夢を叶える魔法の石~鬼才の錬金術師が万能の石を生み出した結果少女にTSしてついでに親友は小人になりました 作:Yumerur
アルカヌム寮の二人部屋に、朝の陽光が薄いレースのカーテンを優しく揺らしながら、金色の筋となって差し込んでいた。窓辺に置かれたエルナ手入れの小さなテラコッタの鉢植えでは、瑞々しい緑葉についた朝露が、その光を受けてダイヤモンドのようにキラキラと輝いている。部屋の空気は、夜の間にこもった微かな寝息の匂いと、窓から流れ込む新鮮な朝の香りが混じり合い、新しい一日の始まりを告げていた。
セシル(フェリクス)は、昨夜エルナから借りた、サイズの大きいナイトガウンにその華奢な身を包まれていた。柔らかなコットン生地は肌触りが良いものの、袖は指先まで覆い、大きめのお下がりを着ているような雰囲気を出している。
「セシルちゃん、おはよー! もう朝ごはんの時間だよ。今日はいいお天気になりそう!」
陽だまりがそのまま声になったような、明るく優しいエルナの声が鼓膜を震わせた。セシルはゆっくりと翠色の瞳を開ける。ぼんやりとした視界に最初に映ったのは、蜂蜜色のセミロングを清楚なハーフアップに結い上げ、朝の光を背に受けたエルナの天使のような笑顔だった。逆光で輪郭が柔らかく光り、大きな茶色の瞳は期待に満ちて温かく輝き、健康的な血色の差した頬は、まるで熟れた桃のように瑞々しい。
「あ……おはよう、ございます……エルナ、先輩……」
まだ半分眠りの淵にいるような、掠れたソプラノでセシルが挨拶する。小さく身を起こすと、だぶだぶのナイトガウンの襟元が僅かに乱れ、雪のように白い肩口が覗いた。エルナは気にする風もなく、セシルのベッドサイドに屈み込むと、その乱れた亜麻色の髪を、まるで壊れ物を扱うかのように優しく指で梳いた。
「ふふ、セシルちゃんって本当に髪が綺麗だね。陽に透かすとキラキラして、まるで上質な絹糸みたい。触るとふわふわで気持ちいいんだ」
その何気ない、親愛に満ちた仕草と言葉に、セシル(フェリクス)の心臓が不規則に跳ねた。
(こ、こんなにも自然に……まるで本当の妹にでもするように……。これが、女性同士の距離感というものなのか……?フェリクスであった頃には、想像もつかなかった世界だ……)
エルナの指先が頭皮に触れる感触は、くすぐったいような、それでいて心地よいような、複雑な感覚を呼び起こす。
エルナは、ふとセシルのベッドの足元に置かれた小さな革製のトランクに視線を移すと、心配そうに細い眉をひそめた。それは、数日分の着替えと洗面用具程度しか入らない、明らかに旅慣れない者の荷物だった。
「セシルちゃん、もしかして着替えってあんまり持ってきてない感じかな?昨日はわたしの予備のナイトガウンを貸したけど、日中に着るお洋服とか……」
セシルは慌てたように自分の荷物を見返した。確かに、中身の大半は錬金術の研究道具や貴重な古文書の断片、いくつかの護身用の魔法具であり、日用品は最低限、それも男性用のものばかりだ。女性らしい服装など、この事態に陥るまで考えたことすらなかったのだから当然だった。
「あ、そ、その……何分、急な転校でして……あまり準備する時間が……その、お恥ずかしながら……」
しどろもどろに言い訳をするセシルの頬が、みるみるうちに赤く染まっていく。
「まあ、そうなんだね!それなら、今日、一緒にお買い物に行こうよ!街には素敵なお店がたくさんあるし、きっとセシルちゃんに似合う服が見つかると思うな!」
エルナの茶色の瞳が、まるで新しいおもちゃを見つけた子供のようにキラキラと輝いた。セシルの困った様子を見て、可愛い妹の世話を焼いてあげられる機会を得た、という純粋な喜びに満ちている。
「それに、セシルちゃん。そんなに堅くならないで。先輩なんて呼ばなくてもいいから、エルナって呼んでほしいな。わたしたち、これから同じ部屋で暮らす同室の仲間なんだし♪ ね?」
エルナはセシルの手を両手で優しく包み込み、こてんと首を傾げて微笑んだ。
その屈託のない親愛の情に、セシルは戸惑いながらも、胸の奥に温かいものが流れ込むのを感じていた。
「は、はい……ありがとう、エルナ……さ、ん」
まだぎこちなさは残るものの、確かに距離が縮まったことを感じさせる呼び方だった。
エルナは嬉しそうにぱっと手を叩いた。
「わあ!嬉しいな、セシルちゃん!もう少し慣れたら、きっと『さん』も取れるよね。さあ、顔を洗って着替えたら、朝ごはんを食べに行こう!今日のパンは焼きたてでとっても美味しいんだよ!」
エルナは軽やかに立ち上がると、セシルのために洗面道具とタオルを準備し始めた。その手際の良さ、甲斐甲斐しさに、セシル(フェリクス)は再び複雑な心境に陥るのだった。
アルカヌム寮のもう一方の端、管理人用の少し隔離された居住スペース。その一室で、リシアは夜明けとともに目を覚ましてからずっと、窓際で膝を抱えて座り込んでいた。大きな出窓の窓枠に額を押し付け、セシルがいるであろう学生寮の方向を、まるで飼い主を待つ忠犬のようにじっと見つめ続けている。腰まで届く豊かな黒髪は、窓から差し込む朝の光を受けて絹のように艶やかに輝いているが、その神々しいまでに美しい顔には、隠しようのない寂しさが影を落としていた。オパールのように虹彩の色を変える大きな瞳は、今は不安げに揺れている。
「セシルぅ……リシアはセシルに会いたいよぉ……。どうしてリシアだけ、ここにいなきゃいけないの……?」
か細い、子供が甘えるような声が、静かな部屋にぽつりと響いた。
その時、控えめなノックの音もそこそこに、カチャリとドアが開いてディアナが姿を現した。手には簡素だが栄養バランスを考え抜かれたであろう朝食が載せられた木製の盆を持っている。焼き立てのパンと、彩りの良い温野菜、そして鶏の卵を使ったシンプルなオムレツ、野菜のコンソメスープという、実用的で無駄のない組み合わせだった。
「朝食です、リシア」
ディアナの声は、感情の起伏を感じさせない、まるで業務報告のような事務的な冷たさを帯びていた。銀に近いプラチナブロンドの髪をきっちりと編み込み、一筋の後れ毛もなくまとめ上げたその姿は、騎士としての規律正しさとストイックさを体現しており、リシアの自由奔放で感情豊かな雰囲気とはあまりにも対照的だった。
ディアナは盆をローテーブルに置くと、リシアの様子を一瞥し、わずかに眉を寄せた。
「今後、食事は寮の共用キッチンでご自身でご用意ください。基本的な調理法はご理解いただいているはずですが」
リシアはディアナの言葉に、困ったようにふるふると首を傾げた。その仕草は、大きな猫が甘えているようにも見える。
「えぇ? でも、リシア、お料理とかよくわからないもん……。セシルに教えてもらいたいなぁ……セシルと一緒にお料理したい……」
潤んだ瞳でディアナを見上げるリシア。
ディアナの冬の湖面を思わせる青い瞳が一瞬、厳しく細められた。
「セシルさんは、アウレリア総合魔導学院の学生として、これから学業に専念されるそうです。ご自身のことはご自身でなさるのがよろしいかと」
リシアの表情がみるみるうちに曇っていく。オパールのように虹彩を変える美しい瞳に、薄っすらと涙の膜が張り、大きな雫が今にもこぼれ落ちそうだった。
「で、でも……リシア、セシルがいないと、寂しい……」
リシアの足元、床に落ちたパンくずの陰に隠れていた10cmのフィンは、彼女の心境の変化を敏感に感じ取り、心配そうに見上げていた。フィンから見上げるリシアの顔は、まるで三階建ての建物の壁面ほどの高さにあり、その表情の些細な変化でさえ、地上から女神像を見上げるかのような迫力があった。彼女の瞳からもし涙がこぼれ落ちれば、フィンにとってはバケツ一杯分の水が一気に降り注ぐようなものだろう。
「(リシア、かなり参っているな……。昨夜もほとんど眠れていないようだったし、このままでは精神的に不安定になってしまうかもしれない。ディアナの言うことも正論ではあるが、何か問題が起きる前に手を打った方がよさそうだな…)」
フィンは頭を悩ませるも解決策は簡単には思いつきそうもない。
他方で、アルカヌム寮の食堂は、朝の爽やかな光が大きな窓からたっぷりと差し込み、寮生たちの明るい笑い声と食器の触れ合う軽やかな音で賑わっていた。石造りの壁には、所々に可愛らしい草花の絵が描かれ、暖炉には朝の冷え込みを和らげるために小さな炎がパチパチと音を立てて踊っている。テーブルには焼きたてのパンの香ばしい匂いと、ハーブティーの爽やかな香りが漂い、食欲をそそった。
エルナに優しく手を引かれるようにして食堂に入ったセシルは、その瞬間、全ての視線が自分に集中するのを感じた。
「おはよう、セシルちゃん!」
「わあ、今朝も一段と可愛いねぇ~!そのナイトガウン、エルナ先輩のかな?ちょっと大きいけど、それがまた愛らしい!」
「その亜麻色の髪、本当にお人形さんみたい!触ってもいい?」
寮生たちは、まるで蜜に群がる蝶のように、瞬く間にセシルの周りを取り囲んだ。その熱烈な歓迎ぶりに、セシル(フェリクス)はタジタジになる。十三歳程度の華奢なセシルの身長からすると、十五歳から十七歳くらいの寮生たちの顔は少し上の方で、その好奇心と好意に満ちた視線を浴びるのは少し落ち着かない。
「学院、楽しみ? アルカヌム寮はちょっと古風だけど、学院は最新の設備もあってすごいんだよ!」
「困ったことがあったら、私たち先輩に何でも言ってね!遠慮はいらないから!」
矢継ぎ早に繰り出される質問の嵐に、セシルは必死に愛想笑いを浮かべ、淑女然とした言葉遣いを心がけながら応答した。
「あ、ありがとうございます……皆さん、本当にお優しくて……その、まだ学院のことはよく……」
(うっ……近い、近いぞ!こんなに大勢の女性に囲まれるなど、フェリクスだった頃でも経験したことがない!しかも、この純粋な好意と興味津々な視線は……ある意味、拷問に近い!)
エルナが、まるで雛鳥を守る母鳥のようにセシルの肩を優しく抱き、人垣をかき分けて空いている席へと案内してくれる。その自然な親しみやすさと庇護に、セシルも少しずつ肩の力が抜けていくのを感じていた。
「エル……エルナは、いつもこの時間に朝ごはんを食べてるの?」
まだ少しぎこちないながらも、セシルの口調が柔らかくなっているのに気づいたエルナは、嬉しそうに微笑んだ。
「そうだよ♪ セシルちゃんもすぐに慣れるって。みんな、本当にいい子たちばかりだから。ちょっとお節介なところもあるけど、悪気はないんだよね」
エルナはセシルの分のパンとミルクティーをテーブルに並べながら言った。
寮生の一人が、セシルのぶかぶかのナイトガウン姿に改めて気づいて声をかけた。
「あら、やっぱりその服、少し大きくないかな?とっても可愛いけど、やっぱり自分の体に合った服があった方が、動きやすいし、もっと素敵に見えるよ」
「そうですね……実は、本当に急な転校でしたので、あまり身の回りのものを十分に用意できなくて……」
セシルが困ったように俯くと、エルナがポンと手を叩いた。
「それなら、やっぱり今日、一緒に街へお買い物に行こうよ!アウレリアの街には、本当に素敵なお店がたくさんあるから。きっとセシルちゃんにぴったりの、可愛らしいお洋服が見つかると思うな!」
エルナの瞳が期待に輝く。
その時、食堂の入り口から、眠そうな目をこすりながら新しい少女が現れた。といっても相変わらず見上げなければいけないのだ。
その墨色のウェーブのかかった豊かな髪はわずかに乱れ、眠たげな表情はいつも以上に幼く、そして頼りなげに見せる。
アルカヌム寮の寮長、リディア・フントだった。
「あ、あの……お、おはようございます……皆さん、お早いですね……」
リディアは小さな声で挨拶すると、少し気まずそうに食堂の隅の席へ向かおうとした。
エルナがリディアに向かって明るく手を振った。
「寮長さん、おはようございます!ちょうどいいところに来てくれました!実は、セシルちゃんの着替えを買いに、今日、街へ行きたいと思ってるんですけど……」
リディアはエルナの言葉に、一瞬、びくりとしたように肩を揺らし、困ったような表情を浮かべた。しかし、セシルの困っているであろう様子と、エルナの期待に満ちた眼差しに、意を決したように小さく頷いた。
「そ、それでしたら……ちょうど寮の備品購入の予定もございましたし……。その、寮の生活費から、セシルさんのお洋服代を、一部お出しできるかと……。わ、私も、その、お金の管理という名目で、ご、ご一緒させていただければ……」
言葉の後半は尻すぼみになったが、その瞳には微かな期待の色が浮かんでいた。実際のところ、リディアもたまには寮長という責任ある立場を離れ、同年代の少女たちと街歩きのような楽しい時間を過ごすことに、憧れを抱いていたのだ。
「わあ、本当ですか!?寮長さんも一緒なら、とっても心強いです!三人で街を歩くなんて、なんだか遠足みたいで楽しそうですね♪」
エルナが屈託なく喜ぶと、リディアの頬がほんのりと赤らんだ。セシルも、内心の(主に男性としての)複雑な思いを巧妙に隠しながら、可憐な少女の笑みを浮かべた。
「(女同士で買い物……だと?一体どうなることやら…。しかし、日用品は確かにないといけないかもだが……)」
「それじゃあ、朝ごはんを済ませたら、準備をして出発しましょうか!」
エルナの明るい提案で、セシル、エルナ、そしてリディアの三人でのアウレリアの街への初めての外出が、思いがけなく決定したのだった。
また戻って管理人室。こちらではフィンがリシアの「お守り」に四苦八苦していた。身長わずか10cmの彼にとって、リシアの感情の起伏は、文字通り自然災害のようなものだった。彼女が悲しんで涙を流せば、それはフィンにとっては小さなプールほどの水たまりとなり、不機嫌になって溜息をつけば、それは突風となって彼を吹き飛ばさんばかりの勢いだった。
「リシア、セシルのことはそんなに心配しなくても大丈夫だって。エルナ先輩も一緒だし、寮長さんもいるんだから……」
フィンが、床に落ちていた糸くずをロープ代わりにリシアのスカートの裾からよじ登り、彼女の膝の上で慰めようとした時、廊下から寮生たちの賑やかな会話が微かに聞こえてきた。リシアの耳は、セシルのこととなると地獄耳になるらしい。
「セシルちゃん、今日、エルナ先輩と寮長さんと一緒に街にお買い物に行くんですって!」
「まあ、素敵!きっと可愛いお洋服がたくさん見つかるわね!」
「三人でお出かけなんて、楽しそうねぇ!」
その言葉を聞きつけた瞬間、それまでしょんぼりと俯いていたリシアの巨大なオパールの瞳が、カッと見開かれ、一瞬にして期待の色に輝いた。
「え!? セシル、お出かけするの!? リシアも一緒に行きたい! セシルと一緒にお買い物したいぃぃ!!」
その声のボリュームは、フィンにとってはまるで雷鳴が頭上で轟いたかのようだった。鼓膜が破れんばかりの音量に、フィンは思わず両手で小さな耳を押さえた。リシアの膝の上が、彼女の興奮で小刻みに震えている。
「お、落ち着けリシア! そんな大声を出したら、ディアナに気づかれるぞ! それに、いきなり押しかけたらセシルだって困るだろう!」
フィンは必死にリシアをなだめる。
「……それなら、こっそり後をつけていく、というのはどうだ? セシルに気づかれないように、遠くから見守るだけなら……」
苦肉の策だった。しかし、このままリシアが癇癪を起こして部屋を飛び出すよりはマシだろう。
フィンの提案に、リシアの表情が一気に太陽のように明るくなった。
「それ、いい! フィン、賢い! フィンと一緒に、こっそり見に行く!」
リシアは大きな両手を叩いて喜んだ。
「で、でも、絶対に目立たないようにしないとダメだぞ。君のその美貌は、街中どこにいても目立ってしまうからな……」
フィンが釘を刺すと、リシアは「大丈夫!」と自信満々に胸を張った。
「フィン、リシアの髪の中に隠れてて! そしたら、誰にも気づかれないでしょ?」
リシアは、自分の腰まで届く艶やかな黒髪の束を、まるでカーテンを開くように手で分け、フィンが入れるだけの小さなスペースを作った。フィンにとっては、それはまるで鬱蒼と茂る巨大な黒い森の入り口のように見えた。髪の一本一本が、彼にはしなやかな紐程度の太さがあるように感じられる。
「うわあ……暗くて狭いし、なんだか甘い匂いがする……。それに、ちょっとくすぐったいぞ……」
髪の毛の隙間からリシアの頭皮が垣間見える。フィンにとっては、そこは起伏に富んだ未知の大地だ。リシアの頭が動くたびに、髪の毛が擦れ合い、微かな静電気がパチパチと音を立てるのが聞こえる。しかし、リシアの期待に満ちたキラキラした瞳で見つめられると、断ることはできなかった。
「(やれやれ、また厄介なことになったもんだ……。だが、これもセシルのため、か……?)」
フィンは小さな溜息をつき、リシアの黒髪の中へと足を踏み入れた。
午前の授業が始まる前の、まだ涼やかで清々しい空気が街を包む中、セシル、エルナ、リディアの三人は、アルカヌム寮の古風な正面玄関から、アウレリアの街へと足を踏み出した。石畳の道に、三人の軽い足音がコツコツと小気味よく響き、それぞれの表情には期待と、ほんの少しの緊張が浮かんでいた。
「それじゃあ、行こうか♪ まずは学院通りを抜けて、中央広場の方へ向かいましょう。素敵なお店がたくさんあるんだよ!」
エルナが弾むような明るい声で先導し、セシルとリディアもそれに続く。朝の柔らかな陽光が、歴史を感じさせる石畳を温め、街全体がこれから始まる一日に向けてゆっくりと活気づいていく、そんな穏やかな雰囲気だった。
「セシルちゃん、アウレリアの街は初めて? この学院通りは、私たち学院生がよく利用するお店が多いんだ。可愛い雑貨屋さんとか、美味しいパン屋さんとかね」
エルナが、まるで自分の庭を案内するように、楽しそうに左右の店を指差しながら説明する。
その後ろを、リディアが少し緊張した面持ちでついていく。その手には、寮の経費を入れた小さな革袋がしっかりと握られていた。
「あ、あの……お、お金の管理は……わ、私が、しっかりと……その、無駄遣いはしないように……で、でも、セシルさんに必要なものは……ちゃんと……」
久しぶりの街への外出に対する内気な嬉しさが入り混じった、リディア特有のたどたどしい呟きが少し後ろから聞こえる。
セシルは、二人の純粋な優しさに心を温められながらも、内心ではこれから始まる「女性の服選び」という未知の体験に対する複雑な思いを抱えていた。
「(女性の服を選ぶ、か……。フェリクスであったなら、、おそらく縁のなかったであろう。一体、どんな屈辱……いや、どんな新しい発見があるというのか……)」
期待と不安が入り混じる中、セシルはエルナとリディアの後に続いた。
三人が角を曲がり、商店街へと続く賑やかな通りに向かって歩き始めた少し後、アルカヌム寮の裏口から、リシアがそっと周囲を伺いながら姿を現した。その人間離れした美貌は、朝の柔らかな光を浴びて一層神秘的な輝きを放っており、偶然通りかかった牛乳配達の少年が、思わず荷車を取り落としそうになるほどだった。
リシアの豊かな黒髪の中に隠れたフィンは、外の様子がほとんど見えない暗闇の中で、リシアの頭の動きに合わせて身体が激しく揺さぶられるのに必死に耐えていた。時折、髪の隙間から差し込む光が眩しく、リシアの歩くリズムに合わせて、まるで船に乗っているかのような不規則な揺れが続く。
「(うっぷ……これは、乗り物酔いよりも酷いかもしれない……。リシアのやつ、もう少し静かに歩けないのか……?)」
「あ! セシルいた! あっちに行った!」
遠くに、セシルたちの小さな後ろ姿を発見したリシアの嬉しそうな声が、フィンの耳元で直接響いた。その声の振動で、フィンの鼓膜がビリビリと震える。
しかし、リシアのあまりにも目立つ外見では、堂々と後をつけるわけにはいかない。リシアは、まるで熟練のスパイのように(本人はただセシルを見失いたくない一心なのだが)、建物の影や、路地の角に身を隠しながら、慎重に、しかし確実に三人の後を追い始めた。その姿は、どこかコミカルだった。
アウレリアの商店街は、朝の喧騒が始まり、活気に満ち溢れていた。道の両側には、魔法の灯りが灯るレトロなデザインの街灯が並び、石畳の道には馬車や荷車が行き交い、人々の楽しげな話し声が飛び交っている。色とりどりの看板が目を引く店舗が軒を連ね、魔法道具店からは時折、不思議な色の煙や火花が漏れ出し、古書店からは年代物の革装丁本の香りが漂ってくる。カフェのテラス席では、学生や街の人々が朝のティータイムを楽しんでいた。空気には、焼きたてのパンの香ばしい匂いや、様々なハーブやスパイスの刺激的な香り、そしてどこか甘く神秘的な魔法薬の香りが混じり合い、この魔法都市アウレリア特有の、胸躍るような雰囲気を作り出す。
「わあ……!」
セシルが思わず感嘆の声を上げると、エルナが自分のことのように嬉しそうに微笑んだ。
「すごいよねー! 私、このアウレリアの街がだーい好きなんだ! 見て歩くだけでも楽しいよね? 特に、あそこに見える角を曲がったところにある婦人服店『フローラル・ローブ』は、とっても素敵なお洋服がたくさんあって、学院の女の子たちの間でも人気なんだよ」
エルナが指差した先には、パステルカラーで彩られた可愛らしい外観の建物が見えた。ショーウィンドウには、春らしい色合いの軽やかなドレスや、繊細なレースがあしらわれたブラウスが、まるで芸術品のように美しく飾られている。
「あ、あの……予算のことも、ありますので……あまり高価なものは……その……」
リディアが、自分も興味があるがなかなか手が出せない手間、予算を盾に思わず口に出してしまった。
昨日強引にセシルを学院入りさせたような凛とした姿勢はどこにもない。
エルナはそんなリディアを吹き飛ばすように、明るく手を振った。
「大丈夫、大丈夫! 今日はセシルちゃんに必要な普段着を選ぶのが目的なんだから。ね、セシルちゃん? まずは見てみようよ!」
エルナはセシルの手を引き、期待に胸を膨らませながら「フローラル・ローブ」の扉へと向かった。
セシルは、エルナの無邪気な積極性に引きずられるようにしながらも、複雑な表情で頷いた。女性の買い物という、全く未知の体験への好奇心と、自分がそのような場にいることへの言いようのない戸惑い、そして何よりも、これから自分のために選ばれるであろう「少女服」に対する戦慄にも似た感情が、胸の中で渦巻いていた。
「(フローラル・ローブ……名前からして、フリルやリボン満載の服が出てきそうな……)」
婦人服店「フローラル・ローブ」の中は、外観の印象を裏切らない、甘く華やかな香りと、色とりどりの女性服で溢れかえっていた。壁一面に並べられた棚には、シルクやコットン、リネンといった上質な素材で作られたブラウスやスカートが畳まれ、ハンガーラックには、様々なデザインのワンピースやコートが掛けられている。レース、フリル、リボン、刺繍……セシル(フェリクス)にとっては、異世界の文化に足を踏み入れたかのような、目眩がするほどの光景だった。
「いらっしゃいませー! あら、可愛らしいお嬢様方ですね。どうぞ、ごゆっくりご覧になってくださいな」
店の奥から現れた、ふくよかで人の良さそうな笑顔の女性店員が、温かく三人を出迎えた。特にセシルの幼く可憐な外見と、どこか儚げな雰囲気に目を細め、まるで自分の孫娘でも見るかのような優しい眼差しを向けている。
「わあ……!見てセシルちゃん、リディアさん!素敵な服がたくさん!どれもこれも可愛くて、目移りしちゃうね!」
エルナは、まるで宝の山を見つけた探検家のように目を輝かせ、歓声を上げた。その興奮ぶりに、セシルはただただ圧倒される。
(こ、これが……女性の買い物というものなのか……。錬金術の素材を探すのとは、全く異なる種類の熱気とエネルギーだ……。思った以上に、華やかで……、俺にとっては理解不能な世界だ)
「これなんてどうかな? セシルちゃんの綺麗な亜麻色の髪の色に、このミントグリーンのブラウス、きっとぴったりだと思うんだ!」
「こちらの小花柄のワンピースも、セシルちゃんの可憐な雰囲気に合ってるよね!リボンも可愛らしいし!」
エルナは次から次へと服を手に取り、鏡の前に立つセシルの体に当てては、うっとりと溜息をついたり、首を傾げたりしている。薄緑色のシルクのブラウスに、紺色のプリーツスカート、白いコットンレースのワンピース、生成り色のリネンのチュニック……どれも確かに、セシルの透き通るような白い肌や、大きな翠色の瞳に驚くほど似合いそうではあった。
「あ、あの……エルナさん、とても素敵ですけれど……学院での生活を考えると、あまり華美なものよりも、動きやすくて、お手入れのしやすいものの方が……その、実用的かと……」
(リディア殿、グッジョブだ! さすがは寮長、堅実な意見、実にありがたい……!)
「あら、そうね。リディアさんの言う通りだね。セシルちゃん、ごめんごめん、つい可愛くて夢中になっちゃった。店員さん、この子に似合いそうな、普段使いできるようなお洋服、いくつか見繕ってもらえますか?」
エルナは素直に反省し、店員に助けを求めた。
「かしこまりました。お嬢様の雰囲気ですと、こちらの生成りのコットンブラウスに、落ち着いた色合いのギャザースカートなどはいかがでしょう?動きやすく、それでいて上品な可愛らしさもございますよ」
店員はにこやかに数点の服を選び出し、試着室へと案内してくれた。
セシルは、エルナとリディア、そして店員に促されるまま、人生で初めて、女性服の試着室へと足を踏み入れた。カーテンを閉め、一人きりになると、ようやく一息つくことができた。試着室の壁に掛けられた姿見に映る、小さな少女の姿。それが今の自分なのだという現実に、改めて深い戸惑いと、形容しがたい奇妙な感覚を覚える。
「(本当に……この俺が、こんなフリルのついたブラウスや、ひらひらしたスカートを身につけることになるなんて……)」
しかし、震える手でエルナに選ばれた服に着替え、恐る恐る鏡の前に立ってみると……。
「……あれ……?」
そこに映っていたのは、確かに自分自身なのだが、どこか見慣れない、それでいて……驚くほど、その服装がしっくりと馴染んでいる少女の姿だった。亜麻色の髪と翠色の瞳に、生成りのブラウスと落ち着いたオリーブグリーンのスカートは、まるで誂えたかのように調和し、セシルの持つ儚げな美しさを引き立てている。
「(……似合って、いる……のか? いや、まさか……。だが、確かに、悪くない……かもしれない?)」
複雑な心境ながらも、鏡の中の「少女セシル」が、ほんの少しだけ、自分でも気づかないうちに微笑んでいるような気がした。羞恥心と、ほんの僅かな高揚感が入り混じった、不思議な感情だった。
一方その頃、商店街の賑わいから一本外れた、薄暗い石畳の路地裏。そこに身を潜めていたリシアは、婦人服店「フローラル・ローブ」の大きなショーウィンドウ越しに、店内で楽しそうに服を選ぶセシルたちの様子をじっと見つめていた。最初は「セシルに会えた! セシル、楽しそう!」という純粋な喜びで胸がいっぱいだったが、時間が経つにつれて、その表情には徐々に陰りが見え始めていた。
リシアの黒髪の中に隠れたフィンは、リシアの心境の微妙な変化を、まるで自分のことのように敏感に察知していた。10cmの彼にとって、リシアの感情の揺れ動きは、地面が揺れる地震のようにダイレクトに伝わってくるのだ。
「(リシア、最初はあんなに嬉しそうだったのに……。だんだん表情が曇ってきたな……。セシルたちが楽しそうにしているのを見るのが、辛くなってきたのかもしれない……)」
リシアの神々しいまでに美しい顔に、寂しさと、ほんの少しの不満の色が混じり始めていた。窓の向こうで、エルナやリディアと笑顔で言葉を交わし、時折はにかむように微笑むセシル。その光景は、まるで自分だけが仲間外れにされているかのような、疎外感をリシアに抱かせた。
「セシル……みんなと、とっても楽しそう……。リシアのことも、忘れてないかなぁ……」
ぽつりと呟かれたその言葉には、子供のような純粋な寂しさが込められていた。フィンは、その声色に含まれた微かな震えを聞き逃さなかった。
婦人服店での買い物を一通り終え、セシルの両手には可愛らしい紙袋がいくつかぶら下がっていた。さすがに少し疲れた表情を見せるセシルとリディアに気づいたエルナが、明るく提案した。
「ねえ、少し休憩しようよ! あそこの角にあるカフェ『ミルフィーユの木陰』、ケーキがとっても美味しいんだ! 私のおすすめは、やっぱり店名にもなっているミルフィーユだね!」
エルナの提案に、特に「ミルフィーユ」という単語にリディアの目が微かに輝いたのを見逃さず、三人は商店街の喧騒から少し離れた、静かな佇まいの小さなカフェへと向かった。ショーウィンドウには、宝石のように美しいケーキが並び、店内からは焼きたての焼き菓子の甘い香りと、穏やかな音楽が漏れ聞こえてくる。
三人がカフェの扉を押し開け、楽しそうに店内へ入っていく様子を、リシアは路地の物陰から、じっと見つめていた。
窓越しに見えるカフェの中の三人は、本当に楽しそうに会話を弾ませていた。セシルが、今日買った新しい服について、少し照れながらも嬉しそうにエルナに話し、エルナは満面の笑みで頷きながら、時折セシルの髪を優しく撫でている。リディアも、大好きなミルフィーユを前にしてか、いつもより少し饒舌になり、珍しく積極的に会話に参加しているようだった。三人の周りには、温かく和やかな空気が流れている。
「セシル……リシアのこと、もう忘れちゃったのかな……? リシアより、あのケーキの方が美味しそうに見える……」
むぅ、と頬を膨らませて呟くリシアの声に、フィンは思わず苦笑いを浮かべた。10cmの小さな体では、この巨大で美しい、そして今は絶賛拗ねモードに突入しているお姫様を慰める言葉も見つからない。
「(いやいやリシア、それはさすがに被害妄想がすぎるぞ。というか、ケーキと自分を比べるなよ……)」
心の中でツッコミを入れつつも、フィンはリシアの純粋すぎるが故の暴走を警戒し始めていた。
「リシア……そんなことないって、絶対に。セシルはきっと、君のことを一番に……えーと、その、ケーキと同じくらいには考えてるさ、たぶん」
フィンが必死にフォローの言葉を探すが、どうにも歯切れが悪い。
「でも、リシアはいつも一人ぼっち。セシルは、みんなと楽しそうなのに。リシアだけ、仲間外れ……ひどいよぉ……」
リシアの声には、拗ねた子供特有の、しかし妙な迫力のある不満が込められていた。その神々しいまでに美しい顔に浮かんだ「ぷんすか」とした表情は、ある意味、どんな悲劇よりもフィンにとっては恐ろしいものだった。彼女の大きなオパールの瞳から、今にも「えーん!」と大粒の涙がこぼれ落ちてきそうだ。そして、その涙はきっと、この路地を小さな池に変えてしまうだろう。
「(うわぁ、これは本格的に機嫌を損ねたな。セシル、早くこの状況に気づいてくれー! こっちはもう限界だぞー!)」
当然密かに尾行しているのだから気づくはずもない。
それでも祈らざるおえないフィンは、リシアの髪の毛をぎゅっと掴み、来るべき「感情の洪水」に備えるしかなかった。
やがて、カフェでの楽しい休憩を終えた三人が、満足そうな、そして少し名残惜しそうな表情で店から出てきた。セシルの手には、先ほどの紙袋に加えて、カフェの可愛らしい焼き菓子の包みも増えている。エルナとリディアも、美味しいケーキと楽しいおしゃべりでリフレッシュできたのか、晴れやかな笑顔だった。
「あー、美味しかった! やっぱり『ミルフィーユの木陰』のケーキは最高だね! セシルちゃんもリディアさんも、たくさん買えて良かったね♪」
エルナの弾むような、満足そうな声が路地にまで聞こえてくる。三人の楽しそうな会話、弾むような足取り……その全てが、リシアの心の中で静かに、しかし確実に黒い感情を燃え上がらせていた。
夕暮れの茜色が空を染め始める頃、セシル、エルナ、リディアの三人は、今日の成果であるいくつかの紙袋を手に、満足そうな表情でアルカヌム寮へと帰ってきた。セシルは、新しい服を手に入れたという安堵感と、人生で初めて体験した「女性同士の買い物」という、どこか気恥ずかしくも新鮮な体験への複雑な思いを抱きながらも、エルナとリディアの屈託のない優しさに、少しずつ心が解かされていくのを感じていた。
「今日は本当にありがとう、エルナ。リディアさんも、ご一緒してくださって、心強かったですわ」
セシルが淑女然とした完璧なカーテシーと共に礼を述べると、エルナはにっこりと微笑んだ。
「どういたしまして♪ とっても楽しかったよ! セシルちゃんに似合うお洋服がたくさん見つかって、私も嬉しい! また今度、三人でお出かけしようね!」
エルナの太陽のような明るい返答に、セシルも自然と頬が緩む。しかし、その和やかな光景の少し後ろを、まるで影のように、リシアと、その髪の中に潜むフィンが、静かに寮の裏口へと戻っていく。
リシアの表情には、もはや朝に見せた無邪気な明るさや、セシルを求める純粋な寂しさの欠片もなかった。代わりにそこにあったのは、深く冷たい孤独感と、静かに燃える青い炎のような怒りだった。セシルの楽しそうな一日を、ただ遠くから見守り続けるしかなかった結果、彼女の幼い心の中で、何かが決定的に、そして危険な方向へと変わってしまったのだ。
フィンはリシアの髪の中から、彼女の首筋から伝わる異様な熱気と、硬直した筋肉の感触に、言いようのない恐怖を感じていた。
「(これはまずいことになりそうだ。あの縮小事故の再来なんてごめんだぞ!)」
10cmの小さな体で、暴れ出しそうな感情の奔流を止める術はない。明日は何か大変なことが起こるのではないかと、フィンは不安でいっぱいだった。
三人の少女たちの、陽だまりのように温かく楽しい買い物の一日とはあまりにも対照的に、リシアの心の中で静かに燃え上がった炎は、まもなく天井に登ろうとしていた。夕日に赤く染まるアルカヌム寮の古風な建物を背景に、夜は更けていく。