞かねばならん。…まず、君の名前を聞こうか」

 

フェリクスの背中に、冷たい汗が一筋流れた。絶体絶命。この状況で、どう名乗ればいいというのだ。フェリクス・ルロワなどと名乗れば、すぐに正体が露見する。かといって、偽名を名乗るにしても、この場で咄嗟に気の利いた名前など思いつきそうもなかった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。