サウザンド   作:かりん2022

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世界1

日本、三月十日。午前0時。

 

 日付変更線の向こう側であるアメリカ東部時間、3月9日午前十時。

 

 ヨーロッパでは夕方になるところ。

 

 世界各地で時刻は違う。

 

 だが、千人の視界に浮かぶ残り時間だけは、誰一人違わなかった。

 

《本番環境開始まで 00:00:10》

 

 ◇

 

「レオン、不安なのは無くなった?」

 

 母親がリビングから声を掛ける。

 

「今日の午前中は一緒にいたい。午後は学校へ行くから」

 

 レオンは妹に抱きついてそう告げた。

 

 学校は休ませてもらった。地震の夢を見たと誤魔化して、家族一緒にいさせてもらった。

 

 本当の理由は話せない。

 

 それでも、一年前から「この日はどうしても休みたい」と何度もお願いし続け、母親も最後には折れてくれた。

 

「地震が起きる夢だっけ。そんなに鮮明だったの?」

 

「……うん。すごく怖かった」

 

 そう言いつつも、時間を気にする。

 

 ゲームが終わってから一年。

 

 本番環境が始まることだけは告げられていた。

 

 だが、内容までは知らされていない。

 

 予想はついた。当たって欲しくはないが、問題はどういう方法で関わってくるかだ。

 

《00:00:05》

 

 レオンは息を呑む。

 

 四。

 

 三。

 

 二。

 

 一。

 

 零。

 

 何があっても守れるよう、ぎゅっと妹を抱きしめた。

 

 ◇

 

 日本。

 

 0846は机の前で通知を見つめていた。

 

 描きかけの同人誌原稿。

 

 投稿用のネーム。

 

 それらを脇へ寄せ、静かにステータス画面を見守る。

 

「……来た。」

 

 ◇

 

 フランス。

 

 パン職人は店の奥で腕を組んだ。

 

 店は営業中。

 

 客がパンを選んでいる。

 

 何も変わらない日常。

 

 そのはずだった。

 

 ◇

 

《第二回報酬として、皆様の持ち物の返還を行います》

 

 通知が表示される。

 

 レオンはアイテムボックスを開いた。

 

「……うわ」

 

 大量のアイテムが追加されていた。

 

 武器。

 

 防具。

 

 道具。

 

 素材。

 

 食料。

 

 薬品。

 

 家具。

 

 衣類。

 

 十年間で集めた品々が、そのまま戻ってきている。

 

 ゲーム終了時にあの空間に置いてきた所有物だった。

 

 続いて、ゲーム内通貨も返還された。

 

 さらに通知が続く。

 

《所有資格に応じ、マイエリアを返還しました》

 

 マイエリアが2倍に増えていた。

 あのゲームでは階級を上げるごとにエリアが取得できた。

 

 ゲストにはマイルーム。

 

 職人にはマイハウス。

 

 クリエイターにはマイファーム。

 

 精霊にはマイキャッスル。

 

 そして、神にはマイシティ。

 

 ゲームで積み重ねた成果が、返還されていく。

 

 さらに、

 

《ショップを開放しました》

 

《転移チケットをアクティベートしました》

 

《本番環境開始記念の正装を配布しました》

 

《本番環境開始記念の祝賀料理を配布しました》

 

《ジョブ付与アイテムを配布しました》

 

《スキル付与アイテムを配布しました》

 

 そして最後に、

 

《第三回報酬は一年後に配布予定です》

《守秘義務は継続されますが、緩和されます。引き続き、実験の妨害はお控えください》

 

 通知はそこで終わった。

 

「これだけ……?」

 

 レオンは思わず呟く。

 

 もっと何か。

 

 世界がひっくり返るようなことが起きると思っていた。

 

 だが、部屋は静かなままだ。

 

 テレビも。

 

 携帯も。

 

 街も。

 

 何も変わっていない。

 

「ねぇ、レオン。何も起こらなかったでしょう?」

「うん」

 

 ニュースで惑星が突如現れると速報が流れたのは、いざ学校へ行く時だった。

 

 ◇

 

「ゲームアイテムが全部戻ってる……」

 

 0846はアイテムボックスをスクロールする。

 

 懐かしい。

 

 本当に懐かしい。

 

 ゲームの中でしか使えないと思っていた道具。

 

 十年間かけて作った作品。

 

 資料。

 

 服。

 

 素材。

 

 思い出まで戻ってきたような気分だった。

 

 だが、手は止まる。

 

「……描けないんだよなぁ。」

 

 ネタはいくらでもある。

 

 十年間で経験した世界。

 

 都市。

 

 文化。

 

 料理。

 

 建築。

 

 全部漫画にしたい。

 

 それでも守秘義務がある。

 

 一年間。

 

 まだ語れない。

 

「早く描きたいな。」

 

 そう呟いて、アイテム一覧を閉じた。

 

 翌朝のニュースに腰を抜かすことになる。

 

 ◇

 

「本番環境って何だったんだ?」

 

 パン屋の主人は首を傾げた。

 

 通知は終わった。

 

 店も普通に営業している。

 

 客も何も知らない。

 

 外で通行人が浮かぶ惑星を発見して騒ぎが起きるまで、後10分。

 

 ◇

 

 その頃。

 

 ファンタジーアース。

 

 日はとっくに沈んでいた。

 

 町の門は閉じられ。

 

 店は明かりを落とし。

 

 旅人は野営の支度を終えている。

 

 夜は危険だ。

 

 夜は何も見えない。

 

 それが、この世界の常識だった。

 

 だから誰も。

 

 夜空を見る習慣などなかった。

 

「……?」

 

 最初に気付いたのは、夜泣きした幼子だった。

 

 窓の隙間が、薄く明るい。

 

 火事ではない。

 

 朝でもない。

 

「おかあさん」

 

 母親が目を覚ます。

 

「どうしたの?」

 

「そと」

 

 板戸を少し開く。

 

 そして。

 

 息を呑んだ。

 

「……え?」

 

 空が。

 

 光っていた。

 

 無数の、小さな光。

 

 黒一色だった空に、数え切れないほど散らばっている。

 

「あなた!」

 

 夫も飛び起きる。

 

 二人は外へ飛び出した。

 

 近所の家々からも人が出てくる。

 

「空が!」

 

「何だあれ!」

 

「神罰だ!」

 

「違う!」

 

 誰も知らない。

 

 誰も見たことがない。

 

 だから名前もない。

 

 その時だった。

 

「見ろ!」

 

 誰かが震える声で叫ぶ。

 

 星々の向こう。

 

 ひときわ大きな、青白い天体が静かに浮かんでいた。

 

 空に浮かぶそれは一際大きく、遠い。

 物体が空にある。ファンタジーアースには空を飛ぶ岩山などもあるが、高さが段違いだった。

 

 青を包むように、渦を巻く白。

 

 見たこともない模様。

 

 空に浮かぶ巨大な世界。

 

 誰かが調べようと高く飛ぶが、とても届かない。

 

「……なんだ」

 

 誰かが呟く。

 

「……あれは、なんだ」

 

 答えられる者は、一人もいなかった。

 

 その夜。

 

 世界中で、人々は眠ることができなかった。

 

 夜空には初めて星が輝き。

 

 そして、青い惑星が。

 

 静かに、ファンタジーアースを見下ろしていた。

 

 アッシュは寝落ちしてぐっすりだった。




マシュマロ
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