ホロライブラバーズ 『この蒼空で会えるなら』 作:まだまだだね
吹き抜ける風が肌を撫でる感覚を前に、少年は動きを止めた。
短く切りそろえた黒髪が風に揺れ、同様に地面の草も揺れている。
素振りしていた長剣を手を振って魔力へ戻し、くすぐったさに少年は目を細めた。
風が運んだ土と草の匂いに何となく覚えがあって、なんだっけ、と記憶を振り返る。
「……ああ、春か」
穏やかで温かく優しいその風は春風であり、春の訪れを告げていた。
去年も一昨年も、その前からも同じように少年は風に春を教えられていた。
胸に満ちていく懐かしさを感じながら、心地よさそうに目を閉じる。
視覚の代わりにより鋭敏になった感覚器官が、春風を全面で感じ取っていく。ふわり、と肌を撫でられる感覚と耳を通っていく風の音、運ばれてくる香り。
「やっぱり、この風は良いな」
何をするでもなく、一人風を浴びる。
この瞬間が少年は好きだった。
重たいもの全てを風が飛ばしてくれるから。
ただ心地よさに身を委ねて何も考えずにいられるから。
この時だけは自由でいられる気がするから、少年はこの瞬間が好きだった。
そうして少年は、叔父に呼ばれるまで風を浴びて佇むのだった。
一世紀ほど前、世界は変わった。
世界とは一つではない。地球という星を基点とし、多くの『層』が存在し、異なる歴史を歩む世界が存在した。
その、位相異なる世界達が交わり、一つの世界へと融合したのだった。
誰かの思惑か、たただの偶然か、それとも何かの必然か。
理由は定かではなく、あまりに突然、幾多の世界は一つになった。
別世界があることを知ったうえでその存在を隠していた世界、別世界の存在を全く知らずにいた世界、それら全てが等しく合一を果たす。
全ての世界が動揺し、誰もが自分たち以外を別世界からの侵略者である捉え、必然として戦争が起こる。
魔法、妖術、異能、科学。
掲げるものこそ違えど、どの世界も己が誇る武器で、凄惨たる争いに挑んだ。
広がった戦火、止まることなく流れる血、降り積もる怨嗟に終わりはない。
そう思われたその数年にわたる戦争は、各世界の首脳陣による和平を以て終わりを迎える。
戦争は文明を発展させる。
守るため、奪うため、勝つため、負けないため、競い合うように、たった数年の間に各世界が画期的なまでに技術を進化させた。
そんな中行われた和平の締結、それに伴う世界間の交流。
文明間の相互影響は、誰も予想していなかった飛躍を生む。
魔法に科学が利用されかつてない効率化か果たされた、とか。
異能を妖術に取り組んで今までない特異性を発揮した、とか。
他の技術を組み込み科学技術が数世代ほど先にいった、とか。
そいうことが多く起こった。
世界は発展し、それを契機に他世界との確執もなくなっていく。
そんな歴史だった。
そんな歴史の先にある今だった。
世界融合で解決した問題と、新たに生まれた問題があった。
来年16歳になる
「学園の方から連絡がきたんだ」
「遂に、ですか」
孤児院に設けられた一室──子供の耳に届かないほうがいい会話をするための部屋──で、鷲尾一夏は自身の叔父と向かい合っていた。
一夏は孤児院で暮らしている。
10歳の時に両親を亡くし、身寄りのない一夏を引き取ったのが孤児院を運営する彼の叔父であり、一夏は孤児たちと同様に暮らすことになったのだった。
優しい人だと、一夏は思う。
困っている人を放っておけない、”この人が会社の社長とかしてたら失敗するタイプの人情経営をするんだろうな”、と自然に思わされるような人だった。
「ホロライブ学園……」
「……ごめんね、君に選択の自由すら与えてあげれなくて」
「それは違います、あれは俺の選択でこれはその続きというだけで」
世界合一に伴う発展は、特異な力をより身近なものへと変えた。
子供が幼いころから魔法を覚えたり、その身に刻まれた異能を開花させたり、そんなことが決して少なくなかった。
技術融合により完全な仮想世界への精神同調が可能となったこの世界において、子供が命の危険なく戦闘訓練を積むことは難しくない。
仮想空間による戦闘は一種のスポーツと化し、遊ぶように戦う子供たちの姿は普通のものになっている。
けれど、齎された変化は手放しに喜べるものでもなかった。
技術融合が果たされた世界において、個人が保有する力の差異は凄まじいものだった。
極まった一人が、訓練を積み武装をした集団を蹂躙するような、『数』より『質』が勝る世界。
必然、力を悪用する者が出てくる。
凶悪な犯罪が増え、国家規模のテロ行為も起こった。
思春期などの多感な時期に暴走し、甚大な被害を与えたものがいた。
反発心から普通の大人を忌み、逆に悪い大人に惹かれて、犯罪組織の末端にさせられるものがいた。
力だけを持ち、それを制御する術を知らない子供達が多くいた。
教育は適応するように形を変えていった。
悪化傾向にある治安に対する対策として、従来の教育のなかに戦闘技術の指導が組み込まれたのだ。
暫くの時が経って、実感できるほどの効果が発揮される。
治安は改善、蔓延っていた犯罪組織は数を減らし、表面上は秩序だった形になった。
この義務教育を受けた世代からの子供は、ある一定の実力とそれを適切に振るう心構えを備えていているからだ。
そのなかで戦いに適正を見出したものに、より高度な技術を身に着けさせるための教育機関が生まれる。
ホロライブ学園も、その一つだった。
「学園に在籍し、実力を示す。それが条件ですよね」
「うん。それと、支援の一環として住居が提供されるらしい。ここからだと、通うには距離があるからね」
「通学も支障なく、ただ実力を発揮すればいい環境、か……」
「…………そんな気にしないでいいんだよ。もしこの支援が打ち切られたとしても、君が卒業するまでぐらいはなんとかしてみせるから」
「大丈夫です。そうならないために、俺は契約を交わしたんですから」
ホロライブ学園、及びその運営に関わる組織は鷲尾一夏のパトロンである。
三年前に行われた、十代を対象とした仮想空間内での総合戦闘技大会にて
一夏がホロライブ学園への入学が決定しているのも、それに起因している。
この孤児院が問題なく経営できているのは、鷲尾一夏に対する金銭援助の対象に保護者である彼の叔父、ひいては孤児院が含まれているからだ。
そうなるように、一夏が交渉した。
一夏がこの孤児院に来た時、此処は既に限界だった。
ちらり、と一夏は目の前の叔父に気づかれないよう壁を見る。
白く、傷一つない綺麗な壁。
三年前に改装されるまで、この壁がひび割れたボロいものだったことを一夏は覚えている。
所々にシミがあり、踏んで軋まない床はなく、電球も禄に変えられておらず夜は薄い光しかない。
そんな環境だったことを、一夏は覚えていた。
「もう苦しい思いはさせません。絶対に、あの頃には戻させません」
「……ありがとう、本当に。君のおかげだよ。僕だけだったら、とっくに破綻してた」
「…………」
自嘲するようにそう言う叔父に、一夏は慰めの言葉をかけない。
それが事実だと2人とも認識していて、慰めの言葉をかけられることが叔父にとって一番苦しいことだと分かっていたから。
彼の叔父は決して無能ではないが、身の程知らずではあった。
困っている人を見過ごせない、という性格が孤児院の許容範囲を超えて子どもを受け入れてしまう。
その結果として子供に苦しい思いをさせるのに、それでも見捨てるという選択がない人だった。
保護対象である甥に重荷を背負わせることに対して引け目を感じている叔父のことを、一夏は悪く思っていない。
そういう人間のことを、一夏は好ましく思うから。
その『苦しむ人を救ける』という精神性は、血を通じて一夏にも似たものが宿っているから、叔父の在り方に好感を覚えていた。
だから安心させたいな、と少年は思った。
「俺は勝つ。今まで通り勝って、勝ち続けて、価値の証明を重ねる。だから大丈夫です、俺に任せてください」
「そう、だね。……君は変わらないな。それじゃあ、情報が入り次第また連絡するね」
「───」
眩しいものを見るように目を細めて、叔父は部屋を出ていった。
ぽつん、と一人残った部屋で一夏は動かない。
嫌なものを我慢するように、眉をひそめる。
「ああいう目、あんま向けないでほしいんだけどなぁ」
一夏は、その視線が好きではなかった。
まるで光を見るような。
まるで星を見るような。
まるで届かないものを見るような。
孤児院の子供たちも、見知らぬ人たちも、皆がそんな目で一夏を見ている。
それが嫌だった。
鷲尾一夏は、自身のことが嫌いだから。
嫌いな自分にそんな目が向けられることを忌避しているから。
『俺なんかがそんな目で見られていいわけない』と思っているから。
壁に吸われて消えるような、そんなか細い声量で、ぽつりと鬱屈としたものを吐き出す。
「『鷲尾一夏』なら、どうしてたんだろうな……」
『スワンプマン』というものがある。
泥沼の側で男が死んだ時に、その泥沼に特異的変質が起きて、死んだ男と肉体も記憶も同一の存在になった、として。
その『泥沼』は記憶通りに『男』として生活をして、そのことに周りはおろか本人すらも気づいてない、として。
果たしてその『泥沼』は、死んだ『男』本人だと言えるのだろうか。
そういう思考実験があった。
少なくとも、鷲尾一夏は言えなかった。
決して同一人物である、とは言えない少年だった。
鷲尾一夏は考える。
自分は『スワンプマン』なんじゃないか、と。
鷲尾一夏は10歳の夏に自身を構成する多くを失った。
記憶。
両親。
少年はその夏の記憶がない。
病院で目を覚ました彼は、両親と行った旅行先で重傷で倒れていた、と医師から聞いて初めて状況を知った。
鷲尾一夏は、何があったのかを知らない。
少年は両親を亡くした。
二人とも死体で発見された、と病院のベッドで聞かされたことを詳細に覚えている。
鷲尾一夏にはもう、家族は居ない。
少年の体はもう
目覚めた彼には、これまでなかった力を持っていて、それがあることが『人間』からの逸脱の何よりの証左であった。
鷲尾一夏は、何も知らぬままに人間を辞めていた。
だからこそ、鷲尾一夏は考える。
自分は本当に『鷲尾一夏』なんだろうか、と。
それが彼を蝕む根源だった。
それが彼の歪みの根本だった。
それが彼に懐疑を生ませた根底だった。
一夏はその疑念を払拭できない。
肉体が変わり、疑念が生まれて。
その間の記憶がないから、自分を信じられなくて。
自身を肯定してくれる両親がいないから、その歪みは酷くなる一方だった。
記憶の中の『鷲尾一夏』は普通の少年だった。
誰かを守れる
困ってる人がいれば、当然のことのように助ける少年だった。
特別な才能がありはしなかったけど、叔父と似た『苦しむ人の味方』である精神性で人を救えるような、そんな少年だった。
正しさと間違いの狭間で正解を手繰り寄せることができる、選び取ることに長けた少年だった。
才能の壁に腐ることなく愚直に鍛錬を重ね、磨かれたセンスと積み上げた経験に裏打ちされた強さを手に入れる、そんな未来が待っていた少年だった。
それが鷲尾一夏から見た『鷲尾一夏』で。
そこに、どうしょうもない乖離があった。
入院中、リハビリの一環として素振りをすることになった。
手に握るのは木剣。一夏の身長に合うよう調整された、彼が普段から使っているものとよく似たものだった。
構えから振り方、重心移動までしっかりと学んだ通りに行う、努力の剣。それが鷲尾一夏の剣術だ。
幼少から振り続けてきたそれを、いつものように振るう。
ある程度の腕を持つ者なら『おっ』と感心する、10歳にしては高い練度の一閃。
「──は?」
愕然として、間抜けな声が漏れた。
いつものように剣を振った。それだけなのに。
分かる。
どう振るえば良いのかが分かる。
今の動作の何が悪いのかが分かる。
何をすれば改善できるのかが分かる。
『鷲尾一夏』にはそんな感覚はなかった。
なかったから、理論を学んだのだ。
それなら、これは?
「……は?」
もう一度剣を振った。
描かれた剣閃は、
磨かれていた。
洗練されていた。
改善されていた。
『
それもまた、異常。
理解したとて、それを即座に実践できるのは類稀なる才能があってこそ。
『鷲尾一夏』にはそんな才能はなかった。
ないものがあるというのは、異常でしかない。
軌跡を、積み重ねを。
ただの一振りで得られた『感覚的な理解』が、理解を刹那で形にする『類い稀なる才覚』が、
もしも、ある日突然今までなかった『才能』が降って湧いたとして。
もしも、その『才能』がなかった頃との間の記憶がなかったとして。
もしも、その間にこれまでの自分を構成していたものを失ったとして。
人は、その『強くなった自分』を本当に自分だと思えるのだろうか。
鷲尾一夏には無理だった。
少年は今の自分に抱えきれないほどの違和感を感じていた。
常に違和感は付き纏い、不快感となり、それが彼の思考を悪い方向へと向かわせる。
『俺は偽物なんじゃないか』という疑念。
『皆を騙して生きてるんだ』という罪悪感。
『本物の彼を俺が殺したのかもしれない』という絶望。
『紛い物が本物みたいな顔をして生きているなんてクソだろ』という自己嫌悪。
生きてるだけで苦しくなる。
人と関わる度に謝りたくなる。
常に『お前は人殺しだ』と自分を責める声があって、罪悪感で死にたくなる。
頭がおかしくなりそうだった。
本来、少年がここまで苦悩することはない。
可能性だけでここまで自罰する必要はない。
似たような経験をした人がいたとしても、普通なら時間と共にその気持ちも薄れていき、今の自分を肯定できただろう。
そうでもなければ、壊れてしまう。
無意識に、無自覚に、心を守るべく防衛本能が忘却を選ぶ。
それが普通で、そうなったほうが楽に生きられる。
けど、鷲尾一夏には強い正義感と倫理感、そして責任感が備わっていたから。
鷲尾一夏の在り方が『苦しむ人の味方』であるから。
いつまでも一夏の心は蝕まれたままだった。
強い
人を救うために医者になった人が、手術を失敗してしまい患者が死んでしまったときに、自殺を図るほど罪悪感に襲われるように。
一夏もまた、そうだった。
鷲尾一夏は10歳にして既に己の在り方が定まっていた。
この先何が起きても決して変わらぬ本質を、既に持っていた。
故に、その苦しみから逃げられない。
変われないから、ずっと続く。
一夏にとって『力』も『才能』も自分の異物感を際立たせるだけのものだった。
だから戦うことを疎んでいる。
戦えば否応なしに使ってしまうから。
力を振るわずに済むなら、それが良かった。
何もしないでいいなら、そうしたかった。
しかして彼の在り方はそれを許さず。
だから少年は『最強』を冠した。
力とは困っている誰かを助けるためのものだ、と考える少年だった。
力があるのなら、それを正しく使わなければならない、と思う少年だった。
力を使うことを疎んでいても、その力を使わないで誰かを助けられないことの方が嫌な少年だった。
何もしない傍観者でいることが何より耐え切れない、そんな少年だった。
困っている叔父がいて、助けを乞う子供達がいて。幸運なことに、少年には彼らを助けられる力があって。
都合よく、賞金がある大会があって。
だから参加して、戦って、勝って。
勝って、勝って、勝って、勝ち続けて。
優勝して賞金が貰えた。その賞金を孤児院の経営費にして初めて子供達はお腹いっぱいにご飯を食べられた。
少年は求められる。
勝ち続けることを。
一度その幸福を経験してしまったから、子供達は求めてしまう。
そうでなければまた飢える日々に戻ってしまうから。
もう苦しい思いをするのは嫌だから。
戦いたくはないけれど、そう望まれたから。
『苦しむ人』に助けを乞われて、一夏は拒めない。
求められたから戦う。
望まれたからそうする。
義務感で生きる人生だった。
義務感で生きれてしまう少年だった。
義務感だけで勝ててしまう力だった。
そうして5年が経っても、少年の心は何も変わらなかった。
抜けない杭のように、過去が彼を縫い付ける。
記憶にない夏に囚われ続けて、少年は生きていた。
「ここが、三年間暮らす場所か」
三月、一夏は孤児院を出て学園から提供された寮へと入寮を果たした。
男女で別れた寮は高級マンションを連想させ、軽く確認した限り警備システムも複数技術が角度に融合して作られた代物だった。
学生寮を見るだけで、学園の持つ力の大きさが分かる。技術力も財力も、あらゆる面でトップクラスだ。
一夏は『生徒に安心できる環境を届けよう』みたいな考えで作られてるんだろうな、と思った。
あの日から、一夏の勘はよく当たる。
「……取り敢えず、目先にあるのはバトロワだ」
荷ほどきもそこそこに、ベッドに倒れ込む。
顔に手を当てて思考の海に潜っていく。
ホロライブ学園にて入学式の後行われるバトルロワイヤル。
自身の実力を示す上で、これ以上ない舞台である。
乱戦においてよく使う戦術を複数思い浮かべ、調べている範囲での仮想的との相性を確認する。
少しでも勝率を上げるために。
ホロライブ学園には、強者が集まる。
天才も熟練も、既に完成したものもこれから開花するものも。
運営に誰か、才能を見極めることに長けた者がいるのだろう。
そうして集まった者たちが、研鑽を重ね更なる強さを身に着ける。
一夏から見ても、確実に勝てると言い切ることができない環境なのだ。
その全てを倒し、証明しなければならない。
「できる筈だ、俺の力なら不可能じゃあない。だから、やらなきゃ。
この力に意味があるんなら。
俺がいることに意味があるとするなら。
それは、こういうことをするための筈だから」
確認するように、律するように、言葉にする。
思考のほぼ全てを『勝利』へと専念させる。
それは現実逃避によく似ていた。
一夏は目を逸らしている。
あの日の真実から。
自分のことから。
向き合うことが怖いから、自ら定めた義務へと逃げている。
彼が己の意思だけで変わることはないだろう。
多分、一生。
「勝つだけだ。今まで通り、死に物狂いで戦って、これ以上は無理だってぐらい頑張って、そうして勝つ。だから、もしこれで負けるんなら──」
結論から言えば。
鷲尾一夏は逃げられない。
自分からも。
過去からも。
恐怖からも。
運命からも。
真実からも。
真実を巡る旅路が始まる。
『原石』と『夢』の少女達と出会い、輝きと想いの果てに、何が己たるかを知るための物語が始まった。
鷲尾一夏
基礎スキル『信念』『練達』『誠実』
次回の更新、何時になるんすかね
次回:開幕・駆動する最強