花は病院の廊下で頭を抱えていた。
「どうしてこうなった……」
締め切りは落とした。
新刊も落とした。
神作の創造主たる原作者様に謝罪文まで出させてしまい、病院の周囲には報道陣と研究者と宗教団体が集まっている。明日午後には出版社とのお話し合いもある。悪夢である。
一番可哀想なのは作者様には違いないけど。
そして、すべての元凶は病室で幸せそうに赤ん坊を眺めていた。
「麗夜様にそっくり……♡」
「似せて作ったんだから当然でしょうが」
「0846様、声が怖い」
「怖くもなるわ!」
花は小声で怒鳴った。
胡蝶――倉木は、帝王切開を終えたばかりとは思えないほど元気だった。
医師たちは奇跡だと騒いでいるが、花は理由を知っている。
枕元に隠してあった空のポーション瓶を見つけたからだ。
「ポーション使ったでしょう」
「使ってないよ」
「瓶がある」
「使いました」
「どうして隠すの」
「未認可のお薬だから……」
「今さらそこを気にするの!?」
「気にするよ、医者見習いだし」
男性妊娠。
存在しない漫画キャラクターとの子供。
生まれた瞬間から念動力を使う赤ん坊。
そこまでやっておいて、薬事法だけは気にするらしい。
「でも、元気になったよ」
「そういう問題じゃないの。使用前と使用後の検査結果が変わったら、先生たちがまた徹夜するでしょう」
「あっ」
「今気付いたの?」
胡蝶は少し反省した顔をした。
少しだけだった。
「だって痛かったし」
「それは……まあ、うん」
出産の痛みを我慢しろとは言えない。
花は頭痛を堪えながら、ベビーベッドを見た。
鮮やかな赤い髪の赤ん坊が眠っている。
麗夜に似ている。赤子はみんな大体同じという言い訳の余地もなく似ている。
当たり前だ。そのように創造された子供なのだから。
麗夜は、花が長年描いてきた漫画の登場人物だった。
強く、美しく、傲慢で、身内には甘い。
胡蝶が人生を狂わせるほど好きになった男である。
そして花が調子に乗って胡蝶に布教した男である。
正直後悔してるから許して。
赤ん坊が小さく手を動かした。
テーブルの上にあった紙コップが、ふわりと浮かぶ。
「こら。駄目だよ」
胡蝶が優しく声をかけると、紙コップは静かに下りた。
「言うこと聞くんだね」
「麗夜様の子だから賢いんだ♡」
「あなたの子でもあるんだけど」
「僕は普通だよ?」
「どの口が言うの」
まあ実際は、そのように作られたのだから賢くて当たり前だ。
遺伝がどうこうという話ではない。設定パラメーターの問題。
花はカーテンの隙間から外を見た。
病院の入口には、昨日よりさらに人が増えている。
海外のテレビ局。
大学教授。
警察。
黒い服を着た身元不明の人々。
赤ん坊が本当に超能力を持っていると知られた以上、このまま平穏に退院できるとは思えなかった。
「困ったな……」
花が呟くと、胡蝶が首を傾げた。
「マイハウスに住めばいいんじゃない?」
「あなたのマイハウス?」
「うん。まだ何もないけど」
「病院から突然消えたら大事件になるでしょう」
「もう大事件だよ」
「大事件を増やすなと言ってるの! 学校は大事! もう通えるかわからないけど」
胡蝶はしょんぼりした。
反省しているように見えるが、たぶん五分で忘れる。
花は深く息を吐いた。
この男を一人にしてはいけない。
十年前から分かっていた。
ゲームの中でもそうだった。
胡蝶は悪意がない。
欲望に正直で、行動力があり、常識がないだけだ。
抑圧されていた胡蝶の心を、花が解放した。
それ以来、欲望に飛びつく虫みたいな子になった。
極限まで抑圧されていた反動は生半可なものではなかったのだ。
しかも何も知らない状態からディープなところまでドボンといったため、オタク界隈の常識もだいぶ抜け落ちてる。これは花の布教の仕方が悪かったせいだ。
責任は少し感じている。だからここにいる。
◇
病室の扉が叩かれた。
「失礼します」
入ってきたのは森田だった。
その後ろに、見覚えのない男が立っている。
三十代くらいだろうか。
黒いコートに眼鏡。金髪で大柄。
本来なら威圧感がありそうだが、くたびれた雰囲気がそうはさせなかった。
「0846さん。この人が、お二人の知り合いだって」
「私たちの?」
「掲示板を見て来たそうです」
花の体が強張った。
男は病室へ入ると、胡蝶を見た。
次に赤ん坊を見る。
そして、ひどく疲れた顔で言った。
「本当にやったのか」
「誰?」
「お前なぁ……」
男が眼鏡を外した。
目元を揉み、深く息を吐く。
「大森林の担当をしていたものだ。散々設定に医療アドバイスしたし、勉強も教えたろう、胡蝶、0846」
花は息を止めた。
それだけで分かった。
「テオ?」
「久しぶり、0846、胡蝶」
「テオ!」
胡蝶がベッドから起き上がろうとした。
「待て待て待て! 腹切ったばかりだろ!」
「もう治ったよ!」
「何でだよ!」
「ポーション飲んだから」
「お前、本当に何してんの!? 病院でポーション使ったらバレるだろうが!」
テオは頭を抱えた。
ゲームの中でも、胡蝶が今までの自分を脱皮するたびに同じ顔をしていた。
花は思わず笑ってしまった。
テオがこちらを見る。
「そこの子は」
「森田さんはサウザンドじゃない。でも仲間」
「そうか。よろしく」
十年。
毎日のように声を聞いていた。
何度も徹夜し、喧嘩し、一緒に世界を作った。
それなのに、現実では初対面だった。
「……久しぶり」
「ああ。久しぶり」
握手をする。
ただそれだけのことで、花は泣きそうになった。
◇
「どうやってここまで?」
「掲示板に大学名が書かれてたし、散々大騒ぎになってただろ。後は私は腐っても医師だしな」
「それでも、よく入れたね」
「親戚ですって言った」
「通ったの?」
「胡蝶の親戚を名乗る変人が多すぎて、森田さんが確認役にされてた」
森田が疲れた顔で頷いた。
「今日だけで親戚が二十七人来ました」
「全員サウザンド?」
「わからないです。ただ、テオさんは倉木くんに詳しかったし、お医者さんだったので」
「何で野次馬が親戚を名乗るの……」
「赤ちゃん見たかったんだと思います」
世の中には理解できない人間が多い。
胡蝶のことを笑えない。
「仲間を見分ける方法が必要だな」
「確かにね。それで、何しに来たの?」
「胡蝶が本当に胡蝶か確認しに」
「男性妊娠だけで十分でしょう」
「似たような変人の可能性もあるだろ。千人いたんだぞ」
「まあ確かに」
「それにしても」
テオは赤ん坊を覗き込んだ。
赤ん坊が目を開ける。
金色の瞳だった。
「……麗夜だな」
「でしょう!」
「認めないでよ!」
「いや、だって似てるだろ」
「だから問題なの!」
漫画の登場人物と同じ赤髪。
同じ金色の瞳。
同じ念動力。
ここまで一致しているのに、父親は存在しない漫画キャラクターではありません、と説明する方が難しくなってきている。
「名前は?」
「麗夜二世」
「却下」
「何で!?」
「戸籍に入れる名前でしょうが!」
「麗夜でいいじゃん」
「漫画そのままは駄目!」
「じゃあ麗夜って書いてレイヤ」
「同じ!」
テオは笑いながら椅子へ座った。
「変わってないな」
「変わったよ。僕、医大生になった」
「大学へ入っただけで医大生を名乗るな」
「医大生ではあるよ!」
「まだ一年なのに妊娠発覚した奴が言うな」
「十点もらった」
「何の話だよ」
◇
花は病室の周囲を確認した。
誰も入ってこないことを確かめてから、小さく呟く。
「マイエリア」
目の前に、白い扉が現れた。
森田が息を呑む。
森田だけはサウザンドではない。
巻き込むべきではないと思った。
だが、もう胡蝶の秘密を知りすぎている。
それに、胡蝶を一人で現実へ繋ぎ止められるのは、森田しかいなかった。
「森田さん。これから見ることは、絶対に誰にも話さないでください」
「……はい」
「本当に危険だから」
「倉木くんが男の子を産んだ時点で覚悟しました」
「強いね、森田さん」
「強くならざるを得なかったんです」
花は扉を開いた。
何もない白い部屋。
初期状態のマイルームだ。
「入って」
全員が中へ入る。
最後に花が扉を閉めると、病室側から扉が消えた。
「おお」
テオが壁を叩く。
「本当に残ってたんだな」
「あなたも持ってるでしょう」
「持ってるけど、他人のエリアに入るのは初めてだ」
「僕も開けるよ」
「開けなくていい」
「何で?」
「あなたのエリアに何があるか怖いから」
「まだ何もないよ。農園に麗夜様のお城を建てようと思ってるけど」
「クリエイターが城を作るな」
「テオ作って」
「断る」
城は精霊のエリアである。つまりテオは所持している。
花はメニューを開いた。
マイルーム。
マイハウス。
マイファーム。
そして、今まで無かった項目が一つだけ光っている。
「ID表示……?」
触れる。
青い画面が表示された。
『同一実験参加者を確認しました』
『室内の参加者のIDを表示しますか?』
「同一実験参加者」
花とテオは顔を見合わせた。
「表示する」
『テオ』『0846』『胡蝶』
アカウント名がテオや花、倉木の頭上に表示された。
「……見つけられる」
花が呟く。
「この機能を使えば、本人かどうか確認できる」
「でも、一人ずつ会う必要があるな。マイルームを見せる必要も」
「それでも十分よ」
掲示板だけでは、成りすましを排除できない。
守秘義務がある以上、詳細な合言葉も作れない。
だが、この部屋なら違う。
運営が本人だと認めてくれる。
「集合場所にできる」
「病院に九百九十九人呼ぶ気? マイキャッスルを見せて?」
「ここじゃない。退院後に場所を用意する」
「僕のマイファームでいいよ」
「それは嫌」
「なんで! みんなで同人工場作ろうよ!」
「農場では大人しく農業しなさいよ!」
「工房も設置できるじゃん!」
その時。
赤ん坊が、きゃっきゃと笑った。
青い画面がひとりでに動く。
『製作者:胡蝶』
花たちは黙った。
表示が切り替わる。
『親:胡蝶』
『胡蝶からマイエリアの権限移譲が可能です』
誰も声を出せなかった。
「そろそろ診察の時間だ」
「そうね。そろそろ帰るわ。ねぇ、胡蝶。マイエリアの譲渡はまだやめておきなさい」
「流石に赤ちゃんに財産分与はしないよ。僕まだ若いし!」
「そうね、そうしなさい」
そして明日は作者と出版社との面会である。
胃が破壊されそう。
マシュマロ
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