【完結】 おれ会社辞めて忍者になるわ   作:hige2902

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 注意書き。
 完結予定。
 不快にさせる表現、展開がでてくる 可能性 があります。
 閃乱カグラSV原作再構成です。
 鈴音先生といちゃこらしたいという願望で書いたので霧夜先生の出番があれです。
 オリ主と原作キャラがいちゃこらします。
 もとはR18向けに書いてたやつを、思うところあってやっぱやーめたで通常に投稿したので、18禁描写をカットした不自然な区切りがあります。



第一話 おれ会社辞めて忍者になるわ 【挿絵】

 

【挿絵表示】

 

 

「はあ?」

 

 と、グラスを飲みさした手を戻して部下が言った。次いで周囲に聞かれてはいまいかと、小さなバーに視線をめぐらせる。幸い、寡黙にグラスを磨くマスターしかいない。

 不幸中の幸いなのだろうか。いや、不幸だ。その幸いは不幸があって初めて成り立つ。そんな幸せはいらなかった。あのな、という無礼な言葉を飲み込んで、問題の言葉の主に声を潜める。

 

「あのですね、酔ってるんですよね。いっそ多次元宇宙大統領になるとでも言ってもらえると、じぶんもほろ酔い加減で帰宅して、ぐっすり安眠して明日の仕事に挑めるのですが」

「これなんだけどさ」 と、部下の配慮に対極するような口調で一人の男が答えた。彼はビジネスバッグからノートほどの厚さのカタログを取り出す。 「きょう、うちのごみ箱に入ってたのをたまたま見つけたんだけど、いま多いみたいよ、脱サラして忍者になるひと。今朝ポストを見たら同じものが入ってたんだけど、興味があるならあげようか?」

 

 ぺらぺらとカウンターで捲られるカタログを眺めて、部下はいますぐ、なんでもいいからストレートを注文したくなった。そいつで不安にのたうつ心臓を黙らせる必要がある。上司にはロックがいいだろう。バケツ一杯の氷にワンショットでいい。そいつを頭から被せる必要がある。

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が、この現状はまずい。

 

 

「もう三十ですよね」 と感情を押し殺して部下。まいった、仕事のしすぎか? 休日と言えば撮り貯めていたTV番組、ナイトスクープを見る事くらいだったか。もっと癒しが必要なのかもしれない。

「いや、二十代だよ……なあ、武器、じゃなくて暗器って何がいいと思う? やっぱ手裏剣かな、鎖鎌もいいかも」 でも自分の手を切りそうだよな、と彼。

 

「数え年で、三十ですよね」

「ばか言うな、全然違う。おとこの年齢を把握するなんて意味のないことをするなよ。おまえの類まれな記憶力はもっと別の事に使え」

 

「はぐらかさないでくださいよ」

「年なんて関係ないよ、大事なのはやる気と元気と根気なんだってさ」

 

「たいていの物事には当てはまりますよ!」 声を荒げて部下。 「ていうか簡単に会社を辞められるわけないじゃないですか!」

「店の中だぞ、静かにしろ」 彼はマスターに、すみませんね、という目配せしてから、あやすように部下に言った。 「まあ落ち着けって」

 

 言われて部下は、そういえばいつ辞めるかなんて彼が言ってないことに気が付いた ――それは希望に似ている、つまり脆く儚い―― 。ひょっとしたら老後の楽しみをじぶんに話しただけかもしれない。おじいちゃん忍者が何の役に立つのかはわからないが、定年退職して、その後も五年ぐらい役員かなんかやってくれたら忍者にでも殿さまにでもなればいい。

 明日、なる。などとさえ言わなければそれでいい。

 

「すみません、ちょっといきなりだったんで」 と部下は落ち着きを取り戻して言った。

「いいよいいよ。でさ、おれが辞めた後の事なんだけどさ、引き継ぎとかはまあおまえに任せるよ」

「まずいいですかね、いつ会社を辞めるつもりなんですか?」

「明日、ってか十二時まわったから今日だね」

 

 へへっと気恥ずかしそうに鼻下を人差し指でこする彼に、部下は天を見上げた。やわらかな木目の天井がある。本気だろうか、本気だろう。

 部下はストレートを一杯と、無理は承知で氷一杯のバケツにワンショットを注文した。

 

 シェリー樽の特級をグラスにいい気分の彼に、気が利くのかジョークのつもりだったのか注文を聞き入れてくれたマスターに感謝しながら、部下はバケツをひっくり返した。

 そしてスコッチを一度で干し、店を出た。

 部下はわかっているのだ。彼は、やる男だ。本当に辞めるだろう。あらゆる社会的制約を掻い潜り、今日、仕事を辞めるだろう。

 そしてなる、のだろうか。

 

 なんとなしに空を見上げる。祝福するような満月が、明瞭に輝いていた。冗談ではない、と部下は思った。会社になんて説明すれば。

 適当にタクシーを拾う、車窓からは煌びやかな夜景が見下ろせた。その中でぽっかりと空いた穴のように暗い地帯がある。貧困街だ。家庭の電球はもとより、街灯の明かりの設置も遅れている。暗黒だ、虚無でもある。あそこに輝く富はない、だから暗い。

 

「なんとかなりませんかねえ」 運転手が部下の貧困街を見やる視線をバックミラーで捉えて言った。 「ようやく景気が良くなってきたばかりなのでしょうが」

「政府と資金用途においては胡散臭い支援団体はあてにならない。公的援助では貧困ビジネスの産む巨額な利益で作った、非合法な奴らの経済的土台を崩せない。都市開発の名目上、国交省が表立っているが、せめて国税レベルの強制力がなければ。二大財閥が率先すべきだ、多少の非合法手段を使ってでも。だが市場と世間と経済主体をめぐる競争関係にあっては、両財閥はパフォーマンス以外での資金と労働力を貧困街に投入しない。できない、そんな些細な隙で対立する財閥を滅ぼしてしまうほどに現両当主はやり手だ。投資するのは対立する財閥の市場を食いつぶす市場に関してだ。だからこそ不景気を脱却できたと言えるが」

 

 はあ、と運転手。接客上の世間話のつもりだった。 「両財閥って大狼と鳳凰ですよね」

「はるか昔からこの国を支え、支配してきた化け物だ。家系図を読み解くだけで骨が折れる。そして溝は深い」 ひょっとすると貧困街の夜の闇よりも。部下は会話を打ち切るように深く溜息をついて瞼を閉じた。対立よりもやるべきことがある。そんなことは両当主も理解していそうなものだが。

 

 

 

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 彼は翌日、鼻水をすすりながらカタログに記載してあった電話番号にダイヤルし、教育セットを注文した。数日後に届き、初心者におすすめの鎖鎌を練習することにした。 ――手裏剣やクナイは無くしやすいので――

 

 いい時代になったものだとジャージ姿で庭に出る。通信教育で忍者になれるとは。

 適当な高さの棚を用意して、その上に空き缶を置いた。無線イヤホンから流れるレクチャーに従って鎖鎌を振り回す。もちろん最初はうまくいかない。しかし大事なのは反復なのだ。

 やがて一ヶ月が経過し、腕試しにと近所の鎖鎌大会に出てみることにした。そんなものが町内で開催されていたとは驚きだ。 ――しかも年に四回!――

 

 彼は意気揚揚と日課となった夕方のランニングに出かけた。横腹も痛くならなくなったし、これは忍者になれるのも近いだろう。

 それにしても忍者か、と思いをはせて路地を走る。たぶん、影分身とかできる。あと水の上を走ったり。

 と、ふと眩暈に気が付けば、彼は市街の一本はずれた通りを走っていた。おもわず足を緩めて、歩きながらにあたりを見回す。あれ、こんなところを走っていた覚えはないが。

 

 空は薄暗く、いかがわしいネオンが空気までもを怪しく演出していた。ようするに風俗やらラブホテルやらが軒を連ねる通りだ。

 溜まっているのか、無意識にこんなところへ足が向くとは。

 彼は踵を返して道を行くが、どうしてだか人の気配のない更なる裏路地へと向かってしまう。明らかにおかしい、自分の意ではないような。

 

 彼が自らの思考をいぶかしむのと、手の入っていない雑居ビル群に少女らしき悲鳴が木霊するのは同時だった。

 

 びびっているわけではないと後に語る彼の心臓が一際大きく鼓動した。薄暗い路地から、乱れた制服姿の少女 ――らしからぬスタイルの良い体型―― が飛び出した。前髪を左右に分け、背ほどまでに伸びたプラチナブロンドの髪を揺らし、瞳に涙を浮かべて彼の腕にすがる。大きな胸が彼の前腕を包み込んだ。

 

「た、助け。恐い人に、襲わ」

 

 ひょっとしたら、おれが忍者になったのはこの日のためなのかもしれない。まだなってないけど彼は思わずにはいられなかった。安心させるように、されど周囲に警戒の眼をやって答えた。

 

「大丈夫。おじ、おにいさんが警さ……やっつけるから」

「いやでも」 と少女。ぐいぐいと彼の腕を引っ張る。 「えーとその、すっごい強そうっていうか、筋肉やばすぎな感じだし、逃げた方がいいんじゃない?」

 

 なるほど、と一考して彼。 「つまり相手にとって不足なしというわけだな」

「どーみてもおじさんの方が弱そうなんだけど」

 

「うん?」

「いやおじさんの方が」

「うん?」

「おにいさん、しかも相手は十数人くらいでわたしを追い掛け回して」 少女はなんだか面倒くさそう。片手間にスマホをスワスワしだす。

 

「多勢に無勢か」 と彼、ニヒルに笑う。 「おもしろい、手加減できればいいが……っていうかきみ、わたしを引きずっていくの止めてくれない? ちょっと戦うから止め……なんだこの腕力……え、ちょ……つ、強い」

 

 彼は半ば抱きかかえられるように連れ去られた。一泊置いて、もう一人の人影が現れ、短い舌打ちとともに後を追った。追いながら、なぜあんな普通の男が目標なのか。それにしても善忍か。タイミングが良いのか、はたまた護衛されているのか。心中で呟いた。

 

 

 

 

「でさ、きみ」 と彼は所在なさそうにベッドに腰掛ける少女を見て言った。 「ええと、暴漢から逃げてたんだよね?」

 

 言われた少女は、足を組んでスマホを巧みに操作しながら、今度の休みに行く予定の映画情報を調べていた。恋愛物がいい、王道のボーイミーツガールはつまらない。 「別にぃ」

 はあ。要領を得ない彼の言葉で沈黙が訪れた。とりあえずで口を開いてみる。

 

「ていうか、なんでラブホに逃げ込んだの? きみ制服着てるし、わたしが社会的にまずいんだけど」

「追手が入って来づらいかなあって……座ったら?」 自分の隣をポンポンと叩き、思い出したように制服の着くずれを直す。 「それに防音だから万一の場合、戦いやすいし。ていうか、おじさん何者なの?」 掌のタッチスクリーンから赤い瞳が向けられた。

 

 きさま、何者だ。その言葉をいざ目の当たりにすると口元がにやけた。 「おじさんな、忍者なんだ」 恥ずかしげに口元を拳で隠して言う。

 

「え、あ、そーなんだ。なるほど、それでか」 なにか合点がいったように、少女。 「悪忍に狙われてたってことは、やっぱ善忍? どこの学び舎?」

 心なしか距離が縮まった気がする。ぎしりとベッドが軋んだ。部屋はごてごての配色と光源に照らされている訳ではなくモダンな雰囲気だったが、場所が場所だけに彼はどぎまぎして答える。悪人? 善人?

 

「どこって、まあ、普通の国立だけど」 日本有数なだけに自慢じみているようで、言いづらそうにごまかして彼。

「へえ、いいとこなんだ」 半蔵学院かー、と心中で少女。

 

「いやでも学歴とかって、仕事に必ず関係するとは言えないと思う」 と、実体験から彼。 「結局、そういうステータスって、その人物がどれだけ忍耐強いかを数値化するのに適しているだけで。だから勉学が大事ではないというわけではないけど」

「あー、瞬時の判断力とか?」

 

「仕事量が膨大だと忙殺されて無用の長物になりがちだけどね。作業と化してしまって、適材適所に判断を用いたベストな効率よりもベターなルーチンワークに流されてしまうから」 前職を思い出して苦苦しく笑った。「偉くなると楽できるわけじゃないし……今更だけど、ラブホに逃げ込んだのはいい判断なのかもね」

 

 フロントがないタイプとはいえ、さすがに十数人の男が出入りするのは躊躇われるだろうと彼は考えた。昨今のネット社会では、どこで写メを撮られてツイッタに晒されるかわからない。彼はその場合の濃厚なホモ祭りを頭の外へ追いやった。まあ、おっさんが制服姿の女の子にラブホへ担ぎ込まれてるなう、の場合も追放する。

 

「へえーおじさん、結構見る目あるじゃん」 と少女、大人に褒められたのが、どことなく嬉しそう。 「ま、エリート校だからって胡坐をかいてちゃダメだよねえ」

「ほんとそれ。ていうかきみ、いろいろ達観してるね。見た目とは」 言って、しまったと口を閉じる。

 

「いーよ、チャラい恰好してるのは自覚してるしね」 ぼさりとベッドに上体を預ける。 「わたし、四季。ひょっとしたらおじさんの下でお仕事するときもあるかもね」

 脱サラして忍者やってるから、きみの上司にはならないと思うよ。と、彼は口にしようとしたがやめた。高校生であろうにも関わらず将来の事を考えているというのに、否定から入るのはよくない。

 

「なんか頼む? 奢るよ。シキって、季節の字?」

「えーおじさん、なんか手馴れてない?」 いたずらに四季が笑って言った 「そ、春夏秋冬の四季。それと、わたし高校生だよ」

 

 ほんとかよ、とベッドに半身を横たえる四季を見やった。短い丈のスカートからは齧り付きたくなるような太もも、制服の上からでもわかるほどに豊満な胸。白い谷間が覗いている。吸い込まれるような、血の色をした瞳と目が合う。口角の下の小さなほくろが小悪魔的だった。

 

「制服を見れば学生だってわかるし、だからそれは犯罪だよ」

 

 彼は突き放すように鼻で笑った。適当に冷蔵庫内のボタンを押して飲み物を取り出し、リモコンでフロントにピザを注文する。

 

「ふうん、たとえば恋愛感情であっても?」

「法的に犯罪なものは仕事をしだすと露骨に避けるようになるよ、軽微なものでもね。それに、きみは出会ったばかりのわたしに恋愛感情を抱くような人間じゃないだろう」 コーラを手渡してやる。

 

「どうしてそう思うの? わたし、身も心もチャラいかもよ」 受け取って四季、煽るように胸元のボタンを一つ外す。

「そんなやつが、どうしてわたしの身を案じて一緒に逃げようとするんだ」

「じゃあ、もしもわたしがおじさんの仕事仲間だったら?」

「仕事仲間と恋愛はしない、トラブルの元になる」

 

 四季は膝を立て、挑発的にゆっくりと股を開いた。が、彼は目をそらして、ドア付近の小窓から差し出されたピザを取りに行く。

 社内恋愛は身を亡ぼす。昔、それで同僚の一人は仕事を辞めた。四股をかけたのが原因かもしれないが。

 

「ふうん、やっぱり善忍なんだ。中年って、若いおんなの子がちょっと色気出すと、すーぐがっついてくるからさ」

 

 感心したように、四季はほほ笑んだ。目の前で異様に伸びるチーズに四苦八苦してビザを食べている男と出会って、作り笑いでない初めての笑みだった。

 

「ふぁ、なに!? 四季くん、説教ってダサいし煙たがられるからあんまり言いたくないんだけどさ」

「あー、大丈夫大丈夫、お金貰ってあれこれとかしてないし」 本心で否定してピザを一切れ、ぱくり。 「ひょっと、ふぁらふぁって」エロ中年をからかった事があるだけ。とあつあつのを飲み込んで四季。

 

「あ、そっち」

「え」

 

「いや、わたしは中年じゃないから。実際そういうとこ気にしている人多いんだから、もうちょっと年上に対して気を使った方がいいんじゃないの? ねえ、聞いてる? おじさんは、なんか優しそうだし、親類関係を表す言葉でもあるからいいけど、中年って言葉の中に隠された脂っこさってなんなんだろうね、年はとりたくないね」

 

 彼があまりにも真剣に言うものなので、四季は一瞬呆気にとられた後、笑った。笑って、前述のそっち、とはどういうことを指すのかを追及した。口どもる彼を見て、笑い転げた。

 

 

 

「ねね、ケー番教えてよ」 と四季、すっかりリラックスしてベッドでゴロゴロしている。

「いいけど、あんまメールとか上手くないよ」

 

「いーっていーって。人生の先輩として、いろいろ話を聞かせてよ」

 

 それに、いずれはわたしも大人になるんだしさ。と省略して四季は言った。

 四季から見て、彼はまぎれもなく善忍だった。忍びとしての仕事も忙殺されるほどこなす優良物件だ。唾をつけておいてもいいだろう。それになにより、面白い。

 

 心なしか胸がときめく、身体が熱く……いや、これは? ちらと彼を見やる、わたしを恐れるように後ずさった。

 

「ようやく効きだしたか」 とどこからともなく声が響き、忍び服に身を包んだ人影が姿を現す。

 

 油断した。と、四季は下唇を噛みしめる。おそらくピザに一服盛られていた。その可能性を忘却してしまっていたのだろうか。

 いや、彼が悪いのだ。年上の善忍だし、心のどこかで背を預けていたのだ。らしくもない言い訳に自虐する。すべては自責だ、誰かのせいにしてはいけない。

 

 発汗とは違う熱量が骨の髄から、心臓の鼓動のように肉体を蝕む。特に、下腹部を。秘部に伸びる腕を自制し、胸を隠すように自分を抱きしめる。

 

 媚薬? だとしたらなぜ、と四季は朦朧とする意識を思索に走らせた。

 人を薬で殺すのは簡単だ。極端な話、比較的手に入りやすい殺虫剤を飲ませるだけでも死ぬ。だが特定の症状を狙って起こすのは難しい。

 例えば視力を一時的に奪う薬品は、現実に存在する。サイプレジン1%点眼液などがそれにあたる。

 だが殺しの手段に比べて格段に選択肢は減るし、眼球に液を入れなければならない。要するに、人体に対して狙った効果を発揮させる薬というのは種類が限られていて、ましてや発情させるなどという生殖本能を刺激する薬は入手も製薬も困難なのだ。

 少量でも、裏では空対空ミサイルより高価と噂されていた。

 何のために? こんな高価な薬を使う。ちらと彼を見やった、さすがに経験を積んでるだけあって、わたしよりは耐性があるだろうと。

 

 彼の眼はいいかんじにキマッていた。ジャージの上からでも、男性器の隆起がはっきりとわかる。四季は反射的に、羞恥から顔を逸らした。

 ベッドの上に転がっている携帯に手を伸ばし、寸でのところで悪忍に奪われ、その辺に放られる。

 彼が四季にのしかかるように四つん這いになった。

 

「え、ちょ、待っ」 と、押しのけようと胸板を叩くが、どうにも力が入らない。そればかりか、義務的な抵抗をすることで、さも不可抗力故に仕方がないと納得しかける無意識に、思考は警笛を鳴らす。 「わた、わたし初めてなんだけど!……ちょっと……ひぅっ」

 彼の膝が四季の秘部に触れ、痺れるような刺激に予期せぬ声が口から洩れる。

 

 こんな声を出すなんてと、おもわず片手を口にやる。

 

「まんざらでもないんじゃない」 沈黙を続けてきた悪忍が言った。 「助かったよ、あんたが代わりになってくれて」

 

 代わり? と四季が悪忍を見やると、小さなカメラを向けていた。いったいなぜ、この悪忍は彼を狙い、この情事を撮影しようとしているのか。理解できない。

 

 彼が四季の両手をベッドに押し付けるように固定する。ゆっくりと顔が近づけられる。膝は相変わらず秘部をグリグリと押し付け、四季の意に反して白い太ももはせがむように膝の愛撫を求めて彼の片足を挟み込んだ。

 

「やだ、ねえお願い、待って。初めてなの、唇も」 言うがしかし、舌はこれから行われる口内凌辱に備えていた。視界がぼやける、涙が滲む。

 

「無駄だよ」 悪忍が地球の裏側の出来事のような無関心さで、ハンディカメラのディスプレイを眺めて言った。 「その媚薬ははるか昔に作られ、再現不可能と言われている代物だ。そこいらの美術館なら丸ごと買える。ひとたび体内に取り込めば、日常生活のルーチンワークのように犯す。おんなを教えて貰え。いい機会じゃないか」

 

 悪忍の説明など、四季の耳にはもう入ってなかった。彼の舌を受け入れるように赤い口を開く。開いて、言った。最後の救いを求めるように。 「……おじさん、お願い」

「おにいさんだって、おれ結構ナイーブなんだけど」

 

 彼はもう少しでくちづける距離になって、ベッドに顔を沈めた。必然的に四季の耳元でそう囁く。

 辛そうに一呼吸置くと、やおらベッドから立ち上がり、悪忍の方へ歩みよる。

 

「ちょっと近い、カメラに映らな」

 

 そう悪忍が言い終わる前に、彼は殴り飛ばす。カメラが床に転がった。

 ディスプレイに意識を集中していたせいか、手練れの忍びであったにも関わらず顎に一撃を受けた。強力な媚薬に胡坐をかいていたのもある。それでもフラフラと立ち上がるのは鍛錬の賜物か、呂律の回らない口で驚愕を漏らした。

 

「信じられ、あの媚……を、克服。ありえ……」

 

 そのまま震える手で懐から煙幕玉を取り出し、お決まりのように煙が晴れた後には名も無き悪忍の姿は消えていた。

 大丈夫か、と彼が四季へ振り向く。彼女は見てしまった、彼のその、生気のない仄暗い瞳を。―― 一般的には死んだ魚の眼と称され、月初めとかによく見られる――

 別段、彼が意図して媚薬の支配を破ったわけではない。彼は前職において、部下にも仕事が忙しいときは心が虚無になっていると言われるほどに、膨大な仕事量をルーチンワークのように処理していた。

 薬の強制力は、理性によって当然に隠されていた性欲を表層化するはずだったが、彼にとって当たり前とは仕事だった。

 食欲、睡眠欲に続く三大欲求である性欲よりも馴染みのある仕事を彼に喚起させ、故に社会の凍てついた歯車の一つへと戻った彼は誘惑を断ち切ったのだ。よーするにクウネルシゴトという社畜の三大サイクルを回した結果だ。休日に電話がかかってくるのだ、胃がきりきりするのだ。月月火水木金金なのだ。

 

「近頃の暴漢はだいぶアグレッシブだな。カメラ片手に、ようつべにでもアップロードするつもりなのか」 と彼。気が付いたら四季に跨っており、しかも見知らぬ人物が部屋にいたのでとりあえず殴っておいた。にしても女みたいな体型をしていたがと心に留める。 「他にも仲間がいるかもしれないし、ここを出た方がいいかな」

 

 不感無覚に言う彼を、四季はベッドに横たわったまま情感の籠った眼で見上げて思った。凄まじい精神制御能力だ、身体能力はそれほどでもないが、忍びにおいてはどちらかと言えば前者の才能を持つ人材の方が貴重だ。

 精神制御は土台として大きく二つに分類される。薬物と忍術耐性だ。そこから幻術や催眠などで細分化される。しかし中でも相手を操る洗脳系は難易度が高い。特に、無意識の混濁などと違い意識が必要な行為は。

 

 肉体や反射神経を鍛えることは人体工学や科学的な土台がある。どんな人間でも一定までは成果を出す。しかし内面はそうはいかない。筋骨組織よりも遥かに複雑な心神の構成を把握し、流動的な感情を凍結させることは困難だ。これといった科学的立証のある鍛錬方法がない。だから滝に打たれるなどという、見返りが必ずしも約束されていない修行に明け暮れるしかない。

 本当にこれは意味のある修行なのかという不安を携えながら。そう思考してしまうことが非効率的であると認識していても、そもそもこの修行が効果的であるという前提がないと無意識しても。

 理解はどこまでも遠大に位置し、故にそれこそが力だった。理解こそが、忍術の基本でもある。術の行使において、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 例えば、炎を生み出すならば術者は炎そのものを個人的な主観により概念を把捉していなければならない。炎とはなんなのか、自分でケリを付けなければ術としては使えないのだ。

 

 四季は気づけば、片手は自らの胸をゆっくりと圧迫と減圧を繰り返し、もう片方の手はスカート越しに秘所を探っていた。

 視線を逸らし、彼は所在なさげに言う。 「悪いとは思うんだけど、なんというか」 部屋を見わたす。ラブホでうら若き乙女と二人きりなどいうシチュエーションに流されてしまったのか。急に欲情して襲ってしまうとは情けないと自答して続けた。 「自分でも情けないなとは思うんだけど、ちょっと流されたというか。その、ごめん」

 

 四季は平謝りする彼を見て不可解に思い、遅れて彼が何を謝罪したいのかも見当がついた。媚薬に完全抵抗するまでのタイムラグがあったことを言っているのだ。むしろ美術館が丸ごと買えるほどの薬効を、あれほどの短時間で克服したことのほうが信じられない。普通なら、為されるがままだろう。

 

 普通なら、と脳裏に先ほどまでの彼の男性器を想起させて更に考えた。

 いや、これは考えるという思考法よりも、ただの妄想だ。だがもう一歩踏み込んでみたいという欲求に逆らえない。

 

 四季は熱っぽく息を吐き出して言った。 「謝ること、ないと思うけど。不可抗力みたいなもんでしょ、よく我慢できたね」

「え、うーん」 と、彼。小首を傾げる。

 彼は、襲いかけたのは場所とシチュエーションの所為にしたいと無意識に思っていたし、それを口にした。だがそれは本人をないがしろに責任逃れしていると咎められているのではないか。挑発的に、よくわたし相手に、と隠されて我慢できたねと言われると、そんな気もした。

 たしかに彼女の肉体は艶めかしく、どこを触っても柔らかそうで、食べたい、という食欲にも似た歪な魔性の魅力があった。にしてもすごい自信家だなあ、でも否定するのも失礼かもしれないしと、言葉を続けて言った。

 

「ま、きみがその、男心をくすぐる肉体を持っていたから、というのはわたしの主観的な事実でもある。認めるよ、悪かった」

「わたしじゃなかったら、押し倒すこともなかった?」 彼の言葉に、一段と下腹部が熱を持った。

 

 男相手に、気が付いたらラブホのベッドに押し倒していた、なんてことはさすがにない。 「たぶんね、でもきみ相手だと誰でも、というのは言い訳がましすぎるな。まいったよ、謝る以外に言葉がない。あんまりからかわないでくれるか、やめてくれ」

 

「おじさんがわたしに興奮したように、わたしもおじさんに興奮してるって言ったら。どうする? ね、こっち見てよ」 四季は上半身を起こし、見せつけるように膝を立てて足を開いた。 「将来の後輩に、手助けしてくれてもいいんじゃない? このままじゃ、収まりがつかないよ」

 

 あー、これ完全に雰囲気に飲まれてるな、と彼。そうでないと、この乱れ具合は説明がつかない。少し前まで、将来について語っていた彼女とは思えなかった。

 

「きみ、処女なんだろ。そういうのはね、本当に好きな人としなさい」 なんだか父親になった気分。

「恐い?」 と指を舐めて、四季。

「きみが一時の判断を誤ったばかりに、後悔で眠れない夜を過ごすのが」

 

 冷ややかな口調に、僅かながら四季の理性は本能から行動リソースを奪還した。そんなことは、わかっている。初対面のおとこの人に股を広げるなんて、自分ではない。こんなラブホテルじゃなくて高級ホテルか、あるいは相手の家のベッドがよかった。白馬の王子さまなんて子供っぽいことは言わないけど、悪忍に狙われている冴えない男性を見かけたので助けようとしたら逆に、なんてケチをつけたくもなる。逆ならよかった。逆なら……。

 

「じゃあさ、後ろからぎゅってして。それでいいから」

 

 言って四季は素早く彼をベッドへと引っ張りやると、枕を背に、深く腰掛けるようにし、彼の股の間に肉置きの良い尻を置いた。

 え? 何が起こった、と彼。遠心力に瞠目していると、いつの間にか四季を後ろから抱えていたのだ。

 

「体術はわたしの勝ち」 と嬉しそうに四季は彼に背を預ける。「これくらいならいいよね」 と振り返って彼を見上げた。

 

 よくはなかったが四季はおかまいなしだった。

おとこの人が見ている前でするなんて、どうかしている。明確に恋愛感情を抱いているかどうかは、媚薬の支配下ではわからない。そういうことにしておこう。

 だが、将来においてはわからない。好きに、なるかも。だったらやはり唾をつけおくべきだ。日日を困難な仕事で明け暮れているなら、もう会えない可能性もある、あの世でしか。だからマーキングしておこう、メスの香りをつけておこう。

 

 四季は彼と足を絡ませ、背をよじって、発情した匂いを擦りつけようとした。 「ねえ、触ってくれるのもなし?」 懇願するように喘いで言った。 「手でしてくれたら、許してあげる。我慢、する」

 

 媚薬を盛られていたので許すも何もなかったが、ひたすらに詫びていた彼はそれを欲しているようだった。交換条件ということなら、ひょっとすれば呑んでくれるかもしれない。

 

結局、ペッティングで事は終わり、四季は全力疾走したかのように呼吸を荒げて彼を背に脱力していた。なんとなしに彼のジャージのポケットに手を突っ込んで携帯を取り出すと、慣れた動作でカメラ機能をオンにして、自画撮りの要領でシャッターを切った。次いで自分の携帯に送信する。

 

「おいちょっと」 と彼。ふにゃりとした腕から携帯を奪い返す。 「どこに送った?」 画面にはすっかり惚けた表情の四季が、受けた快楽の度合いを物語っている。

「わたしの、記念に。はぁ……うん」 と四季は身をよじって、もう一度背を強く擦りつけた。 「ねえ、固くなってるよ」 言って前かがみになり、むっちりとした尻を押し付けた。

 

「そりゃな」 淡泊に言って彼は立ち上がった。帰るぞ、といった雰囲気。

「もうちょっといいじゃん」 ごろりとベッドに横になる。 「してあげようか、お返しに」

 

「だからそういうのはな」

「いいよ、おじさんなら。わたし、好きかも」 彼とは反対の方を向き、自分でも何故こんなことを口にするのか分からないでいた。

 

「それが完全に自分の感情だと言えるのか?」 と、彼。そういえば若者の性の乱れは昨今では著しいらしい。ラブホの雰囲気に加え、周りの友達が卒業済みとかで、焦っているのかもしれない。

「ま、そう言われるとね。否定できないけど」 と、四季。この胸の動悸が、媚薬のものである可能性は十分にある。むしろ九分九厘そうだろう。 「おじさんって、ほんと根っからの善忍だね。だいたいの男の人って、こういう言葉につけ込むものだと思ってたけど」 半ば呆れるように笑って言った。

 

「善人ってかモラルの問題のような気がするけど」 と、彼。積極的になる気がない理由を隠して言った。 「もう日が落ちた、夜道は危ないし。送ろうか?」

「職質されちゃうよ、大丈夫。一人で帰れるし」 ん、と両腕を差し出した。

 

「なに?」

「腰が抜けて立てない、出口まで抱っこ」

 

 彼は一刀両断に断ろうと思ったが、結局はなぜかお姫様抱っこで四季を運んだ。彼女の微笑みが無垢に思えてしかたがなかったので。

 

「ねえおじさん」 と四季は両手を彼の首に回して言った。 「馬とか、飼ってない。白いやつ」

「ハムスターすら飼ってないよ」

 

 ふうん、と少し前に途切れた空想の糸を手繰り寄せる。 「……逆にさ、わたしが悪忍に狙われてたら、助けてくれる?」

「逆の意味がわからんが、だろうな」 忍者だし、と付け加える。

 

 

 

 彼は適当にランニングをした後に帰宅した。帰宅して、シャワーで汗を流してテレビをつける。前職で仕事の終わり、転じて休日を表すナイトスクープを見るためだ。

 

 テッテッテレ。とオープニングが始まり、局長がアップになった瞬間に、彼は習慣的無意識下でルーチンワークを終了させた。仕事が終わり、遅れてやってきた媚薬による形容しがたいほどの欲情に冷汗が止まらない。

 

 局長を見て勃起するなんて、おれはいつの間に超上級ホモになってしまったんだ!?

 次次と映し出される、濃ゆいメンツの探偵たちにも反応してしまっているという螺旋に落下する錯覚に陥り。恐怖心から鎖鎌でテレビを破壊した。

 

 その物音に気付いてか、階下へと階段を降りる足音がする。

 

 

 

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 妖魔はたとえ、忍びの究極の称号とされるカグラを持ってしても対抗できるとは限らない。容赦なく殺される。

 

 覆い茂る木木の間を縫うように、一人の忍びが音もなく駆けていた。忍びの腕が霞んだかと思うと、錆色の影がコリオリによる偏向まで計算された凍てつく軌跡で空間を貫徹した。宿命的予定調和で追っていた獣の後ろ脚が破裂する。大砲が着弾したかのような音が響き、遠方で鳥が羽ばたいた。

 獣は走る体勢を維持できず、保持していた速力を中和できないままに地面を転がった。何本もの木をへし折ってようやく止まる。

 

 獣は虎のような四足歩行する哺乳類に似ており、背からは巨大なミミズのような触手が数えきれないほど蠢いている。その触手の先端は人間の指と酷似していた。間接があり、爪と指の腹がある。尾は二股で、蛇の舌だ。腹は縦に裂かれたような口があり、滑った唇と魚のような歯が二重にある。頭部は蛆のようにブヨブヨの皮膚で、昆虫の複眼と人間の口が福笑いで取ってつけたかのごとく位置していた。

 およそすべての生命を冒涜しているような異形の獣こそが、忍びの追撃する妖魔だった。妖魔は横たわったまま背の触手を伸ばすと地中に潜らせて、様様な昆虫や爬虫類を掴んでは触手ごと腹の口で食った。長大な蛇の舌の尾で周囲の地面や木を舐めとっては腹の口角で微生物をしゃぶった。次いで触手を数十匹切り離し、破裂させられた脚部へ癒着させて部位を復元する。

 その間わずか一秒にも満たない。再生能力を超える致死的損傷によってのみ妖魔は消滅するのだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()とされている。

 

 忍びが太陽を背に、再び錆色の線を投擲する。投擲された物質の質量、与えられた爆発的速力。切っ先が空気との摩擦熱で赤を帯びる。杭のような棒手裏剣が光線の正体だった。

 妖魔は毛を逆立て、瞬時に触手を生やすとマイクロセカンド間で飛翔する物体を捕捉した。避ける体勢ではないので触手で掴み取ろうとするがしかし、妖魔という種が持つ頑強さを物理的に真っ向から打ち破るほど、杭に与えられた古典的な運動エネルギーは暴虐だった。銃弾でさえ傷つかないはずの触手は無い物として扱われ、瞬きの間に妖魔の胴は風穴を開ける。大地が抉れた。

 

 かつ忍びは投擲と同時に不感無覚に思考していた。――絶・秘伝忍法――

 

 忍びが()()()()()()()()()()()()()()()()()と言われる極意忍術・秘伝忍法は確実に妖魔を捉えた。

 妖魔は複眼で忍びの背後に幻視した。猪を共にした陽炎の女神、摩利支天までをも。

 

 後に残ったのは不気味にのたうつ触手が十数本と、酸のように地面を蝕む妖魔の血だけだった。しかし処理できたのではない。

 妖魔は逃げた。あの状態では不可能に思えるが、卓越した精神制御術を扱うその忍びは確信していた。自らは妖魔の幻術の影響下にあった、とどめを刺したのは幻影であって実体ではない。

 逃げられたのはこれで二度目だった。あの妖魔は惑わしの類に長けている。超高速で構築した秘伝忍法を後手で回避できるほど使う。発見と同時に秘伝忍法を発現させなければ。

 まあいいさと忍びはその場を後にした。()()()()()()()と内心で呟いて。

 

 されどその忍びは、数日後にこの世に存在しなくなった。

 

 妖魔はたとえカグラを持ってしても対抗できるとは限らない。

 




R18はエロがまず読みたくてストーリーばっかだと微妙なんかなってことで通常投稿です。
書いてみてわかったのですが、霧夜先生がいない鈴音先生って魅力が減ってしまった希ガス。

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