サウザンド   作:かりん2022

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世界4

 出版社の会議室には、見覚えのない男が三人いた。

 

 出版社の人間ではない。

 

 名刺には、内閣官房と書かれていた。

 

「帰っていいですか?」

 

 0846は椅子に座る前に尋ねた。

 

「まだ何もお話ししていません」

 

「話を聞く前なら帰れるかなって」

 

「拘束する意図はありません」

 

「その言い方、昨日も聞きました」

 

 出版社の社員が困ったように笑う。

 

「とりあえず、お掛けください」

 

「嫌な予感しかしない……」

 

 0846は腹を庇いながら椅子に座った。

 

 お腹が目立つ時期ではない。

 

 それでも何かあると、つい手を添えてしまう。

 

 机の上には、世界各地で撮影された青い天体の写真が並べられていた。

 

 海。

 

 大陸。

 

 雲。

 

 ファンタジーアース。

 

 自分たちが十年間見続けてきた世界。

 

「綾瀬 花です」

 

「承知しています。おやしろ様と呼ばれていることも」

 

「おやしろ様って、神社と書いておやしろじゃなくて、麗夜x四郎で0846ですからね? 重要人物とかではないですからね?」

 

「えっ」

 

「誤解も解けたようなんで解散していいです?」

 

「いえ、待ってください、0846様」

 

「様付けはいらないです」

 

「では、0846さんで」

 

 危なかった。責任者にされるところだった。

 

 男が写真を一枚、0846の前へ滑らせた。

 

「こちらについて、何かご存じですね」

 

「どうしてそう思うんですか」

 

「胡蝶さんの件があります」

 

「胡蝶が全部悪いみたいに言わないでください」

 

「全てとは申しません」

 

「大部分は疑ってる顔ですけど」

 

 否定はされなかった。

 

 二次元嫁プロジェクト。

 

 説明のつかない妊娠。

 

 大学病院の封鎖。

 

 胡蝶の言動。

 

 応募者たち。

 

 その直後、空に出現した青い世界。

 

 関係を疑うなという方が無理だった。

 

「この天体は何ですか」

 

「分かりません」

 

「見覚えはありますか」

 

「答えられません」

 

「人は住んでいますか」

 

「答えられません」

 

「文明は存在しますか」

 

「答えられません」

 

「危険なものですか」

 

「分かりません」

 

 0846は自分の膝を見たまま答えた。

 

 余計なことを言わない。

 

 世界です、とも言わない。

 

 知っています、とも言わない。

 

 運営がどこまで聞いているのか分からない。

 

 今も見ているかもしれない。

 

 守秘義務違反と判断されれば、何が起こるか分からない。

 

 報酬を失うだけならまだいい。

 

 妨害に対処する。

 

 運営は、そう言っていた。

 

 何をされるかは、一度も説明されていない。

 

「答えられないということは、ご存じなのですね」

 

「そういう誘導には答えません」

 

「契約がありますか」

 

「答えられません」

 

「誰との契約ですか」

 

「答えられません」

 

「運営、と呼ばれる存在でしょうか」

 

 0846の指が僅かに動いた。

 

 すぐに止める。

 

 顔を上げない。

 

 相手がどこまで知っているか探るための質問だ。

 

 反応してはいけない。

 

「知りません」

 

「先ほどの質問とは答え方が違いますね」

 

「何を言っても材料にするんですね」

 

「仕事ですので」

 

「嫌な仕事」

 

「よく言われます」

 

 そこだけは正直だった。

 

「あなた以外にも、事情を知る方がいますね」

 

「答えられません」

 

「連絡は取れますか」

 

「答えられません」

 

「日本国内に何人いますか」

 

「答えられません」

 

「神様から魔法を与えられた?」

 

 0846は黙った。

 

 答えない。

 

 否定もしない。

 

 政府は既に何か掴んでいる。

 

 誰かが話したのか。

 

 海外から情報が入ったのか。

 

 分からない。

 

 だからこそ、一言も増やしてはいけない。

 

「お答えいただけない理由を説明してください」

 

「それも答えられません」

 

「ご自身やご家族に危険が及ぶ可能性があります」

 

「脅してます?」

 

「警告です」

 

「もっと嫌です」

 

「国外の機関も関係者を探している可能性があります」

 

「そうでしょうね」

 

 0846は、そこで初めて即答した。

 

 世界を知る人間がいる。

 

 そう分かれば、各国が動かないはずがない。

 

 政府。

 

 軍。

 

 企業。

 

 研究機関。

 

 宗教団体。

 

 犯罪組織。

 

 何に利用されるか分からない。

 

「日本政府としては、あなた方を保護したいと考えています」

 

「あなた方って誰ですか」

 

「事情を知る方々です」

 

「私は何も知りません」

 

「では、なぜ質問への回答を拒むのですか」

 

「知らないことと、答えられないことは別です」

 

 男が僅かに目を細めた。

 

 失言したかもしれない。

 

 だが、もう遅い。

 

「何を恐れているのですか」

 

 0846は答えなかった。

 

 運営。

 

 その一言すら口にしたくない。

 

 聞かれている。

 

 見られている。

 

 そう思っていた方が安全だった。

 

「接触する方法はありますか」

 

「答えられません」

 

「方法は存在する?」

 

「同じ質問です」

 

「あなたは、あの天体へ行けますか」

 

「答えられません」

 

 画面には、転移チケットが表示されている。

 

 転移先。

 

 地球。

 

 ファンタジーアース。

 

 ライブラリラビリンス。

 

 フロンティア。

 

 指先一つで行ける。

 

 だが、それを知られればどうなる。

 

 チケットを渡せと言われる。

 

 政府の人間を同行させろと言われる。

 

 転移先を調査しろと言われる。

 

 国の代表として交渉しろと言われる。

 

 そんな責任を背負えるはずがない。

 

「0846さん」

 

 出版社の社員が遠慮がちに口を挟んだ。

 

「これだけは聞かせてもらえませんか」

 

「何ですか」

 

「あなたは、あれを創作物……漫画や、小説や、ゲームだと思ってますか」

 

 0846は顔を上げた。

 

 窓の向こうには、青い世界が浮かんでいる。

 

 ゲーム。

 

 かつてはそうだった。

 

 画面の中で、設定を作る場所だった。

 

 キャラクターを配置した。

 

 国を作った。

 

 魔法を作った。

 

 同人誌のネタになるような男同士の国まで作った。

 

 だが、今は違う。

 

「あれは、現実です」

 

 現実になった。

 

 政府の人は、重々しく頷いた。

 

 政府もまた、チーターにチートだゲームだと浮かれずに、リアルとして地に足をつけて動くことを望んでいた。だってこれは現実なのだから。

 

「それだけは理解していて欲しい。あなたにもあなたのご友人にも」

 

 そして続ける。

 

「これだけはお聞かせください。あれは危険ですか。あなたの制御は効きますか」

 

「わからない。あなたがいった。あれはリアルだって。人1人にどうにかできる者ではないでしょ」

 

「お話は済みました?」

 

 編集長が、恐る恐る問いかける。

 

「少し時間を置きましょう。編集長からもお話があるんでしたっけ」

「はい。実は、このような企画を出しておりまして」

 

『推しキャラと新婚旅行! 企画(婚約届を出した方前提)』

「推しキャラと新婚旅行」

 

「参加費100万円で」

「さんかひひゃくまんえん」

「推しキャラと新婚旅行ができるという企画なのですが」

「新婚旅行」

「抱き枕、結婚式、等身大アクリルスタンド三つ、レストラン同席用アクスタ二つ、通常アクスタが五つで」

「ご、豪華!! すごい!!!」

「企画にご協力頂けた方には特別で無料で提供しようかと思います」

「無料!? そそ、そんな企画が無料でいいんですか!??」

「ええ。それと、取材旅行のご協力をお願いしたくて。漫画家さん達と旅行できますよ! 協力のお礼に特別にサイン色紙をプレゼントいたします」

「本当に!?」

「もちろん、協力者は公に募るのですが、その前にその企画のご相談をしたくて。もちろん、胡蝶さんも呼んでいいですよ」

「調査旅行、取材旅行、新婚旅行企画の順になるかと思うのですが。無料招待に加えて、ツアーコンダクター代もお支払いします。新婚カップル一組3日〜1週間、正式な期間と企画内容はこれから相談で、代金は費用込み20万くらいでいかがでしょうか」

「いいんですか!?」

「いやかなり搾取では?」

 

 役人は思わず突っ込む。抱き枕等の代金があるとはいえ、1週間二十万円で旅行費用全負担は普通に足が出る。

 

「なるべくファンタジーな場所が良いんですが、候補地があれば教えてください」

「心当たりはありますが、調査含めて往復で9回が限度です。1年後にもっと増えるかもなんですけど」

「皆さんから募集して、抽選してですね~。2人っきりというのは企画の都合上無理ですが、いっそのこと親睦会も企画して、皆で楽しみましょう! あ~、魔法体験とかもあればなー。プレミアムコースは魔法が使える! とかできます? 抽選でもいいです」

「抽選なら」

「じゃあそうしましょう!」

 

「ちょっちょっちょっちょっ」

「なんです?」

「それは良いんですか!?」

「公に動くのは妨害と見做されてヤバいですが、個人で楽しむ分には規制されてないので」

 

 他の人にジョブやスキルを与える道具は配布されてるので、個人的にジョブを与えたり惑星に連れて行くのは許可されてると推察されるのだ。

 

 役人はぐっと黙った。色々と言いたいことを飲み込む。

 

「婚約企画はまだやってますか⋯⋯?」

「4月から再応募します」

 

 運営の謎な規制とサウザンドの忖度により、交流はオタクから始まることとなった。

 

 ◇

 

 胡蝶の部屋には、旅行用品が積み上がっていた。

 

 水。

 

 保存食。

 

 救急箱。

 

 寝袋。

 

 着替え。

 

 雨具。

 

 懐中電灯。

 

 充電器。

 

 モバイルバッテリー。

 

 化粧品。

 

 双眼鏡。

 

 大量の同人誌。

 

「後、いるものは〜」

 

「何に使うの? 旅行に行くの? 赤ちゃん連れて?」

 

 家族が呆れている。

 

「文化交流」

 

「どこへ行くつもりなの」

 

「ちょっと遠く」

 

「海外?」

 

「もっと遠く」

 

「宇宙?」

 

「惜しい」

 

「惜しいの!?」

 

 胡蝶は荷物を詰め続ける。

 

 画面には、再会できたサウザンドたちのグループチャットが表示されていた。

 

 全員ではない。

 

 実験終了後に連絡が取れた者だけ。

 

 名前も顔も知らない相手が多く、連絡先を交換できなかった者もいる。

 

 それでも、数十人は繋がっていた。

 

『グループチケット人数制限ないから、大勢で行くほどお得だな』

 

『大勢で行くと目立つんじゃないか?』

 

『ジョブ何にした?』

 

『日程どうする?』

 

『何持ってく?』

 

『試した人いる? ランダム転移だと転移直後詰みとかありえるぞ』

 

『なんか地球儀みたいのでて、羽ペンで刺す感じだった。そこでキャンセルも出来る』

 

『地球儀か〜』

 

『下級触媒で作れた。国名の表示と地形のコピーだけに絞ったら触媒1個で地球儀と世界地図、色ありと色なしがそれぞれダースで作れた』

 

『でかした!』

 

『マジで偉業』

 

『コピーして覚えてること書き込んで行こうぜ』

 

『なんか推しキャラと新婚旅行企画するから協力してって言われちゃった。後取材旅行』

 

『マジで』

 

 胡蝶はワクワクした。

 

『僕に任せて! 早速偵察しなきゃ』

 

 早速書き込む。転移が使えるから、1人での偵察に向いている。

 

『待て待て待て待て。チケットは有限なんだから、しっかり準備して協力して出来るだけ節約しようぜ』

 

『精霊階級だと単独転移はパスポートがあるから、私が偵察しよう。グループ転移チケットも100枚あるから、80枚提供する』

 

『ちょっ いいのか!?』

 

『どうせ一年経ったら、ショップから買えるようになる。むしろ今が使いどきだ。その代わり、ソフトランディングに協力すると約束してくれ。戦争は嫌だ』

 

『当然』

 

『戦争は嫌だ。平和の架け橋になろうぜ!』

 

『今が使いどきなのは僕もだよ。単独転移チケットなんて一年大事に持ってても意味ない』

 

『一回集まらない? 単独転移前に、みんなで地球儀見て記憶掘り起こしてどの国がどうなってるって大体の予測してからの方がいいよ』

 

『出版社が3月末に公に協力者募るって』

 

『じゃあそこ集合で』

 

 往復には足りる。

 

『最低限のルールを決めよう』

 

 0846様が書き込む。

 

『住民をキャラクター扱いしない』

 

『土地や国を自分のものだと言わない』

 

『神を名乗らない』

 

『設定を利用して支配しない』

 

『危険な情報は共有』

 

『帰還チケットは絶対に残す』

 

 すぐに返信が来る。

 

『一番目は絶対』

 

『二番目も』

 

『神を名乗らないのはもう手遅れでは』

 

『向こうに像あるもんな』

 

『自分から名乗らないって意味』

 

『俺の作った国だから王位寄越せとか言うやついそう』

 

『いるから決める』

 

『守らなかったらどうする』

 

『運営に処されるとか? 妨害はダメって言ってたじゃん』

 

『怖い』

 

『でも一番効きそう』

 

 運営。

 

 その文字が出た途端、チャットの速度が少し落ちた。

 

 誰も、守秘義務のことを忘れていない。

 

 報酬を受け取ったあとでも、契約が終わったとは言われていない。

 

 実験を妨害すれば対処する。

 

 どこまでが妨害なのか。

 

 他惑星へ転移して混乱を起こした場合も含まれるのか。

 

 誰にも分からない。

 

『政府に接触された人いる?』

 

 胡蝶が書き込む。

 

 少しして、0846様から返事が届いた。

 

『今日、内閣の人に会ったよ。でも政治の話はしない。新婚旅行企画だけ参加する。政治は駄目、個人で楽しむのは可って伝えた』

 

『それが安全だよな』

 

『それで納得したの?』

 

『婚約企画、政府の人も参加するみたい』

 

『俺もそう伝えよう』

 

『私も、日本の漫画キャラの婚活企画に行ってくれって言おう』

 

『殺到しそう』

 

『がんばれ出版社』

 

『世界を救って(ガチ)』

 

『いいなー。参加したい。今からでも間に合うかな? アニメあんま知らないんだけど、妊娠しなくても大丈夫?』

 

『既婚者でも参加していいですか?』

 

『ウェルカムウェルカム。嫁企画無理だったら取材旅行手伝えばいいよ。スタッフって手もあるし』

 

『嫁企画見てるのがバレて夫婦の危機が来てる。助けて』

 

『がんばれ』

 

『隠すのは無理だからな。パスするしか』

 

『千人いるからな』

 

『全員が黙るのは無理』

 

 千人。

 

 国籍も違う。

 

 年齢も違う。

 

 価値観も違う。

 

 政府に協力したい者。

 

 金に換えたい者。

 

 注目を浴びたい者。

 

 何も言わずに逃げたい者。

 

 全員の足並みを揃えるなど、最初から不可能だった。

 

『話していい内容を決めるのは危険じゃない?』

 

『運営が何を違反にするか分からない』

 

『じゃあ何も言わない?』

 

『それも無理。各自で判断していくしかない』

 

『アメリカが有人ロケット飛ばすって』

 

『がんばえ〜』

 

『アッシュ探せない?』

 

『レオンは小学生だから厳しいだろ』

 

『アッシュもなー。帰りたくないって言ったしなー』

 

『神階級がいないのきつい』

 

『白白が中華帝国に君臨する前に白白本人かアッシュかレオン確保しておきたい。白白、変な事しないよね? 戦争起こすとしたらあいつなんだけど』

 

『白白はなー。中華思想がなー。いい人なんだけど』

 

『世界征服してたらどうしよう。やっぱりもっと精霊以上の協力者欲しいよね。テオがいてくれて凄く助かってる!』

 

『エーリャはあんまニュース見ないって言ってたから、相当嫁企画有名にしないとダメだねー』

 

『待った。マイエリアってファーム以上は鍵を配れるよね? それで繋げばいいんじゃね?』

 

『天才』

 

『向こうに常駐する人は必要だけどな。行けそう!』

 

 オタク勢力は、このまま最大勢力になりそうだった。

 

 ◇

 

 アメリカ。

 

 レオナルドは、カーテンを閉めた自室で端末を見ていた。

 

《転移チケットがアクティベートされました》

 

《転移先は下記から選べます》

 

《地球》

 

《ファンタジーアース》

 

《ライブラリラビリンス》

 

《フロンティア》

 

 行ける。

 

 ファンタジーアースへ。

 

 手元には往復分のチケットがある。

 

 それでも、今すぐ使う気にはなれなかった。

 

 妹を置いていけない。

 

 家族にも説明できない。

 

 何より、自分が突然消えれば不自然だ。

 

 学校から無断で帰宅した日に失踪。

 

 警察が動く。

 

 顔写真が広まる。

 

 家族が疑われる。

 

 ファンタジーアースから帰還しても、元の生活には戻れない。

 

 レオナルドは潜伏に成功していた。

 

 一年間。

 

 誰にも、自分がサウザンドだとは知られていない。

 

 家族にも。

 

 学校にも。

 

 政府にも。

 

 他のサウザンドにも。

 

 実験中、顔も本名も明かすのは禁じられていた。

 

 多分探されてる。

 

 それでも見つかってはいない。

 

 その状態を自分から壊す理由はなかった。

 

「お兄ちゃん」

 

 妹が扉を開ける。

 

「ノックして」

 

「したよ」

 

「聞こえなかった」

 

「何見てるの?」

 

 レオナルドは端末を伏せた。

 

「ニュース」

 

「見せて」

 

「怖い映像があるから駄目」

 

「空が一番怖いよ」

 

 妹がカーテンを指す。

 

 閉めていても、青い光は僅かに部屋へ滲んでいる。

 

「お兄ちゃん、あれ知ってるんでしょ」

 

「知らない」

 

「嘘」

 

「どうして」

 

「学校で名前言ってた」

 

 ファンタジーアース。

 

 妹を迎えに行った時、口に出してしまった。

 

「ゲームの名前に似てただけ」

 

「ゲームが空に出たの?」

 

「そんなわけない」

 

「でも、似てるんでしょ」

 

 幼いが、馬鹿ではない。

 

 レオナルドは黙った。

 

「向こうに人いる?」

 

「分からない」

 

「また嘘」

 

「どうしてそう思うの」

 

「すぐ答えないから」

 

 妹はじっと見上げている。

 

 誤魔化し続けるのも限界だった。

 

「誰にも言わないで」

 

「いるの?」

 

「多分」

 

「お兄ちゃん、行ったことある?」

 

「ない」

 

 嘘ではない。

 

 本物のファンタジーアースには行ったことがない。

 

 電脳空間から見ていただけだ。

 

「でも知ってる?」

 

「少しだけ」

 

「お父さんとお母さんにも言わない?」

 

「今は言わない」

 

「何で?」

 

「言ったら、普通に暮らせなくなるかもしれないから」

 

 妹は考え込んだ。

 

 その意味は理解できたらしい。

 

「私も?」

 

「君も」

 

「じゃあ言わない」

 

「約束」

 

「うん」

 

 小指を絡める。

 

 レオナルドは少しだけ息を吐いた。

 

「でも、お兄ちゃん」

 

「何」

 

「行くの?」

 

 端末は隠した。

 

 それでも気づかれている。

 

 自分が空を見る目。

 

 知らないものではなく、懐かしいものを見る目。

 

「今は行かない」

 

「いつかは?」

 

 答えられなかった。

 

 いつかは行く。

 

 恐らく。

 

 自分たちが作った世界。

 

 見届けたい。

 

 だが、今ではない。

 

「行く時は教えて」

 

「どうして」

 

「置いていかれたくないから」

 

 レオナルドは妹の頭を撫でた。

 

「分かった」

 

 嘘だった。

 

 危険な場所へ妹を連れていくつもりはない。

 

 ◇

 

 ファンタジーアース。

 

 アッシュは、神託の文章を何度も書き直していた。

 

《空の小さな光は、星です》

 

「断定していいのかな」

 

 消す。

 

《サウザンドは空の小さな光を星と呼びます》

 

「他人事すぎる」

 

 消す。

 

《星を前提とした機能が動き出した可能性があります》

 

「これだけだと何のことか分からないよな」

 

 消す。

 

 祈りは増え続けていた。

 

《祈りが届いています》

 

《祈りが届いています》

 

《祈りが届いています》

 

《問い合わせ件数が表示上限を超えています》

 

「多い!」

 

 各地の神殿。

 

 神像。

 

 神具。

 

 同一エリアで祈られれば、アッシュへ届く。

 

 便利なのか迷惑なのか分からない。

 

 少なくとも、六歳児一人で処理できる量ではなかった。

 

 一度地球へ行きたいが、幼児の身で1人で行動するのは厳しいものがある。

 何より、魔族のハーフであるアッシュは耳長だった。

 

「悠人」

 

 母が部屋を覗く。

 

「まだ着替えてないの?」

 

「今やる」

 

 母の視線が鋭くなる。

 

 最近は、誤魔化しきれなくなっていた。

 

 空に地球が現れ。

 

 アッシュが地球という言葉を知っていて。

 

 神具から問い合わせが届く。

 

 六歳児として隠すには、出来事が多すぎた。

 

「早く着替えなさい」

 

「はーい」

 

 母が部屋を出る。

 

 アッシュは神託の文章を見る。

 

 完全な説明はできない。

 

 何が動き出したのか、自分にも分からない。

 

 だが、何も言わないよりはいい。

 

《空の小さな光は、星と呼ばれるものです。大きな物は、黄色ければ月、青ければ惑星と言います。惑星にはここと同じように人が住んでいます》

 

《星や月を前提に作られながら、これまで動かなかったものが動き始めた可能性があります》

 

《異変を確認した場合、不用意に近づかず、場所と内容を記録してください》

 

《サウザンドが確認します》

 

 最後の一文で指が止まる。

 

 誰が確認する。

 

 今ここにいるサウザンドは、自分一人。

 

 他の九百九十九人は地球にいる。

 

 転移チケットは動いた。

 

 いずれ来るかもしれない。

 

 だが、来ないかもしれない。

 

「来るよなあ」

 

 胡蝶。

 

 0846様。

 

 あの二人は絶対に来る。

 

 来ない理由がない。

 

「来てほしいけど、最初には来てほしくないんだよなあ」

 

 アッシュは文章を書き換えた。

 

《サウザンドは、いずれ現れます》

 

 これなら嘘ではない。

 

 多分。

 

 ◇

 

 神殿には、人が溢れていた。

 

 神官。

 

 兵士。

 

 役人。

 

 学者。

 

 町の住民。

 

 アッシュも住人の1人として両親に連れられていた。

 

 中央の祭壇には、アッシュの神像が引っ張り出されている。

 

  神官が祭壇の前へ進み出た。

 

「偉大なるサウザンドの一柱、神アッシュよ」

 

 やめてほしい。

 

「夜空に現れた光と、青き世界について、我らへ知恵をお授けください」

 

 神殿にいる全員が頭を下げる。

 

 アッシュも慌てて頭を下げた。

 

 自分へ祈られているのに、自分も自分へ祈る。

 

 意味の分からない状況だった。

 

 画面が開く。

 

《問い合わせに答えますか》

 

 はいを選ぶ。

 

 先ほど考えた文章を入力する。

 

《空の小さな光は、星と呼ばれるものです。大きな物は、黄色ければ月、青ければ惑星と言います。惑星にはここと同じように人が住んでいます》

 

《星や月を前提に作られながら、これまで動かなかったものが動き始めた可能性があります》

 

《異変を確認した場合、不用意に近づかず、場所と内容を記録してください》

 

《サウザンドは、いずれ現れます》

 

 送信。

 

 祭壇の上で神像が光った。

 

「おお……!」

 

 神官たちがどよめく。

 

 神像が語りかける。

 

《空の小さな光は、星と呼ばれるものです。大きな物は、黄色ければ月、青ければ惑星と言います。惑星にはここと同じように人が住んでいます》

 

「ほし」

 

 誰かが呟く。

 

「惑星? あそこに人がいるのか」

 

「落ちてこないのか?」

 

「星」

 

「月には人がいないのだろうか」

 

 これまで意味を持たなかった言葉が、初めて世界へ広がっていく。

 

《星や月を前提に作られながら、これまで動かなかったものが動き始めた可能性があります》

 

「今までは不完全だったと?」

 

 ざわめきが広がる。

 

《異変を確認した場合、不用意に近づかず、場所と内容を記録してください》

 

 神官が大きく頷いた。

 

「サウザンドが全てを作ったというのか?」

 

 違う。

 

 そうだけど違う。声を大にして言いたかった。リアルになるなんて聞いてないのだ。

 

《サウザンドは、いずれ現れます》

 

 神殿が静まり返った。

 

 神官が震える声で読み上げる。

 

「サウザンドは、いずれ現れる」

 

 人々が顔を上げる。

 

 期待。

 

 恐怖。

 

 信仰。

 

 様々な感情が混ざっている。

 

 アッシュは顔を伏せた。

 

 思った以上に、大げさな予言になってしまった。

 

「悠人」

 

 母が小声で呼ぶ。

 

「何?」

 

「神像が光る前に指を動かしてなかった?」

 

 アッシュの心臓が跳ねた。

 

「動かしてない」

 

「嘘」

 

「何で」

 

「ずっと見ていたから」

 

 母の目は、真っ直ぐアッシュを見ていた。

 

「悠人には、何か見えているの?」

 

「見えてない」

 

「では、何を隠しているの?」

 

 答えられない。

 

 ここでは話せない。

 

 神官。

 

 兵士。

 

 役人。

 

 学者。

 

 周囲には人が多すぎる。

 

「家に帰ったら話す」

 

 小さく答えた。

 

 母の目が見開かれる。

 

「話すことがあるのね」

 

「少しだけ」

 

「全部でしょう」

 

「全部は無理」

 

「どうして」

 

「多すぎるから」

 

 十年分。

 

 千人分。

 

 世界一つ分。いや、アッシュが作った星もあるから、二つ分。故郷も含めれば三つ分。

 

 とてもではないが、六歳児の口から説明できる量ではない。

 

 母はそれ以上追及しなかった。

 

 だが、目を逸らさなかった。

 

 祭壇では、神託が何度も読み上げられている。

 

「サウザンドは、いずれ現れる」

 

 その声を聞きながら、アッシュは思った。

 

 早く来てほしい。

 

 一人では、世界の全部を背負えない。

 

 けれど。

 

「テオ希望!」

 

「何か言った?」

 

「何でもない」

 

「またそれ!」

 

 母の声が、静かな神殿に響いた。




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