ねこになった。そうだいに、なにもはじまらない。

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むかしかいたねこ。
もうおもいのこすことはない。


私は猫である

――私は猫である。名はまだない。

 

 もはや、何時、何処で読んだかも覚えていない台詞を自分勝手に改造した挙句、心の中で呟いてみた。

 

 でも、それ以上は思い出せなかった。自身の記憶力のなさに失望し、そして自分の新しい身体にも絶望した。

 

 人間だったはずの私は、気が付いたら猫になっていたのだ。嘘ではない。本当だ。そして、猫になったのならば、まずはこれを何故か言わなければならないと感じたのだ。

 

 だが、これはあんまりな仕打ちではないか?顔が汚れる度に頭を取り換えてエネルギーを回復させる、某菓子パンのヒーローだって、このような仕打ちはされないはずだ。

 

 私は神秘学などほとんど信じてないが、神がいるならば、否。超常的な存在が私をこんな姿にしたのならば、私は呪おう。呪い返しなんて怖くない。その存在が消滅するまで呪いを祈って成就して見せよう。

 

 そんな風に天を唸っていた私は今、上側の口を開け、正方形の形をしている屋根のない家の縁に乗り上げるように立ち、空を見上げている。

 

 その空には黒く塗られた厚い雲が夜の帳のように覆っていて、水を落としている。それは重力の奴隷で、地球の中心に向かって鋭く尖った凶器となり、誰かの親の仇をとるかの如く、激しい勢いで私と家をガンガンと叩いているのだ。

 

 私は彼らに恨まれる覚え等ないのだが。しかし、彼らは雨という名の凶器を使い、私の家をまるで溶かすように侵略していくのだ。この破城兵器の好きなままにしては、私の家が固形から液体に相転移してしまいそうだ。

 

 そこまで考え、その次に危機感に押され、私はか弱く小さくなった身体を使って守ろうとしたが…無理だった。矮小なる私の身体では、鋭い爪では、家を守ることはできなかった。

 

 人ではなくなった私は無力だと、果てしなく痛感した。

 

 嗚呼。こうして呆けている間も、私の家は雨という無慈悲な兵隊に壊されていく。

 

 

――おお、天におわす神よ!雷鳴を轟く怒れる雲よ!どうか、どうか、私の家を壊さないでくだされ!

 

 

 現実逃避気味に、空へ向かってやけになりながらも祈る。わかっている。こんなので止むというのなら、皆苦労はしないし、今も神秘学は賑わっていただろう。

 

 それでもそうするしか、圧倒的弱者な私には術がなく、寒さと痛さを我慢しながら、恒星の光を遮る空へ向かって目を瞑りながら祈りを捧げるしかなかった。

 

 そうしていると何時の間にか意識が遠のき、痛さも寒さも感じなくなった。

 

 

 

 

 あれからどれぐらい経っただろうか?気が付くと恒星の邪魔をしていた雲が退き、空気の層を貫いた光が降り注いでいた。

 

 太陽への信仰に目覚めそうなくらいずっと祈りに集中してた為か、あまりの寒さで意識が飛んでいた事にまったく気づかなかった。

 

 今のしっかりした意識で光の眩しさに眼を細めながら空を見ると、鋭い兵器を降らす雲たちは既に遠くにあった。どうやら、通り雨だったようだ。

 

 自身が人間よりも矮小な存在に成り果てた所為か、人間だった頃よりも、あの現象が恐ろしかったのかもしれない。

 

 まあ、そのような自己分析は横に置いといて。

 

 私は雲が遠くに行った事に安心して、生まれ変わってから付き合ってる家の状態を確認する。

 

 端的に言えば、絶望した。

 

「にゃあ…」

 

 それなりに高い鳴き声。高すぎず、良い鳴き声だ。これが人間ならば、きっとその魅了の魔法がかかったような声で信者が増えて、お金をたんまりと稼げるだろう。

 

 そこまで考えて、そんなことはどうでもいい事に気づいた。いや、よくない。でも、今はそんなことはどうでもいいんだ。

 

 少し混乱したが、現状からの思考的逃避はやめよう。

 

 端的に言えば、崩壊していた。

 

 私の家は洪水が起こった川のような量の水分を含んで歪み、変形し、変色していたのだ。ひどい三拍子だ。よくあることだとしても、今の私にとっては雨を降らす世界を憎むくらいひどいのだ。

 

 憎む気持ちを唸りながら抑えるも、私が家の状態を確認するようにぷにぷにになった手の平でぺちぺちすれば、べちゃりとした泥を叩いているような不快感があった。試しに軽く爪を立てれば、まずそうな透明の果汁が出て、表面の濁った茶色の皮が水を含んだ紙のように千切れ、簡単に分離してしまった。

 

 それがわかっていても、まだ大丈夫だと何度も何度も一生懸命ぺちぺちと叩いてしまった。

 

 それは果たして、愚かな行為だ。水を吐き出させながら潰したり破ってしまう、自分の家を無残な残骸に成り果てさせる行為だったのだ。

 

「にゃ…」

 

 自身で行ったあまりの行為に呆然としてしまった。私は脳まで退化してしまったのか?そのような疑問が脳裏に噴出した。

 

 平常では決してやらないような所業。力加減も状況も碌に考えず、直そうとしてもうまくいくはずもなく、逆に崩壊を早めてしまった。これはもはや、家などと言えるような状態ではない。

 

 こんなのは廃墟だ。こんなのは残骸だ。嗚呼、私は、私の知る世界を一つ崩壊させてしまった。

 

 そのことに対して、あまりの不甲斐なさと悲しさを感じてしまった。これが私ではない、別の存在がやったことなら責任転嫁も容易だというのに。やはり、世界は何時だって不条理で理不尽だ。

 

――私はこれからどうなるのだろう。どうすればいいのだろう。

 

 私は独り、唯一崩壊せずとも残っている、べちゃべちゃと不快感の残る床の残骸の上で横になる。果てしなく不快な感触を感じる私にも恒星の光は関係ないと叫び、世界とは平等だという事を教えるかの如く燦々と照らし続ける。

 

――嗚呼。絶望、無気力。それらは私の意思を果てしなく奪っていく、甘味な誘惑だ。遥か昔の自分も、こんな甘露に虫のように抱き着いて吸っていたのかもしれない。

 

 そんな風に、思春期を迎えた人間が陥りやすい破滅思考をしていたときだ。地面を何か叩く音が聴こえて、現実に引き戻された。

 

 私の新しい耳は頗る優秀なようで、意識すれば他の雑音と切り分けて、それだけを強調してくれた。音の出力からして、それなりに近い事がわかる。

 

 でも、その存在の姿は見えずとも、その音が部屋の中で反響してるかの如く聴こえる。それに反応して、目を開ける。

 

 人間?猫?犬?それとも、もっと違う動物?様々な候補が連想されるものの、どれも正しいようで間違ってるかもしれない。

 

 結局は、自身の眼で観測できなければわからない事だ。どんなアプローチであれ、観測できればその状態は固定される。こういうのを何と言ったか、『シュレーディンガーの猫』だったか?

 

 個人的な見解で言えば、それは言葉遊びのようで、思考実験のようで、それなりに哲学だと思っている。

 

 それはともかく。

 

 次に考えるべきは、その存在が友好的であるかどうかだ。敵対的な存在だった場合は、私には防衛の手段がない。自分の爪は確かに鋭いが、扱い切れる自信がなく、昔いた上司が満面の笑みで渡してきた一枚の紙すらも上手く切れないだろう。

 

 もう一つの手段としては、逃げる事だ。昔の偉い人も、下手な策を考えるよりも逃げに徹するべきと言っていた、と思う。ただやはり、私は入院したばかりのような辛さを感じるこの身体の扱いに自信がない。

 

 故に、行動する指針としては一つしかない。

 

 それは、遠目で相手を観察する、だ。これならば、条件を満たせるだろう。

 

 それから手ごろな監視位置を探すと、ちょうど近くに良さそうな高さの塀があった。これを使えと言わんばかりの配置だったので、ありがたく使う事にする。

 

 もう帰ることがないだろう崩壊した家の縁を踏み潰し、水蒸気が発生してそうな熱い地面に降り立つ。貴重な自分の足が焼けそうな地面を足早に駆けると、塀の上に飛び上がる。

 

 そしてその手前の縁に爪を立て、向こうからみればまるで塀から生えた土竜のような体勢になりながら、顔を歩道側に向ける。そうすると、音の正体がちょうどこちら側にやってきた。

 

「あっ」

「にゃ」

 

 果たして、音の正体は人間が靴で地面を叩くだった。

 

 その人間は黒い短髪で、優しそうな眼元。日本人のお手本を模したような、黒い瞳。片手には畳んである濡れた傘と、もう片方に鞄を持つ少年。いや、青年とも言える成長具合だ。

 

 彼は塀から覗いてる私に気づき、同じように驚きの声と、少し驚いた表情を見せる。同時に、私も迂闊にも見つかってしまった事への驚き、僅かな恐怖を感じる。

 

 そんな邂逅であったが、私は彼をじっくり観察する事にした。恐怖よりも好奇心が勝ったのだ。しかし、敵意を感じたら、即逃げるような心構えをした。

 

 よく青年を観察すると、特筆するべき特徴はなく、どこにでもいそうな好青年と言った印象が強い。細いわけでもないが太っているわけでもない、標準的な体型と言えるのではないだろうか。標準は知らないが。

 

 そんな彼は足を止め、私と同じようにこちらを観察するように見つめてくる。しばらくすると、彼は私に惹かれるように無言で近づいてきた。

 

「にゃ?」

 

 近づく彼に警戒してた私だったが、それはそれほど強くはなかった。私は人一倍、相手に対して警戒心を持つと自負していたのだが。

 

 そのことを不思議に思っていたら、彼の姿はもう塀で出来た日陰。つまりは、目前にまで迫っていた。そして、私に対して手招きをしたのだ。

 

「おいで?」

 

 成長期が終わり、それなりに低く、大人の男性らしい声をしている。そんな彼は鞄と傘を片手で同時に持ちながら、もう片方の手を私に向けて軽く伸ばした。

 

 言い訳をするならば、簡単な料理をするより短い期間だったが、家と言えるものは崩壊して、私単独で生きる気力がなかったのだ。本音を言えば、誰かに庇護してもらいたかった。

 

 それ故に、躊躇したのは最初だけだった。人恋しさを覚えたのは間違いない。だから、私は塀を飛び降りて歩道に飛び出すと、勢いをつけて彼に飛び込んだ。

 

「にゃあ!」

「よしよし」

 

 彼の腕の中は心地よかった。これを言葉で表現するのは難しい。安心感や幸福感。お風呂に入っているような感覚もある。

 

 それと、自分でも驚くほど媚びた声を出したと思う。失礼かもしれないが、これが他人のモノだったら、私はあまりの気持ち悪さに嫌悪感を持つかもしれない。

 

 我ながら自分勝手だと内心で苦笑いしながら、心地よい人肌に包み込まれる安心感を享受していると、彼が声をかけてきた。

 

「君、家がないのかい?」

「にゃ」

 

 彼の質問に、私は頷く。そのことに彼は驚いた表情を一瞬したが、すぐに表情を改めると、私の頭を撫で始めた。何か変だったろうか?

 

 それにしても、彼は動物を飼った事があるのだろうか?

 

 その疑問が湧くほどに力加減が上手く、撫でられるのが気持ちよくて目を細めてされるがままでいると、彼は私の首元を見て何かを察したようだった。

 

「そっか。じゃあ、家に来ないかい?」

「にゃ?」

 

 全ての気持ちよさが吹っ飛んだ。冷静な思考が戻ってくるのを感じる。

 

 彼の問いには少々の疑問を持たざる得ない。確かに庇護してもらいたいし、甘えたい気持ちはある。しかし、こんな雨に打たれたあとの、薄汚い野良猫一匹を家にあげるというのだ!

 

 私が人間なら、こんな猫をみたら見て見ぬふりに徹すると断言できるのに。彼はそんな事もお構いなしな雰囲気だ。余程な物好きかお人好しなのか?

 

 もしかしたら、彼は騙されやすい人間なのだろうか?大丈夫?変な壺とか買わされてない?それとも、大の猫好きなの?

 

 あまりの衝撃に放心して言葉遣いが崩壊しながら思考の海に沈んでると、彼は私を抱き上げながら立ち上がったのだ。恐らくは、沈黙は肯定だと思ったのかもしれない。

 

「さあ、いこう」

「にゃ、にゃあ」

 

 彼は片手で折りたたまれた傘と鞄を持ち、もう片方の手で私を胸元で抱くような形で歩き出した。

 

 私には、拒否しなかった罪悪感などを持ちながらも、彼に抱き着くという選択肢しかとれなかった。

 

 

 

 

 道中の事を記すならば、やけに動物の話声が耳に残った事が印象的だろうか。疑問に思うのは、彼らは何時の間に日本語を習得したのだろうか?ということだ。門前の小僧ではあるまいし。

 

 しかし、よくよく観察すると、私が聞く分には通常の日本語に聞こえるのだが、彼らの種族間ではやはり言語の壁があるのか、通じ合ってないようだった。

 

 とても不思議な光景だとは思った。

 

 もしかしてと、一つの仮説が浮かび上がる。それは、私のみが彼ら動物の言葉を、自動的に理解できる言語に訳されているという事である。

 

 そこまで考えて、気づいてしまった。なんと、私は何時の間に神秘学を習得していたのだ。しかし、罷り間違っても、私は過去に書いた履歴書に『神秘学には自信があります!』などと記した記憶など皆無だというのに。

 

 とりあえず、私は彼らの言葉を聞かなかった事にした。彼らの言葉が理解出来ると彼らに知られた瞬間から、面倒な事になるに決まってる。

 

 人間の世界でも幽霊が見える、幽霊を感じる、霊感を持つとかいう神秘学者たちは、社会から爪弾きされてきた悲しい歴史があるのだ。それを繰り返してはいけない。

 

 私は神秘学を否定はしないが、肯定もしない。あえていうならば、私は私が見たモノしか信じられないのだ。

 

 閑話休題。

 

 あれから私は彼に連れていかれ、彼の家へと着いた。

 

 彼の家を一言で表すなら、普通の一軒家。それに尽きる。

 

 彼の家の前に少々の広さの庭があり、黒くて小さい門がある。家を囲うような石塀には、名札と呼び鈴が埋め込まれてる。

 

 家本体の壁はベージュ色が基本色で、屋根が紺色だ。玄関の扉はよくわからない彫刻が彫られた木造ぽくて漆が塗ってテカテカしてる。

 

 彼は私を持ってない方の片手で器用に門を開け、敷地内に入る。

 

 入ってすぐ、何やら騒がしいのを感じて地面に視線を向ける。そこには敷地の庭にいる虫達が、彼とその腕の中にいる私を見て驚き、いそいそとどこかへ姿を消していくのが見えた。

 

「ねこだ!」

「ねこだなぁ」

「ニンゲンがねこをもってる」

「にげよう」

「そうだな」

 

 やはり日本語での会話が聴こえたが、徹底的に無視することにした。しかし、やはり彼らの言葉が理解できる私は異常だ。

 

 彼もこんな気持ち悪い能力を持った猫だと知ったら捨てられるかもしれない。それは非常に困る。非常に困った。

 

――こんな能力、要らなかった…!

 

 数分間考えた結果が、この言葉だった。そしてそれが、私が猫としての猫生?が始まってから初めて抱いた、自分に埋め込まれた能力への感想だった。

 

 実際、この能力をどう役に立てろというのか。ぱっと思いつくのは、何故か動物や虫たちの痴話げんかの仲裁だったが、私はやりたくない。私は文字通り、馬に蹴られたくないのだ。

 

――それとも、この会話能力を使って動物や虫の帝国を築き上げるとか?

 

 一瞬でそれは無理だと、私はその考えを捨てた。どう考えても、小心者の私では不可能だ。途中で絶対破綻する自信がある。血判状で誓ってもいい。今は猫の手形だが。

 

 

 

 

 うん。とりあえず、今は『言語翻訳能力』については考えるのをよそう。またそのうち考える。

 

 今は彼の家で住むことに慣れようではないか。その方が余程、私にとって建設的である。

 

 さて。今は彼の家のリビングに当たる部屋であると思われる。

 

 よく掃除の手が行き届いている 2LDK だ。今も彼は習慣的にやってるであろう手つきで掃除を行っている。

 

 手伝おうかと思ったが、猫になった私は汚す側になったことに気づき、少し意気消沈する。

 

 そもそも、何をどう手伝うというのか。濡れた雑巾を引きずりながら歩くことぐらいならできる気もするが、私の抜け毛で余計に汚れる気もする。

 

 そこまで考えて、ふと気づく。一人でこんな広い一軒家に住んでるというのは考えづらい。もしかして、誰かと一緒に住んでいるのだろうか。

 




 登場人物

 猫

 元人間の転生者。どこかで自分を人間だと思い込んでる、精神異常猫。動物全ての言葉がわかる能力がある。
 前世での散り際の記憶はないが、自分が人間だったはずだと言う思考はある。実は性転換しているのに気づいているが、特に気にしてない。
 飼い主に幸運を呼ぶ、常時発動型の能力。
 毛色が白と水色の白玉模様で、瞳が金色。親猫は存在しない。不老の神造猫。


 青年

 猫を拾った人物。見たこともない色で人の言葉を解する猫を珍しがって、会ってすぐ飼う事に決めた。
 また、この猫を切欠に女性と関係を持つようになったので、縁起の良い猫だと思っている。
 普通に優しい性格。総評はよくもわるくも平凡。
 標準体型。黒い短髪で瞳は黒。


 女性

 猫の幸運によって青年に惹かれた人間。
 標準体型。金髪で、瞳は蒼色。いわゆる、金髪碧眼。
 髪色は素で、染めてはいない。父親が外人で母親が日本人とのハーフで、日本育ち。

でてこないねこ。
つづかないねこ。

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