断罪のエクスタシア   作:Hama125

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第三話

「おはよう、フィオ姉!」

 

 その声が聞こえた瞬間、カーテンのスライドする音と共に瞼の裏の暗闇が真っ赤に染まる。

 

 フィオナが寝惚けたまま起き上がる。

 

 周りには、いつもの光景が広がっていた。

 

 起きたばかりとは思えないほど、元気よく追いかけっこをしている子供。

 

 まだ寝ている子に、ちょっかいをかけようとしている子供。

 

 収拾がつきそうにないその状態を見てオロオロするミラ。

 

 ベッドから起き上がり、寝具の片付けをしながらそんな光景を見ていると、近くにいた数人の子どもたちがフィオナに近づいてくる。

 

「フィオ姉、今日も一緒におえかきしよう!」

「もちろん。今日は、どんな絵を描こうかな?」

 

 そう言って、女の子に渡されたスケッチブックをフィオナは手に取る。

 

「フィオ姉、今日の夜はカレーがいい!カレー!」

「はいはい、考えとくね」

 

 ……何か、悪い夢を見ていたような気がする。

 

 

 こんな、「当たり前」を失うような、そんな夢を——

 

 

「フィオ姉!」

 

 

 フィオナは、男の子の声がする方を向く。

 

 

 

 なんで俺たちのこと、助けてくれなかったの?

 

 

 

 その瞬間、男の子の身体が黒ずみ、どろどろと溶けていく。溶けた箇所から滲み出す黒い粘液は彼の周囲をみるみるうちに漆黒に染めていった。

 

 よろよろとこちらに近づいてくる彼に恐怖を覚えたフィオナは、反射的に後ろに下がる。

 

 彼女の腕に、冷たいものがぴとりと触れた。

 

 後ろを振り向くと、その先には信じ難い光景が広がっていた。数十人の子供たちが、黒い粘液の溢れ出す、窪んだ眼窩をこちらに向けていたのだ。

 

「やめ——!」

 

 フィオナは、必死でそれを振り払おうとするが、思うように体が動かない。足元を見ると、粘液から這い上がってきた子どもたちが、縋り付くようにして彼女の足を掴んでいた。

抵抗できないまま倒れ、背中を打ちつけて動けないフィオナは、粘液に全身を嬲られ始める。

 

 力を入れても、その一切を体が受け付けない。

 その感覚は、彼女の心にこの上ない恐怖と絶望を刻みつけた。

 

 沈んでいる。

 

 そう感じた時にはもう遅い。

 冷たい圧迫感は、すでに全身を覆っていた。

 

 全身が沈み、水中を漂っているような感覚に陥った瞬間、そっとフィオナの頬に誰かが触れる。

 

 視界が開けたその先には、目の前で両断されたはずの少女、アミがいた。彼女は、フィオナの目をまっすぐ見て告げる。

 

 

      ひ と ご ろ し

 

 

 フィオナは、叫び声を上げながら目を覚ました。

 額には冷や汗が滲み、心臓が今にも飛び出しそうな勢いで激しく鼓動している。

 

「……フィオナ、大丈夫?」

 

 ぼんやりとした視界の中に、朝日の逆光に映るミラのシルエットが浮かぶ。 

 

「……夢、だった?」

 

 フィオナはそう呟きながら身体を起こそうとしたが、全身に激痛が走った。ミラは、そんな彼女の頭を自分の膝からそっと下ろし、背中を支えて身体を起こすのを手伝う。

 

 起き上がって初めて、フィオナは気づいた。

 

 目の前に、大量の墓標が立っている。そばにあったはずの孤児院は、原型がないほどに損傷しており、今にも崩れそうな状態であった。

 

 

 一体、何が——

 

 

「無理しないで……あんなことが起こったあとなんだ……」

 

 混乱しているフィオナに、悲しそうな声でミラが話しかける。

 

「あんな、こと……」

 

 ふと、そばにある墓標にフィオナは目を向ける。

 

 手作りの十字架、花束の添えられた盛り土、名前が刻まれた板。

 

 一枚の板に、こう刻まれていた。

 

     『ユキ』

 

「……嘘」

 

 次の瞬間フィオナは、その場で地面に嘔吐し始める。

 何度も、何度も、胃袋が飛び出し、腹の中が空っぽになるほどまで嘔吐を繰り返した。

 

 ミラは、フィオナが落ち着くまで、ずっとそばで彼女の背中を優しく摩っていた

 

 涙も、声も出ない。ただ、この現実を受け入れまいと、フィオナの全身が外界を拒絶し、震え続けていた。

 

「気がついたみたいだな」

 

 その声に気づいたフィオナが咄嗟に顔を上げると、銀髪を靡かせている少女が目の前に立っていた。同い年、いや、年下だろうか。140センチメートル半ば程度の身長に見える彼女の雰囲気はやけに大人びており、身長に反して全く幼さを感じさせなかった。

 

「あなたは……誰?」

 

 フィオナがそう問う。

 

「私の名前はエリィ・イーヴァ。世界連合軍——エクソダスから派遣された“回収者”だ」

「かいしゅうしゃ……?」

「フィオナと、ミラ。二人は『器』に選ばれた存在、“禁忌魔法”の発現者だ。

私は、この世界に存在する八人の『器』を発見、回収するため、ここにいる」

 

 その言葉が、強く胸に刺さる。昨日のあの光景、怒りと殺意にまかせた、狂気のような衝動と、溢れ出る黒い粘液。あの時、白装束の一人が言ったのを思い出す。

 

『発現したのか』と。

 

「……私が……?」

「“禁忌魔法”、それは、所有者の願いを叶える魔法だ。」

「願い……」

「ああ、君があの時持った『無力感』と『復讐心』、その二つが、あの黒い粘液——“人を殺す魔法”とでも称しておこうか——を生み出したんだ」

 

フィオナがエリィの言葉を噛み締めている横で、ミラが彼女に質問をする。

 

「何が、あんたの目的だ」

 

 鋭くエリィを睨みつけながらミラは問う。エリィはほんの少しだけ沈黙を挟んだ後、真っ直ぐ二人の少女の方を向いて話し始めた。

 

「私たちエクソダスの目的は、“ネフィリム”の討伐だ」

 

 エリィは二人に話した。白装束の目的とは、ネフィリムとはなんなのか、彼女の、目的とは何か。

 

 “ネフィリム”——それは、魔法を持たないとされる幻の種族。

 彼らは、禁忌の強大な力に魅せられ、その力を巡って争い合った。その、真の権能を我が物にするために。

 

「……書き換える?」

「そう、八つ全ての禁忌魔法が揃った時、——その力を持って“聖域”で祈ることで、世界は、持ち主の願いに沿って“無条件の再構築”を行う。世界そのもののあり方が、所持者によって作り替えられるんだ」

 

「それって……そんなの、神様みたいな……」

 

ミラが震えながらそう言う。

 

「ああ、まさに神の力に匹敵する。だが、それには代償が必要だった。その力を行使した結果、奴らは「肉体」と「知性」を失い、“深淵(ナラク)”に堕ちた。これが、ネフィリムの正体だ」

 

ミラは、一瞬、昨日の変貌した男の姿を思い出す。歪み、狂気に塗れた破壊衝動の塊を。

 

「……白装束の人たちは、“ネフィリム”じゃないのか?」

 

ミラの問いに、エリィは首を横に振った。

 

「いや、彼らはネフィリムと融合し、その強大な戦力によって『器』を集め、もう一度聖域に向かうことを目的とした宗教団体『牙』だ。そして、自分の命と引き換えに、ネフィリムの力を得ることによって怪物に変貌する、その儀式を私たちは“信徒化”と、呼んでいる」

 

 「……ねえ」

 

 二人が話していると、横で座り込んでいたフィオナが、突然口を開ける。そして、おぼつかない足取りのまま崩れ落ちるようにして、アミの墓標が立ててある盛土の前に行った。

 

 墓標の前に座り込んだフィオナは、それを優しく手のひらで撫でる。

 

 土の中に埋められた、かつての笑顔、暖かな声、小さな手、夢、その全てが、もう戻ってこない現実に、彼女は打ちひしがれていた。

 

 震える指先が、静かに土を握る。

 

 彼女は、涙を流すことすら忘れていた。いや、流せなかった。

 

 今の彼女は、ただの抜け殻。中身が空っぽになってしまったその心は、少し触れただけで、脆く、あっさりと崩れてしまいそうであった。

 

「ねえ……私……わたし……」

 

 ——こんな私に、生きてる意味は、価値は、あるの?

 

 そんな答えが出るはずのない問いが、心の中で、何度も何度も廻り続ける。そんな今の彼女に、生きる希望や意味を見出すことはできなかった。

 

 フィオナは、盛土を握る手のひらを強く握りしめる。血が滲むほど、強く、強く。それは、悲しさではなく、自分に対する絶望や呆れに近い感情であった。

 

 そんな時、彼女の脳内に一つの言葉が響く。

 

「……私が、“器”?」

 

 そう言いながら、フィオナはエリィの方を振り向く。その目は、何かに縋るような、必死さを訴えているようであった。彼女は、生気の抜けた操り人形のように、ゆっくりと立ち上がる。

 

 「私……行かないと……ここにいたら、また……」

 

 言葉が、喉の奥で詰まる。

 

 ここにいたら、また何かを失うかもしれない。

 

 だから——

 

 一歩、

 また一歩。

 

 彼女は、ゆっくりと歩き出し、エリィの元に向かう。

 

 エリィの元に着くまでの数メートル、その間の数秒は、フィオナにとって数時間にも、数日にも感じるようであった。

 

「君はもう、“ただの少女”ではいられない。」

 

 フィオナの視線が、エリィと交差する。

 

「君には、『器』としての使命がある。それは、私——“回収者”と共に、“禁忌魔法”を持つ器たちを見つけ、回収すること。でなければ、この世界は——」

 

 エリィはそこで一度言葉を区切ってから続ける。

 

「……再び、“書き換え”られるだろう」

 

 その言葉の意味は、計り知れなかった。

 

「『器』は、全部で八人、この世界に存在する。君たちは、そのうちの一人に過ぎない。そして今、他の『器』たちも、同じように狙われている」

 

 その言葉に、フィオナの目が見開かれる。

 

「このままでは、世界が“牙”によって書き換えられ、“ネフィリム”によって世界が奴らに乗っ取られる。そうなれば、君たちの願いも、選択も、全てが無に帰してしまう」

 

 エリィは続ける。

 

「器を見つける旅に、私は君たち二人を連れて行く。拒否する権利はあるが——」

 

 エリィが静かに、だが、はっきりと言い切った。

 

「君があの力を制御し、その“願い”を叶えるためには、私についてくる道以外はない」

 

 フィオナの“願い”。

 

 それは、「牙」の連中を皆殺しにした後に、ここ、孤児院「ララ」で命を断つこと。その“願い”を、エリィがはっきりと理解しているのかは分からない。

 

 しかし、「復讐」、そして、「贖罪」。

 それらを叶えるためには前に進むしかないと、フィオナは悟っていた。

 

「行こう、ミラ」

 

 その言葉を聞いて、ミラが優しく、フィオナに微笑みかける。

 

「……ああ、フィオナと一緒なら僕……きっと、大丈夫だから」

 

 フィオナは、ミラに微笑み返す。

 

 その笑みは、どこか痛々しく、しかし、確かな希望を滲ませていた。

 

 その対話を聞いたエリィは、二人を見て小さく頷く。

 

「では、旅の始まりだ」

 

 燃え落ちた孤児院と、幾多もの墓標を背に、三人は歩き出した。

 

 

——第二章に続く

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