夢を叶える魔法の石~鬼才の錬金術師が万能の石を生み出した結果少女にTSしてついでに親友は小人になりました 作:Yumerur
安堵したのも束の間、広場に新たな緊張が走った。アウレリア騎士団の上層部と、魔導学院の教授らしき一団が、物々しい雰囲気を漂わせて現れたのだ。彼らは、縮小された部下たちから矢継ぎ早に報告を受け、この異常事態の首謀者と目される『謎の少女』、そして『捕獲された石の化身』――今はリシアと名付けられた存在のもとへ、ようやくたどり着いた。
「君が、この騒動を収拾に導いたと報告にあった少女か」
騎士団長と思しき、厳つい顔つきの壮年の男が、射抜くような鋭い目でフェリクスを見据えた。その隣には、いかにも神経質そうな魔導学院の教授が、リシアを値踏みするかのようにじろじろと観察している。
フェリクスは内心で毒づきながらも、できるだけか弱く、それでいて芯のある少女を意識して頷いた。「は、はい……たまたま、その……皆様と協力して、なんとか……」
騎士団長はフェリクスの言葉を遮り、その肩に乗るフィンに視線を移した。「その肩に乗っているのは何だ?報告では、多くの者が縮小していると聞くが……その小人も、今回の事件の関係者か?」
「こ、彼は私の大切な……ええと、使い魔のようなものですわ!小さいけれど、とても賢いのです!」
フェリクスは咄嗟に、貴族の令嬢じみた猫なで声で取り繕った。あまりの不自然さに、フィンが肩の上で憤慨に震えているのが分かる。
フィンが何か言い返そうと身じろぎするのを、フェリクスは指で小さく小突いて制した。
騎士団長の隣にいた、学者風の老人がリシアに目を向けた。「そして、こちらが例の『石の化身』……いや、リシアと名付けられたとか。ふむ、確かに魔力は腕輪によって抑制されているようじゃが……これほどの力を持つ存在を、野放しにしておくわけにはいかんな。危険な存在であることに変わりはない。騎士団の厳重な管理下に置く必要があるだろう」
リシアは、学者たちの射るような視線に怯えたのか、フェリクスの服の裾をぎゅっと掴み、その背後に隠れようとした。フェリクスは、思わずリシアの頭を庇うように手を伸ばす。この無意識の行動が、騎士団長たちの疑念をさらに深めることになるとも知らずに。
「さて」騎士団長が再び口を開いた。その声には、有無を言わせぬ威圧感がこもっている。「これだけの騒動を収拾に導いた君は一体何者なのだ?その知識、その指揮能力、そしてそのリシアとかいう存在との関係……。協力に感謝はするが、いくつか、いや、多くのことを聞かねばならん」
騎士団長は、目の前の怯えたような(あるいは、何かを必死に隠そうとしているような)小柄な少女に、いきなり詰問するのも気が引けたのか、それともより情報を引き出しやすいと判断したのか、まずその隣で当惑したように大きな瞳をぱちくりさせている、大人びた容姿の長躯の女性――リシアに視線を転じた。
「……まずは、そちらの女性から話を聞こう。リシアとやら、君がこの騒動の中心にいたと聞く。腕輪で力は封じられているようだが、意識ははっきりしているな?一体何があったのか、詳しく話してもらおうか」
騎士団長としては、見た目は子供のフェリクスよりも、成人女性に見えるリシアから事情を聞く方が合理的だと判断したのだろう。
この予期せぬ展開に、フェリクスは内心でわずかに安堵した。これで少しだけ、名前を考える時間が稼げるかもしれない。(何か……何か当たり障りのない、それでいて少女らしい名前は……フェリクス・ルロワであることを微塵も感じさせないような……)彼は必死に記憶の糸をたぐる。
しかし、騎士団長のその判断は、早々に、そして見事に覆されることになる。
「りしあ?」リシアは、騎士団長に話しかけられ、不思議そうに小首を傾げた。「おじちゃん、だあれ?フィリ……ううん、この子の、おともだち?」リシアは言いかけて、隣にいるフェリクスの顔を覗き込んだ。フェリクスは冷や汗をかきながら、必死にリシアに目で合図を送る。
「リシア、おなかペコペコなのー!お菓子はまだー?ねえ、この子ー、お菓子たべたいー!」
リシアはフェリクスの服の袖をぐいぐいと引っ張り、無邪気に強請る。その口調は、明らかに幼い子供のもので、その美しい外見とのギャップが凄まじい。
騎士団長も、隣の魔導学院の教授も、そのあまりのちぐはぐな様子に呆気に取られ、言葉を失った。教授がややあって気を取り直し、「リシア君、君は何故空を飛んでいたのかね?そして、何故人々を小さく……?」と学術的な興味から尋ねるが、リシアの答えは期待を大きく裏切るものだった。
「ふわふわーって、楽しいよ!みんなね、ちっちゃくなったら、リシアとおんなじくらい可愛いの!」
そう言って、彼女は両手を広げてくるくると回ろうとする。その長躯から繰り出される動きは、フェリクスよりも二回り以上大きな体格も相まって、周囲の者たちをひやりとさせた。床に置かれていた武具が、彼女のスカートの裾に引っかかって音を立てる。
「(……だめだこりゃ……)」騎士団長の顔に、深い疲労の色が浮かぶ。この美しい女性は、見た目とは裏腹に、知性も状況判断能力も赤子同然らしい。これでは尋問どころではない。
その間、フェリクスは必死で偽名を考えていた。(セシル……そうだ、セシル・フェリクス・ルロワ、俺の名前をミドルネームにして。これなら、万が一何かあっても言い逃れが……いや、今はそんなことを考えている場合じゃない!)
やむを得ず、騎士団長は再びフェリクスに視線を戻した。その目には、先ほどまでの鋭さに加え、どこか諦観と、そして目の前の幼く見える子供に、これ以上無理を強いることへの微かな躊躇い――あるいは、年長者としての慈悲のようなもの――が混じっているようにフェリクスには感じられた。
「……仕方あるまい。嬢ちゃん……いや、ええと……」騎士団長は、言葉を選びあぐねている。「まずは、君の名前を聞かせてくれるかな?」その口調は、先ほどよりも幾分和らいでいた。
(今だ……!これしかない!)フェリクスは、リシアとのやり取りで稼げたわずかな時間で、ようやく一つの名前を捻り出していた。
「わ、私の名前は……セシル、ですわ」
必死で作り上げたか細い少女の声は、自分でも驚くほど震えていた。この瞬間、「錬金術師フェリクス・ルロワ」という存在は、少なくとも公には「死んだ」も同然となり、代わりに「セシル」という名の見ず知らずの少女が、この世に生を受けたのだ。そんな馬鹿げた現実を、彼は無理やり自分に納得させようとしていた。
「セシル、か……」騎士団長は、その名を反芻するように呟き、隣に座る魔導学院の教授らしき人物と意味ありげに視線を交わした。
「セシルとやら、君はいったい何者なのだ?あのリシアとの関係は?そして、なぜあれほどの魔法知識を……いや、先ほどの騒動を収拾するような機転を利かせることができた?」
矢継ぎ早に浴びせられる質問に、セシル(フェリクス)は必死で「か弱い旅の魔術師見習いの少女」を演じ続ける。しかし、その胸中では、錬金術師としての知識と経験が、今にも喉元まで出かかっては、必死に飲み込むという苦しい攻防が繰り返されていた。
「わ、私……その、昔、少しだけ魔法を習ったことがありまして……リシアちゃんは、その……偶然助けた子でして、とても懐かれてしまって……」
しどろもどろな説明は、明らかに説得力を欠いていた。特に魔導学院の教授は、セシルの言葉の端々に現れる、少女らしからぬ知識の片鱗や論理的な思考の痕跡を鋭く見抜き、ねちねちとした追及を続けてくる。
そんな緊迫したやり取りの最中、尋問にすっかり飽きたリシアが、再び騒ぎ出した。
「セシルー、お外いくー!ここ、つまんなーい!」
リシアは大きな声でそう叫ぶと、いきなり立ち上がり、部屋の中を駆け回ろうとした。フェリクスよりも頭二つ分は背が高く、体格も二回り以上はあろうかというリシアの突飛な行動に、セシルは顔面蒼白になる。近くにあった装飾的な壺が危うく倒れそうになり、騎士の一人が慌てて支えた。
「こ、こら!リシア、おとなしく……!」
フェリクスは慌ててリシアを止めようとするが、今の小柄な少女の体では、まるで象にじゃれつかれた子猫のようなものだ。リシアが軽く腕を振るだけで、フェリクスは簡単に突き飛ばされてしまう。リシア自身は、フェリクスに甘えているつもりなのかもしれないが、その力の差は歴然としていた。見かねた騎士の一人がリシアを制止しようと近づくが、リシアはそれを「新しい遊び相手が現れた!」とでも思ったのか、きゃっきゃと声を上げて騎士に飛びかかろうとする始末。
「(くそっ、このアマ……!少しは状況を読め!)」
内心で悪態をつきながらも、フェリクスはこのままでは埒が明かないと判断した。やむを得ない。彼は小さく息を吸い込むと、指先で素早く印を結んだ。
「『縛めの蔦(バインド・アイヴィ)』!」
次の瞬間、リシアの足元から緑色の魔法の蔦が数本現れ、彼女の足首に柔らかく、しかし確実に絡みついた。リシアは驚いて動きを止める。「あれー?セシル、これなあにー?」
「ご、ごめんなさい!この子は少し……その、元気が良すぎるだけでして……決して、悪意は……」
フェリクスは必死に弁明するが、彼の魔法行使の事実は、取調室にいた全員に「やはり、この少女はただ者ではない」という疑念を、より一層深く植え付ける結果となった。特に騎士団長は、その細い目をさらに細め、セシルを値踏みするように見つめている。その視線には、先ほどまでの諦観とは異なる、新たな警戒の色が加わっていた。
その後も、魔導学院の教授による専門知識に関する誘導尋問は続いたが、フェリクスは先ほどの魔法使用の件でさらに警戒を強め、「それは、昔読んだ本に書いてあったような……?」「お花や可愛いものが好きで、難しいことはよく分かりませんの」などと、徹底的に錬金術師としての片鱗を隠し通した。あまりの噛み合わなさと、リシアという制御不能な存在に、教授はついに根負けしたのか、大きなため息をついて頭を抱えた。
一方、フェリクスの肩の上で「小さな使い魔」を演じさせられていたフィンは、内心で毒づきながらも、時折「キュー!」などという気の抜けた鳴き声を上げさせられそうになるのを必死で堪えていた。その度に、彼の小さな体は憤慨のあまりプルプルと震えたが、いざという時には「我が主、セシル様は、決して悪い方ではございません!このフィンが保証いたします!(ただし、この声はフェリクスにしか聞こえない)」と、騎士道精神に則った(つもりの)主張を繰り返していた。
結局、尋問はこれといった進展もないまま平行線を辿り、夜も更けた頃、当局は「セシル」とリシア、そして「使い魔」のフィンを、騎士団の管理下にある施設へ一時的に移送し、さらなる調査と厳重な監視下に置くことを決定した。フェリクスは、もはや抵抗する気力も体力も残っておらず、リシアの手を引きながら、兵士に囲まれて薄暗い馬車へと押し込まれるしかなかった。
馬車から降ろされ通されたのは、調度品も立派な、騎士団の来客用と思われる一室だった。しかし、案内した騎士が退出する際に聞こえた、扉の外で複数の足音が配置につく音、そして窓のカーテンの隙間から見える人影に、フェリクスはここが「客間」という名の牢獄であることを悟る。
「セシル様、お食事をお持ちしました」
やがて運ばれてきた夕食は、質素ながらも温かいものだった。しかし、給仕する兵士の視線は明らかに自分たちを観察しており、フェリクスは味がほとんど分からないまま、喉の奥へと無理やり食事を押し込む。リシアは「わーい、ごはんごはーん!」と無邪気に喜ぶが、その様子すら監視されているかと思うと、フェリクスの胃はキリキリと痛む。
「(……セシル、か)」騎士が自分を「セシル様」と呼んだことに、フェリクスは内心で苦々しく反芻する。咄嗟に名乗った偽名だが、こうも何度も呼ばれると、まるでそれが本当の自分の名前であるかのような錯覚に陥りそうになる。いや、もう「フェリクス・ルロワ」は存在しないのだから、これが今の自分の名前なのかもしれない。「お嬢様、何かご入用なものは?」と問われても、一瞬誰のことか分からず、フィンの小声の「お前のことだぞ、セシル!」というツッコミで我に返る始末だった。
食事が終わると、騎士は手早く食器を片付け、代わりに数着の簡素な衣服を置いていった。
「セシル様、こちらをお使いください。お召し物が少々……その、お見苦しい状態でいらっしゃいましたので」
それは、明らかに少女用の、今のフェリクスの体格に合わせた質素なワンピースや下着だった。昨日まで着ていた、裾を魔法で不格好に断ち切ったフェリクス自身のローブは、もう限界だったのだ。この新しい服を受け取るということは、自分が「セシル」という少女であることを、さらに受け入れざるを得ないということだ。フェリクスは、複雑な思いでその柔らかな手触りの衣服を見つめた。フィンとリシアしかいない状況では、まだ男口調で悪態をついたりもするが、一歩外に出れば、あるいは騎士が部屋に入ってくれば、「セシル」を演じなければならない。その切り替えが、今の彼には大きな精神的負担となっていた。
夜になり、部屋の明かりが落とされると、リシアは広い(と感じる)客間に興奮したのか、なかなか寝付こうとしなかった。部屋の中をきゃっきゃと駆け回り、窓の外の監視兵に「おじちゃーん、見てるのー?リシア、お歌うたってあげゆー!」と大声で叫ぼうとする。
「しーっ!静かにしろ、リシア!頼むから!」
フェリクスは顔面蒼白でリシアの口を慌てて塞ぐ。自分より二回りも大きなリシアを抑えつけるのは、少女の体では至難の業だ。リシアはそれを遊びと勘違いしたのか、フェリクスの細い腕にじゃれつき、その豊かな胸を顔に押し付けられながらベッドの上で二人でもつれ合う羽目になる。「うぐっ……お、重い……息が……!」フェリクスの悲鳴にも似た声が漏れる。その度に、扉の向こうの監視の気配が強くなるのを感じ、フェリクスの胃はキリキリと痛んだ。
ようやくリシアが寝静まった後も、フェリクスは全く気が休まらなかった。部屋の外からは定期的な巡回の足音や、時折ひそひそと話す声が聞こえてくる。硬直したままベッドに横たわるフェリクスの髪の中に隠れていたフィンが、そっと顔を出した。
「……フェリクス、大丈夫か?顔色が悪いぞ。少しでもいいから眠らないと……」
「眠れるわけがあるか……こんな状況で」フェリクスは力なく呟いた。「ああ……俺の工房……俺の世界……こんな清潔で、息の詰まるような場所では、俺は……俺でなくなってしまう……」
監視の目に晒され、錬金術の「れ」の字も実行できないこの部屋で、フェリクスはかつて自分の全てであった工房――薬品の独特の匂い、金属を打つ音、羊皮紙の乾いた感触、そして何よりも知的好奇心を満たしてくれる自由な空間――を強烈に思い出し、胸が締め付けられるような焦燥感に襲われるのだった。
翌朝、騎士団本部の会議室では、アウレリアの行く末を左右しかねない緊急会議が開かれていた。集まったのは、騎士団の幹部たちと、魔導学院の重鎮たち。議題は、もちろん昨夜保護された謎の少女「セシル」と、その連れである「リシア」、そして「使い魔」とされる小人の処遇についてだった。
「報告によれば、あの『セシル』と名乗る少女は、リシアと名付けられた存在を魔法で拘束したとのこと。やはりただの少女ではあるまい」騎士団長が重々しく口火を切った。
「うむ。昨夜の尋問でも、こちらの問いかけに対し、意図的に知識を隠しているような素振りが見受けられた。あれは相当な手練れか、あるいは何か大きな秘密を抱えているかのどちらかじゃろう」魔導学院の老教授が腕を組む。
会議は紛糾した。街を襲った縮小化の災厄は、騎士団の訓練生や魔導学院の学生など、アウレリアの将来を嘱望された若者たちをも数多く巻き込んでおり、その被害は甚大だ。市民の不安も高まっている。その中で、事件の中心にいた(ように見える)セシルと、元凶であるリシアの扱いは、政治的にも極めて慎重を要する問題だった。
「セシルを英雄として祭り上げるのは、時期尚早かつ危険すぎる。しかし、リシアを鎮めた(ように見える)功績を無視することもできん」
「リシアは、その力の根源も含め、貴重な研究対象となるやもしれん。しかし、非人道的な扱いは、さらなる市民の反発を招きかねん」
「セシルの使った魔法も気になる。あれが既存の魔法体系に属するものなのか、あるいは……」
様々な意見が飛び交う中、結局、最も波風の立たない「監視下での保護」という名の隔離措置が選択された。表立って厳罰には処しにくい一方で、その特異な能力を持つリシアと、謎の多いセシルを野放しにもできないという、苦肉の策だった。
そして、その監視役として白羽の矢が立ったのが、若き女性騎士ディアナ・アルトマイヤーだった。彼女の家柄は確かで、騎士としての実力も折り紙付き。そして何より、彼女の兄が今回の事件で行方不明(公式には死亡扱い)となっており、彼女自身がこの監視役の任を強く志願したという経緯があった。当局の一部には、ディアナの個人的な感情が、監視をより厳格なものにするだろうという計算も働いていた。
「アルカヌム寮への移送、及びディアナ・アルトマイヤーによる監視を決定する。異論はないな?」
騎士団長の言葉に、会議室の誰もが静かに頷いた。こうして、フェリクスたちの次なる運命が、彼らの知らぬところで決定されたのだった。
昼過ぎ、昨日とは別の、少しだけマシな調度品が置かれた応接室に、フェリクス、リシア、そしてフィンは通された。やがて、静かに扉が開き、一人の若い女性騎士が入ってくる。
プラチナブロンドの髪を実用的な編み込みにし、騎士の礼装ではないが、仕立ての良い動きやすそうな濃紺の服を纏った、長身で美しい少女だった。しかし、その整った顔立ちは氷のように冷たく、冬の湖面を思わせる鋭い青色の瞳は、一切の感情を読み取らせない。騎士としての訓練の賜物か、その立ち居振る舞いには一点の隙もなく、相手を見透かすような鋭い視線が、フェリクスたちに向けられた。
「私が、本日より貴女がたの監視を担当する、ディアナ・アルトマイヤーです」
その自己紹介は、抑揚がなく、事務的で、しかし有無を言わせぬ圧力を伴っていた。
「アルカヌム寮への移送、及びそこでの生活規則についてご説明いたします。『セシル』さんとお呼びすればよろしいでしょうか。あなたの素性については、引き続き調査させていただきます。昨夜の……リシアさんを拘束した魔法についても、詳しくお聞かせ願いたいところですわね」
表面上は丁寧な言葉遣いだが、その言葉の端々、視線の動きの端々に、セシルに対する深い疑念と、抑えきれない敵意のようなものが滲み出ているのを、フェリクスは見逃さなかった。
「(こいつ……やっかいなのが出てきたな……)」フェリクスは内心で舌打ちする。
「こ、こちらこそ、よろしくお願いいたしますわ、ディアナ様」フェリクスは、必死で淑やかな少女の仮面を被り直し、お辞儀をした。
フェリクスの肩の上で、フィンはディアナから放たれる微かな敵意を敏感に感じ取り、「こいつ……見た目は綺麗だが、目が笑ってないぜ。相当な手練れだ……気をつけろ、フェリクス」と小声で警告する。
リシアは、ディアナの冷たい雰囲気を本能的に感じ取ったのか、いつものように無邪気にじゃれつこうとはせず、フェリクスの後ろにそっと隠れるようにした。「このおねーちゃん、こわい……」と小さな声で呟く。
ディアナはリシアのその言葉に僅かに眉をひそめたが、すぐに無表情に戻り、「貴女が『リシア』ですか。その力は、アルカヌム寮において、厳しく管理させていただきます。ご承知おきください」と、リシアにも容赦のない、冷たい言葉を向けた。
その氷のような瞳の奥に、兄を失った悲しみと、事件の関係者(と彼女が疑う者)への静かな怒りの炎が揺らめいていることを、この時のフェリクスはまだ知る由もなかった。
アルカヌム寮への移送直前、ディアナは「個人的な品を少しだけ回収するため」という名目で、フェリクスに工房への短時間の立ち入りを許可した。もちろん、ディアナ自身が厳重に付き添うという条件付きだ。フィンもフェリクスのポケットにそっと隠れて同行した。リシアは、工房の異様な雰囲気を察したのか、あるいはディアナの存在を警戒してか、馬車の近くでおとなしく待っていることになった。
工房の扉を開けた瞬間、フェリクスの目に飛び込んできたのは、かつての面影もないほどに荒らされ、生命力を失った空間だった。騎士団によって荒々しく調査され、めぼしい実験器具や薬品の類は「証拠品」としてことごとく押収された後だった。実験台には無残に封印の札が貼られ、床には散乱した羊皮紙の切れ端や、割れたガラス器具の破片がきらめいている。そこは、かつてフェリクスが情熱の全てを注ぎ込んだ「聖域」ではなく、ただの廃墟に成り果てていた。
「ああ……俺の……俺の工房が……」思わず漏れた声は、少女のものでありながら、深い絶望に染まっていた。
押収を免れた数少ない品々――ひび割れたビーカーの欠片、インクの滲んだ使い古しの羽根ペン、片方だけ残された硬い革手袋――を、フェリクスは震える手でそっと撫でる。それは、彼にとって何よりも価値のある「宝物」であり、錬金術師フェリクス・ルロワとしての人生そのものの断片だった。祖父から受け継いだ精密天秤の台座に残る無数の傷、自分で調合した数百種類の試薬の残り香が染みついた棚、長年かけて解読してきた古代の錬金術書の余白に書き込まれた解読メモ、そして、数えきれないほどの実験の失敗と、ほんの僅かな成功を克明に記録した日誌のインクの掠れ……。それら全てが、走馬灯のように脳裏を駆け巡る。
ポケットからそっと顔を出したフィンも、その光景を悲しげに見つめていた。二人だけが、この場所の本当の価値と、失われたものの大きさを理解していた。
フェリクスが感傷に浸っていると、外で待っていたはずのリシアが、いつの間にか工房に入り込んできていた。彼女は、床に落ちていたガラスの破片――それはかつてフェリクスが錬成に失敗し、癇癪を起して叩き割ったフラスコの残骸だった――を、宝物でも見つけたかのように拾い上げ、無邪気な笑顔でフェリクスに差し出した。
「セシルー!これ、キラキラ!あげるー!」
そのあまりにも場違いな明るさと、かつての自分の失敗の象徴を前にして、フェリクスは堪えきれずに一筋の涙を頬に伝わせた。それは悲しみか、諦めか、あるいは、こんな状況でも自分に純粋な好意を向けてくれる存在がいることへの、ほんの僅かな救いだったのかもしれない。
ディアナの冷たい視線が背中に突き刺さるのを感じながら、フェリクスは工房の中央に静かに佇み、目を閉じた。ここで過ごした日々の記憶、錬金術への尽きることのない情熱、そして「フェリクス・ルロワ」という名前と共に、全てをこの場所に葬り去るかのように、深く、静かに息を吐いた。
工房からの帰り道、夕日がアウレリアの街並みを茜色に染め上げていた。フェリクスは、リシアの、少女のそれとは比べ物にならないほど大きく、しかしどこか不器用な手を引き――リシアが、工房で拾ったガラス片を宝物のように大事に握りしめながら、もう一方の手でしっかりとフェリクスの手を繋いできたのだ――肩にはフィンを乗せ、ディアナに無言で伴われて歩く。
「(フェリクス・ルロワは死んだ。これからは、セシルだ……)」
フェリクスは心の中で静かに呟いた。それは悲しい事実であると同時に、新たな人生の始まりを強いる、重い呪文のようでもあった。失ったものの大きさは計り知れない。だが、全てを失ったわけではない、と自分に言い聞かせる。この大きな手の中にある温もり、肩の上で感じる確かな重み。それらが、今の彼にとっての全てだった。
「わー!お空、きれーい!しゃんしゃん、おひさま、ばいばーい!」
リシアが、夕日を見て即興のよく分からない歌を歌い始める。そのあまりにも屈託のない声に、フェリクスの強張っていた心が、ほんの少しだけ解きほぐされるのを感じた。
「どんな名前になろうと、お前はお前だろ、フェリクス……いや、セシル。俺たちは一緒だ。何があってもな」
フィンの力強い(しかし、その声は囁くように小さい)言葉が、セシルの心に小さな勇気の灯をともす。
やがて一行は、明日から自分たちが移り住むことになるアルカヌム寮へと向かうための馬車が待つ場所へ到着した。セシルは、これから始まるであろう波乱に満ちた新生活に、一抹の不安と、ほんのわずかな好奇心、そして何よりも「この理不尽な運命の中で、それでも生き抜いてやる」という、錬金術師らしい執念にも似た静かな決意を抱きながら、馬車へとその小さな一歩を踏み出した。