怪物に襲いかかったフィオナの肥大化した双眸は、既に焦点が定まっておらず、正気の沙汰とは思えない様相を見せていた。
彼女の、体の各所から伸び、怪物の巨体に絡みついた「それ」は、暴れる怪物の上でフィオナを固定し、彼女の身長の十倍はあるであろう怪物相手に、彼女は次々に攻撃を与えていった。
「グアアァァァ!!」
ようやく「それ」を引き剥がすことに成功した怪物がフィオナを吹き飛ばす。
異常な速度で再生する怪物と、傷だらけのまま狂ったような笑みを見せるフィオナ。
彼女は再び、怪物に攻撃を仕掛ける。
手足を獣脚類のように変化させ、超高速で怪物に急接近した。突進されると悟り、怪物は反射的にフィオナのいる方向に防御を集中させる。
しかし彼女は、衝突直前で真上に飛び上がり、腕を怪物と同程度まで急激に肥大化させ、落下速度を上乗せした一撃を怪物に叩き込んだ。
無防備な真上からの攻撃によって、怪物は地面に捩じ込まれるようにしてめり込む。フィオナは、動けない状態の怪物を前にして、笑いながら連続して打撃を叩き込んだ。
自在に姿形を変化させる手足、大きく裂けて牙を見せる血塗れの口、そして、額に生えている一本の黒角。
そんな彼女の姿は、信徒化した男同様、もはや人間の形を保っているとは言い難いものであった。破壊衝動と戦闘欲求に支配されたフィオナが怪物を蹂躙するたびに、音が爆ぜ、地面が揺れる。
怪物が咆哮し、打撃から逃れようと暴れる。
フィオナは、その様子を見て愉しむかのようにして、粘液の槍を複数生成させると、次々と怪物の背中に打ち込んでいった。
フィオナの心は、家族を殺された恐怖と苦痛ですでに壊れてしまっていた。
ただひたすらに、「殺す」、その衝動だけが、彼女の体を突き動かしていた。
無数の打撃の衝撃によって地割れが起こったことで、怪物はやっとのことで地面から抜け出す。フィオナの打撃を回避し、そのまま彼女を空中に殴り上げて攻勢に転じようとする。
しかし、殴り上げられたフィオナは空中で体勢を整え、そのまま一気に怪物の顔面へと飛びかかった。鋭く変質し、肥大化した巨大な爪が、怪物の巨体を貫く。
「ガアアアアァァ!!」
落下と同時に、フィオナは、突き刺した腕を触手のように変形させ、怪物の内部を蹂躙していく。
そんな時だった。
「フィオナ、もうやめて!」
その時、少し離れた悲痛なミラの叫び声が響いた。
しかし、その訴えはフィオナの耳には届かない。
「フィオナまでいなくなったら、僕……もう……」
「大丈夫だ」
地面に突っ伏して涙を流すミラに、誰かが声をかける。
そこには、白装束のローブを片手に立っている黒ドレスを身に纏った少女の姿があった。
「彼女……フィオナの心は、まだ完全に飲み込まれたわけじゃない。怪物は、おそらく手遅れだがな」
そう言って、少女は白装束を羽織る。
「フィオナを鎮静化してくる。君は、ここで待っていろ」
そう言った直後、彼女は音もなくその場から消え去った。
* * *
「やれやれ……何を願ったらこんなことになるんだか」
ミラの前から消えた少女は、瞬時にフィオナのいる付近の上空に現れ、独り言を呟く。
その時だった。
ズシャァァァッ!!
怪物の息の根を完全に止めたフィオナが、跳躍して少女に襲いかかる。
少女はその攻撃を軽々と躱してフィオナを地面に叩き落とした。フィオナと共に、少女もゆっくりと地上に降下する。
地面と激突したフィオナは、先程とは一変して全く笑顔を見せず、顔をぐにゃりと歪めて少女を睨みつけていた。腕が延び、完全に四足歩行状態になっているその肢体と形相は、獣以外の何者でもなかった。
「フィオナ」
その名を呼んだ少女の声には、冷たさも怒りもなかった。まるで、幼子を諭すような優しさすら滲んでいた。
フィオナの体がびくりと震えた。
一瞬の動揺を見せた後、まるで獲物を見つけた捕食者のように、彼女はゆっくりと少女がいる方向へと距離を詰めていく。
「さあ……来い」
瞬間、フィオナが凄まじい速度で少女に向かって拳を振る。怪物をも凌駕した一撃、それを、間一髪で少女は横に躱す。
「フィオナ、私は……」
少女が言葉をかけようとするが、フィオナは攻撃を継続する。地面が一瞬で黒く変色し、そこから伸びた無数の棘が少女を突き刺す――が、それは残像。
少女は、すでにフィオナの背後に周り、彼女の後頭部に手のひらを翳す。
だが次の瞬間、フィオナの後頭部が裂け、そこから生えてきた三本目の腕が少女を吹き飛ばした。予期せぬ攻撃を受けた少女は、頭から血を流しながら立ち上がる。
「本当に……厄介だな」
そう言いながら、少女は両手に魔法陣を展開する。
「次で、終わらせる」
朝日が、昇り始めた。
暖かな陽光が、二人を照らす。
一瞬の、静寂。
動いたのは、同時だった。
フィオナは右腕を、引き絞った弓のようにうねり、空間を切り裂くような音を立てながら少女の喉元に振り翳す。力任せの理性を持たない打撃、それは、少女にとって隙だらけだった。
少女はすれ違いざまに、フィオナの胸元に滑り込んで振り翳された腕を避ける。そして、フィオナの腹のあたりに魔法陣を展開した手のひらを当てて詠唱した。
「――
その瞬間、フィオナの全身が発光を始めた。
「ぐ……あ……!」
フィオナが呻くと同時に、「それ」が次第に彼女から分離し、霧散していく。額の角もなくなり、手足も元通りになっていった。
「おやすみ、フィオナ。今はただ、安らかに」
その一言と共に、光が静かに収束していく。
フィオナの体が、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。
重力に従い、彼女は少女の腕の中へと倒れこむ。その寝顔は穏やかで、まるで幼い子供のようであった。
「ふう……間に合った……」
その時、物陰に隠れていたミラが飛び出してきた。
「フィオナ!しっかりして、フィオナ!」
ミラは泣きながら彼女の名前を繰り返し叫ぶ。
「大丈夫だ、死んではいない」
「あなたは……?」
フィオナの無事を確認して安堵したミラは、そう少女に問う。
「私の名前はエリィ。お前たち『器』を回収するためにここに来た“回収者”だ」
少女――エリィは、そう答えた。